日本にだって凄く慈悲深い人は時々居る。でも日本人という民族は(中国人とか韓国人はよくその点では分からないけど)、少なくともキリスト教徒的な慈悲深さは全く欠如している(そういう部分では暖かいとは言えない)民族とは言える。つまり完全脱落者に暖かい眼差しを注いでいるって言えるだろうか?


 日本宗教の神道も仏教も一種の正当的生き方への祈祷と指南と言っていい。キリスト教は罪人、敗北者、受難者の為の宗教である(神道も仏教もそうではない)。だから敗者と罪人の気持ちの分かる北野武の世界は、日本では全く受けないが、欧米では理解されやすい要素はある。彼等は慈悲深いから。


 僕は日本人の中では特例的に北野武が映画で描く破滅型の人間の像を理解できる方だと思うけど、僕自身徹底的に社会的敗者的人生の人間なので、もう(大体詩でなんて金儲けなんて出来る訳ないのだから)そういう敗者にしか分からない気持ちからだけ書ける詩を書いていけばいいし、そうするしかない。


 映画監督として北野武は国際的評価が凄く高いけれど、恐らく日本人で彼の映画をいいと思う人の数の方がずっと少なく、大半は全くいいと思えないだろうと思う。その理由は彼の映画はお笑い芸やテレビヴァラエティの仕事での一般市民受けと違う自分自身の敗北者的な究極の愛と憎しみを描くからだ。


 井山裕太九段と羽生義治永世七冠には国民栄誉賞受賞後の試合では勝たせたかった。二人とも(前者は外国棋士に、後者は藤井聰太新六段に敗れた)かなり敗北は気分的には辛いものがあっただろう。そういうことで彼等の名誉が傷つくことはないだろうけれど、気持ち的な事では何となく分かる。


 羽生結弦は66年ぶりの二連覇だったらしいが、怪我からの復帰であれだけの演技をしたこと、彼の技術(点は今回は三位だった)の確かさだけでない二つ程の要素、つまり芸術点と人柄と天性の華が偉業を光り輝かせている。彼の事を嫌う人はきっと居ない。恐らく国民栄誉賞は確実だろう。


 日本は社会の隅々にまで実は巧妙に言論封殺する様に張り巡らされている(あたかも全国どこでも鳥居がある様に)。会社組織(経団連以下全て)から学校、政党もだが、一切のリベラルは一定程度以上発言できない様にされる。つまりこの国では右翼(神道主義者)の意見だけが通りやすい様になっている。


以上18日、以下17日。


 日本が何故統制民族であり、絶対社会主義かは、日本では対話や論理的理由から物事が決まっていくのではなく、自然に決まると固く信じ、その迷信的自然主義を絶対疑ってはいけないし、それを言ったら常識外れで精神病でないかという態度に出る。日本では対話封殺と常識踏襲居丈高な人が大人態度なのだ。 Retweeted and liked in Twitter


 今年の大河ドラマは西郷隆盛だが、大河で幕末が出てくる時は大体注意である。国策的匂いをどうしても嗅ぎつけてしまう。日本は率直管理社会であり、統制民族であり、自由主義国家ではない。本質的に日本人は無自覚的な絶対社会主義者である。これは日本では一切闘争を避ける部分でそうだ。 Retweeted in Twitter


 はっきりしていることの一つとは、人は果たして本当に自分以上に信用できる他者などというものが一体居るのだろうか、ということだ。やはり自分以上に自分の味方になれる者等居はしないのではないか?相談等は警察官、教育者、公務員、精神科医、自衛官、官僚等には絶対すべきではない。


 一つはっきりしていることは日本では男子は自分以外の男子を自分より上か下かということ(それは能力的にも社会的地位的にも)でしか見ない人はかなり多い事だ。そしてそれは官憲的タイプと言ってもよい(警察官、公務員、自衛官等全般は概してそうだ)し、そういう人達はかなり多いという事だ。


 例えば人は生まれてきた時に性別も時代も国も言語も選べない。当然のことながら両親を選ぶこともできない。そしてどちらかと言うと父母のいずれかの方が好きだということはあっても、必ずしも好きな親が長生きし、嫌いな親が早く死ぬとは限らない。世間体でいい子ぶっている人だって幸福とは言えない。


