ポートピア'81ポスター
ポートピア'81会場風景

①ポートピア'81ポスター

②ポートピア'81会場全景


1981(昭和56)年の今日・3月20日、「新しい”海の文化都市”の創造」をメーンテーマーにした神戸ポートアイランド博覧会(愛称はポートピア'81)が開幕 した。
大阪で日本初の
万国博覧会が開催されたのが1970(昭和45)年、そのころ、神戸市ではユニークで雄大な大都市計画が進行中であった。
そして、「山海へ行く」を合言葉に、
六甲山系の山を削り、その土をもって、神戸港沖を埋め立て造成した人工島ポートアイランドを建設。15年の歳月を要して、1981(昭和56)年、ポートアイランド・第一期工事が完成した(※1)。その完成記念事業として、メーンテーマーに「新しい”海の文化都市”の創造」を掲げて、人工島・ポートアイランドにて、1981(昭和56)年3月20日から9月15日まで、会期180日間に及ぶロングランの「ポートピア’81(神戸ポートアイランド博覧会)」が開催された(※2)。冒頭画像①は博覧会ポスター、②は会場全景図(神戸市発行市制100周年記念誌「こうべ」より。画像クリックで拡大)。
この
博覧会の会場面積は約72ha。大阪万国博などの国際博覧会などではなく、神戸市という1都市が主催した地方博にもかかわらず、全国各地から大勢の観客が押し寄せ、朝9時半の開門早々からテーマ館をはじめ計32のパビリオン(国内27、国外5)にぞくぞくと人が列を作り、人気のパンダ館などは会館直後から待ち時間の掲示が貼られた。また、何もせず、只無言で突っ立っているだけであったが、ユーモラスな姿が観光客に大人気で、多くの人がお巡りさんと記念写真を撮るのに順番待ちをしていたくらいだ。勿論、我が子もその1人であった。
新しい映像技術や情報システムを駆使した展示、連日多彩なプログラムを提供した国際広場など、総数9000人以上の
コンパニオンの活躍、市民団体による、美化運動親切運動など国際条約によらない地方博としては、規模、内容共に類のない見事な博覧会であったと絶賛されている。
三宮から
人工島ポートアイランドへの輸送手段としては、日本初の無人列車「ポートライナー」も運転を開始した。
同博覧会のテーマ曲「
PORTPIA」は、当時人気絶頂のゴダイゴが歌い大ヒットした。

ゴダイゴ ポートピア - YouTube

結果は、予想入場者数を310万人も上回り、1,610万人が来場するという大盛況であり、収入320億円。財政計画も60億円を上回る黒字運営であった。この「ポートピア’81(神戸ポートアイランド博覧会)」の大成功は、1980年代後半の「地方博ブーム」の火付け役となり、神戸市は都市経営のモデルとして「株式会社神戸市」と称されもてはやされるきっかけとなった(※3参照)。

あの時のポートピア'81の会場雰囲気は以下で味わえるよ。

ポートピア’81動画

神戸ポートアイランド博覧会は、単に博覧会を催している会場でのイベントの多彩さだけを売り物にしていたのではない。新しい未来都市の誕生を祝う祭典であり、ポートアイランドを広く内外の人々に知ってもらうだけでなく、それにもまして期待されたのが、市民文化の高揚、神戸経済の発展、さらには、ここに集約された科学技術の粋が、知識集約型産業の育成に結びつくことであった。
イベント開催後の跡地はほぼ
神戸コンベンションコンプレックスとして、ホール、展示場、ホテル、会議場群で構成され、あらゆる種類の会議・レセプションに対応している。ポートライナー 市民広場駅を中心に各施設が屋根付き回廊で結ばれていた。以下参照。
 
Vol.001 - 国内初のコンベンション都市神戸コンベンションコンプレックス

神戸コンベンションコンプレックス- 3GPP2

また、ファッションタウン(※4の「市民のグラフこうべ」”1987年3月No173神戸ファッションタウン ”参照)には服飾、真珠、洋菓子などの企業が進出。また文教ゾーンや住宅街も落ち着きつきさあこれから発展をというとき、1995(平成7)年、1月17日、あの直下型の阪神淡路大震災(マグニチュード7.3)に遭遇。
神戸市全域が大被害に遭う中、
神戸港や人工島のポートアイランドなど埋め立て地を中心に地面が軟弱化する液状化現象の影響を受けた。その後、神戸は街の回復に努めるが、歴史的にも最も重要な港が被害にあったため、神戸港へ入港の船も大阪港など他の都市港にとられ、関西の領事館発祥の地でもある神戸にあった領事館の多くが被害を受け、大阪に移転を余儀なくされたことや産業も1部他都市へ移転するなどにより苦戦を強いられた。

