こうやってブログを書くのはいつぶりだろうか。
浪人時代の暇つぶしにやっていたのが最初で最後だから、どうやら5年ちょっとくらいになるようだ。
なかなかの期間ご無沙汰だったわけだが、数日経ってやっぱりちゃんと文字に起こしたくなった。それほど印象的な時間だったのだ。

2月26日、私はAqours 1st Love Live 〜Step!ZERO to ONE〜に参加してきた。
この2日目は今更言うまでもなく、今後Aqoursを語る上で忘れることができない日になったわけだが、やはりネット上でも様々な意見がみられる。
結論から言うと、今回のライブは現在のAqoursにおける1つの完成形として私からみれば間違いなく大成功だった。

そう思うのはアマチュアながらも自身が音楽家として生きているからだと思う。
さて、最初から自分語りが多くて辟易する方もいると思うが、なんとかお付き合いいただけたら幸いだ。



「我々は何を求めてライブに参加するのか」

私は世間一般でいうクラシックオタクで、自分でも楽器を吹き、吹奏楽やオーケストラで活動している。学生時代から社会人になったばかりの現在まで10年以上、生活のほとんどの時間を楽器と音楽に捧げてきた。
クラオタとはまぁ非常に面倒くさい生き物で、他人の演奏にともかくうるさい。
アマチュアのコンサートは相当なことがないと足を運ぶ気にならないし、
プロのコンサートでは説得力のあるアナリーゼを前提に、テンポやバランス音色音程全て完璧かつオリジナリティのある響きを求めて聴きに行く。
音を落としたり、解釈が伝わらない明らかに不自然な表現、また聴くに堪えない響きで演奏するようものなら途中で退出するし、事実したことも何度かある。
それは当然のことで、私は、そしておそらくら多くのクラシックファンは純粋な音楽のみを求めて演奏会に行っているのである。良い音楽と出会えることが分かっているから、我々は海外と名門オケの優良席に平気で対価として数万円を支払うのだ。

こんな音楽観を常日頃主張しているせいで、今回私がAqoursのライブに参加し、更にはそれがとても素晴らしかったと絶賛するのだから、何人かの友人にひどく驚いていた。
確かに自分でもあまり想像できない姿だし、音楽に対して芸術的学問的価値を求めてる人間がAqoursの音楽(ダンス等含む)を何故そこまでに思ったのか改めて考えてみた。

更に結論に向かって遠回りさせて欲しい。
私はアニメやマンガ、ドラマ、小説に映画等々わりと創作物はあらゆるジャンルあらゆる媒体をそれなりに好んで雑食してきた。
ラ!サ!!は元々そこまで実は観るつもりもなかった。それに特段理由はないが、観る理由も特段なかったのだ。
本当に2,3話を観るうちだと思う。気づけば毎話ボロ泣きしてるくらいハマっていた。
多分、何かに憧れて、自分の適性とか関係なしにチャレンジするというストーリーが好きだったんだと思う。なので、未だにルビィと花丸が加入する4話が1番好きだったりする。
なんで好きかと言われると、これまたとても単純な話で、自分がまさにそうだったからなのだ。
中学生のとき私はオーケストラというものを初めて聴き、その響きと壮大さにともかく感動した。こんな世界がこの世にはあるのかと図書館で沢山のCDを聴き漁った。
そしてその後たまたまプロの少人数アンサンブルを聴く機会があり、自分が吹くことになる楽器と運命的な出会いをするのだがそれはまた別の話。
ともかく私は不相応ながら一流のプロの演奏に憧れ、クラシックという世界で高校生からようやく楽器を演奏することなる。そして、めでたく入部することになった吹奏楽部で私はとんでもない事実に気づいたのだ。

