僕は君たちに武器を配りたい 瀧本 哲史 (著)

 知り合いの投資家に薦められて読んだ本。推薦した本人も、少なくとも投資家でこのことに気付いていない人はいないと言っていたし、アマゾンのレビューでも「そんなことは常識」「誰でも知っている今更の内容」と言った意見が見られた。確かに目新しいことは言っていないかもしれないが、まだその変化に触れていない人にとっては大きな気付きが得られる本ではないかと思った。

 著者は、グローバル化した現在の資本市場においては、あらゆる産業が徹底的にコモディティ化していくと警告する。コモディティ化とは、市場に出回っている商品が個性を失ってしまい、消費者にとってみればどのメーカーの商品を買っても大差がない状態を言う。言い換えれば代替が効くということだ。その典型として挙げられるのが牛丼屋チェーンである。牛丼を食べたいと思った時、すぐ近くに松屋の看板が目に入ったとしよう。その時、自分は吉野家のファンだからと、1駅先の吉野家まで行く人はほとんどいない。もし近くに2件が立地していても、多くの消費者は価格の安い方を選ぶ。普通の人にとって、吉野家も松屋も同じ牛丼でしかないからだ。そうしてコモディティ化した市場は、利益が出なくなるまで終わりなき価格競争にさらされる。

 そして、コモディティ化するのは商品やサービスだけではない、と著者は強調する。

これまでの「人材マーケット」では、資格やTOEICの点数といった、客観的に数値で測定できる指標が重視されてきた。だがそうした数値は、極端にいえば工業製品のスペックと何も変わりがない。同じ数値であれば、企業側は安く使えるほうを採用するに決まっている。

ここ最近は、自己啓発書や勉強本のブームに見て取れるような「努力神話」が流行だったが、それらは「不安解消マーケティング」にすぎないと断じる。何が正しいかわからないからこそ「これさえあれば」が受けるのだと言うが、現実には、資格があるだけでは牛丼のように買い叩かれてしまう。今や弁護士、一級建築士、会計士でさえも、コモディティ化の波にさらわれつつある。

 著者は京都大学で「起業論」を指導しており、その内容は成功したベンチャー企業のケーススタディを中心とした、実践的な起業論であるが、内容は起業の話に留まらず、「大学を卒業後、どうやって自分の価値を、資本主義の世の中で高めていくか」というのが大きなテーマとなっていて、この授業は学内でも大変人気があると言う。驚いたのは、京大の学生の中でも、医学部の学生がもっとも多く彼の授業を受けに来ていたことだ。不思議に思った彼が医学部の学生たちにヒアリングしてみると、学生たちが「この国では将来、医者になっても、幸せにはなれない」と感じていたことがわかったと言う。著者は、これまで大学が伝統的に提供してきた、「知識をたくさん頭脳につめこんで専門家になれば、良い会社に入れて良い生活を送ることが可能となり、それで一生が安泰に過ごせる」というストーリーが、日本のみならず世界中の先進国で急激に崩れ去っているのだと指摘する。

 では、単に使われているだけのコモディティな人材と、そうでない人材の違いはなんだろうか。著者は、儲かる人材は次の6タイプに分類されるとしている。

1. 商品を遠くに運んで売ることができる人(トレーダー)
2. 自分の専門性を高めて、高いスキルによって仕事をする人(エキスパート)
3. 商品に付加価値をつけて、市場に合わせて売ることができる人(マーケター)
4. まったく新しい仕組みをイノベーションできる人(イノベーター)
5. 自分が起業家となり、みんなをマネージしてリーダーとして行動する人(リーダー)
6. 投資家として市場に参加している人(インベスター)

だが、この6タイプのうち、トレーダーとエキスパートは現に価値を失いつつある。それに対抗するには「スペシャリティ」を目指すべきで、そのためには投資家的に考えて労働することが大事だと説いている。このエントリは書評ではないので、その具体的な内容については省略するが、著者は最後の方でこう述べている。

だから「この会社は将来伸びるに違いない」と思ったならば、自分の持っている人脈や知識、スキルなどの「人的資産」を投資すればいい。いちばん単純な投資方法は、その会社の社員になることだ。だがその場合も、ただの「一社員」になるのではなく、経営層の一員となるか、株式を所有するといった形で、会社が大きくなったときにそれに応じて自分もリターンを得られるようにすることが重要だ。

