2013年06月28日

失情す

自身の不甲斐なさによりからだを悪くしてしまったため、今月末発売の『楽園』第十二号ではお休みをいただくことになってしまいました。なるべく早くいろんなことに戻れるよう、努めます。

そういうわけで、新作ではないのですが、もうひとつ告知があります。
六月二十八日に東京創元社さんから刊行される『極光星群−年刊日本SF傑作選−』に、自分の描いた漫画『とっておきの脇差』を収録していただいています。単行本『成程』で描き下ろしたものですが、このような機会に恵まれて光栄です。ちなみに、自分の作品以外はほとんど小説(一作のみ脚本からの抜粋)です。
どうぞよろしくお願い致します。


およそ二十年ぶりに入院をして一番びっくりしたのは、夜更けに便所へ行くのが微塵もおそろしくなくなっている自分の神経でした。それなりに古い建物でしたが、本当に、胸のなかをすいてさらってばらしてもどこにも自身から発してしかるべき恐怖の情が残っていないので、これはすさまじい隔絶だ、という思いでした。夜更けに便所へ行くことを真実恐ろしく感じているうちに、夜更けに便所へ行くことの恐ろしさを描写しておくべきだったのではないか、と、後悔頻りです。

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2013年04月30日

内外問わず見てくれ

白泉社さんから刊行されている『楽園』のウェブ増刊が無料で公開中です。
公式ウェブサイト
そのなかで、自分は二つの漫画を描かせていただいています。『みっとも』と『内』という題です。
公開時期には限りがありますので、今のうちにどうぞよろしくお願いいたします。

それに加えて、五月五日に開催されるコミティア104で寄稿させていただいている新刊がございます。
オカルト検証会さんの『となりに感』という本に、『因る』という八頁漫画を寄せさせてもらいました。オカルト検証会さんの場所は、あ08bです。コミティアに足を運ばれる方がいらっしゃいましたら、ぜひこちらもよろしくお願いいたしたいところです。

また、このたび、全国の漫画研究会などに属する学生さんたちによって営まれている東京マンガラボさんから、インタビューを受けました。恥ずかしながら、こちらです。
よろしくお願いいたします。


それにしても頑張るときの為によく菓子を買い溜めておくのですが、そしてそれを頑張りながら食わざるを得ないことがままあり、そうするとこの肉体としては元来強健ならざれば、いつの間にか健康を損なうよりほかになく、今では溜まりきった菓子どもをただ部屋の模様か何ぞのように、触れもしなければ一日見ないで過ごすようなこともある、そういった存在です。

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2013年02月28日

標語


さて、二月二十八日に発売される『楽園』第十一号(白泉社刊)に、自分の漫画を二本、載せていただいています。題はそれぞれ、『以後』と『ノン察知』です。初めて掲載していただいてから二年です。過ぎゆき癖の強い時の本分てやつですね。なにとぞよろしくお願い致します。
公式ウェブサイト


印象に残る映画をみたが、夢のなかでのことだ。
夢のなかで観たその映画は、戦争に題材をとる映画だった。戦時の小学校におけるあるひとつの教室を撮っていた。その教室には三十人ほどの子どもたちが学んでいる。
特に戦争とは関わりなくただ生活するようすが細部まで描かれる。三十人の生徒のうち、十人くらいの生活を特に掘り下げていた。彼らの飯の種から机のなかまで写して観ている者の気持ちがかなり子供たちに寄っていったところで、昼間の学校が戦闘機に襲われる。爆撃ではなく、教室の窓のすぐそばに戦闘機が停止して、そこから教室のなかに向かって機関砲をまんべんなく撃った。
窓に戦闘機が寄ってきた時点で教師は大事を感じて子供たちを教室の外へ誘導したが、全員を逃すことはできなかった。この急襲によって、教室にいた生徒たちの三分の一が亡くなった。すなわち、映画の前半で特に生活を写されていた彼らである。しかし映画はそこからなおも続く。戦闘機による急襲は映画のちょうどなかほどのことで、後半には、学校を失ってもなお教室を持とうとする教師と子供らの苦難が描かれる。ところがこの後半がやけに淡々として進む。前半では、約十人の子どもたちの名前も作中に出てきて、生活は細部まで具体的に描かれていた。それが後半に移ると誰の名前もあらわれず、ただ人々の全体としての運動や苦悩が写されて終わるのだった。
前半でさんざん子どもたちに気持ちの入っていた自分は、すさまじいむなしさを感じた。「失われた」という感覚に圧倒された。ああもうあの子たちはいないのだ。いないままあとのことが進むしかないのだ、と思うと、当たり前という一語では到底通り過ぎることのできないものを目の前にしている気がした。そして、そういう感覚を与えるために製作者たちがこういうことをわざとやったのだろう、ということで、感心するやら悔しがるやら、そのいやみな感じに呆れるやらであった。
おわり。