 私は20代の後半のある時期までは確かに幸福だったと思う。若いから身体も今よりずっと自由も無理も効いたし、何より希望があった。だがその後或る時期を境に急速に息詰まる気持ちになっていき、それが30代前半にピークに達し、それ以後幸福と感じた時期は一回もなかった。結論として人生に幸福はない。


 よく聖人の様な人っていうのは居るのだ、とか天才っていうのは居るんだと言う人が居るが、それもその人のやはり主観でしかないのではないか?例えばどんな他者へも一切偏見なしに公平に見られる人など居るだろうか?誰しも主観的にしか人を見られず、最初から好き嫌いははっきりしているのではないか?


 哲学でも自然科学でも心理学でも何でも言えるこの非統一的見解と体系化されているととても言い難いかなり恣意的な個々の判断は、あたかも「あの人はいい人だ。いい人かそうでないかは時間をかけて見てみなければ分からない」と言う時個々の個人の判断にしか委ねられていないのと似ている。


 理論物理学のパリティ保存とか非保存とか、小林・益川理論とかと位相幾何学とかと同期とかとは明らかに関連性がある様にも思えるけれど、数学は明らかに代数とかとそれらとは必ずしも完全統一された体系があるとも思えない。個々の発見が別個に為され、積み重ねてきている様だけど恣意的だ。


 統一されているとはとても思えないのは物理学もだし、数学もだ。鏡像関係とかとも関連するパリティ非保存とかの問題とファラデーの法則とかと、同期物理学とかでも完全に一つの体系として物理学が認識できるとはとても思えない。自然科学自体がかなりどの分野もばらばらだし、専門分化も恣意的だ。


 色々と学んできて少し分かってきた事だが、自然科学と言ってもかなり主観的部分も強く、例えば心理学は自然科学でも哲学でもないが、統計的な認識があってもかなり曖昧だし、生物学の進化論もそうだ。精神病理学(臨床精神医学)もかなり疑わしい。生理学も体系的に統一されているとは思えない。 2retweeted and liked in Twitter


 物凄く不純な動機で作った作品(好きな女に褒めて貰いたいとか、いい所を女に見せたいとか)が凄く素晴らしい出来になることもあれば、逆に物凄く真摯に考え抜いて駄作になることも稀でない。結局結果責任、成果主義が絶対正しいとも言える。これと愛し合う夫婦に犯罪者が育つ事もある事は共通する。Retweeted in Twitter


 例えば凄く極端に言えばもの凄く善良で相互に深く愛し合う市民の夫婦の間から極悪非道の犯罪者が出ることもあれば、逆にレイプされた女性が生んだ子供が成長して偉大な仕事をする人になることもある。だからここでも人間の理性や善良さへの自分達自身だけの判断のある種の無力は証明されている。Retweeted and 2liked in Twitter


 日本だったら大体早く出世する奴はその時点で権威や権力ある人にごまをする奴だし、社会の善っていう奴が既に一種のそれが善だって信じらせられる人を巧く誘導する悪意ある権力者の策略で、アメリカだって安く大勢に買わせて自分がうんと儲ける事だけ考えている訳だから、人間には悪しかないのだ。

 こりゃあ、当分二十代に関しては羽生結弦二連覇ゴールドメダリスト、十代に関しては藤井聡太六段の話題で持ち切りだろうね。若い世代がどんどん躍進する時代になったってことだね。


 倫理とは完全に敗者、犠牲者のためのものだ。勝者は圧倒的に少ないけど、勝者が圧倒的に力がある現代世界だから、弱肉強食で強者が弱者を搾取しているというリアルは全く昔と変わっていないどころか、現代では益々強まってきている。これは300年は続くと思うな。


 もう圧倒的に肉食系の女性が理想だね。でも五輪に出る女性って全員肉食系だよね。草食系はいない。腰の太さからしても凄いもんね。凄いよ、彼女達なら世界の少子化に歯止めかけられると思うね。


 世界の男と女をね、優秀な奴だけ子供を作る専門のグループ(少数)にして、大勢の子供を一切作らないけどね育てる専門のグループに分けてだよ、僕は当然前者になりたいんだけどね(一切育てるのは他人に任せ)、子供を作ることだけ一生やっていくの。この発想はビートたけしも思いつかないと思うよ。


