『みんな~やってるか!』でダンカン演じる主役が川口鋳物工場で拳銃製造画策、それを持ちファーストクラス搭乗し、別の搭乗客の前で脱ぐ松本コンチータのフライトアテンダント、宮路年雄社長他が乗り込むスバル、これでたけしは日本を表現し、『TAKESHIS’』の「金の為じゃないんだ」の台詞で個を示した。

 

TAKESHIS’』が戦後日本の個の生き方の哲学を示したとすれば、それより前の『みんな~やってるか!』では戦後の日本の集団(それは一部『教祖誕生』原作とたけし主演で表現されていた)を揶揄・自嘲と愛着・ペーソスの相互矛盾で表現した。つまり北野武=ビートたけしのルサンチマンは愛なのだ。

 

TAKESHIS’』は冒頭ヴェトナム戦争エピソードで始まる。そしてやくざ再就職、雀荘、タクシー運転士、暗黒舞踏パロディ、拉麺店舗競争エピソード、コンビニ、美輪明宏出演エピソード、歌舞伎美オマージュ等を無秩序並列させ最後に自分がもう一人の自分に刺殺される。この一連の展開で戦後日本を象徴させた。

 

BEATTAKESHIKITANOの真の偉大さは資金稼ぎ仕事でいい仕事をし、その上で芸術と思想と哲学を実践している事だ。そういう監督は北野の前には大島や若松等大勢居たが、やはり彼より若い世代では未だ出ていない。せいぜい河瀬、塚本、是枝、榊、松居辺りが超え得る可能性なのだ。

 

『みんな』『Dolls』『TAKE』『監督』『アキレス』の五本はゴダール『軽蔑』『男性・女性』『中国女』『気狂いピエロ』アレン『マッチポイント』キューブリック『博士の異常な愛情』等に優に匹敵する。北野武『アナログ』は資金稼ぎ仕事で、そうでない絵本、童話、詩、この五本映画演出こそ本領だ。

 

私は三十・四十代俊英監督映画も多く見たが、未だ北野武を超える逸材は出ていない。北野映画は『その男』『ソナチネ』がカルト的傑作、『HANA-』が完成的名作、『菊次郎』がペーソス名作、『BRO』『座頭』が娯楽傑作だ。だが思想的には『みんな』『Dolls』『TAKE』『監督』『アキレス』こそ名作だ。

 

北野武映画を動画解説する人が『その男、凶暴につき。』『ソナチネ』『キッズ・リターン』等より『TAKESHIS’』『監督・ばんざい!』『アキレスと亀』は、後のアウトレイジシリーズ前の停滞期と言った。冗談じゃない。北野武はこの三本と『みんな~やってるか!』でこそ真に歴史に残る。間違いない。

 

日本民放ドラマは娯楽的に面白くない。韓流はいつも娯楽的に面白い。これは日本ドラマ制作者も見習った方がいい。映画が結構面白いのに、テレビドラマが日本は面白くない。CMは昔アメリカの方が上だったが80年代は日本の方が上回った。同様に今国力は日本が上だが文化は韓国の方が上だ。

 

NHK大嫌いだけど、大河は扱いが違うので別として一般ドラマはNHKの方が民放よりずっと面白い。民放ドラマが詰まらぬのは性善説主義で作ってるから。その点、民族としては問題あるけど、韓国ドラマの方が性悪説的に作ってるから日本民放ドラマよりずっと面白い。日本人は朝鮮民族を侮らない方がいい。

 

セルジオ・レオーネも懐かしいけど、マイケル・チミノもデニス・ホッパーも懐かしい。それから映画からすっかり遠ざかっているウィリアム・フリードキン、エイドリアン・ラインも懐かしい。要するに映画はやはりあの時代までのものが最高だった。

 

もうこれからは語学のできない奴は政治も経済も文化も科学も教育も宗教も、要するに何でももう駄目なんだ。攘夷でも開国でもない知、思想、例えば動詞の一切ない言語の可能性だけを考えるとか、そういう発想なんだ。或る意味では言語学的発想転換だけが資本主義経済矛盾なんかも解消できるのだ。

 

未来に人類絶滅を阻止し得る知の担い手は、もう白人でも黒人でも中国人でもない。日本人でも韓国人でも他の東南アジア人でもない。いずれでもない人種民族か、いずれでもある様な人だ。もうそれだけは間違いない。全く異なった何か、アンデスのケチュア語的ユニヴァーサリティを持った何かで人なんだ。

 