 しかし、冷静に考えると、これをそのまま実行するのは極めて難しい。マッキンゼーを出た著者や、彼の教える京大の学生なら、一部は実現可能かもしれないが、世の中はそういう人ばかりではない。また、自分の置かれた状況、例えば家庭があるなどの理由で簡単にはリスクを取れない場合もあるだろうし、それまで培って来たスキルをかなぐり捨てて、伸びそうなマーケットに合わせていくのは決して容易なことではない。(もっとも、この本は学生を中心とした若者に向けて書かれているので、これが言いがかりであることは承知している)

 そもそも、これから伸びるに違いないと思ったマーケットが必ず当たるとは限らない。例えば昨年の震災後、代替エネルギーとして太陽光発電に対する期待が急速に高まった。マーケットも一時はそのストーリーに乗り、関連株は大きく上昇した。ところが、その後は一転して過剰設備に悩まされ、価格競争は激烈を極めた。その結果、一時は世界最大手まで上り詰めたドイツのQセルズが破綻し、アメリカの最大手ファーストソーラーの株価は、2011年の高値168ドルから現在12.8ドルへと、実に1/13まで下落。業界にはリストラの嵐が吹き荒れた。この間、わずか1年数ヶ月のことである。

 今の時代、儲かりそうだと思ったマーケットには、猛烈なスピードでライバルが参入してきてあっという間に過当競争に陥る。これは製造業に限ったことではない。もう多くの人の記憶から忘れ去られてしまったかもしれないクーポンサービスなど、探せば事例はいくらでもある。投資家的な発想を身につけようとするのは素晴らしいことだ。しかし、厳しいことを言うようだが、その程度で本当に有望なマーケットが読み通せれば、世の投資家は誰も損していないはずである。

 著者は株式投資について、損して学ぶつもりでやるなら良いと述べている。公開株に投資するのはカモネギのやることで、一般投資家が株式投資で確実に儲けるのはほぼ不可能だと考えていると言う。これはある一面では正しい。確かに誰もが簡単に儲かるわけではないだろう。しかし、株式投資のメリットを考えた時、チャレンジすることにはなお意味があると自分は考えている。

 UBICと言う会社をご存知だろうか。コンピュータやネットワークシステム上のログなどを収集、解析し、法的紛争の解決を支援するフォレンジックサービスと言う事業を展開している新興の企業だ。特許紛争や産業スパイの問題が耐えない現在、この分野は非常に将来性が高いとして期待されている。

 今でこそ東証マザーズの主力株に位置づけられている同社だが、実は2年前の2010年11月には、「当社株式の時価総額について」と言うタイトルで、上場廃止基準に抵触する可能性のある「時価総額3億円未満」となったことを報告するプレスリリースを出さなければいけない事態になっていたような会社だった。それが今や、AmexやVisaなどの国際カードブランド大手が設立した米国PCIセキュリティ基準審議会から、日本企業として初めて、アジア太平洋地域で活動するペイメントカードの情報漏えい事件のフォレンジック調査機関として承認を受けるに至り、時価総額は最大で290億円、実に最安値から98倍にまで上昇した。現在の時価総額は189億円まで下がっているが、これだけの成長企業にしてPERは14倍と割安感があり、今の株価なら決してバブルではない実力での水準だと言える。

 ところで、これだけの株価上昇を見せた同社だが、2012年3月末時点での連結従業員数は、わずかに88名しかいない。時価総額基準抵触の危機に瀕していた2年前は56人だったので、それから新たにUBICの社員になれたのは、たったの32人しかいないのである。たとえ2年前の時点でUBICの事業が有望だとわかっていたとしても、これはあまりにも狭き門だと言うほかない。だが、UBICの株なら誰でも買うことが出来たのだ。それこそ時価総額が3億円を割るほどの捨て値で売られていたのだから。

 これは成長企業の例としてよく引き合いに出されるアップルにも同じことが言える。アップルの現在の株価は580ドルだが、初代iMacが発表された98年5月には7ドルでしかなかった。iPodが発表された01年10月でも8ドル。iPhoneが発表された07年1月には90ドルまで上がっていたが、そこからでも5年で6倍以上の値上がりだ。初期投資額にもよるが、アップルの社員として働くよりもアップル株に投資した方が、金銭的なリターンは遙かに大きくなっていた可能性がある。

