March 29, 2007
1周年!そしてありがとうございました☆
今日で、なんと、ブログを始めて1年経ちました。
あっという間でしたが、いままで160もの記事を書いてきました。
ここに訪れてくださる皆様、コメントを下さる皆様のおかげで、
楽しく書き続けることができました。本当に感謝でいっぱいです
また、ブログを通して、得がたい出会いにも恵まれました。
皆様お一人お一人に感謝を申し上げたいと思います。
突然ですが、
来年度は仕事の方で忙しくなることもあり、ここで一区切りということで
一旦ブログを閉じようと思います。いつか再開するかもしれませんし、
あるいは別のブログを立ち上げることがあるかもしれません。
本当に、このブログでの交流を大切にしていましたのでここでストップする
のは、名残惜しいのですが、次の段階に行くためにリセットのために、そして
運気に揺さぶりをかけるために、手放そうと思います。
今後はミクシィの方で細々と日記を書いていきます。
ミクシィに加入されている方は、ぜひ「longfeng」で
検索してください。ぜひぜひマイミクになりましょう!
(longfengさんは、もう一人いらっしゃるようです。どちらかを
とりあえず訪れていただいて、写真が以下の夕焼けのものが私のです)

それでは皆様、本当にお世話になりました☆そして、ありがとうございました。
これからもますます素晴らしい人生となりますように・・・☆

愛を込めて
あっという間でしたが、いままで160もの記事を書いてきました。
ここに訪れてくださる皆様、コメントを下さる皆様のおかげで、
楽しく書き続けることができました。本当に感謝でいっぱいです

また、ブログを通して、得がたい出会いにも恵まれました。
皆様お一人お一人に感謝を申し上げたいと思います。
突然ですが、
来年度は仕事の方で忙しくなることもあり、ここで一区切りということで
一旦ブログを閉じようと思います。いつか再開するかもしれませんし、
あるいは別のブログを立ち上げることがあるかもしれません。
本当に、このブログでの交流を大切にしていましたのでここでストップする
のは、名残惜しいのですが、次の段階に行くためにリセットのために、そして
運気に揺さぶりをかけるために、手放そうと思います。
今後はミクシィの方で細々と日記を書いていきます。
ミクシィに加入されている方は、ぜひ「longfeng」で
検索してください。ぜひぜひマイミクになりましょう!
(longfengさんは、もう一人いらっしゃるようです。どちらかを
とりあえず訪れていただいて、写真が以下の夕焼けのものが私のです)
それでは皆様、本当にお世話になりました☆そして、ありがとうございました。
これからもますます素晴らしい人生となりますように・・・☆
愛を込めて

