2018年02月

 登山をする人のやばい幻想って、彼等は全員桃源郷とか楽園を求めているっていうことだ。だがそんなものは生きている限り、そして社会成員として社会に関わっている限り一切無いのだ。全ては逃避心理が生み出している幻想で、それを求めて高い山、険しい山に登るのだ。だがそこは全て人間界だ。


 儒家・マルティン・ルターと性善説主義という命題と、法家/韓非子・荀子・トーマス・ホッブス・性悪説主義という命題との対比から進める倫理規範論も成立し得るけれど、或る部分この二つを明確に二分する論理を探すのも、それはそれで至難の業とも言える。つまりこの二つは常に相反する相同性なのだ。

以上28日、以下27日。



 映画監督を一つの表現者として捉える場合、私はジャンリュック・ゴダールとジョナス・メカスと北野武しか関心ないが、一つのエポックと捉えるならセルゲイ・エイセンシュテイン、ビリー・ワイルダー、ロベルト・ロッセリーニとスタンリー・キューブリックが筆頭に挙げられる。ベルナルド・ベルトルッチもかなりいい。


 今の日本人の実態的な生活で日本的なるものそれ自体、殆ど幻想としか思えない。と言うよりそれはアメリカでもイギリスでもフランスでも韓国でも中国でも、個々の国々に居続けている人達がかつて、自分の国がこんなだったなどという幻想とは全く切り離され、益々均質化して相同になっているって事だ。Liked in Twitter


 僕はかなり前からそうだったが、基本的に一神教的観念を共有し合える人達(それは実際の一神教とだけでなく、仏教徒ででもヒンドゥー教徒でも観念的に実感的に神を共有し合える人達)の間でだけコミュニケーションを取りたいと願っているし、事実もうそれ以外の信念で創作はできない段階に踏み込んでいる。


 俺達の世代にとってさ、子供時代にラジオやテレビで三島由紀夫が市谷駐屯地でさ、バルコニー演説の末に森田必勝を道連れにさ自決したニュースとかさ(あの時篠山紀信が三島の首と遺体写真に撮ったし、石原慎太郎が外に駆け付けた)、佐藤栄作総理辞任ニュースとかさ、又吉も知らんだろう!


 上条恒彦の歌う木枯し紋次郎とかって俺達が子供時代に中村敦夫主演で見たんだよな。懐かしいな。連合赤軍事件、あさま山荘事件とかな。もう今の青年誰も知らない時代になっちまったけどな、札幌冬季五輪、トワエモアの歌とかな。あの時タイヤ式の札幌市営地下鉄が開通したんだよな。Retweeted and 2liked in Twitter


 青年でも大人でもまず何か世間話をすると、そこで反体制的な観念や思想を少しでも語るなら、その人はそう裕福ではない階級の家庭出身で、そういう話をうんうんとか言って聴く人が居たら、それはかなり裕福な階級の家庭出身だとは概して言える。思想的な意見なんて絶対言わないからね、彼等は。


 恐らく本当に大成功しているアスリートも格闘家も芸人も芸術家も文学者も哲学者も凄く大金持ちの息子は少ないと思うね。でも政治家、官僚、NHKとかの役員になれる人はやはり(きちんと調べれば直ぐ分かるけど)かなり裕福な階級の人達の筈だ。だから日本だけでないが世界的にそういう区分けはある。


 まず本当に凄く資産家の子息だったなら、昔異様な美大受験ブームとかあったけど(結局その果てにプロになれた画家なんて中村と奈良と村上だけで)、皆中流以下の家庭出身だと思うね。金持ちだったなら高級官僚や経営者を目指していた筈だから。だからもうその時点で格差社会の地位は決まっている。


 羽生選手のコーチとフェルナンデス選手のコーチは同じ人でしょう。だからどんな人をコーチにつけるかでもかなり変わってくるっていう側面も否定し得ないし、だからスポーツの世界でも凄く大金持ちの人の子息の方がずっといい成績を取れるっていう側面はある。お笑い芸人とかとその点は全く同じでね。


 いつも思うんだけど、スピード競技とかと違って審査員の主観の入る競技採点では、どこかアメリカの審査員の事を世界中が気を使うっていう側面があるんじゃないなかと。だからそういうメンタル的側面でアメリカ中心の世界政治の現実が反映しているんじゃないかって懐疑的に思えちゃうんだな。


