性的羞恥(恥じらい)を重視する社会は、自由でなく封建的ということだ。それだけなのだ。それを異様に価値化するのは女性の取るに足らない配慮ばかり重視する日本固有の被爆敗戦国の倫理でしかない。為政者と権威者を付け上がらせる倫理で、どの国も日本より男に自由を与えもっと好戦的だ。

 

男女は同性同士の友達とは本質的に異なる人間間の交流だ。従って少なくとも俺にとっては凄くいいセックスが出来て、相互にいい思いが出来るか否かが最も重要だ。それを日本社会全体が消し過ぎる。若くしておじさん、おばさんばかりになる。人口も増える訳がない。Retweeted in Twitter

 

20代で惰性的に遊んだデリヘル嬢やソープ嬢(尤も彼女達の中でも凄く良く覚えているプロ女性は十数人居る)以外に真剣に接した四人の女性(日本人三人に外国人一人)を経たら、もう俺は性的に強烈な女しか付き合えない身体になってしまった。以後そういう女としか付き合っていない。Retweeted in Twitter

 

日本女のこの小母さん化。これが日本をつまらない国にしている。恋愛も性も若い時だけという倫理に裏打ちされているこの国でいい仕事は出ない。何故なら男の仕事とは女とのセックスが最も関係しているからだ。だから今も俺は国内在住の外国女ばかりいつも狙っている。Liked in Twitter

 

俺はもう殆ど世界中の女に興味があるし、それ以外には大した情熱なんて持てないが、フィリピンであれネパールであれインドであれ日本とアメリカなら圧倒的にアメリカに近い。女は特にそうだ。韓国や中国さえ日本よりはアメリカに近い。だからいつも思う。日本は本質的に孤立している。

 

日本人全般で俺が最も憎しみを持っている部分とは、清らかさ、つまり性的な貪欲さを端から否定している。そういう悪しき性善説的禁欲主義だ。俺は女性とは性しか求められないし、それを悪い事と思えない。だって生きているとは生殖的性を生きること以外でないから。

 

昨日Eテレで放映されたマイケル・ジャクソンの死の日の二十四時間だけを中心にレポしたドキュメンタリーにマーク・レスターや数多くのマイケルの知人が登場した。黒人の学者だったと記憶しているけれど、もう唇と話し方だけで性しか連想しない位に艶っぽい。アメリカ女は日本女の百倍性的だ。Liked in Twitter

 

二十代に日本人女性と外国人女性と深い関係になり、何人とも出会って以降、どんなタイプの女性であれ異性としてしか女性を見れず、女性とは同僚にも友達にもなれず、事務的な会話しかもうできない。女性と共に居るだけで性しかもう連想できない。それが平気でできる男が理解できない。

 

日本の女性はかなり魅力ある人でも結婚し子ができると、もう一人前のお母さんにはなるけど、そこで或る種の女を皆棄てる。だから生涯独身女性だけそうじゃない。それでも独身女はいい子ぶる。でも欧米でもラテンでも他の多くの国の女は生涯女で居ようとする。それが大きく違う。

 

語学だけが幼い頃から結局唯一継続して関わってきたことだ。その中で詩や映画や音楽との出会いが在ったと言える。音楽は圧倒的に英米のもの中心に聴いてきたので、結局歌が全部英語だったし、映画もアメリカ映画が中心だった。その継続で他の言語との関わりもある。

 

僕は高校から大学卒業するまでアートの世界にだけ意識が在ったが、幼い頃から言葉にずっと関心があって、お話しも書いてきたし、詩にも心理学や精神医学的な事にも関心があったし、生物学進化論にも哲学にも関心があった。映画と音楽も好きで、今はもうアートには戻れない。Liked in Twitter

 

三回しか話していないが、そのブラジル人の若い店員は何と日本在住16年ビジネススクールに通っているらしいが、独身と見たが、意外ともう結婚し子供も居るかも知れない。独身なら、今の彼が調理人でも、アタックすれば相手も俺に関心持ってくれるのではとも思っている。

 

実は国道16号越しにあるかなり美味い拉麺屋があるんだけど、そこで働く或る日系ブラジル人(とは言え、恐らく他の血も入っている。名前は日本人の名前で、苗字はポルトガル名だ)の若い女性が居てアプローチしているんだけど、同僚の調理人と何回かは関係があると見た。

 

日本には未だかなり多く居るプロレタリアート的発想で生きて、それを清く正しい生き方と信じている市民、えてして絵を描き詩を書き倹しい生活を送る人達がずっと若い頃から嫌いだった。そういう人生の姿勢と意識こそが日本を真に自由でない国の侭にしているとしか思えない。

 

人の人生に興味を持つ者をどうしても理解できない。そういう風に接してくる他者を信用なんてできるわけがないからだ。だから基本的に人は自分のことだけ考え、他人は他人、自分は自分と思っているべきだ。そういう下世話な人はどんなに長く過ごしても心には残らない。

 

以上5日、以下4日。

 

