2012年07月

2012年07月22日

じぱんぐ紀行〜人と人

 あれは昨年のことだ。立川で友人と見事なJAZZを聞いた帰り道、僕を泊めてくれている畏友からメールが来た。「今すぐ、『阿吽』へ!」

 阿吽とは彼の自宅近くの寿司屋。それこそ2年前に2人で行って以来、毎年ここでお世話になっている。扉をくぐると素敵なご夫妻がいた。それがI(アイ)夫妻との出会いだった。


 友人はこの1年で随分と親交を深めたらしく、一時帰国の予定を立てている段階で、「1日、I夫妻と過ごす日を作って欲しい」と提案してくれた。

 結局、明日アメリカに発つという日に、ご夫妻のご自宅(新築でピカピカだった)にご案内いただいた。僕とはあの一日のつながりに過ぎなかったのに!である。

 
 外国に住むようになって、わずか2週間足らずしか日本で生活できなくなったが、むしろ、多くの人々と知り合うようになったような気がする。そして、その知り合った人々が悉く面白い人々なのだ。

 そして、その典型がIご夫妻なのだ。何と自然体で、何とオープンな2人だろう。畏友が親しくしているのは、決してお互いに呑んべいなだけでも、お互いに自宅が近いというだけではない。恐らく、僕が日本で住んでどこかで知り合っていたとしても同じように親交を深めることだろう。

 
 それにしても、たくさんのご馳走をいただき、たくさんのお酒を飲んだ。こちらの方は外国住むようになって、ますます弱さに拍車がかかったような気がする。

 本当に、久しぶりに呑み潰れる一歩手前まで飲んだが、実にすがすがしい時間だった。

 I夫妻、また日本に行くことがあったら、お会いできればと思います!!

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2012年07月21日

じぱんぐ紀行〜Road to Memphis

 いや〜とてつもない迫力だった。力強い歌声だったし、立派な演奏だった。この何ともいえない充実感。まさに「ホンモノ」だけがもつ充実感。今日はJIROKICHIに来て本当によかった。

 東京にいる間に友人と行くJAZZバーを探していた時、偶然目にしたのがJIROKICHIのホームページだった。「Road to Memphis」というタイトルに魅かれてここに行くことを決めた。

 歌手を知っていた訳でもない、演奏者を知っていた訳でもなかったが、何かが僕を呼んでいた。そうといか言いようのない出会いだ。

 まず、歌手の森崎ベラさんの歌声が素晴らしい。日本人の女性シンガーはどうしても声量で本場黒人の歌手に押されてしまうが、ベラさんの歌声は黒人の女性シンガーに拮抗するのではないか。

 バックの面々も素晴らしい。成田昭彦さんのドラム、野間一郎さんのベースによるリズムセクションも堂々としているし、藤井正弘さん、村上こうようさん、ゴルゴ斉藤さんによるホーンセクションも申し分なくファンキーだ。

 木村聡さんのギターも繊細で素晴らしく、キーボードの高瀬順さんも立派な演奏で支えていたし、途中で登場した小安田憲司さんのギターは、まさにブルーズとしかいいようのないものだった。

 僕は何度もこのバンドだったら、このメンバーだったらニューヨークで演奏してもいけるだろうな、と思った。

  それに加え、観客の皆さんも素晴らしい。最後は立ち上がり踊り狂う人々もいた。僕は日本にいる時は「日本風」でライブを見守るようにしているのだが、ここだったら「アメリカ風」にしてもよかったかな。それにしても、演奏する人もそれを見守る人々もノリノリで、音楽も含め一瞬ここは日本ではないのではないか、と思ったほどだった。


 日本はどうしても本場物が好きで、本場もの以外はどこか、「偽者」とまでは言わないまでも、まがいもの風に見ることが多いが、そんなことを言えば、クラシック音楽はヨーロッパ、JAZZはアメリカの音楽だから、それ以外の地域のクラシックの演奏やJAZZの演奏はまがいものということになるし、実際に「本場」以外の出身で「本場」以外の音楽を演奏しているミュージシャンも数多くいる。

 第一、そんなことを言い出したら、日本人の行う音楽は「雅楽」や「盆踊り」の音楽だけになってしまうのではないか。

 特に音楽は、音は普遍的な力を持っているものだ。誰が演奏しているか、ではなく音そのものが「ホンモノ」かどうかだけ問題なのだ。


 あまりにも充実していたからだろう。時間がとても短く感じた。でも、その分心は充分に満たされていた。この日のことは忘れられないだろうな。今日この日は間違いなく今年のベストライブのひとつになるだろう。

