2017年10月

 ちょっと中年熟女の美魔女タイプのAV女優なら、きっと俺は日本国内はもとより、欧米・中南米・北欧ロシアを含めてかなり知っている方だと思う。世界の美女を抱きたいと思わない男にいい仕事等出来はしない。絶対的個人主義者に婚姻的倫理や一穴主義は最大の敵である。世界中の動画を見るのは楽しい。


 愛するAV女優③Sara Luvv, Susanna Spears, Erica Campbell,矢吹杏,中野千夏,Jelena Jensen, Abby Lee, Denise Gomez.  これと下記に挙げた全員知る人が居たら友達になりましょう。


 愛するAV女優②桜田由加里、風間ゆみ、Monica Roccaforte, Cerenity, Nici Sterling, Tiffany Mynx, Flick Shagwell, Victoria Paris, Dominika C Hegre, Francesca Le,


 愛するAV女優①北条麻妃、横山みれい、波多野結衣、石黒京香、瀬名さくら、後藤えり子、Erika BellaSarah YoungVeronica RodoiguezSunny LeoneSophia LeoneCeleste StarJanice Griffith


 ニーチェ・ツァラトゥストラ第四部で「(前略)快楽は継承者たちを欲しない、子どもたちを欲しない、-快楽は、自分自身を欲する、永遠を欲する。」としている。正に私の好きな結婚せず自らの女体アクメだけ追求するAV女優、しかもかなりいい年齢なのに引退しない人達こそツァラトゥストラ哲学を地で行っている。Liked in Twitter


 哲学は少なくとも偉大なるそれなら、全ての甘い甘え的考えを否定し現実へ引き戻すシヴィアな訓戒だ。だから逆に宗教的慈愛が本当に人の苦悩の除去に役立つなら、哲学は悪さながら、その甘えを吹き飛ばす現実主義的な諦念以外でない。でも人類にはやはりこの二つが両輪として必要なのだ。Liked in Twitter


 中島義道も『過酷なるニーチェ』をはじめとする多くのテクストで言っているが、ニーチェとは強者論理であり、絶対的偉大者以外死ねばいい的論理世界で、その意味で慈愛と対極だ。サルトルもそういう哲学だ。結局哲学とは或る種の完全な曖昧さや感傷の排除、抹殺意図の突っ放し的ニヒリズムなのだ。


 瀬戸大也って毛呂山町出身だったんだね。大竹しのぶが育った町だよね。俺んちからも自転車で行ける(と言っても数時間かかるけど)。電車と気動車に乗れば(川越線や八高線)ダイヤ(大也じゃないよ)さえ調べれば小一時間で行ける距離の場所さ。大也頑張って欲しいね。

 私の母は昭和九年生まれ86歳昭和一桁世代戦中派だ。母はその世代固有の危機意識はあるが、私の様な一切国家も社会も信用せず、信用できるは自分だけという意識とは無縁だ。私はこの国の性善説主義的教条の共同体主義をずっと軽蔑してきたし、絶対的個人主義以外信用できない。私は自分以外信用せぬ。


 日本語の文章では昔からしばしば行間を読むとは言われ続けてきた。だがこれは翻って考えてみると、かなり昨今問題となった忖度的意識によるものだったのではないか?だがそうであると言い切る為には英語やフランス語やハングルや中国語でそれはないと証明せねばなるまい。英語にもあることはある?


 ロシアゲート事件でトランプ大統領への批判が再燃しそうだが、本当に任期いっぱい彼が務められるだろうか?もし弾劾へでも縺れ込まされたら、その時点が安倍政権の終焉だが、それは期待すべきではないのだろうが、そういう時の為にそろそろ考えておこうという与党代議士も多いことは多いだろう。

以上31日、以下30日。

 安倍総理は政策転換を時節に応じてするという気配がない。一本気に決めた通りにやっていこうという姿勢しか見えない。表情も硬い。自民党内では石破茂しか今のところ総理に相応しい人は居ない。岸田もそう悪くないが、石破以外では河野太郎がいい。この二人なら安倍よりはずっといい。

