コロナ禍における日本について思うこと


 世界全体を巻き込んだ新型コロナウイルスの問題に加え、東京オリンピックという大きな課題を抱えてしまったことにより、日本という国家は、来月7月から、今後の国の運命も左右するような期間に突入する公算が大となってきました。

 今回は、この時期にて、これまでの日本が歩んできた道のりということも含め、当方が思うことを書いてみたいと思います。



1.親の昔話

 前回の記事にても書きましたように、本年の1月、当方の母親が19年に及ぶ闘病生活を終え、あの世に旅立ちました。

 また、当方の父親も、既に20年ほど前に他界しておりますが、その両親が、生前に、先の戦争(第二次世界大戦/太平洋戦争)について、いつも語っていた話を思い出します。

 父と母は、共に昭和ヒトケタ生まれの世代であって、10代にてモロに戦争の直撃を受けた人達であります。

 母は、阿波踊りで有名な徳島県の阿波池田の生まれで、その地にて終戦を迎えました。

 また、父は京都生まれなのですが、戦争の激化にて疎開し、母の出身地にも近い、徳島県の三野に移ったものの、危うく、少年航空兵として徴兵され、特攻隊にて命を落とすところであったという経験を持っておりました。

 その母がいつも言っていたことは、まずは、「戦争っていうのはね、食べ物も何もかも全てが無くなっちゃうんだからね。あんな悲しいことはないんだよね。」という言葉に始まり、「一番驚いたのはね。 終戦と共に、学校の先生が昨日とまるで正反対のことを言い始めたことだったよねー。」というくだりでありました。

 そして、父が常に言っていたことは、「本当にズルいと思ったことは、自分は戦地に行かなくて済むような、政治家や軍部の年寄り達が、若者をそそのかして、ずっと戦争をやらせていたことなんだよね。」ということでした。

 ちなみに、父は、疎開先では同年代の者達にイジメを受け、学校での軍事教練(学校教練)では、「何度も教官にブン殴られた」という話もしておりました。


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2.ところが現在の日本においても・・

 とりあえずは、上記の話に、当時の日本国の様子が集約されているのかと感じますが、それと同時に、この時代に生きた日本の一般の人々の生きる目的が、何ともバカバカしく、空しいものであったかを表しているとも思います。

 少なくとも、それは、「正しさ」でも「勇ましさ」でもなく、ましてや「美しさ」など微塵もない状況かと、簡単に推測できるものでしょう。


 だがしかし、2021年という現在に生きる当方が一番驚くのは、「両親が話していた日本国の当時の方針が、70年以上経った今でもあまり変わっていない」ということが、いみじくも、このコロナ禍にて暴露されてしまったことであります。

 しかも、昭和時代から令和時代にかけての出来事を振り返ってみれば、上記のことについては、「戦後にいったん良い方向に修正されたものが、再度悪い方向に戻ってしまった」といったことではなく、実はあまり変わらないまま、戦後70年間、ずっと続いていたらしい・・

 この事実が、さらに輪をかけて、何とも情けないと感じるわけであります。
 

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3.冷戦下であったならば・・

 当方は、戦後生まれとは言え、旧ソ連が存在し、東西陣営が睨み合っていた、いわゆる「冷戦時代」にて若い頃を過ごしてきました。

 当時は、第二次世界大戦後の新時代の戦争の形が出来上がった頃であり、旧ソ連を中心とする東側の陣営が、いわゆるABC兵器を駆使し、いつ攻撃してくるかもしれないという緊張感があった時代であります。(Aはアトミック(核兵器)、Bはバイオ(生物兵器)、Cはケミカル(化学兵器)です。)

 従いまして、そのような時代に、今回のような正体不明のウイルスの流行、及び、それによるパンデミック発生の兆候が生じたといった場合は、この日本においても、東側からの侵略作戦の可能性アリということで、国全体として最大限の警戒態勢に入ったのではないかと思うわけです。