 女性を人生で一度も口説いたことがない。いつも向こうからこっちに寄ってきた。それだけ。だから口説こうとしたって女性なんてゲットできはしない。女性は気まぐれだから、口説こうとしない男しか狙わない。


 20代では欧州人女性と付き合ったけど、40代では中南米女性と付き合った。欧州人と出会うまで日本人女性二人と出会ったけど、二人目の女性はよく思い出すし、夢にも出てくる。三人目のダンサーの白人女性が僕の女性観を決定的にしてしまった。あの純金のヘアを忘れることなんてできない。Liked in Twitter


 俺が出版社社長だったら絶対哲学書なんて出さない。天才的女性詩人の詩集とか、男の作家でも恋愛小説。もうニヒリズムもオタクの世界も絶対終わり。圧倒的に夢を売る作品でなきゃ売れない。そうすればJ.K.ローリングを超えられる。俺の目標はローリングより売れる小説を書くこと。それだけだ。


 日本人を主役にしたってワールドワイドなベストセラーにできない。だから双子の美女の白人が主人公。でも男にはアラブ系も登場させる。すると小説読もうかってイスラム教徒も食指を伸ばす。英語でまず出版する小説だ。もう十年程前に思いついたストーリー、プロット、状況設定。後はセリフが重要。


 長編小説のプランは纏まっていて、後は資料集めるだけ。英語の作品。それを欧米で売れればスペイン語、アラビア語、ポルトガル語や中国語や日本語に翻訳し売れればアメリカかカナダかオーストラリアで土地買って大回転で優勝したみたいな白人の奥さん貰って子供いっぱい作って遊んで暮らすのが俺の夢。


 熊谷守一の展覧会を竹橋の国立近代美術館で開催中だそうだ。最上タレントは知らなかったな。熊谷の絵はヘタウマ的な感性で、でも生き方があんまり好きになれないんだよな。ああいう千人ぶったところ。恰好つけなんだもんな、ああいうの。樹木希林とか凄く褒めていたけど、そういうのも気に入らないな。


 世界でもきっと非言葉が国家全体、社会全体を支配している国、民族は日本、日本人だけで、朝鮮民族も漢民族もコーカソイドも全くそうでない訳だから、それを分かってしまうとかなりこの国の不文律に従って生きていくのが辛くなる。体感主義民族が日本人なのだが、それにもきっと固有の言葉はあるかも。


 僕は生来余り暖かい優しい人間ではないから、もう野垂れ死にが一番可能性高い訳だが、或る部分日本にロゴスなんてない訳だから、ロゴスっていうのが日本人には冷たく映るんだろうとは想像できる。僕にはそっちの方がずっと分かりやすいんだけど。だから非合理的でないと満足できない人達の群れなんだ。Retweeted and 2liked in Twitter


 日本史で縄文と弥生はどっちが長いか未確定だ。それ以外は古墳時代が次いで長く(450)、平安時代(391)、江戸時代(265)、室町時代(237)、鎌倉時代(158)、飛鳥時代(118)、奈良時代(84)、昭和時代(63)、明治時代(44)、安土桃山時代(30)、平成時代(30・予定)、建武の新政(3)だ。Liked in Twitter


 羽生結弦を主演に映画作るとしたら、まず二つ思い浮かぶ。一つは大化の改新での中大兄皇子(天智天皇)だね。後一つは現代の殺し屋、ヒットマンだね。飛鳥時代も現代も彼なら主演映画できるね。


 そんな特別の思いはなかったですよね、だって。現代青年だよね、宇野昌磨ってさ。好感持てるな。羽生とは正反対のタイプの青年だよな。


 スピード競技とかと違ってやっぱ美を感じさせなければいけないので、フィギュアスケートは表現性が凄く強い。だからアスリートと言っても、身体能力だけでない何かが要る。でも凄く偉大な選手でそんなスピード競技でも変な顔の人って居ないよね。そういった意味では実力は精神的な事もあるわけだね。