去年一年最高額47億稼いだ米女優スカーレット・ヨハンソンの映画はニ十作近く見て良かったのは『真珠の首飾りの少女』『マッチポイント』『アヴェンジャーシリーズ』『ルーシー』『ゴースト・イン・ザ・シェル』等々だが、どれも本当に彼女の魅力を引き出していない。豊洲で見るスカーレットがいい。

 

丸の内は美術館には今もよく出かける。尤も上野に用のある時に足を延ばすだけで、圧倒的に新宿に居る時間が長いが、最近は外国人との接触を求め、神宮外苑、南青山、表参道、代々木にはかなり頻繁に出かける様になった。とは言え代々木以外はかなり金がかかる。

 

20代に品川区戸越に八年住んだので、当時は五反田、目黒、武蔵小山、西大井は庭みたいなもんだった。戸越ではよくCharさんとも擦れ違った。埼玉県に越した後、池袋、新宿、高田馬場中心となり、それ以外、田町、品川、上野で霞が関、丸の内、銀座と其処ら辺は足が遠退いた。


恵比寿でしか見たくない映画、品川でしか見たくない映画、渋谷でしか勉強したくない言語、高崎まで行って見ないと感動しない映画もある。どこでどういう詩集を読み、どこでどういうエロス文学を読むか、最近は『セールスマン』(イラン映画)は高崎で、『サリー
32(白石和彌)は品川で見て正解だった。

 

理由はよく分からないが、新宿でしか読めない本、渋谷でしか頭に入らない本、恵比寿だとよく読める本がある。あるのだ。哲学・現象学・フランス文学は圧倒的に恵比寿、イタリア、アイルランド、スペイン、ポルトガルは品川、NY文学は新大久保、エリオットは渋谷とか。Liked in Twitter

 

この前横浜市南舞岡の父の墓参に東急東横線に乗った時に気づいたのだが、野坂昭如の小説(『エロ事師たち』や『火垂るの墓』他)を読むと凄く頭に入る。東横線でなければ駄目だ。山手線でも埼京線でも駄目だ。又谷崎や三島もあの路線では頭に入らない。

 

川越も狭山も昔から教会は多くカトリックもプロテスタント(ルーテルや改革派等多数)系も多数存在する。ところで私はカルヴァンのテクストは川越市霞が関から狭山市柏原に徒歩で散策する時にだけ最も頭によく入るので、いつも熟読する時にあの辺を歩くが、風景が日本的でない。

 

狭山の高級住宅地はそこに点在する高級ゴルフクラブ会員以外の人にしか使わせないレストランもある。そういう所は川越では本丸御殿エリアではあるけれど、それ以外ではそう多くはない。霞が関カンツリークラブも歩いて行ける場所だけれど、やはり住む人達は他の川越よりはずっと余所余所しい。

 

狭山市の住宅と川越市の住宅とでは意識も住む人の雰囲気も全く違う。私はその二つに隣接するエリアに住むけれど、韓国人も狭山は昔から多く墓も多い。川越も狭山もかなり高級住宅地をよく散歩するけれど、どうしてこうも違うのかと思う程違うし、入間基地もそうだ。

 

地下鉄で乗り心地の良いのは大阪もそうだ。まず大阪も福岡もバスでもそうだが、英語、中国語、ハングル全て放送される。島では対馬もそうだ。尤も東京でも東急東横線の特急等の車両のみ必ず四か国放送される(日韓英中)。東京ってプライドは高い。これは言える。

 

二年前の大阪への旅では当然大阪城も訪れたが、真田丸も良かったけれど、伊達政宗が秀吉に寄進した丸もあり、あれらは全て淡路島から取り寄せた岩石で拵えられたそうだが、本当に大阪という町はやはり一度は長く住んでみたいし、万博も行こうかな。

 

冬は大変だろうけれど、二年前に訪れた仙台という町の持つ佇まいと自然とその美しさ、それはやはり最高だった。広瀬川と仙台城(青葉城。あのさとう宗幸の歌った場所)の素晴らしさ、町の上品さ、桜の美しさ、全てが最高だ。地下鉄も乗り心地最高だし、伊達政宗が一番好きな武将だ。

 

私が下関に訪れた日は仕事のスケジュールで一切自由行動時間が制限されていたが、あの時、関門海峡越しに見た巌流島やあの激流、そして人々の生活感は忘れられない。引っ越すとしたら大阪か下関か対馬か長野県大鹿村か長野県上高地か、そこら辺だな。Liked in Twitter

 

同じ福岡県でも福岡市(博多と福岡)と北九州では全く雰囲気が違う。例えば門司人は、圧倒的に下関人と親しく、あの羽生善治が冠位を全て失った一局の行われた地域である。下関(特に壇之浦)と門司と小倉は忘れられない町である。福岡も強烈だが、対馬が最高だ。

 

大阪の人は道行く人に道を聞いても凄く親切に教えてくれる。これは一番人情味がある町で人達である。対し東京では意外とそうでない(そうでなく親切な人は東京の都市に住む人でないし、下町は又違う)。誰も道を教えてくれないのは札幌人である。これはかなりそうである。

 