 感染症に対する基本中の基本に則り、直ちに検疫は最大限のレベルに引き上げられ、基本的に海外からの人の受け入れは中止、国内での検査態勢も可能な限り強化、ウイルス感染者や保持者が確認された場合に備えて、医療体制も大幅に増強、といったことを実施していたかもしれません。

 加えて、一般の人々も、かなりの警戒感を持って日々活動することになり、出来る限りの情報を拾い集めつつ、感染リスクが高いような行動は慎しむ方向に向かったのかと推測されます・・と。

 まあ、そのような時代に、オリンピックなど、海外と協賛の(超)大規模イベントの予定があったならば、即刻、中止決定ですね。(たぶん・・)


 もっとも、実際には、そのような中でも、日本は高度成長期ということもあり、一部では意外と呑気にしていたのも実態ではありましたので、現在の常識外れの危機感のなさへの布石は、既にあったのかもしれません・・・

 だがしかし、感染症に対する大原則であろう、「いくら用心しても、し過ぎることはない」ということは、少なくとも守られていたのではないでしょうか。 


 いずれにせよ、今回のコロナ禍にて、一般の国民のみならず、日本政府自体が、あまりに甘い対応をし続けているのは、訳が分かりません。

 正しい危機感を持って行動していたのは、自衛隊くらいか!?(当たり前ですが・・)


 ここ数十年のグローバル化による経済優先主義の下、1つの国家としての安全保障といったことも、もはや前世紀の遺物となってしまったのでしょうか。


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4.昨年から何が起こっていたのか?・・そして今

 当方は自営業ということもありまして、コロナ禍が本格的に国内で始まった2020年1月~3月あたりから、テレビ番組、及び、Youtubeを含むWeb上の各種番組&記事などにて、なるべく幅広く、国内外の状況の流れを眺めてきたつもりです。


 ここで、当方の考え方を書いておきますと、近年では、「テレビ局を中心とする従来からのメディアは信用できない」といった考え方から、テレビは全く見ないというかたも増えておりますが、これは、なかなかに危険であると感じております。

 この理由は、Youtubeなどを含む、Web上の情報にはテレビ番組以上に信用ならないものが多いということ、また、(よく語られることですが)自分の気に入ったものしか見なくなる傾向に陥りやすいということ、さらには、日本人特有のマジメさから来る「洗脳されグセ(!?)」といったことの存在です。

 従いまして、当方においては、TV/Web共に、時間が許す限り、なるべく多くの情報を見るようにして、それらを並列に眺めて考えるようにすることに努めています。

  
 それはともかく、昨年前半あたりでは、新型コロナウイルスについての脅威と警告を述べる各方面の先生方に対し、自称専門家といった方々が何人も登場し、「新型コロナを恐れる必要はない」、「普通に生活していれば、人から人に感染することはない」、「マスクをしていても効果なし」、「感染者の総数よりも、重傷者と死亡者の数こそが重要」、「PCR検査は精度が低いので、有害無益」など、様々な説をひたすら流布されておりました。 

 それらのいくつかは、依然として現在まで続いているとも言えるのですが、昨年後半において、それらの説の大きな牽引力となったのが、日本にも大きな影響を与えたドナルド・トランプ氏でもあるわけで、まあ、色々なことがありましたね。

 さらに恐ろしかったのは、「コロナ恐れるに足らず主義」、「マスク不要論」、さらには「ワクチンの陰謀説」などを通し、これまで、政治思想において対立関係にあったような派閥どうしが、結果として合体するような形になることさえ起こってしまったことです。


 しかし、考えてみれば(わざわざ考えてみなくても!?)、これらは、「感染症対策の基本中の基本」を無視するような話であり、これまでの人類の文化/科学/文明の長い歴史での成果を忘れてしまったようなものでもあるわけです。

 文明が進み過ぎてしまったために、知識の空白期間(?)が生じてしまったのかもしれませんが、この歪みが生じたままでは、いつか世界が終わってしまうといっても過言ではない・・


 そして、これらの流れの結果、現在の日本政府の考え方とは、簡潔に言えば、「東京オリンピック開催のためには、少々であれば、一般の国民がコロナの犠牲になっても構わない」というところに落ち着いています・・と。

 しかも、オリンピックの観客に、子供たちも動員させようとしているという、とんでもない企画まで・・

 これって、本当に21世紀の現実の出来事なのでしょうか??


