そーせいが株価10,000円の大台を突破した。リーマンショック後の安値は91円だったから、とうとう100倍高を達成したことになる。

 2年前の8月、私は投資クラスタのオフ会にて、以前からツイッターを通じて知り合っていた若者にそーせいについての見解を求められた。そーせいに最初の大波が訪れていた時で、当時彼は信用を使ってそーせいを買っていると言っていた。うろ覚えだが、シーブリやウルティブロと言ったワードもそこでは出ていた気がする。

 私はそんな株を信用で買うのは危険だからやめておいた方が良いとアドバイスした。そーせいに関して何らかの具体的な知見があったわけではない。ただ、日本のバイオ株の歴史はその悉くが上場ゴールによって紡がれており、まともなものは一つもないと思っていた。また、個人投資家からアナリストに転じて数多くのIRミーティングを精力的にこなしていた頃であり、まだ若くキャリアも浅い彼に対して少しおごった気持ちもあったのだろう。ともかくも多少の上から目線をもって、無謀なことはよせと私は意見した。

 それから2年間、彼はそーせいと田村社長を愚直に信じて持ち続けた。具体的な金額はわからないが、以前聞いていた話からするとこの相場で一財産築いたはずだ。ひょっとすると大台に迫っているかもしれない。まだ30歳になるかならないかぐらいの若さだったはずなので、大いにめでたいことだし素晴らしい快挙だと思う。2度3度あった半値押しを耐え抜いた彼の強烈な意志の力が報われたことは喜ばしい。

 と同時に、その時からヒントを与えられながらついにこの相場に参加すること叶わなかった己の無能さにあきれ果てている。ちょうどそんな思いを募らせていた折、書店でたまたま手に取った本の内容が非常に良く、今の自分を叱咤するような言葉に溢れていて多くの気付きを得られた。

 手法などの話はほとんどなく、相場というものに対する心がけや気の持ちようを説く内容で、投資本ながら兵法や戦争論、柳生新陰流などの武道からの引用が多数を占め、冒頭から終わりまで頷かされることがとても多かった。著者の言わんとするところを読み取るには一定の経験が必要と思われるので読み手を選ぶ本だが、個人的には名著と呼ぶに値する作品だと感じた。 

50年超の投資実践でつかんだ「最後に勝つ」相場の哲学 賢者の投資、愚者の投資

 その中の一節に、可能性と蓋然性についての話があった。可能性というのはその事象が起こり得るか否かを論じるもので、例えば日経平均が40000円まで上昇する可能性と10000円まで下落する可能性はいずれも存在する。だが、来年のうちに日経平均が30000円まで上昇するかという話になれば、その可能性はかなり低いと言える。しかし、可能性はあるかないかの話なので、この場合は蓋然性が低いと言うべきだという話である。

 投資に絶対はないという言葉がある通り、相場においてはあらゆる可能性が存在しており、それを明確に否定できるケースの方が稀である。従って、投資家が通常考えるべきは蓋然性の方になるのだが、投資家はしばしばこれを混同する。 

 私が資産1億円の大台を突破し飛躍するきっかけとなったのが、2010年のシナジーマーケティングの相場である。当時クラウドコンピューティングという概念が市場に認知され始めた時期で、そこに米国の巨人であるセールスフォースドットコムと日本企業として初めての資本業務提携を結んだのがこのシナジーマーケティングであった。

 株価は初物を好む。私はかねてから、「市場はクラウドコンピューティング関連の本命銘柄を欲している」と考えていたので、この材料を知って雷に打たれたような衝撃を受けた。そして、それまでに取ったことのないようなリスク量で大勝負をかけることを決意し、資産を一挙に倍増させることに成功した。

 しかし、今から考えればこれは典型的なテーマ株投資であり、今でいうところのイナゴ株の値動きであった。事実、その年からシナジーマーケティングの業績は一向に上向かず、4年後に私の売値の遥か下でヤフーに買収された。当時の自分にはテーマ株投資をやったという意識は全くなく、純粋にこの提携を契機としてクラウドコンピューティング時代の波に乗り、業績が大きく伸びていくと考えていた。ただ、その実現を待つ前にそうなった時に想定されるフェアバリューを上回ったため、利益確定を行っただけの話である。

 だから、仮に株価が吹き上がることなく私が株を持ち続けていたら、その後の業績不振で数年にわたる塩漬けを余儀なくされていた可能性はあったし、その過程で大きな損切りを強いられていたかもしれない。そう考えると、この投資は資産が倍増したという意味で試合には大いに勝ったが、その後4年経っても業績に反映されなかったという事実は勝負に負けたことを示していた。

 それが2010年のことである。果たして今の自分ならどうか。低かったPERにテーマ性のプレミアムが付くことは理解できる。資本参加が報じられた当時のPERは、増収増益のIT企業なのに10倍前半だった。3連続ストップ高の後で買ってもなお10倍台だったことを記憶しているので、全く同じ状況なら(今の市場環境でPER10倍台で寄り付くことはありえないが)試合には参加したことだろう。