英国人のインテリから見ると、日本人はテキサス人に似ているらしい。でもついこの前テキサス人と会話したけど、彼以外の米兵では圧倒的にプエルトリコ人と僕は馬が合った。ところでイタリア人は大阪人的だし、関東人はウクライナ人的なところがある感じはする(僕の知る限り)。

 

太古から処刑方法が異様に残虐だったことも韓国とフランスは似ている。ベトナム戦争当時、兵役拒否フランス兵が韓国に亡命した例が多かった理由も頷ける。日本の感性はやはりフランスとも韓国とも違うし、イタリアには少し似ている所もあるけれど、部分的にはドイツ的だ。

 

韓流ドラマの主題歌はアメリカ的でも日本的でも全くなく、圧倒的にフランス的である。それはかなり前からそうだった。『冬のソナタ』(キョウル・ヨンガ)でもフランシス・レイ的、ミシェル・ポルナレフ的だ。カナダの有名な韓国系ラップシンガーもそういうテイストだ。仏韓はきっと馬が合うだろう。

 

前からずっと感じていたが、復讐ということを異様にテーマとするルサンチマン主義という観点で韓国人の怨(ハン)とフランス人の或る種のやくざ性(カルロス・ゴーンにもあるし、多くの天才達<例えばデカルト、ベルクソン、ジュネ、サルトル、カミュ他>にもある)的何かは酷似する。

 

日本文化に意外と日本人自身が気付かずに、実はよく似ている国をちょっと考えてみよう。香港、澳門(マカオ)、ジャマイカ、キューバ、アイルランド、マルタ、サンマリノ、コートジボワールといった所だろうか?少なくとも広い国とも欧州とも他のアジアとも日本は全く違う。

 

欧米もモスリムも仏教徒(東南アジア)も中国も全て厳格な階級がある。そこでは努力する人だけが報われるか、戒律さえ守れば安泰だけは保証されるということだが、日本はそれとも違う。意外と時代に拠ってころころ常識も理想も変わる。この異様な変化の様相は一体何だろう?

 

日本社会には欧米やイスラム教の様な規範はない。あるのはその都度の恣意性(arbitrariness)だけだ。北山文化や東山文化や侘び・寂び、尊王攘夷と、要するに日本文化と集団や組織はアウトロー性だ。それは統率より反抗的美学、滅びの美学、要するにやくざ的個だ。

 

文体そのものは日本哲学者では古東哲明と永井均が他のどの人達より魅力がある。文体に惹き付けられ読める。でも彼等程文体に魅力を迸らせない中島義道の書く動機には、或る種異様な集団主義、日本の封建制的中世的性格への皮肉と痛烈な批判が渦巻くから面白い。Twitter in Twitter

 

偉大な才能の北野武の映画も役者や芸人のパフォーマンスも彼の偉大な才能の発露となっているけれど、彼は庶民性や自己コンプレックス克服に拠る偉大なる発想転換という奉仕に従事している。日本の集団と組織のやくざ性をよく描出する。でも彼にプライヴァシーはない。Retweeted in Twitter

 

日本国家も社会も民族も管理統制以外の何があるだろう?この国、社会には差別と偏見と虚栄心と国家目標達成の為の奉仕しかない。全てが封建的で、それはスポーツも芸能も学術も全てそうだ。個の幸福追求の持つ主観は全て何かの為の犠牲にされている。

 

語学や言葉自体が面白い、使うのも考えるのもそうだ。そしてそれは創作という訳に当てはめてそうなのではない。それは丁度日本では子を作り育てる為に結婚する事だけを良しとし、セックスそのものが好きだとはこの国では決して言ってはならない事の狭さへの抵抗に結局なる。そのどこが悪い?!Retweeted in Twitter

 

僕は詩や小説に興味があり書き続けたいのは純粋に創作だけをしたいからではない。確かに創作は基本理念だが、それ以上に世界への関心、好奇心等の興味の方がずっと創作それ自体より大きく、その点では研究や調査の方に移っても全く構わないという部分もある。

 

篠田桃紅が文学も音楽も美術もきりがないと言った。確かにそうだ。でも僕は詩を書き小説を書き、エッセイや批評や論文的なものも書くけれど、それはやはり圧倒的に語学への愛と言葉そのもの、言語自体への探求からであって、日本の他の詩人や芸術家のそれとは違う。

 

日本社会は優れている人は天皇と総理二人だけでいい、そういう風に成立している。だからそれ以外で出世する人は真の個として自立した実力でなく既に支配者や采配者が決定している中で、太鼓持ちをするか、権威に縋り漁夫の利を得る人だけだ。努力の報われない社会だ。

 

日本の笑いは恐らくアメリカやヨーロッパと全く違う。それは日本では内輪の閉じた間柄だけの憩いで全てが成立する。日本社会には他者そのものが存在しない(他者があるとすれば、日本民族以外の居住者だ)。日本の笑いは世界が狭い。それは決定的である。

 