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5.死亡者と重傷者だけが重要ではないということ

 当方としては、新型コロナに関する多くのおかしな説について、特に1つ書いておきたいことがあります。 

 それは、「重要なのは、死亡者数と重傷者数」という説のおかしさです。(最近では、さすがに、これを唱えるかたは減ってきたようですが・・)

 まずは、新型コロナでは、中等症のかたの症状が突然に悪化して死亡したり、無症状のかたが突然に肺炎を起こしたりすることも少なくはないようですから、やはり、重傷者と死亡者に注目するだけではなく、感染者全体を把握しておかなければ、色々な意味で危険であるということがあります。

 次に、新型コロナの大いなる特徴として、「無症状者が他人に感染させ、その中にて、新たな重傷者や死亡者を誘発する可能性がある」という事実が存在します。
 「自分では感染に気づいていない無症状の感染者が動けば、結果として、重症者や死亡者が増える可能性があり、それを防ぐためには、やはり、一般の方々全てが、感染発生の状況推移を随時把握しておいたほうが良い」という、至極単純な話。  


 そして、コロナの感染によって被るもの/失うものとは、人が死ぬことにだけに存在するわけではありません。

 「けっこうな肺炎を起こしていても”中等症”として分類されてしまい、”重症”とはされないことがある」というのは有名どころの話ですが、まずは、「肺炎の状態」とは中等症ともなれば、風邪やインフルエンザなどとは比較にならない相当な苦しさであり、その精神的なマイナス分のみならず、入院してしまえば、自分の勤労に充てる活動は結構な日数の間にて不能となります。
 補償を受けられるような職種であればともかく、それによって、その個人が受ける経済的なダメージは、予測不能なレベルに達することもあるでしょう。

 また、年老いた親がそのような状態になれば、子供に経済的な負担が強いられる可能性も考えられます。

 逆に、コロナの変異株などでは、若い方でも重症化する場合があることも報告されておりますので、自分の子供が感染してしまえば、親において、それによる時間の喪失/経済的損失は避けられません。


 加えて、医療機関のコロナ対応態勢の下では、コロナ以外の病気やケガなどの対応にも大きなマイナス面が生ずるということもあります。
 当方も、昨年にて、(コロナではなかったにもかかわらず)母親の救急搬送や入院時に、通常時ではかからないような時間のロスをどれだけ強いられたか・・

 従いまして、このような事例が増えれは増えるほど、結局は、各個人の損害から各企業などの損害へと繋がり、さらには、国としての大きな経済的損失にも繋がると。


 ところが、日本政府は、これらのことも、オリンピックのためならば仕方がないと言っていることになるわけでして、全く先読みもできないのか??

 もはや先進国という看板を下ろしてしまったのでしょうか???


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6.日本の伝統となってしまった王道とは?

 上述した「東京オリンピック開催のためには、少々であれば、一般の国民がコロナの犠牲になっても構わない」ということの裏には、「そのような事態が生じても、たぶん自分達(日本政府)は、責任はとらないで済むだろう」という思惑が透けて見えたりもするものです。

 このようなことに関連し、今回のコロナ禍にて、明確になってきたことの1つは、日本独自の王道が、依然として存在しているようだということ。

 先の太平洋戦争時にても現れ、いつの頃からか伝統芸のようになった、この王道とは何なのか??