 五輪選手凱旋で思ったけど、羽生結弦が凄く好感の持てる美青年だと世界中で思われているけれど、平野歩夢もかなり魅力ある少年の面影も未だ残るけど、かなりしっかりとしたいい青年だ。あの二度目のパフォーマンスは僕は率直ホワイトの三度目より良かったって思うんだけどな。セカオワの歌も良かった。5liked in Twitter


 極端に言えば日本は民間企業も大学組織も一部の人達だけの采配で全て決められ、常識や社会道徳は宮内庁とNHKと経団連、他も東京証券取引所、一部公官庁だけで運営されている。メディアもほんの一部の人達だけが全く世代交代せず君臨する。日本からベソスやゲイツやザッカーバーグは出ない。


 日本では有産者階級は日本の学校に幼い内から入れない(たけしの二人の娘・息子は確か海外で教育を受けさせた筈だ)。だから必然的に中流以下の子息達はグローバル社会からついていけない日本の遅れた教科書だけ使用する一般校でしか教育を受けられず軟弱な協調性主義者として育つ。


 日本は上から与えられた自由だけしか享受できないが、それを最初に行ったのが徳川家康で、その施政精神がずっと明治維新後も残存し、偉い人だけ全て知っていて、それ以外は情報自体が封殺される体質が維持され、その隠蔽に加担しているのがNHKだが彼等の平均年収は破格の1000万だ。Liked in Twitter


 本来北朝鮮との対話を日本が率先して実施出来る様に取り計らわなければいけないのに、まず米朝で協議が進められるという所に日本が外交的にどの国からも相手にされていないことが明白だ。だからフランスが一か月兵役復活したが、日本も韓国の様に二年とかでなくせめて半年は復活させるべきは正しい。


 日本がアメリカや中国や韓国や北朝鮮から対等な外交国家として扱って貰うには(今日本は実質的にはアメリカ政府とアメリカ軍の許可の下で他国と外交しているだけである)基本的に軍事的秩序を明確化する事と、言語を曖昧な侭にしないで文法や使用語彙に至る迄徹底的に改革するしかない。


 ロシア革命は革命と言っても、所詮農奴解放だった。その時にマルクス・エンゲルスが大きく利用された。レーニンの革命はフランス革命の様に国体の基本を全部変えた訳ではない。だから今も基本的にピョートル大帝時代の独裁がプーチンによって行われているだけだ。その変わらなさが日本と似ている。


 韓国も北朝鮮も国土を何分もする革命が何度もあった。血族同士の抗争で何度も(最近迄の李氏朝鮮の前体制高麗の瓦解を経て)政権転覆があった。だが日本にはそれに類する転覆自体がなかった(明治維新もそこまでではない)。完全革命を一度も経験していないという意味で日本はロシアに近い。


 日本の社民・共産・立憲民主的意見だけで運営していったら程なく日本は崩壊する。恐らくそれを自民党も政府や官庁も知っている。そこで国民には常に限定的にしか一切知らせない。日本に中国も北朝鮮も対話に応じる時とは憲法改正し(出来れば二項も廃止し)正式軍隊を持った時だけである。


 韓国、中国、北朝鮮にさえ言語に弁証法がある。だが日本語にそれはない。英語にもフランス語にもそれがある。リベラルと言ってもフランスのコンサヴァ的リベラルには理念がある。闘争(革命と内乱と政争)で勝ち取った自由だからだ。だがそれは日本にはない。韓国にも中国にも闘争の末の理念がある。


 先ず日本には一神教はおろかヒンドゥー教や仏教の様な宗教自体がない(日本神話は宗教ではない)。従って結局そこにはロゴスも悪の自覚も慈悲も救済もない。だから日本には理性も理念も自由も成立する基盤がない。全てが村社会だからだ。だから日本は自然発生的村八分差別社会なのだ。


 日本が民族的国家的に衰退の一途を辿る事はB29の東京大空襲と広島・長崎に原爆投下された時点で決定していたとしか思えない。今に完全に五輪アスリートも(今回も数人居たけど)全員日本人と外国人のハイブリッドだけになるに違いない。だってこの還暦前の俺でさえ日本婦女子に関心なかったから。


 僕は幼い頃決心した。遊ぶのと性に就いて教えて貰うのは年上の日本女性で、結婚は白人にしよう、と。だって今の日本有産者階級婦女子は小学校の段階からアメリカンスクール等に入れるからだ。それを僕は予想して兎に角白人に子を産ませ欧米で育てて貰える様に願っていたら向こうから僕は誘われた。Liked in Twitter


