2019年を迎えて考えたこと――韓国の整形事情、仮想アイドルとの婚姻、教員・学者・聖職者たちの性犯罪
(5)――不可解な韓国の整形事情
 週刊ポスト(2012.2.10号)によれば、「韓国女性の美容整形熱は広く知られているが、最近では低年齢化が進み、中学生でも手術を受けるケースが増えている。風俗関係の女性だともっと増えるようで、『顔だと6~7割、豊胸だと2~3割がやっているのでは』」ということである。
経済専門誌エコノミスト(2013年1月31日)によれば、「国際美容整形協会の資料を基に各国の美容整形手術数について伝え、韓国が世界でもっとも整形率が高いことを明らかにした」。「世界でもっとも人気のある手術は脂肪吸引だった。その次は豊胸手術、顔、足などで、アジア圏は鼻を高くする手術が一番人気を集めていた。(中略)韓国のネット上には、『それだけ外見を重視する国だってことだね』などとのコメントが書き込まれ、高い関心を示していた」。
 ニュースフィア・カルチャー(2017年7月26日)によれば、「かつては欧米が最先端だった『美容整形』だが、いまやイノベーションと人気の面では、アジアがそれを凌ぐ勢いだという。なかでも韓国での普及は著しく、見た目重視の社会や、自己(≪外形的な可視的な自然としての身体の顔立ち≫)の変化と改良は良いという価値観が影響していると見られている。人口比では世界一。韓国では整形はカジュアル感覚……」という。「韓国のある調査では、実に20代の女性の60%以上が、整形をしたことがあると答えたという」、すなわちこの調査によれば、20代の女性の場合、1000人中600人以上が整形をしたことがあると答えたことになる。「韓国の美容整形では、二重まぶたへの整形やまぶたを引き上げたり脂肪を取ったりする形成術がほぼ半数を占めているということだ。18歳の誕生日にこうした手術を受けるというのも、非常によくあることだという(≪こうした整形に親も加担しているというのが、私には全く理解できない、異和として映る≫)」。ウェブ誌『クオーツ』によれば、「韓国の昨年の調査では、312人中34%の人事担当者が、たとえ経歴が仕事に向かなくても、顔を基準に採用を決めたと答えている。また、50%が見た目の悪い応募者は落としたと回答した(≪韓国社会を構成している経済社会構成の企業の人事担当者がこうした考えを持ち実行しているということも、私には全く理解できない、異和として映る≫)」。このような事情から……(中略)……整形で良い仕事、良い伴侶が得られ、未来はより明るくなるという思考につながっていると見ている……」。私は、このような韓国社会であれ、またさらに整形熱が盛んになるとしても、数十パーセントの人は、自然としての自己身体の顔立ちを守り維持すると考える者であるが、その両者の間の異和意識は拡大していくように思われる。「多くのKポップスターは整形をしており、それが彼らのキャリアにとって不可欠なものになっているため、一般の人も、整形により競争力が高まると考えるのだ……」。「『かわいい』ことは『ハンサム』を意味し、彼らはより女性的に見られたいと思っている……男性の整形で最も多いのは鼻の形を整える鼻形成術だが、平坦な顔を立体的に見せる、目、顎などの整形も人気ということだ……女性Kポップアイドルたちは、『可憐な顔にセクシーボディ』をコンセプトとしているが、男性アイドルの場合は、若くかわいらしい顔に筋肉質の男性的なボディが理想らしい」。「コリア・タイムズによれば、最近発表された学術論文では、整形を受けた20代女性402人のうち9割以上が整形後性格が変わったと回答。また、容姿に対する自信も5点中平均2.9点から3.53点にアップしたと報告され、整形がポジティブな結果をもたらすことが分かっている(≪しかし、自然としての自己身体の顔立ちの身体像は意識化されており、いつかは所詮は整形された顔立ちに過ぎない人工化された顔立ちに対して、所詮は人工化された顔立ちに過ぎないことを、すなわち特に自分の子が生まれた時に、自然としての自己身体の顔立ちを意識させらる時が来るのではないだろうか、換言すれば遺伝子が組み換えられたわけではないから、自然としての自己身体の顔立ちの方から復讐される時がくるのではないだろうか≫)。その一方で、30%近くが、整形の副作用に悩まされていると回答しており、美しい容姿を手に入れるために健康面での犠牲があることも浮き彫りとなった」という。