 それは、「いかに、自分で責任をとらないようにして、既得権益を守りつつ、自分が属する集団が得をする体制を作りあげるか?」ということなのでしょう。

 また、この中には、「他人を可能な限り利用しつつも、いざとなったら自分だけ逃げ出す(ただし、上位グループに属する人達のみ)」ということも含まれております。

 これを教義とする一種の宗教のような体制、これが日本という国にて権力者を目指すものが崇めているものなのかと感じるところです。


 これに魅力を感じる人は、どうぞ、その地位を目指してください。

 ただし、その代償は、非常に大きいかも?です。


 その代償が、具体的にどのようなものになるのか?、それも、本年7月からの流れにて、明かになってくるのかもしれません。


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7.近年の日本の世の中って・・

 特に、小泉内閣あたりから顕著になった、自民党政治のやり方とは、本来は深い海底を持った大洋にて、水深わずか5cmくらいのところに、コンクリートでニセの海底を作り、かつ、それを美しいオーシャンブルーで塗装、どこまでも続く遠浅の南国の海があるように見せかけたようなものかと感じております。

 要は、壮大な規模の、上げ底で作った楽園の海です。


 しかし、陸地に雨が降れば、土砂やら、ゴミやら、何らかの汚染物やら、様々なモノが海に流れ込んでくるものです。

 本来、深い底を持った大洋は、それらを受け入れ、浄化しつつ、水を蒸発させて再び陸地に雨を降らし・・と、限界はあれども、これらの循環サイクルにて、地球の自然を正常に保つことを行っております。

 ところが、水深5cmの上げ底の海では、浄化などできるはずもなく、土砂/ゴミ/汚染物はたまっていく一方にて、菅内閣に移行した頃には、もはやドロドロの海がどこまでも続く限りになっていた感じでしょうか。


 今の日本は、この、たった5cmの水深の底も見えないような濁った海の中で、見え透いた嘘も公然とまかり通るような、最終段階の状況に入ってきているように見えます。


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8.壁を破れば光の道が・・

 といったことで、たいへん月並みな内容ながら、結論めいたことを書かせていただければ、この硬直した日本の世の中の状態をいったん(良い意味で)破壊し、変えなければならない時がついに来たということなのでしょう。

 偽りの海底をぶち壊して、本当の海の底へ。
 そこには、まだ見ぬ竜宮城が待っているのかもしれませんよ。


 このコロナ禍の中ですので、残念ながら、まだまだ犠牲となる方々は出るのでしょうし、正直言って、当方に関しても、今後の運命はどうなるのか?わかりません。

 しかし、もはや、各人それぞれが、個々の状況に応じて、何らかの「覚悟」というものを持って臨む時が来ているのかと思います。

 ここしばらく、政治家のみなさんが、この「覚悟」を持っていただけないのは非常に残念なのですが、自分なりの「覚悟」の内容をなるべく早く見つけることができた者だけが、来るべき次の世界に到達できるのでは?・・そのように想って止みません。


 当方が、様々なモノを経験し、潜り抜け、約60年生きてきて感じることは、「この世とは実に不思議なもので、各局面に応じて、覚悟を持って開き直って向き合うことを実施すると、必ず何らかの光が見えてくる」という事実です。

 これは逆に言えば、「覚悟を持って開き直れなかった場合には、光は決してやってこない」ということでもあります。

 もちろん、「開き直れば何をやっても良い」というわけではなく、「まっとうな理屈を踏まえた上で、必要最小限の先読みはしながら・・」という条件付きにはなるでしょう。
 
 
 上述しましたように、これらのことは、まずは、日本の政治家の方々に求めたいことでもあるのですが、「何となく、うまく事が進んできてしまった戦後の日本の流れ」に慣れてしまった人々には、難しいことであるのは確か。(当方も偉そうに言える立場ではありません。)

 だがしかし、もはや、タイムアップ間近なのです。

 
 何としても、「覚悟」を持って挑み続けましょう!! 


