2008年12月
2008年12月24日
世界で誰も成し遂げる事の出来なかった無農薬無肥料で奇跡のリンゴを作りだした、木村秋則氏というベンチャー起業家の話は衝撃的です。
木村氏が栽培する奇跡のリンゴは、現在、注文しても3年先まで予約がいっぱいで購入できないそうです。
左の写真は
そのリンゴとは
関係が
ありません。
この無農薬無肥料のリンゴの開発するまで、木村秋則氏は、隣近所から奇人変人扱いされ、全財産をこの開発に使い切り、誰も支援してくれなくなり、田畑も手放し、乞食のような生活をし、しかも自殺寸前まで追い込まれました。
苦節8年目にようやく世界中の誰もなしえなかった無農薬無肥料でリンゴを栽培することに成功したそうです。
特に品種改良の進んだ現代の
美味しいリンゴの栽培は、
収穫までに十数回の農薬散布、
大量の化学肥料の
投与なしに栽培はできません。
大量の農薬散布や
大量の化学肥料、
人工飼料の投与は
自然環境を破壊します。
養殖された動物・植物は、
自然環境では
生きていけなくなりました。
石川拓治(2008)「奇跡のリンゴ」幻冬舎
木村秋則氏は、農薬のために皮膚がかぶれ、1978年頃から無農薬無肥料でリンゴの栽培に挑戦を開始。最初の2か月間は順調でしたが、その後リンゴの葉は全て黄色く変色し落葉して枯れ木のようになる斑点落葉病にかかったのです。リンゴの木は、栄養失調の状態になりました。
この問題の解決のために農薬以外にリンゴの木を病害虫から守る方法をテストしましたが、病気や害虫を100%防げるものは何年経っても満足の結果の得られるものは、発見できませんでした。
リンゴ畑は、害虫で覆われ家族総出で朝から晩まで害虫を手で取り除き、隣のリンゴ畑に害虫の被害が及ばないようにしました。
毎年、このような繰り返しが2年、3年、4年、5年、6年目と続きます。春になってもリンゴの花は咲きません。
貯えていたお金も底をつき、貧乏のどん底に陥りました。
税金の滞納、借金のためリンゴの木にまで差し押さえ…
競売を逃れるため、必死で金をかき集め…
田圃、電話、車、トラクターもお金になるものは、全て人手にわたり、健康保険証も取り上げられ、子供のPTA会費も払えなくなりました。
終戦直後のような耐乏生活が、リンゴの木に花が咲き、実がなるまで何年間も続くのでした。
思いつくことは全て試しましたが、何一つ良い結果は得られませんでした。大量の農薬や化学肥料を使えば、リンゴは収穫でき元の生活に復帰できます。でも、あきらめるわけにはいきません。
1985年の春が過ぎ、夏を迎えるときも毎年のように朝から夕方までリンゴ畑で働き続けました。木村秋則氏の畑に800本のリンゴの木があり、枯れようとしています。彼はリンゴの木、一本一本に語りかけました。
6年間という経験と最先端の知識を投入してもリンゴの木は、相変わらず何も反応も示してくれません。
一つの失敗の度に、一つの常識を捨て、合計数千の常識を捨てましたが、リンゴの木には通用しませんでした。今までの経験や知識が何の役にも立たない世界に挑戦し、何千回という試練に耐え続けました。
1985年7月31日の夜、万策尽き首に巻くロープを持ち岩木山に登ります。誰にも見つからない所まで登り、死のうと思いました。
この木にロープをかけようと思い、持って来たロープを枝に投げつけました。うまくかかりません。ロープを拾いに山の斜面に下りかけると、月の光の下に野生のリンゴの木がありました。
そのリンゴの木が、農薬も肥料もない山奥の場所でなぜ立派なリンゴの木があるのだろうか。脳天を稲妻に貫かれたようになりました。6年間探し続けたことがやっと目の前に表れたのです。
森の木々は、
農薬や肥料は
必要なかったのです。
このリンゴの木の根元を手探りで掘り、土の匂いを嗅ぎ、
口に含んで味わいました。
この根元の土の温度と匂いと味を、リンゴの木に与えれば良いことを瞬時に悟ることができました。
木村秋則(2007)「自然栽培ひとすじ」創森社
その年、2個のリンゴが収穫できました。この無農薬無肥料のリンゴは、信じられないくらい驚くほと美味しかったのです。
その年、晩秋になって落葉するリンゴの木の75%が葉を残していました。
9年目の春に、畑一面にリンゴの花が咲きました。
Kasai
木村氏が栽培する奇跡のリンゴは、現在、注文しても3年先まで予約がいっぱいで購入できないそうです。
左の写真は
そのリンゴとは
関係が
ありません。
この無農薬無肥料のリンゴの開発するまで、木村秋則氏は、隣近所から奇人変人扱いされ、全財産をこの開発に使い切り、誰も支援してくれなくなり、田畑も手放し、乞食のような生活をし、しかも自殺寸前まで追い込まれました。