 私には、自然としての自己身体顔立ち(目、鼻、口等)を、全く人為的に人工化してしまった相手と結婚し、毎日その人工的な顔を見ていて喜び楽しむことができるのかなという疑問が湧いてくる。逆まつげ等の病気や火傷や怪我等の場合の美容整形については私にもよく理解できる行為であるが、持って生まれた生来的な自然としての身体の顔立ち、目や鼻や口等を、自分の身体だからと自由に意志的に人工的な顔に美容整形することについてはよく理解できないことである。自然としての自己身体の顔立ち、目、鼻、口等がすべて整った女性や男性(換言すれば、客観的に本当に美しい女性や美しい男性)はほんの一握りしかいないに違いないのである、またそういう人は(自然に、そう思っていないかのように)そういう振りや態度を取らないし、先ず外面的に派手ではないし化粧の匂いもさせていなかったし、そして内面的には接した限りは誰に対しても優しいし・平等に接するし(差別をしない)・横柄な態度をとらないし・相手の体面や気持ちをおもんぱかるという性格も兼ね備えているように思う。どうしてこういうことを書くかと言えば、私が青学大に通っていた時、私は歴研には所属していなかったが、その歴研に所属していた人の中に、暗黙の裡に誰からも認められていたし、私もそう認めざるを得なかったそういう一人の美男と一人の美女がいて、実際的にそう感じたし・そう思ったからである (卒業してからずっと後になってある人から聞いた話では、結局彼ら二人は結婚したということである)。私にとって最高に好ましい、世界一美しい女学生が高校2年の時にいたし、世界一美しい女性が20歳の時にいたが、こういう意味ではなくて、青学大の彼ら二人のような美女や美男は滅多にいないので(わたしは見たことがなかった、こういう人は逆に役者とかアナウンサーとか目立つ仕事に就かないのかなと思った)、私を含めて誰であれ大なり小なり持って生まれた生来的な自然としての自己身体の顔立ち、目、鼻、口等に不満やコンプレックスを抱きながらも、その顔立ち、目、鼻、口等を受け入れ・それに耐えて生きていく以外にないし・生き抜いていくというのが、本当は人間にとって一番自然で大切なことだと私には思われる。したがって、自然としての自己身体の顔立ち、目の一重瞼を二重瞼にし、低い鼻を高くし、気に入らない唇を気に入るようにした等としても、一重瞼や低い鼻や気に入らない唇等の遺伝子自体は組み換えられてはいないのであるから、その人から生まれた子供の顔は、整形者の原型である自然としての自己身体の顔立ちに強いられて必然的に一重瞼や低い鼻や気に入らない唇で生まれてくる以外にないのである、結局整形は自然を超えられなかったという意味で本当は自由ではないのである。韓国では「20代の女性の60%以上が、整形をしたことがある」ということであるから、これからさらに整形人口が増加していけば、相対的に美女や美男と思われる者同士が結婚したとしても、本当は人工的な美女風あるいは人工的な美男風でしかないのではないのか、という疑念が湧いてくるようになると思われる。その場合、子供が生まれて初めて、顔立ちが自然か人工かが分かる事態が生じるに違いない。生まれてきた子供も、物心がついてきた時にその事態を知ることになる。このような訳で、私には、不可避的な病気等を治療するために行う美容整形についてはよく理解できるのだが、自分から意志した美容整形については全く理解できないのである。

(6)――仮想アイドル・「初音ミクと結婚式の35歳公務員が告白『新婚旅行は札幌。ウエディングドレスは特注です』」