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時計の針を19年戻して・・


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 本年も、桜が美しい時期となりました。

 今回、実に久しぶりの記事のアップとなってしまいましたが、当方の近所の神田川の桜の画像を交えて、本題を書いていこうかと思います。


 さて、当方のギター/ベース教室に関しましては、サイトでも告知しております通り、コロナ禍が明確に去るまで、引き続き、お休みとさせていただいております。

 ただし、以前の記事にても書かせていただきましたが、コロナ禍以外の理由からも、兼ねてより、教室関連の本格的な活動を制限させていただいている状況がありました。

 その理由の中心となるものが、当方の母親の介護に関わるものであったのですが、本年(2021年)の1月22日に、その母親が亡くなりました。

 昨年夏のコロナ禍の下での複数回の入院に始まり、本年に入っての葬儀その他に関しては、なかなかにたいへんなものがありましたが、既に49日の法要も終え、事務的な用件の多くも済みまして、ようやく落ち着いてきたところでしょうか。

 ということで、この大きな節目にて、このブログ上にても、何らかのまとめ的なことを書いておくべきかとも思ったゆえ、今回の記事を書かせていただいている次第です。



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 当方の母親が認知症を発症したのは、2002年の3月ですので、その時から、ほぼ19年もの年月が経過しました。

 自分を含め、家族としての対応は後悔することばかりなのですが、この間に、たくさんの病院のお医者様と看護師の方々にお世話になったことはもちろん、入居させていただいた4つの施設にても、多くの介護スタッフの方々に面倒をおかけしました。
 それゆえ、この事実については、もう、限りなく感謝するしかありません。

 そして、私個人としても、この長い期間にて、昔からの友人に加え、新たに出会った多くの方々に、様々な感謝すべきものをいただき、貴重な経験もさせていただきました。

 その中には、今では連絡がとれなくなってしまったかたもいらっしゃるのですが、もしかすると、このブログを読まれているかもしれません。

 よって、この場を借りて、お礼の気持ちを伝えたいとも思います。

 本当に、どうもありがとうございました!!


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 親の介護というものは、近年では社会問題としても、しばしば報道されるものになってきましたが、その実態とは、実際に経験してみないと、なかなかわからないものであると感じます。

 家族における負担は、経済的なものに加え、精神的なものも非常に大きく、その程度は、その病気の内容や家庭の状況によっても異なるとは言え、場合においては、家族の精神を破壊するほどのレベルに達することもあります。

 特に、認知症の場合は、基本的にその症状が常に継続し、決しておさまるようなことがないゆえ、介護する側は、24時間フル稼働にて、緊急事態に備えておくことにならざるを得ないものです。

 これは、当人が介護施設等に入れば、かなり軽減されることにはなるのですが、それでも、一般の病気になった場合などには、家族が病院に連れていく必要があったりしますし、その他、想像を超えるような緊急事態が起こることもしばしばです。

 このため、施設からの連絡には、常に身構えておく必要があり、結果として、電話恐怖症っぽいものになったりします。


 そして、やはり、介護における最大の課題は経済的なことになるわけでして、この19年間に費やされた総額は、なかなかのものになりました。

 当方が、ここ十数年あまり、旅行などにも全く行っていないといった事実が、その象徴ともなりますが、最期まで、費用が何とかなったのは奇跡に近く、これについては、もう運が良かったとしか言えません。

 親の介護とは、終わりがいつになるのか?が見えないゆえ、どうしても、全てが綱渡りに近いことになってくるものです。

 ここしばらくにて、ニュースなどで、介護に関わる悲しい事件の話を聞くことも増えてきましたが、とても他人ごととは思えないです。


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 このような状況が続くゆえ、音楽教室というものを営んでいた当方の場合ですと、まずは、まとまったバンド活動を継続して行うことが難しくなり、また、前もって予測できない緊急事態の発生を考えると、ライブの企画などもイチかバチかになってしまうので、これも積極的には実施できないことになってきます。

