2007年01月09日

きまぐれもここまできたら究極4

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教育


ゆとり教育

なぜ、ゆとり教育になったのか。

八十年代半ば以降、不登校、いじめ、高校中退、学級崩壊それに、子供をめぐる暴力事件などが起きて、「今までの教育」が、これらの問題を生み出した、という見方が定着したそうです。
そうした問題を過剰に伝えるマスコミを信じきっている世間の声によって、「知識の詰め込み」が悪い、「自ら勉強する力が必要である」といった意見でてきます。その結果、「今までの教育」は今の時代には適していない。「今までの教育」を変えなければ、という結論に至り、ゆとり教育に繋がりました。

ゆとり教育のねらい。

今では「ゆとり教育=ダメ→だから教育改革」というような短絡的な反応も見られるような気がします。
しかし、それでは「今までの教育=ダメ→だから教育改革」というゆとり教育になってしまったときと同じようにまた間違いを犯すかもしれません。よって、そういう間違いを犯さないためにもゆとり教育とはどういう目的で施行されたのか、を知ることが大切だと思います。
具体的にどのようなことがゆとり教育によって起こったのでしょうか。まず挙げられるのは「週5日制」、「総合学習」、「教育内容の3割削減」でしょうか。
では、どういったねらい、目的でこの制度はつくられたのでしょうか。

ゆとり教育にした理由

一つ目の理由・・・生徒の「底上げ」のため。
教育改革の担当者も言っていましたが、授業の小学校中学校の授業のペースをゆっくりにして高校・大学で最終的に全員が授業を理解することが最大の目標でありました。
二つ目の理由・・・「総合学習」にみられる「自ら学習する力」を伸ばす目的のため。
この考えの詰め込み教育を完全に否定しています。
三つ目の理由・・・「週5日制」に、「教育内容の3割削減」にみられるように、「過度の受験戦争」に対する、対策のため。
受験勉強をしすぎると人間的に良くないという考えの下に成り立っています。

ゆとり教育の成果。

はっきりいってゆとり教育による成果はぜんぜんでていません。

しかし、成果が出ないときの見方、判断の仕方は二通りあります。
ひとつの見方は、制度そのものが悪いということ。根本が間違っていたならばどうしようもありません。
もうひとつの見方は、ゆとり教育がまだ徹底していないということです。
(確かに元文部大臣は「ゆとり」による週五日制の休日は授業の反復・復習をするために使うべき、と言っているが世間ではそうは理解されていない。すなわち、文部科学省と世間にはいまだに隔たりがある。つまり、まだ「ゆとり教育」の真意が世間には汲み取られていない。よってもっと徹底するべきだ、ということ。)


<個々までは苅谷剛彦氏の教育改革の幻想を参照させていただきました。>

僕の意見。
この事実の見方は(1)根本が間違っている(2)制度がまだ徹底していない、と2通りの考え方がある、と今述べましたが、今まで示したデータが批判的であるように、僕は「ゆとり教育」には反対です。
理由は5つあります。
1.「知識の詰め込み」を僕は悪いと思っていない、むしろ良いと思っているから。
2.「過度な受験勉強」を僕は悪いとは思っていない、むしろ賞賛されるべきものと思っているからから。
3.ゆとり教育はこどものためという考え方に基づいているから。
4.ゆとりは日本人に適していないと思うから
5.ゆとり教育が履修不足を引き起こすから。


 以下、順に論証します。

1の論証
 世間は「知識の詰め込みが悪い、考える力(思考力)を!」といいます。「知識の詰め込みが悪い、考える力(思考力)を!」と言うのは、たぶん詰め込まれた知識は忘れやすく、考える力のほうが役に立つという発想からでしょう。
しかし、僕はそうは思いません。僕達は「考える」時に何をしているでしょうか。実は(認知心理学によると)「思考」とは「自分の知識のうち、どれがこのケースに当てはまるのかを推測する」ことなのです。
つまり思考は知識の上に成り立っているということです。たとえば、数学にしてもわからない、という時は解法を知らないだけ、ということです。何も知らないのに解ける人が天才です。
「数学は考えてみても分からなかった。問題をたくさん覚えたら分かった。」と数学のフィールズ賞(数学のノーベル賞)を取った数学者も言っています。
要するに詰め込んでも知識がなければ思考ができない、すなわち「知識の詰め込みが悪い、考える力(思考力)を!」には矛盾があることがわかります。
創造は模倣からとも言いますし、生まれたばかりの知識ゼロの赤ちゃんが何か考えて偉大な発明をした、ということも聞いた事がありません。(ましてやかってに知識を詰め込んでくれるのだから詰め込みほど良いものはないでしょう。)