苦節8年目にようやく世界中の誰もなしえなかった無農薬無肥料でリンゴを栽培することに成功したそうです。
特に品種改良の進んだ現代の
美味しいリンゴの栽培は、
収穫までに十数回の農薬散布、
大量の化学肥料の
投与なしに栽培はできません。
大量の農薬散布や
大量の化学肥料、
人工飼料の投与は
自然環境を破壊します。
養殖された動物・植物は、
自然環境では
生きていけなくなりました。
石川拓治(2008)「奇跡のリンゴ」幻冬舎
木村秋則氏は、農薬のために皮膚がかぶれ、1978年頃から無農薬無肥料でリンゴの栽培に挑戦を開始。最初の2か月間は順調でしたが、その後リンゴの葉は全て黄色く変色し落葉して枯れ木のようになる斑点落葉病にかかったのです。リンゴの木は、栄養失調の状態になりました。
この問題の解決のために農薬以外にリンゴの木を病害虫から守る方法をテストしましたが、病気や害虫を100%防げるものは何年経っても満足の結果の得られるものは、発見できませんでした。
リンゴ畑は、害虫で覆われ家族総出で朝から晩まで害虫を手で取り除き、隣のリンゴ畑に害虫の被害が及ばないようにしました。
毎年、このような繰り返しが2年、3年、4年、5年、6年目と続きます。春になってもリンゴの花は咲きません。
貯えていたお金も底をつき、貧乏のどん底に陥りました。
税金の滞納、借金のためリンゴの木にまで差し押さえ…
競売を逃れるため、必死で金をかき集め…
田圃、電話、車、トラクターもお金になるものは、全て人手にわたり、健康保険証も取り上げられ、子供のPTA会費も払えなくなりました。
終戦直後のような耐乏生活が、リンゴの木に花が咲き、実がなるまで何年間も続くのでした。
思いつくことは全て試しましたが、何一つ良い結果は得られませんでした。大量の農薬や化学肥料を使えば、リンゴは収穫でき元の生活に復帰できます。でも、あきらめるわけにはいきません。
1985年の春が過ぎ、夏を迎えるときも毎年のように朝から夕方までリンゴ畑で働き続けました。木村秋則氏の畑に800本のリンゴの木があり、枯れようとしています。彼はリンゴの木、一本一本に語りかけました。
6年間という経験と最先端の知識を投入してもリンゴの木は、相変わらず何も反応も示してくれません。
一つの失敗の度に、一つの常識を捨て、合計数千の常識を捨てましたが、リンゴの木には通用しませんでした。今までの経験や知識が何の役にも立たない世界に挑戦し、何千回という試練に耐え続けました。
1985年7月31日の夜、万策尽き首に巻くロープを持ち岩木山に登ります。誰にも見つからない所まで登り、死のうと思いました。
この木にロープをかけようと思い、持って来たロープを枝に投げつけました。うまくかかりません。ロープを拾いに山の斜面に下りかけると、月の光の下に野生のリンゴの木がありました。
そのリンゴの木が、農薬も肥料もない山奥の場所でなぜ立派なリンゴの木があるのだろうか。脳天を稲妻に貫かれたようになりました。6年間探し続けたことがやっと目の前に表れたのです。
森の木々は、
農薬や肥料は
必要なかったのです。
このリンゴの木の根元を手探りで掘り、土の匂いを嗅ぎ、
口に含んで味わいました。
この根元の土の温度と匂いと味を、リンゴの木に与えれば良いことを瞬時に悟ることができました。
木村秋則(2007)「自然栽培ひとすじ」創森社
その年、2個のリンゴが収穫できました。この無農薬無肥料のリンゴは、信じられないくらい驚くほと美味しかったのです。
その年、晩秋になって落葉するリンゴの木の75%が葉を残していました。
9年目の春に、畑一面にリンゴの花が咲きました。
Kasai
(16:46)
2008年12月16日
昨日、ベビーヨガのプレス発表会が六本木ヒルズ49階で行われました。
49階からの夜景も、東京タワーのライトアップが20時からダイヤモンドヴェール・スペシャルレインボーに変わり、きれいでした。
ベビーヨガは、親と子のスキンシップを深め、子はやさしい両親の手によるマッサージやヨガにより、心身をリラックスさせ、親との相互信頼感を深めるというもの。
「子どもの心とカラダを守るのはママの手」ということで、来年2月に『ベビーヨガ セラピー』というDVDを発売予定だそうです。
Kasai
49階からの夜景も、東京タワーのライトアップが20時からダイヤモンドヴェール・スペシャルレインボーに変わり、きれいでした。
ベビーヨガは、親と子のスキンシップを深め、子はやさしい両親の手によるマッサージやヨガにより、心身をリラックスさせ、親との相互信頼感を深めるというもの。
