2005年12月

2005年12月30日

新聞によると、歩きタバコを禁止する条例ができたおかげで歩きタバコが減ってきたそうだ。しかし、私の日常ではそのような実感は受けない。そもそも、よくもまあ人が周りにいるのにぬけぬけとタバコをふかして歩けるものだと唖然とする。タバコを吸う人と話すとよく「タバコを吸う自分も他人のタバコの煙はいやだ」とぬけぬけと言ったりする。そんなことを言われると、即座に刺し殺してやりたい衝動に駆られる。子供のときに親から、「自分がされたくないことは他人にしてはいけないよ」と教えられたり、漢文の授業で、「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」とか習わなかったのだろうか。人前でタバコを吸う輩の育ちの悪さを感じる。また、自分の小さな子供の前で平気でタバコを吸う糞馬鹿な親も見かける。親を選べない子供が本当にかわいそうだ。

私は何も、タバコを全面的に禁止しろと考えているわけではない。一本一本、「死にたい、死にたい」と願いをこめて吸う人を止める必要はない。敬虔なクリスチャンである私は自殺の権利を認める訳ではサラサラないが、肺ガンで死ぬまでのその人の生きざまは正に自己決定権(憲法13条)の問題で第三者が容喙すべき事柄ではない。

しかし、他人がいる場所で、何の反対給付もなく、何の真意に基づく真摯な承諾もなく、本来みんなで享受すべき空気を一方的に悪い方向で変化させることは許されるべきではない。タバコの煙は固体の粒からなっており、それがブラウン運動により空中をさまよって他人の顔や服にブチブチとぶつかっているのである。とすると、固体による有形力の行使により、他人に目の痛みや服にタバコ臭さを擦り付けているのであって、故意に吹き付ければ暴行罪(刑法208)か傷害罪(刑法204条)の構成要件は充足するのではないか(少なくとも実質的構成要件論に立脚しなければ)。また、最近ではタバコの害について情報が氾濫しているので、あまり明確な認識がなくても未必の故意の認定ができるのではないか。いずれにしても、最低でも、昨今のタバコの害についての啓蒙や情報の氾濫から、クリーニング代程度の損害賠償は(民法709条)は因果関係が認められてしかるべきだ。

これに対しては、車だって排気ガスを撒き散らしているではないか、という低レベルな反論を試みる無教養な人がいる。現代社会は車に拠る運送等により社会全体が利益を享受しており、今や車なしで社会を支えることはできない状態である。自家用車がない人でも必ず車社会の利益を享受していて、車は社会全体を支える重要な構成要素になっている。車は社会全体に貢献しているのだ。

これに対しては更に、中卒レベルの無教養な反論を試みる社会のクズのような人がいた。即ち、「自分はタバコを吸うことにより頭がすっきりして仕事がはかどり会社、ひいては社会に貢献しているからいいではないか」というような内容だった。こんなことを言い出したらきりがない。極端な話、「自分は美人を見つけたら強姦するとすっきりして全てがはかどる」なんてことも言えてしまう。タバコは他人の身体や、肺がんになる場合には生命権を侵害するものだが、強姦は貞操権の侵害だ。日本では貞操権より生命権の方がより重要な保護法益とされているのに、タバコによる生命権等の侵害は許容して強姦による貞操権の侵害はけしからんとはバランス感覚を失する。そもそも他人の健康を害してまで自分の欲望を追求することは原則として許容できない。

理論的にはタバコに明日はない。但し、重要な問題が残っているから現在でもタバコを他人の前でプカプカ吸うアホがのさばっている。タバコの副流煙で肺がんになって死んでも、時間をかけて癌になって死んだ因果関係の立証がまだできないという単純かつ致命的な問題だ。しかし、即効性の毒で人を殺すのと、遅効性の毒で時間をかけて人を殺すのとでは価値的には同じだ。時間をかけてゆっくり不特定多数の他人(複数でも法定的符合説によるなら故意(未必の故意)の個数は問題にならないはず)を害するのが、バレないからいい、と価値判断するかどうかという、その人間そのものの存在価値にかかわる判断だ。それでいいという判断をする人は、少なくとも天国には行けず、地獄に落ちるだろう。

タバコを禁止する必要はないと思うが、他人がいる場合はその人の真意に基づく真摯な承諾をとるべきだ。ただ、いい人ぶって、「タバコを吸っていいですか」と聞いておきながら、「いいえ」と答えると怒った顔をする偽善者がいる。こういう偽善者は相手が「いいえ」と言いずらいのを悪用して相手の承諾を免罪符としてとって罪悪感なくプカプカ吸いやがるので、この場合は相手に聞かずに罪悪感を感じながら吸っていた方がまだいい。承諾は真意に基づく真摯なものでなければならないから、結局、周りに人がいたらタバコはあきらめてもらうしかない。レストランでタバコを吸うやつは本当に頭にくる。自分の食事が運ばれてくる前と後にタバコを吸って、自分が食べている間は煙のない良い環境で食事をしている。周りの人間は正に「とらわれの吸い手」だ。こういうやつには眉間に五寸釘を打ち込みたくなる。自分が親から「自分がされたくないことは他人にしてはいけないよ」と教わり、恐らく自分も自分の子供には同じようなことを教えるであろうから、同じようにその言葉に自分も従うべきだ。


