July 2015

July 31, 2015

小路からのぼるblue moon0731

夕刻、小路の間から満月が見えた。
まるいまるいおおきい月だった。
今日は金曜ということもあったのだろう、
僕の心は高揚していた。

友人に案内され、
米山にある多国籍料理のお店に入り、
各国のビールが幾種類も
用意されている中で、
僕は、オレンジが添えてある
blue moonというビールを選んだ。

そう今日は、
月に2回満月が訪れる
ブルームーンが見れる日。
そんな日に、
このビールを飲むなんて、
なんていきすぎたロマンティックな男
なんだと、
少し陶酔気味に、
今日という特別な日を迎えていた。

今日で7月が終わる。
夏の休暇を全て消化してしまった
僕にとって8月9月に
長い休みをもらって
何処かに旅に行くということは
なくなってしまったが、
こうして街中で世界中の料理を
味わうだけで、
いつだってどこにだってTripできる。

さあ8月もLet`s Trip!


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July 30, 2015

おばあ0730

別れ際にはきまって涙を流し、
いつまでも仲良くねと言って、
僕らと握手を交わし、
2階の窓から、
いつまでも手を振ってくれた。

リサが話すおばあは、
僕に沖縄の不可思議な魅力を
植えつけてくれた。
いつだって、おばあは、
知らないはずのことを知っていたり、
時空を越えていたのだった。

命は消えてしまったけど、
おばあの魂は、
もしかしてこれで、
より一層自由になれたのかもしれない。

以前住んでいたという
前島に自由に行けますね。
今も一人暮らしている
おじさんを応援できますね。

本部に住んでいる
お父さんの家に
また遊びに行けますね。
お父さんたちの暮らしぶりをみれば、
なぜあの場所を選んだか、
わかりますよ。

新潟にも来たいって
言ってくれてましたよね。
いつでも歓迎します。
また楓を抱いてやってください。

おばあがいてくれたからこそ、
今こうして楓が
僕らのもとにいるんです。
おばあがいなければ、
リサと出逢うことはなかったし、
ましてや沖縄と繋がりが
できることはなかった。
道筋をつけてくれて
ただただ感謝です。

そして、どうかこれからも、
末長く僕らのことを
お見守りください。






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July 29, 2015

性善説0729

息を潜めている。
そんな表現が職場での過ごし方を
現すにはぴったりだと、
僕は、ノートパソコンの画面に
身を沈むよう屈み、思っていた。

以前、上司だったある人が、
勤務が終わり、帰り際、
僕の近くを通るとき呟く声が聞こえた。

これで拘束された時間から解放され、
自由になれる、と。

責任ある仕事をしている者としては、
あるまじき発言と
言われるかもしれない。

それが、
でもその一言に僕は、
その上司の人間性が伺え、
好感を持ったのだった。

僕らの仕事は、
決まった時間に与えられたことを
粛々と遂行する。
そうすることが良しとされている。
枠から外れたことをすることは、
業務外という考えだ。

仕事を取ってきた、
それは喜ばしいことより、
迷惑がられることが殆どだろう。

そこに、公務に携わるもののの、
弊害を感じずにはいられない。
家庭を養うために粛々と息を潜め、
仕事をする。

人間性を軽んじているような、
法案がまかり通ろうとしている
このご時世でも、
その人の人間性までも疑いたくないと
思うのは、
僕も組織が決めた枠から
外れることなく、
粛々と仕事をする側の
人間だからなのか。




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July 28, 2015

あのひとは元気ですか0728

朝、6時過ぎに家を出ると、
普段はその時間に
外にいることなんかないのに、
子どもたちが、
小さなカードを手に、
歩いていたりする。
おそらくラジオ体操に行くのだろう。
それだけでも、
夏休みのにおいが漂ってきていた。

僕の頃はどうであったのだろうか、
毎日行って、カードに判子を
埋めるということに、
義務感をしいたげられて
いたような気がする。

そして、上級生が前に立って
リードしてくれる役目が、
いずれ僕らにまわってくることに、
おそれを感じていた記憶がある。
でも、それからの記憶が
ぽっかりとない。
もしかして、ラジオ体操は
なくなってしまっていたのか。

そんなことを思い出していたら、
ラジオ体操があった公園であった、
甘酸っぱい記憶を呼び起こしてくれた。

あれはバレンタインの日、
女の子に自宅の前で呼び止められ、
伝えたいことがあると、
僕らはその公園に行った。

近所に公園は2つあって、
それを上の公園と下の公園に
呼び分けていた。
上の公園は、住宅団地の中にあり、
下の公園はそこから階段を下り、
林の中の小径を歩いていくとあった。

ラジオ体操の会場になったのは、
下の公園で、
僕らはそこに行った。
放課後から暫く経っていたが、
まだまだ外は明るかった。

その公園の奥の高台で、
僕は告白された。
初めての経験だったから、
正直嬉しかった。
でも僕には好きな人がいた。
だから、
気持ちは嬉しいけど...と
断ったのだった。

でも彼女は、
何度も何度も言い寄ってきて、
しまいには泣いてしまっていた。

僕はその様子に、
気持ちがぐらついていた。
そこまで言うのならばと、
僕は情に流され、こう言った。
じゃあ、付き合ってみようか、と。

しかし、気が動転していた彼女には、
それが届いていなかった。
それに気付き、我に戻った僕は、
もう一度その言葉を
いうことはなかった。

たまに思う。あの時、
その彼女と付き合っていたら、
その後の人生に少なからず
影響がっただろうと。

その春、彼女は、
僕が希望していた高校に入っていき、
僕はランクを下げた
高校に入ったのだった。

多分、人生は小さな選択の連続で、
だけどその選択を振り返ると、
人生の岐路になっていることも
よくあることだ。

だからこそ人生は、
ワンダーフルだし、
アメージングなんだろう。

今度実家に帰ったら、
20年ぶりぐらいに公園と公園を繋ぐ
あの小径を歩いてみよう。
また何かを思い出すかもしれない。




  