 2018年8月21日文春オンラインによれば、「近藤さんは都内の一軒家にひとり暮らししている。『おめでとうございます! お幸せに~』『応援してます』『良い話』『時代の先駆けやなあ』などと、ネットでたくさんの祝福のメッセージを受け取っている男性がいる」。「バーチャルアイドル『初音ミク』と結婚式を挙げることをツイッターに投稿し、ネットニュースでも取り上げられ話題となった近藤顕彦さん(35)だ。11月4日(日)に東京近県の結婚式場で執り行う挙式にむけて目下準備中だという。近藤さんに話を聞いた」。「『私はまずモテません。<非モテ>というんですけれども。コンプレックスがありまして。中学、高校時代は女性を好きになったこともありました。でも、交際したことはありません。高校の時、フォークダンスで女子生徒たちから<気持ち悪い>とダンスを拒否されたこともありました(≪こういう相手が厭がることを平気でわざと言ったり遣ったりする人物やそれに同調する連中は、男女を問わずどこにでもいる≫)。就職してからも、今から約11年前ですが、1歳年上の女性からイジメに遭ったんです。直属の先輩で、挨拶をしても無視をされたり、わざと聞こえるような大きな声で<ホントに嫌い>とか<気持ち悪い>とか<使えない>などと毎日のように言われていました(≪そのような人物やそれに同調する連中は決して許すことはできないのだが、官公庁、役所の組織だろうが、知識人組織であろうが、教育現場の教員組織であろうが、会社等の組織であろうが、タレント芸能人組織であろうが、宗教組織であろうが、趣味の組織であろうが、こういう人物やそれに同調する連中は、男女を問わずどこにでもいるのである。ただ精神の受け止め方の問題から言えば、近藤さんのように「精神的に追い詰め」られる人もいれば、打たれ強い人も、その中間の人もいる≫)。高校以来ずっと<結婚しない人生だ>とは思っていましたが、このとき改めて、<3次元の女性は難しい>と確信しました。今でもトラウマになっています』(≪近藤さんは、今も癒されることのない深い傷を体験的に心に負ったのである≫)。職場イジメで精神的に追い詰められた近藤さんは、そこから2年もの間、休職して自宅に引きこもる毎日を送ったという」。
 仮想アイドルの初音ミクは、先ず絶対に、彼を、「イジメ」ない、「無視」しない、裏切らない、拒否しない、失恋させない。それだけでなく、仕事でつらい時あるいはつらい時があった場合、そこからは肌と肌との温もりは与えられないとしても、嫌がらず何も言わずに自分の言うことをすべて聞いてくれる。このように、彼がこうして欲しいと望むように対応してくれるから、空虚な時空でのそれでしかないとしても、それでいいと受け入れることができれば、ストレスも感じないしストレスにも悩まされないし、安定した精神状態でいることができる。初音ミクは、もともと非日常を生きており、彼は、その非日常を生きている初音ミクを愛し、その非日常を生きている初音ミクを理想化し、その理想化された女性像としての非日常の初音ミクを愛しているである。したがって、この初音ミクは、彼が愛する限り、彼を決して裏切らないし、見捨てることはしない。このように、彼は、自己愛の外化として、自分を愛するように、理想化された非日常を生きている観念的な仮想的アイドル・初音ミクの理想像を愛している。言い換えれば、自己愛の外化として、自分を愛するように、理想化された日常を生きている現実的な女性の理想像を愛する場合と違って、相手の女性を息苦しくさせることもないし、向こう側から失恋させられることもないので、空虚な時空を生かされるとしても、それでいいと受け入れることができれば、自分の心に傷を負うことはない。われわれの世代は、まだ純情・可憐という言葉が通用した時代を生きていた世代である。したがって、世界でただひとりの人と本当に感じ・本当に思い好きになった対象に対しては、その現実的な女性を内在的に理想化したその理想像を愛するという自己愛の外化という形になってしまい、その理想化した度合いが強ければ強いほど、その理想像と現実的な相手の女性との落差を生じさせてしまうことがあったし、向こう側から失恋の出来事がやって来た時、完璧に完全に心に深い傷を負うことになったし、それ故に世界がすべて崩壊しまうような喪失感・絶望感も味わわなければならなかった。したがって、現実の時空で、その喪失感・絶望感に耐えて生きていかなければならなかった。