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2012年12月22日

マキバラパンチ


白泉社さんの『楽園』ウェブ増刊で続々と作品が公開されているなか、そこに自分の描いた漫画をもうひとつ混ぜていただくことができました。
題は『運ぶ』で、ウェブ増刊の十二月十八日のところから読めます。前の『時機たち』(こちらは十二月五日です)とあわせてよろしくお願いいたします。
公式ウェブサイト

最近はストドラ・パンパを現地で歌った音源はないものかと探しています。日本語で歌っているものしか聴いたことがないので、なにも現地で歌っているものに限らずとも、日本語でない言葉で歌われているものでよいので、一度は聴いてみたいという気持ちをしています。

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2012年12月06日

名好機


いつもひとかたならぬお世話になっている白泉社さんの『楽園』が、ウェブ増刊を公開しています。公式ウェブサイト
そこで、現在、自分の描いた『時機たち』という漫画もいっしょに公開されています。
これに関しては何度でも書きますが、公開期間は限定されており、また、無料です。よろしくお願い致します。


先日、人間より小さい動物たちが皆、人間と同等か、あるいはそれ以上の大きさを持つという夢をみた。
大きなからだを得た元小動物たちはそれぞれがより蔓延ろうとして目論み、具体的には人間の立場にとってかわろうとして行動を始める。人間はそうなる前から収集していた知識があるので、彼らをすばやく的確に駆逐していく。元小動物たちは各個でやっていても順次駆逐されていくばかりだとわかって、たがいに歩み寄り、力を合わせようとするが、そこには相性が関わってきて、なかなかうまくはいかない。獣と多足類とではどうしても言葉が通じなかったりするのだ。それでも同じ昆虫の間で、あるいは鳥類の間でなど、類の近いもの同士が少しずつ結束をはじめて、どうにか人類に立ち向かう力を持とうとしていた。むろん人類は人類で姑息なもので、あらかじめ間者を送り込むなどしてそれらの結束を極力破談に仕向けてしまうのだった。とはいえ、やはりあちらへもこちらへも手を伸ばしていると、どうしても至らないところが出てくる。元小動物たちはその隙をついて、破談しては結束し、結束しては打ちのめされながらも、徐々に人類へと迫りつつあった。
そんななかでタラバガニは、その長が人類にくだった希有な種族である。そしてその方法もやや特殊であった。いきなり人類に投降する、と長が宣言したとしても大多数のタラバガニたちは承知しないであろうから、容易に統制がとれる範囲になるまで、長みずからが少しずつ、種を減らしていくという手段をとっていた。つまり長が身内を殺していく、というやり方である。タラバガニの長は定期的に、通ずる人間のもとへ仲間の殻を届けた。それはいつも大体タラバガニ五、六匹分の殻で、ばらばらに砕けており、身はない。長が言うには、仲間の目から隠匿し、また持ち運びするには砕いておいた方が都合がよい、とのことであった。第一、自分のやり方で仲間を殺すときにはどうしても殻が割れてしまう、という言い訳もしていた。そうやって仲間の殻を献上することで、人類への忠誠をあらわしていたのだった。
ところがこれは嘘である。タラバガニの殻はその個体が死なない限り、再生する。全体を砕けば再生はできないが、そのときには個体も死んでいるので関係あるまい。タラバガニの長はすべての仲間に、現状を明かしていた。その上で、いつも殻の一部を仲間からもらいうけていた。仲間がみずから剥がした殻の一部を組み合わせて、ちょうど五、六匹分に相当するまで溜まると、これを人間に届けにいくのである。一部とはいえ、殻を剥がした仲間は痛手を負うが、将来のためということで我慢した。そして、しばらくして殻が再生すると、また剥がして長に渡す。