 もう安倍総理の対北朝鮮政策には限界があるとは言えないだろうか?本当に日本の政治家が理性的だったなら自民与党政権維持確定しているのだから、総理を来年交代させる事を考えているだろう。そうでなければきっと自民党は19年に恐らくある選挙で立憲民主党に負ける。枝野が総理の方が未だいい。


 朝ドラ『わろてんか』ではヒロインの夫役の松坂桃李にスポットライトが当たる様に配役されているが、正統的なイケメンという意味ではちょっとお道化た役割を演じるキース役の(桃李と同年の)大野拓朗こそそうだ。彼は桃李より背も一センチ程高いし、主役級の役者であり、実際何度も主演も務めている。


 いじめはどの国でも子供同士でも大人同士でもある。いじめが一切存在しない、そんなユートピアの様な国は世界中探したってどこにもない。只いじめの性質や背景がそれぞれ違うだけだ。或る部分では例えば日本のいじめが最も陰湿でも、別の意味ではアメリカやフランスの方が根深いとも言える。


 今月初頭見たフランス映画(モナコ人監督ダニエル・トンプソンの)Cezanne et Moiで小学校でエミール・ゾラがイタリア移民の子なのでいじめに遭うシーンが冒頭で描かれる。それをセザンヌが助け励ますところから二人の友情が育まれていくが、いじめはどの国にも執拗に存在すると分かる。


以上
30日、以下29


 NHKで放映中のGame shakerを見ていると、一つの家族の週末とかの行動だけを描いているのだが、子供の頃からまず自己の役割を全員が徹底して把握し(日本だったら親の言いつけとか年長者の指導に従ってとかとなるが)、主体的に行動する。役割分担を全員が心得ている。それは凄い。

 イラン映画『セールスマン』を見た時イランって国もかなり集団全体の協調性を重んじている事だけはよく分かった。国家や民族はアメリカでも中国でも韓国でも愛国心や義侠心の様なものは殆どどこでも持ち合わせている。それは倫理的な事でもあるが、もっと自発的で個的な判断である。倫理的神は居る。

 NHKで放映中のThis is Us を見ると、何か日本の協調性って完全に形式的な国家主義的枠から差別をする為にしている感じすら受ける。つまり本当に集団全体の和を考えているのはアメリカ人で、血の繋がりや付き合ってきた時間の長さではない。その点で意識の高いアメリカに日本は敵わない。

男が居た。女と一緒になった。

男の子供達が二人出来た。二人で育てた。

子供達は育った。

男は死んだ。女は残された。

成長した息子の一人弟は女と一緒になり子供達二人を育てた。

もう一人兄は女と出会ったけど、一緒にならず一人で居続けた。

 

二人の兄弟の母は死んだ。

女と一緒になって子供達を育て終えた死んだ女の夫との間の子で弟の男性も暫く後に死んだ。

葬儀は死んだ最初の男と女の息子二人の内死んだ男の妻と生き残った最初の男と女の息子である長男が行った。

最初の男と女の息子二人の内、女と一緒になって子供を育て終えた男は父母とあの世で再会したかも知れないけれど、その息子二人とその母で死んだ最初の男と女の息子で弟の妻である女と、最初の男と女の長男だけが生き残った。

 

或る日、生き残っていた最初の男と女の長男は死んだ兄弟の妻である女から連絡を受ける。

女は男に、自分の具合が悪いので、自分が死んだら、自分達(貴方の死んだ弟と私との間の)の息子達のことを頼むと言った。

そう言い残してから暫くして女は死んだ。

 


男は女の葬儀を済ませてから自分の甥二人の内一人を誘って、旅に出る。男にとって兄弟の息子達(甥達)の一人であるもう一人の男次男は自分の母が死ぬ前に女と一緒になっていた。でも男が旅を誘った方の自分の弟の長男は女とは出会っていなかった。

 