桃井かおりのモノマネをよく清水ミチコがする。確かに似ているけれど、彼女は桃井同様中年日本女性なので或る程度似るのは当然だ。つまりルーマニア人やアイルランド人やアラスカに住むアメリカ人が桃井かおりの真似して似ていればもっと凄いのに日本人は誰もきっと笑わない。可笑しい事実だ。

 

以上4日、以下2日。

 

青学があそこまで復路で追い上げられるということは、それだけの実力覇者であること、そして東洋大は今年もかなり無念も残ったということ、だから駅伝の場合、チームプレイもだが、戦略、つまりどのコースをどの走者を走らせるかという事も極めて重要という事だ。

 

今年の箱根駅伝は東海大初優勝だったが、往路は昨年に引き続き東洋大、復路は青学が優勝。結局13年三位以内に入り込んだ東洋と、五連覇は阻止されるも、依然強豪な事は変わりない青学、そして東海大躍進と今後の期待で、この三大学が来年も注目だ。


以上2日、以下1日。

 

そう、僕みたいに生涯外野席や、野球場の外で徘徊している様な人生の人間が個人の気持ちとしては一番楽で、意外と気楽で幸福な人生かも知れない、とかそう思うことはあるね。でも北野武の新作映画のテーマは彼の恩人の一人大島渚の『御法度』的だよね。

 

人生って一度成功した人こそが最も大変なので、高橋尚子が国民栄誉賞もとるだけの偉業を果たした後、小出監督から離れて、結局アスリートとしては巧く行かずに引退へ持ち込まれたり、里谷多英みたいに二度の五輪で金銅取ってもその後苦しんだり、偉大な才能の人は過酷だ。

 

ジャイアンツの高橋由伸は残念だったよな。若くして采配を委ねられて、今一つ成績を挙げられず無念の退場となったけれど、彼の今後の人生に幸あれ、と願いたいよな。そう、話題の焦点になる人達だけでなく、静かに退場していかなければいけない人も又世界を支えているから。

 

そうかつてはハンケチ王子と呼ばれた斎藤佑樹も居るし、去年は一世を風靡した秋田県金足農高の吉田輝星も期待したい日本ハムファイターズだけれど、何と言っても監督の栗山英樹も、工藤公康や原辰徳に負けず劣らず応援したくなる魅力的采配者だよ。

 

企業でも以前大きな問題を起こし再生を図る企業は意外と問題ないけど、グーグル、アップル、ソフトバンク等破竹の勢いの企業が、アマゾンやフェイスブックみたいに批判を浴びたりする可能性は一番あるのであり、企業経営倫理全てに於いて今が一番大切だろうね。


今年の箱根駅伝は、東洋大の柏原の在籍時の全盛期を取り戻せるか、往路二位に東海大躍進、駒沢が青学を抜き、最後までどうなるか不分明だが、東洋大が優勝する可能性はやはりかなり高くなったとは言える。でも青学もやはり全く最後迄軽視もできない。

 

Macの新しいCMもかなり凄いな。ポール・マッカートニーも出ているが、かなり大勢の人を巧く使っている。やはり今年も又IT系、通信端末系コングロマリットの時代は延々継続されていく感じではあるな。

 

ソフトバンクのニューCMが宮本浩次、広瀬すず、清原果耶、田中圭、いきものがかり、吉沢亮と顔触れが凄い。日本を代表する大企業だけある。でも野球でも監督・工藤公康、選手でも内川聖一、柳田悠岐等兎に角あの会社の周辺には凄い風が吹いている。Liked in Twitter

 

去年の紅白はX-Japanだけきちんと見なかった(ちょっとテレビから目を離して違うことしていたから)。でも宮本浩次って滅茶苦茶フェロモンって言うか、アドレナリンが出捲っている奴だって、いつも思うよ。MISIAは去年は活躍したし、星野源も相変わらず天才ぶりを発揮した。

 

以上2日、以下20181231日。

 

最近、あらゆるシンガーとサックスばかり吹きまくっている武田真治。しかし俺はあらゆる女とセックスばっかりしまくりたいぜ!

 

ケネディ暗殺でも湾岸戦争でもベルリンの壁崩壊でもペレストロイカでもイラク戦争でも何でもいい。それらを仮に真実の姿をヴェールを剥いで見せても、それはその当事者しか分からない事を別の角度から見ているだけで、所詮、全てはその渦中にあり、体験した人にしか分からない。

 

北野武が戦国武将の知られざる真実を映画化しようとしている(もう作っているだろう)。だが彼が仮にそれを暴いても、それも又一つの神話として我々の心に残る。幕末と明治維新の真実でも太平洋戦争の真実でも何でも同じだ。全て神話的に美化する様に我々の心は出来ている。

 

人の心とは絶対に真実や真理には感動しないし、寛がない。つまり嘘と、理想と偽善的真実にしか憩えない。だからこそフィクションが我々を感動させる。嘘にしか真実を見たくないということこそ、我々の心の絶対的真実である。だからそれを引っ繰り返そうとしても同じ事だ。

 