 近藤正高著『タモリと戦後ニッポン』で指摘するが、日本芸能界は萩本欣一といかりや長介が活躍した時代から世代交代してたけし、さんま、タモリが君臨してから一度も世代交代が為されていない(もう40年近くそうだ)。だから黒柳徹子も美輪明宏もあたかも芸能皇室の如く不可侵だ。競争社会は有名無実。


 世の中には必死に女から逃げたくて仕方ない人も居るかと思えば、必死に女を追いかけている奴もいる。率直女を追いかけている奴が羨ましいとも思えるけど、やっぱ追いかけられる方が切羽詰まった感じはないっていうのはいいな。女を追いかける奴は、もうその時点で絶対誰からも追いかけられない。

 米朝間の協議が進んでいるにつけ、思うのは日本の安倍総理はいつも北へファナティックに接して日米韓に拘ってきたことが凄く恥ずかしいぜ。だってアメリカはいつも先手を打って日本は蚊帳の外じゃないか。だから日本って独自の外交も対北でも対中国でもできないのが本当に歯痒い。小泉の責任もある。 


 菊池彩花は31歳で一人だけ年配で、且つ背は170センチ、佐藤綾乃は157センチなので、要するに菊池と美帆二人と、菜那と綾乃二人の背の丈の違いがタッグを組んで訓練してきたこととなる。だからそれがたった一人だけそうでなく、二人ずつのペアで凸凹であったことが功を奏したとも言えよう。


 日本女子スケートの高木美帆は164センチ、小平奈緒は165センチなので、欧米と比較すれば小柄だが、日本女子として背は低い方ではない。高木菜那のみ155センチと小柄だ。だからあのパシュートでは背の高さの差からくるハンディーをよく克服してチームワークに徹する事ができたと言っていい。Retweeted in Twitter


 日本をその都度歴史的転換点で大きく変えてきたのは明治維新迄ほぼ全員天皇家と関わり在る人達だけだった。豊臣秀吉だけが例外だったと言っていい。大化の改新もそうだし、信長も家康も武将達もほぼ全員天皇家へ血脈を辿れる。だから日本史とは即ち天皇家内部の抗争という側面が最大なのだ。


 日本の時代劇で悪を描くのはせいぜい大河だけだ。だがそれでもかなり何かに気を使っている。対し韓流史劇の悪の描き方は凄い(『六龍が飛ぶ』等典型的だ)。それにしても映像と音楽の使い方は北野武からかなりパクっている。北野映画のみ日本的でなく、或る部分かなり韓国的だ。悪をきちんと描くからだ。


 北野武の映画は最初から悪を描いていた。そういう監督は以前には東映やくざ映画や日活B級娯楽では鈴木清順や加藤泰とか居た。でもそれ自体主題とする監督は少なかった。先輩では井筒和幸と石井聰互くらいだった。北野の後からは三池崇史や白石和彌等大勢登場してすっかり定着した。


 午前中箱根に訪れる外国人ばかりインタヴューする番組を見ていて気づいたが、どんな屈強な身体の外国人さえ、日本に外国人として来日し観光す

る姿はどこか可愛い。つまりここは日本だから彼等さえ無垢に見える。きっと同じ事は米国滞在の日本人にも言える。台湾や米国の子供が可愛く見えるのも同じ理由だ。


 バートランド・ラッセルは生涯四回結婚したし、かなり大勢の女性とも関係があった。彼は平和運動他で逮捕歴もあるし、かなりハイなアナーキスト的側面がある。彼を尊敬する日本人も、同じ日本人の仲間が同じ行動を取ったら批判するだろう。それが日本人の卑屈な奴隷根性だって俺は言いたいのだ。


 ディランはノーベル文学賞を授与されたが、相当のドラッグ中毒だった(そのせいで声さえ一時期変わっていた)し、マッカートニーのしていたドラッグの凄さは大勢の有識者を驚かせた。彼のビートルズ時代の性の気儘は凄いもので、かなり大勢の女性の人生を変えた。もう少し遅ければMe tooに訴えられていたろう。


