October 2009

October 31, 2009

祈祷について

この3月から、韓国大手ブロードバンドテレビ(IPTV)に、統一教専用チャンネルができました。我が家も4月に加入したので韓国統一教の番組が自宅のテレビでいつでも見られるようになって、本部教会の亨進ニムの説教も、韓国各地での行事や復興会の様子も、リビングでくつろぎながら見られます。

その頃、亨進ニムが『皆さん、統一教は宗教なんですよ』と礼拝の説教で強調されていたのが印象的でした。

十数年前まで、私は日本の仏教教団で信仰生活をしていました。

日本の統一教会に伝道されて、原理を学んで、仏教では解決できないと思っていた人生の問題を『統一【心霊】教会』で解決できると感じて、すぐに祝福を受けて韓国に来ました。

韓国に来てからも私個人の生活は間違いなく『信仰生活』でしたが、統一教全体として振り返ると宗教っぽくなかったかも・・・ですね。

日本で仏教教団にいた頃に、宗教団体によって、教学を学ぶことが中心の宗教団体もあれば、行をたくさんする宗教団体もある・・・と聞いていたので、それで言ったら統一教は大会をたくさんする所なのね、くらいに思っていたわけですが、仏教に造詣の深い亨進ニムが、この方一流の話術で『宗教なんですよ』と語られるのを聞くと、この方は本当の宗教人なんだなと、うれしくなってしまいました。

ある時は、教会長を定年退職され、亨進ニムのおそばで【訓師(フンサ)ニム】として祈祷生活をするようになる方たちに対して「皆さんはこれから祈祷生活をされ、健康も悪くされ、犠牲の生活をされます」と語られるのを見ました。

訓師ニムたちは、亨進ニムとともに朝2時から聖地祈祷をされ、午前中は修行としてトイレ掃除をされ、キリスト教の修道士や仏教の修行僧と同じように、一日を祈祷と修行を中心に生活されるそうです。

その方たちへの言葉が「健康も悪くされ、犠牲になる」です。この一言で、この方が本当に神様に祈祷する生活の本質を理解されていることがわかりました。この方に無条件でついて行けると、うれしくなってしまいましたよ。

宗教を持たない人や、信仰を持っていても本当の祈祷生活をわからない人は「祈祷をすればよいことが起こる」と思っているでしょう。宗教を否定する人ならば「宗教を持つのは神に頼り、人生の重荷をなくしてもらおうとする者たちだ」と言うのでしょう。

残念なことに、私の周辺の韓国の牧会者の言動にも、これを感じることがよくあります。仕方がありません、彼らは活動家であり、信仰者ではないのかも知れないから・・・



文鮮明師の自叙伝のために、朝5時の訓読会(祈祷会)で教会に集まり40拝の敬礼をして、文鮮明自叙伝を訓読して祈祷をする、40日精誠期間が初夏にありました。

このような期間も、現実には各自が自宅で訓読会をしていて、早朝から食口が教会に集まることはありませんでしたが、私は思い切って日本人たちに教会に集まって訓読会をしましょうと呼びかけてみました。

始めた頃は、教会長夫妻の他に日本人が1人2人でしたが、日によっては10人程度集まる朝もあり、いい雰囲気でした。

40日の期間が終わっても、このように集まって訓読会を続けるほうがいいと、教会長が言いましたが、翌日からは来る人が極端に少なくなりました。

私はそれから10日くらいは通いましたが、持病である間接の痛み、特に首の痛みと眩暈が酷くなり、日常生活に支障が出るようになってきました。

生まれつき股関節が悪くて、股関節に負担のかかることをすると、体中の間接が痛み出します。立った姿勢から膝まずいて敬礼をして立ち上がるのは、本当にタイヘンで、統一教に来たばかりの頃は、正式の敬礼をすることができませんでした。今では何とか40回できるくらいに、体がよくなっていたのですが、やはり、健康な人と同じペースで40回を続けるのは無理だったようです。

もしも、次の40日期間に健康状態がよくなっていたら、その時は教会に通って訓読会をしようと考えて、それまでは自分のペースで、敬礼は椅子に座ったままでする略式にして訓読会を続けていました。