longfeng358 at 19:52|Permalink│Comments(17)
March 28, 2007
想像の力☆
想像は、自分の望む世界を実現する力がありますが、
想像の力をうまく使えるようになるのは、少し難しい面もあるようです。
特に子供の頃は、想像と現実の世界の区別がつかなくなってしまうということも
あります。
例えばアンは少女時代に、想像で怖いお化けをたくさん作り出して、
そしてそれがまるで本当にいるように思われるようになって、
恐怖におびえたこともありました。ブログを読んでくださっている方の中にも
このような経験がある方がいらっしゃることでしょう。
アンの娘ナンは、アンと同じように想像が大好きな少女でしたが、
空想の世界が破れて失望するという経験をしています。
ある日、ナンは近所にあるさびしい家にトマシン・フェアという女性が
引っ越してきたという話を聞きます。かつてはきれいで、浮気娘だったのが
今は家族も無く出かけることさえしないというトマシン・フェアの話から、
ナンは想像を膨らませ、来る日も来る日もそのトマシン・フェアが若く、
美しく、謎の目をした性悪な魅力的な女性として思い描くのです。
トマシン・フェアが着ている貴婦人のような服、噴水のある庭、
飼われているグレイハウンド・・・想像はますます細部にまで及び、
だんだんナンは本当にそのようなトマシン・フェアが存在しているように
感じるようになり、一度でいいからこの婦人に会いたいと熱望まで
するように・・・
そしてとうとうある朝、ナンはトマシン・フェアの家に小包を届けて欲しいと
家政婦のスーザンから頼まれます。ナンは近所に行くのにも関わらず一番よい
ドレスを着込んで、とうとうあの謎の婦人に会える!とどきどきしながら
出かけます。
しかし、その家には想像していたような噴水はなく、雑草が茂り庭と
呼べるようなものさえありませんでした。・・・でも謎の目をした
婦人はいるはず・・・とどきどきしているナンは、
「あれまあ、たまげちまうじゃないかね!」というセリフと共に現れた
トマシン・フェアと、とうとう対面します。それはなんとおばあさんで
、太っていて、素朴な親しみのある顔をしていますが、ナンの
思い描いた貴婦人とは似ても似つかない人でした。
ナンは、トマシン・フェアは親しみ深く良い人だ・・と思いながらも、
破れた幻想に心深く傷ついて家に戻ります。元気の無いナンを心配して
アンは事情を聞きだします。吹き出さずにいられますようにと祈りながら
話を聞いたアンは、自分の少女時代を思い出し、夢を失ったナンのつらさを
理解します。そして「もう二度と想像なんかしない!」と言うナンに
こう話すのです。
「想像力というものは持ってすばらしいものですよ・・・
けれど、どの才能もそうだけれど、あたしたちがもつものであって、
あたしたちがそのとりこになってはいけないのよ。(略)あなたは
実際と実際でないものとの境界のこちら側を離れずにいることを
おぼえなくてはだめよ。そうすれば自由自在に自分の美しい世界に
逃げ込めることは世の中のつらいところを通るとき、びっくりする
ほど助けになるのよ。わたしは魔法の島へ、一、二度航海してくると、
むずかしい事柄がいつも、もっとらくに解決できるのよ」
(『炉辺荘のアン』新潮文庫)
アンの賢い慰めの言葉に心の落ち着いたナンは、世界には魔法など決して
存在しないわけではなく、ちゃんと世界は魔法に満ちていると気づく・・・
というのがこのストーリーです。
「世界は魔法に満ちている」・・・この思いを、私も持ち続けていたいと
思います☆
想像の力をうまく使えるようになるのは、少し難しい面もあるようです。
特に子供の頃は、想像と現実の世界の区別がつかなくなってしまうということも
あります。
例えばアンは少女時代に、想像で怖いお化けをたくさん作り出して、
そしてそれがまるで本当にいるように思われるようになって、
恐怖におびえたこともありました。ブログを読んでくださっている方の中にも
このような経験がある方がいらっしゃることでしょう。
アンの娘ナンは、アンと同じように想像が大好きな少女でしたが、
空想の世界が破れて失望するという経験をしています。
ある日、ナンは近所にあるさびしい家にトマシン・フェアという女性が
引っ越してきたという話を聞きます。かつてはきれいで、浮気娘だったのが
今は家族も無く出かけることさえしないというトマシン・フェアの話から、
ナンは想像を膨らませ、来る日も来る日もそのトマシン・フェアが若く、
美しく、謎の目をした性悪な魅力的な女性として思い描くのです。
トマシン・フェアが着ている貴婦人のような服、噴水のある庭、
飼われているグレイハウンド・・・想像はますます細部にまで及び、
だんだんナンは本当にそのようなトマシン・フェアが存在しているように
感じるようになり、一度でいいからこの婦人に会いたいと熱望まで
するように・・・
そしてとうとうある朝、ナンはトマシン・フェアの家に小包を届けて欲しいと
家政婦のスーザンから頼まれます。ナンは近所に行くのにも関わらず一番よい
ドレスを着込んで、とうとうあの謎の婦人に会える!とどきどきしながら
出かけます。
しかし、その家には想像していたような噴水はなく、雑草が茂り庭と
呼べるようなものさえありませんでした。・・・でも謎の目をした
婦人はいるはず・・・とどきどきしているナンは、
「あれまあ、たまげちまうじゃないかね!」というセリフと共に現れた
トマシン・フェアと、とうとう対面します。それはなんとおばあさんで
、太っていて、素朴な親しみのある顔をしていますが、ナンの
思い描いた貴婦人とは似ても似つかない人でした。
ナンは、トマシン・フェアは親しみ深く良い人だ・・と思いながらも、
破れた幻想に心深く傷ついて家に戻ります。元気の無いナンを心配して
アンは事情を聞きだします。吹き出さずにいられますようにと祈りながら
話を聞いたアンは、自分の少女時代を思い出し、夢を失ったナンのつらさを
理解します。そして「もう二度と想像なんかしない!」と言うナンに
こう話すのです。
「想像力というものは持ってすばらしいものですよ・・・
けれど、どの才能もそうだけれど、あたしたちがもつものであって、
あたしたちがそのとりこになってはいけないのよ。(略)あなたは
実際と実際でないものとの境界のこちら側を離れずにいることを
おぼえなくてはだめよ。そうすれば自由自在に自分の美しい世界に
