2017年06月

◇男女の異性関係(恋愛も結婚も)、どんなに人間的に信頼し合い、仲が良くても、やはりそれとも違う。或る部分異性間交際とは、気が合うか否かとも違うファクターが支配している。従って性格的に馬が合わなくても性として異性関係的には良好ということはあり得る。性は理性的な相互の信頼関係ではない。


◇都議選の選挙の行方をメディアで見る限り、都民・公明が圧勝する勢いでもなさそうだ。と言って自民圧勝でもなく、それ以外の共産党等との全ての間で評がばらける可能性が最も高い。尤もそれでも自民圧勝さえ防げれば、一定程度小池知事の目論見は完遂するとも言えるが、ばらばらだと運営は大変だろう。


◇愛は主観である。従ってそれは闘争だ。理性は主観を支える。故に完璧な理性主義はそれはそれでかなり危険だ。愛の至上主義もだ。でも愛が全く無いよりはいい。日本には真の思想が芽生えない様な土壌がある。自然だけが神だからだ。だがそれは本当の神ではない。物理学者の方が未だ神を理解しやすい。


日本には闘争がない。基本的に全てを衝突のない状態へもっていこうとする。それは予定調和的ですらある。従って日本には愛も理性もない。あるのは世間だけである。世間とは差別といじめの温床であり、それが寛ぎである日本人に個はない。つまり自分の人生を主体的に生きていないし、生きられない。


自分の場合、小説執筆はあくまで趣味だが、詩は違う。詩を書き続けること自体が一つの反権威主義的生き方であり、権力への抵抗であり、思想なのだ。それはやはりドラマの脚本家やCMクリエイターやコピーライターとも違う生き方だ。思想家とは有名になるとかそういう事でない。自らの人生を生きる事だ。

〇科学はそれ自体一つの独立した思想だが、国家権威に利用されやすい。そして国家権威や権力が利用しようとする科学の成果はいつもどこか歪だ。だから思想は科学利用に関しては常に批判的であるべきだ。あらゆる軍事テクノロジーも又一つの科学利用だからだ。アメリカがその最前線にある。

〇全て数値主義的に社会が展開していてAIはデータ集積と解析を旨とし、益々権威が増長する時代にあって、せめて思想だけはそれら一切から自由であるべきだ。哲学は伝統学なので、その点では自由は効かない。文学は思想と近いが、固有の時代の趨勢はある。批評は文学よりは自由だ。


〇文献学が未来展望的に重要だと思われる理由は、哲学が本質主義的な陥穽に躓いたと考えるからだ。ハイデガーはギリシャや中世哲学研究でそれを預言していたと言えるが、文献学のいい所は歴史学や言語学をも重視するからだ。修辞学や文献学こそ純粋哲学や論理学一辺倒の学界を変えるだろう。

〇ハイデガーと彼の継承者レヴィナスとデリダは修辞学者(rhetorician)且つ文献学者(philologist)という側面が強かった。この点では分析哲学は文献そのものでなく、哲学者を中心としたロジック自体の編み換えという側面が強い。本質はそう変わらないだろうが、流儀は違う。


〇一時台に
NHKにみうらじゅんが出たが、彼こそ元祖オタクと言っていいが、趣味でなく全て仕事というのも、彼のしていることは分類学だ。マイブームもゆるキャラも彼の造語だが、相互矛盾する組み合わせの語彙という意味で、彼がその時言ったマイルールもそうだ。ウィトゲンシュタインの問いに近い。

◇稲田防衛大臣の発言が問題となっているが、現政権はかなり統制的な強化を国民に強いたいという目論見が透けて見えるが、現代日本は既にあらゆる国家的統制を拒絶する感性からしか戦後70年社会進化を持ってはこなかった。時代は絶対逆行することはない。それは日本だけではない。