8月の終わりになって、1014祝福式のための40日期間が始まると知ったときには、教会での訓読会に通おうと思っていたわけですが、師母ニム(サモニム/教会長婦人)が「今度の40日期間には、みんなで210回の敬礼をしよう!」と言い出したので、参加をやめました。(でも、夫と一緒に祝福式には行けましたよ^^)

210回というのは、もちろん亨進ニムの21000回の敬拝を意識したものです。

サモニムの口癖は「自分が一生懸命条件を立てて祈祷すると、どんな問題も解決して、どんな願いもかなうんだ。皆のことも条件を立ててあげて、幸せにしてあげてほしいと祈っているんだ」

一生懸命してくださるので、感謝するべきなのでしょうけれど・・・正直、疑問です。


亨進ニムは、一体どんな願いをかなえようと、21000回の敬拝条件を立てられたと言うのでしょう?

亨進ニムの21000拝は、懺悔と再出発の条件だったと私は感じています。



何か問題が起こるのも、病気になるのも、謙虚さや本当の悟りを得るために神さまが準備してくれた宿題かも知れません。それを【条件】の力で終わらせていいのでしょうか?

一時問題はなくなるのかも知れないけれど、心が育っていないなら、また繰り返すのではないかと思います。

子供に関する事として表面化する問題などは、子供が幼い頃に、親自身が内包している問題を解決するほうが簡単だと思います。幼い子供の心は、まだそれほど大きな影響を受けていないでしょうから。

その時期に根本的な解決をできないまま後回しにしてしまうと、子供が成長してからも、何度もその問題が形を変えて表れてくるので、長期間、その問題にさらされてきた子供の性格も複雑になっているでしょう。親自身の問題とともに、子供が抱えてしまった問題まで解決しなければならなくなります。その時には、親だけの努力では子供自身の問題は解決できないかも知れません。親とはいえ、自分以外の存在である子供の心を変えることはできないのですから。



本当に神様の願いを考えて祈るなら、それはただ「願いをかなえてほしい、問題を解決してほしい」ではないと思います。

「私の心のなかに、神様に喜んでもらえない部分があるなら、どうか、私がその部分を改善する努力を始められるように気付かせてください。私の心は神様が本当に目指す解決の方向を見失うかも知れません。だから、私がその努力の方向を間違えないように、最初から最後まで神様が供にいてくださって、アドバイスをしてください」

結局「幸せになる」ための祈りなのですが、言葉を省略しては真意がゆがんでしまうのかも知れませんね。







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lotus1014 at 05:02|PermalinkComments(4)TrackBack(0)

October 27, 2009

拉致監禁の爪あと

日本の食口もそうかも知れないけれど、韓国に住む日本人は、祝福を受けて韓国で暮らすようになってから同じ地域に住む日本人と出会います。よほど気があって親しくなれば別ですが、あまり昔の話を聞くことってないですね。


同じ教会に通う日本人にとても付き合いにくい人がいます。

私より早く韓国に来ていた人です。

先輩風を吹かせるのが好きで、後から来た者のに対しては小ばかにしたような物言いしかしない、やな奴です。

面倒見がいいような顔をして、後輩にべったりくっついて世話を焼くのが好きなようですが、くっつかれたほうはいい迷惑。

何から何まで、彼女のやり方に(たとえそれが古臭くて、今は通用しないものでも)あわせなければ失敗すると、くちばしを突っ込み続けて辟易させます。

また、今している事より目新しいこと、面白そうなこと、得をしそうなことが起こると、どんなに大事な仕事をしていても、放り出して消えてしまいます。

付き合いにくい人だと思っていました。よほど今の生活に不満があって、こんな行動をしているのだと思っていました。そして、こんな態度しかできないなら、人間関係も築けないし、たいした仕事もできないだろうけれど「ご立派な」先輩にあえて苦言を言ってあげるほど、物好きでも、暇人でもありませんでした。


ある時点から、私と彼女の位置が徐々に逆転してきました。私は教会日本宣教師の総務であり、日本宣教師会の情報を(所属教会だけでなく)この地域の4つの教会に伝達するためのニュースレターを作成してインターネットでの配信をしています。これはもともと私が、あまりにも情報から隔絶されていた所属教会の日本人のために個人で始めた情報提供でしたが、今ではこの地域の4教会の準公式レターとなりました。

問題の彼女は所属教会の掃除当番の管理係をしています。

当番表通りに掃除ができない場合に調整をするのが仕事ですが、彼女は掃除当番の変更をお願いする電話ができないというのです。

「忙しいところ悪いんだけど、掃除当番を入れ替わってもらえるかしら」

これだけの事が、電話で言えないというのです。お願いの電話なんてできないって事でしょうか?