男と死んだ弟の息子、つまり甥である青年は旅の途中で或る美しい女性と出会う。旅の道すがら、自分達程遠くからではなく、もっと近い場所から或る地に訪れたその女に、二人の老いた男とその若い甥とに色々なその地方のことを教えてくれた。そして偶然同じ宿に泊まることを皆知った。

 

男はその別室に宿泊している女に惚れた。

男の甥である青年もその女に惚れた。

女の年齢は男よりはずっと若かったけれど、男の甥よりは少し年上だった。

男は宿泊先を出て次の場所で行こうとしていた時、甥に自分と自分達二人と旅先で知り合った女に何か飲み物を買いに行かせている間に女に求愛をした。

女は又男と会いましょうと言って、男の求愛を半分受け入れた。

甥はビールを三つ買ってきて伯父と旅先の女に差し出して、自分のも開けて三人で旅先の疲れを癒した。夕方だった。

老いた伯父の甥である青年は三人で一緒に旅する別れの場所で伯父がこれから自分の甥と二人で旅を続ける為の次の行く先へ行くバスの時間を調べている間に、女に求愛をした。

女は貴方とはつき合えないと即答した。

 


暫くして旅を終えて伯父と分かれて帰宅した青年は、伯父から旅先で知り合ったあの女性と一緒になる、と知らせを受けた。

青年は伯父が自分の知らない内に自分も惚れたその女と付き合って一緒になるということにショックを受けた。二人の結婚式に甥である彼は出席しなかった。

 

暫くして青年に、伯父と旅先で知り合って一緒になった女との間に娘が誕生したことを伯父本人から知らされ、その時は老いた男と彼より大分若い女の夫婦と娘に祝いの贈り物だけはした。


暫くしてその生まれた娘が小学校に上がる頃、青年の伯父は老いた身体に無理が祟ったのか、突然死した、と青年は知らせを受け取る。

死んだ伯父(この物語の最初の男と女の晩婚だった長男)と旅先で知り合った女(旅先で伯父が知り合って添い遂げた男の初恋の女性)との間の娘とその母(つまり旅先で自分も惚れた自分より少し年上の女)二人だけが残された。


その娘がかなり大きくなって恋とかに目覚める頃、娘の母である旅先で青年、と言ってもその頃は既に青年から若い中年になっていたけれど、その男が青年だった時伯父と共に旅して伯父と共に出会った初恋をした伯父の妻となっていた旅先の女が死んだ。

 

男は自分の伯父の娘である未だその時自分より大分若かった従妹である娘に代わって、その母の葬儀を執り行った。その時初めて出会うその伯父と旅先の女との間の娘に男は惚れた。その娘も男に惚れた。

でも二人は従兄妹の関係なので、一緒にはなれないと分かって、ずっとお互いに心に思いを秘めた侭過ごした。


結局男は自分の初恋の女性を
搔っ攫って行った自分の伯父と似た生き方をすることとなったのだった。

 


そんなこんながあった末、少し時間が経って、その伯父の娘であるあの葬儀の時に初めて会った従妹が他の男と一緒になるという知らせを男は受け取った。男は従妹の招待で結婚式に出た。

その従妹にとって親族が彼と、彼女の母の老いた両親、つまり彼女の母方の祖父母だけだったので、3人だけが出席した結婚式だった。

 

男はその少し後で、従妹の行く末を見守る内に、年老いて、若い頃出会った旅先の女と凄くよく似た女と出会った。偶然仕事で出向して訪れた自分の勤める会社と提携している別の会社の社員の女性だった。でも、どこかで出会った事があると記憶していたので、よく思い出そうとした。

すると自分の伯父の娘の結婚式の時に結婚式場を世話する地元の会社員だと分かった。彼女はあの後、その会社に移っていたのだった。その時には気づかなかったけれど、男は惚れた初恋の女とその娘に雰囲気が似ていると、今更ながらに驚いた。


一緒に仕事をする内、その女は自分よりは大分若いけれど、惚れていた旅先で自分と共に伯父と出会い一緒になった女やその娘、彼にとっては伯父の配偶者だった女とその娘である従妹とよく雰囲気が似ていると気づいたのだった。