日本の国会なんて莫大な経費の無駄使いだ。右翼も左翼も両方滅ぼすしかない。そしてそれができるのは幕末明治維新が徳川方でも天皇家でもない人達に担われた様な(ま、あれは外様の政権交代だったのだが)、両方に無縁の人達だけなんだ。今の国会は茶番だし猿芝居でしかない出来レースなんだ。

 

北野武アウトレイジシリーズを見て、昔の東映やくざと違い下品で低俗と謗る奴に北野武の真実に偉大な哲学なんて分からない。北野映画美学とは実は二匹の猫両方殺す事だ(三島の『金閣寺』にも登場するエピソードだ)。アメリカとロシア、アメリカとイラン、イスラエルとパレスチナ、インドとパキスタン全部そうだ。

 

古い中国の諺でないが、二匹の猫両方殺す事だ。倹しく交代させる事を主張する色事師とそれを諫める有識者、両方殺す事なのだ。だから右翼も左翼も色々居るから、そのいずれを選択するかとか、アイヌ語と琉球語いずれを選択するかとかでなく、そういう二者択一主義自体を抹殺するしかない時代なのだ。

 

ジョブズもスノーデンもアサンジもペイジもブリンもベゾスも一回は登場する必然性の人達だった。エイゼンシュタインやチャップリンやワイルダーやキャプラやウェルズやロッセリーニやワイダやキューブリックやゴダールやポランスキーやストーンやムーアやリンチやフィンチャーが必要だった様な意味で。

 

ロシアはソ連時代の方が自然科学も政治もずっと優秀で偉大だった。同様にイスラエルもEUも建国や開設当時は偉大だったのだ。この事が意味するのは最早統治の観念が昔の儘ではもう駄目という事だ。安倍も三年でも終わる。その後が重要だが、これからは右か左かでなく、両方滅ぼすしかないのだ。

 

英国がEU離脱承認に困難を生じ、リグレジッドでも実証されている様にもう世界は全体的に予測不能時代に突入した。そこで重要なのは、例えばノーベル賞にだけいつまでも拘る日本のバカなエスタブリッシュにも言いたいが、今後は益々イグノーベル賞的存在理由、在野的な価値見直しの時代なんだ。

 

あらゆる意味で善だけが進化し続ければ却って人類は絶滅を早めるんだ。だから日本なんてじき滅ぶんだ、国体を変えない限り。そして最後は悪だけが世界を救う。何故なら悪しか理解出来ない正義こそが世界全体を歪にはさせない様に持っていけるからなんだ。益々若き日のビートたけし的何かが今必要だ。

 

最後に人類を救うのは性善説主義なんかじゃないんだ。それはもう明治期右翼の台頭で使命を終えたんだ。性悪説主義的無政府主義なんだ(だからクロポトキン的やトロツキー的でも駄目なんだ)。言ってみれば凄くインテリなのに凄くやくざ的な何かなんだ。ファーウェイ恐怖のアメリカの盲点を突く様な何かだ。

 

自然科学や医学は人類の寿命もあらゆる選択可能性も開示した。でももうデザイナーベイビーも歯止めも効かない時代じゃ、科学と医学の進化全体への反省的視点を携えた主観的パワー(無政府主義的ヴァイオレンス遂行能力を持った)が国体や世界秩序を変革する時代なんだ。アサンジ的なのも終わった。

 

中国実業家拘束をカナダにさせたアメリカのトランプはかなりやばくなっているサウジ皇太子の肩も持つし、イラン接近の中国を牽制したり、それはそれでやばいのだが、同時に紳士的・リベラル的仕方でも、やはり世界は変えられない。教育をよく施された育ちのいいインテリが世を変える時代は終わったんだ。

 

本庶佑先生は御尊敬申し上げるし、若き日の先生のイケメンぶりも感服仕るけれど、こう申し上げちゃ失礼だが、どんな偉大であっても医学も自然科学ももう世界を変える事なんて出来ないんだ。教育でも哲学や学術でもない。人類絶滅を本当に少しでも先延ばしするには何らかの力なんだ。言論でも当然ない。

 

詩はほぼ五百作英語で執筆したし、日本語詩もほぼ七百作執筆したので、もうその辺は思い残すことはない。絵も粗方描きたい絵は描いたので悔いはない。後は人類学的考究論文を一つ書き、女性とは長く独身が続いたので、後一人だけ出会うだろう。未だ身体的健康条件が可能だからだ。楽しく生きたい。

 