ビートルズもクィーンもツェッペリンもABBAもマイケルもボブ・マーリーもそうだったが、ああいった偉大な天才達とは要するに余りに偉大なる偽善的、つまり決して到来しない理想的現実の素晴らしさへと誘った詐欺師であったとも言えて、だからこそいつ迄も我々の心に残る。

 

生前大きな遺産を築いた実業家や経営者達は後世になればなる程徐々に専門家以外からは忘れられ(特別の科学的業績を残した以外の全学者・研究者も)、政治家もどんなに偉大でも割合早く忘れられる。でも音楽家や文学者は違う。それは今我々にとってもそうだ。


自民党改正案の侭で全ていいとも言えぬが、少なくとも憲法改正し日本が軍をきちんと保持する様に明記する事をアメリカも望んでいる気はする。そうすれば横田基地は日本軍と民間航空利用共用として再生され、少なくとも米中対立による世界二分は阻止され得る。

 

以上31日。

 

プーチンこそロシアの徳川家康である。ロシアはピョートル大帝やエカテリーナ二世の時代に全てを出し尽くし、農奴解放の途で革命が起き、ソ連時代にだけそれなりに自然科学で成果を上げ、ゴルバチョフのペレストロイカ以降、プーチンが惰性的大平骨抜き国家にした。

 

今の日本を草食系男子等と女子に言わせぬ為に必要な人材は楠木正成、新田義貞、織田信長、天草四郎時貞、大塩平八郎的なタイプの安穏とした協調主義者でない政治家の登場である。飯能戦争や秩父事件を語れる様な知性の正成的・非理法権天的人材だ。

  

日本人からルサンチマンと闘争心を奪った張本人は徳川家康だ。慇懃無礼な官僚国家の骨組は家康式の安定的大平思想だ。江戸期のソ連型の精神性が、日本の戦後を骨抜きにしてきた。ロシアと日本はだから中国や韓国より似ている。悪しく陰険な大平思想に於いて。

 

日本の戦後文化で三島の自決以降、或る種啓発的表現を行ってきた人達は限られる。野坂昭如、大島渚、若松孝二、和田誠、内田裕也、ビートたけし(北野武)、泉谷しげる、井筒和幸、崔洋一、石井岳龍、黒沢清、塚本晋也、河瀬直美、白石和彌、映画畑が圧倒的だ。

  

アメリカでも中国でも熾烈な闘争の結果権力を持つ人が出る。それが健全だ。然るに日本では慇懃無礼な官僚や理論家達だけが異様に文しかなく武のない青年に崇拝される。日本の戦後とは国家を骨抜きにし、柔弱な感性だけを異様に過保護にしてきたつけを今支払っている。

 

理論や観念的議論より思想や宗教的信念が上な時だけ世界は安定する。例えば世界の知でもプログラミング言語作成的知性者だけが権力を持てば、いずれ七歳の少年がトップシークレットサイトに侵入し核戦争へ持ち込む。文武双方のバランスを持つ者の統制が世界に必要だ。

 

寧ろ日本の官僚を全員一度辞めさせ、柳井正や孫正義等経営者達だけに任せた方がずっといいとさえ言える。それくらい官僚の派閥と縦社会が日本を駄目にしてきた。縦社会等日本ではお笑い界くらいで沢山だ。結局官僚こそが160億円も皇嗣にかけさせる様に仕向けた。

 

大隈重信も福沢諭吉も西周も、誰もだが学者は政治家より下であるべきで、作家や詩人より学者や研究者が下である時だけ国とは健全になる。官僚だけが異様な権威を持つのは、学者のバカ共が政治を骨抜き理論だけにしてきたからだ。日本にもトランプ的政治家は必要だ。

 

昔は野坂昭如も大島渚もそうだったが、毒づく論客が居た。しかし現代では古市憲寿の様なタイプの理屈だけで文武の武の欠片もない奴だけがメディアで威張っている。貴乃花等の丈夫やどんどん潰され、益々理屈だけの婦女子の天下となっている。不気味な平和洗脳国家だ。Liked in Twitter

 

本来政治家とは殺される覚悟でなるものだ。だがあの小泉政権時代に竹中平蔵の様な経済理論、しかもマネタリスト的観念論者が権力の中枢にいた。学者や教育者や研究者が政治的に偉大であった試しはない。福沢諭吉なんかよりずっと勝海舟の方が偉かった。

 

日本史では幕末~明治中期迄かなり頻繁に政治家暗殺があった。昭和初期もだ。だが戦後は二人しか暗殺されていない。しかもさして大物でない。総理が狙われたのも細川護熙のみだ。それで政治が良くなったと言えるだろうか?益々国全体が澱んでいる。それはアメリカでも言える。

 

ロシアは率直プーチンが駄目にした。今全世界の首脳で最も暗殺される可能性の高いのは彼だ。フランスのマクロンもかなり危ない。寧ろ政治家暗殺がもっと今の世界では頻繁にあっていい。無過ぎる。日本もアメリカも警察だけが威張れる変な空気なんてよい傾向ではない。

 