 たけしが嫌いな人の理由は軍団率いるやくざ性、もう一つは女子への捉え方(ねえちゃん)だ。だがそういう奴でもディランやマッカートニーやクラプトンはそう思わないだろう?彼等の方がずっと女子全般に悪を行ってきた。でも相手が白人なら許し、たけしは日本人の癖にって言うなら自己卑下人種差別だ。


 東京マラソンの日本新記録更新者へ送られる一億円というのは大きい。東京都が裕福な地方自治体だからこそだが、アスリートのモティヴェーション創出には持ってこいだし、いい訓練環境も獲得できるだろうから、設楽選手の未来は開けていくだろう。


 メダリスト達はよく心得ているだろうけれど、スポーツはやはり伸び伸びと選手達が躍動できる為に日頃縁の下の力持ちとなっている主催者や会場設営の為の準備に携わる人達、協力者やコーチ等全ての人達の尽力の賜物である。誰か指摘していたがメダルは残念だった葛西選手等もその一人である。Liked in Twitter


 本質自由獲得等の一切を諦め、幽閉された籠の中で有識者だの先輩だの感謝すべき同郷の同胞だのへの従順で謙虚な姿勢をとることだけで、一切世界的レヴェルでは自由なんかじゃないこの日本でいい子ぶることでしか幸福感を得られないことにジレンマを抱かない大人しか居ないならうんざりだ。Retweeted in Twitter


 更にシニカルに見てゆくと、今日の日本の繁栄は要するにアメリカの性悪説的生き残りと世界制覇とそれへ抵抗するロシアの作為との間で犠牲になっている代理戦争の渦中であるシリアの悲惨が逆照射するリアルに日本が立っているだけだという事に無自覚な能天気では日本人の脳は退化する。


 資本主義、自由主義、民主主義社会では、清らかな純粋培養が一切通用しない事の方が多い。つまり生き馬の目を抜く過当競争では、寧ろ積極的に羽生結弦選手の天使性とは対極の悪だけが世界の全てを動かしているとさえ言えるからだ。事実だ。人は純粋培養人間には決してついていかない。


 五輪の感動も冷めやらぬ内に恐縮だが、自分は感謝、感謝の大合唱が一刻も早く鎮まり日常が戻ることだけ望んでいる。そもそも感謝ということで生きていける人達だけでないし、不協和とだけ共存しなければいけない人も大勢居るし、又そもそも社会なんてスポーツの純粋培養なんて一切通用しないんだから。

 朝ドラ『わろてんか』は内容は面白いけど、前野朋哉って渥美清によく似ている。松尾諭はかなり既に映画とかでも売れている俳優だし、高橋一生もここ数年(特に去年から)相当稼いだだろうが、濱田岳も金太郎役のCMのメンバーでは恐らく一番稼いでいる(桐谷と松田と川栄より)だろう。


 日本では特に大切だと思われている羞恥自体が自分にはない。又それをどうしてもそれ程大切な何かと思えない。何故なら日本では下の処理さえ自分でできない老人を忌避する事に繋がっていると思えるから。でも自分の家族なら面倒見るけど、人となるとそうはいかないという気持ちは分からないではない。Retweeted and liked in Twitter


 何も主体的にしたい人間でないので、自分でできることなら誰から頼まれても何かしてくれと頼まれれば、私にはそれはできないとは言わず(そう言える程何かを専門として極めているという意識自体がない)全て引き受ける。全く弾けもしないピアノを弾いてくれと頼まれれば、引き受け必死に覚えるだろう。


 責任感というものを一切持てないし、それをしっかり持っていなければという生き方を一度も羨ましいと思ったこともないし、尊敬もそれ程はできない。一切責任を持たないという責任もあり得るのではないかという観点からしか一度も世界へ接したことがない。出世にも全く関心ない。何にもしたくない。Retweeted and liked in Twitter


 海外ではポルノ俳優、日本ではAV俳優達の生き方に共感できる。何故なら彼等は全員(同業者同士で結婚している事はあるけれど)自分の体感的快楽を追求することだけが耐えられるからあの職業を選んでいるからだ。子供が居ても居なくても同じだ。世界が自分のGスポット等中心で動くって素晴らしい。


 僕は幼い頃から一度も集団成員(市民とか国民とか学校であるなら生徒の一人)意識を持ったことがないので、集団全体の動き(蠢きと言った方がいい様な)だけにずっと関心があった。だから哲学者で自分とか私にだけ関心ある人って、きっといつも集団の中の成員という意識しか持てないからだろう。