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July 27, 2015

LIFEでピザ4枚0727

音楽に救われたというと
いいすぎのような気がするし、
音楽と絆を深まったといった方が、
相応しいような気がする。

音楽が自ら選択し、
好んで聴きだしたのは、
多分小学の高学年になった頃
だったと思う。
その頃は、
周りがいいというものは
なんでも聴いていた。
他人の判断基準に委ねていた
のかもしれなかった。

音楽がぐっと歩み寄ってきたのは、
おそらく高校生になり、
長期の入院生活を
送ることになったときだったと思う。
音楽についてよく教えてくれた友人が、
一本のテープに色々な曲を集めたもの
を作って持って来てくれたのだった。

本も読むこともままならず、
ただただベッドの上で
やり過ごしていた僕は、
そのテープをラジカセに入れ、
イヤホンを耳に当てた。

ビートルズが、
Hello  Helloと歌い、
LRが、Bye Bye Popsicle と
歌ってくれた。
僕はその時初めて、
音楽が自分に
語りかけているような
気持ちになったのだった。

それからというもの、
僕は背伸びせずに、
自分に寄り添ってくれるような
音楽を探した。

男だらけの寮生活をしているときは、
選ぶ音楽は女性ボーカルの曲だったし、
一人暮らしを始めたときは、
孤高のアコースティックのシンガーの
曲を好んで聴いた。

人と分かち合いと思い始めた頃、
近くで寄り添ってくれているような
RallyeLabelのアーティストを知った。

そして、今僕は、
あの頃聴き逃してしまったような
曲たちを、貪るように聴いている。

でも、あの頃より、迷いはない。
だってあの頃より
自分を知っているから。

音楽は、僕の肉体がある限り、
寄り添ってくれる、そう思う。





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July 26, 2015

おれたちのフジロック0726

親との確執がはじまったのは
いつだったのか、
それを定めるのは容易ではないが、
今でも思い出すあの事は、
一つの大きな出来事であった。

それは、高校受験を控えた夏、
成績は下降線を描き、
希望する高校どころか、
ランク下のそれも危うい状態であった。
そんな時でも、
生まれ持った資質というのか
欠陥というのか、
どうにかないさあ、と思っていた僕は、
夏の楽しみを見つけていた。

それは、野外音楽イベント
「ポップロケッツ」に
友人たちと行こうと企てていた。
その年は、過去に語り継ぎれるほど、
粒揃いのアーティストが
揃ったのだった。

X  や ZIGGY やBAKU や
リンドバーグやユニコーン、
ジュンスカなど。
中学生には、興奮するメンツだった。

僕は親に、行きたいと伝えた。
いや、行く、と
もはや断言していたの
かもしれなかった。

だが、親は決して許してくれなかった。
当然の判断だろうと、今ならわかる。
しかし、その判断に
ことごとく反発した。
そして、言った。しね。と。

結局行くことが許されず、
僕は悶々とした
夏休みを過ごすことになる。
そして、そのせいか、
そのおかげかわからないが、
高校受験は希望高からランクを下げた
高校に収まることなった。

夏休みの時期になると、
決まってこの出来事を思い出す。

確執、諦め、挫折、
そんな連想が夏に巡り巡ぐってくる。

そういえば、
ちょうど2年前
フジロックに行くためチケットが
買ってあったが、
リサの妊娠がわかり、
行くことは断念し、
急遽人に譲ることになった。

あれから2年、
楓がうまれ、ますますフジロック、
などの野外音楽イベントは
行きにくくなったような気がする。

だけど、耳を澄ませれば、
過去からも、未来からも
音楽が聴こえてくる。
おれたちのフジロックが。



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July 25, 2015

レモネード0725

届いたドリンクディスペンサーに、
レモネードを入れようと思ってから、
そういえば、
過去にレモネードと
歌った曲があったなと思い出していた。

それはそれは、
何度も聴くような
大好きな曲だったというより、
レモネードというフレーズと、
情景が相まって記憶した淡いものだった。

暗くなった駅前の広場では、
丸く組まれた球状のミラーボールに、
照明があたり、
辺りにきらびやかな光を放っていた。

お客さんと話を交わすリサと、
友人に囲まれ楽しそうに過ごす楓、
どちらも頼もしく思えた。

お父さんは、まだここに、
石で組まれた水場があったとき、
その前で友人と一緒に野宿したんだよ、
と思い出していた。
それは、エックスのLIVEが新潟であった時、
20年前ぐらいのことだった。

そして同時に、レモネードと歌った
あの曲も思い出していた。
それは、Spiral Lifeというユニットが
MAYBE TRUEという曲でだった。
車谷浩司の鼻声の歌声が印象的だった。

当時の車谷浩司を知ったのは、
BAKUというバンドで
ギターを弾いていたときだった。
フジロックの前身ともいえる
ポップロケッツで彼のプレイを観た、
友人が彼のギターは凄かったと、
言っていたことを今でも覚えている。

夏は、フジロックとポップロケッツと
駅南とXと車谷浩司と
季節が巡っていた。

それは、過去から今、
そして未来へ紡ぐまさしく
スパイラルライフ...