タラバガニの長の判断では、現状、到底人類にはかなうべくもない。それはほかのどんな動物と組んだところで同じだろう、と思われた。現に、せっかく大きなからだを得たにもかかわらず、むしろそれによって絶滅を強いられた元小動物がかなりいる。しかしその過程で人類が徐々に疲弊してきていることもタラバガニの長は理解していたので、これは時機を待つよりほかない、と考えた。それまで種が耐えるには、まず人類から駆逐の対象として見られるわけにはいかないので、先のような手段をもって投降を演じたのである。人類にはタラバガニは限りなく自滅に近い道をたどっていると思わせておいて、実際には目立たぬように数を増やし、戦力を蓄えようとしていたのだ。
しかし、目立たぬように数を増やす、というのがやや難しかった。タラバガニたちは長をのぞけばあとはさほどの知能を持たなかったので、目立たぬようにしろ、という命令をきくことはできたが、実際のところその命令によってどこまで自分たちの行動が制限されているのか、理解することができなかった。彼らとしても望むわけでなく、気がつくといろんな折に人間の目が彼らの姿をとらえ、どうにも最近あの辺ではタラバガニをよく見るな、という話が人々のあいだを通いだすのだった。
そこで動き出したのがカニ殺しの名人である。彼は細身にいがぐり頭で丸い眼鏡をかけて、自転車に乗ってやって来た。そしてタラバガニに出くわすと、「私はカニ殺しの者なので」と一言ことわってから、虫捕り網を一閃し、タラバガニの爪を捕らえる。爪を捕らえられたタラバガニは怯えて硬直するので、あとは抱えて連れ去るなり、その場で徹底的に打ち砕くなりしてしまう。
そうやって何匹かのタラバガニを駆逐したところで、名人はタラバガニの長と遭遇した。高架の脇の暗い道路をゆっくりと自転車で進みながら、名人は、相手が長とも知らずに、いつものように声をかけた。「すみません。私はカニ殺しの者なので」
名人が言い終えるより先に、タラバガニの長はそばの細路地へと逃れた。長は、名人が名乗る前からその佇まいからただならぬものを察して、身構えていたのである。しかし名人が自転車を本気でこいだならば、それはカニの逃走より速かった。あっという間に長は追いつかれて、名人と対峙した。このときには名人も、相手が普通のタラバガニでないことがわかっている。こんなにも用心をされたのは名人にとって初めてのことだ。いつもは自転車に乗りながら虫捕り網を振るうのだが、追いつくやいなや自転車から降りて、虫捕り網を上段に構えていた。一方、タラバガニもいつの間に用意したのか、虫捕り網を片方の爪に挟んで、名人に向けている。あとは、互いに言葉もなく、ただ相手に向けて網を振るうばかりであった。名人は長の爪を、長は名人の頭を狙って。
ここで大きな誤算をしていたのは名人だ。名人はこのタラバガニの長ほど、知能のはたらくカニを相手にしたことがなかった。ほかのカニは爪をふさがれると無抵抗になるのだが、タラバガニの長は少しも動じない。名人は幾度となく長の爪を虫捕り網でとらえている。しかしタラバガニの長は、人間の力を知っていて、それが巨大になったタラバガニと比べて大きく劣ることも知っているから、すぐに振り払われてしまう。名人は予備の虫捕り網も取り出して、両手に一本ずつ構えてタラバガニの長に対した。ときにはうまく相手の両爪をとらえることもあるが、タラバガニの筋力の前になすすべなく払われるのだった。
しばらくするうちに名人はタラバガニの長のからだの上にのって、片方の爪を虫捕り網で捕らえた。そしてもう一本で相手のどこを捕らえれば有効か、タラバガニの長が振りまわす爪をかわしながら思案した。このときには名人は全身が汗にぬれて、いちじるしく消耗していた。長のからだの上をとることができたこれが最後の好機であろうと察しているから、名人は慎重に考える。が、あまりにも慎重が過ぎたので、片方の爪を捕らえていた虫捕り網がとうとう破られてしまった。タラバガニの長が持つ虫捕り網が名人の頭を捕らえ、名人は網越しにタラバガニの長に微笑みかけた。汗にまみれて肩で息をしながら、「いやあ、まさか」とまで口にしたが、その先に何を言うか考えていなかったので言いよどんでいるうちにタラバガニの爪が名人の首をつまみとった。
おわり。

