三代歌川広重・猩々噴水器之図

『上野公園内国勧業第二博覧会美術館并猩々噴水器之図』
三代歌川 広重画


上掲の錦絵は、江戸時代から明治時代にかけての浮世絵師・三代目 歌川 広重の描いた『上野公園内国勧業第二博覧会美術館并猩々噴水器之図』(東京国立博物館所蔵)である(ここクリックで超拡大図が見れる)。なお、以下では、歌川周重(守川周重) の第二内国勧業博覧会時の上野公園の全体図(鳥瞰図)が見れる。

上野公園地第二内国勧業博覧会一覧図-文化遺産オンライン

広重の名前では初代、二代と同様に三代広重も「東海道五拾三次」(※1参照)を描いているようだが、さすがに明治という時代を反映して、怒濤のごとく押し寄せる文明開化の産物、蒸気機関車、蒸気船、鉄道、洋風建築、洋服、散切り頭の民衆、人力車などを積極的に描いている。
なかでも明治5年(1872年)に開通した新橋横浜間を結ぶ
鉄道の登場は当時鉄輪が蒸気で走行するといって話題騒然、カルチャーショックを起こした(「東京名所新橋ステンション蒸気車之図」参照)。開通の前から浮世絵師たちが想像を膨らませて描いた錦絵は、全国にニュースとなって流れた。
三代目広重はこういった文明開化の有様をそれまで使われていた高価な
に代わって、扱いやすい洋紅と呼ばれる当時輸入されていた毒々しいアニリン紅を多用して描いたので、彼の開化絵は「赤絵」と呼ばれた(開化絵※2参照)。当時の落ち着きのない騒々しい世相を見事に映し取っていたといえよう。
三代広重の開化絵は
初代広重がもっていた叙情性とは縁がないが、からりとした明治前期の時代色を良く伝えている。また、このような開化絵のほか、東京名勝絵や諸国の物産絵などを多く描いており、上掲の画像もそのうちの一つである。
この画では、明治14年(1881年)政府主催により開催された
内国博覧会会場(上野公園)内(現在の園内図はここ参照)の煉瓦造りの美術館(※3参照)の前にある大きな噴水の周囲に珍しげに集まる人々を見事に捉えている。
内国勧業博覧会は初代内務卿
大久保利通の提案により、内務省の主導で開催された明治10年(1877年)8月、に始まり、5回開催されたが、これは、第2回内国勧業博覧会の様子であり、この画中央で来場者の注目を浴びているのは、この画のタイトルにもある“猩々(しょうじょう)噴水器”である。
以下参考の※4:国立国会図書館-博覧会の
第2回内国勧業博覧会のページに博覧会場の様子が詳しく書かれている。ここではこの噴水器など小林清親の画となっている(拡大画像は、”会場と人々の様子『第二回内国勧業博覧会』 倉田太助”のコマ番号5参照)が、写真に色彩がなくよく分からないが、冒頭の錦絵では色鮮やかに表され、華やかな様子が生き生きと伝わってくる。
実はこの“猩々(しょうじょう)噴水器”。明治時代の日本を代表する陶工
宮川香山(1842-1916)が制作した「噴水器 陶人物錦手」というものだそうで、写真が残っているそうだ。
高さ3mにおよぶ巨大な陶製の壺の周りには、猩々の赤い能装束の4人が酒に浮かれ舞い謡っている(※5:
「 眞葛博士 の 宮川香山研究 」宮川香山  「能」がモチーフの噴水 (1)を参照)。
これは、中国の潯陽江(
揚子江)に住む赤毛の霊獣猩々が、親孝行者の高風にが尽きることなく湧く壺を与えた、というの演目(※6参照)をもとにして作られたものだそうだ。
このような話から、中国の伝説上の動物猩々”は「赤い顔をした陽気な酒の神様で、親孝行のシンボル」といった良いイメージが定着し、民間信仰に近い形で広がっている。
私のようなお酒大好き人間は、そんな酒の神様猩々が大好きで、猩猩の人形が付いた
備前焼の絡繰盃(各種絡繰盃参照)を持っている。この盃で、無限大に酒が飲めるわけではないが、この絡繰盃は人形の部分に穴が開いており、その穴を押さえて酒を注ぎ、その酒を呑んでから穴に当てている手を離すと空になった盃部分に酒が出てくるので得したような気分になるんだよ。
猩々絡繰盃
備前焼猩々絡繰盃
それが左の盃だ。呑兵衛なんて単純なもので、こんな盃で一人で酒を楽しんでいるんだよ。
猩々は、日本では、各種の
