正直言えば、私、嫌いな人と付き合うことがないので、

今、嫌いな人は廻りに居ないというか、しかし、

意識をそこに向けた途端、そういう人は目の前に現れたりする。





もし、その人に意識を向けなければ、

その人はあなたにとっていないも同然なのです。

存在していたとしてもです。何となく意味わかりますか?





私たちは、嫌い、嫌い、と言いながら、

その嫌いな人のことを考える時間をたっぷりとっています。

たくさん想像して、たくさんその人を思い出して、

はたまた、嫌いな癖に、その人のfacebookやブログをのぞいたり・・・

ま、それをやっている時点で、結局好きなんですけどね。





嫌いなら見なきゃいいのに、結局見てしまうのは、

気になってしょうがない。そう。好きなんです。

認められないでしょうが・・・





で、今日の記事でお伝えしたいことは、

嫌いな人がいてもいいし、極論を言えば、

その人のこと、腹立たしく思ってもいいし

大嫌い過ぎて憎しみさえ湧いてもいいし





嫌いという気持ちに関して、

「いい」「悪い」というカテゴリわけを

やめたほうが、いいよ、ということ。





なぜならば、世の中、いいも悪いも、環境や状況で全く変わっていくし、

もっと大きな視点で言えば、そういう感情が存在していること自体、

私たちがそれを味わい、経験するため、そこから成長するために

そういう感情があるわけです。






そして、もっと言えば、そういう嫌いという感情は逆の感情、

「好き」や「愛している」と対(つい)をなしているものだから。






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陰陽も一体






例えば、ものすごく愛している人がいて、その人に裏切られたとき

(実を言うと裏切りということも、自分勝手な意味づけでしかないのですが)

あんなに愛していたのに、それがわかった途端、恐ろしいほどの

憎しみを感じることがあるかもしれません。





また、自分の子供が誰かにいじめられたり、傷つけられたりしたときに、

いじめた相手に対して、強い憤りの気持ちが湧き上がるかもしれません。

それは、子供を愛しているから。その反対にある

憎しみの感情が相手に対して湧き上がる。





私も先日、久しぶりに人を憎く思ったことがありました。

しかも憎しみの対象者は、会ったこともない全く知らない相手・・・





私の愛する人が、バカにされたり傷つけられているのを知った時、

そして、その愛する人の子供の心が傷ついたことを知った時、

腹の底から熱いマグマがふつふつとわき出るかのような感覚に

ひさしぶりになりました。話を聴きながらこぶしを強く握っていました。

最高にあっ・・・・・たまに来て!!!メラメラーーー!





殴りたい衝動が走りました。

見たこともない相手に対して。





自分が嫌なことを言われることに対しては、慣れているというか

寛大な対応ができるのですが、自分の好きな人や愛する人が

そのような目に合っていることを知ると、人格変わります。





そんなワタナベの豹変編 ▼

「バカにされたときの対処法」

「キレるとアホ ワタナベ薫の本性」





しかし、私自身、そういう熱いところ気に入っております。

なぜなら、嫌いな人は、たくさんのよいことを自分に教えてくれる存在だから。





例えば、ただ単に、その人とは波動が合わないんだな~と教えてくれたり、

はたまた、相手は自分の鏡とも言いますから、自分の嫌なところを

写し出してくれたりもしています。「ああ~、私もそうだな~」と

謙虚に思えたりもします。





私が父親のことが大嫌いなのは、

ホント自分の嫌なところとそっくりなんですよ。

そのまんまだったりして、父を見るたびに我ながらがっかりします。





嫌いな人に対して、好きになろうと無理したり、

許そうと無理したりする必要がなく、その嫌いな感情さえも受け入れたときに、

その嫌いという感情も少しずつ薄れていきます。

そのうちにね、その人が哀れに思えて、さらにどうでもよく思えて、

そのうち、愛着さえ湧いてくることもあるのです。ホントに。





ですから、罪悪感なんて抱くことがございませんように。

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だから、そこの段階に行くのに、中間地点のプロセスを

ぶっとばして、聖人君子になろうとしなくてOK!

我々は、マザーテレサでもないし、キリストでも仏陀でもないし、

普通の人間ですから。





散々文句言った後、気持ちがすっきりした後で、

「私の嫌いな人が幸せでありますように」とアルボムッレ・スマナサーラの

経典にあるように、心が伴なわなくて言えたら、

ちょっとだけそんなことを言っている自分に「クスッ」って笑えて、

心まで浄化されたような気持ちになりますよ。