今執筆中小説と十年程前に草案した長編小説二つを英語で仕上げ、それを映画化し、日本語の哲学的童話(日本社会のいじめ問題をテーマにした)、アラビア語の反戦童話を書き、それも映画化し、コーカソイドとユダヤ、アラブ、ラテン、スラヴ混血美女と結婚し、子を儲け現代音楽作曲して死にたい。

 

以上9日、以下8日。

 

今見るとビートたけし監督クレジットの『みんな~やっているか!』(95)には七人物故者が出演している(横山あきお、高木均、岡田真澄、宮部昭夫、南方英二、大杉漣、宮路年雄)。この映画のかなりシヴィヤなパロディ性は明らかに鈴木清順の迷作『悲愁物語』(77)的だ。悲愁の時代はやってるかで終わった。Liked in Twitter

 

いとうせいこう原作『植物男子ベランダー』の劇構成が、かなり初期~中期の北野武映画脚本世界からインスパイアされている(特に『みんな~やってるか!』『TAKESHIS’』的である)。ところで昨日最終回を迎えた韓流現代ドラマで笑ってしまったのは首だけ出して生き埋めにする部分は『最終章』にヒントを得ている。

 

以前ダウンタウンの松本人志が自分達の番組に訪れた藤井フミヤを自らの相方、浜田雅功を明らかに人類を七つ位に分けたら同じ部類だと言っていた。それを言うなら峯田和伸は宮本浩次と同類である。ところで浜田の息子ハマ・オカモトはOKAMOTO’Sのベーシストだ。漫才と音楽には共通性あるんだろう。

 

柄本佑は奥田瑛二の娘である安藤サクラの夫だ。でも実際には彼はかなり身長が高い。演技だけ見ているとそう見えないが。でも渋川清彦は明らかに中央アジア山岳民族の顔だ。モゴール系アフガニスタン人とでも言える。長谷川博己と田口トモロヲはきっと祖先は同系列に違いない(ま、どうでもいいが)。Liked in Twitter

 

今日の『植物男子ベランダー』は面白かった。峯田和伸も渋川清彦も柄本佑も出た。ところで今日、田口トモロヲの顔を見ていて気付いたのだが、田口自身は年齢の割に凄く若いが、長谷川博己と顔が似ている(只長谷川程田口は背丈がないだけだ)。だからちょっと草臥れた年取った長谷川顔が田口だ。

 

以上8日、以下6日。

 

日本語は圧倒的に方言が面白い。抑々日本語系列の言語とは、少なくとも秩序志向ではない。又合 理性追求志向言語ですらない。日本語の世界とは論理的整合性とは違う次元の世界への開示以外でない。だからやはり形容詞と副詞が最も面白い。日本語研究から見えてくる言語的真理がある。

 

ベンガル語、クルド語等も面白そうだが、実際アジアが本当は世界のどのエリアより複雑だ。アフリカの言語も恐らくそうだ。だから英語やスペイン語やアラビア語制覇という現実と、真っ向から対立する言語の志向性は当然ある。それはアイヌ語でも琉球語でも言えることである。

 

パシュトー語とウルドゥー語にトライしてみたい。もうポルトガル語もギリシャ語もラテン語も、自分の領分としてそれ程大いなる可能性を感じない。スペイン語のみ必要最低限だけ押さえ、後はパキスタン、アフガニスタン、インドを制覇できれば。だからヒンディー語も一定程度抑えておく必要が。

 

アメリカもカナダも中国系移民は凄く多いので、白人とエスニック的に交わった大統領や首相が出る事はそう遠くない。次第にあのかつての関税に纏わる米中戦争って一体何だったんだろうって時代は到来するだろうね。中国系は世界全体へ与える影響は今後も小さくないだろうから。日系感性は少し違うけど。

 

アジアではインドネシア、ヴェトナム、ネパールに凄く可能性ある。インドネシア人だけ未だ話した事がないけれど、きっとこの三国はかなり大きく飛躍していく。日本もうかうかしていられないけれど、日本は外国人雇用と国籍取得者が多くなれば必ず近未来には変貌を遂げる。色々と凄く変わると思えるな。

 

ファーウェイCFOがカナダで拘束されアメリカへ移送ってニュースを聞いて、カナダもやはりアメリカの要請は断れないんだな、とは思ったな。やっぱりカナダはアメリカに完全には対等に未だ渡り合えない。凄く可能性秘めた国だけれど、文化的に未だ熟成しきっていない。映画を見ても、その差ははっきり分かる。

 