説話や芸能によってさまざまなイメージが付託されて現在に及んでいる。 しかし、伝説のため、さまざまな説があり、七福神の一人として寿老人の代わりに猩猩が入れられた時代もあるようだ。寿老人道教神仙)。中国の伝説上の人物。南極老人星(カノープス)の化身とされている.。
以下参考の※7:「日本の行事:七福神」などによると、七福神の顔ぶれが現在のような形になるのは、江戸時代なかば以後のことだそうである。それ以前には
鍾馗、猩々、吉祥天女を加えた七福神もみられた。
江戸時代はじめに摩訶阿頼矢(まかあらや)という筆名の文人(本名は不明)が書いた『日本七福神伝』(出版年月日元禄11年、 ※8参照)には、「吉祥(吉祥天)、弁財(弁財天)、多門(多聞天毘沙門天のこと)、大黒(大黒天)、四天(仏教四天王 持国天増長天広目天多聞天〕のこと)、布袋和尚(布袋)、南極老人(寿老人あるいは福禄寿のこと)、及吾国の蛭子神(恵比寿)を以て七福神と称し、これを祭る」とあり、現在の七福神に含まれない吉祥天が七福神の中の一柱とされている。吉祥天は毘沙門天の妻で、早くより帝釈天大自在天などと共に仏教に取り入れられていた。奈良薬師寺には天平文化の代表作の一つ美しい吉祥天の画像(薬師寺吉祥天像参照)が伝わっている。また、寿老人と福禄寿が南極老人として実質一人となっている。そして、四天王までが含まれており、数が七で収まっていない。
江戸時代はじめにあたる延宝8年(1680年)の
節用集の一『合類節用集』(※9参照)という辞書にも、寿老人はなく、その代わりに猩々が入っているというが、江戸時代半ば過ぎにあたる寛政11年(1799年)頃に記されたという山本時亮[他]の『七福神考』(※10参照)には鍾馗や吉祥天、猩々を入れた七福神ではなく、現在のような七福神の名が揃っており(ただし、”寿老人、福禄寿一人別名”とある・・が)、このころになって、やっと、現在のような七福神の顔ぶれが定着したようである。
しかし、日本古来の神様(
日本の神の一覧参照)が七柱中で恵比寿のみということに不満を持つ国学者も少なからずいたようで、増穂残口(ますほざんこう)という国学者が元文2年(1737年)に『七福神伝記』(※11参照)という著述を発表しており、その中で増穂は、
大己貴尊(おおなむちのみこと=
大国主命)、事代主命(ことしろぬしのみこと=恵比寿)、厳島大明神=市杵嶋姫命)、天穂日命、高良大明神(こうらだいみょうじん=武内宿爾)、鹿島大明神(武甕槌命〔たけみかづちのみこと〕)、猿田彦大神を七福神としている。彼は熱烈な神道家であり、日本人なら、日本の神様を信仰しなさいということだろう、採りあげたのはいずれも『古事記』や『日本書紀』に出てくる日本の神である。『七福神伝記』には、なぜこの七神を選んだのかを、事細かく記されている。
 猩々は元は中国の想像上の酒の好きな猿の動物だが、江戸中期寺島良安によりに編纂された 『
和漢三才図会』 (正徳2年(1712年)中之巻には、日本では赤い毛の獣で、その血もまた鮮やかな赤色とされ、これで染めた毛織物が猩猩緋だということが書かれている(※12:中之巻、第四十巻 寓類 恠類  九十六頁。コマ番号56、訳文は※13参照。本分xの「本綱」とは『本草綱目』のこと)。また、ショウジョウバエは、酒に誘引される性質から猩猩になぞらえて名づけられたものだが猩々を、冠した名は多くある(ここ参照)。
中国では、山に棲むものだと言われていたようだが、日本では宮城県、岩手県、山梨県、富山県、兵庫県、和歌山県、鳥取県、山口県など各地の
伝説昔話にも登場し、江戸中期に甲府勤番士の著した地誌書『裏見寒話』では、山梨県の西地蔵岳で猟師が猩猩に遭って銃で撃った話があるそうだが、そのほかの地域では猩猩はほとんど海に現れているという(※14参照)。
『ゲゲゲの鬼太郎』漫画で有名な故・水木しげる出身地、鳥取県境港市には、水木の描いた妖怪世界観をテーマとした観光名所として「みずきしげるロード」(※15参照)がある。
そこには、水木の代表作『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターを中心として日本各地の妖怪たちをモチーフとした銅像などが多く設置されているがその中に、「麒麟獅子と猩猩」の像がある(※15のブロンズ像 /
麒麟獅子と猩猩参照)。