 ボッカチオ、チョーサー、ルター、カルヴァン、セルヴェテス、セルヴァンテス、スピノザ、レッシング、ゲーテ、ヘルダーリン、バイロン、ハイネ、ニーチェ、ウェーヴァ―、ワイルド、リルケ、エリオット、ゴダール、北野武という系譜から性と孤絶と神を考えていくと一つの命題的論文ができる。


 映画とユダヤ人を命題化;チャールズ・チャップリン、セルゲイ・エイゼンシュテイン、ビリー・ワイルダー、フレッド・ジンネマン、ジャン・リュック・ゴダール、スタンリー・キューブリック、ウィリアム・フリードキン、ウッディ・アレン、スティーヴン・スピルバーグ、サム・ライミから考えていく経路


以上26日、以下25日。


 キリスト教は性と確かに不可分で肉欲の制御が第一目的だった。カント他律の制御だ。レヴィナス翻訳哲学者、熊野純彦は分かっている。レヴィナスはヘブライズムとキリスト教を同時摂取している。マックス・ヴェーバーの禁欲主義的理想とカルヴィニズムは直結しているが、ではカルヴァンとレヴィナスは?


 北野武を精神病理学的に分析すると意外とセルヴァンテスの生涯に近い要素からドッペルゲンガーから精神構造を把握すると分かりやすい。自己パペット化、つまり役者を演じる自分、監督を演じる自分、番組企画者を演じる自分、浅草芸人出身の自分を演じる自分を俯瞰的に見る仕方だ。


 バイロンは明らかに精神病理的人間だった。スピノザは彼より約150年前の人で、彼はカルヴァンより123年後に生まれているから当然カルヴァンは読んでいる。セルヴェテスもだ。スピノザはトリニティ思想とは違う。ルターが生まれる82年前生まれたクザーヌスをルターとカルヴァンはどう捉えていただろう?Retweeted in Twitter


 銃器所持がアメリカ程きちんと認可されているわけではないカナダでも銃器を所持することはたやすい。アメリカは確かに資本主義経済社会という観点から言えば完全性悪説主義的であるにも関わらず銃器所持に関してはそうでない。それはピューリタニズム、ピルグリムファーザーズの建国理念に根差す。Retweeted in Twitter

以上26日、以下25日。


 カルヴァンの綱要は25歳の時の書だが、意外とレイモン・ラディゲが20歳で死ぬ直前『肉体の悪魔』を書き残したモティヴェーションに近いかも知れない。となるとキリスト教のピューリタニズムには固有の性善説主義がある事の理由も何となく分かる。武器が悪いのでなく武器を悪用する人が悪いのだ、と。


 カルヴァンには邪教的観念が自分に降りかかってくるのを必死に抑制している意図が綱要から感じられる。ルターにもそういうところある。例えばイエスと同時代に奇蹟を起こした人はイエス一人でなかった。そういった雑多な観念が去来する事を必死に押しとどめた軌跡が綱要とも言える。


 しかしモルモン教は基本的なところでキリスト教に於ける邪教であり(エホバの証人といい勝負)、それは一神教でなく多神教だ。意外とモルモン教はジャイナ教的性質さえ兼ね備えているかも知れない。インドでは混交的宗教思想が多様に存在するが、インド人は世界中に散らばっている一つの理由かも。


 やはり現今の日本の婚姻制度に違和感がある人はユタ州に行ってモルモン教徒になり、21世紀のジョセフ・スミス・ジュニアとしての生き方を貫く以外ない。だから斎藤由紀も日本から出れば自分の好きな様に生きられる。アラブ系とユダヤ系とスラブ系の伴侶を集めて一緒に暮らしたりできるからね。

 久しぶりに断片的に北野の古い映画シーン見て思ったが、彼は台詞を極度に切り詰めてきた(『その男、凶暴につき』『あの夏、いちばん静かな海。』『ソナチネ』『HANA-BI』(有難う、御免ね))、だがそれを完全に破ったのが『ビヨンド』だった。でも基本彼は沈黙の中で語る所作と表情の監督である。


 今回五輪で最も印象に残ったのは平野歩夢の決勝戦二回目のパフォーマンス、高木美帆の銀メダルの1500メートル走行、彼女を含むパシュート決勝戦(対オランダ)、高木菜那が初代金メダルを取ったマススタート、チェコのエステル・レデツカのアルペンスーパー大回転とスノボーパラレル大回転二冠走行。2liked in Twitter