(7)――「世も末」、日々繰り返されている日常的な事件やいざこざ、いじめ、パワハラ、教員・学者・聖職者たちの性犯罪
 読売新聞(2018年12月20日)のよれば、「既婚の教諭、卒業式終えた女子生徒と抱き合う。(中略)北海道教育委員会は19日、知人女性に執拗にメールをした宗谷地方の中学校の男性校長(57)ら6人を停職などの懲戒処分にした。男性校長は6~9月、20歳代の知人女性に、メールやSNSで約200回にわたり、飲食に誘ったり返信を促したりするメッセージを送った。『大好き』『その目で見られると吸い込まれる』などの表現に女性は不快感や恐怖を覚え、知人を介して道教委に相談した。道教委は校長を停職3か月とした。校長は退職願を提出し、今月受理された。また、札幌市の道立高校男性教諭(51)は2016年3月、卒業式を終えた女子生徒とホテルで抱き合うなどした。教諭は既婚者で、不適切な関係は今年2月まで続いた。道教委は教諭を停職2か月とした」。
 毎日新聞(2019年1月7日)によれば、「15歳の少女に現金を渡すと言ってわいせつ行為をしたとして、兵庫県警三田署は6日、大阪府立生野聴覚支援学校校長、杉田宏容疑者(59)=大阪府松原市=を児童買春・ポルノ禁止法違反(買春)容疑で逮捕した。容疑を認めているという。逮捕容疑は、昨年9月29日午後、大阪市北区内のホテルで少女が18歳未満と知りながら、現金1万円を渡す約束をしてわいせつな行為をしたとしている。同署によると、杉田容疑者と少女はツイッターで知り合い、少女の関係者から相談があり発覚した」。
 朝日新聞(2019年1月9日)によれば、「中学3年生の少女にわいせつな行為をしたとして、福岡県警は9日、同県筑紫野市立小学校教諭、内村和憲容疑者(34)=同県太宰府市宰都1丁目=を児童買春・児童ポルノ禁止法違反の疑いで逮捕し、発表した。『間違いありません』と容疑を認めているという。筑紫野署によると、内村容疑者は昨年7月14日、福岡市内のホテルで、中学3年生の少女(当時14)に2万円を渡して、わいせつな行為をした疑いがある。内村容疑者は少女とツイッターを通じて知り合ったという。県警のサイバーパトロールが少女の書き込みを見つけて発覚した」。
 産経ニュース(2017年1月14日)によれば、生徒・児童へのわいせつ行為に及ぶハレンチ教諭が後を絶たない。東京都教育委員会でも平成28年、体を触ったり、頬ずりを繰り返したりしたとして、教諭たちに相次いで懲戒処分が下された。『頬に唇があたった』『誰でも良かった。スキンシップがエスカレートした』『コミュニケーションの一つと考えた』…」。それだけではなく、「無人の教室に連れ込み、下着の上から下半身を触ったり、約10秒間抱きついたりしていた」「教室で女子児童6人の脇をくすぐった際、服の上から胸を触ったり、胸をもんだりする行為を少なくとも25回行った」「教室で児童10人を抱き寄せたり、頬ずりしたりする不適切な行為を約100回繰り返し」た「顧問していた部活動でのマッサージを悪用」し、「部員の女子生徒を抱きしめたり、手足をマッサージしたりして不快感を与えた」「矛先は同僚にも向く。4月に停職1カ月となった中学校勤務の男性教諭=同(27)=は女性職員に「○○さんが好きで、くっつきたくなっちゃうのです」「肩もみしましょう」など不適切なメールを繰り返し送信した上で、服の上から胸を触ったり、抱きついたりした」。「身勝手な行為で教え子たちを傷つけた教諭たちからは、あきれた言い訳も飛び出す。都教委では教職員への注意喚起や処分の厳格化などに取り組むが、学校教育でのわいせつ根絶の道のりは険しい。(中略) 都教委幹部は「処分を公表するたびに各学校に対して『生徒と二人きりで指導を行わないようにしよう』『私的なメールを送らないように』などと注意喚起をしたり、研修を行ったりしている。こうした取り組みを繰り返していくしかない」と話す。情けないことに、子供たちよりも教育が必要なようだ」。