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じぱんぐ紀行〜懐かしき街角

 待ち合わせをしていて、ふと思い出した。恐らく10年前の今日もこの街に来ていたということを。

 そう思うと、高円寺の全ての風景が懐かしく感じた。近々、阿波踊りがあるはずだ。10年前のその日僕はこの街をなす術もなくさまよっていたっけ。

 待ち合わせの時間までまだ少しある。かつて歩いたエリアだけでも少しブラッとして見よう。と思って歩き出した途端、時間が10年前に戻ったような気がした。かわらぬ風景かわらぬ街。このここに住む人々の生活が滲み出た感じが素晴らしい。


 待ち人と合流後も高円寺の誇る商店街をぶらついた。ここで食事をしてみたい、という食堂が少なくとも8軒はあった。次に日本に来たときには高円寺を歩く時間を作りたい。強く強くそう思った。

 そういえば、神楽坂でなくなった惣菜屋さんの店長さんが高円寺に住んでいるって言っていたな。長らく思い出すことのなかったことまで思い出した。

 人々の日常が見えるこの街で今日はブルーズを聞く。その前に食事をするところを一軒選ばねばならない。時間と胃袋に余裕があれば、数軒入ってご馳走を味わいたいくらいだ。一軒に絞るのがこれほど辛かったことはない。


 結局、JIROKICHIの近くのうどん屋さんに入った。いかにもこの街で生きてきたといった感じのお店だ。入るとJIROKICHIのスケジュールが置いてある。みんなここで腹ごしらえして行くのかな?

 うどんはとてつもなく美味しかった。この味、この香り、これこそ日本だ。NYでも味わいたいな、と思った。日本に来て以来、久しぶりにあの街のことを思い出した。

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2012年07月20日

じぱんぐ紀行〜「黒い目」の異邦人

 LAからの飛行機でVirginiaから日本に旅行をするアメリカ人と隣だった。彼は外国旅行が初めてで、その初めての外国旅行に日本を選んだそうだ。

 東京でお勧めの場所はないか、と聞かれたので僕は浅草を勧めた。東京で古きよき東京〜江戸の風景といってもよい、を感じるのが浅草だったからだ。

 反対側に座っていた中国人の留学生と同様に思ったのか、彼は僕にアメリカ人なの?と聞いてきた。日系人かと思ったのだろう。いやいや日本人だけど、今はアメリカに住んでいるんだよ、と言うと「そうか、自分の国だけどあなたにとってはVisitorになるんだね。」と言う。

 彼は僕が海外に住むようになってから意識していることをまさに言い当てた。僕は日本にいる間、自分のことを「黒い目」の異邦人だと思っている。


 神保町を歩いている時に外国人のカップルが途方にくれている。思わず声をかけると滞在するホテルの場所が分からないという。

 一緒に探しましょうというと彼らはホッとした表情になった。どこから来たの?と聞くとスコットランドだという。詳しく聞くとスコットランドのアバディーンだという。エジンバラの対岸にある街だ。

 エジンバラには行ったことがあるよ、というと話が弾んだ。

 が、ホテルは簡単に見つからない。僕自身、道の名前を中心に作られている欧米の街に慣れてしまって、日本の地番方式で書かれた住所にピンと来ない。

 やむなくホテルに電話を入れた。すると、驚いたことにそこから15分ほど歩かなければいないことが分かった。しかも僕の目的地とは反対方向に。

 でも、ここで彼らを放り出すわけにもいかず、ホテルまで案内した。

 実は、僕にも分からないんだよ正確な場所が、というと2人は大笑いした。

 2人は言う「第一、この通りの名前が分からないんだ。」そういえば欧米の街にはコーナーごとに通りの名前が記してある。そして、その通りの名前を辿っていけば、知らない街でもまず間違いなく目的地にたどり着く。

 通りの名前がどこかにないか、と僕もキョロキョロしたが、3分ほど歩かないと標識はなかった。しかもその標識は漢字表記だった。ローマ字もあるが、知らない人にはまず目に付かないだろう。


