介護徒然草

身寄りが無い人と身元引受人の関係、介護と申請について、よくある問題点とその対応について書いてます。

bt41


マイノリティを笑えないというのは、ある種のゾーニングである。

なんの話かとお思いの方もいらっしゃると思うので解説。

「とんねるずのみなさんのおかげでした」という番組の「保毛尾田保毛男(ほもおだ ほもお)」というキャラクターに対して、視聴者からの批判が相次ぎ、フジテレビが謝罪したという話です。

このキャラクターは、「ほも」という言葉が入っているとおり、【ホモ】を擬人化したキャラクターです。擬人化でいいのかな。カリカチュアといったほうがいいのかもしれません。

ちなみにホモとは何かという話ですが、
いわゆる「ホモ」=同一のという語源から、主に男性が男性に対して性愛を抱く際に、そのことを揶揄する言葉として定義されてきました。

つまり、ホモは蔑称です。

正式に揶揄が含まれていない言葉で言えば「ゲイ」が正しいことになります。

したがって、言葉の語義からすれば、「保毛尾田保毛男(ほもおだ ほもお)」は性的少数者、そのうちの特にゲイの人たちに対して、その属性を笑っているのであり、ゲイに対しての攻撃であると捉えられてしまったのでしょう。

「とんねるずのみなさんのおかげでした」はコメディタッチの番組であり、当然「保毛尾田保毛男(ほもおだ ほもお)」もコメディ色の強いキャラクターとして捉えられてきています。

だから、「笑われている」と感じたのかもしれません。

番組に対するたくさんの抗議というのが、どれほどのもので、どんな方々が抗議したのかは書いておりませんでしたが、そういうふうに感じた方がたくさんいらっしゃるということかもしれませんね。

それで、筆者が思うのは、それって本当に正しいのかという話。

もともと、ドリフでも、志村けん扮する【老人キャラ】が笑いをとっていたじゃありませんか。

老人だって社会的弱者で、足腰の立たない様子や耳が遠い様子を笑うというのは、先ほどのホモの例と何も変わりません。厳密に言えば、老化は誰にでも起こるが、ゲイは先天的な属性のため、「笑い」の前提領域が広域か狭いかという違いはありますけれども。

例えば、芸人がハゲの相方に対して、このハゲと突っ込みを入れるのは、笑いの定番だったりしますが、しかし、本当にハゲな人やハゲつつある人は笑えない、と、そういう話なんだと思います。

つまり、老人キャラのほうが笑いの対象が広いのかもしれません。
誰だって老いる。いつかはそうなるのだから。笑いによって、その虚無を吹き飛ばす必要がある。
そんなイメージ。

昔より今は差別意識が強くなったので、許されなくなったんじゃないの?

「笑い」に対する寛容さがなくなったともいえるかもしれませんね。

「笑い」にはそもそも差異化という作用が働いているのです。

すごくカンタンな例を出せば、他人が脛を猛烈に打ったときに、彼は痛いがわたしは痛くないという差異が笑いをもたらすのです。

したがって、「笑い」を作り出す芸人としては、はっきり言えば「差別」をしても許されるべきだと思います。

このとき、同情しなければならないというのはなんとも息苦しい論理に感じます。

ただ、問題は笑いの対象が社会的弱者であるとされている場合、「差別」がくっきりと攻撃の様相を表すこともありうるというところでしょうか。

しかし、あらゆる表現は潜在的に誰かを傷つける可能性がある以上、そのことに断りとご注意を申し上げるというのは、もはや笑いの構造を破壊してしまいます。

【この番組の笑いは、皆様にご不快に思われる恐れがございますので・・・・・・】

こんなテロップが毎回でてくるようになったらと思うと恐ろしい。


それに、どうなんでしょう。

笑いは差異化であると先に述べましたが、それは突き詰めると、同じ条件であるということを前提として組んでいるからこそ成り立つ論理なのです。

先に脛を打った例でも、「彼は痛いがわたしは痛くない」の前に「彼もわたしも脛をうったら痛いだろう」という前提があるからこそ、成り立つ笑いなんです。

これが、「彼は痛がっている。かわいそう」という心理は、実のところ、差異化の論理よりももっと根本の部分で「彼」と「わたし」を区別している。

そこが違うのかなと。

我々が「保毛尾田保毛男(ほもおだ ほもお)」や「老人キャラ」を笑うとき、そこには「彼」も「わたし」も人間であるという論理が根底にある。

それをあえて蔑称であるとやり玉にあげて、葬ってしまうというのは、これはゾーニングの原理に他なりません。

つまり、彼らは社会的弱者なので、箱入り息子にしてしまって、守らなければならないという考え。

結果として、彼らは社会という巨大なコミュニティのほんのごく一部分を間借りするようにしか存在できなくなってしまう。

そして、マジョリティに属する者も、彼らを認識の外に置くことで、どんどん「正常」と呼ばれる範囲を狭めている。

そういう気がします。








にほんブログ村 介護ブログへ


bt42


人類の歴史は地球の歴史を24時間と捉えた場合、
まだ三分も経過していないそうです。
このことからもわかるとおり人類とはまだよちよち歩きを始めたばかりの雛。
ひよこさんです。

べつに壮大なことを語ろうというわけではありません。
人類とはひよこであるということから、ひよこさんはがんばらないという表題に結びついたという、ただそれだけの話です。