逃げ込めることは世の中のつらいところを通るとき、びっくりする
ほど助けになるのよ。わたしは魔法の島へ、一、二度航海してくると、
むずかしい事柄がいつも、もっとらくに解決できるのよ」
(『炉辺荘のアン』新潮文庫)
アンの賢い慰めの言葉に心の落ち着いたナンは、世界には魔法など決して
存在しないわけではなく、ちゃんと世界は魔法に満ちていると気づく・・・
というのがこのストーリーです。
「世界は魔法に満ちている」・・・この思いを、私も持ち続けていたいと
思います☆
March 24, 2007
悲しい想像
このブログでは、今まで何度かアン・シリーズの中では、「想像」が
生きる力を与えてくれたり、望む現実を引き寄せたりする「魔法の杖」と
なる場面がたくさん出てくることを書いてきました。
ありありと望む状況や、わくわくとする状況を想像すること・・・
そして望ましい未来が必ず来ると信じること・・・
しかしアン・シリーズでは、悲しい「想像」も、数多くはないけれども
出てくるということにも触れておかねばなりません。
アン・シリーズの最後は『アンの娘リラ』ですが、この最終巻では
1914年から始まる第一次世界大戦が物語の全体を覆っています。
ここで出てくるアンは大体50歳前後でしょうか、6人の子供たちもすっかり大きく
なり、末娘のリラも15歳になっています。
第一次世界大戦での英国の参戦により、カナダもそれに続いて参戦します。
真っ先にアンの長男のジェムは、使命感に燃えて志願兵となりヨーロッパへと
送られます。戦争の醜さを嫌う次男のウォルターもしばらくして兵隊となり
ヨーロッパへと行きます。一方娘たちは幸せで気楽な娘時代を奪われるのです。
毎日戦況のニュースに一喜一憂する戦争一色の生活を送る中、
アンは自分がこよなく愛する春を迎えても、以前は「もの狂わしい」ほどの
春が来た喜びに浸っていたのにも関わらず、ぼんやりとただ景色を眺めるだけに
なるようになります。
そんなとき、アンは子供たちがまた家に戻ってきて、また小さくなって虹の谷で
遊んでいること、そして子供らしい騒ぎやジェムの口笛やウォルターのヨーデルが
聞こえてくることを想像しているのです。
ほんの一時だけ戦争を忘れ、つかの間の幸福を味わうのですが、そんな想像も
すぐに風船がパチンと割れるようにつぶれてしまう・・・
そしてむしろ想像するような時間があると、楽しい想像ではなく、逆に厳しい戦線の
様子や劣悪な環境にいる息子たちを想像してしまうようにもなるのです。
アン・シリーズの中では異色なほどリアリティを前面に出した物語となっています。
おそらく作者であるモンゴメリは、アン・シリーズが物語であることを
認識しながらも、第一次世界大戦に直面して、戦争を描かずにいられ
なかったのでしょう。
次男のウォルターは戦死し、長男のジェムも行方不明になる中で(最終的にジェムは
ドイツの捕虜となっていたのから逃げ出してきて、無事帰還するのですが)、アンも
気力が衰えてゆくようになります。それでも現実から逃げることなく、憎しみや絶望に
駆られることなく、アンらしい態度をかろうじて維持しているのです。
その姿は痛々しくも感じるけれども、戦争によっても失われない何かもっと
大切なもの、確かなもの、愛や美しさといったものを、アンは過去から未来へと
確かに受け継いでいったと言えるのではないかと思います。
こんな内容の『アンの娘リラ』ですが、それでも全体に重苦しいわけではなく
ユーモラスな場面、人が気高さや勇気を示す場面もふんだんに出てきます。
やはり他のアン・シリーズのようにポジティブな気持ちにさせてくれる内容に
仕上がっていますので、おススメです。
生きる力を与えてくれたり、望む現実を引き寄せたりする「魔法の杖」と
なる場面がたくさん出てくることを書いてきました。
ありありと望む状況や、わくわくとする状況を想像すること・・・
そして望ましい未来が必ず来ると信じること・・・
しかしアン・シリーズでは、悲しい「想像」も、数多くはないけれども
出てくるということにも触れておかねばなりません。
アン・シリーズの最後は『アンの娘リラ』ですが、この最終巻では
1914年から始まる第一次世界大戦が物語の全体を覆っています。
ここで出てくるアンは大体50歳前後でしょうか、6人の子供たちもすっかり大きく
なり、末娘のリラも15歳になっています。
第一次世界大戦での英国の参戦により、カナダもそれに続いて参戦します。
真っ先にアンの長男のジェムは、使命感に燃えて志願兵となりヨーロッパへと
送られます。戦争の醜さを嫌う次男のウォルターもしばらくして兵隊となり
ヨーロッパへと行きます。一方娘たちは幸せで気楽な娘時代を奪われるのです。
毎日戦況のニュースに一喜一憂する戦争一色の生活を送る中、
アンは自分がこよなく愛する春を迎えても、以前は「もの狂わしい」ほどの
春が来た喜びに浸っていたのにも関わらず、ぼんやりとただ景色を眺めるだけに
なるようになります。
そんなとき、アンは子供たちがまた家に戻ってきて、また小さくなって虹の谷で
遊んでいること、そして子供らしい騒ぎやジェムの口笛やウォルターのヨーデルが
聞こえてくることを想像しているのです。
ほんの一時だけ戦争を忘れ、つかの間の幸福を味わうのですが、そんな想像も
すぐに風船がパチンと割れるようにつぶれてしまう・・・
そしてむしろ想像するような時間があると、楽しい想像ではなく、逆に厳しい戦線の
様子や劣悪な環境にいる息子たちを想像してしまうようにもなるのです。
アン・シリーズの中では異色なほどリアリティを前面に出した物語となっています。
おそらく作者であるモンゴメリは、アン・シリーズが物語であることを
認識しながらも、第一次世界大戦に直面して、戦争を描かずにいられ
なかったのでしょう。
次男のウォルターは戦死し、長男のジェムも行方不明になる中で(最終的にジェムは
ドイツの捕虜となっていたのから逃げ出してきて、無事帰還するのですが)、アンも
気力が衰えてゆくようになります。それでも現実から逃げることなく、憎しみや絶望に
駆られることなく、アンらしい態度をかろうじて維持しているのです。
その姿は痛々しくも感じるけれども、戦争によっても失われない何かもっと
大切なもの、確かなもの、愛や美しさといったものを、アンは過去から未来へと
確かに受け継いでいったと言えるのではないかと思います。
こんな内容の『アンの娘リラ』ですが、それでも全体に重苦しいわけではなく