 日本人は美男と感じる顔がある。だから羽生結弦は、例えば高橋一生、早乙女太一、尾上松也、健太郎、松下優也とかと同一の系譜に入る美男だよな。


 羽生結弦は神道的イメージの青年である。宇野の方が仏教的だ。顔と体つきからだ。でも羽生は三連覇狙うだろうか?でも彼俳優にも向いていると思うし、彼主演で映画撮りたい監督は大勢居るだろうね。北野武も黒沢清も園子温も永井聡も白石和彌も考えていると思うな。でも僕は北野武で見たいな。


 二度ひやっとさせたが概ね余裕を持って飛んでいる感じはした羽生の二連覇だったが、宇野があのジャンプをミスしなければ結果は分からなかったとも言えた。それにしても羽生は格好の顔もいいから凄く得している。日本人からスターになる顔で、若い人は知らないだろうが、市川雷蔵にも似ている。


 最近つくづく思うが、世界で利害という観念無しに社会に臨むのは日本人だけだろうということだ。韓国も中国も全く違うし、欧米のどこでも日本の様ではない。だからドラマでは悪が描けない。だから見ていて能面だけの人達が欲望無く生きている感じすらする。これはかなり日本の本質そのものである。


 テストストロンの数値は圧倒的に政治家、アスリート、芸能人は高い。要するに彼等は見られることを仕事しているので、ナルシスは異様に強く、且つ仕事の過酷さが半端ないので、その褒美としての性への渇望も異様に大きい。アスリートと結婚したいと思う人はかなりその点は覚悟の上での話である。


 ユダヤ教とイスラム教は全く違うが、キリスト教で婚姻制度の拘るのはカソリックでは家族主義、プロテスタントはピューリタニズムなので、精神的な禁欲主義っていう訳だ。カソリックでは神父は結婚できないし、既婚者は離婚ができない。その点ではプロテスタントの方が自由だし、もっと本質的にアナーキーだ。


 婚姻制度があるから世界のどの国でも不倫とかがあると大騒ぎする。だがそれを一切廃止すればそんな事で騒がなくなる。又生物学的にも優秀な遺伝子が受け継がれる。でも可笑しいのは性はどの国でもタブーだが、年配者は大体知っている。若輩者に教えない様にするのは革命を恐れているからかな?


 世界でも肌の色で一切差別しないコーカソイドはロシア人とポルトガル人だけだと言っていいね


 朝鮮民族は綿々と中国やロシアに大勢居る朝鮮族と繋がりがあるし、中国人漢民族も客家もだ。フィリッピンでもインドネシアでも皆ネットを持っている。だが日本市民で群馬県に住む日系ブラジル人移民と親しいという話は聴いたことないし、ペルーやブラジルで天皇陛下写真仰ぐ人達と親しいとは聴かない。


 確かに俺がポルトガルの女性と結婚して、相手と子をポルトガルで生活させ成長させても、結局俺の血が半分入っているから、あそこでは大勢サラセン帝国時代のDNAが混入しているから、肌の色で差別はされなくても、自分の父が日本人と知ると天皇陛下万歳とかリスボンで叫んだりするかも知れない。


 キリスト教の世界では、例えばアメリカでも実業家で巨万の富を稼いだ人は全員天国には行けないという発想がある。だが日本はどうだ。殆ど全員が資産家達に尻尾を振って、貧乏だとか格差社会の敗者達は委縮してしまっている。つまり精神的誇りがない。あるのは金への執着だけだ。


 数日前深夜スーパーに買い物に出かけた時、寒いので急いでいて転んでしまって、どうも左手の上を骨折したみたいだ。明日病院に行ってレントゲンを撮って診て貰おう。年には勝てない。どうも身体の敏捷性が衰えてきたみたいだ。でも肋骨を一昨年自転車で転んで折ったが、少しそういう事は続いた。


 今日から水戸の偕楽園で梅祭りだ。俺が初めて両親の前で立って歩いた場所である。ところで水戸市民とは、梅だけが俺達の自慢じゃねえぞっていうところある。つまりかなり桜も美しいのだけれど、桜はいつも水戸では外では無視される。水戸=梅という頭が全国で固まってしまっているからだ。


 哲学者は聖オーガスティン(アウグスティヌス)、聖トマス、デカルト、ホッブス、パスカル、ライプニッツ、スピノザ、ロック、バークリー、ヒューム、カント、フィヒテ、ヘーゲル、ベルグソンから現代に至る迄全てキリスト教かユダヤ教と関わりあるものだけであり、アヴィセンナはアラーだ。