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July 24, 2015

ディスペンサーに何を入れよう0724

今年は夏期休暇を早くにとってしまったから、
僕の夏は終わり、
これから
どんな心持ちでいればいいのだろうと
思っていた。

でも、そんなことはなかった。
今まで巡り巡ってきた夏の肌感覚は、
記憶され、
夏の高揚や、開放感や、気怠さなんかの
足音は確かに僕にも歩み寄ってきている、
そんな気がした。

ラジオのパーソナリティがいっていた。
1年の中でも特に8月は短く感じる、と。
そうなのだ、夏は儚くもあるのだ。

注文していた8リットルのガラス瓶の
ドリンクディスペンサーが届いた。

ヴィンテージスタイルの透明の保存容器に、
炭酸水なんかを入れ、
レモンや苺を浮かべておく。
とても涼しげだ。

置いておくだけで、
清涼感とお洒落感が味わえる。
これからの季節に最適。
ホットコーヒーをいれることを
生業していたけど、
夏の間は、
こいつに引導を渡してしまうことになろう。

・・・なんとも引きつった感じの、
紹介文のようだが、それもそのはず、
レビューを投稿すれば送料無料、
お店側も、顧客側も、メリットがある。

通販サイトで、不自然で誇張気味な
レビューを見つけたら、
それは僕のものかもしれない。

そういえば、某コーヒ豆通販サイトで
書いたレビューも、
なんかくすぐったい文だったな。




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July 23, 2015

喉にすっと落ちていく大好きだったあの子0723

久しぶりに呑む日本酒は、
喉にすっと落ちていった。

ああ美味しいと
素直に思える自分がいた。

下半期はお酒に頼らない
生活をしようと決めてから、
何度か呑んでしまっていたが、
前より欲するものではなかった。

自分がここで書いたことが、
言霊として僕を律しているのか
とも思えた。

ともかく急になんだか
お酒が美味しく感じなくなり、
とうとう本当に
お酒とさらばする日が近いのか
と思った。

でも、今日のお酒は、
美味しく感じた。

せきとりのツマミが
美味しかったせいかもしれない。
でも僕はこう思いたい。
胃がリセットされた、と。
毎日のように呑んで、
溜まっていたお酒の
濁りカスのようなものがなくなり、
僕の胃はまた綺麗になった、
のではないか。

帰ると、反射的に
僕はお酒の栓を開けていた。
自分が本当に欲しているのか、
問うこともせずに。

この空白の期間は、
お酒との向かい方を
再考させてくれていたようだ。

僕はこれからも、飲み続けるだろう。
でも、
呑まなくていられる術を覚え、
お酒を嗜む味覚を取り戻した。

毎日から離れる、
それだけでも考えるキッカケを
与えてくれる。

どうだろう、このブログも、
毎日から離れることも
必要ではないだろうか。

一週間、二週間、
いや一か月ほど書かない期間を設ける、
なんて、どうであろう。

そうすれば、リセットされて、
清らかな一文が
書けるようになったりしないだろうか。

いやまてよ、
そもそもこのブログは、
排泄物のようなものだ。

清らかである必要なんてないし、
1日1便でも足りないのかもしれない。







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July 22, 2015

あんぱんぱーんち0722

そうだ!おそれないで〜
みんなのために
あいとゆうきがともだちさ〜

このきょくがながれると、
おもいだすよー
とーちゃんとふくおかでいった
アンパンマンミュージアム!
いっぱいいっぱいあそんだ!!

いちばんのおいしかったおもいでは、
あかちゃんまんの、かおがたのパンを
たべたとき!
ねおきでおなかがへっていたから、
いきおいよく
ぜーんぶたべちゃったんだ。
なかにヨーグルトあじのクリームが
はいっていてすごくおいしかった。

とーちゃんは、
そんなわたしをみて、
それはともぐいっていうだよって、
わるいかおして、にやついていました。
ちょっと、きみがわるかったけど、
たのしいばしょにつれてきてくれて
かんしゃでした。

あと、
あんぱんまんのうたをうたいながら、
とーちゃんはこんなことを
おしえてくれました。

このうたは、
あんぱんまんをつくった
やなせたかしおじさんが
おとうとをかいたうたなんだって。

そのおとうとはせんそうで、
じぶんから
おそらからピューって、
てきのなかにおちていって
しんじゃったんだって。

それをきいて、わたしは、
おしっこをちびってしまいました。
せんそうは、
それがいいことだって
しんじられていたんだよって、
とーちゃんは、こんどは、
まじめなかおをしていいました。

わたしは、せんそうこわーい
とおもいました。
せんそうはぜったいやだよー。

せんそうしたいひとがいたら、
わたしがやっつけてやる!

あんぱんぱーんち 
ってね!


かえで









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July 21, 2015

I CAN FLY!!0721

ここじゃないどこかへ。

僕の頭の片隅に、
いつも、
もたげている想いである。

ただし、強い思いではない、
頭の中で遊ばせている、
そんな表現が相応しいかもしれない。

長い休みをもらった時は特に、
そんな想いが浮上する。

現実の世界に戻りたくない。
ここじゃないどこかへ。

今回は、土日祝日を除いて
8日間の休みをもらった。
それでも、
支障はないかのように、
仕事はまわっていた。

ああ、僕は、
ここでいいのかもしれない、
と思った。

長い間いなくなっても、
何もなかったかのように、
こうして戻ってこれる。
それは、
お前なんかいてもいなくても
一緒だよっていうことかもしれない。

でも僕はそのぐらいが、
ちょうどいい。
期待されて、
そこにいなければならない存在と
なったら窮屈に感じてしまうだろう。

いつでも、飛び立てるぜ!
というスタンスが心地よい。

思い出す。
映画「ピンポン」でペコが、
橋の欄干に立ち、こう言う。

I CAN FLY!!

