私は日本人だが、理念的、宗教信条的には神道とも仏教とも相容れない、神と自己との対話だけで生きていこうという者なので(理神論者)、寺院でも香が身体的効用があるとかしか思えないし、全多神教は文化と説話としてだけ取り入れる。だから延暦寺には悪いが日本人的でない信長は惹かれる。


 自分の人生を振り返っても、確かにあらゆる人達、社会、時代その全てから影響を受けた。でもそのどれからにも特別影響を受けた訳では決してない。つまりそれが自分として生きるということだ。そしてそうやって生きて理解してくれる人も居れば、そうでない人も居るというだけのことである。


 人の生き方はたとえ親でも子に強制できない。まして社会、国家、思想、宗教、その全ても個人を強制的に何か染めさせることは決してできない。その全く思った様に相手を変えられなさこそが人間の本質なのだ。それ以上に大きな本質等、人間にはない。


 自分にとって大切な人は必ずしも似た生き方ではないどころか、正反対ですらあり得る。でもそれは大切だ。そういう出会いは人生でニ三度しかない(みたいだね、半世紀以上生きてそうだったから)。又そう大勢居る必要もない。過去の大半の出会いが、それ程自分に大きな意義を与えたとも思えない。


 重要なことは人の生き方や価値観はそれぞれだから、それを人へ押し付けないという事、違う考えで生きていてもそれぞれ干渉し合わないということが社会全体の大きな鉄則なのだと思う。意外とそれを破っている人は多いと思う。違う思想、感性、考えの人の共存、それが社会なのだ。


 私は日本人だが、理念的、宗教信条的には神道とも仏教とも相容れない、神と自己との対話だけで生きていこうという者なので(理神論者)、寺院でも香が身体的効用があるとかしか思えないし、全多神教は文化と説話としてだけ取り入れる。だから延暦寺には悪いが日本人的でない信長は惹かれる。


 自分の人生を振り返っても、確かにあらゆる人達、社会、時代その全てから影響を受けた。でもそのどれからにも特別影響を受けた訳では決してない。つまりそれが自分として生きるということだ。そしてそうやって生きて理解してくれる人も居れば、そうでない人も居るというだけのことである。


 人の生き方はたとえ親でも子に強制できない。まして社会、国家、思想、宗教、その全ても個人を強制的に何か染めさせることは決してできない。その全く思った様に相手を変えられなさこそが人間の本質なのだ。それ以上に大きな本質等、人間にはない。


 自分にとって大切な人は必ずしも似た生き方ではないどころか、正反対ですらあり得る。でもそれは大切だ。そういう出会いは人生でニ三度しかない(みたいだね、半世紀以上生きてそうだったから)。又そう大勢居る必要もない。過去の大半の出会いが、それ程自分に大きな意義を与えたとも思えない。


 重要なことは人の生き方や価値観はそれぞれだから、それを人へ押し付けないという事、違う考えで生きていてもそれぞれ干渉し合わないということが社会全体の大きな鉄則なのだと思う。意外とそれを破っている人は多いと思う。違う思想、感性、考えの人の共存、それが社会なのだ。

 どんな力や金があったり、仕事の機会を与えてくれそうでも、こっちから尊敬できない人に絶対頭下げたくないし、それで損をしても、それはそれでいい。自分の心を曲げてまで権威や金の力に媚びたいなんて思えない。巧くやっている人でも大した事ないとしか思えない人大勢居て、その考えは変えられない。Liked in Twitter

 シェフ、実業家、経営者、投資家、投機家とかなら確かに尊敬できる。だから凄くお前偉そうだな、なんて言われても、そういう心の本音は嘘つけないから、かなり外れた生き方している人としか親しく出来ない。沢山税金を払って全うな市民生活を送る事が目的の人生でないから、やくざって言えばそうだ。