 日本社会から全ての忖度をなくしたいなら、シンガポールみたいに英語にするしかない。日本語とは全て天皇家を中心とした成員意識の放射状的位置確定の為の言語なのである(これは先日自殺された西部邁氏も常々主張していた)。遠慮とか節度とか慎み等の全てが言語に組み込まれているのだ。


 欧米の言語は英語にしたってスペイン語にしたって、要するに究極はイエスへの信仰の為の言語である。これは絶対免れない。アラビア語はアラーの為の言語であり、要するに言語とはそういう風にその中心に向かって全成員が放射状に位置することの表明以外ではない。


 だからどんなに否定したって、日本では君主論的なテクストを自分のこととして読める人は一人しかいない。そして残念ながら日本語は天主(かつての隠れキリシタン的言い方だけど、天皇にも使った)様の為に設えられた言語である。日本語の構造はそういう忖度・斟酌だけで成立しているのだ。


 世界で一番精神的に気楽なのは奴隷である。支配者とか統率者が何の世界でも一番大変だ。だから詩とかは、敗者達の為のものなので、全く儒家的思想とは対極である。儒学の論語でも中庸でも統率者、統治者の心得の為のものだからだ。だが法家は違う。これが今の法治国家的法の始まりだ。


 フィギュア演技の選曲にPink FloydWish You Were Here, Money とかを使っている、懐かしいな、と思えるのは俺達世代くらいだろうけど。


 老人の世界とは趣味だけの世界の住人であり、要するに完全に彼等には社会という発想はない。エゴイズムだけしかない。だから老人だけの世界に余り親密になると、もう一般社会通念からどんどん遠ざかるのでかなり要注意である。文藝の世界もプロ以外大半はそうなので、注意して接していくべきだ。


 趣味の世界での対人関係があまり憩いあるものとなると、通常業務とか、本職での対人関係が煩わしくなるので、趣味人間は概して反社会的以前に、落伍者的である。趣味にしていること自体を本職にしている人は又少し違うが、趣味の集いでの虚栄心に嵌り込むと抜け出すのが困難になるのだ。


 高等遊民の様にしているだけで食べていける道等恐らく一つも世界にはない。王族とか皇族は業務が過酷なので身体が丈夫でないと務まらない。でも世界的コングロマリットのCEOになれば、或る程度の遊び的なことは活かせるだろう。だからベソスもゲイツもザッカーバーグも物凄いギャンブル勝者である。


 生理学的に言えば大勢の子を出産している女性は出産中毒で、そういう生命創造の依存症とも言える。でもそれを言うと忌避的メンタリティを強く日本人が抱くとすれば、それは産めよ、増やせよ時代の国家主義的倫理の殻から一歩の抜け出ていないと言っていい。だから日本は呪術国家である。


 ビートたけしは人生が波乱万丈だから本は面白いし演出も巧い。だが彼のスピリットは芸人の諧謔精神中毒者なので、今は只の老人だし、滑舌も悪く、顔も事故以後醜悪なので、若手芸人よりは徐々に露出頻度は下げていくだろう。もう演出と執筆だけに専念して欲しいと思っている往年のファンは多いだろう。


 性的オーガズム(古くはオルガスムス等と言った)は全般的にマゾヒズム的だ。快楽がそうだからだ。だから身体を酷使することに快楽を得ているからこそ人は過酷な登山に挑む。肉体を酷使しない程文明度、文化度は高い。ホワイトカラーはブルーカラーを軽蔑するが、働くのが嫌いな者程文明文化度は高い。


 ネイサン・チェン、フリー演技は良かったよね。


 セックスの快楽を得る事を知り過ぎると性的依存症になる。故にプロのポルノ女優や男優達はそのシンドロームを利用して生計を立てている。実はこれと肉体管理のシェイプアップとか加重なトレーニング(例えばジョギング)とかも意外とかなり近い。ナルシスの行使なのでし過ぎるとメンタルを駄目にする。Liked in Twitter


 五輪に出場するアスリートでもメダリストまで行けば精神的には文民のトップに近いが、びりくらいの成績だと労働者の精神に近いに違いない(失礼な言い方だが現実はそうだ)。同様に素人で登山とかに凝っている人が三浦雄一郎氏と同じメンタリティである筈はない。つまり彼等は肉体過酷な行使中毒者だ。