そう、いつだって飛べるし、
ここじゃないどこかだって行ける。

だれかが、
YES、YOU CAN FLY!!!
って言ってくれればさえ。

感謝です。







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July 20, 2015

永井さん0720

リネンのシャツに袖を通し、
僕はそこで、
その人の名前を聞いた途端、
葉山の気持ちいい風を感じていた。

ああこれは、買わないわけには
いかないなと思った。
おそらく人生最短の
1分足らずの即決だった。

もともとは、
その人と初めて会った場所が
エフスタイルだった。
旧店舗で、
詩を朗読するワークショップが
あったとき、
僕はその人の書籍にあった、
コーヒーにまつわる一節を
朗読したのだった。

その時の名残があるその場所に
新たに入ったso littleというお店で、
その人が着たシャツが置いてあるのは、
偶然ではないのだろう。

永井宏さん
僕が書籍で持った印象とは、
だいぶ離れた風貌だった気がするけど、
このシャツを永井さんは
着ていたかもしれない、
そんな風に思える。

永井さんの紡いでいたものを
色々な人が繋いでいる。

ある人は場で、ある人は衣服で、
ある人は詩で、ある人は歌で、
ある人はコーヒーで、

永井さんは永遠なんだと思う。









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July 19, 2015

下半期チルアウトスポットノミネート有力作品0719

小さな生徒が座っていた椅子に、
楓を座らせて、
窓からみえる校庭を見ていると、
只ならぬ安堵の気持ちがうまれていた。

ビールも呑めるという、
おそらく給食室があっただろう場所で
夕暮れ時呑んでいる時間を
想像するだけで、場所が場所だけに、
わるい気持ちがより光悦感を
引き立たせるそんな気がした。

もともと僕らが住む風景の中に、
いつもあって、
だけど、訪れることはなかった
そんな場所に僕はこうして今いる。
それだけで、
街がまた違ってみえ、
奥行きが生まれる。

それは、3年前にも
万代島旧水揚場でも同じように
感じていた。

水と土の芸術祭2015が始まった。

僕らの家の程近い場所にある
旧二葉中学校も会場として使われる。

本当に開催するのかと思うほど、
ひっそりと静かに進行していた。

それもそのはずだ、
ベースキャンプとなるその場所は、
学校としての
ほとんどそのままの形で、
使われていた。

下駄箱、配膳室、長い廊下、
教室、理科室、洗面所、放送室、
スローガンが掲げられた体育館。
それはまるで生徒の息づかいを
まだ感じることができるかの
ようだった。

僕が安堵感を感じることができる場の
条件というものは、
おそらく過去そこで過ごした営みを
感じることが出来るかのどうかの
ような気がする。

祖父母が暮らしていた今の家も、
漁船であげられものをそこで
さばいていた万代島旧水揚場も、
中学生が学校生活を送っていた
旧二葉中学校も、
僕が安堵を感じることができる条件が
揃っていた。

ああ、いい。
窓からみえるグランドと
その奥に広がる海をみながら、
ビールを一杯なんて最高だろう。

早くも2015年下半期チルアウトスポット
最有力候補の登場である。






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July 18, 2015

憧れも、初恋も、永遠なれ0718

なんとなく最近イライラしやすくなった。
そんな時、
マブヤーを落としたのではないかと、
沖縄の人のように思う。
マブヤーは沖縄の言葉で魂という意味。

確かに、気力がない人を、
魂の抜け殻みたいだというし、
また、
根性のある人を見かけると、
魂の固まりだといったりする。

僕はむせび泣いていた。
悲しい歴史があったということより、
天真爛漫で無垢で純真で清らかな魂が
そこにあったということに。

70年前沖縄で、
たくさんの
天真爛漫で清らかなマブヤーが落とされた。

僕が落ちていたと思っていた
マブヤーは、
拾い上げられ、涙で洗い流され、
少し綺麗にしてもらった気がする。

マームとジプシー「coccoon」

落とされたマブヤーは、
決して消えることなく、
今もなお沖縄の大地で歌をうたっている。

悲しい歴史は繰り返してはならない。
けど、清らかなマブヤーが歌う唄なら、
いくらでも繰り返してもいいと思う。

次に沖縄に行くときは、
そんな歌を聴きにいこう。

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July 17, 2015

ダージリンティ0717

今回の旅先では、
コーヒー屋の豆を
買って帰ることはなかった。
コーヒーを、
飲まなかったわけではないし、
美味しいコーヒーが、
なかったわけではない。

僕はうすうす気付いていた、
コーヒーは、
そこでのみ光輝く、原石のようなもの、
ということに。

その場所で淹れてもらって飲む
コーヒーがベストで、
そこから持ち帰ったコーヒー豆で、
淹れてもその味を再現するのは難しい。

朝起きて、長旅の疲れからか、
身体の怠さを感じつつ、
すっかりコーヒー豆の
在庫を切らしてしまっていたことに気付き、
コーヒー豆を買ってこなかった
言い訳のようにそんなことを思っていた。