ユーモラスな場面、人が気高さや勇気を示す場面もふんだんに出てきます。
やはり他のアン・シリーズのようにポジティブな気持ちにさせてくれる内容に
仕上がっていますので、おススメです。
March 19, 2007
明日を夢見る少女
アン・シリーズを読み込んでいる人なら、この「明日を夢見る少女」とは
誰だか、すぐにピンとくることだと思います。
その子の名はエリザベス。
アンがサマーサイドで中学校校長をしているときに下宿していた
「柳風荘」の隣のお屋敷に住んでいる子です。
エリザベスは、自分の名前から「リズ」、「エルシー」、「リジー」、「べス」
「ベティ」といった名前を作りだし、そのときの気分によって名前を変えて
いました。ブルーな気持ちの時は「今日はリジーなの」といった具合に。
ブルーなときは「リジー」で、幸せなときは「ベティ」であるようです。
「ベティ」になれる日はめったに無かったのですが・・・
エリザベスは曾祖母と「侍女」と住んでいました。曾祖母と「侍女」は
可愛がっていた孫娘がエリザベスを生むことで亡くなったので、
エリザベスを愛することができませんでした。エリザベスを名前で呼ぶことは
せず、いつも「あの子」とだけ呼び、厳しく監視し、子どもに必要な愛情を
全く与えませんでした。
エリザベスの父親は、生まれたばかりのエリザベスを曾祖母に預けたまま
アメリカで働いていており、訪ねてくることはありませんでした。
そんな愛情に飢えたエリザベスは、孤児だったころのアンと同じように想像を、
特に「明日」を夢見ることで生きていました。
エリザベス・グレイソンは物事が起きるのを待ちもうけるように
生まれついていた。そういう事柄はお祖母さんと「侍女」の監視下に
あってはめったに起こらないということも、エリザベスの期待を
損なわなかった。物事はいつかしら、かならず起きる−きょう
起こらないなら、明日は起きる。(『アンの幸福』新潮文庫)
アンを信用したエリザベスはアンにこう言います。
「ある美しい朝、目を覚ますと、それが『明日』なの。
それからいろいろなことが起こるの。」
そして、毎日「明日」はどんなか、そして『明日』が来たらしたいこと、
できることをいろいろ考えています。そして、アンが隣に越してきたことは、
「明日」が近づいてきている兆しだと考えていました。
アンと一緒に散歩に行くとき、アンとエリザベスは「明日」を探しながら
歩きました。曲がり角にさしかかるたびにそこに「明日」が見つかるのでは
ないかと心を躍らせながら曲がるのです。
アンはいずれ自分もサマーサイドを離れることを考え、思い切ってエリザベスの
父親に手紙を書きます。エリザベスがどんなに大きくなったか、そしてどんな
暮らしをしているか・・・と。
そしてとうとう手紙を読んだ父親がエリザベスを迎えにきて、
曾祖母の家からボストンへとエリザベスを連れてゆくことになります。
エリザベスは本当に「明日」へと入っていったのでした。
いつも「明日」を夢見、具体的に「明日」を考えていたから、
エリザベスは本当に「明日」をひきつけることができたのでしょう。
ある美しい朝、目を覚ますと「明日」が始まっている・・・☆
それはあなたにも、もうすぐ起きることかもしれませんよ♪
誰だか、すぐにピンとくることだと思います。
その子の名はエリザベス。
アンがサマーサイドで中学校校長をしているときに下宿していた
「柳風荘」の隣のお屋敷に住んでいる子です。
エリザベスは、自分の名前から「リズ」、「エルシー」、「リジー」、「べス」
「ベティ」といった名前を作りだし、そのときの気分によって名前を変えて
いました。ブルーな気持ちの時は「今日はリジーなの」といった具合に。
ブルーなときは「リジー」で、幸せなときは「ベティ」であるようです。
「ベティ」になれる日はめったに無かったのですが・・・
エリザベスは曾祖母と「侍女」と住んでいました。曾祖母と「侍女」は
可愛がっていた孫娘がエリザベスを生むことで亡くなったので、
エリザベスを愛することができませんでした。エリザベスを名前で呼ぶことは
せず、いつも「あの子」とだけ呼び、厳しく監視し、子どもに必要な愛情を
全く与えませんでした。
エリザベスの父親は、生まれたばかりのエリザベスを曾祖母に預けたまま
アメリカで働いていており、訪ねてくることはありませんでした。
そんな愛情に飢えたエリザベスは、孤児だったころのアンと同じように想像を、
特に「明日」を夢見ることで生きていました。
エリザベス・グレイソンは物事が起きるのを待ちもうけるように
生まれついていた。そういう事柄はお祖母さんと「侍女」の監視下に
あってはめったに起こらないということも、エリザベスの期待を
損なわなかった。物事はいつかしら、かならず起きる−きょう
起こらないなら、明日は起きる。(『アンの幸福』新潮文庫)
アンを信用したエリザベスはアンにこう言います。
「ある美しい朝、目を覚ますと、それが『明日』なの。
それからいろいろなことが起こるの。」
そして、毎日「明日」はどんなか、そして『明日』が来たらしたいこと、
できることをいろいろ考えています。そして、アンが隣に越してきたことは、
「明日」が近づいてきている兆しだと考えていました。
アンと一緒に散歩に行くとき、アンとエリザベスは「明日」を探しながら
歩きました。曲がり角にさしかかるたびにそこに「明日」が見つかるのでは
ないかと心を躍らせながら曲がるのです。
アンはいずれ自分もサマーサイドを離れることを考え、思い切ってエリザベスの
父親に手紙を書きます。エリザベスがどんなに大きくなったか、そしてどんな
暮らしをしているか・・・と。
そしてとうとう手紙を読んだ父親がエリザベスを迎えにきて、
曾祖母の家からボストンへとエリザベスを連れてゆくことになります。
エリザベスは本当に「明日」へと入っていったのでした。
いつも「明日」を夢見、具体的に「明日」を考えていたから、
エリザベスは本当に「明日」をひきつけることができたのでしょう。
ある美しい朝、目を覚ますと「明日」が始まっている・・・☆
それはあなたにも、もうすぐ起きることかもしれませんよ♪
March 17, 2007
天体写真☆
あるところで知ったNASAのページ。
しばし見入ってしまいました・・・
毎日違う天体の写真が掲載されるページ(英語です)なんです。
昨日はこれ。土星と月面の写真。(小さいのでクリックしてください♪)