 共同(2018年11月20日)によれば、「兵庫県加古川市で2016年9月、市立中2年の女子生徒=当時(14)=がいじめを原因に自殺した問題で、県教育委員会は20日、重大ないじめに対処していなかったとして当時の男性校長(59)を戒告の懲戒処分とした。生徒の担任と学年主任の教諭は訓告、部活動の顧問ら2人は厳重注意とした。加古川市教委が設置した第三者委員会は17年12月、部活動での無視や仲間はずれといったいじめが原因と認定。生徒は自殺数カ月前のアンケートでいじめを訴えており、第三者委員会は『学校が対応すれば自殺せずにすんだ』と指摘していた」。
 共同(2018年12月28日)によれば、「広島大は28日、60代の元教授の男性が学生ら3人に『ブタ野郎』『死ね』と罵倒するなどパワハラに当たる発言を繰り返していたと発表した。元教授が今月上旬に退職を届け出たことで懲戒処分にできず、18日付で『諭旨解雇に相当する』と通知するにとどめた。広島大は近3人に謝罪する方針。広島大によると、元教授は2008年春〜今年春、多数回にわたって同僚の男性教員や男子学生2人に、第三者の面前などで人格を否定するような内容の発言を連発。男性教員は医療機関から適応障害と診断され、1カ月間の自宅療養を余儀なくされた。男性教員が学内の窓口に相談し、発覚した」。
 植草一秀(経済評論家、元大学教授)は、「2004年4月、駅のエスカレーターで女子高生のスカートの中を手鏡でのぞこうとしたとして、東京都迷惑防止条例違反で逮捕された」、また「2006年9月、電車内で女子高生に痴漢行為をしたとして、迷惑防止条例違反で逮捕」され、「2009年6月、懲役4ヶ月の実刑判決が下」された。
 堀江貴文(元ライブドア代表取締役社長で、メディアの後光の下で活躍するメディア的著述家)は、2011年4月最高裁においてライブドア事件で懲役が確定した。
 猪瀬直樹(元東京都知事)は、2014年3月東京地検特捜部によって公職選挙法違反の罪で略式起訴された。
 ニュースジャパン(2018年9月13日)によれば、「ドイツで1946~2014年に3600人以上の子どもがキリスト教のカトリック教会の神父から性的虐待を受けていたことが、漏えいした報告書によって明らかになった。現地メディアのシュピーゲル・オンラインによると、ドイツのカトリック聖職者1670人が3677人の未成年者に何らかの性的暴行を加えていた」。また、アゴラ(2018年11月13日)によれば、「ドイツで聖職者不足が劇的に進行している背景には、聖職という職業の魅力がなくなってきたからだろう。聖職者の未成年者への性的虐待が多発する教会を将来の職場に選ぶ若者がいなくなったとしても不思議ではない。もちろん、教会側からいわせれば、聖職はあくまでも召命(下記の【注】を参照)されて従事する職業だというわけだが、その聖職の社会的評価が急落しているのが現実だ」、「独教会で性犯罪を犯す聖職者数(聖職者による性犯罪発生率)は全体の4・4%。ただし、教区神父では1429人が性犯罪を犯し、全体の5・1%を占める。そのような職場にたとえ召命されたとしても心が動かないだろう(「独教会『聖職者の性犯罪』をもみ消し」2018年9月14日参考)」、「同じことが新教会でもいえる。クリスティネ・ベルグマン元家庭相によると、新教でも聖職者による性犯罪が過去、同じように隠蔽されてきたという。これまで『新教の聖職者には独身制がないので、性犯罪の件数も少ない』といわれてきたが、元家庭相によると、『新教の聖職者も権威主義的で、聖職者の性犯罪の犠牲者の訴えに耳をかさない一方、性犯罪を犯した聖職者』の問題を隠蔽する体質がある」。