❄ 本音では役者、芸人、営業とかしている人達は好きで贔屓な人は居るけど基本的に尊敬できる訳でない。映画監督、演出家は僕達に近い世界だと思うけど、彼等は彼等の世界の道具となってくれる役者達と巧くできなければいけない。でも自分はその必要はない。ビジネスパーソンも尊敬なんて出来ない。Liked in Twitter


 私には一度きりの人生を対人関係を巧くする事を至上命題に出来ず、それが自分自身に与えられた神の使命から著しく外れるとしか思えない。只管その生き方を認めない全ての人を巧く避けるしかない。重要な事は人生等どう生きても誠意だけで生き抜いてなんていけないという事だ。狡くしか生きられない。


 私はウォーキング、サイクリング、登山もするが、それはあくまで身体を鍛え頭の回転を良くする為で(それ自体は凄く楽しいが)、山男になりたいとか力仕事の世界の人間になりたいのではない。だからやはり物書きなので、そういう違いが或る種の人達(組織人や労働者)にはむかっと来るのだろう。


 最近時々ちょい役で富澤が役者として稼いでいるサンドウィッチマンは、富澤のクールなボケに対して伊達の一般市民的常識から驚愕する(呆れ果てる)ツッコミの流れ、その遣り取りの間が命である。彼等は余り頻繁にヴァラエティやクイズ番組に(カズレーザーの様に)出ないで芸そのもので魅せて欲しい。

 本当は修士や博士の学位もとりたいのだけど、金と時間を確保するのは若い内でないから大変なので、何とか創作で飯を食えて、それで稼いでためた金で老後趣味で大学院に行くことは考えている。先生とか呼ばれなくても、そもそも学者志望の人生でなかったので全然構わないし、放浪の詩人だからね。


 今俳優や芸人は多くMC進出を狙う。その方が安定しているからだ。子沢山の恵俊彰や谷原章介がそうだ。そうでなければ土屋太鳳の様にダンス等演技以外のスキルを幾つか専門以外に持っていなければ食えない。だがヴァラエティや対談で内輪話(先輩との関係等)をするのはこちらにはどうでもいい事だ。

 今の日本では芸能界では才能の努力より(つまり芸そのものでなく)ヴァラエティやクイズで面白がらせたりいい点数取ったりすることに皆執心し、協調性と縦社会的礼節ばかり重んじ、そこで好感度も獲得している。でもそれも限度を超えると見ていて不快だ。その事を茂木健一郎は批判したのでなかったか?Retweeted in Twitter


 今の天皇陛下が最後の純粋皇室血脈オンリーの天皇である。次期即位天皇陛下から民間人とのハイブリッドとなっていく。その意味で徳仁親王の一般民間人への対応の仕方、宮中参賀の物腰が先例となり、更に次の天皇へと受け継がれる、という意味では、ちょっとみものである。良き指南役がおられることを。


 個人主義は中国人程個々が凄く頭がいいから勤まるんで日本人程の頭脳じゃ難しいかも(無論自分も含め)インテリ以外は。だから日本人は個人主義がきついから寄り添う(寄り添う気持ちがあればいいのさ♬)。でもアメリカ人の母って赤ん坊にスキンシップせずまず語りかけるって。ディベート民族らしい。Retweeted and 2liked in Twitter


 今の悪質な青年は右翼に調子よく合わせらない自分の様なタイプの還暦近い中年を敵対視しているみたいだ。電車の中で睨まれる事も多い。でもひょっとしたら自分の方が電車の中で他人へ良くない目つきをしているのかも。それを棚に上げて被害者意識だけ募らせているならメンヘラになっちまうな。


 初対面の人には相手が自分より若いと思っても少なくとも相手が青年でなければ私は決して求められなければ助言もしない。でも初対面の人へもそうする人も相手が自分より年配ならそうすまい。そして相手が社長なら助言しないなら人を差別している。矛盾だ。慣例を重んじるより私は論理と倫理を優先する。

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