 エキシビジョンで羽生結弦を再度見て思ったけど、彼は存在自体に美がある。だから彼のハイレヴェルのスキルとかもそういう全体性から生み出されているという意味では不世出のフィギュアスケーターで、世界でも二度と出ないタイプだと思う。世界の不均衡の中で突如登場した天使なのかも知れない。491retweeted and 1.525 liked in Twitter


 アイスホッケーの合間(休憩)中だけ北野武の映画『HANA-BI』を観たら、色々当時は気が付かなかったことに気が付いた。でもあの当時はそう思わなかったけど、今見るとたけしも岸本加世子もかなり若かったんだなと思える。可愛いかったよな。でも北野武の映画は究極の生と死と愛だからエンタメじゃないな。4liked in Twitter


 OARが男子アイスホッケー勝利して金メダル、ドイツは最後の最後で一点OARに入れられ、敗北。全く丁度小便をしている間に勝負が決まってしまったぜ。


 テレ東で今日午後二時から北野武監督『HANA-BI』を大杉漣追悼で放映する。懐かしくもある一作だが、当時の日本の世相は今と又違うから、今見てどう感じるかってことでもある。薬師寺保栄が犯人役で出ているのも懐かしいし、北野組が世界の檜舞台に立った映画だ。大杉漣の刑事・元刑事役も見所。2retweeted in Twitter


 スウェーデンが女子カーリング金メダル獲得。韓国銀、日本銅。さてあのスウェーデンの選手のタトゥー凄かったよな(日本だったら大変だけど)。でもあのストーンの上の部分って、本当にカモノハシの嘴みたいだよね。


 若い勝利者で老いて佇む人へ思いやりが持てたら、これは凄い。でも彼等も又老いる。そして一つ前の五輪のメダリストでも今回取らなければ只の人だし、その栄光は短い。しかも現役引退後のアスリートにとっては晩年の方がずっと長く、しかも年配になって鈴木大地みたいになれる人も氷山の一角だ。Retweeted in Twitter


 大勢の善人が寄って集って悪人を苛める姿って見ていて本当に醜い。つい悪の方に味方したくなる。その事で却って悪が(いつもいつもではないけれど)善になってしまうこともある(それが宗教や思想の歴史だ)。Retweeted in Twitter


 女子パシュートで最後の一周半程で相手のオランダを引き離しスパートをかけたのも、高木菜那が最後の半周で他の全員を引き離したのも、やはり最初からかなり用意周到に仕掛けようと思って練っていた作戦だったんだろうね。本当あの二つは凄かった。後の方でメダル取る方が印象的には得だね。


 ビートたけしが着ぐるみで登場する時は、いつもケーシー高峰や故・左とん平や故・由利徹とかへの自分なりのオマージュがいつもあるっていう感じは見ていて、するな。それは映画監督としての彼にとっての自己とも又違ったアイデンティティの問題なんだろうな。Retweeted in Twitter


 左とん平氏(80)が死去。前科持ち同士で先輩を慕っていたビートたけし氏も大杉氏に続いての氏の死に深く思うところがあるだろうね。


 そだねーってのも、あれ女子同士だから可愛いんで、あれを男子がしたら、やっぱちょっと気持ち悪いっていうのもあるよね


 孔子は論語で言っている。勝者が敗者を讃えることは、敗者が勝者を讃えることよりはずっと楽だ、と。でもそれ以上に意外と多くの感動を誘うのは、カーリングもフィギュアスケートも日本選手を支えたのが外国人コーチだったけれど、彼等が自分の担当した選手がメダリストになった時凄く嬉しかったあの姿だ。


 あの女子カーリング三位決定戦でのイギリス選手の敗北の瞬間の辛そうな悲しい表情は又別の意味で忘れられない。それより前の女子パシュートでのオランダの金メダル獲得ならずの瞬間の悲しく辛い表情もそうだったが、あの時は表彰台では日本選手と彼女等は抱き合いもしたから、未だ救いはあった。


 日本語の言語共同体とは自然社会主義なのだ。だから日本では契約ということが個対個や個対集団で成立しない(それができているのはやくざに雇われるヒットマンくらいだろう)。だから日本はその点ではやはり自由主義とか個人主義とか、要するに資本主義社会体裁とは本質的に違うとは言える。Retweeted in Twitter