◇もし哲学でかなり昔の人なのに今でも大勢の人達に読まれているものがあるとすれば、哲学者の内面や苦悩、つまり書かれるモチベーションより、社会全体へ適用される命題を掘り下げているからだろう。最終的に普遍性を持ち得るものは独自性や個性より、一般化可能な命題の明確な提示だ、と言える。

◇又吉直樹の『火花』で語られていることは、完全に世の中全体、或いはお笑い芸人にとっての観客のニーズだ。それは追求とか真理探究とは違うレヴェルの価値の追跡なのだ。そう言えば売れている作家は宮部みゆきも湊かなえも本谷有希子も村田沙耶香も、常に横というものを考え抜いている。

◇ずっと社会では深く狭くが公認されてきたと言えるが、現代社会は少なくともビジネス展開的には浅く広くの方がより求められている、と決定的に言える。アマゾンを見よ、グーグルを見よ、フェイスブックを見よ、と言いたいところだが、何が市民に求められているかは常に視線をずらす事と発想転換なのだ。


J-popの場合アニソンが一種の絶唱型歌手のトレンドを支えてきたとも言える。高橋洋子、前川陽子、水樹奈々等々、絶唱して聴く者の精神を鼓舞する効用は、戦隊ものの定番でもあるし、それをディーヴァが歌うことに、より意味を持たせている。却ってアニソン等の方が有線やパチスロ等の収入は上だ。

◇日本には絶唱型の女性シンガーはかなり多い。テレ東で先程出演した大黒摩季もだし、MISHA、鬼束ちひろ、古くは八神純子、広瀬香美、最近では何と言ってもSuperfly。絶唱の持つ効用はストレス解消促進とも言えるが、そういう歌い方があるからこそ椎名林檎的唄い方にも理を持たせている。

◇歌は或る部分では常に憂さを晴らす為に聴かれてもきたので、その侭世相はそんなにいつも明るくなんてなかったと言える。とりわけ22年前に起きた一連のオウム真理教事件は国際的に日本のカルト教団の残忍さを世界に知らしめ、現にIS等も多分にオウムの模倣的意識もあったものと思われる。

◇テレ東の歌番組を見ていると、ミスチルもスピッツも今思い出せる名曲の大半が20年以上前の歌だっただけでも時の流れの速さを感じさせる。倉木麻衣はシンガーとして、又女性としては宇多田ヒカルより好きな人は多いと思うが、曲風はやはりヒッキーをどこかで追いかけている感じだけは否めない。Liked in Twitter


◇これからの学術や文藝等は全て断片的な試みこそがメインだということだ。全てを網羅的であったり、総括的だったりすることは殆ど意味を為さず、全て微細で断片的なことを拡大する試みしか説得力を持たない。バランス感覚より、よりミクロ的なものの見方が歓迎される。これだけは間違いない。

 付記 結局ミクロ的なことに拘れる者のみがどんなジャンルや専門の世界でも、横のニーズに対応できるということであろう。

30年ぶりに29連勝することで神山八段の記録を抜き、至上初の快挙を成し遂げた藤井聡太四段は、或る意味ではAI時代の発想力も生かしているのだとすれば、将棋界全体が一つの大きな方向転換、目指すべき地点のシフトが為される可能性は高い。創造性が求められる差し手の時代なのかも。

AIは将棋の手を数百万回分の差し手を想像し、反復してどれがいいかを判断できる。この驚異的スピードは自然科学の進化と言うよりはコンピュータサイエンスに特化された成果とも言える。只生物学や医学や生理学で未解決の難問をAIを利用することでその解決の端緒は掴めるかも知れない。


◇自然科学者は科学こそが世界標準で、その進歩だけが世界を救えると思っている人もかなり多いが、便利さとか快適さとか幸福感そのものが宗教文化環境や思想でかなり変異する、つまり一定のこととして推し量れないということを彼等は忘れている。進歩も改良もそういった些細なことで大きくずれるのだ。