2の論証
また「過度の受験勉強」も僕は別に悪くない、むしろ良いと思っています。
たとえば野球やサッカーなど、スポーツをしている生徒に対して、「スポーツはやめろ」という親はいますか?いません。
僕が言いたいことは目標にむかって頑張るということは美しいということです。
数学であれ野球であれ、サッカーであれ、受験勉強もスポーツと同じで、受験ならば大学、野球ならば甲子園という目標、ゴールにむかって頑張る、種目は違えど、一種の競技だと僕は思います。
最近の「反受験勉強主義」の根底にはたぶんマスコミがつくったかつての受験戦争の過大な表現による過大な勉強アレルギーが日本の中にあると思います。そのアレルギーの結果、個人的には、まだ日本には特に公立中学で勉強をしている人はカッコ悪いという風潮があるような気がします。

3の論証
ゆとり教育はこども至上主義です。こどものためにゆとりをつくり、勉強内容を減らし、挙句の果て学力低下です。このままで日本が世界に劣るなさけない国となってしまいます。(僕は社会主義的者かもしれません。)
そうではなく、長期的に見て何がこどもにとって大切かを判断したほうが良いと思います。(たとえば理解を伴った詰め込み教育)僕はゆとりが日本人の気質にあっていないので短期的に見る限りよさそうに思えますが、ぜんぜん効果はないと思います。
(この問題の裏には、また、「楽なのはいい、厳しいのはイヤだ」、という体罰に似たような問題があると思います。話は変わりますが、僕は体罰には賛成です。確かに体罰は痛いし苦しいですが、驚愕、恐怖、怒りによって正しい理性に育つならばぜんぜん問題はないと思います。だから「体罰はイヤだ。だから体罰は悪い」ということはおかしいになります。ゆとり教育で言うならば「子供が楽しい、だから楽は良い」。また、短絡的思考で、おかしいことになります。)

4の論証
もっと根本的なことをいうと「ゆとり」は日本人には適していないと思います。
戦後日本が発展したのは、言うまでもなく日本人の勤勉さによるものです。なぜ、日本人にそんな勤勉さがあったかというと、日本人は農耕民族だったからです。農耕民族は、あらかじめ定められた仕事をこなすことが得意な民族でありました。そのため、「ゆとり」や「自由」をあたえると何もできない、むしろ困るので命令をくれ、という人が多くいるのが日本という国だと思います。僕が日本人の気質にとって「ゆとり」があまり適したものでないといったのはそういった理由です。(ただ現代のように、変化が激しい世の中になると農耕民族的特性の勤勉さと安定性が裏目に出て狩猟民族の得意な大胆な行動とリスクをとる能力に負けてしまうかもしれません。ただ、大切なのは社会で農耕民族的人材と狩猟民族的人材をどう配置するか、ですけどね。)

5の論証
 ゆとり教育と履修不足の関係は意外にも深いと思います。
言ってみれば履修不足は、ゆとりと、学力向上を同時に目指す文部科学省の矛盾によって起こったヒビのようなものだとおもいます。少ないスケジュールの中で生徒達の学力を上げなければならない、総合学習の時間を組み込まなければならない、といった無理があったから、家庭科を勉強しなかったり、音楽や芸術を勉強しなかったり、という事態が起こりました。
また、今回の履修不足を指摘された学校はもちろん首都圏にもあることはあるものの、圧倒的に地方の進学校が多いです。
僕は、履修不足は首都圏と地方の勉強環境の格差によって生まれたものだと思います。
首都圏では塾や予備校はすぐ近くにありますが、地方ではまったくないというところさえあります。
そういったところでは、受験のときたよりになるのは学校しかありません。そして地方の進学校は必修科目をへらしてでも生徒を良い大学へ送らなければなりませんから、必然的に履修不足が起こります。
履修不足をなくすためにはゆとり教育の全廃とともに地方と首都圏の勉強環境の格差もなくしていかなければならないと思います。



そしてまだこういった議論があるにもかかわらず、今現在また教育改革が推し進められています。果たして今度の教育基本法の改革で日本の学力は上がるでしょうか。僕は、少ししか変わらないと思います。

ゆとり教育の時間的に厳しいカリキュラム中でも、依然として学力が高い学校はあります。
たとえば、広島県の土堂小学校のように、早寝早起き百ます計算をモットーに時間的に厳しいカリキュラムの中、公立小学校なのに全国の私立小学校のトップと張り合うくらいの学校もあります。
また、和田中学校も、指定されたカリキュラム内でものすごい学力と、人間性を創るということでとても有名です。そのおかげでこの中学校は推薦を多くもらえるという特典もついています。いっぽう偏差値的に言うとあまりよくない学校がたくさんあることも事実です。
つまるところ、結局は制度より運用なのです。
(ただし、「運用」を改善しようとしすぎるあまり、履修不足という問題が今、起こっていますが。)

しかし運用を変えるより制度を変える方はるかにが楽です。
しかし大切なことは効果と結果をだすことです。それを忘れて制度改革を推し進める人間に警鐘をならします。


反省点・・・脱線が多いということです。

参考文献
教育改革の幻想 苅谷剛彦
バカとは何か  和田秀樹
日本の論点   文藝春秋編 


longriver_k at 21:17│Comments(0)TrackBack(0)clip!きまぐれ | 勉強哲学

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