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2012年11月11日

アノアンペン

このあいだコンパクトディスクになったディックカッツのピアノアンドペンをしこたま聴いている。ディックカッツのピアノ演奏は、やるのかやらないのか、攻めては引いて、引いては攻めて、その間隔が短いのでやれてんのかやれてねえのかいまいち判然としないのに、いや判然としないからこそ、聴き終えてからは不思議と終始やられてしまっていたかのような感覚にみまわれるところが好き。脇でギターを弾いているチャックウェインという人物にもずいぶんかまされた。

ところで十一月十八日にコミティア102があるということで、自分は個人ではとても加わることのできる状況ではなかったにもかかわらず、その一方で、寄稿をさせていただきました。
E21bCOMICロケットさんで頒布される『COMICロケットVol.4』に、八頁の漫画を寄せておりますのでよろしくお願いいたします。
詳細は告知頁をどうぞ。

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2012年10月31日

あらゆる日の長さ



十月三十一日発売の『楽園』第十号(白泉社刊)に、自分の描いた『外』という漫画が掲載されておりますのでどうぞよろしくお願いします。公式ウェブサイト

最近は音楽と向き合うというより音楽を場に漂わすばかりで、それはつまり漫画を描いている最中などに流している時間こそが音楽と触れる時間のほとんどになっている現状なのだけれど、そうなるとそこで求められる音楽というのはとっかかりの少ないもの、わりあい平坦でそれでいて聴き応えもそなえたものになって、長尺のジャムセッションものとかがもっとも好ましい。
よって、そういうものばかりを聴いていたら、ジャズギターのことをかなり好きになったので今はそれがとても嬉しい。昔は奏者一覧にギター奏者がいるだけで音源の購入を躊躇するくらいの忌避ぶりだったので、そういうこだわりもなく音源を求められることがすなおに嬉しい。
遡ればもともとサクソフォンの音だってしゃらくさく感ぜられてどうにも苦手で、トランペットの音も耳に刺さってかなわなかった。それらをいつか克服してあとはギターだけだなあ、とかねてより思っていてついにあらかたの楽器を克服したとあればこんなにもすがすがしいことはない。本当はほかにもすがすがしいことはあるが、こんなにもなになになことはない、という言い回しを使いたいがためにそのようにせざるを得ないことだってあるのだということを重々ご承知ねがいたい。

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2012年07月28日

成程



一般的に七月三十一日発売とされている拙著『成程』(白泉社刊)ですが、ところによっては既に店頭で並んでいることもあるのだといいます。目についたおりにはなにとぞよろしくお願い致します。


さて、漫画単行本『成程』には、お買い上げいただいた書店さまによって特典がつきます。
それは描き下ろしの一頁漫画です。
どこで特典がついてどこで特典がつかないか、ということについては自分にもわからないもので、もし欲せられる場合などは、恐れ入りますが、各店舗さまにてご確認をお願い致します。

また、それとは別に、下記書店さまにおいてもそれぞれの特典をつくらせていただきました。
 ○COMIC ZINさま:イラストカード
 ○とらのあなさま:ペーパー【三こま漫画】
 ○まんが王さま:イラストカード

 (五十音順)

いずれも数には限りがあるということです。どうぞよろしくお願い致します。


ところで、このたび『成程』の発売にあたって、位置原光Zさんが販売促進漫画を描いてくださったのです。自分は漫画を描きはじめる前から位置原光Zさんに憧れる人間のひとりであったものですから、こんなにもうれしいことはありません。まじでけっこう尋常ではありません。(それは位置原光Zさんのウェブログ等で読むことができます)
ここを見ていただけるかはわかりませんが、まずはこの場をもって。ありがとうございます。