 でも数年内に株価の数倍化を肯定するほどの業績貢献は難しいと考えて、大勝負はしないはずだ。売り時も早まったかもしれない。ちなみに買値から3倍で売ったシナジーマーケティングはその後さらに2.5倍上昇した。材料が出る前からで言えば12倍近い暴騰だが、結果を見れば完全に市場の見込み違いだった。

 これをどう捉えるかは各々の感性やスタイルに依ると思うが、経験を積めば見込み違いに終わりそうだという現実的な見方ができるようになる。まさにこのシナジーマーケティングのように、期待先行しながらも結果が出ない、ビジネスを拡大させることは投資家が思っているよりも遥かに難しく、事業提携一つでどうにかなるものではないという事例を山ほど目にすることになるからだ。

 こうして、投資家は経験と知識を積み重ねることで蓋然性を見極める力を持つようになっていく。すると必然的に、ある力を失うことになる。それが「勘違い力」である。

 あの時の私はシナジーマーケティングが本当に時価総額数百億円の巨大企業になる可能性があると思っていた。経験のある投資家からすれば根拠の無い買い煽りだと批判されるような飛躍したロジックをいくつも脳内に展開し、その度に密かに興奮していた。妄想広がるその可能性だけを頼りに勝負をしかけたが、蓋然性については深く考えなかった。いや、考える力がなかった。 だが、同じような投資家が瞬間的には多くなったために、試合には勝つことができた。

 すなわち、かつてシナジーマーケティングで大儲けした投資家が、こんにちのシナジーマーケティングには乗れないということである。それがある意味での健全な成長だとも思っている。いつまでも勘違い力によってのみ相場を張っていたら、いつか壮絶な失敗をやらかすに決まっている。今でも他人から見れば多くの勘違い力にまみれているとは思うが、昔よりは遥かに蓋然性を重視した投資ができるようになった。その代わりに短期での株価上昇は見込めなくなったが、それはそういうものとして受け止めるしかない。

 話を大きく戻そう。私は若者にそーせいに関する重大なヒントをもらっていた。だが、その蓋然性はおろか、可能性についてさえ検討することを怠った。どうせ日本のバイオ株に本物はないという思い込みから、巨木の苗を手にする機会を自ら手放したのだ。

 国内にこもり、長年の安定的な事業を続けるだけの企業が業績を大きく拡大させる可能性はない。つまり蓋然性もゼロである。だが、そーせいがここから1兆円企業に育つ可能性はある。一般的な表現で言えば「その可能性は僅かにある」となるが、あるかないかで言えば確かにあるのだ。

 そして数々のプレスリリースによってその蓋然性が少しずつ高まってきたために、市場からの評価が変わって株価にも反映された。今の段階では1%が10%になったぐらいの話(この表現は適当なのでホルダー諸氏にはスルーしていただきたい)かもしれないが、当たる確率が10倍になったと参加者が見込めば、それだけ賞金が下がる=株価が上昇するのは必然だ。

 投資家はある銘柄のストーリーに出会った時、その可能性の検討については常に肯定的であらねばならない。清らかで前向きな心を持って、あるという前提でその銘柄の良い所を探してやるのである。しかし、あると見込んで蓋然性を考える段になったら、猜疑心の塊へと態度を豹変させなければならない。

 この相反する2つの心を自分のうちに同居させ、それでいて混同することのないようにすることができなければ、可能性のみを信じて見込み違いを繰り返すか、蓋然性を重視するあまり多くの機会を逸するかというバランスの悪い投資家ができあがる。

 その昔テーマ株で大儲けした自分が、いつの間にか後者となってファンダメンタリストを自称するようになり、その悪癖がますます強くなっていることを私は正しく認識してこなかった。だから、今年も数多くの機会を逃してきた。特に、そーせいのように蓋然性は低いが可能性はあり、そのストーリーが実現した時のポテンシャルがとてつもなく大きい場合には逃したショックや喪失感は一段と大きくなる。

 年を取ればそれだけでも自動的に感性は鈍磨していく。これからは初心に帰って、あの頃のような純粋な気持ちで一つ一つの可能性に向き合っていかなければ、これ以上の成長はないだろう。私が今そーせいの連日の株価上昇を苦々しく見ていることは事実だが、この苦味を感じられなくなったらそれこそ投資家としての天井である。そのことを教えてくれたそーせいと彼には感謝しなければならない。だから、最後はこんな言葉で締めくくりたいと思う。

−私はそーせいの株価上昇が憎いのではない。そーせいの可能性を信じられなかった自分自身が憎いのである。

 鋼の意志を貫き通した長年のホルダーに栄光あれ。