彗星の写真☆

こんな写真も。

こんなのを見ると、もしかしたら以前住んでいた星を思い出しちゃう人が
いるかもしれませんね☆
Astronomy Picture of the Day というところで見られます。
今日の写真も素敵ですよお♪タイトルがEiffel Moon(エッフェル・
ムーン)ですって。そういえばもうすぐ新月ですね・・・
実は高校生の時天文部だったんですよ☆親に買ってもらった望遠鏡で
実際に土星を見たこともあります(散財させてごめんなさい!)。
小さく見えるのですが、本当に輪があるんです。木星はぼんやりと
模様が見えました。そういえば、ギリシャ神話とかも好きで、
子どもの頃は星好きだったんだよな〜、と、たった今思い出しました。
そういえば、このブログの名前にも☆が入ってましたね。
思いつきで入れたんですけど・・・
しばし見入ってしまいました・・・
毎日違う天体の写真が掲載されるページ(英語です)なんです。
昨日はこれ。土星と月面の写真。(小さいのでクリックしてください♪)

彗星の写真☆

こんな写真も。

こんなのを見ると、もしかしたら以前住んでいた星を思い出しちゃう人が
いるかもしれませんね☆
Astronomy Picture of the Day というところで見られます。
今日の写真も素敵ですよお♪タイトルがEiffel Moon(エッフェル・
ムーン)ですって。そういえばもうすぐ新月ですね・・・
実は高校生の時天文部だったんですよ☆親に買ってもらった望遠鏡で
実際に土星を見たこともあります(散財させてごめんなさい!)。
小さく見えるのですが、本当に輪があるんです。木星はぼんやりと
模様が見えました。そういえば、ギリシャ神話とかも好きで、
子どもの頃は星好きだったんだよな〜、と、たった今思い出しました。
そういえば、このブログの名前にも☆が入ってましたね。
思いつきで入れたんですけど・・・
February 25, 2007
これはすごい!
今日もまた、おなすさんからの受け売りですf^ ^;
受け売りするのは、美のカリスマ田中宥久子さんによる「造顔マッサージ」。
これに出会ったのは、私にとって(大げさかもしれませんが)神の救い
のようでした。
渡辺惇一の小説では、確実に「中年」にカテゴライズされる
年齢になった私。これまで「年齢の割には若く見える」と言っていただける
ことも多く、肌には自信を持っていたのですが・・・
昨年末あたりから、肌や顔が変わってきたことを感じていました。
特に目のあたりのはりがなく、疲れた表情になっていました。
これまでも「若さを保つ」ためにそれなりの努力をしてきていましたが、
その効力が薄れ、化粧によってもカバーしきれなくなってきていました。
もう悪あがきは効かないのだろうか・・・
ウン十万円もするような高級化粧品でないと駄目なんだろうか・・・
いよいよ「おばさん顔」になってしまうんだろうか・・・
そんな思いで悶々としていたところ、この思いに応えるかのように
おなすさんのところで「造顔マッサージ」が紹介されたのです。
毎日たった3分で、十年前の顔へと若返る
というキャッチフレーズに惹かれ、早速購入し試してみました。
そしたら確かに効果がありました〜!
顔のはりが戻り、特にたるみがちだった目元がきりっとし、
顔全体がいきいきとしてきました。
「まだまだ、私いける!」(笑)という自信を取り戻しました。
ああ良かった〜、助かった〜(これ知らなかったら危なかった〜)。
ぜひぜひこの造顔マッサージをまだご存知でない女性の皆様、そしてただの
「おじさん」にならないぞ!という心意気のある男性の皆様、お試し
ください!DVDとセットになった本で2000円。
最初は難しく感じられるかもしれませんが、DVDを身ながら3〜5回
やれば覚えられます。覚えたあとはお友達やご家族にプレゼントなさっても
よいでしょう。
私は今は毎日お風呂の中でやっています。そしてお風呂から出たあとも、
クリームを塗るときに特に気になる部分のマッサージをもう一度やったり
もしています。
かつてフランスには70歳の時にどうみても30歳にしか見えなかった
ランクル夫人という人がいたそうです。この人もマッサージを
習慣にしていたそうです。(ランクル夫人のマッサージはベンネット氏
によって顔面摩擦法として広められています。詳しくはここ)。
造顔マッサージもちゃんと習慣にしたら、ランクル夫人のように若さを
保つことができるかも!?しれません
受け売りするのは、美のカリスマ田中宥久子さんによる「造顔マッサージ」。
これに出会ったのは、私にとって(大げさかもしれませんが)神の救い
のようでした。
渡辺惇一の小説では、確実に「中年」にカテゴライズされる
年齢になった私。これまで「年齢の割には若く見える」と言っていただける
ことも多く、肌には自信を持っていたのですが・・・
昨年末あたりから、肌や顔が変わってきたことを感じていました。
特に目のあたりのはりがなく、疲れた表情になっていました。
これまでも「若さを保つ」ためにそれなりの努力をしてきていましたが、
その効力が薄れ、化粧によってもカバーしきれなくなってきていました。
もう悪あがきは効かないのだろうか・・・
ウン十万円もするような高級化粧品でないと駄目なんだろうか・・・
いよいよ「おばさん顔」になってしまうんだろうか・・・
そんな思いで悶々としていたところ、この思いに応えるかのように
おなすさんのところで「造顔マッサージ」が紹介されたのです。
毎日たった3分で、十年前の顔へと若返る
というキャッチフレーズに惹かれ、早速購入し試してみました。
そしたら確かに効果がありました〜!
顔のはりが戻り、特にたるみがちだった目元がきりっとし、
顔全体がいきいきとしてきました。
「まだまだ、私いける!」(笑)という自信を取り戻しました。
ああ良かった〜、助かった〜(これ知らなかったら危なかった〜)。
ぜひぜひこの造顔マッサージをまだご存知でない女性の皆様、そしてただの
「おじさん」にならないぞ!という心意気のある男性の皆様、お試し
ください!DVDとセットになった本で2000円。
最初は難しく感じられるかもしれませんが、DVDを身ながら3〜5回
やれば覚えられます。覚えたあとはお友達やご家族にプレゼントなさっても
よいでしょう。
私は今は毎日お風呂の中でやっています。そしてお風呂から出たあとも、
クリームを塗るときに特に気になる部分のマッサージをもう一度やったり
もしています。
かつてフランスには70歳の時にどうみても30歳にしか見えなかった
ランクル夫人という人がいたそうです。この人もマッサージを
習慣にしていたそうです。(ランクル夫人のマッサージはベンネット氏
によって顔面摩擦法として広められています。詳しくはここ)。
造顔マッサージもちゃんと習慣にしたら、ランクル夫人のように若さを
保つことができるかも!?しれません