 劇映画だけ焦点にすれば確かに演出家は役者の方がいい(演劇で言えば吉田鋼太郎とか)。でもドキュメンタリー映画となれば又話が違う。それでも劇映画で塚本晋也がしている様にカメラマンも監督が兼ねるくらいで、一般民間人はより親しみを持ち監督に協力する様になるというメンタリティは確かにある。


 映画創世記には発明家が発明した映画だったが、劇映画が定着すると演技とスタッフの親方が監督となった。しかし親方は演技者からすればスクリーンでパフォーマンスする経験はない。だから役者にとっては役者経験のある監督の方が従う気持ちになれる。だから現代では役者の映画監督進出が多い。


 中世では秀吉は武勲があったから各大名も従った。でも現代は違う。だから文民統制される側には気分的なフラストレーションはある。例えば画家は美術評論家や学芸員、文章家全般へ卑屈な思いを皆抱いている。彼等は感性と肉体の奴隷であり、彼等の作品を文で批評されるのはきっと耐え難いのだ。


 軍隊経験の一切ない者が常に軍隊のトップにあるのが文民統制だ。だが兵士(軍人)の立場に立てばそれこそ日本の戦国武将や朝鮮李氏朝鮮初代国王イ・ソンゲではないが、全く武勲のない人間に支配されるのは嫌だろう。だから警察も自衛隊も一般市民感覚とは違う忠誠心が彼等にはあるのだ。Liked in Twitter


 学校では生徒に対し教師は強い立場にある。同様に市民に対し公務員や官僚はやはり強い立場にあり、必然的に彼等へ批判的市民より親密感を示す市民にサーヴィスがいいに決まっている。同様に警察に批判的な市民に警察がいざとなったら守ってくれるかと言ったら疑問だ。結局そういう現実はある。


 スポーツ界はアスリート同士で協力し合い仕事を紹介したりするし、同様に芸能界でも音楽やお笑い、演劇映画界同士がそうする様に公務員も官僚もそうするのだが、重要な事は国や地方自治体のお金他を管理するのは彼等だけであり、又治安安定の為の方策は一切警察行政に委任されている事だ。


 私は凄く成功している人から、そうでない人までかなり多くの人と出会ってきたが、無名で凄く才能があると思える人でも、認められていないだけで「本当は」凄く隠れた天才だとまで思える人は一人も居ないと思った(私の鑑識眼が大した事ないだけかも知れないが)。それだったら売れる方が価値がある。


 僕は長く作品を作ってきたけれど、全く成功してこなかったし、天才なんかでは全くないということだけを証明して見せた敗者的人生の徒なのだが、だからこそ年老いて(来年還暦だ)残りの人生で弱っていく身体に唯一の助けは金なので、反社会的でない詩・エッセイ等だけを書き収益だけを求めたいのだ。


 王・長嶋・松井とか凄く収入を得ていても、彼等は肉体的にかなり犠牲にしているし、長谷川一夫や美空ひばりも基本的にはかなり無理をされてきたので仮に凄く稼いでいたとしても栄誉賞には相応しい。だから実業家とかはどんなに偉大でも外すべきだとは思うし、事実そうであることは賛同したい。


 僕は国民栄誉賞は基本的に生涯それ程莫大な収入を得られないけれど偉大な人にだけ与えられるべきと考える。その点スポーツアスリートと棋士への授与は正しいし、特例的には歌手や芸能人もいいと思うけど、羽生はもし金メダル取ればそれに値すると思う。野村忠弘・北島康介・内村航平もだ。

 人は笑えなくなったらおしまいだ。ここで言ってるのは哀惜や悲哀、可笑しみに於ける笑いだよ。人を見下した嘲笑なら却ってできない方がいい。凄く頭良くても、本質的人生の可笑しみを理解できず笑えない奇形で生きていく位なら、何にも理解できないバカでも笑える方がずっと尊いし、いい事って思える。


 私には年齢的に人生の残り時間からそんな事をする余裕はもうないが、聖書も実は(コーラン<クルアーン>もだが)その構成秩序には完全なる数学的論理解析性が漲っていて、そういう構造解析的にその正当性を数値化する様な文献数学者の様な人もきっと登場するだろう。仏典も古事記・日本書紀も。Retweeted and liked in Twitter