 芸術コミュニティの慣れ慣れしさには辟易とした。でもそこから抜けてみると、意外とどのコミュニティでもそこに入ると人間関係は馴染み的で、その点僕は本当に誰にも心を開けない所がきっと障害者的なんだと思う。でもそれは人見知りとも違う。要するに全てが契約的ビジネスライクでないと嫌なだけだ。


 誰彼見境なく親しくすることは全く無意味でないばかりか、かなり罪悪だし、又誘われても拒絶して決然と距離を取ったり、一切無視したりするということも長く生きていく上では極めて重要である。相手がどんな人であっても、だ。この拒否と疎遠とか無視ということができない事が一番罪悪である。Liked in Twitter


 数年間ルター、カルヴァン、カール・バルトとか遠藤周作とかキリスト教系作家の仕事を読んだりしている内に欧米哲学でよくわからなかった事がよく理解できる様になった気がする。例えばベルグソンもだし、スピノザは最初読んだ時全く分からなかったが、今なら理解できる気はする。きっとマルクスも。


 昔韓国の応援団は日本と韓国が対戦し日本選手がミスると物凄く喜び、本当嫌な感じだった。幾ら昔歴史的に色々あってもあそこまでするなんてって思ったけど、今じゃ羽生の大ファンとか居てくれてさ、凄くそういった意味で友好的になっていることは嬉しい。ジャンプフィギュア開始時間はまずかったけど。


 恋愛もセックスも自由であるべきで、巧く処理していくべきで(そういう人も今の青年は多い)、そこに異様な純潔主義を強制すると必ず可笑しなことになる。そういうの失くした方がいい、一度。余り性が乱れれば、今度は今の欧州や一部のアメリカみたいに飽きてきて、淡々とした考えになれるってものだ。


 NHKの朝ドラとかではよく描かれるけど、結婚まで童貞と処女を守るという家制度的名残っていうか、ビートたけしも本で言っているが、いつまでも肉体関係のない男女の愛って、そっちの方が不潔だし、不合理だし、いいことでない。そういう清純主義って、僕も若い頃苦しめられたから分かるけど罪悪だね。


 女子カーリングで日本が銅メダル。よくやった。凄いね、本橋麻里も良かったね。本当に日本選手、最後まで皆楽しませてくれた。本当に感動する。2retweeted in Twitter


以上25日、以下24日。


 人に対し私は険悪感情を平素から悟られないタイプだが、と言って全他者へ寛容でも居られない。当然だが、それを一切理解できぬ鈍い、こちらから決して好かれていないし、信用もできないと思われているのにそれに一切気づけないバカは年配にも大勢いた。私は人から快く思われていない事位直ぐ分かる。


 新種目女子マススタートで高木菜那が初代ゴールドメダリストとなった。これで彼女は二種目で金を獲得。凄い、もうこれはゴールドメダリスト全員に国民栄誉賞をあげないと、どのメダリストを外しても非難轟轟になることは安倍政権必至であろう。


 或る音楽グループやユニットが音楽業績で優れている事と、凄く或る曲や歌が誰からも親しまれている事はやはり少し違う。CM等で最も頻繁に使用されるDay  Dream Believer(モンキーズ)や幸せの黄色いリボン(ドーン)等はグループ業績より、曲自体は却ってビートルズやストーンズより親しまれている。


 例えば或る人は別のある人達から見たらサトラレ的な人で、心を誰からも全て読み取られてしまう
としよう。だがそのサトラレから見れば、自分を見抜く人の心を誰よりも(似た者同士より)的確に読んでいるかも知れない。社会的態度として人より勝っていると勝手に思っている人も、別の意味では負けているのだ。


 基本的に人は全く自分とは違う生き方(それはその人個々にとって最も生きやすい生き方である)をしているが、他者を真には誰にも理解できない。世間体だけは巧くやれる人、経済的責任だけはきちんと取れる人、全く世間体自体を巧くコントロールできない人、経済観念だけは持てない人、全てそうだ。


 或る意味で今現実に生きるこの社会に於いて恥はかかないで済む生き方だけを全うし得る人多いだろうが、本当に自己の良心に嘘をつかないで生き切ったと言い切れる(一神教宗教圏の人にとってなら、神に偽りを言わずに告解できるかという意味で)人って一体何人いるだろうか?殆ど居ないのでは?