February 14, 2007
久しぶりの献血
今日約3年半ぶりに献血をしてきました。
実は、私は献血はできるだけしたい方なのです。大学時代に献血した時、
検査のために採血されて、「まあ〜、いい血ね〜」と看護士さんに
誉められた時から、献血は私の使命(大げさですけど)!とまで思っていました。
それなのになぜ3年半ぶりなのか・・・
別に身体の調子が悪かったわけではなく、ありがたいことに私はずっと
健康そのものです(多少の「老化現象」はちらほら出てきてますが・・・)。
理由は中国の上海に住んでいたからです。中国に2ヶ月以上住んでいると
帰国してから3年間は献血できないのです(短期である場合はその制限は
ないのですが)。マラリヤ感染の恐れがあるからとのことでした。
それを知らずに献血しようとしうたとき、「献血できません」と言われたときは
結構ショックでした。何と言っても自分の血液には自信があったので。
この3年間は結構長かったです。街頭で「血液が不足しています!」という
呼びかけに、せつない思いをしてきました。「良いことしたい!」というより、
とにかく自分の血液にものすごい誇りを持っていたので。こんなに自分の
もので自信を感じるものは、他にはありません(笑)。
そして今日歩いてたら、行く手に献血車の姿が。ふと、あ、この1月末で
帰国から3年過ぎた!と気づき喜び勇んで、そしてもちろん自信にあふれて
献血してきました!私は血が流れるのは嫌なのですが、針を通して吸い込まれて
ゆく血液を見るのは、(控えめに言って)キライじゃないのです。
自信に溢れて、問診に答え、そして献血車のベッドに横たわり、腕を差し出し
ました。献血しながら、健康で献血できることの幸せ、そしていくばくかでも
人のために何かできることの喜びを感じていました・・・大げさですけど(笑)。
そして、この血を輸血される人が癒されるようにと祈りながら血を抜かれて
いました☆
なんだか、嬉しかったんです。そして気が付けば今日はバレンタインデー。
ハートって心臓だし、つながりがなくもないな・・・と一人うなづきながら、
献血車を後にしたのでした。そんな自分が、自分でもちょっと滑稽です。
・・・まあ、幸せな気持ちになっているんだからいいか。
実は、私は献血はできるだけしたい方なのです。大学時代に献血した時、
検査のために採血されて、「まあ〜、いい血ね〜」と看護士さんに
誉められた時から、献血は私の使命(大げさですけど)!とまで思っていました。
それなのになぜ3年半ぶりなのか・・・
別に身体の調子が悪かったわけではなく、ありがたいことに私はずっと
健康そのものです(多少の「老化現象」はちらほら出てきてますが・・・)。
理由は中国の上海に住んでいたからです。中国に2ヶ月以上住んでいると
帰国してから3年間は献血できないのです(短期である場合はその制限は
ないのですが)。マラリヤ感染の恐れがあるからとのことでした。
それを知らずに献血しようとしうたとき、「献血できません」と言われたときは
結構ショックでした。何と言っても自分の血液には自信があったので。
この3年間は結構長かったです。街頭で「血液が不足しています!」という
呼びかけに、せつない思いをしてきました。「良いことしたい!」というより、
とにかく自分の血液にものすごい誇りを持っていたので。こんなに自分の
もので自信を感じるものは、他にはありません(笑)。
そして今日歩いてたら、行く手に献血車の姿が。ふと、あ、この1月末で
帰国から3年過ぎた!と気づき喜び勇んで、そしてもちろん自信にあふれて
献血してきました!私は血が流れるのは嫌なのですが、針を通して吸い込まれて
ゆく血液を見るのは、(控えめに言って)キライじゃないのです。
自信に溢れて、問診に答え、そして献血車のベッドに横たわり、腕を差し出し
ました。献血しながら、健康で献血できることの幸せ、そしていくばくかでも
人のために何かできることの喜びを感じていました・・・大げさですけど(笑)。
そして、この血を輸血される人が癒されるようにと祈りながら血を抜かれて
いました☆
なんだか、嬉しかったんです。そして気が付けば今日はバレンタインデー。
ハートって心臓だし、つながりがなくもないな・・・と一人うなづきながら、
献血車を後にしたのでした。そんな自分が、自分でもちょっと滑稽です。
・・・まあ、幸せな気持ちになっているんだからいいか。
February 10, 2007
笑うこと☆
毎年、今年はどんな風に過ごすか、頭で計画を立てますが、それだけでなく
ふっと「テーマ」みたいなものが閃いて(というか降りてくる、という感じ)
決める過ごし方もあります。
今年ふっと閃いたのは「たくさん笑う」ということです。楽しいことを
考えたり実行したりして笑うだけでなく、映画や落語などいろいろな笑うための
ツールもどんどん活用して、微笑みから馬鹿笑いまでとにかく笑いを
堪能することにしています。
とにかく笑う門には福来る!ですし、笑うことで免疫力もアップする
そうですしね☆
ただ、なんでもかんでも笑うのが良い、というわけではないので、注意が
必要です。笑うことで人を傷つけることがあってはいけません。
アン・シリーズの中で、ものすごく教訓的で、しかも私の大好きなシーンが
あります。それは小さい子どもたちが、本人は真剣なんだけれども、大人に
とっては笑えてしまうことを言ったときに、アンたち大人たちが何とか
本人の前で笑い出さないように努力しているシーンです。
このようなシーンはシリーズを通して結構出てきます。
ナン(アンの娘)がしゃくりあげながら語る一部始終に耳を
かたむけながら、アンはまじめくさった顔をしていようとつとめた。
そのことであとでギルバートと狂ったように笑いこけようとも、
