2018年03月01日

もうすぐ親父の百ヶ日。初めての喪主をつとめ右往左往しながら、
地元の伝統的習わし通りの超めんどうな法事法要をこなし、すべての名義変更やら継承手続きやら
なんやらかんやらしてるうちにあっという間の3ヶ月が過ぎようとしている。
身にしみる寒さも和らぎやがて春。
幾つになってももっと変わらなければと思う今日このごろである。

やっと落ち着いて親父のことを考える余裕が出てきた。
亡き父を知るまわりの人たちが口を揃えて言うには「ほんまにええ人やった、
仏さんみたいな人やった、あんな人はちょっとおらんに」。
(仏さんになってしもたけど)
告別式の翌日に行う御詠歌にはめずらしく沢山の檀家さんに集まっていただいた。
これも親父の人柄を表しているのかなあ。
確かに今どき考えられんほどのええ人やった。いつも自分のことより人のことしか考えてない、
良くも悪くも人のことを何よりも大事にする生き方しかできん人やった。
人の悪口など聞いたことがなかった。誰が何を頼んでもいつもにこにこして
むずかしいことも平気で引き受けるのでおかんにはしかられっぱなしやった。
言い方を変えれば、「ど」が付くほどのお人好しだった。
人と争うようなことはめったにしない、優しさのかたまりのような人だった。
器用で頭が良く働き者。会社へ出かける途中にバイクでひっくり返って血だらけになっても
そのまま出勤するような自分のことはあまり大事にしないというか、それでいてまったくと
言っていいほど欲のない人でもあったなあ。また、ものを大事ににする天才やったかもしれん。
だから天に助けられたとしか言いようのない奇跡的な出来事もあったりして。
そんな親父らしい誰にも迷惑かけるようなこともなくあっさりした最後やった。

自然を味方にすること、意図的にではなくそんな生き方ができれば
おそらく自分のためにも人のためにも世の中のためにも、いまいちばん必要なことかもしれない。

daruma musashilogos_mie at 20:39│コメント(0)│

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