しかし、1998(平成10)年に発足させた「
神戸医療産業都市構想」(※6参照)に基づき、2002(平成14)年の理化学研究所のCDB(発生再生科学総合 研究センター。=現・多細胞システム形成研究センター。※7参照)や、スーパーコンピューター「京(けい)」などの研究機関を皮切りに、先端医療振興財団(※8のここ参照)による先端医療センター(2016年神戸市立医療センター中央市民病院に統合)、 神戸臨床研究情報センター、神戸バイオテクノロジー研究・人材育成センター(※9参照)、 神戸大学インキュベーションセンター(※10参照)などの公的機関が次々開設され、現在、ポートライナー「医療センター」駅周辺などに研究機関・病院・医療関連企業が集積し、我が国最大の医療産業クラスター(集団)に成長している(2018年2月末現在344社/団体。 ※6の進出企業一覧参照)

神戸市の再生をかけて、新たにポートアイランド沖南側に人工島を建設し、
神戸空港が、2006(平成18)年2月16日に開港し、都市部の三宮駅やポートアイランドなどは「日本一空港に近い」ことをうたい文句にしていたが、空港の乗降客は伸びず、空港島の空港以外の造成地の売却等がママならず、市の財政負担となっていたが、ここの所、空港は乗降客も伸びてきているようであるし、 神戸市は2018年4月に民営化される神戸空港の運営権を関空と伊丹(大阪国際空港)を運営するオリックス陣営に売却する方針を決めたので、今の観光ブームにも乗ってだんだんとよくなってゆくだろう。
しかし、一番気にかかることは、神戸市が巨額を投じて造成した空港島の産業用地約82
ヘクタールのうち、これまでに売れたのは15%に過ぎず。市は造成費2231億円のうち借金で賄った1982億円を土地売却で返す計画だが、売却額は160億円にとどまっており、造成地売却問題がこれからも課題であることである(※11、※12参照)。
震災に合った神戸市に対して、その再生に協力してくれた当時の自民党(当時は何とも頼りない社会党
村山富市内閣)であったが、そもそも、自民党案では伊丹空港の騒音問題から、現関西空港の建設は、当初、立地条件の良い神戸沖へ造る予定であったが、環境問題(この場合騒音問題)にはうるさい神戸市民を配慮して、神戸市は政府案を拒否していた。
それを、当時、これからは地方が空港を持つ時代であるという考えが広がっていたこともあり、宮崎市長が、空港建設の方に傾き、政府に掛け合ったが政府は神戸市が空港建設をかたくなに拒否していたため、神戸空港建設には協力的でなく、仕方なく神戸市は、市債を発行し自力で建設を推し進めた。
神戸市は、反原発(
核エネルギー=原子力問題)や、反戦運動には厳しい市民が多いところであった。したがって、日米安保条約に基づく、米海軍空母原子力空母)等(政府や米軍は原子炉を搭載していないとはいうが)が、水など食糧の補給に神戸港へ寄港することさえ、拒絶してきた。そして、米軍どころか自衛隊でさえ、市の許可なく市に立ち入ることを許さなかった。
それが、阪神・淡路大震災発生の際には、神戸市に大きなダメージを与える要因にもなっていたことを思い出す。
震災では、通信網が遮断され、どことも連絡が取れない状況にあった。ちょうど大阪湾に米軍空母がいたらしいが、反戦神戸が依頼してこない以上、立ち寄れないと救助に来てくれなかった。日本の自衛隊もそうであった。その中で、自衛隊の
伊丹駐屯地の部隊が神戸の震災の状況を見て、見て知らぬふりはできないと救援に駆けつけてくれたと聞いている。
その後発生した東日本大震災 では、米海軍がその阪神淡路大震災時の反省から、お友達作戦として、東京電力福島第一原子力発電所事故が発生して、県民が避難しているなか被災地へ救助に駆けつけたことが、マスコミで大々的に報じられ感動をよんだ。
しかし、今、その時応援に従事した米兵らが放射能被ばくの被害を受けたとして米カリフォルニア州の連邦裁判所へ東電が医療費など50億ドルを支払うようを訴えていたようだが却下されたとのニュースがあったが、今後それで引き下がるかどうか・・・(※13)。
又、阪神・淡路大震災の直後3月20日宗教法人、
オウム真理教による地下鉄サリン事件が発生したため、どこのマスコミもが、阪神・淡路大震災の被害者のことなどそっちのけで、毎日オウム、オウムと、この事件のことばかりを報じていたな~。今の日本のマスコミらしい。
そして、この事件の張本人、オウムの教祖
麻原 彰晃ら主犯格の死刑判決がようやく決まりそうだとか・・・。何故、こんなに時間がかかっているのだろう?
政教分離が原則のはずの日本では、何か宗教と関係のありそうな団体が政権にかかわっているからなのだろうか・・・。
ポートピア博覧会から色々なことが思い出された。

参考;

※1:
「山、海へ行く」開発象徴 2代目宮崎が路線加速 : 地域 : 読売新聞.