 そして、イベント等の実施を進めにくいことになりますと、ギター/ベース教室の活動とのリンクもできなくなるため、教室の積極的な推進力も失われることになってしまいました。

 加えて、楽器を弾く時間も大幅に減ってしまい、この19年間で、新たに作った曲は1曲のみという、惨憺たる有り様であります。



 そのような中、生計を立てることについては、ギターストラップ製作を中心とした革モノの仕事をやっていたおかげで、何とかなってきたわけですが、これも偶然の産物ということで、まさに「綱渡り」と言えるでしょうか。

 また、そのような仕事であるゆえに、今回のコロナ禍にも対応できたということもありますので、「革モノの仕事をやっていなかったら、果たしてどうなったのか?」、背筋が凍るような気がします。


 といったことで、今回の大きな節目を迎え、最初に実施すべきことは、(心の中にて)2002年の3月まで時計の針を戻し、ついでに初心も取り戻しつつ、今一度、楽器演奏に取り組んでみたいと思っております。

 まあ、この19年にて、当初40歳であった私は、本年にて還暦を迎えることに。
 随分と歳をとってしまいました。

 残された時間は、だいたい予想がつくほどになってしまってもいるわけですが、この期限内にて、これまでにやり残したことをできる限り実施していくつもりでおります。



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 だがしかし、何とあろうか、現在はコロナ禍です。

 実に皮肉なことではあるのですが、これしきのことで、音楽活動をあきらめるわけにはいきません。

 少なくとも、積極的なライブ活動などはできませんが、この間でもできることは、作曲活動をはじめ、何かしらあるはずです。


 ちなみに、このコロナ禍で試されているものは、まずは、各個人の忍耐力なのかと思います。

 新型コロナウイルスには、まだ不明な点があるとは言え、その基本的な特性は、極めて論理的なものです。

 昨年から変わらない、日本政府や東京都のとても論理的とは言えない対応策はともかく、各個人が、ガマンできずに、一時の感情に流され、論理的な対応を怠れば、直ちに感染リスクは増大します。

 確かに、長期に渡る忍耐が必要な状況は、各個においての限界も生ずるのでしょうが、とりあえず、当方などについては、長年の親の介護に関わる状況に比べれば、それほど負担ではない感じでしょうか。


 そのような副産物(?)もありましたが、とにかく、この機に気合を入れ直して、今後の活動に取り組んでいこうと思っております。

 このブログでの新たな記事も、なるべくアップしていくつもりでおりますので、あらためまして、どうかよろしくお願いいたします!!



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WORLD GUITAR GIRL'S COLLECTION を観てきました!

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先日、ストラップの企画で御協力をいただいているプロベーシストの平元純平さんの御招待にて、「WORLD GUITAR GIRL'S COLLECTION 」というイベントを拝見させていただきました。


国内のハード/ヘヴィ系の若手の女性ギタリストによる、インスト曲メインの演奏という画期的なイベントです。


ギタリストのみなさんそれぞれが、しっかりとした個性を持った素晴らしい演奏で、非常に楽しめました。


近年、このような種の音楽/演奏は、特定ジャンルとして扱われがちなようですが、一般の方々にも問題なく御紹介できるものであると思います。


何と言っても、ライブ演奏でそれなりのレベルのものを披露するというのは、こればかりは、各自の努力無しには成し得ないものです。

そこには、一切のウソやゴマカシは存在できません。

当方も長年、楽器演奏を指導してきた身ですので、出演者の方々の日々の努力の大きさは、痛いほど伝わってきました。

女性のかたの場合、エレキギターの演奏については、どうしても体格的/体力的なハンディーを背負うことになってしまうのが事実でもありますので、これまで、周りからは見えないような場にて、どれだけの苦労があったかは、計り知り得ません。


みなさん本当にお疲れ様でした!


そして、平元純平さんをはじめ、後方でガッチリと演奏を支えてくださっていたリズム隊と鍵盤奏者の方々にも、本当に感謝です!!

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