 ホテルの人に言われた交差点について、もう一度電話。ようやくそこから3分ほどでホテルは見つかった。

 2人の嬉しそうな笑顔と分かれた。僕もホッとした。ひょっとすると見つけ出すのに小一時間かかるんではないか、と思ったのだ。

 ひょんなことから外国の人が見ている日本の風景を見た思いがした。


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2012年07月19日

じぱんぐ紀行〜偶然に起こった出来事と世の中が便利になったという実感

 ここはアメリカか?と思った。そして、この航空会社はアメリカの航空会社なのか?とも。福岡空港に着いてみると、何と羽田行きの飛行機が遅延しているという。

 しかも、その航空会社の社員は5人もその場に居合わせるにも関わらず、僕にそのことをひと言も説明しなかった。

 アメリカの航空会社では当たり前の話だ。アメリカは完全に自己責任の社会で、知らなかったというと、知らなかったお前が悪い、というところがある。

 サービス業は総じて日本の方が優れていて、成田に着いて最初に感動するのがリムジンバスの社員のサービス精神だったりする。

 その航空会社はお客さんに向けて「客室乗務員はお客さんにサービスする存在ではありません」というレターを出したということであえて今回使ってみたのだが、本当にそのレターは存在したし、どこか以前よりお客さんに冷たい感じがした。ああいう感じで勤務して楽しいのだろうか?


 それはいい。それはいいとして、現実の困難が僕を襲っていた。


 困ったのは、全て「予定通り」に進むと考えていて計画を立てていたことだ。このまま行くと全ての計画が後ろ倒しになり、会うべき人たちに会えなくなる。

 さらに困ったのは、東京に着いて最初に会う友人の連絡先を知らないということだ。僕が遅れて羽田に着くことを連絡すら出来ない。その友人で唯一知っているのは、Facebookの連絡先なのだ。


 家族とひとまずお昼ごはんを、ということになったが、そのとき希望の標識を見た。福岡空港はWi-Fiを使えるらしい。その標識を見るや否や僕はアメリカのiPhoneを取り出した。本当だ電波が入る。

 ひとまず、その友人にメッセージを送る。これは何とかなるかもしれない。電波が入らない限り役に立たないiPhoneがここで役に立つなんて。

 僕がもしお金持ちなら日本でもiPhoneを使いまくっただろう。でも僕のiPhoneは日本では国際ローミングになってしまうので、アメリカに帰っていくら請求されるか分かったものではないのだ!

 
 今日、会う予定の人たちに全て連絡が取れ、何とかなった!結局予定は全てパーになり、ふたつのイベントを無理矢理にひとつに統合したのだが・・・・・・。

 それにしても便利な世の中になったものだ。一昔前だったら今回のケースはまず間違いなく会えなかっただろう。願わくば日本でももう少しWi-Fiの電波が入るところが多ければいいのだが。


 アメリカに帰って、iPhoneの今月の請求書が来ていた。そこにRoamingという項目があって$4ほどが請求されてあった。あっ!そうか日本にいるときにいくつかアプリ経由で情報が届いていたが、それの料金か!!今度日本で使う時はアプリにつながらないようにしないといけないんだな!!



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2012年07月18日

じぱんぐ紀行〜Go Go Hawks

 福岡は僕にとって複雑な街だ。両親が住む街だから「故郷」といってもいいのかもしれない。が僕自身は幼少の頃に過ごしただけなので、そこまでのある種の「重さ」はない。

 かといって全く関係のない街か、というとそうでもない。ここに住む人々はなぜか無条件で好きだし、街を歩いていて何とも言えず気持ちがいい。空が高く開放的だ。

 そういう感じではあるが、この街にある球団だけはどこに住もうが応援している。Hawksだ。


 今年は2年ぶりにYahooドームへ行った。去年はシーズン、CSシリーズを圧勝し、久しぶりに日本シリーズを制したが、今年は何ともチームのバランスが悪い。ファンとしては是非とも応援したい感じだ。

 先発は攝津投手。主力の3投手が抜けエースとしての働きを求められている。攝津投手は役割を果たしている感じだったが、この試合はやや不安定だった。が、何とかゲームは作った。

 そうこうしている間に、何とペーニャ選手が豪快なホームラン!一気に気分爽快になるほどのとてつもない打球が弾丸ライナーでレフトスタンドへ!

 相手先発は井川投手。アメリカ帰りだが、少し体が絞れていないか?ヤンキースではどうして評価が低かったのだろうか?

 こちらも制球に苦しむ感じ、一進一退の感じだったが、多村選手のホームランが飛び出し、徐々にHawksペースへ。最終回には李選手のプロ初ホームランが飛び出し、最終回は森福投手が抑えてHawks勝利!!