(12:39)

2005年12月29日

経済が国際化し、日本のように貿易が経済を支える重要な部分になっていると、法律、会計や税務の分野でも英語がある程度できないとお話にならなくなってきている。インターネットの普及も英語が重要になった大きな原因だそうだ。

英語を母国語にしない人にとって文法は重要だ。よく英語がネイティブの人が自分の立場からものを見て、文法なんて重要ではなく、自然に話し言葉を勉強するうちに英語が身につくと主張するひとがいるが、安易に同調しないほうがいい。要は、すべてがバランスよく重要なだけだ。翻訳を押し付けられると感じることだが、英語と日本語では文章の順序が逆になる。ちょっと英語を手直しされて変更されると、翻訳の方の表現を全く考え直さなければばならない事態になることがある。こうゆうことが分からない英語を喋る人は、「ちょっと直しただけなのに、何でこんなに時間がかかるんだ」と思ったりしているようだ。

英語の単語は大きく分けると2種類に分けられるそうだ。ひとつはlittle wordsでもうひとつは big wordsだそうだ。前者は、give up, give in, put up withといった、on, in, up, downといった語が単語の前後についてひとつの意味を形成するもので、後者はjurisdiction, assignment, miscellaneousといった長めのひとつの単語でそれだけで意味をなすものだ。契約書などの法律用語でよく出てくるのは後者のもので一見難しそうに見える。しかし、一度暗記してしまえば逆に簡単になってくる。それに対して、前者の表現は、英語が母国語の人にとっては、子供のときから良く使う表現でやさしい表現とみなされるようだ。だけれども、英語を母国語としない人にとって、こういった表現はいろいろなバリエーションがありすぎて返って難しいと感じる。優秀な日本人の弁護士も法律関係の議論は英語でできるが、バーで気楽な話を英語でするのはかえって難しく、会話が弾まないケースが多い。

両方の単語による表現がバランスよくできることが理想だが、なかなか難しい。little wordsを習得するひとつの方法として私の友人がやっていたのは、最近良く売っている、映画の台詞をまとめた本を買ってきて、登場人物になりきって台詞を暗記してしまうことだ。その友人はゴットファーザーが好きで台詞を暗記して口走っていた。一見傍から見ると気違いみたいだったが、その友人はネイティブ同然に今ではなっている。法律に興味がある人なら、「ザ・ファーム」の台詞でも買ってきて、トム・クルーズになりきってみるのもいいかもしれない。外見がトム・クルーズと余りにも違うと馬鹿にされないようにちょっと注意が必要だが・・・。


(15:58)
クリスマスの飾りが一挙に消えて正月ムードにかわってきた。今年は運よくクリスマスは日曜日なので休みだったが、アメリカの事務所なのに例年だとクリスマスは関係ない。というのは、ユダヤ人の事務所だからだそうだ。折角外資系の事務所なのに日本の事務所みたいで頭に来るが、アメリカ人の弁護士の多くはクリスマス休暇をとっていなくなっている。正月も基本的に日本のように休む発想がないので、全体として事務所を正月の間長期で閉めることはない。

最近ニューヨークではユダヤ系住民やその他の宗教の民族が多いので「メリークリスマス」という宗教色のある言葉を余り使わなくなってきているそうだが、ちょっとさびしい気がする。アメリカの金と頭脳の大きな部分はユダヤ人に握られているのでそういった傾向があるのだろうか。金融界ではユダヤ系が強いが、かつてキリスト教では金利を取ることがいけないことと目されていたので、キリスト教徒ができないことをユダヤ人がせっせとやっていて、それが今日ユダヤ人が金融界で強い理由だ、と聞いたことがある(本当かどうかは知らない)。そういえばシェークスピアのベニスの商人に出てくる強欲金貸し商人はユダヤ人という設定になっていたと思う。しかし、キリスト教で金利を要求することが何故いけなかったのか、いまいちわからない。マタイによる福音にある、所謂「タラントンのたとえ」では、預かったお金を運用しなかったしもべを「怠け者の悪いしもべだ」として暗闇の中に追い出してしまっている。

まあ、よくわからないのだが、とにかく、弁護士は休みを取って事務所にいないのに翻訳を押し付けられてちょっと頭にきているところです。


(15:02)

2005年12月20日

英語を喋る英語圏の国々は、アメリカ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、インド等多くある。日本では英語といえば米語だ。日本はアメリカに占領された歴史があるので、昔は外人といえばアメリカ人だった。しかし、現在は多様になり、オーストラリアに老後住みたいと思っている人が多かったり、最近ではインド株が人気だ。ちょっと前までは中国への投資や、韓流ドラマが人気だったりした。ただ最近は小泉首相の靖国参拝で中国・韓国との関係は難しくなっているし、こういった問題は将来なくなることはないのではないか。とすると、中国・韓国との関係の「安定的」発展は微妙なのかもしれない。