最初は皆そんなものなのかと思っていた。でも入部して1年経つくらいには嫌でも理解した。自分には奏者として音楽の才能が絶望的になかった。何度やってもリズムは理解できないし、テンポもズレる。音程は全然取れないし、そもそもドレミがそれぞれどの音か分からないどころか、2つの音を鳴らしたときどちらが高いか低いかすぐに分からなかった。楽譜もいつまでたっても読めるようにならなかった。

それでも音楽が好きで仕方なくて諦めきれなかった。どうしても音楽を続けていたかった。
だから、ともかく練習を続けた。でも才能なしにはどうにもならないもので、はっきりいって今も大したプレイヤーではない。というか下手な部類に入るだろう。プロになる夢は早々に諦めざるをえなかった。
でも、幸いなことに吹奏楽やオーケストラは1人でやるものではなかった。それがアマチュアとして生きる道を私に与えてくれた。この10年ちょっと、周りの人に何度も何度も引っ張りあげてもらったか分からない。仲間に助けられ助けられ、気づいたら全国のアマチュアでも有数の実力を待つ団体で吹くようになっていた。今なおできないことだらけで、高校時代から未だにできるようになってないものも少なくない。
ただ、自分の好きな音楽への愛、そして何より周りの人から何度も差し伸べられた手のおかげでここまで来れたと私は確信している。

やっとAqoursの話に戻る。
私がアニメのストーリーにハマった理由はこういった経験のオーバーラップであることは間違いない。好きなことに向かって、できるできない関係なしに挑む姿が今も変わらずとても好きだ。
キャストの方々についてもそれは同じで(といっても才能という点については素晴らしいものをお持ちだと思う)、様々な壁を超えて成長していく姿から目を離せなくなった。

そんな中で初のライブの存在を知った私は迷わず応募をした。幸運にも当選し、参加できることになった。
今になってあのとき何故迷わず自分は応募したのか思い返してみる。繰り返しになるが普段の自分ならありえないことだった。
自分はAqoursのライブに何を求めていたのか…きっと壁を超える姿なのだと思う。
ラブライブのキーワードは「みんなで叶える物語」。言ってしまえば、完成系を楽しむコンテンツではないのだと思う。それこそゼロからイチへの一歩だったり、なにかを成す姿を見せてくれるコンテンツなんだと思う。そして我々はそれを応援することが許されている…。
他の作品やアイドルに詳しくないので断言はできないのだが、自分がAqoursを好きになったのは、似た環境の物語になること。そして大好きなことを通して夢を叶える姿を、Aqoursなら見せてくれるだろうと感じたからだと思う。
私は自分にできなかった、「壁を超えて」夢を叶える姿を見たかった。

ライブ2日目、自分が遠くから勝手に投げかけた希望は間違っていなかったことを知る。
「壁を超える姿」を何より体現していた瞬間こそ『想いよひとつになれ』ではなかっただろうか。
壁を超えた成果としての素晴らしいパフォーマンスというのも勿論私の見たいものであり、
それを期待するスタンスは紛れもなくスタンダードなものである。
でも私が望んでいたのは物語である。それは過程があって初めて完成する。
散々言われていることだが、1度失敗した演奏をすぐに挑戦させることは本当に難しい。冷静な状態なら、失敗の原因や対策を考えることもできるだろう、しかしあの極限状態である。多分、頭が本当に真っ白な状態で弾き直したと思う。心をほんの僅かばかり落ち着け、再度挑む覚悟を決める時間しかなかったはずだ。
本番に、しかもギリギリの状態になればなるほど顔を出すのは、身体に染みついた本当の実力である。音楽に奇跡なんてものはなくて、あるのはただただ自分の積み重ねた技術と表現と想いだけだ。
2度目の演奏、私の記憶に焼きついてるのは、
音楽に置いてかれまいと必死にテンポに喰らいつき、絶対に失敗はしまいと血気迫る空気を放ち鍵盤を叩く逢田梨香子さんの姿。
彼女は本番での失敗というとてつもなく大きな壁を積み重ねてきた努力で超えてみせたのだ。