このようなことは、日本のカルト教団ではない教団の教会においてもあると言う(氷山の一角だと思うのだが、例えば「奈良県大和高田市の日本聖公会高田基督教会の牧師が、小学4年生の女児に中学3年まで性的虐待を繰り返」していたし、昨年ニュースになったことであるが聖公会系の聖路加国際病院に勤務する患者やその家族の心のケアに当たる立場にあった非常勤職員の40歳の牧師が、院内に設置されているチャペルの個室で女性患者にわいせつ行為した疑いで書類送検された等々がある)。また、帰化した「在日朝鮮人から見た韓国の新聞」(2016年8月、4)の記事によれば、「性犯罪者の "素顔" を調査した『2014年度児童・青少年対象性犯罪個人情報の登録対象者の動向』を見てみると、性犯罪者の44.2%は執行猶予で釈放され、性犯罪者の平均年齢は37.0歳、そして無職というのが全体像。それなので、専門職としての性犯罪者は本来は少数派になるのですが、それでも牧師が異常に目立つのにはやはり理由があります。それは全体的に性犯罪者を輩出する割合が高すぎるからです。2013年末における主要6教団の牧師の数は5万8578人と言います。5年間で442人が性犯罪者」となり、「医師も性犯罪者が多い職種(2位)になりますが、南朝鮮の医師会登録人数が11万5000人」おり、「5年間で371人が性犯罪者」となり、「圧倒的に牧師が性犯罪に手を染める確率が高いことが分かります」、という。

【注】「失われない単一性」・神性・永遠性を本質とする三位一体の神の第二の存在の仕方(起源的な第一の形態の神の言葉、神の子――起源的な第一の存在の仕方であるイエス・キリストの父が子として自分を自分から区別した子としてのイエス・キリスト自身、啓示・和解、「啓示の実在」そのもの、啓示の客観的現実性)であるイエス・キリストによる召命を与えられた神父あるいは牧師であるのかどうかという事項は、カトリックであれ、プロテスタントであれ、第三の形態に属する全く人間的な徒の人間が構成するその教団組織、その教会組織、その指導層、その指導者等によるその儀式的手続きによって認定され承認され決定される事項ではない、と言うことができる。このことは、前述した記事から目を背けずにその実態を凝視すれば明らかなことである。すなわち、本当にイエス・キリストによる召命を与えられた神父あるいは牧師であるのかどうかという事項は、「神ご自身の決定事項なのであって」、決して教団組織、教会組織、指導層、指導者、その手続き等「われわれ人間の決定事項ではない」のである、ちょうど神の言葉の第三の教会に属する全く人間的な教会の宣教、その一つの機能である神学における思惟と語りが――あの「神への愛」と「神への愛」を根拠とした「神の賛美」としての「隣人愛」という連関において為される純粋なキリストの福音の告白・証し・宣べ伝え(実践)が――「キリスト教的語り(≪実践≫)の正しい内容の認識として祝福され、きよめられたものであるか、それとも怠惰な思弁でしかないかということは、神ご自身の決定事項なのであって、われわれ人間の決定事項ではない」ように、それ故に教会の宣教、その一つの機能である神学は、「『主よ、私は信じます。私の不信仰を助けて下さい』というこの人間的態度に対し神が応じて下さるということに基づいて成立している」ように(『教会教義学 神の言葉Ⅰ/1・2』)。イエス・キリストにおいて自己啓示された「神は夢の中でアビネレクに言われた。『わたしも、あなたが全くやましい考えでなしにこの事をしたことを知っている。だからわたしも、あなたが私に対して罪を犯すことのないように、彼女に触れさせなかったのだ』」(創世記20・1-7)。このように、ある人間的態度に対して、イエス・キリストにおいて自己啓示された「神が応じて下さる」という出来事の介在が必要なのである。