アメリカで白人以外に大統領が出る場合、オバマの様に必ずハーフだろう。だから中国系、韓国系、日系やヒスパニックも、全てハーフ以上のエスニシティ保持者に限られる。白人のDNAも少しは必ず入っていなければいけない。日本はその点ではもっと早くハーフ以上の複雑なエスニックの総理は出るだろう。

 

日本人とは個々はそんなに劣っていないどころか凄く優秀な人は多い。その割に国家がそれ程先進的ではない。だから今後国外才能流出は避けられないだろう。益々そうなっていく。アメリカから日系の大統領も数十年以内には必ず出るだろう。その前に中国系大統領が出れば、凄く世界は変わる。

 

ケイト・ベッキンセイルは女優の中でも中性的美の象徴な様な存在だ。彼女は母性より父性の方で信頼できる友人になれそうな女性で、そういうタイプの女性の友人が七人程いれば、男が一人も居なくても世界は回る。そういう小説を今書いているが、これは意外と凄く受ける可能性はある。英語にもしている。

 

イザベル・アジャーニ、ジェニファー・ビールズ、シャキーラ、ナタリー・ポートマン、ケイティ・ペリー、スカーレット・ヨハンソン、May.J、ローラ、サラ・オレインの様な多民族同一性保持者のみ厳選し千葉県程の面積の実験頭脳的感性的少数精鋭国家建造を考えている粋な御仁が世界にはきっと居る。

 

日本文化をたった一言で言い表すとするとお節介である。これは日本にも多く存在する長屋門というのに象徴される長屋文化であるが、この起源はやはり中国である。でも戦後日本はやはり中国と異質の発展を遂げた。でもまたぞろお節介的な事を美とする風潮になってきたが、それを助長するのが芸能である。

 

拉致された人達は自分達の意志で渡ったのでない事に於いては確かに不幸だが、それでその人生の全てを気の毒と捉えるのも極めて日本的発想とも言える。世界には偶発的に移住しなければいけなくなった人は大勢居るが、その全てを不幸と決めつけるのは、あくまで居残った人達の主観的論理に過ぎない。Retweeted in Twitter

 

北朝鮮に拉致された人の中で今も生存している人は、殺されるか、病没した人と違って、それ程不幸だったと言えるだろうか?日本人は日本を出て海外に居る人を不幸と捉える傾向が強いが、日本で生まれて必ず日本で死ななければいけないという事もないし、移住しより幸福となった人も居るだろう。Retweeted in Twitter

 

北方領土は近海の漁業的意味では確かに重要だと思うが、実際他の全てより優先する程重要とも思えない。それは北朝鮮拉致家族問題と同様だ。寧ろそれだけに力点を置くポーズ自体が自民党政権支持基盤への秋波以外の何ものでもない。もっと大局に立てばその二つに心血を注ぐべきではない。

 

小泉純一郎は大久保利通的だったが、やはり構造改革は失敗したと思う。一つの自民党の道筋だけはつけたが、デフレスパイラルを誘発した事は確かだ。経済学はだから本当は一番難しいかも知れない。企業の求めるコストパフォーマンス自体、その本質をきっと世界の誰もがよく見えていないのかも知れない。

 

日本は物理学や医学・生理学、化学等は優秀にも関わらず、経済学で一人のノーベル賞受賞者も出していない。恐らく経済学は意外と自然科学に近い何かがあるが、中でも生物学に寄っている。進化や発生、形態と関係している筈だ。だから本当は優れた人材が台頭していい筈なのに、何故なのだろう?

 

先日放映されたNHK平成史の山一証券破綻の経緯は面白かった。さながら山一という組織が幕末期の会津白虎隊、上野の彰義隊、新選組、西南戦争の西郷軍的にすら見えた。つまりそこに介在するのは異様なる羞恥美学だ。だから大久保に敗れた。だが大久保も完全ではなかった。だから殺された。Liked in Twitter

 

日本の芸能界は人間同士の相互理解と情感だけに明け暮れ、それが意外とNHK等の人間関係主義的空気醸成にも一役買っている。さながら敗戦国の姑息な幸福感と言わざるを得ない。人間関係の機微に精神を持っていく暇があったら、もっと大自然や世界経済の矛盾解決へ心血を注ぐべきである。

 

鳥の観察を仕事とする人は北アメリカに圧倒的に素晴らしい種が生息し、渡る事を知っている。だが日本は多くの鳥が絶滅した。それはやはり自然管理が十分ではないからだ。つまり広大な自然生態系を管理するという点で日本は未だ本格的な技術がないのだ。絶滅種を鳥類で多く出す事自体そうだ。

 

 