2ヶ月くらい前、土曜の夜8時になって「明日の礼拝前の掃除がまだできていない」と彼女から携帯メッセージが来ました。

だから、自分が替わりに掃除をするのか、それとも私に掃除をしろという事なのか、いっさい書いてありません。

(また、逃げたわね)

私は翌日、礼拝の2時間前に教会に行き掃除をしました。

そう、彼女は問題を前にするとその場から逃げてしまうのです。この時は「掃除ができていない」と携帯メッセージを送ってきただけましなほうです。

以前の彼女なら、何も伝えないまま礼拝を休んだことでしょう。何かしら、もっともらしい理由をつけてね。

「こんな無責任な人に、神の館の掃除を任せられないわ」と思っていました。「教会の宣教師リーダーに言って、役から降ろしてもらうわ」と。


ところで、その彼女の夫は教会に通わない人です。いつから通っていないのか知りません。私が彼女を認識したときから、彼女の夫はそういう人でした。

一年前ほど前までは、教会に通わない韓国人男性のケアは奥さんの責任と言うことになっていましたが、体制が変わってから教会長がケアをはじめました。教会長は彼女の夫を何度も訪ねて行って和動を繰り返しました。その結果、彼女が過去に3回も反対派による拉致監禁にあって、日本から帰れなくなっていた期間があったと聞き出して来たのが、その「掃除」事件の少し後でした。


彼女の異常な行動の理由がわかった気がしました。

そして、3回もという回数と、それから10年と言う歳月が過ぎていたことに言葉を失いました。

適切なケアを受けることができないまま、心の状態をこじらせて、どんどん嫌な女になって来たのでしょう。

本来の彼女はどんな人だったのだろうと、少し思いました。


21000拝の敬拝をされてから、亨進ニムは本部教会の礼拝で、韓国教会の姿を、聖書に出てくる名もない女にたとえて説教されました。

全身から血のにじみ出る病気になり、ゆっくりと死んでゆくのを待つだけの、名もない女はイエスさまの噂を聞いて、死の床から出てイエス様を訪ねて行きます。人ごみを押しのけることのできない女は、人々の足のあいだからイエス様の衣のすそをつかみます。


=== 主よ、私にも愛をください ===


名もない女はイエス様によって病を癒されました。


韓国に住む拉致監禁からの生還者たちは、拉致監禁開放プロジェクト説明会の場で、亨進ニム、国進ニムに促された韓国食口たちから敬拝を受け、財団から贈り物を送られたそうです。


韓国教会には空白の30年があるのだと聞きました。

むなしく過ぎた日々が、本当に意味のある条件の期間だったと言える日が来ることを切実に祈ります。









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lotus1014 at 15:57|PermalinkComments(5)TrackBack(0)

October 25, 2009

在韓日本人・統一教徒

実はネット上には、一般の人のような顔をして在韓日本人食口(統一教徒)がたくさんいるのです。私自信も、lotus1014ではないハンドルネームで2002年からサイト運営をしてきました。

他の日本人食口がなぜ統一教食口であると明かしていないかは知りませんが、私の場合は、産後に体調をひどく崩したためのウツ状態から回復するために、インターネットで趣味を通した交流をはじめたのが始まりでした。

日本でご苦労されている食口の皆さまへの、申し訳なさのような思いもありましたが、でも、あの時期にごく普通に良識ある人々との趣味の交流を持つことができたから、私はウツ状態から回復できたと思っています。

私は、日本の母を伝道してから韓国に来たので、出産後、子供を連れて里帰りした期間も、母の所属教会に通い、日本式の信仰生活をしました。

だから、日本の食口が韓国に嫁いだ日本人たちをどんな目で見ているか、どんなことを言っているか、肌で感じました。

そして私自身、韓国に住んでいる日本人食口たちを見るとき、同じ事を感じることもあります。それ以上に、韓国人食口たちや牧会者(教会長)のおとぼけぶりもたくさん見てしまいました・・・