 アメリカの球場を体験しているので、外野席の熱烈な応援が不思議な感じだったが、最後の方はそれにも慣れ、久しぶりの日本の球場の風景を楽しむことが出来た。

 また、後ろの席の老夫婦とも交流が図れたので、やはり福岡はいいところだな〜と思った。

 外国に住むにあたって最も嫌なのがHawksの試合をいつも見られないことだ。それさえ出来ればもっといい生活になるんだけどな。


 今年は去年のような圧勝は無理だろうけど、その中で何とか粘ってCSシリーズに出場して欲しいな。で、若手投手が経験を積んで、来年また素晴らしいシーズンに出来れば、今シーズンのゴタゴタもチームに活きてくると思うんだが、どうでしょうか??

最後に、チケットを取るのに努めてくれた母親と妹に感謝したい。また、一緒に観戦してくれた父親にもありがとうといいたい。来年は家族全員で見にいけるといいな。


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2012年07月16日

じぱんぐ紀行〜身近にある古代

 案内を務めて下さった藤田さんが言う。「ここは僧、玄靴里墓です。」

 僧、玄靴箸い┐弌遣唐使として唐に行き帰国後、吉備真備とともに改革政治を助けた人ではないか!久しぶりに聞いた彼の名前に日本の古代史が生き生きと動き出したような気がした。

 そういえば、待ち合わせの前に見た太宰府政庁跡には、大伴旅人の歌があったっけ。

 
 昨年デトロイトを訪れた時に知り合ったご家族がある。そのご家族の子供達がとても素晴らしく印象に強く残った。今回日本に帰るにあたり連絡を取ったところ、何と彼らが住む太宰府で再会することになったのだ。

 そのこと自体も素晴らしく思っていたのだが、思いがけずに日本の古代を垣間見るなんて!!

 僧、玄靴諒茲蓮観世音寺の近くにある。この観世音寺も天智天皇が亡くなった斉明天皇のために建てた寺ではなかったか!!

 いずれも高校生の時に習ったことではあったが、実際に目にするのは初めてだった。やはり紙の上の知識は弱く、本物をみる衝撃は大きい。

 その観世音寺、現在建っているのは江戸時代に黒田藩が立て替えたものらしい。境内の碑文に年号が刻まれている。西暦に直すと1776年。アメリカが独立した年だった。


 その後、太宰府天満宮へ。受験生生活が長かった僕は、何度もこの神社に行ったが、自分の受験が終って行くのは初めてではないか。

 その前に案内された近くにある苔寺・光明寺がまた最高だった。この寺にある日本庭園を見たのだが、そこには静寂しかなかった。

 素晴らしい「間」。僕は「間」こそが日本の文化そのものだと思うのだが、その「間」がいかにも静かに漂っていた。もし僕が日本でどこか一箇所だけ外国人の友人を案内するのなら、ここに案内するだろう。それくらいここは素晴らしい。

 庭自体は静かに漂っているだけだが、その中になんともいえない強さがある。しかも決して強さが自己主張することがない!

 何という自然体だろう。ここには私たち現代の日本人が失ってしまったものがあるのではないか!


 晩御飯に連れていってくれたちゃんこも至高だった。最近アジアの料理を食べることが多いが、日本の料理も間違いなくアジアの料理だ。そして、アジアの料理ということはとてつもなく美味しいということだ。


 それ以上に素晴らしかったのは、このご家族の子供達だ。ミシガンで昨年あったときと同じように彼らとの交流を楽しんだ。

 あ〜、福岡っていい所だな。長くこの街に住んだ記憶のない僕だが、心の底からそう思った。

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2012年07月14日

じぱんぐ紀行〜12年という歳月

 今回の一時帰国で必ず会っておきたい友人がいた。彼は元職場の同僚で、同僚という以上に、この仕事で知り合った同志といえる存在だ。今につながる流れを作ってくれた人でもある。

 彼とは昨年の夏には会えなかった。昨年は急遽一時帰国を決めたため、予定が合わなかったのだ。

 なので、今年は彼と共通の知人と会うことを優先してスケジュールを組んだ。


 その彼と歩いたのは、神楽坂。彼と知り合った職場のあった場所だ。あれから12年になる。実は彼はすでに12年ぶりにこの街を歩いており、あまりの変容ぶりに驚き、僕を案内したかったようだ。

 確かに12年という歳月は街を大きく変えていた。空き地だったところに商用ビルが建ち、この街の風景にそぐわないテナントが入っていたり、この街特有の古くから人が寛いできていたのだろうな、と思われるところが取り壊されて、極めて今風の店が入っていたり。

 2人でよく食事を買いだしに行っていた弁当屋が2軒あったのだが、2軒ともなくなっていた。一軒は携帯電話のショップになっていたし、もう一軒は惣菜屋をやめて高級そうな料亭になっていた。