人類はがんばってきた
                            


生まれてわずか一分たらずで、経済や産業を発展させてきたひよこは、少なくとも他の生物よりいろいろな概念を生み出すことに長けているみたいです。

これから先も、他の生物にはないこの特性により、生存しつづける限り、科学を発展させていくことでしょう。



人類は疲れてきた
                            

しかし、たった一分で全力ダッシュをしてきたせいか、既に息切れ気味なひよこさん。
なぜか、自らの命を断つ個体まででてきました。

なぜ自殺者が増えたのか
                            

いや、実は減っているのですが、
依然として2万人/年の方がなくなっています。
この理由は複合的であり、特定が難しいようです。
そうですよね。自殺するというほどの理由は個体の特性かもしれませんし、不幸もまた個人的な属性だからです。

ただし、データからいえば年齢階級別自殺者数が最も多いのは60歳代ということになります。

この年齢で思い起こすのは「定年」です。

また、男性と女性の自殺者数の比率は圧倒的に男性の方が多く、ダブルカウントに届くほどです。つまり、男性のほうが二倍自殺している。

現代の世の中では、男女同権が叫ばれていますが、実際問題として、全世帯の30%程度は専業主婦となっております。

したがって、自殺の原因は【仕事】にまつわるところも非常に多いのではないかと推測できます。

仕事がないから死ぬのか?
                            


そうであるともいえるし、そうではないともいえる状況です。
ただ、仕事も非常に大きな要因であろうとは思います。
先の例で高齢者世代が自殺者が多いのは、今の今まであった【仕事】が急になくなり、生きる充実感といったものが消失した結果、自殺してしまったのではないかと考えられます。
また、【仕事】における縁というものはなかなか強力です。大学生活では限られた人としか付き合いがなかった人が、【仕事】をするようになってから、爆発的に人間関係が増えたというのは想像に難くないと思います。

もちろん、仕事関係は表面的なつきあいであって、そういった大学時代の友人関係とは異なるという見方もあるでしょうが、単純に人間関係の量的な問題はあるでしょうし、たとえば100人と知り合いになれば、その中には波長があう人もいるでしょう。

つまり、何がいいたいかというと、仕事づきあいにおける人間関係もまた孤独を癒す装置だという話です。

男だから死ぬのか?
                            

そうであるともいえるし、そうでないともいえるでしょう。
生物学的に見れば、男は鏡像段階において、自分は母親とは違うという経験がトラウマになっているので、いわば、男は誰しもが心に傷を負っています。
この傷が、中学生男児をして、【学校とは支配である】とか、【盗んだバイクで走りだす】とかいう、去勢否認にいたるわけです。
そして、対象аの代理表象物にすがりつく。

例えば、神林長平の【永久帰還装置】という作品では、次元をまたいで活躍する永久追跡刑事が次元犯罪者を捕まえるという作品なのですが、この作品において、刑事が自分の実際にいる高次元に帰還するための装置が、「貧しいときに母親からもらった菓子パンの袋」なんです。
これはまぎれもなく対象аであり、要は「母親の愛」といったもはや決して手に入らないものの代わりとして、つかみ続けている。

これが、男の精神構造です。よわっ。

そんなわけで、男が【仕事】を失ったときに、その【仕事】が対象аの代理表象となっていた場合に、次の代理表象が見つけられず、一足飛びに対象аそのものと同化しようとする。

それが自殺という現象なのではないかと。

生きるためにはどうするべきか?
                            

高齢の男性が仕事を失うときにいたる、この喪失感とも呼べる感情を緩和できれば、自殺を抑えることができるという仮説が成り立ちます。

そうすると、ワークシェアリングや、シルバー人材というような方向性で考えるべきでしょうね。

ただ、わたしとしては、もっと【がんばらなくていい】という方向性もあっていいと思います。

ワークライフバランスのように、【仕事】以外でも、何か心を充実させるような要素を自分の中に持つことで、死ななくてもようにする。フェールセーフ的な発想ですね。

なんかとりとめのない話ですが、いつもこんな感じです。



にほんブログ村 介護ブログへ

bt40


有料老人ホームについて、確実に作成しなければならないものが重要事項説明書です。
これについては、もともとは各有料老人ホームを運営する会社がおのおの作成してもよかったはずですが、しかし昨今の行政統制の結果、基本的には【各行政が提示する雛形に沿って】作成することが強く推奨されております。
事業所側も特段のこだわりがなければ、行政の雛形に沿った提出をしているはずです。

下記では、行政のフォーマットにしたがって、具体的記載方法を述べたいと思います。
一応、各市町村で、微カスタマイズされていることが多いですので、ひとまずは当協会のある福岡県をベースに語っていきたいかなと思います。

277240_52769180_misc_01
赤字は筆者のほうで追記しました
特に難しいところはないかと思いますが、わかりにくいところは竣工日や開始日ではないかと思います。



竣工日・・・竣工日とは工事が完了して建物ができあがった日

このとき、建築会社様に竣工日はいつかと聞いたところで、教えてくれるかどうかは謎です。竣工という意味が、有料老人ホーム的になんのことを指すのか、建築会社自体が介護に精通していないといまいちピンとこないからです。

竣工日を聞きたいのは、事業開始が竣工日の後であることを確認するためのもの。

建物というのは、部分的に完成していくものです。そして、その完成は第三者機関によって、検査済証という形で担保されております。

したがって、有料老人ホームの担当行政庁が知りたいのは、この検査済証がきちんと発行されて、入居者様が入居できる状態になってから、ご入居が開始されているかという点を知りたいのです。

そのため、竣工日を知るには【検査済証】が確実です。
検査済証には下のほうに「検査年月日」が書かれています。これがそのまま竣工日と捉えてもらってもかまいません。
もちろん、厳密には異なるのかもしれませんが、少なくとも有料老人ホームの届出という意味では、引き当てになる書類として確実な検査済証に書かれてある日付を書いて、間違っていると指導されることはありませんでした。

<次回へ続く>






にほんブログ村 介護ブログへ

↑このページのトップヘ