日本は憲法九条の死守とアメリカの国防肩代わりという現実を持つ限り、絶対中国も韓国も日本を友好国とは見做すまい。そんな日和見主義的国民を信用する訳がない。だから日本では金を稼ぐしか誰も価値と認められない。大昔のユダヤ人みたいだ。そんな倫理の国は他にない。

 

アメリカは日本の横田基地も沖縄基地も撤退したくないみたいだ。だから日本の戦後史はそのアメリカによる日本国防肩代わり史と言っていい。だが、それはもうその時点で主権国家ではない。平和とは自らの血と汗で獲得するものだが、日本は金だけでアメリカを繋ぎ止めてきた。

 

日本女子の異様なる狡さに辟易し、私は28の時に愛した或る欧州女子との生活以来日本女子とは一度も交渉なく過ごした。全員中南米系か、要するに日本女子以外の女性だけに付き合う価値を見出したと言うより、自然とそうなって、誰も日本女子は異性でなくなった。

 

確かに性的マイノリティの権利と擁護も必要だ。しかし日本では性欲も強く凄く子を大勢儲けられる性豪が肩身の狭い思いをし、おネエ系ばかり威勢がある。これも可笑しい。そんな国等日本以外にない。だからどうしても外国女子の方が可愛く、日本女子は口煩い姑的になる。

 

アメリカも韓国も中国も熾烈な闘争の勝者達だけが権威も権力もあるが、日本では闘争を避ける人達だけの天下だ。だから隠蔽体質で最後迄腐敗が明るみに出ない社会となった。一度イスラム教社会の様に無策な女子の意見を批判するリーダーの登場が必要だ。

 

人と仲良くする人だけを高く評価する気風は日本では異常に強い。それしかない。つまり今の日本には対立も闘争もなく、と言って愛もない。愛とは必ず闘争と犠牲とによって生み出されるが、日本では対立も闘争も犠牲も全て避ける故、狡く逃げる者だけが勝つ社会となった。

 

いざとなったら日本女子を守れるのは男だけの筈だが、日本だけ協調性男だけを女子が価値にした。そんな事他の国では考えられない。芸術系女子と文学系女子が日本の左翼とリベラルと組んで男を長屋男小父さんにした。日本男子に理想はなく全員腰抜けだ。

 

日本だけ中国の昔の長屋的な文化を保持した。敗戦国だからだ。とりわけ日本戦後政治史で言うところの左翼、リベラル女子が日本を駄目にした。日本女子を騎乗位好きな女子にして、男は女子の尻に敷かれ、それを理想とした。そんな事中韓米ではあり得ない。

 

アメリカの女子も韓国の女子も中国の女子も皆自立して可愛らしい。日本の女子のみ男子を訓育したがる。それは敗戦国で男子を尊敬しないからだ。従って日本男子の日本女子愛妻家は、全員AV男優的騎士道だ。日本の大人程猥褻な人種は居ない。

 

私は一つの結論を私は出した。日本男子は日本女子の教条にすっかり駄目にされている。日本は敗戦国なので、腑抜けの男達だけが権威と権力を持っている。そして真の丈夫は全員脱落者にさせられている。日本女子が戦後男を自分達の勝手で選び男を駄目にした。Liked in Twitter

 

59年の生涯で私は大勢年配者と大勢同年代から若い人達を見てきたが、大半が非理性的人にしか思えなかった。とりわけ結婚して愛国的人が特にそうだったし、ずっと独身の学生や若い世代の人達の方に理性を感じた。とりわけ愛妻家に理性を感じずにきた。

 

外国人女性とも性関係を維持し、そちらも私同様そうする事を理想とする方結婚しませんか?その代わり生地主義の国で違う国籍の異性間で必ず一人子を各々お互い儲け、定期的に全員集まり大人だけでオージーをする事を前提とした国際変態夫婦関係を理想する方ですが。

 

日本人女子で、正式結婚は貴方か或いは私にとって違う外国人女性でも、同時に貴方とも性行為を定期的にして、且つ相手もそうである様なセックスの好きな者同士の相互の不倫を認め合い、時には相互の違う相手との性行為を見せ合うオージー容認夫婦になりませんか?

 

私は二十代の時日本人女子と欧米人女子と出会い深く愛し合った。両方が自分の故郷だ。故に今後結婚するとしても相手が日本人でも外国人でも、お互いに自分達以外に違う相手を一人お互いに認め合う夫婦関係が理想だし、お互い全員が家族みたいなのが理想だ。

 

自分の配偶者がどうしても性行為の相手を務めらぬ時、その不満を別の相手で解消するとしても、それがその時の欲望の為だけならお互いに認め合うべきだが、一人で我慢できる人に対しその伴侶がそうでない場合、必ず我慢できる人の方だけが正当とされるのも可笑しい。性が異様に嫌いな人に罪はないのか?