アンは必要なときにはいつもまじめくさった顔をしてみせていた。
(『炉辺荘のアン』新潮社文庫)
時に子どもたちが真剣に考えて話していることは、あまりにも無邪気だったり
突拍子もなかったりして、大人にとってはついつい可愛さもあって、笑い出し
たくなることがありますよね。そんなとき、アンたちは絶対に笑いません。
「またあの雄鶏たちが、花壇を荒らしているんじゃないかな」と急に思い立った
ようにして急いで部屋を出て行ったり、神様に吹き出さずにいられるようにと
お祈りしたりして、この苦境を乗り切るのです。
このシーンはおかしみがあって、それでいてとても賢く愛情に溢れたシーンで
私はとても大好きなのです。
いかに子どもの純粋な気持ちを大切にし、そしてそれを傷つけないように
気を遣っているかがわかります。そういう気遣いがあってこそ、笑いも
幸せな毎日を作り出してゆくことができるのでしょうね。
ふっと「テーマ」みたいなものが閃いて(というか降りてくる、という感じ)
決める過ごし方もあります。
今年ふっと閃いたのは「たくさん笑う」ということです。楽しいことを
考えたり実行したりして笑うだけでなく、映画や落語などいろいろな笑うための
ツールもどんどん活用して、微笑みから馬鹿笑いまでとにかく笑いを
堪能することにしています。
とにかく笑う門には福来る!ですし、笑うことで免疫力もアップする
そうですしね☆
ただ、なんでもかんでも笑うのが良い、というわけではないので、注意が
必要です。笑うことで人を傷つけることがあってはいけません。
アン・シリーズの中で、ものすごく教訓的で、しかも私の大好きなシーンが
あります。それは小さい子どもたちが、本人は真剣なんだけれども、大人に
とっては笑えてしまうことを言ったときに、アンたち大人たちが何とか
本人の前で笑い出さないように努力しているシーンです。
このようなシーンはシリーズを通して結構出てきます。
ナン(アンの娘)がしゃくりあげながら語る一部始終に耳を
かたむけながら、アンはまじめくさった顔をしていようとつとめた。
そのことであとでギルバートと狂ったように笑いこけようとも、
アンは必要なときにはいつもまじめくさった顔をしてみせていた。
(『炉辺荘のアン』新潮社文庫)
時に子どもたちが真剣に考えて話していることは、あまりにも無邪気だったり
突拍子もなかったりして、大人にとってはついつい可愛さもあって、笑い出し
たくなることがありますよね。そんなとき、アンたちは絶対に笑いません。
「またあの雄鶏たちが、花壇を荒らしているんじゃないかな」と急に思い立った
ようにして急いで部屋を出て行ったり、神様に吹き出さずにいられるようにと
お祈りしたりして、この苦境を乗り切るのです。
このシーンはおかしみがあって、それでいてとても賢く愛情に溢れたシーンで
私はとても大好きなのです。
いかに子どもの純粋な気持ちを大切にし、そしてそれを傷つけないように
気を遣っているかがわかります。そういう気遣いがあってこそ、笑いも
幸せな毎日を作り出してゆくことができるのでしょうね。
February 04, 2007
ピリカレで食器洗い
ピリカレ・・・今も考えるだけで、心が躍ってしまいます。
なんでこんなに好きなんだろう〜(*^o^*)
最近はピリカレでの食器洗いにはまっています。
だって、つるっと油汚れも落ちるし、あっという間に
ぬめりもなくなってすすぐのも楽だし、
乾いた後は、表面はつるっとした感触で、しかも自然な光沢が
でるし・・・
もうたまらない〜♪
私は食器洗いの時、プラスチック製の蜂蜜が入っていた容器に
ピリカレを適量(結構適当です)お湯に溶かして入れています。
時間が経つと、少しゲル化してます。
それをスポンジにつけて洗うのです。
洗い終わった食器はつるっと、そして輝いています。
それだけでなく、何となく波動が上がっているみたいなんです。
洗い終わった食器たちがいとおしく感じられます。
食器洗いの後は、台ぶきんなどもピリカレでさっと洗います。
油っぽさなんかすぐに取れます。
ピリカレで床を拭くと部屋の空気が綺麗になり、波動も上がると
いいます。食器でも同じなんですね。
そしてピリカレをすすいだ水が流されてゆくところは
浄化されてゆきます。
ほんとにたのしい〜♪
ピリカレについてはこちら。
ピリカレ購入はこちらなどでどうぞ。
なんでこんなに好きなんだろう〜(*^o^*)
最近はピリカレでの食器洗いにはまっています。
だって、つるっと油汚れも落ちるし、あっという間に
ぬめりもなくなってすすぐのも楽だし、
乾いた後は、表面はつるっとした感触で、しかも自然な光沢が
でるし・・・
もうたまらない〜♪
私は食器洗いの時、プラスチック製の蜂蜜が入っていた容器に
ピリカレを適量(結構適当です)お湯に溶かして入れています。
時間が経つと、少しゲル化してます。
それをスポンジにつけて洗うのです。
洗い終わった食器はつるっと、そして輝いています。
それだけでなく、何となく波動が上がっているみたいなんです。
洗い終わった食器たちがいとおしく感じられます。
食器洗いの後は、台ぶきんなどもピリカレでさっと洗います。
油っぽさなんかすぐに取れます。
ピリカレで床を拭くと部屋の空気が綺麗になり、波動も上がると
いいます。食器でも同じなんですね。
そしてピリカレをすすいだ水が流されてゆくところは
浄化されてゆきます。
ほんとにたのしい〜♪
ピリカレについてはこちら。
ピリカレ購入はこちらなどでどうぞ。
January 24, 2007
愛しきマトリョーシカ
ひょんなことから、最近ロシアブームな私です。
中でも特にマトリョーシカに、フォーリンラブ
なのです。
マトリョーシカってロシアの入れ子人形で、おみやげとして
有名ですね。
マトリョーシカって、こんなのです。

