いわゆるご当地アニメというのがあるんですが、みなさんご存知でしょうか。
わたしが認識する限りでは、おそらくご当地アニメとして一般的に認知された、
最初のアニメは「らき☆すた」です。
登場キャラクターのひとりが、鷲宮神社の巫女さんという設定だったかどうだったか、
はっきり言ってそのあたりの設定はアニメ的にはどうでもいい部分なので、
うろ覚えですがともかく、アニメ終了後一年か二年くらいは、
その鷲宮神社に数十万くらいの人が参拝するようにになりまして、
こりゃすごい地域活性化だともてはやされるようになったわけです。
他にはガルパンとかが有名かな。
ただまあこれはそのアニメの主題としては地域活性化、いわゆる町おこしはまったく意図しているものではなかったですが。ただ単純にアニメの中の登場エリアとして現実的な地名を設定していて、特権性を与えている(あるいは偶然与えられた)だけです。
聖地なんて言われちゃったりしてね。
で、介護の問題を
エリア的な問題として捉えた場合
言い方悪いですが、田舎に行けば行くほど
介護がままならなくなるというのはイメージしやすいかと思います。
例えば、たぶんそんなに売れないだろうけれども、
ご当地アニメ的な要素を含んでいるのが「サクラクエスト」というアニメです。
いわゆる町おこしというジャンルだと思うのですが、
これがまあ失敗続きなわけです。
ぜんぜん町おこしは成功しない。
人はいないし、みんなそれでいいと思っている。
この停滞感。
この閉塞感。
ぜんぜん、だんないよ(問題ない)じゃないよ。
だんなくあるよ
と言いたいぐらい、何も起こらない。
たまに有名バンドの誘致に成功したと思ったら、一過性のもので、何も残らない。
ついには、市営バスも辞めちゃうみたいな話ができたりして、
これは日本の未来をそのまま表してるように思います。
地域性のあるバスって、売上と費用のバランスがもう崩れていて、続けるのが厳しいというのは、かなり現実的な設定なんですよね。
例えば、現実世界では、茨城とか、東側のエリアにバス自体が走ってなかった覚えがあります。
何が原因かまでは調べてないのですが、たぶん収支がとれなかったのかなと勝手に想像してます。
こんなバスがなくなったエリアは調べればいくらでも存在するでしょう。
ほかにも、たとえば長崎なんか、山が多いせいか、山の上に住んでいる高齢者はほとんど陸の孤島状態。
このまま、どんどん高齢化が進めば、ますます高齢者は取り残され、いずれは餓死者も続出しかねない。
そんな状況です。
で、介護の問題として捉えても、やはり悲観的にならざるをえない面はありますよね。
人がいないというのは、その業界に人がいないという意味もありますが、
そのエリアに人がいないという意味も含んでいると思います。
例えば、東京と茨城では時給換算で200円くらい違う。
この200円の重みが、エリアからの離脱を招いてしまう。
人が少なくなるというのは、人のいない空間が広がるということなんだと思います。
取り残されるのは当然、移動がままならない高齢者のほう。
若者は一縷の望みをかけて都会に向かう。
ゆえに、介護はどんどんエリア的な乖離として、人材不足を招いてしまう。
この問題って、要は田舎と都会の所得格差なのかもしれないです。
わたしが認識する限りでは、おそらくご当地アニメとして一般的に認知された、
最初のアニメは「らき☆すた」です。
登場キャラクターのひとりが、鷲宮神社の巫女さんという設定だったかどうだったか、
はっきり言ってそのあたりの設定はアニメ的にはどうでもいい部分なので、
うろ覚えですがともかく、アニメ終了後一年か二年くらいは、
その鷲宮神社に数十万くらいの人が参拝するようにになりまして、
こりゃすごい地域活性化だともてはやされるようになったわけです。
他にはガルパンとかが有名かな。
ただまあこれはそのアニメの主題としては地域活性化、いわゆる町おこしはまったく意図しているものではなかったですが。ただ単純にアニメの中の登場エリアとして現実的な地名を設定していて、特権性を与えている(あるいは偶然与えられた)だけです。
聖地なんて言われちゃったりしてね。
で、介護の問題を
エリア的な問題として捉えた場合
言い方悪いですが、田舎に行けば行くほど
介護がままならなくなるというのはイメージしやすいかと思います。
例えば、たぶんそんなに売れないだろうけれども、
ご当地アニメ的な要素を含んでいるのが「サクラクエスト」というアニメです。
いわゆる町おこしというジャンルだと思うのですが、
これがまあ失敗続きなわけです。
ぜんぜん町おこしは成功しない。
人はいないし、みんなそれでいいと思っている。
この停滞感。
この閉塞感。
ぜんぜん、だんないよ(問題ない)じゃないよ。
だんなくあるよ
と言いたいぐらい、何も起こらない。
たまに有名バンドの誘致に成功したと思ったら、一過性のもので、何も残らない。
ついには、市営バスも辞めちゃうみたいな話ができたりして、
これは日本の未来をそのまま表してるように思います。
地域性のあるバスって、売上と費用のバランスがもう崩れていて、続けるのが厳しいというのは、かなり現実的な設定なんですよね。
例えば、現実世界では、茨城とか、東側のエリアにバス自体が走ってなかった覚えがあります。
何が原因かまでは調べてないのですが、たぶん収支がとれなかったのかなと勝手に想像してます。
こんなバスがなくなったエリアは調べればいくらでも存在するでしょう。
ほかにも、たとえば長崎なんか、山が多いせいか、山の上に住んでいる高齢者はほとんど陸の孤島状態。
このまま、どんどん高齢化が進めば、ますます高齢者は取り残され、いずれは餓死者も続出しかねない。
そんな状況です。
で、介護の問題として捉えても、やはり悲観的にならざるをえない面はありますよね。
人がいないというのは、その業界に人がいないという意味もありますが、
そのエリアに人がいないという意味も含んでいると思います。
例えば、東京と茨城では時給換算で200円くらい違う。
この200円の重みが、エリアからの離脱を招いてしまう。
人が少なくなるというのは、人のいない空間が広がるということなんだと思います。
取り残されるのは当然、移動がままならない高齢者のほう。
若者は一縷の望みをかけて都会に向かう。
ゆえに、介護はどんどんエリア的な乖離として、人材不足を招いてしまう。
この問題って、要は田舎と都会の所得格差なのかもしれないです。