そのような食口や牧会者と対するとき、普通の常識的感覚を持っている韓国人は、どんどん教会から遠のいて行きました。自分の夫がそうなってしまうと日本人妻は、外国生活の苦労のうえに、教会から距離を置いてしまった夫との生活という別の苦労も負うことになります。

たぶん一般の日本人の中では、在韓日本人食口をよく知っているであろう『我らの不快な隣人』の著者である米本氏は、彼のブログ上で「かつてのよい雰囲気は、江利川時代になって、徐々に失われつつある」と書いていましたが・・・いったい、どのような人々を見て「いい」と感じていたのか、今の韓国教会の変化のどこを指して悪くなっていると感じているのか(私は米本氏は好きなのですが)理解しかねる部分です。

それこそ百人百様でしょうから、もっと深くそして広く取材されるといいのでしょうけれど・・・

教会から離れていた夫たちがどうなったかと言うと、去年から始まった韓国教会の大規模な編成替えが、彼らにとってよい転機となりました。

本当に担当教会を発展させる実力を発揮して、目に見える、数字に置き換えられる結果を出すことができないならば、教会も教会長の職も失うのだという危機感から、牧会者たちは本気で働き始めたのです。

牧会者の熱心なケアを受けられるようになり、十分な愛を感じるようになると、妻がかろうじて教会につながっていた家庭の夫たちのほとんどが、熱心に教会に通うようになりました。妻までも教会に通うことを諦めていたような家庭でも、夫婦で教会に顔を出すこともあるようになりました。

ある先輩家庭の日本人は「教会長の態度ひとつで、夫たちがこんなにかわるのだもの、妻の責任なんかじゃなかったって事よね」と言っていましたが・・・

それ以前は、教会に通い続けていた数人の日本人食口のみに、教会の仕事が集中していたので「自分ばかりが大変」と、教会の仕事をしていない日本人に対してよくない感情を持っていた人もいました。日本人同士のあいだまでギスギスした雰囲気になりつつあったのです。でも、多くの日本人があたりまえに働くようになって、負担が軽減されるようになると、自分以外の日本人の立場に共感する余裕も出てきました。

江利川時代になって、韓国に住む日本人食口は、間違いなく忙しくなっています。

韓国に来て以来、自分の家庭のことだけしてきた日本人食口の中には、今はまだ、忙しさに振り回されるばかりで、拒否感を感じている人もいるのかも知れません。でも、私の身の回りの日本人たちは、徐々にこの感覚になじんできています。むしろ、この充実した生き方が、自分が本来求めていたものであると、気づきはじめているかも知れません。それとともに、円満な人間関係を持てるコミュニティーとしての教会を運営できるようになって来ています。

文享進ニムが「食口たちが信仰をなくしたから、教会が楽しくなくなって、それとともに生活が大変になってしまったのだ」とおっしゃられていましたが、その言葉が真実であったと強く感じます。

どうか、私の言葉が足りないことで誤解が生まれることがありませんように・・・







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lotus1014 at 17:37|PermalinkComments(2)TrackBack(0)

October 24, 2009

封印を解く

『私にとって人生は
誰とも相談することのできない
孤独な路程でした。
今まで、明かすことのできなかった
私の心の中の、暴風のような
話をしてみましょう』
(韓国語版・文鮮明自叙伝からの翻訳引用)

私たちが『お父様』と呼ぶ
文鮮明師の自叙伝が日本でも発売され
ベストセラーとなっている今

今まで沈黙するしかなかった
私たちが封印を解いて
人生を語るときと感じています。

100人の統一教会員がいるなら
100通りの人生が

1000人いるなら
1000の人生があるでしょう。

私は1997年に
ワシントンDCで
祝福を受けた日本人で

以来、韓国人の夫とともに
韓国の地方都市に住んでいます。

日本のマスメディアから伝えられる
ステレオ・タイプな情報ではない

【統一教】を信じる者の
真実の姿を知りたいなら
どうか、心静かに耳を傾けてください。







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lotus1014 at 14:39|PermalinkComments(6)TrackBack(0)