仮に米中戦争になって中国が勝利し、アメリカ全土も中国になったとしたら、その時点から恐らく人類滅亡のタイムリミットが僅かとなるだろう。人口が多過ぎるという事自体、その民族が理性的ではない証拠である。人口を抑制し、且つ高いレヴェルの文明を維持し得る事こそ人類の知と自然管理責任の条件である。

 

目上の者の言う事を聞くという慣習だけを美徳している東洋が世界の覇者になれない事は明白だ。最終的に自由思想と、実力主義だけが世界制覇し得るからだ。だが中国の実力主義は官僚制度的性質である。それがあの国の限界だ。だから国家管理統制に行くしかない。ロシアにも似た欠陥がある。

 

日本の人口が減っている事は凄くいい事だ。なのに人口問題担当大臣を設置している事自体可笑しい。アメリカの面積と人口との関係からしても矛盾している。アメリカは裕福な人程子供の数は少なく貧困層程多いだろう。中国もインドも貧困層が避妊しない事も理由だろう。性抑圧と婚姻至上主義も弊害だ。

 

中国は異様に人口が多いという事からも、やはり自然管理上でも世界全体に貢献しているとは言えない。インドも同様だ。だからこの二国が人口を抑制出来なかった事が今の地球環境の温暖化を喚起している。その理由はインドのダウリや中国の性行為の自由(子孫繁栄外セックス)の否定にあるだろう。

 

ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、そして東洋の仏教も儒教も道教も、自然条件と、それに沿った生活形態が生み出したという側面が非常に重要だろう。宗教は自然生活の中で育まれてきているからだ。だからどんな聖典でも、その宗教戒律を生じさせている自然条件が恐らく最大に重要な要因である。

 

世界の鳥(特に渡り鳥)は大半が北アメリカ大陸に集中している。アジアより圧倒的に多い。ところで北米はやはり人間関係より、自然全体の管理という側面の国であり、そこが中国と違う。中国は人間関係の(つまり俗的政治の)帝国だ。だから何かが吹っ切れていない。自然的に吹っ切れていない。

 

人間自体に興味ある人よりは、自然や人間の悪の構造とか、要するにキャラクターの違いそのものより、統計的事実や仕組み自体に関心ある人の方が信用できる。教育者でも情感的教育者は信用できず、合理的知提供者の方が信用できる。俗的な人間関係に興味ある人に真に偉大な人は居ない。

 

周囲の皆に好かれ人望ある人は、歴史には名を残さない。誰からもやっかまれるか、いけ好かなく思われている人か、全く誰からも印象強く記憶されない様な人の仕事だけが後世迄残る。政治家や実業家は別だけれど、彼等だって生前成功する人は皆から好かれる人、人望ある人とは別である。

 

もし詩集やこれから書く小説が凄く売れて印税が入ったら、映画は監督でなく、製作(プロデュース)と脚本を、そして作曲を(いいシンセサイザー等の楽器を購入し)死ぬまでしたい。それ以外はもう余り何もしたくはない。最終的に創作が一番面白い。創作に繋がらない事には殆ど関心がない。創作人生。

 

長く関わり、沢山作品を作ってきた割にアートが僕に齎してくれた人生よりはずっと、それをやめて詩作に没頭してからの人生の方が楽しかった。尤もアート制作が僕に得させてくれた事は作品制作に於ける忍耐力で、それは他の全てへも活かされている。でも映画は一作だけ作ったけど、もっと作りたかった。


『西郷どん』視聴率は最近スタート時に近く多少盛り返したものの、中盤は平均して低かったと言う。そう言えば『花燃ゆ』も我々日本国家近代史に関心ある者には面白かったものの、やはり一般受けせず低視聴率だった。最近の大河で最高視聴率は『真田丸』だったろう。幕末明治維新はもう受けない?

 

日本女性は美人以外全く関心ない。可愛い顔の女子が初心な所をアピールする処が嫌いだ。例えばその点では韓国もアメリカも初心さをアピールしない。セクシーさをアピールする。結婚相手でも初心さなんて一切示さないで欲しい。そういうのを可愛いと思うのは古いタイプの男尊女卑主義的男性だけである。

 

ずっと学生時代から日本の女性といつか結婚しなければいけないという近隣社会的な強迫観念だけが恐しかった(でももう年なので言われなくなった)。異性と言えば外国人でないと性的魅力をずっと感じてこなかった。相手が日本語が下手だから可愛いという事でない。日本語がペラペラな女性の方がいい。

 