私の見たかったものが予想を遥かに超える形でそこに現れた。

ただただ拍手したのだけは覚えてる、歓声をあげたかはイマイチ記憶がない。
ライブが終わってユメのように楽しかった思い出と一緒に、友人の言葉をきっかけにこのことを改めて考えて、ああ、自分がAqoursに求めていたのはこういうことだったのかもしれないと思った。

ご本人はプロとしてあるまじきことをしてしまったとも言っていた。
それについて本人以外が言えることはないだろう。
ただ私は、アマチュア音楽家がたまに使う「気持ちだけはプロに負けない演奏をしよう!」という言葉がとてもとても嫌いだ。
プロになるまで才能ある人たちが集まる世界でどれほどの努力をしたらよいのか…その頑張りを支える気持ちというのはアマチュアには理解しきれない激情の世界だろう。
並大抵ではない決意と情熱に支えられた努力こそが音楽に宿る気持ちになる。プロの演奏がプロの演奏たる所以の1つは圧倒的なまでに強い気持ちである。
そういう意味では、逢田梨香子さんのピアノは確かに「プロの音楽」ではなかっただろうか。

最後に、決してオールOKというわけではないということについて私も触れておきたい。
ああいった場面がないようひたすらな努力があって全体を通してびっくりするくらい楽しいライブだったからこそ、あの場面が鮮烈だったのはもちろん忘れてはならない。
ライブが「楽しい」ことはコンサートが「美しい」のと同じくらいの前提、なんだと思う。
アクシデントは1度しか許されない、2度目は多分お客さんがシラけてしまう。ギリギリの状況だったのは間違いないし、成功したから物語となった。今後のコンサートではきっと失敗は認められず、Aqoursは背水の陣になる。
そんなプレッシャーの中でも、Aqoursなら最高に楽しいステージを披露してくれるだろうと私は信じてる。
壁はもう超えたのだから、次はその先にある沢山の輝きを見せてくれるだけだ。その輝きは、私の人生だけでは出会うことなかった輝きになるだろう。



※長文拙文にお付き合いいただきまして、心からお礼申し上げます。ありがとうございました。以下は知り合いに聞かれたことを個人的な想像で答えます。アマチュア雑魚プレイヤーの一意見程度に捉えて下さい。

・りきゃこは暗譜していたのになんで途中から戻ることができなかったの?

インスタにてりきゃこは楽譜すら読めなかったと発言していました。技術的な話になるうえにこれは本当に想像ですが、ピアノという同時にいくつもの音を出せる楽器を暗譜して演奏するのは本当に難易度の高いことです。頭の中で出すべき音を並べて、流れてる音楽に合わせて、正しく鍵盤を叩く必要があります。
経験の長い人はそれらを1つの行為として演奏することができますが、流石にそれはかなりの時間が必要です。学生時代の合唱コンクールの伴奏、暗譜してやる人ほとんどいないと思います。
なので、きっとりきゃこは周りの音楽をトリガーにしつつ一連の流れとして演奏をインプットしていたのではないかと思います。つまり、途中での復帰は前提としていなかったのでしょう。楽譜を覚える、というよりも指の動かし方や動かす順番を染み込ませたのだと思います。管楽器奏者でいう指が勝手に動くというやつですね。3ヶ月でピアノを1曲暗譜して演奏するというとんでもないことをやるには、楽譜を全部暗記するのは普通の人間では無理でしょう。自分の楽譜だけ覚えればいいわけでもないですしね。

・手が震えるって本当にあるの?

当然ですが、あります。私自身1度だけどうしようもなく演奏中震えたことがあります。
初めてCDのレコーディングがある演奏に参加してソロを吹いたときです。ライブ録音だったため勿論やり直し不可。
極限の緊張のなかで、絶対にミスできないという気持ちがひたすら強くなったときに手の震えが抑えられなくなりました。
あの瞬間、絶対に失敗してはいけないという気持ちが恐ろしいほど強くあったことは想像に難くありません。