 神の言葉の第三の形態に属する全く人間的な「教会は、(≪あの神のその都度の自由な恵みの決断による「啓示と信仰の出来事」に基づいて≫)人間が神に聞くというこの一事によって――神が人間に語り給うゆえに聞き、神が人間に語り給うことを聞くというこの一事によって(≪徹頭徹尾、神の側の真実としてある、それ故に客観的現実性としてある、「成就と執行」としてある、「永遠的実在」としてある、主格的属格として理解されたギリシャ語原典「イエス・キリストの信仰」(律法の成就)――イエス・キリストが信じる信仰による「神の義、神の子の義、神自身の義」そのもの、このイエス・キリストをのみ信じるということ、このイエス・キリストにのみ感謝を持って信頼し固執し固着するということ、このイエス・キリストにおいてのみ完了・成就された個体的自己としての全人間・全世界・全人類の究極的包括的総体的永遠的な救済・平和にのみ感謝を持って信頼し固執し固着するということによって≫)、基礎づけられ、支えられているのである。(中略)このこと(≪あの神のその都度の自由な恵みの決断によって、啓示自身が持っている啓示に固有な証明能力、キリストの霊である聖霊の証しの力、起源的な第一の形態の神の言葉自身の出来事の自己運動、「啓示と信仰の出来事」≫)が起こるところ、そこではたとえ二人三人の集まりであっても、またこの二人三人が決して選り抜きの人でなくても、また高い水準にさえ達していなくても、またむしろ人間の屑(≪ドストエフスキー『罪と罰』のマルメラードフの告白にあるような人間の屑――「ただ万人を憐み、万人万物を解する神様ばかりが、われわれを憐んで下さる」、「神さまは万人を裁いて、万人を赦され」、「最後の日にやって来て」、「……われわれに、御手を伸ばされる。その時こそ何もかも合点が行く!……誰も彼も合点が行く」、「主よ、汝の王国の来たらんことを」という祈りと語りを為す人間の屑、自分を人間の屑と認識させられ・認識し、自覚させられ・自覚している人間の屑、それ故に前述した神父や牧師たち、教師たち等々とは根本的に差異性のある人間の屑≫)に属する者であるようなことがあっても、教会は存在する」、「(≪したがって、そうでない場合は、≫)どのような大群衆をその中に擁し、どのように優れた個人をその中に擁していても教会は存在しない。またそれが、もっとも豊かな生命を示し、国家と社会において、どのように尊敬されようとも教会は存在しない」(『啓示・教会・神学』)。

 前述したことを、観念・知識・思想の往相的な観点から考えれば、すなわち人間的理性や人間的欲求やによって一面的固定的に抽象された正義や善等の人間にとって良い面だけを語る学者、知識人、メディアの市民的観点・常識的観点から考えれば、特殊な人の犯罪であるとか・異常者の犯罪であるとか・一部の人の犯罪であるとか・自分とは縁遠い者の犯罪であるとかという言い方が可能である。しかし、その現にあるがままのわれわれ人間の現実的な人間存在の総体性から言えば、われわれ人間は、誰であれ、様々な感情や情念をも生きているということは確かなことである。したがって、思想の<往還>を念頭に置いて、観念・知識・思想の往相的な観点だけでなく、学者であれ、知識人であれ、ある組織性に生きる人物であれ、メディア的後光に生きる人物であれ、裁判官であれ、弁護士であれ、検事であれ、警察官であれ、医者であれ、看護師であれ、介護士であれ、教員であれ、聖職者であれ、仏教の僧であれ、キリスト教の神父や牧師であれ、道徳家であれ、倫理学者であれ、善人であれ、誰であれ、現実的な戦争とか愛憎問題とか生理的身体からやってくること等とかの不可避な「機縁」(契機)さえあれば、自分が意志しなくとも、人一人だけでなく多数の人を殺し得るし・様々な悪を行い得るという還相的観点(究極的観点)が必要なのであり、この還相的観点(究極的観点)において、形而上学一面的固定的相対的抽象的な市民的観点・常識的観点(往相的観点)を包括し止揚して、そこから超え出ていくことが必要なのである。何故ならば、そうしなければいつも人間にとっての一面しか語らないことになり、それ故に嘘を語ることになるからである。すなわち、人間の総体性は、そういう一面的固定的に抽象された在り方を許さないから、そういう一面的固定的に抽象された在り方は、人間の総体性から復讐されることになるのである。