2007年01月

2007年01月11日

先日、日経新聞に奥島孝康教授の「法曹界国際化待ったなし」と題する記事が出ていた。また、受験新報にも奥島孝康教授は寄稿している。今までの日本は事前規制の行政国家であったが、日本社会は事後救済の司法国家へと大きく転換しようとしていて、それに不可欠な役割を果たすのが法曹界ということだそうだ。経済及び軍事の超大国であるアメリカのシステムが世界各国に浸透して事実上の基準になりつつある中で、アジア共同体をも視野に入れるという趣旨と思われるが、米国に比べてはるかに日本の司法・法制度に近い東アジアなどの国々の若者に法曹資格を開放すべきではないかとの提言であった。社会制度が他国と共通であれば経済的には非常に有益であり日本経済への長期的な設備投資としては有効な政策の一つのように思われるし、奥島教授がおっしゃるようにアジアの共同体形成をも加速するかもしれない。もちろん日本語を駆使する必要性は外国人にとって非常に過酷な試練ではある。しかし、日本語が、日本人の競争試験である司法試験に合格するレベルとはいえなくても非常に高いレベルの外国人は、現在でも大学の留学生でいるし、投資銀行などにゆけば結構会うことができる。このような人に特別の合格枠を用意したら如何か、と奥島教授はおっしゃっていて非常に面白い。

日本の司法試験は競争試験であってアメリカのような資格試験ではないそうだ。人数制限を設けているので資格試験とは言えないわけだ。職業選択の自由の制約という視点からすると、質の悪い弁護士によって国民が被害を蒙るのを回避する為というより社会経済政策的観点から需給調整をしているということか。法律の規制目的等から違憲審査基準をきめ細かくすべき、との論点を考えるとき、実際の日本の法律による規制の目的を精査してみるといろいろ釈然としないものが多い。特定の立法の正当性を支える社会的事実に変化があれば規制の目的・趣旨も変化しうるが、後からとってつけた理由を掲げれば何とでもなりそうな気がしてしまう。この論点はいつもわからなくなる。

実際に様々な許認可の申請をやったことがあるが、行政機関の担当者は、憲法的発想や法学概論の基礎的発想がない場合が普通だ。つまり、まず自由ありきではなく、まず禁止ありきが当然で、全面的規制を場合によっては解除してゆくというスタンスだ。このようなスタンスは国民のマインド・セットやマスコミの態度にも起因しているのかもしれない。マスコミは自由の代弁者のような態度を取りながら、何かしら社会問題が発生すると「何故国は放っておいたのか、何故事前に規制していなかったのか」と言って煽り立てることがよくあったように思う。自己責任にも限度があるかもしれないが、事前規制の行政国家から事後救済の司法国家へと大きく転換して「規制大国日本」の汚名を返上するためにも、マインド・セットぐらいは他者に頼る傾向を是正する必要があるかもしれない。

経済のグローバル化、高度経済成長の終焉等を背景に日本の労働関連法規のオーバーホールが、外国人の労働問題も含めて考えなければならないことは確かなようだ。最近、新聞や雑誌で労働関連法の改正案について多くのマイナス点が新聞や雑誌に取り上げられている。問題はその内容とタイミングだと思うが、労働基準法だけでなく人材派遣法等も変えること自体は経済の大きな流れの中で不可欠なのだろう。外国人の労働問題についても、一般的な開放は問題があるとしても、EUのようなアジア共同体を視野に入れるのならば、少なくとも必要・有益な分野についてだけでも、柔軟な発想が必要と思う。単純に全面的に反対して現状維持を朝日新聞や労働組合のように主張するのもどうかと思うので、説得力ある体系的な代替案を示して反論するべきでしょう。奥島教授の司法試験の留学生合格枠制度の提唱だけでなく、外国人看護師への国家試験合格枠制度もつくってみるとか、柔軟な発想でいろいろ考えてゆく価値はあると思う。何がベストかはわかりませんが、どうでしょうね。

ロンデート

(17:06)

2007年01月05日

昨年は新しいことをはじめたし、大学時代の小林節研究会OB会にも久しぶりに参加してみたりして、新しいことや古いことが両方あった1年だった。OB会では同期の参加者がいなかったのが残念だったけれども、駒村先生や長島さんにお会いすることができて嬉しかった。駒村先生は慶応大学の教授になっておられたし、長島さんは衆議院議員として活躍なさっておられるが、お二人とも年をとったような印象は全くなく、昔のままのように感じた。私も今年はお二人に負けないようにがんばろうと思う。

ロンデート


(11:50)