 

男は自分もそう若くないので、最後の出会いだと思って思い切ってその若い女性へ求愛した。若い女は男の求愛を受け入れ、二人は夫婦として一緒に暮らした。



男は息子が出来て二人で育てていて、その息子二人が成人する少し前に老いて亡くなった。男が二度目に惚れたあの従妹の女性も、彼が亡くなった少し後に彼を追う様に亡くなった。男と添い遂げた女も大分老いて息子が大人になった頃病に伏せった。

 

文学に目覚めたその息子は或る時、死んだ父の惚れたあの旅先で告白した女性、つまり自分にとっての大伯父が旅先で出会って添い遂げた女性の娘、自分の父がその母の若い頃の面影を見つけた女性の娘と知り合った。


出版の仕事を通してで、その妻となった女性の母と父との関係を知ったのは二人が一緒になった後のことだった。


二人は遠縁だったのだ。自分達のことに不思議な縁を感じた二人は自分達の父と母が従兄妹であることから自分達が生まれてきたことを知って、その二人やその両親のことを調べて一族の歴史を綴った本を出版することとなった。


つまり、(はとこ)同士の夫婦が一緒に調べて一族の歴史を主に夫である青年が書いたのだ。その時に自分の母や妻も知らない大伯父の生前残した日記等も調べ上げて書いたのだった。


最初に登場した男と女の出会いまで二人は遡った。

男はその二人の息子の内の次男の直系である自分と、長男の直系である妻との関係にも或る不思議さを感じ取った。

当然妻もそうだった。


そしてその本が出版され大きな文学賞を受賞した。その受賞の知らせを聞いた後で男の母(自分の妻の母とその母と似ているということで自分の父が惚れて結婚した妻)は息子とその妻の成功を知ってから静かに息を引き取った。

女は自分が、夫が恋をした女性に似ているということで夫に惚れられて結婚した事は知っていた。つまり自分の夫がその従妹に恋していたということだけは。でもその母親が初恋の相手とまでは知らなかったし、夫から聞かされていなかったのだ。

でもそのことを息子が書いた本を読んで初めて知った彼女は、人生の人との巡り合わせに不思議な縁を感じて心安らかに息を引き取ったのだった。


母を葬儀で見送った息子とその嫁はその後も末永く共に暮らした。

二人には子供はできなかった。

二人は長く添い遂げ、夫が死に、妻も死んだ。

 

でもあの旅先で、その先に死んだ夫が伯父と共に出会い伯父と結婚した女性の娘が残した娘である妻の弟の息子が、彼にとって自分の伯母とその(はとこ)で夫で、作家として大成した義理の伯父に就いて詳しく調べて、又その手記を発表して、その生きている内に日の目を見た義理の伯父と伯母夫婦のことも世の中に広く知らしめられることとなったのだった。


でもその男が今どうしているかは、私は知らない。
でも未だ亡くなってはいないらしい。


何故なら、私はその男が若い時に書いた本と、彼の著名な伯父が妻と共に詳しく調べ彼が残した一族史を読んで、こうやって書いてきただけであり、その男は若い時に書いた義理の伯父とその妻である伯母の生涯を記した私も読んだその本だけ作家時代の代表作として残しはしたが、突如その世界から姿を消し、今はどこかで別の仕事をして、かなり年老いたが、悠々自適に生活している、多分若い頃の自分の著作(私が読んだ本)や、伯父の書いた名作の著作権で暮らしているという、そ
の噂だけは結構、巷にかなり以前から拡がってはいたからである。


(了)

During people sleep, dreams would like to bind dreamers as sleepers.

But dreams cannot bind action or idea when people are conscious after waking up.


Even any waking consciousness cannot bind myself at the sleeping time it’s sorry to him.

People are born to reject being bound by anything.

 

Then only mind of people produces the unendurable hard problem too.

Nothing is the cruelest than freedom of people’s mind in this world.