◇単純計算で約
741千万人弱の現在の人類の人口の中でキリスト教徒が20億人、イスラム教徒が16億人,日本人、朝鮮半島人、中国人の総計とインドを合わせて29億弱(インド<や中国>ではイスラム教徒も含む)。それ以外の12億人が仏教徒、ユダヤ教徒やそれ以外ということとなる。Retweeted in Twitter   付記 表記した全てに多少の重複がある。それが3億の誤差となっている。尤もキリスト教徒が同時にイスラム教徒であるケースだけは殆どないだろう。


◇もし本気で哲学をするか、欧米人達にも理解される文学の仕事をしたいなら、日本人や中韓で高く評価される仕事を諦め、率直日本人としては完全なアウトローになるくらいの覚悟がなければ理解して貰えるかどうか。逆にそういった意識無しに世界中で評価される仕事があるなら、それこそが凄いと言える。

◇昨日のクローズアップ現代+での又吉直樹の作品が中国で高く評価され多く読まれ、彼が中国へ訪問し講演と質疑応答をした話は面白かった。日本文学は中国や朝鮮半島ではよく読まれるに違いない。だがそれ以外のキリスト教・イスラム教一神教文化圏(最低で36億人)は又話が違うかも知れない。Retweeted and liked in Twitter


◇我々の言葉は明らかに言葉にはならない広大なる何かが作っている。だが同時にその言葉にならない広大なる何かを示せるのは言葉だけだ。従って不可知であり語り得ないものの全てを含めた存在は、言葉と常に相補的である。つまり我々は存在と言葉(意味と言い換えてもいいが)との関係の中に居る。


◇ギリシャ文明の全ての遺産は明らかにアラビア語によって現在の中東のイスラム教徒のお陰で今日まで保存され、我々が理解するところとなっている。この部分では欧米哲学者全員も彼等に感謝すべきである。哲学はユダヤ、ギリシャ、ローマ以外にもイスラム教文化圏の発動からも影響を受けていたのだ。

◇聖書はユダヤ民族聖典としてユダヤ教しかなかった時代はヘブライ語で書かれ、イエスの登場と昇天・復活以降、ギリシャ語へ翻訳され、中東から欧州にまで広まった。それをドイツ語に翻訳したのはマルチン・ルターで15世紀迄待たなければいけなかった。グーテンベルク活版印刷のお陰で市民に普及した。Retweeted in Twitter


◇ツイッターで知り合ったアメリカのミュージシャンから誘われて加入した彼等夫婦のサイトで頻繁にシェアされた音楽を聴いていると、アメリカの音楽事情の懐の広さを思い知らされる。今や大衆音楽は覚醒剤的感性にまで至っている。悪を表現する音楽が神学的音楽と同居している神と悪魔の共存が面白い。
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風が花の影を通り過ぎる。

 

日が陰り、雨がぽたぽた落ちてきた。

 

あの日の思い出は雨で洗い流されてゆく。

 

思い出のかたちはその都度影のかたちだ。

 

雨季の影は思い出を乗せない。

 

雨季甦らす過去は影を求めず、雨音を頼る。

 

あの物憂げな日差しが作った影は雨音だけが思い出させる。

 

あの日差しの下で思い出した日は、今きっとどこかで花となって人に香りを運んでいるだろう。

 

楽しかっただけに別れが辛かった思い出は、風もどこかへ運んではくれない。

 

雨に交じって時折吹く風は、紫陽花をゆっくりダンスさせる。

 

紫陽花が振り撒く水滴が、肌に当たり、あの日を思い出すのを中断させる。

 

でもその幽かな水滴の音をどこかで聞いて、何かを閃く奇跡が起きているかも。

 

水滴の音が思い浮かばせる花の園へと思い出が誘う。

 

過去の自分が早くそっちへ連れてってくれと言ったり、何も教えてくれるなとも言う。

 

菖蒲の池に蛇が這い回り、泡が一つ水面にできる。

 

隣の蓮の池から蛇が出て這い上って森へ急ぐ。

まるで過去を断ち切る様に。

 

2017.6.14./修正15

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