登山をする人達にはかなり多く国家神道主義者、要するに国粋主義者が居るという事は大分前から分かっていた。だから国際感覚も一切無いし、自由な思想者ではない。今後も登山も時々するけれど、本当に二十人に一人位の割合でしかいない違ったタイプ以外の人と余り親しくならぬ様に気をつけたい。


以上
6日、以下5日。


OKAMOTOS
はなかなか曲も演奏も凄い。このグループ(ユニット)はきっと今後益々世界制覇し、歴史に残るグループ(例えばB’zの様な)になることは間違いない。天才は次から次へと登場する。日本のロックはレヴェルが高いから、これからアメリカや英国、韓国、フランス等といい勝負を繰り広げるだろうね。

 

朝ドラ『まんぷく』に登場する米軍MP兵士が凄く真実味があり、本物みたいだ。演出が巧い。ところでこのドラマでは三姉妹の夫が大谷亮平、要潤、長谷川博己と全員イケメン過ぎるのが不自然と言えば不自然で、一人位それ程でないのが居ないと可笑しいが、ま、それは娯楽として大目に見よう。

 

ここに一人の独裁者がいて、「俺は世界のどこからも影響を受けず、俺が世界全てへ影響を与えたい」という天才が居たとして、でも彼は誰よりも世界全てへ常に気になっている。それは今のアメリカに言える事でもある。だが、事実問題としてアメリカ抜きで世界は運営され得ない。それも厳然とした事実だ。


以上5日、以下4日。

軍隊組織のない国に平和なんてあり得ない。何故なら世界は性悪説主義で成立しているからだ。だから日本は自ら勝ち取った平和でなく与えられている平和に過ぎない。だが世界を支配して、世界から注目を集める事とは、とりもなおさず世界が気になる国という事だ。どこの国のことかは明白だけれど。


サウジアラビアのムハンマド皇太子は、どうも今の雲行きでは失脚してしまう可能性が高い。同時に彼を庇ってきたトランプ大統領も問題になりかねない。アメリカの
CIAを余り甘く見てはいけない。戦争のプロの国の諜報機関は決して見縊るべきでない。かなり国際政情は変わっていく可能性は高くなった。Retweeted in Twitter

 

第一印象が悪い人は大体私の場合はずっと好きになれない。極例外的に実はかなり自分にとっていい人ということは在り得るが、それは極めて少ない。私の場合殆ど居ないし、寧ろ益々人間への評価は下がる。それでは本当はいけないのかも知れないが、私はどうもその辺は変えられなそうだ、生涯。

 

以上4日、以下3日。

 

私の人生はどちらかと言うと、生まれた時から既に青春時代であり、実際の通常の人の青春時代はかなり辛く、それを超えて再度青春が訪れたという、そういう感じだった。だから年齢的な移行と共に変化するより、最初から変わらず、その侭ずっと継続されている時間と、その中での再生という感じだった。

以上3日、以下2日。

 

全ての警察官や検察官よりはずっと全ての服役囚の方に親近感を持つ。でもそれは何も自分も犯罪者だからでなく、そう口に出しては言わないけれど、内心そう思っている人はそう少なくない。国家・警察・皇室・宮内庁等は、そういう庶民的親近感の寛ぎと正反対のものである。だから避けたいリアルなのだ。

 

国家に対する忠誠心の堅い人が九割のこの国。だから逆に言えば天皇陛下に自分の為に戦って死んでくれと言われれば、それに従える人はかなり多い(一般市民が想像するよりはずっと)。学者も登山する年配者も大半が国家神道徒である。国家なんてという発想はこの国では言い出したら大変だ。

 

芸術家なんて人間の屑だ。警察官や公務員といい勝負だ。あいつらは被支配マゾ市民だ。死ね、芸術家(絵等、俺の描く絵だけあればいい)、死ね警察官、死ね公務員!死ね永田町、死ね宮内庁、死ね宮大工、死ね国家神道、死ねNHK、死ね経団連、死ね東大、死ねテレビ局、死ね協調性!