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2012年07月03日

腕のせ機

ペンタブレットに氷を収納する余裕があれば助かるくらいの季節となってすっかり汗を身にまとうことも常ならば、やはりペンタブレットの表面には、それ以外の季節にはみとめられなかったような汚れを発見することがあります。あれは我知らずなすりつけた汗が乾いたものでしょうか、白い粉がまとまって浮いてあるのです。じっとりと汗をかきながら長時間腕をのせているものですから、それが汚れとして残るのは当然でしょう。ただ、自分は、あまり機械と親しんできませんでしたし、機械運動などはなおさらおこなわないもので、機械のおもてに人間の汗が乾いているのをまあたらしく感ずるのです。こんなに無機ななりをしていながら、人間に扱われているうちに自然と不衛生をきわめていくのだなあ、と、ようやく親しい、手馴れた道具を見つけたような気になります。もしいずれ自分に娘のできるようなことがあったら、お父さんと同じペンタブつかうのいややなどとごねられるときがくるかも知れません。なんかようわからん白い粉ついてるもん、と、辛辣に言われるのでしょう。それを自分は腕組みして、このときを待ちかねていたぞ、という顔で眺めるでしょう。果たして、自分の娘に汗のかわいた粉のまとわりついたペンタブレットをつかわせたあげく悦に入る父親の像は娘のなかでどのようにして処理されるでしょうか。


さて、六月三十日に白泉社さんから発売された『楽園』の第九号に、自分のつくった漫画を載せていただきました。『鼻毛に頼る』、『竈に隠れたことのない者は』という題をした二作です。
公式ウェブサイト
よろしくお願いいたします。

その誌面でも案内があり、また、公式ウェブサイトなどですでに告知がなされている情報ではありますが、自分の漫画をまとめた単行本を白泉社さんから出していただけることになりました。
書名は『成程』で、発売日は七月三十一日です。
書店や通信販売のサイトなどでもはや予約することが可能となっているそうです。
規格がB5判といって、通常の漫画単行本より大きいですが、ぜひともよろしくお願いいたします。

ちなみに絵はぼつにした表紙案です。プレスティッジとかでよくある感じにしたかったのですがとてもむずかしかったというやつです。

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2012年05月13日

音源と限り

五月六日といえばもう一週間も前のことで、東京では第十四回文学フリマが催されていたのですが、その節はどうもありがとうございました。
以前にもここへ記しましたが、自分は文学フリマへの参加はこれで最後にするつもりです。以前にここへ記したことによって、当日、人によるとその旨をたずねられることもありました。なかには惜しんでくださる方もあって光栄な限りです。
あるいは漫画を読んで、あるいは全家畜を拾って、あるいはその場の偶然で多くの方々のお世話になりました。あの場でなければ生まれなかったであろう縁もたくさんあります。それを思えば感慨もひととおりではないものです。あらためて、ありがとうございます。


さて、今度の上京でもいくつかの街を歩きまわることに成功し、胸中に忘れがたい景観をいくつもこしらえた。どんどん景観まみれで身重にはなっていくが、まれに胸中の景観同士が交わるあの享楽をかんがえるとどうしてもないがしろにすることができない。上京すなわち逍遥、という理がますますかたくなっていく。
特別忘れがたいは蟻の巣だ。東京に滞在するあいだ、何度か雨が降った。それによって巣を埋められた蟻たちがどこでも忙しそうにしていた。巣のまわりには必ず、巣から運び出された土くれがそぼろを模していた。見知らぬ土地の蟻とそぼろはいつも印象がつよく残る。さすがにどれがどこのそぼろと見分けるまではいかないが。

あとは、死ぬまでには欲しいなあ、と思っていたハワードラムゼイズライトハウスオールスターズのオーボエフルートが簡単に見つかってまぎれもない収穫であった。また死ぬまでには欲しい音源枠を確保して死にたくなさを補充しなければならいな。忙しい、忙しい。

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