早朝、コンビニに駆け寄り、
アイスコーヒーを流し込んだ。
でも、旅先でも幾度と飲んできた
コンビニのコーヒーを飲んでも
新潟に帰ってきたという
実感は伴ってこなかった。

昼になり、ご飯を食べに、
SugerCoatに立ち寄った。
店主と友人たちが僕ら迎え入れてくれた。
そこで流し込んだダージリンティと、
キーマカレーをベーグルに乗せて
食べていると、
ようやく新潟に帰ってきた実感が
してきたのだった。

そうだ、僕も家に帰って、
コーヒー豆の焙煎をしよう。
焙煎し、淹れるコーヒーが、
そこだけの味になるはずなのだ。
それが、自信あるものなれば、
飲んだ人は喜んでくれるはずだし、
それを求めて、人は来てくれる。

僕らも、あの場所にくれば、
帰ってきたという気持ちになれる
そんな場にしたいね、スイモン店主。







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July 16, 2015

台風一過0716

朝、僕らは、
沖縄の父が運転する車に乗って、
那覇空港に向かっていた。
同じ沖縄といえ、
北部と南部は景色が違う。
緑や海が目に前に広がる北部と、
米軍演習場の気配を感じながら通る中部と、
所狭しと建物が密集する南部とは、
どこも沖縄らしい風景なのは
間違いなかった。

その道を何度通ったのだろう。
もうその風景が見慣れてしまったのか、
僕に高鳴る思いというものが
薄らいでいるのを感じていた。

沖縄で父と別れ、
僕らは福岡経由で沖縄に向っていた。
福岡空港に着き、次の新潟便の出発まで、
ぼんやり空港にあったテレビをみていた。

衆議院の安保関連法案の閣議決定を
されるところだった。

そこに座る人に、
それを熱心に見る人はおらず、
台風の影響で飛行機が無事に飛ぶか、
最大の関心毎に思えた。
僕も賛成案と反対案を熱く語る国会議員を
横目で落ち着きのない楓を
静止するのがやっとだった。

僕は、井上陽水の「傘がない」という
歌を思い出していた。

「テレビでは我が国の将来の問題を
誰かが深刻な顔をしてしゃべってる
だけども問題は今日の雨 傘がない」

良くないと思いつつも、
人は目先の事に縛られる。

奇しくも井上陽水は福岡出身。

政治家だって、
自分の家族や近しい友人や
目先の存在が気になるものだろう。
そうだろ? 



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July 15, 2015

さる山を眺めるより人が好き0715

楓は、相変わらず、
どこにいっても、誰に対しても、
愛想を振りまいている。
動物園に、水族館にいっても、
一番興味があるのは、
動物でも魚でもなく、
周りにいる人たちだった。

楓が大きくなったら、
何に興味を示すのだろう。
学校に行ったら、
どんな生徒になるのだろう。
沖縄の学校に進学なんてことも
ありかもしれない。
そこで、
日本が歩んできた歴史を知って
自然の風土を感じて、
日本に生まれたという
アイデンティティーを十分に認識して、
世界に飛び出していってほしい。

人が大好きという気持ちのままで、
色々な人と、色々な国々の人と、
様々な価値を持つ人たちと、
友だちになって下さい。
世の中に本当にわるい人なんていません。

子どもは未来や夢、だなんて、
よくきくけど、
親になって、それはしみじみ共感する。

僕は、子どもの未来が
楽しみで仕方ない。
子どもだけじゃなくても、
家族の思い描く未来を叶うことを願う
誰にも迷惑をかけない
そのささやかな小さな夢を
どうかそっとしておいてください。

今こうして新潟と沖縄が
当たり前に行き来でき、
色んな場所に自分の意思で行けて、
人と人とが、国と国とが、
未来永劫、友好であることを願います。


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July 14, 2015

ニーハオ0714

楓がうまれて、
どう育てたいかということより、
何処に一緒に行って、
何を一緒にしたいかということの方が、
僕にとって、
大事にしておきたいことだった。

そんなものの一つに、
美ら海水族館があった。
普段は足を遠ざけがちな
そんな施設に僕は、
すすんで足を運んでいる。

福岡では、動物園にも、
アンパンマンミュージアムにも
行った。
いつかディズニーランドや遊園地にも
連れて行きたい。

まだ1歳の楓が大きくなっても
覚えていないこともわかっている。
でも、連れて行きたくなるのだ。

多分、僕が幼いときの、
淡い記憶の中に、
いつか行った家族との思い出の中に、
楽しかった記憶として
残っているのだろう。

美ら海水族館に入ろうとしたが、
楓は一向に昼寝から
目を覚まさなかった。

ベビーカーですやすや眠る楓を
横目に、
水族館に向かう観光客の多くが、
中国や台湾の人たちのようだった。

いつまでも起きない楓も、
外にいるときが、
一番落ち着くときと言っているようで、
そこは父に似ていると思うと、
なんだか嬉しかった。

ちなみに水族館での魚たちの
楓の反応は今いちで、
水槽を眺める人たちを目で追っていた。







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July 13, 2015

やちむん0713

明け方、目を覚ました僕は、
沖縄の父にローソンの街カフェで
コーヒーを飲みに行こうと誘われ、
モーニングコーヒーを飲みに行った。
午前6時前は、
まだ車通りもなく、
夜中未明降った雨で路面は濡れていた。