 また、一度会社に身を置いてしまうと、そこからの人生の舵取りは年齢とともに限られたものになっていく。そうした中で、当初は良いと思っていた事業がいつの間にかコモディティ化してしまった時、一個人としてやれることはそれほど多くない。しかし、株式投資であれば、所属や職種、時には言語や国境さえも超えて、いつでもコモディティ化していないマーケットへとアクセスすることが可能なのだ。もし判断が間違っていたと思ったら、クリック1つで売却すれば済む話である。

 とは言え、コモディティ化の波は投資家にも容赦なく襲いかかっている。少し前で言えば、株式投資と言えばデイトレードのイメージが強かったように思う。かくいう自分も、テレビに出ていた有名トレーダーに刺激を受けた口だ。当時の彼はまごうことなきパイオニアで、いわゆるスキャルピングと言う超短期のトレードで億を稼いだと言う実績を示したことは、まさしくエポックメイキングな出来事だった。だが、やがて多くの参加者が彼のやり方を真似するようになると、その手法も次第にコモディティ化していった。それでも環境の変化に対応して生き残ってきたトレーダーは多くいたが、もはや第一線で彼の姿を見ることはなかった。

 さらに、2年前に東証がアローヘッドと言う超高速な取引システムを導入してから、状況は大きく変わる。それまでのシステムでは、注文が処理されるのは2秒に1回の間隔で、今からすれば紙芝居のような動きをしていた。この2秒間の間に発注された注文は一纏めとして処理されるが、機関投資家の端末ではその内訳を見ることができたので、ネット証券と比べた明確な優位性も存在した。しかし、アローヘッド後は個人もプロもほぼ同じ環境となったことに加え、1/100秒単位の処理速度に対応できる超高速なアルゴリズムトレーディングのシステムが海外勢を中心に相次いで投入された。これにより、東証は人対人の戦場から、人対コンピュータの戦場へと変わったのである。

 その結果、兜町の中だけで通用していた「対人スキル」的なものが急速に価値を喪失していった。格闘ゲームには、特定のプレイヤーのクセや弱点を分析して勝利につなげる「人読み」と言うスキルがあるそうだが、株の「板読み」はそれに近いものだったかもしれない。だが、それも相手が無機質な機械では役に立たない。商品を遠くに運んで売るだけのトレーダーは、相場の世界では既に価値を消失しているのだ。

 変わっていま勢いがあるのが、ストーリーを売るマーケター的な投資家だ。これだけコモディティ化が広がると、逆にスペシャリティを持った企業には成長を求める資金が殺到する。クラウド、医療、少し前のソーシャルなど、将来性を感じさせるストーリーが出てくると局所的なバブルが発生するのだ。それをいち早く察知するには、特定の分野に対する専門性よりも、むしろ世の中の動き全体を広く浅く観測することが重要となる。著者は、既存のものを、今までとは違う組み合わせ方で提示することがイノベーションの本質であると述べている。投資のアイデアもこれと同じで、ある業界と別の業界に起こっていることから、次にどんな変化が生まれるのかを推測できれば人に先んじることが出来る。今なお利益を上げている投資家は、いうなれば「観測者」としてのエキスパートなのである。

 話は少し変わるが、フェイスブックのIPOは新たな懸念を生じさせるものであった。今や資金は上場前の段階から十分すぎるほどに集まる状態になっていて、IPOはそれこそ出口の役割しか持たなくなったのではないか、と言う疑念だ。未曾有の金融緩和で世界的なカネ余りが進行する一方、スタートアップが事業に必要とする資金は少なくなる傾向にある。そしてあらゆる産業がコモディティ化しているとなれば、有望なベンチャーにはむしろ頭を下げて資金を出させて下さいとなってもおかしくはない。映画「ソーシャル・ネットワーク」で描かれた資金調達を巡る生々しいやり取りは印象的だったが、今では資金さえもがコモディティ化しているのではないか。フェイスブックの歴史的な初値天井が、今後どういった影響を及ぼすかには注視して行かなければならない。

 一部反論めいた内容になってしまった部分もあるが、株式投資に対する考え方を除けば、著者の主張は全面的に同意できるものである。あらゆるものがコモディティ化との戦いにさらされていることを認め、それを前提として生き残る術を1人1人が考えていかなければならない時代になった。とは言え、自分一人が持ちうるスキルには限界がある。その時、全く別の世界へアクセスする手段としての株式投資の重要性は、むしろ高まっているのではないか。戦士には斧、盗賊にはナイフ、狩人には弓と、それぞれの人に適した武器がある。一般的にはリスクが高いとされる株式投資も、誰かにとっては非常に強力な武器となり得ることを忘れないでいて欲しい。