 
 それ以上に驚いたのは、僕達が出会った職場の変化だ。僕達の職場はあるビルの2階と3階に入っていたのだが、行ってみるとなんと3階だけになっていた。この職場の立ち上げから関わった者としては、複雑な思いになった。

 ショックを受けて職場を離れてすぐに、かつての顧客だった人がすれ違った(その人は職場の近くに昔から住んでいた)。一瞬、あれ?!という表情をされたが、すぐにいつもの表情に戻った。

 僕が私服だったということもあるだろうし、12年の歳月がその人の記憶を喚起しなかったということもあるだろう。あれから流れた歳月の重さを実感した。


 が、ようやくこの街を少し客観的に眺めることができた。それは現在という僕の位置がそれなりに充実しているからだろう。

 12年の歳月が流れた今も、昔と変わらず親交を持ってくれている友人に感謝したい。

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2012年07月13日

じぱんぐ紀行〜全く違う風景

 ここは一体どこの国なのだ!

 LAの空港に着いて最初に思った。

 同じアメリカであるにも関わらず、風景が全く異なっていたのだ。まず視界の中に白人も黒人もいない。見渡す限り、アジア系の人々とヒスパニックの人々だ。

 国際線のターミナルでも同じだった。NYでは現場の現場、人々と交わるところにアジア系の人々やヒスパニックの人々が配置されることがあっても、トップで業務を締めているのは白人であることが多いのだが、LAの空港ではそういうポジションの人でもアジア系の人々やヒスパニックの人々だった。

 乗客ですらもそうで、保安検査場では英語以外の言葉の方が多く聞こえた。

 ほんの1時間半ほどトランジットでいただけではあったが、アメリカは州によって全く異なるのだ、と実感した。と同時に、こういうLAを旅行してみたくもなった。

 さぁ、ここから12時間の旅が始まる。すでにここまで6時間かかっているのだが。

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2012年07月12日

じぱんぐ紀行〜ゆきかふひとびと

 NYに住むようになって、むしろ日本に住む知り合いが増えたような気がする。NYの観光地でJAZZバーで知り合った人もいれば、ひょんなことから知り合った人もいる。今回の一時帰国では、そういう人にも会った。

 今回の一時帰国では、行きにも帰りにも素晴らしい出会いがあった。

 行きはLA経由だったのだが、そのLA行きの飛行機で隣の席だったのが、カメラマンのAさんだ。僕は天邪鬼なところがあって、日本人らしき人がいる場合にはこちらからはあまり声をかけないようにしている。が、声をかけられた場合には必ず応じるように努めている。

 Aさんは乗り合わせてすぐに声をかけてくれた。

 そのお陰でとても楽しいひと時を過ごせた。Aさんが今回アメリカに来た理由は、日本で「こうじ」の老舗を形成している人々が、アメリカで「こうじ」を広めるためにNYとLAを訪れているそうだが、そのことを取材するために来たらしい。

 そのお話がとても魅力的で、話し方も素晴らしく、聞きほれてしまった。アメリカに住むようになり、日本の文化を少しでもアメリカの人に理解して欲しいと思っている僕としては、是非、その「こうじ」をアメリカに広めて欲しいと思うのだ。

 LAに到着後、その老舗のご一行に紹介していただいた。Aさんありがとうございます。日本の素晴らしい食文化である「こうじ」が少しでも多くの世界の人々に愛されるように願います。


 帰り道は、意外な人に出会った。実は、その人が搭乗手続きをするときから、気になっていたのだ。僕の隣のカウンターで親子3人が搭乗手続き中だったのだが、その父親の発言に驚いたのだ。

 係の人「3人でご出発ですか?」
 父親「いや、この子だけです。」

 僕もその昔、妹と2人で飛行機に乗ったことがあったが、その時はもちろん国内線だった。まさか!国際線に女の子ひとりで乗せるなんて!!

 席に着くと、何とその子が隣の席だった。ユキちゃんは小学5年生、僕は仕事がらこの年代の子と話すのは得意だ。

 ユキちゃんはとってもしっかりしたいい子で、12時間近くのフライトはとても快適だった。テトリスをやったことがないとのことだったので、教えてあげたらあっという間に上達していた。

 
 ユキちゃんはお母さんがホームステイしたことのあるバーモントにあるアメリカのご家庭に10日間ほど滞在すると言ってたな、そろそろ日本に帰った頃だろうか。

 今回の日本滞在でも多くのことを感じた。そのいくつかをここに記しておこう。


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