コーヒーを手に、
渡久地港の船溜りに座っていると、
カニが群れになって波打ち際に並び、
波しぶきを浴びていた。

そんな風景をぼんやり眺めながら、
沖縄に来たことを実感し始めていた。

職場のパソコンの
スクリーンセーバーの写真は、
去年1月に読谷村の座喜味城で
撮ったものだった。
その時はまだ、
母のお腹の中に楓がいて、
今か今かと、
親も子も待ちわびている時だった。

そんなことを思い出しながら
そこで作られた、
やちむん焼きをお店に置く、
それはそれで素敵なことをだと思った。

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July 12, 2015

ホルトノキ0712

台風9号の影響はなかった。
僕らは、
昨夜鹿児島から沖縄に渡っていた。
那覇空港から、
沖縄北部にある本部町まで車で約1時間半。
僕らのもう一つの家と
言いたくなる場所がある。

昨年9月ぶりだろうか。
来るたびに少しずつ変化をしている
この場所は、
今回は中庭にあるテラスが、
シンボルツリーのホルトノキの
周りに板を敷き詰め、
少し大きくなっていた。

ホルトノキも、初めてみた時より、
随分大きくなって、
一本の大木としての貫禄が出てきた。

僕はここに来ると、
まるで何もしない役立たず者の
ようであるが、
ここがまだ雑草が
生い茂った林だった時から、
母屋が建ち、隣にゲストハウスができ、
今こうして成長する草木や楓とともに、
ここの馴れ初めを、
知っているということは、
特別な場所であることには
違いはなかった

https://m.youtube.com/watch?v=O3qNa-oodIs

ちなみに今日は、
本部町にあるドコモショップと
サンエーと沖縄そば屋しか
行っていない。
もう沖縄県民かもしれない。








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July 11, 2015

桜島0711

朝、目を覚めて、
ここはどこだっけと少し迷う、
それがここ何日か旅を続けてきた証の
ような気がして心地良かった。

3人で寝るには狭く感じるベットで
目を覚ました僕は、
ズボンだけ履き替えて外に出た。
外は湿気を多く含んだ生温い空気に
包まれていた。
路面は濡れていたが、
雨は降っていなかった。

静まり返った繁華街を抜け、
照国神社の裏から入る誰もいない
遊歩道を歩いた。
3年ぐらいになるのだろうか、
以前ここを登った時も一人だった。

遊歩道を20分ぐらい登ったところで、
視界が広がる。

鹿児島市街、錦江湾が一望が出来、
その向こうには雄大な桜島が見える。
今もまた小さな噴火を繰り返していた。

ここに来てこの眺めを見ることで、
鹿児島に再び来たことを、
実感したのだった。

鹿児島に訪れることになったのも、
そして、その時出会ったことが、
今こうして
再び来ることになったのも、
そもそもは
友人夫婦がきっかけだった。

会いたい人がいるところには、
会いたかったものがあって、
会いたかった風景がある。

それは、どこにいても
感じることであった。







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July 10, 2015

福岡から鹿児島へ0710

欲望を吐き出す術を知っている街、
福岡
それは子どもに対しても、
同じだった。

いつだったからか、
映像でそのシーンを目撃して、
記憶に留まっていたことがあった。

そのシーンを思い出すたびに、
僕はその映像を探した。
でもいくら探しても、
肝心な映像は出てこなかった。

それは、
絵本作家の荒井良二さんが、
スウェーデンの
絵本文学に権威がある
アストリッド・リンドグレーン賞を
受賞したステージの上で、
彼はアコースティックギター片手に、
歌をうたっていたシーンだった。

なんの曲かわからなかったけど、
心に響く優しい歌声だった。

あれから何年経ったのだろうか、
偶然楓と訪れた福岡のデパートで、
それを目撃することになった。

そこでは、
荒井良二の個展が開催されており、
また近くでは、
アンパンマンミュージアムがあり、
さらに近くの美術館では、
絵本の企画展が開催されていた。

いい意味ででもわるい意味でも、
人工的で作為的に街は施している。

福岡は商人の街であった。
欲望の対価を金銭で支払う。

そんな印象を持ったのだった。



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July 09, 2015

平日の動物園0709

糸島在住の自然農を実践している
という人が書いたという
一冊の短編小説を、
糸島の"ここのき"というお店で、
手にした。

他に、コーヒー豆を現地で赴き、
厳選された豆を焙煎したものや、
木の器や家具、陶器、
食品、調味料、アクセサリー、
それら糸島の作家を紹介した書籍など、
他に欲しいものが
なかったわけではないが、
思わずその本を選んでいた。

"キノコと相席で"
なんとも気にかかるタイトルが、
シンプルな
白の装丁に書かれていた。

糸島は、今まで訪れたことのある
糸魚川のようであったり
佐渡のようであったり、
能登のようであったり、
屋久島のようであったり、
沖縄北部のようであったりしたけど、
何処にも似ていない場所でもあった。

これから僕は、
訪れたことのない場所に、
何度行くことが出来るのだろうか。

今訪れている場所だって、
もう二度と来ることが
ないかもしれない。
そう思うと、
心して訪れなければならないと
思えてくる。

糸島は、外から入ってきた感性と
元からそこにあるものとが調和し、
絶えることない循環が
淀みなく流れているような、
素晴らしい場所だった。

リサはそこで、
施設で作られている
色とりどりの様々な食品を
材料としたパスタの乾麺を買い、
僕は、無名の作家の本を買った。

もう二度と訪れることは
ないかもしれない場所に、
わずかだけど、
そこにいた時間に
僕なりに賛美とエールを
送ったつもりであった。

それにしても平日の動物園は、
あんなにも仕事をしている
普段の生活から、
遠い場所に
追いやってくれる気分にさせてくれる
のだろうか。

動物園にいた時間は、
僕と楓にとって、
思い出の1ページに確かに刻まれた。







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July 08, 2015

アジアの玄関0708

仕事で九州に渡った僕は、
その夜、
あまりの解放感を弾けるかのごとく、
一人で福岡のクラブに踊りに
行ったときがあった。
旅と解放感は、
より自由に軽やかにしてくれた。

