#アフリカODA復活である。

近くて遠く、やはり遠い国だが、中国とインドを跳び越していかねばなるまい。まだまだ「暗黒の大陸」である。

数年前から経団連を中心にしてODA復活論が言われてきたが、中国・インドといったBRICSの一角をなす手ごわい相手をほめつそやしつしつつも、日本の経済界にはこれからも強敵となるBRICSの話にはゲップがでる、という反応がある。

そこで、先進国の開発政策にまだ染まっていないアフリカ諸国に、このところ熱いまなざしが向けられ始めている、日本の資源安全保障政策とODA復活回帰論の影響であろう。





ところで、黒といえば、フランス人とアフリカとの間には

#ピエ・ノワール(黒い足)

・・・という露骨な言葉がある。もともと北アフリカの原住民を指していたが、フランスの植民地となって以降、フランス語を話す北アフリカ出身のフランス定住者、そしてアルジェリア独立以後は、アルジェリア出身もしくは在住のフランス人を指す言葉となった。もちろん、フランスの旧植民地でもあり現在もフランスとも関係の深いモロッコでも、このピエ・ノワールという言葉が使われる。

ナンチュー露骨な言葉を使うのだろう、とフランスに住み始めた頃には感じたこともあったが、ながく住んでいるうちに、フランスの移民問題が、アルジェリアのフランス人の存在に対して、フィルムのポジとネガの関係であることがわかってきた。

端的に言うと、アルジェリアにおけるフランス人とは、旧満州育ちの日本人のようなものである。フランスにおけるアルジェリア独立戦争は、米国におけるベトナム戦争であり、フランスに流入してくる移民とは、日本における在日韓国・朝鮮人である。このところの世界的なポスコロ傾向(ポストコロニアリズムをこう言うらしい、あるいは新移民時代とでも言うべきか)をうけて、フランスでもアルジェリア独立戦争の話がタブーでなくなってきた。日本では、おそらく90年代頃から在日朝鮮・韓国人社会が独自の存在を顕在化させてきた。

参考記事:アルジェリア独立後の残留フランス人たち
http://diplo.jp/articles08/0805-3.html

ピエ・ノワールという言葉自体は、未開の地の原住民としても使われるが、日本では言葉として使われなくなった「ちび黒サンボ」の説話とともに、フランスの学校教育ではまだ使われている。学童の夏休み時期の海外滞在をコロニー・ヴァカンス(Colonie de vacance)とまだ言っているくらいだ。

さて、なぜこの話が日本のアフリカ開発会議に関係があるかというと、フランス・日本も含めて世界的な資源戦略の高まりからODA復活論が根強い、というよりも、もう復活したといってよいであろう。日本政府からOECDに派遣されるロビーイストはもうみなODA支持論に鞍替えしている。

日本にとっての問題は、やはり中国とインドあたりとの競争であろう。日本のJICA活動に当たる中国のアフリカ援助はすさまじいものがある。アフリカ大陸、右を向いても左を向いてもいたるところで中国人を見かけるということらしい。