 

以上30日。

 

世の中にはセックスが好きで好きでたまらない人は居る。と言って彼等を病理的と決めつけるのは可笑しい。仮に一人の相手だけ生涯愛したいという人と結婚している相手が、自分がそれじゃ嫌だと言うなら抑々その相手と一人で我慢出来ぬ者が結婚したのが悪いが、そうでないなら不倫は自由であるべきだ。Liked in Twitter

 

以上28日、以下24日。

 

 フレディ・マーキュリー(1946-1991)はエイズで45歳で亡くなった。彼はゲイだったが、もう一人偉大な表現者、三島由紀夫(1925-1970)もやはりゲイだったが、フレディと同じ年齢で亡くなっている。彼は自決だったが、生き方はどこかこの二人クロスオーヴァするところがあると感じる人は居るだろう。Retweeted in Twitter

 

僕にはどうしても死ぬ迄に書かなければいけない小説が四つあって、一つは今英語ブログでほぼ毎日アップしている。それらは全て僕にどこかの誰かが書いてくれと僕の脳の中で叫んでいるから、それに従っているだけだ。詩はその声とは全く違った意識だけで書いている。何故詩が書けるのか僕には分からない。

 

水星という苗字の芸名フレディの『ボヘミアン・ラプソディ』は俺が高1の時のヒット曲だ。当時はツェッペリン、ピンク・フロイド、イーグルスも活躍していた。全部の曲を覚えている。フレディの同性愛は映画でもよく描かれた。結婚も考えた最初の彼女は凄く常識人で、彼は結局天性の才能で凡人とは付き合えなかった。

 

2002年に放映されたクィーンの特番をNHKが今映画『ボヘミアン・ラプソディ』ヒットで再放映されたが、この曲は色々な意味で示唆的で、シェークスピア的でもあるし、ハイドンやバッハ的でもある。着想はワイルド的でもバイロン的でもあるし、歌詞の些細な部分では最後の歌詞はディランのオマージュだ。

 

 I’d written 500masterpicies of the poetry and its series, then I got some fatigue only in writing poems, then after a long interval I’ve recently started to write a novel, then with some stimulant in writing exciting content, another refreshed poetry writing image was coming to me, as an advent.


アメリカが発明した機器を中国が模倣して更にいい質のものを作って世界がそちらを買ったとしても、商標登録以下の法的手続きでもし模造品であるなら摘発されるだろうし、そうならなくても中国はいずれ多国籍的な従業員を雇用せざるを得なくなり、最終的に国家統制から必ず外れる。分所化で変質する。

 

以上21日、以下20日。

 

原始人の様に男も女もスッポンポンで歩いていたら、誰もがむらむらっと来る。だからそういうことはラヴホとかで勝手にしろ、それが現代社会の性悪説主義的(罪刑法定主義と法治国家システム)だ。外出する時、性器を丸出しにして歩く者は居ない。戸締りや国防もこれと同じだ。ホテルや自宅で裸になればいい。

 

性悪説的見地に立てば、男を挑発させる格好で男の気を引く女がレイプされた場合女にも落ち度がある。秩父夜祭の様な大きな祭では必ず市民は祭に参加し、空き家が多くなり、雑踏ではスリも多くなる。だから警察が取り締まる。空き巣狙い被害者も財布すられる者も全て戸締りをしない者の自己責任だ。

 

日本は沖縄を全て犠牲にすることで国際的治安を守ってきたが、それは可笑しい。憲法改正し軍隊規定をきちんとして、日米安保条約はその侭継続させ、沖縄から米軍を撤退させれば、北方領土も返還される。ロシアは北方領土返還し、米軍が駐留する事を恐れているのだ。故に憲法改正しかないのだ。Liked in Twitter

 

日本人は人間存在を善と捉え過ぎるから、一度信頼を失墜させた相手に今度は目の敵にし過ぎる。だから世界から非難される。又捕鯨等も世界の大きな流れには逆らえぬし、クジラが高等知性生命種なので、食から外すべきだ。日本は憲法改正し軍隊をきちんと持たないそういう性善説が全てを台無ししている。

 

ゴーン日産前会長拘留期限延期差し止め判決に対する日本のメディアのまるで無念を伝える報道の持つ悪しき性善説主義こそ彼を悪へ走らせた。日本は経営不振に陥った時神に縋る様にゴーン氏に全てを託した。だがそうしながらも同時に余り崇拝し過ぎない姿勢も必要なのだが、日本人はそれが出来ない。

 

以上20日、以下18日。

 

世界遺産に指定された場所や建造物、自然等の全ては管理を杜撰にしていて荒廃させると遺産登録委員会(正式名称は知らない)が登録取り下げするから、きちんと手入れしていなければいけないので女の身体みたいだよね、女の身体も自分でもだけど、男がきちんと手入れしてあげなければ萎れるからね。

 

以上18日、以下17日。

 

中国が仮にアメリカもカナダも打ち負かし、世界覇者になったら中国に引き抜かれる技術者や経営者も多くなるし、その煽りで日本に赴任させられるアメリカやカナダの従業員も多くなり、段々向こうから率先し日本語勉強する必要あるなら、これからは英語習得者は却ってアメリカ・カナダ人に日本語教えるのがいい?