その時、福岡のことを
もっと知りたいと思い
適当な人を見つけに、
街を徘徊した。
今思うと、あれは、
理由はなんであれ、
ナンパをしたかったのかもしれない。
最初で最後、不幸中の幸いか、
僕のその欲求は、
歩き過ぎて、夜も更けたところで、
ジ・エンド、
満たされることはなかった。

あれから、数年が経ち、
僕は楓を乗せた
ベビーカーを押しながら、
広大な大濠公園の周りを歩いていた。
何年経った今も、
相変わらずの有り余るほどの
解放感は、
徐々に疲労と共に柔らいでいった。

夕暮れ時に差し掛かった大濠公園は、
多くの人が、
ジョギングをしていた。

福岡という街は、
人の欲望を包み込み、
それを吐き出す術を知っている街と
いう印象を持つ。

広大な公園で走り続ける人たちの流れ、
眠らない繁華街、
途切れない屋台の群れ、
鳴り止まないクラブのミラーボール。

人は欲望を持った生き物だ。
その欲望は抑え込んでも、
いつか弾ける。

そう僕も同じく欲望を持った生き物。
その行き場のない
どうしようもない塊は、
歩くことで解消してきたのかも
知れない。

僕は今日も明日も
いつまでも歩き続ける。
健康的で健全で家族思いだろ。



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July 07, 2015

長い休みいただきます織り姫様0707

長い休みに入る僕に、
冷ややかな視線を送り、
羨ましそうにみる人たちがいた。

それもそうだ、
夏休みといえど、
まだ梅雨明けもしていない7月なのだ。

そんな時期外れの休みは、
あくまでも観光ではないのだと、
念を押し、後ろ髪を引かれた思いで、
僕は机の上を気持ちだけでも
綺麗にしたつもりで職場を出た。

それでも駅に向かう風は、
いつも以上に爽やかで開放感に
包まれていた。

僕らは、
福岡、鹿児島を経由して沖縄に渡る。

ニライカナイ
海の向こうに理想卿がある

そんなものの空気を包んだものに
たくさん出会えればいいね、スイモン店長!

http://suimonn.jp/

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July 06, 2015

ニライカナイ0706

車窓から角田山の先、
海の方に目をやると、
その向こうに佐渡ヶ島の山々の稜線が、
曇り空の中でもハッキリみえた。
陽の光も雲の間から降り注ぎ、
神々しい光景だった。

いつだったか今日みたいに佐渡が
神々しくみえた日に、
このあたりに未確認飛行物体、
いわゆるUFOが目撃されたという
話を聴いた時があった。

僕はそれを思い出し、
飛んでいるならあの辺りだなと
目を配り空の点を探していた。

僕は時々、ニライカナイという言葉を
思い出す。
沖縄や奄美大島に伝承される
海の彼方に理想卿があるという
信仰のことである。

僕も海の彼方や遠い場所に
ついて思うと、
何か希望があるように思う。
それは、未来に思うことに
似ている。
ここじゃない何処かに、
僕はいつも理想卿をみている。

僕は、ゴダイゴの
ガンダーラという曲が大好きだった。
その歌詞にある
"そこに行けば
どんな夢もかなうというよ
誰もみな 行きたがるが 遥かな世界"

それを口ずさみ、
悶々とした学生時代を
やり過ごしていた。

僕たちは、もうすぐ、
海の向こうへと発つ。
そんな場所には、
きっと理想となるものが
待っているような気がしてならない。






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July 05, 2015

今日のクライマックス0705

思い起こせば、学生の頃、
修学旅行に行った後は、
体調を崩すことが多かった。

決して、
つまらなかったわけでない。
でも普段好き勝手している自分は、
人と共に行動するということは、
多少なりとも
無理を強いでていると
いうことかもしれなかった。

自由人だねっとよく言われる。
それは決して褒めていないことは
よくわかっている。
一人でいることが、
好きなわけではない。
でも一人でいる時が
自分らしく自由でいれることは確かだ。

早朝コテージで目を覚ました僕は、
寝静まっている
コテージの棟を歩いていた。

気分は上々とはいえないけど、
わるくはなかった。
昨夜作った夜食代わりの素麺も
褒めてもらったし、
友人らがそれぞれ作った料理も
最高だった。
深夜のUNOも楽しかった。

もしかして、
僕は人と行動をすることを
克服したのかと思った。

でも最近はどうしたことだろう。
時間が経つと、
体調は下降線をたどる。
今日も例外ではなかった。

何度、人知れずの場所で、
呻きあげたのだろう。

朝食、昼食、笑顔を逃した僕の
今日の最良のクライマックスは、
たきがしら湿原を歩き、
大尾不動滝の水飛沫を
全身で浴びたあの時だった。
それは既に時刻午後3時を
回っていた。




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July 04, 2015

素麺とところてん0704

子どもの頃、
夜、冷蔵庫を
開けると、
いつも茹でた素麺と薬味と
果物のキュ−イが、
冷やしてあった。
早朝に山へ向かう祖父のために、
前の日の夜に
祖母が用意していたのだった。
素麺が大好きな祖父は、
それを美味しそうに食べ、
山に向かう姿をみて、
夫婦愛というものを垣間みた気が
したものだった。