 今毎日少しずつジャン・カルヴァン『キリスト教要綱』を読んでいる。以前聖書を少しずつ読み進めていた時期を思い出す。旧約は八割程、新約も重要だとされるところだけ読んだ。あれも生涯学習の部類である。ところで神学者の文章も実はかなり基本的に数学的論理解析性に基づいている。だから凄い。


 最終的に哲学や論理学は言うに及ばず、長編小説も長詩や戯曲も、映画の脚本も映画監督も数学的な頭脳が凄く要ると思う。でも数学の専門家になれる様な頭脳でなくても、その本質だけ理解出来るだけの頭さえあればいい。寧ろそれ以外の数学者にはなれないからこそ備わっているものを温めればいい。Retweeted in Twitter


 15で素描修行始め17歳で初個展して以後48歳迄35年絵画中心にやってきた男がそれ以後してきた事は、たとえ48よりずっと前から小説は書いていたし、詩も少しずつ書いていたとは言え、今毎日書き続けている詩も批評やエッセイも全て48以後始めた事に過ぎない。その割にはよくやっていると思う。


 スペインのハビエル・フェルナンデスもかなり良かったよね。何となく今から全体の結果も見えてきている感じもするね。やっぱ、彼二位に食い込んだよね。フリーで宇野がもっと上を行って、羽生と金銀独占して欲しいよな。


 日本男子フィギュア個人はひょっとしたら金銀独占するかもね。やっぱ一つ位そういう種目っていうか競技があった方が日本も元気になる。宇野昌磨も凄く良かったからそう思うんだけど。あの小平奈緒と高木美帆の銀銅も凄く感動したけどね。やっぱ宇野も100点超えだったよね、良かった。


 僕はいつも羽生結弦の演技にだけは魅了される。浅田真央も羽生程は惹かれてこなかった。寧ろ安藤美姫と村主章枝の方にずっと惹かれていたし、鈴木明子も好きだった。或いはキム・ヨナの演技の方にあの彼女が金メダル取って真央が銀だった時も惹かれた。それは好みの問題なので仕方ない。


 僕は率直フィギュアスケートはそれ程好きな方でないが、今日の久しぶりの復帰だった羽生結弦のショート演技は完璧だった。世界の羽生を再度印象付けた。彼の持つ中性的美魔力は今も健在。問題なのは巧く行かなかったネイサン・チェンでなく寧ろ後輩の宇野昌磨の方だ。いい勝負かも知れない。Liked in Twitter


 世の中には頭脳的にはリチャード・ファインマンやアラン・チューリングのレヴェルで、且つ物凄く波乱万丈な人生の人(前科があったり、逆に酷く受難続きの人生だったり)だけしか分からない悲哀や人生の悲しさを知っている詩人や作家が登場すれば、それはもう村上春樹さえ太刀打ち出来ないと思うよ。


 エッセイや自伝等、伝記等は圧倒的にドラマチックな人生(つまり挫折や受難、悪等)程面白い。従ってどんな偉大な頭脳の人でも人生に面白みがなければ絶対読者はつかない。だから逆に今の日本にジュネ(サルトルも長大なエッセイ論文書いている元大泥棒の天才作家)みたいな人が居れば本当に怖い。


 『ヒンシュクの達人』(ビートたけし・小学館新書)を読了。世相毒舌家としてのたけしの本領が発揮されている。彼はお笑い感性で古典的芸の在り方から、世界の全てへその論理を適用し諧謔的に捉え直し笑わせもするし、考えさせもするエッセイストだ。この力量はプロ文学者にもなかなか出せない味だ。Liked in Twitter


 たけしの代表作を後十冊程で全て読み終えるので、その後又吉の本を一通り読んでおこうと思っている。又吉は小説家としてはきっとかなり天才だと思う(触りだけ示されるのを見るとそう)。でもきっと著述家として(エッセイストやインタヴュー集等で)又吉を高く買うたけしを抜くのはかなり難儀だろう。