大きなマトリョーシカから、小さいのが次々出てくる入れ子状の人形です。
ロシアのおみやげとして有名ですよね。
上のマトリョーシカの一番小さいのはこんなに小さいです。

マトリョーシカはファンもたくさんいるようで、玄人さん(?)たちは
「マト」って呼んでいるようです。可愛い〜♪
ところで、マトリョーシカってもともとは日本の人形がモデルになっているって
ご存知ですか?マト誕生の元となったのが、日本の入れ子人形だそうです。

今は作れる人が激減していて、日本では購入が難しくなっています。
本家本元が絶滅の危機なんて寂しいですね・・・
それにしても、ロシアの雑貨は安いものも高いものも、一味ちがって
なんとも言えなく、心が惹かれます。「愛おしい」と感じるのです。
家族の間で、何世代にもわたって愛され使われてきた風情があります。
ロシア雑貨が日本で購入できるところはたくさんありますが、可愛いのは
こちらとこちらです。
ロシアと言えばバレエ、音楽、文学と豊かな文化を備えていますよね。
でもそれだけではなくて、こうした雑貨の世界もものすごく魅力的です。
雑貨を通してロシアのふところに少し触れることができるような
気がします。いつかロシアに行きた〜い!という望みが生まれました。
いつか、これぞという私だけのマトリョーシカを手に入れたいと望みつつ、
今日はその代わりにあるものを作りました。それについては、また後ほど・・・
中でも特にマトリョーシカに、フォーリンラブ

マトリョーシカってロシアの入れ子人形で、おみやげとして
有名ですね。
マトリョーシカって、こんなのです。
大きなマトリョーシカから、小さいのが次々出てくる入れ子状の人形です。
ロシアのおみやげとして有名ですよね。
上のマトリョーシカの一番小さいのはこんなに小さいです。
マトリョーシカはファンもたくさんいるようで、玄人さん(?)たちは
「マト」って呼んでいるようです。可愛い〜♪
ところで、マトリョーシカってもともとは日本の人形がモデルになっているって
ご存知ですか?マト誕生の元となったのが、日本の入れ子人形だそうです。
今は作れる人が激減していて、日本では購入が難しくなっています。
本家本元が絶滅の危機なんて寂しいですね・・・
それにしても、ロシアの雑貨は安いものも高いものも、一味ちがって
なんとも言えなく、心が惹かれます。「愛おしい」と感じるのです。
家族の間で、何世代にもわたって愛され使われてきた風情があります。
ロシア雑貨が日本で購入できるところはたくさんありますが、可愛いのは
こちらとこちらです。
ロシアと言えばバレエ、音楽、文学と豊かな文化を備えていますよね。
でもそれだけではなくて、こうした雑貨の世界もものすごく魅力的です。
雑貨を通してロシアのふところに少し触れることができるような
気がします。いつかロシアに行きた〜い!という望みが生まれました。
いつか、これぞという私だけのマトリョーシカを手に入れたいと望みつつ、
今日はその代わりにあるものを作りました。それについては、また後ほど・・・