「子どもの心とカラダを守るのはママの手」ということで、来年2月に『ベビーヨガ セラピー』というDVDを発売予定だそうです。
Kasai
(11:48)
2008年12月15日
「エコプロダクツ2008」が
12/11〜12/13
東京ビッグサイトで
開催されました。
今年は、
バイオマス総合展
も同会場内で
開催され、
3日間で
約17万人の来場者があったとのこと。
会場内は、かなり
混んでいました。
バイオプラスチックのコーナーには
お米からできた
バイオプラスチック
でつくられたお箸や
フォークなどもありました。
例の「事故米」も
本当はこういうところに使うべきものだったのですね。
国産の間伐材を
利用した
「森のつみ木広場」というコーナーもあり
日本の森林の現状や森の大切さをつたえていました。
森林保護のためには木材を使わない方がよい、という声もありますが、
かつての日本は、木を使うことによって森林を保持してきたということです。
月と森と木の秘密についてこちらのページでご紹介しています。
Kasai
(12:29)
2008年12月10日
2008年12月06日
もう街はクリスマスのディスプレイ一色ですね。
左の写真は、
六本木にある
ゴトウフローリストの
ウィンドウ
ディスプレイ
ここの
ディスプレイは、
クリスマスに限らず
いつも斬新なデザイン
そして六本木ヒルズのクリスマスイルミネーションは、今年で6回目。
昨年より1万灯多い約43万灯の白色・青色LED(発光ダイオード)が、
六本木けやき坂通りを「雪の並木道」に演出ということだが、
それよりも、六本木ヒルズの毛利庭園の方から眺める景色がいい。
クリスマスに限らず、夕暮れ時など特に美しい。上の写真で明るくなっているところ「ミュージアムコーン」には、
下の写真のように小さな木がいくつも並べてあるのです。
とてもシンプルでいい感じです。
でもクリスマスが終わったらその木をどこかに植えてほしいけど…
そして、ほのぼのなのは、昨年も紹介したこちら
今年も同じように赤いリボンで飾られていました。
Kasai
左の写真は、
六本木にある
ゴトウフローリストの
ウィンドウ
ディスプレイ
ここの
ディスプレイは、
クリスマスに限らず
いつも斬新なデザイン
そして六本木ヒルズのクリスマスイルミネーションは、今年で6回目。
昨年より1万灯多い約43万灯の白色・青色LED(発光ダイオード)が、
六本木けやき坂通りを「雪の並木道」に演出ということだが、
それよりも、六本木ヒルズの毛利庭園の方から眺める景色がいい。
クリスマスに限らず、夕暮れ時など特に美しい。上の写真で明るくなっているところ「ミュージアムコーン」には、
下の写真のように小さな木がいくつも並べてあるのです。
とてもシンプルでいい感じです。
でもクリスマスが終わったらその木をどこかに植えてほしいけど…
そして、ほのぼのなのは、昨年も紹介したこちら
今年も同じように赤いリボンで飾られていました。
Kasai
(19:11)
2008年12月01日
東京タワーは開業50周年を記念して、今日12月1日から新ライトアップが点灯された。
今日18時頃、いつものように東京タワーのライトアップがなく、
50の文字だけが
浮かんでいました。
何事かなと思ったら、
その後
(18時30分から)
新しいライトアップ
「ダイヤモンドヴェール」が
輝いていました。
ダイヤモンドをまとったように見えるデザインで、点灯時に3〜5分かけてじわじわと明るくなる照明を採用し、6億円をかけて276台の照明を新設。消費電力は従来のライトアップ「ランドマークライト」の半分という。
開業記念月間にあたる12月中は「ダイヤモンドヴェール」のうち、7色を生かした「スペシャルレインボー」と、純白に包む「ホワイトダイヤモンド」を、従来のライトアップ「ランドマークライト」と交代で点灯させるそうだ。
Kasai
今日18時頃、いつものように東京タワーのライトアップがなく、
50の文字だけが
浮かんでいました。
何事かなと思ったら、
その後
(18時30分から)
新しいライトアップ
「ダイヤモンドヴェール」が
輝いていました。
ダイヤモンドをまとったように見えるデザインで、点灯時に3〜5分かけてじわじわと明るくなる照明を採用し、6億円をかけて276台の照明を新設。消費電力は従来のライトアップ「ランドマークライト」の半分という。
開業記念月間にあたる12月中は「ダイヤモンドヴェール」のうち、7色を生かした「スペシャルレインボー」と、純白に包む「ホワイトダイヤモンド」を、従来のライトアップ「ランドマークライト」と交代で点灯させるそうだ。
Kasai
(21:51)