 『バカ論』(ビートたけし・新潮社新書2017)読了。たけし最新エッセイの一冊。かなり以前買いツンドクだった(率直最初の五厘程は退屈だったので)が、改めて読み続けると中盤から凄く面白くなり、その筆力に圧倒された。彼は最終的に現代古典落語の作者に向いているのではないか?凄い著述家である。Liked in Twitter


 僕は来年還暦なのでこれ迄は圧倒的に年配者との出会いが多く、それで助けられ感謝もしているけど、これからはずっと自分より若い人との出会いが多くなっていく。それだけ年取れば自分より若い人達にお世話になり教えられる事が多いだろう。だから彼等と巧くやる必要もあるし大事にしなければいけない。Liked in Twitter


 僕は全く社会に金銭的に(税金とかで)貢献してこなかったから地位的には取るに足らない人間だけど、凄く出会いだけは恵まれ、かなり大物とも大勢出会ってきたし、今も知り合いでもいる。有名でなくても凄い方と大勢知り合い色々と精神的に助力して頂いた(大半が目上)ので、もう出会いは要らない。


 僕は気分が塞ぎ込んだ時はビートたけしの本を読むことにしている。彼の本は分かりやすく語るが内容が凄く面白く、何より彼自身凄く物事をよく考え頭のいい人で、それでいて茶目っ気がある(気取りや格好つけがない)。きっと彼の本の熱心な読者は下手な論客や作家より多いに違いない。だから本が多い。


 ビートたけしは毒舌を吐き危なっかしいと思われていても、最終的に本当に惨めな境遇の人や障害者を差別することだけはない。普通の人は意外とそうでない。彼は20万の借金で自殺した先輩芸人の事を忘れられなかったりするし、あれだけ姐ちゃんとか言ってもかなり女性からモテる。女に優しいのだね。Liked in Twitter


 朝ドラ『わろてんか』は吉本せいの生涯を描き、お笑いが今の日本に齎した意味を考えると意義深いテーマのドラマだが、主演葵わかなと息子役成田凌が親子に見えないとその点で不評だが、葵は年齢の割には成熟した大人の女性の雰囲気が既にあるし、成田はかなりのイケメンで今後より活躍するかも。Liked in Twitter


 ビートたけしは若い頃はかなりやんちゃも悪もし追い込まれたが、その度に再生した。それは彼固有の何かある人間的魅力だ。彼はオートバイ事故復帰の時には原節子から数珠を送られ、それを手に会見したし、母さきの葬儀には森光子が参列焼香したし、白洲正子から好かれドテラを貰っている(凄い名前だ)。


 酷く辛い状況に追い込まれても、それを詩にすればいい。だから基本的に詩は社会的成功者や権威者のためのものでなく、敗者のものである。でも権力者でも権威者でもその様に社会から認定されている人でも、心に一抹の寂しさや悲しさがあれば、それを詩にできる。だから詩は人を差別しない。それがいい。


 どんなに悲惨な状況でも創作する人間は、作品だけはいい加減ではだめだ。その点は親の死に目に会えないとかいう芸人のプロ魂と似ている。どんなに世間から冷たく扱われ、差別され、いじめられても、作品には関係ない。いいものを作る様に考えなければ駄目だ。それが嫌なら創作なんてしない方がいい。


 画家として出発し詩人で成功した人にアイルランドのイェーツがいる。又生涯詩人でありながら生計を画家で立てた凄い人がウィリアム・ブレイクだ(本当だったら絵で食っていく事を夢にしても叶えられない方がずっと多いのに)。自分は絵で食おうとして挫折し、哲学も後で学んだが、いずれも詩に役に立つ。


 SNSやブログは基本的に無名の普通の市民が書き込む事に意味があり、有名人には本物だと思われぬ場合もありデメリットだ。ハバーマスはTwitterで書き込みを始め数週間でやめた。あまりにも偽物扱いされ過ぎ辟易したからだ。たけしは偽たけしサイトに自分が本物だと書き込まれると偽扱いされ削除された。


 『下世話の作法』(ビートたけし・祥伝社黄金文庫)を読了。たけし流粋の構造。見栄を含めた美学的生き方指南書。彼の持つ感性は結局江戸前落語的世界へと志向する。かつての時代の寵児が63歳当時の本。今はもっと枯れているが、実は枯れても毒舌を緩めないスタンスこそたけしの持ち味。Retweeted and 2liked in Twitter

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