 

人にはどうも世界の九割が支配され守って貰う事に幸福を感じ、残りの一割だけが支配する事に幸福を感じている様だ。日本社会はほんの数人だけが全国を支配している。だから日本人はそういう現実を愛しているのだ。でもそれに不満を感じている市民も僅かには居るに違いない。そういう人にだけ語りたい。

 

民族としての日本人は至上一度も日本人以外の幸福等考えていたことはない。凄く重要なことだが世界中の国が日本をそう見ている。本質的にそれは一種の全世界の中の唯一の精神病患者を他の全員が見守っているそういう感じだ。それは事実だ。だから日本人は天狗になりやすいとだけ思われている。

 

恐らく日本国内でもそう考えている人は極めて少ないだろうけれど、実は今日本は一見世界各国どことも巧くやっている(昨今の韓国等を別として)と思っているだろうが、実は着々と内向き主義的に、つまり一民族精鋭主義に陥っている。そして、それをアジア諸国から欧米人に至る迄見抜かれている。

 

アラビア語のノーベル賞受賞者はナギーブ・マフフーズ(1991-2006)である。世界をグローバル言語という観点からだけ言うなら、中国語、英語、スペイン語、アラビア語だ。この四か国語を完全習得している者は、或る意味では世界を支配し得る能力がある、とだけは言える、頭脳的意味で世界を制覇する。

 

私の家系では母方は異様な長寿だ。私が最も愛した父の家系は短命だ。私がどちらに似るかは運命の分かれ目だ。だから兎に角今は母よりは後に死にたいという事と、弟より長く生きたいという事、そして彼等には一切私の死後遺産が行かない様にすることだけが目下、遺書作成を踏まえた重要事項である。

 

思い遣りという概念は曖昧だ。哲学がない。だからそれはやはり日本社会で至上のものであるなら、一人よがりだ。愛や正義とも違うこの観念に纏わりつく或る固有の薄汚さをずっと感じてきた。結局日本の思い遣りとは巧妙に、それを巧く出来ない人間を排他していく差別主義の温床に過ぎない。Liked in Twitter


たった一つの事だけ抽出し、それを徹底して掘り下げる思考は詩歌等に求められるが、詩集を創る能力は大まかな全体を構想し、その中に配置や分布を施す思考も要す。従ってどんな職業でも違うタイプの思考と接合させながら達成する訳だが、全く相反する思考双方の巧みな天才は居るが大成者は少ない。

 

たった一つの事だけ抽出し、それを徹底して掘り下げる思考、大まかな全体を構想し、その中に配置や分布を施す思考、全体的調和の為の調停的な措置だけを勘案する思考はそれぞれ異なり、主に第一者はエンジニア、プログラマー、第二者は芸術家、文学者、第三者は政治家、官僚等に求められる。

 

要するに多種多彩だが一切統一されていない無秩序的共同体乱立的世界像と、全体的統一だけは確保されているが、時折不可抗力的な大きな悲劇(例えば日本の二発の原爆投下はその好例だ)だけは避けられないかという二者択一だけが世界運営方法の残念ながら結論で、完全理想平和等あり得ない。

 

現代は全体をアメリカ支配で統一することで(それに異議を最大に唱えているのが中国だが)、小さないざこざは一切防げ、しかし時として誤射的・不測事態対処的犠牲だけは時々不可抗力として生じるという矛盾で成立している。つまり中世から近世迄のタイプの戦争は防げるが、誤爆的な悲劇はなくならない。

 

もし国家が一つの強力に統一されている事が理想なら沖縄辺野古基地建造は正義だが、各地方の固有性を正義とするなら、それは誤った政策だ。しかし現代社会は英語が世界を制覇しているのはアメリカ支配が現実だからだが、各言語・方言・文化を重視し過ぎたら地方毎の対立の収集はつかなくなる。

 

ビートたけしは割と最近もっと方言をタレントが使えと提唱していた。この一種の地方主義は国家主義に一定程度抵抗する。だがもし全国がその様に個々異なった文化・言語等を主張し出し、しかも個々が独立を主張しだしたら、小さないざこざが絶えず、逆に国家全体が統一されていればそれはなくなる。

 

ロシア連邦は広大な面積を持ちながら、意外と中央部や周辺部等含め全体的に山岳は少ない。モンゴル国境周辺にスタノボイ山脈、ヤブロノイ山脈、サヤン山脈等がある程度だ。ロシア民族は平地に主に順応し、山岳に居住するタイプでなかったか、偶然山岳に進出する機会に恵まれなかったかいずれかだ。

 

世界は実に興味深く構成されている。頂点に立つ人は余り怜悧過ぎても駄目で、その下で参謀として働く人達(高級官僚、外交官、通訳他)は怜悧でなければ駄目だ。そして全体を纏める采配と、部分的専門特化のプロは役割が違う。只怜悧な参謀の権限がり強過ぎると社会全体が右傾化しがちである。

 

