田中照章さん。69歳。北鶴橋地区に在住。
現在は奥様と2人暮らしでお孫さんが4人いる。
北鶴橋連合地域振興会連合町会長
社会福祉会協議会会長
町づくり協議会理事長
これは田中氏の多くの肩書のごく一部だ。
多くの人が、親しみを込めて「田中会長」と呼んでいるので
私もそれを見習おうと思う。
これを書いているのは、「いくのの日」のブログでありHPだ。
しかし「いくのの日」について、その成り立ちや内容について理解している人は
どのくらいいるのだろう。
私は恥ずかしながら全く知らなかった。
なんだか知らないうちに「いくのの日」というものがあって、会員になっていた、という感覚だ。
しかし、「いくのの日」にも、その誕生に関わり育ててきた人々がいる。
そんなことを田中会長へのインタビューで教えてもらえた。
それを皆さんにも伝えようと思う。
それをもって、田中会長の紹介記事にしたい。
そもそも、平成16年に大阪市から依頼があった。
その依頼は、どの区にもあった(ここ重要なので覚えておいてほしい)
その依頼とは、2年間という期限付きで
生野区の未来や夢を語り実行してくれ、といった主旨のものだった。
大阪市も、「区」から大阪を盛り上げようよしていたのだろうか?
その依頼を受けて、当時の各連合から3名ずつくらいを出し
「生野区の夢を語ろう」と未来わが町会議ができる。
田中会長はそのときのメンバーだ。
そのときに出たアイディアが「安心安全の町つくり」「活気ある町つくり」「高齢者が住みやすい町に」等々。
その中で、田中会長が加わっていたのが「活気ある町つくり」を話し合うグループだ。
喧々諤々という議論があったかどうかはわからないが
そこから生まれたのが
「コリアンタウントライアングル」
「いくのニューおどり」
これはご存知の通り、今でも継続されている取り組みなのだが
なんと!発案したのは両方とも田中会長なのだ。
そして、特筆すべきは「コリアンタウントライアングル」には
大阪市から予算がついたということ!
その金額については、書かないが「すごっ!」と思うだけの予算であったことは間違いない。
しかし、それを好きなように使えたかというとそうでもなかったようだ(笑)
予算は、もともとは大阪市民の税金だ。公明正大に使われたことを記しておく。
「いくのニューおどり」も、日本と韓国の融合の踊りで(とても生野区らしい)、何かのイベントでは特別賞をもらい
今でも継続していろんなイベントに出演されたりしている。
それもこれも、田中会長の発案で継続されている取り組みだ。
さて、思いだしてほしい。
大阪市からは「2年の期限で」と依頼があった事業だ。
その2年が過ぎた。他の区も色々な取り組みを行ったようだが
今ではもうやめてしまった。
しかし、生野区だけは続けているのだ(予算もつかないのに・・笑)
それが「いくのの日」だ。
「いくのの日」とは、夢や未来、希望を語る場でもある。
発案も、実行も、継続も、田中会長の力、人徳であるといっても間違いないだろう。
私は問うた。
「そうは言っても、不満とか困っておられることはないですか?」
何か、ドロドロとした話を聞けるかな?と期待して。
私はそういうドロドロ感が好きなのである。
しかし、爽やかすぎる笑顔で田中会長は言う
「なんにもない!(きっぱり) ほんまに皆が良くしてくれる、なんか言うたら
すぐに実行してくれる。ほんまに助けられてばっかりや。ありがたい」と。
実るほど首を垂れる稲穂かな、とは田中会長のことを言うのだ。
人とつながり、誠実に付き合い、背伸びもせず卑下もしない。
そんな人に私はなりたい・・・(笑)
最後に、「いくのの日とお金」について質問してみた。
田中会長は、「いくのの日」のブランド化を目指す。
それには、資本金も必要だ利益も上げたい。
寄付もありがたいことだが、そればかりに頼るのも限界がある。
そこだけは、シビアなビジネスマンの片鱗がのぞいたように思う。
ただ、「銭では買えないものを、たくさん得た!」とも。
それは、人との出会いであったり、先輩から教えてもらったことだったり。
今度はそれを、我々が田中会長から教えてもらう番なのだ。
(杉本佐希子)
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