 

今の世界の趨勢からすると、中国躍進で日本もアメリカも打撃受けるけど、却ってそれで栄える国は多くなるだろうね。筆頭はインドネシア、フィリッピン、ネパール、ヴェトナム辺りかな。そういう風に時代毎に覇者がころころ変わる時代に入った気もするね。ソ連とフランスが衰退したみたいに日米もそうなるかもね。

 

今中国語の通訳や翻訳家はかなりいい生活しているだろうね。もう英語だけではこれからは駄目で、もう一つ別の言語をできないと語学では食えない。そこでニーズから言えば英語・中国語以外ではスペイン語、アラビア語、ロシア語辺りと思うけど、シンハラ語、パシュトー語、ベンガル語、ウルドゥー語もだ。

 

やはり詩はかなり高尚な事を書いても、それを読む側が解釈してやろうというところがあるから、かなり楽だけど、小説は読んでいて自然と思わせられなければ、もうそれだけで失敗だから、かなりきつさは上だ。従って売れている作家(小説家)の方がいい生活できるのは、如何に詩人が嫉妬し様が仕方ない。

 

日本には水に流すと言うことが在るが、これもよく分からない。何かにいつも自分だけは傷つきたくない者が人に言いたい事だけ言って言った者勝ち的な処もある。つまり悪を育て、その悪で社会に不安定要因を隠蔽させている感じはする。でもいつもそれだから、或る時突然破綻する様な事が多いと言える。

 

日本ではいじめられていることを告白すると、逆にこの者の方に落ち度があるのではないかと見做す人が圧倒的に多いので、益々悪が付け上がるという事はある。つまり日本とは常に平静と問題ないことを誰もが演出しなければいけない所があり、それが結局社会を息詰まらせているとも言える。

 

プライヴァシーがないということは、自己決断でなく、常に集団でだけ決断してきた歴史があるからだ。だからこれからの日本は益々プライヴァシー重視主義になっていかざるを得ないから、かつての共同体的発想をどんどん諦め捨てていかなければいけない。そうでなければ世界から次第に見放されていく。

 

韓国の女子は世界一自殺率が高く、日本も男子はかなり世界的に高い。それは結局日本社会に個人主義が根付いていないからだ(当然韓国も)。つまり個人主義がモラルとして徹底されていれば、それ程自殺するまで悩むことはない。つまり日本ではいい意味でのプライヴァシーが無過ぎるのだ。Liked in Twitter

 

人生では影響を受けたり、尊敬したりすることが自分以外の他者、とりわけ年配者に出会う事である訳だが、凄く出会って良かったと後で思える出会いはそう多くないばかりか、出会わなければ良かったとしか後々では思えない出会いもかなり多い。しかしそれに気づいた時は大体最早手遅れなのである。

 

物凄く社会的に成功した人とは、どんな偉大な人も天才も、必ずと言っていい程、かなり大勢の人のお世話になっていることだ。だからそれに対する報いということを常に必死に考えなければいけないので(ビル・ゲイツもそうだが)、それなりに社会に還元する様な仕事をしなければ自分で自分を許せないのだ。Liked in Twitter

 

私の人生でたった一ついいことがあったとすれば、それは年長者に凄く恩に感じなければいけない人が一人も(家族、親族、恩師的人、上司的人も含め)居ないから、年とった時に、感謝して足を向けて寝られないということがあまりない或る種の自由さがあることだ。これは意外と年配になると悪くない。

 

男は相手がどんな女であろうと、自分で抱いた女を他人からけちをつけられることだけは絶対に許せない筈だ。それが親でも子でも兄弟でも同じだ。だからいつも思う。或る日まで自分が最も幸福だと思っている様な人は、或る時点から最も不幸だと思う様になる、と。最初から適度に不幸だと思うのは賢明だ。

 

人生でかなり重要なことは、嫌なものは嫌と言い断り苦情を言う事だ。これは日本人が意外と世界でも一番下手だ。他の全ての民族はきちんと断る方法やいつそうすべきかをきちんと心得ている。日本では最後きりぎりになって破綻する様な事が多いのは、結局断り方を知らないからなのだ。個も集団も、だ。

 

僕は人生で一番辛い時に最も冷たかったのが家族だった(育ててくれた母と弟。父はそうでなかったが、直ぐ亡くなった)。だからと言って他人で心底信用出来る人は居ない。やはり他人は他人だ。こちらからしても、そうだし、あちらからもそうだ。だから僕に書ける文学とは、そういう極めて限界的状況だけなのだ。

 

個人的に感動を与えるものは逆に金にならない。もしそういうものばかり書けたら、その人の仕事は歴史に残るかも知れないけれど、本人は苦悩で自殺するかも知れない。他方、凄くテキトーでも必死に考えても同じだが、金になる仕事とは心地良い息抜きになるものだ。映画はその最たるもので、小説でもそうだ。

 

僕が日本人女子と結婚したら、万が一にも天皇が行幸された時、陛下に見せなければいけない感じになるのがもうたまらなく嫌で、何処かの国のハーフで別々に暮らせるなら、断れる、地域社会で。尤も日本でずっと暮らせばだけど。俺臣民的慎みや態度を生涯とりたくない。だって憲法で信教の自由保証されてるから。


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