But what makes us dream in sleeping time is awaken mind hope.


Dreams make evil.

Dreams are ready for it for awaking time to us.

They seduce us that only attacked by someone is not welcome to you, you should counter to them, with permission to struggle with suggestion.

Dreams’ wisdom tells us we are enchanted by evil and like that, we open mind freedom feathers.


Freedom not to be bound by anything is struggle to evils.

Trophy of victory to struggle with mind to bare evil and evil is mind freedom named love.

 

But we all die.

Can we get mind freedom to death?

People cannot free from only death.

What tries to emancipate anything from love and bound mind is only a hope not to want to be bound by anybody and anything.

 

Only death absolutely bind people.

As admitting that we die taking death a fact.

 

Then not refusing death and receiving it honestly is the last hope when we each die freedom can do.

Only death changes lifetime all things a dream.

 

Yes, then until that moment, we only with help of not bound mind as way to be by anybody and anything and have nothing but to struggle all the time with an object to resolve a contradiction among dream, mind hope, evil, and struggle to evil and seek after mind freedom named love.

 

Yes, as it is sole thing we want not to doubt.

 

(30th Oct. 2017, untill29th, revised at 30th)

Being is always performs, moves and work on something.

Nothing can be felt but in changing.

What can be felt of body always calls to mind.

Mind never cries beyond body.

But it looks at mind self from outside of mind.


Women who continue to watch only the collaboration with body and mind.

Men who stop after looking at body and mind from outside.

 

Time transition with awful momentum and contacting to us.

We can only proceed to forward floating a boat on time vagabond.

Time vacancy to look behind us is none.

Step our foot to forward.

Only with this, there’s a true talk from the earth we can grip.

 

The form is floating in memory subjectively and it show us a picture.

Yes, let’s take one more step in the same path.

After it, the meaning of the earth shape can be seen.

Looking at something is walking. Walking is feeling. Feeling is knowing the being of anything.

When nothing can be seen, for the time being, only what we can do is to walk.

If our moving and changing mind keeps company with time vagabonding, something hasn’t seen till now would be seen and crying.

 

Hungriness and walking kicking off having enough of stomach know being and need nothing, after all finish the course of a day.

One end is going to be a start one next day, something nothing is going to be seen obviously.

 

In the loops emancipated in plural stratum, what we always think is something needed luck now, tomorrow always needed by yesterday, today is decided by yesterday and tomorrow.

 

Flying away is not so easy.

As premise, only flying is going to be apart to known being walking by knowing.

But it’s okay to be apart from being.

Being only by knowing of being apart must need something only tomorrow knows and signifies a finishing of today’s loop.

Not needing unknown things and chewing known things only in being, gradually anything is going to play a sound and makes a harmony.

Unknown things are made of knowing being.

Piling up beings, unknown things is going to see the meaning of what it thought unknown.

 

Let’s walk. But stop sometimes.

Look up the sky.

Listen carefully to the earth’s voice taught by the earth shape.

Let’s listen to voice of the earth and creatures on it from knowing being, rather than wanting to know.

What tomorrow tells us is only waiting.

 

Now we hold what we can do only now.

It can be seen obviously with being sure of being is always nothing but now.

Only what is going to be obvious is being.

Murky things never exist but in a world of dreams.

 

Dreams are the things which we hope to direct to unknown things only tomorrow knows.

If we can do so, tomorrow must tell us the meaning of today surely.

There is the being felt by mind and body continuing to move only time vagabond.

 

Oh, but time is vagabonding boat, the earth shape must make it need something. It is knowing that own body and mind of myself is nothing but a boat.

Being as a boat makes admiration to

be able to sail a dream to tomorrow.

Making, it is a thing to delete an anxiety to unknown things only tomorrow knows.

 

With a boat sailing to tomorrow I want to feel the shape of the earth with my body and read it.

Possibly I may have been able to get back a feeling of the day to be forgotten for a long time.

Because it is forgotten anything, now it is something can be seen what it is.

Only it may have been what it continued to be means.

29th Oct. 2017

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