2006年05月17日
街の食堂
昨日は大変つらい知らせがあった。
で、昨日の事を書きそびれてしまった。
昨日の昼食はこの頃流行の○○食堂ってけっこう大きなフランチャイズのお店で食べた。
立松和平さんのホームページの和平発言の中にこんな事が書かれていた。
相変わらずあちらこちらと旅をして暮らしている私であるが、最近は旅の楽しみがずいぶんと失われてきたように思う。車で走っていて、今どこにいるのだったか分からなくなることが、しばしばある。つまり、全国どこに行っても景色がたいして変わらないのである。
ことに郊外に行くと、全国チェーンの大型店が派手な看板を掲げて並び、全国同け風景を形成している。街の中心部に行けば、商店衛は駐車場がないためかさびれ、シャッターを閉めてシャッター通りと言われているところが少なくない。
そのとおりである。
昔は○○食堂と言えばガラスのケースに煮物や焼き魚などが陳列されていて
自由に取って後でお勘定してた。昼間からビールや酒も飲んでる人もいたりした。
東京暮らしがあったので思うのだけれど、このシステムはあまり関東にはなかった
様な気がする。(あったらゴメンナサイ)
資本力さえあれば街の○○食堂もこんなふうになってしまうんだなと思った。
むなしい気がした。
昨日は大変つらい知らせは知人が亡くなったということであった。
知らせを聞いたとき血の気が引いた。そして涙がでた・・・
ご冥福をお祈り致します。
こんな時代に生きてる私たちは幸せなんだろうかとつくづく思った。