また、気が向いた時、
家族揃っていくところがあった。
曲がりくねった山道を車で向かった先は
ところてんのお店だった。
「日本一うまいところてん」と書かれた
暖簾をくぐり、僕らは揃って、
テーブルについた。
よく冷えたそれに、酢と辛しを垂らし、
一本の箸で掬いながら食べる。
時々、ところてんを食べたくなるのは、
そのせいなのだろう。

僕にとって、素麺とところてんは、
家族の風景を匂わす食べ物なのだ。

そんなものを、
大切に思う友人たちと一緒に
食べたくなるのは、
当然なことかもしれない。

だから、僕は、
家で仕込んだ素麺のつゆと、
美味しいと評判のところてんを
鞄につめて、出発した。

今日、コテージで
一夜を共にする友人たちのために。

でも、その思いは今ひとつだったようだ。
素麺をアジアン料理風にナンプラーを加え、
もやしを入れるつもりが、
忘れてしまっていた。
ところてんも、気持ちを伝えきれず、
出し惜しんでしまった。

素麺とところてん、
僕はその二つに未来の光をみる。
優しさと懐かしさの狭間に。







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July 03, 2015

ドーナッツとApple0703

幼い時、自宅の応接間には、
大きなレコードプレーヤーがあって、
その部屋に一人入っては、
興味のないクラシックのレコードを
ターンテーブルの上に乗せて、
遊んでいたものだった。

父親はレコードなんてもう古いし、
使わないだろうと、
いつの日か大きなスピーカーとともに
処分してしまった。
僕は幼いながら、それに抵抗したのを
覚えている。
それは、もうレコードで遊べないからか、
レコードが出す音に少なからず、
魅力を感じていたのか、
ただ単にもったいないからか、
今やどう思っていたのか定かではないが、
惜しい気持ちを持ったのは確かだった。

その後しばらくして、
その応接間に鎮座するようになったのが、
カセットとCDがついている
大きなコンポだった。

僕は、レコードを愛着を忘れたかのように、
また応接間の部屋に入り浸り、
今度は音楽というというものを、
意識して聴くようになってきた。

友人からカセットやCDを借りては、
それをカセットにダビングする日々が続いた。
いつの間にか、カセットの数は、
山のようになっていた。

でもまだ、どこからか、
僕と音楽は少なからず隔たりがあった。
それは、音楽を聴ける場が、
応接間と限られていたということに
大きく影響していた。

それを劇的に、
距離を縮めるきっかけとなったものに、
ウォークマンの存在があった。
外にいても、歩いていても、
何をしていても、
音楽はいつも流れていた。

でもかかっている音楽は、
当然ながら、
そこに入っているカセット、
もしくはCDがリピートされ流れ、
何度も聴いていると飽きてしまい、
また今の気分は、
かかっているこの音楽じゃないなと
思うことも度々あった。

そんな思いもiPodの存在が、
また音楽がグッと引き寄せてくれた。
小さなボディの中に、
数百、千曲が入り、
いつでも自分が聴きたい音楽を、
セレクトできる幅が広がっていった。

でも何か足りなかった。
それは、不意に流れてくる音楽に
ハッとする感動に僕は飢えていた。

そうして、僕の携帯は、
スマホに変わり、
いつでもラジオが聴けるようになった。
そのラジオから流れてくる音楽に、
感動を覚える増えてきたそんな時に
それが誕生したのだった。

"Apple Music"

レコードに針を落とし、
その一音一音に耳を澄ます、
そんな環境とは全く変わってしまったけど、
あの時聴きたかった音楽が、
僕たちの手元に手繰り寄せてくれた。

不意に流れる音楽に心躍り、
またそこから広がっていく。

それは自分の頭に流れる音楽を
再生できるそんな時代になったのかもしれない。

世界で鳴り響く音楽は、
まるで自分のものののようになる。
おそろしく、けど、
頼もしいそんな時が来た。





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July 02, 2015

羅針盤0702

お酒を本当に辞めてみようと
決めた今も、
そんなことができるのかと、
半信半疑の中にいて、
頭の中は8割それで占められている。

僕は、二つのことを
同時に行うことが苦手だ。
歩いている途中、
電話がかかってきたら
歩みを止めてしまうし、
仕事をしている時でも、
話かけたら、
手を止めなければならない。

半信半疑の中では、
頭の中はそれに囚われ、
何もかも手につかない。
職場でパワハラのごとく言われる
君は単細胞だから、
という言葉を納得せずにいられない。

記憶をなくすまで呑まない。
飲んで人様に迷惑をかけない。
そのためには、適度に呑む。
それだけのことなのだ。

それが出来れば、心配はいらない。

ただ、それすら出来る
自信がないのならば
辞めてしまえと思ったのだ。

誰かに命令されたわけでもないし、
自分の意思なのは間違いない。

今のこの提示をやり過ごして、
なんとなく飲み始めることなったら、
同じことの
繰り返しのような気がする。

お酒の問題に囚われない
向こう側の世界に
行きたいだけなのだ。

明確なルールを決める。
それが決まるまで呑まない。
決めたらそれを死守する。

何をいつまでも、
つまらないことを、
堂々巡りしているなんて
思われるかもしれない。

でも僕の羅針盤が、
グラグラ動いて止まないのだ。
もしかして、
これが禁断症状なのかもね。

ルールはここに記すぞ。










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