『西郷どん』は西郷の質実剛健さはよく描いている。だから凄く人情味も切符もあったろうが、同時に瞬時カッとなる欠点もあっただろう。つまり西郷は人格的には優れていたけれど、クールに状況分析する分では大久保より劣っていたのだ。だが大久保も又余り怜悧過ぎて人望という面では欠ける所があったろう。

 

『西郷どん』数回前の朝鮮使節に西郷が決まった時点のドラマ内容では征韓論という語彙は出なかったし、実際彼等自身がそう言った訳でないだろうが、現在の朝鮮半島と日本との関係を慮ってか譲歩した表現となっていたが、実際当時の日本は朝鮮半島制圧を考えていた。その点脚本は西郷美化し過ぎだった。

以上2日、以下1日。

 

僕の中ではやはり実業家の偉大さにも完全にランクづけ出来るな。ビル・ゲイツ、ウォーレン・バフェット>ラリー・ペイジ、セルゲイ・ブリン、スティーヴ・ジョブズ、ジェフ・ベゾス>マーク・ザッカーバーグ、孫正義>三木谷浩、カルロス・ゴーン。ところでさ、僕の中では番外篇としては堀江貴文に特別賞はあげたい。

以上1日、以下30日。

 

日本人意識は市民と言うより人民で、その点ロシアのНародに極めて近い。自我が欠如しているからだ。だから社会参加という意識は、日本人とロシア人で共通するのは、誰か偉い人の言う事に従おう、である。これは日本列島全般に漲る一つの潜在的意識だ。朝鮮半島とも中国とも違う形で。2liked in Twitter

 

Don’t strain yourself, つまり一切肩肘なんて張らないで自然に生きてゆけ、keep going on being alive in no strain! それだけ心掛けていればいい。それ以外何も要らない。All you have to be careful in only it!

以上30日、以下29日。

 

僕は幼い頃からこの国の弱い人達が必死に肩寄せ合っているという姿にちっとも美しさなんて感じてこなかった。所詮強い人には負けるのだし、それでいい。弱い事を誇りになんてしたって意味はない。だって実際今日本で成功している人は全員強いからそうなっている訳でしょ?だから羞恥美学なんて全く意味はない。

 

日本社会の差別はどこか卑屈で、ドラマでもよく描かれるが、レヴェルが低い。要するに日本はやはり欧米コンプレックスがある。でもそれは只個人的にきちんと学ばない人が多いだけだ。専門家達は日本メディアや世俗の陳腐な現実に関心さえ抱いていない。アマチュア精神の称揚的アナクロは日本にある。

 

日本で民放を中心とするメディアや出版社が異様に清廉主義を標榜するのも率直時代錯誤の天皇制利用にしか過ぎない。世界を見よ。日本の様に年号に拘り、その異様なる精神的美学で惹きつけるのはさして本質的ではない外国人の観光オタクだけである。世界はもうそういう次元で動いている訳でない。

 

必要以上の婚姻前の性交渉への極度の差別的揶揄に見られる純血主義、一穴主義的主張は正に教育勅語的アナクロニスムでしかない。それは正に歪な右翼肯定的態度でしかない。性を自由にする以外に精神を自由にする手段は、一面では現代社会にはない。現代社会にはガス抜きは必要である。

 

性的マイノリティへ変に気を使い、性を謳歌している者を仮に差別するなら、それはマイノリティへの差別以外の何ものでもない。又性的放埓とは生殖機能の衰えを現代人がストレスフルな社会でも失っていないという意味で人類存続的観点からも微笑ましい事ですらある。故に不倫報道的過熱は全く無意味だ。

 

不倫を一々メディアが批判する事に意味はない。それで実害を精神的に被る人が訴訟等起こした場合のみ報じるべきで、相互に心の離れてはいるものの婚姻関係解消に梃子摺っているカップルが別の相手と愛し合ったとしても、それを揶揄する権利は誰にもない。何故なら我々の生の時間は限られているからだ。

 

Me Tooムーヴメント自体に一定の意義を認めつつも、同時にセックスの好きな市民にその嗜好を必要以上に抑制させたりする事自体に何の論理的倫理的意義は認められない。抑々セックスが好きで多くする事、或いはその嗜好を相互に承知の上で不倫とかでなく趣味として楽しみを奪う権利は誰にもない。

 

性的マイノリティ権利は確保されるべきだが、それとは別に性的欲求過剰者をも差別的認識から解放すべきだ。何故なら性的欲求が盛んである事は健康という事だし、それを性的マイノリティ権利を保証する為に抑制する事に意味はないし、又(私の様な年配者は我慢できても)若い人には余りに過酷だからだ。


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