学校英語を潰す!

 日本は世界第二位の経済大国だが、日本人の英語使用能力は110位だという。日本人の英語力をこんな惨状にしてしまう元凶は、中学・高校の教室で行われている「ドブねずみ英語」である。  このヘドロまみれの英語で日本人の英語感覚をブッ潰し続けている「ドブねずみ教師」たちを作るのは、大学の教授連に他ならない。自分が体験した彼らのあきれ果てた実態をも暴露する。

will は過去の事にも、現在の事にも使う単語だ

 will の意味は「意志」と「予測」であって「未来という」ではない。

 ここが「どぶネズミ教師」たちに全く分かっちゃいない所だ。

 以前にも一度書いたことだが、ここでもう一度そのバカさ加減に驚嘆した体験を蒸し返して記す。

 

 予備校の講師控えに生徒が質問に来ていた。答えていたのは元高校英語教師の年配者だったが、「だろう、でしょう、未来!!」と言ってその生徒と硬い握手を交わしていた。

 生徒の方も「学校で習った通り」を言って貰ってよく分かったと至極満足げであった。

 

 もうこの講師は定年退職したはずだが、英語教師として一生を過ごしながら、「だろう」を未来と思い続けたまま死ぬのである。

「だろう」は「予測」を表す言葉で「過去・現在・未来」のどの時間帯にも使う。

 次のものも一度以前に書いた文例だがもう一度記す。

 

   あそこに居るのは太郎だろう   (現在)

   もう宿題は済んだのだろう  (過去)

   後で遊びに来るだろう          (未来)

 

 先の元高校英語教師には、日本語のレベルでこういうことが全く分かっちゃいないのだ。それでいて「will は未来を表す」と教壇の上から吹きまくり生徒を「will は未来、未来だから will になる」と信じ込む「ゾンビ」にしていっていたのだ。

 大方の「どぶネズミ教師」のアタマの中もこれと全く同じ状態にあるはずだ。何ともおぞましいことだが、彼らにより日本人全体の「英語の未来表現」は車に引かれた空き缶状態となる。これを行う彼らは「国賊・非国民」といってよい。

 この中の二人が書いた学習書が「どぶネズミ教師」の共感を生み、あちこちの高校で採択されて極めて多くの生徒たちがそれを持っている。

 だから彼らの書いた学習書を自分は「青少年有害図書」と呼んではばからないのだが、この二人以外に大方の「どぶネズミ教師」に告げておく。


 英語の
will も上記の日本語と全く同じ使い方をする。どうしても理解出来ないかもしれないがよく覚えておけ。

 

   

will は未来を現さない!

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 今回から、しばらくは英語の未来表現について考えてみましょう。


 「どぶネズミ英語」では未来表現に関しては、「
will は未来を表し、be going to と同義である」「往来発着を表す動詞は現在進行形の形で未来を表す」と言うだけである。

 それどころか、
will+原形 を「未来形」とまで呼んでいる。「未来表現」という用語すらない。

 だから、日本人全体が「
willは未来、未来だから will になる」と信じ込まされているわけである。自分もそうだった!!

 

 予備校の夜間の高校部でキリスト教系中高一貫の女子高の生徒だけが来ていたクラスを担当したことがあった。

 そこで「私たちの列車はあす朝
8時に出ます」という英作問題があったが、20人ほどの生徒全員が何と“will leave としたのであった。その理由は「未来だから will になる」であった。

 そして「それは違う」と言うと「未来なのに
will にならないのが分からない」と言って理解することを放棄してしまうのであった。

 キリスト教系の学校だから外人先生もいろいろ居るだろうに、日本人の「どぶネズミ教師」が彼女らのアタマをこのような「ゾンビ」にしてしまうのだ。

 そして日本人全体がこれと同じになっているはずだ。

 

 「will は未来を表さない!!」。

 will
can may と同列の単語で、それ自身固有の意味を持っている。

will が“未来”という時を表すのではない」。

 しかし、「どぶネズミ」さんたちのアタマの中は「
will は未来」で固まってしまっている。そしてそのガン細胞をそっくりそのまま生徒のアタマの中に移植しているのだ。

 

 will の意味は「意志」と「予測」である、「時」ではない。

 現代ドイツ語では「意志」には
wollen [ヴォレン]=will)を用い、「予測」には werden [ヴェルデン]を用いる。

 古代英語でもこの
werden に似た綴りの単語が「予測」を表していたが、英語ではこれが will に吸収されてしまった。だから今のwill は「意志と予測」という何の脈絡もない二つの意味を持っているのである。

 

「語義」ではなくて「訳語」を与えるからveryとmuchの区別もつかない生徒ができる

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「訳語の弊害」で思い出したが、very much の区別が付いていない浪人がかなり居た。

 

She is very beautiful. very を学校英語では「非常に」と訳して暗記させるが、Thank you very much. very much の所も「非常に」と訳して与える。

 

更に I woke up much early this morning. に見るような much も「非常に」と訳すから、very much の区別が付かなくなるのだ。このままで高三まで行って大学入試を受け、浪人となって予備校に来ている。

 

中一の初めからmuch は「分量や程度が多いことを表わす」と、訳語ではなく「英語での意味・用法」を説明して与えなければならない。

 

また、veryを「非常に」と訳して与えると後で This is the very book I have been looking for. などというvery が出てきた時に「これは名詞を強調するveryです」とそ知らぬ顔して言われても「非常に」が何で名詞を強調して「これこそは」になるのかなど全く分からないままにただ暗記するだけとなってしまう。これも中一の時に貰う「訳語の弊害」である。

 

先ずmuchとの違いを区別させるようにveryは「本当に、真に」ということであるということをハッキリさせて与えなければならない。中一で Thank you very much. を導入するときには、このmuch は「感謝の気持ちがたっぷりと多いことを表わす」と説明し、そのmuchを更にveryで強めて「本当にたっぷりと感謝致します」と言っているのだとしてやらないとverymuchの区別が付かない生徒を作ってしまう。

 

veryを「本当に、真に」と導入してあれば the very book veryは「正に」ということだと理解できよう。

 

このように学校英語は「訳語」により生徒を理解不能の状態に陥れているわけだが、上で使った early fastの区別が付かない浪人も多数いた。

 

両方とも「早く、早い」と訳し与えるからだ。またearly は「時間的に早い」、fastは「スピードが速い」ということだと言うとポカーンとしている生徒も多い。日本語でこの二つの区別が付かないように思えた。

 

 この頃の生徒は学力が低いとよく言われるが、テレビにより小学校のときから学習時間が少ないことも影響しているかも知れないが、生来勉強向けの才能の乏しい者が「分数の出来ない大学生」にもなれなくて浪人になるからでもあろう。

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