ところで日本は中国と歴史的に密接なつながりがあるが、冷静に考えてみると、インドとも関係がある。「三国いち」と言った場合、日本、中国そしてインドの中で一番ということだそうだ。天竺といえばインドだし。中国・韓国との関係に安定性が見出せないのなら、インドやシンガポール、オーストラリアといった国々と関係を緊密にしてアジア戦略を考えるのもいいのではないか。これらの国々は考えてみると英連邦の国々だ。アメリカ・中国・韓国との対等な関係を築くための戦略としても英連邦とのつながりの強化は魅力が政治的にも経済的にもありそうだと思うのだが、どうでしょう。いずれにしても、完璧ではなくても、「英語」ができないと将来はなさそうだ。


(12:59)
TBSの買収防衛策は裁判に持ち込まれると仮処分が認められる可能性が結構高いと思われるが、そのような、内容に問題のある防衛策でも楽天が20%以上の株式取得を控えたように一定の効果があったことになる。「ダメもと」でもやっておく価値はあるという現実か。

ところで、ヤフーとソフトバンクがインターネットで動画配信をはじめるそうだ。個人的には、最近ケーブルテレビばかり見て普通のテレビ放送を余り見なくなった。もし動画配信をテレビの画面でオンデマンドで見られるようになると、もっと普通のテレビは見なくなりそうだ。また、動画配信が一般的になると、見たいときに見たい番組を、昔の番組や映画も含めてみることになる。とすると、レンタルビデオ屋には誰も行かなくなるだろう。薄型デジタルテレビとコンピュータが一体化した機種が一般的になると、既存のテレビ局は今のままでは存続できるのか疑問もある。イギリスでもヴァージンの関連会社がインターネットと放送の融合を試みているようだ。

もし今までのように人々がテレビを見なくなると、例えば昔だったら、特定の番組を子供が見て次の日学校でその話題で持ちきりになるような現象は少なくなるのかもしれない。「国民的人気番組」というものも少なくなるのか。英語圏であれば、「国民的人気番組」というよりは「英語圏での相対的な人気番組」といったものができるかも知れない。そうすると国境はあまり意味を持たずに、多くの人が使う言語を使用できるかどうかが重要になる。日本語を使う人が、将来多くなるとは全く考えられない。


(12:33)

2005年12月15日

敵対的でない限り、M&Aを行う時は必ずデューデリをする。しかし人が結婚する場合はデューデリをすることはない。でも、するとしたらどんな感じだろうか。財務デューデリだと、収入面の検査や隠れた借金(簿外債務)があるかどうかを検査することになるのか。法務デューデリだと、他にも婚約者がいて債務不履行を請求されるリスクだとか、隠し子がいて後年に養育費の支払いを要求されるリスク、親の財産がプラスなのかマイナスなのか、限定承認や放棄の準備を考えておく必要があるか、なんてことのチェックだろうか。こんなことを売りにする弁護士や会計士が出てきたら面白いだろうが、結婚する気分も途中でうせるだろうね(笑)

(17:59)

2005年12月13日

M&Aの案件だけではないが、プロジェクトに名前をつけて呼ぶことが一般に行われている。特に決まった基準があるわけではなく、クライアントの好みで決まる。しかし、何かしらプロジェクトに関係がある名前がつけられることがあり、説明を聞くと、こういう理由でこの名前をつけたのか、と笑ったりする。ただ、プロジェクトの名前からすぐに買収対象会社の名前が思い浮かぶようではだめだ。プロジェクト名だけでなく、買収スキームに登場する当事者すべてに誰にもわからないような名前をつけてその名前を使って議論したりする。E-mailなどは他人に見られる可能性があるので、すべて暗号名で記載する。

敵対的ではない案件でも、当事会社の従業員にはまだ知らせていないことが多いので、初期のデューデリで対象会社に赴くときも、弁護士事務所の名前ではなく、****株式会社の誰々です・・・、と受付にいったりしたことがあったが、その時、弁護士の一人がつい、スパイ映画みたいなのでふきだして笑ってしまっていたことがあった。私もついニヤニヤしてしまった。

(13:51)

2005年12月09日

裁判所に提出する証拠を作成するために、取締役会の状況を隠し録音した録音記録を聞きながら書面にする作業を行った。普通であれば、反訳する会社に依頼するところだが、諸般の事情により内部でやることになった。作業を進めてみてわかったのだが、この作業は大変な苦痛だ。聞くだけなら楽しくてたまらない。取締役どうしが対立して議論がもの別れに至る過程が、取締役会に参加しているような気分で聞けるからだ。しかし、これを正確に文章に書き出すのは大変だった。時間の制約があり、かつ、嘘を書いてしまうと相手の弁護士につけ込まれるからだ。結局、仮処分は認められ勝利できたので、苦労が報われた。

(18:14)

2005年12月04日

最近、長い間かかって行っていた合併手続きが最後の段階に到達し、やっと、合併の登記にいった。こういった合併の手続きを行う一方で、最近多いのは、合併を阻止する手続きだ。第三者割当増資等を阻止するために仮処分の申し立てを数件行ってきた。両局面を見ることができるのはいい勉強になる。

(22:42)