麒麟獅子(※16も参照)は、鳥取県だけではなくわが地元兵庫県にも伝わる民俗芸能獅子舞の一種であるが、麒麟がモチーフになっているために通常の獅子舞よりも面長な獅子頭で、色は金色、一本角があり、耳が逆立っている。横にいるのは猩猩で、麒麟獅子舞が登場する時のあやし役・先導役をする。1650年に鳥取東照宮を建立した折に始まったという。
愛知県の
名古屋市緑区(旧東海道鳴海宿)を中心とする地域の祭礼猩々祭りには、猩猩が祭りに欠かせないという(※14)。また、秋田県横手市十文字町で猩々まつり(※17参照)がおこなわれれいる。
猩々が私の大好きなお酒の器と関係していることから、ついつい猩々の話が長くなってしまった。
ところで、今日6月18日(日)に、あえてこの一枚の絵について書いたのは、6月の第三日曜は、「
父の日」だったからである。
この日が「父の日」と呼ばれるようになったのは、1910(明治43)年にアメリカ・
ワシントン州に住むジョン・ブルース・ドット夫人が、彼女を男手1つで自分を育ててくれた父を讃えて、教会の牧師にお願いして父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことがきっかけと言われている。
アメリカ合衆国では、すでに「
母の日」(5月の第2の日曜日。アメリカ発生)が1908(明治41)年に始まっていたことからそのことを教会で知った彼女は父の日もあるべきだと考え、「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願(1909年)した。
ドット夫人がまだ幼い頃
南北戦争が勃発。父、スマートが召集され、ドット夫人を含む子供6人は母親が育てることになるが、母親は過労が元でスマートの復員後まもなく亡くなった。以来男手1つで育てられたが、スマートも子供達が皆成人した後亡くなったという。
それから、7年後の1916(大正 5)年、第28代大統領
ウッドロー・ウィルソンの時に「父の日」と認知されるようになり、1926年にナショナル ファーザーズ・デイ コミッティ(全米父の日委員会)がニューヨークで組織され、1972年(昭和47年)つまり、第37代大統領リチャード・ニクソンの時代になって、アメリカでは国民の祝日に制定されたという(日本と同じ6月の第3日曜日)。
いずれにしても、アメリカでは『父親を尊敬し、称え祝う日として『父の日』がある。
しかし、どうも、日本だけではなく、「母の日」に比べて、「父の日」の影は薄いようだ。特に日本では・・・。
酒好きの親父などは子供や女房殿からあまり好かれない。
能の”猩々”では親孝行者の高風(能『猩々』)は親でもないただの呑み助の猩々に親切に酒を与えてやり、ともに酒を酌み交わし、それに感謝した猩々は、高風の徳を褒め、泉のように尽きる事のない酒壷を与えて帰ってゆくのだが、酒好きのお父さんにやさしくしておくと、大きな見返りがあるかもしれないよ・・・。酒飲みって本当に、単純なんだから・・・。

参考:
※1:
保永堂版 東海道五拾三次収蔵作品 | 知足美術館

※2:江戸明治開化絵

※3:東京国立博物館 - 東博について 館の歴史 6.内国勧業博覧会 殖産興業と博物館

※4:国立国会図書館-博覧会

※5:「 眞葛博士 の 宮川香山研究 」宮川香山  「能」がモチーフの噴水 (1) 

※6:the能.com-演目事典:猩々

※7:日本の行事:七福神

※8:日本七福神伝

※9:合類節用集

※10:国立国会図書館デジタルコレクション - 七福神考

※11: 『七福神伝記』-鈴鹿文庫