 どんな人でも人に話せることは悩み事の内で最も小さい事だけだ。本当の悩み事は家族にも愛する人にも親族にも話せず、全くそういった関係のない通り縋りの人にだけ話せるという側面すらある。社会とは全成員がいつも完全に演技し合う、そんな或る意味ではかなりまやかしと誤魔化ししか出来ぬ場なのだ。


 世界には世界的知名度を得て大富豪になる人もいれば、テロの犠牲になる人、飛行機事故で亡くなる人、地震等災害で亡くなる人もいる。生涯無名の人が大半で生涯貧困な人も最も多い。そして誰もが人になれないし、人の気持ちにもなれない。誰も本質的に自分以外人を助けられないし社会も変えられない。


 私の母は90近いけど未だ元気だが、若い頃未だ父が私が32の時に66で亡くなる前に父から一番人生で辛かった時俺に相談してくれと言われたが、私は父に何も告げず数年後父は肝臓癌で他界した。母は異性親なので絶対相談出来ない事だったが、それは同性親にも相談等出来ない事である。


 私の58年と5か月の人生で真実に理解できたことは、人間は本当の意味で辛い事が身に降りかかっても、誰にも助けて貰えないし、それが私の周囲の他者に降りかかっても私からも助けられないという事だ。私には生涯一人も何かを相談する相手は居なかったし、今も居ないが、大半の人はそうだろう。Retweeted and liked in Twitter


 人は周囲からこうだと思われている人格とか、期待されていることや親しまれたり信頼されたりしていることに全て応えらないし、どんなに異性からも年配者からも異性愛的に愛され、子弟愛的に愛されても、それに応えられない事もあるし、どんなに誰かを愛しても、周囲から絶対認められない事もある。Retweeted and liked in Twitter

 例えば日本のリベラルや左翼は日本人の平和と幸福しか考えていないけど、自民党の議員の方がそれに比べれば他国の利益もだし、外国で日本と国交ある国の市民の事だって考えているっていうことだけは確かだ。リベラルや左翼の閉鎖的なホーム主義って奴程始末の悪いものはないと思えるね。


 右翼が嫌いでも、では左翼が好きかって聞かれれば、僕は右翼(天皇/国家神道崇拝者)が嫌いなだけで自民党の政治家全員が嫌いな訳でないし、又共産党も立憲民主も社民も全く政策や姿勢が認められないし、仮に九条二項を廃止したって、日本がかつての様に戦争する事だけはないと思うけどね。


 現代の分析哲学とかでは独我論とかに急進的に焦点化し過ぎているけど、人類が他の動物と違うのは自分が不幸でも幸福の人を目撃すると嬉しかったり、僕みたいな年配者が若い人の躍動を頼もしく思ったり、外国選手の偉大さに敬意を持てたり共感したり、要するに汝の敵も愛せる、共感だと思うよ。


 今度の五輪では日本選手では羽生と小平と高木が最大の功労者だったけど、自国選手を基本的にまず応援するけど、敗退した後は他国選手に贔屓を見つけ応援するし、十分外国選手でも凄い活躍すれば、見ていて感動する、そういう国の違いを超えた相互の共感が人類の素晴らしい所だと思うよ。


 レデツカみたいな異種目制覇的天才がきっと人類が例えば核戦争寸前とかになった時に、前のツイートでも述べたけど、将棋と囲碁両方で世界一になる偉大な天才の登場(それはイエスやダヴィンチの再来の様な)で、彼か彼女の調停や仲裁で世界が救われるとかの奇跡がきっと起こされるだろう。


 五輪も明日で終わり、日本のメダルは今以上増えないだろうが、どんなかつて偉大な選手でも次の五輪には出られないだろう。羽生の連覇も二で十分だし、恐らく次は宇野の時代だろうし、渡辺も小平も葛西も竹内も後進育成へ切り替えるべきだ(高木と高梨は若いので次回も或る程度可能性あるが)。 


 付記 と思っていたらマススタートで高木奈菜が金を、女子カーリングで日本が銅を獲得した。本当に今回の日本選手の大活躍には本当に頭が下がる思いであった。


 ガルマリーニ(スイス)男子パラレル大回転スノボーで金メダル。初出場イ・サンホを応援した(小平で韓国を打ち破っているので隣国なので僕はそっちを応援した)けど、残念だった。でもよく初めてであそこまでやった、凄いと思うね。でもスポーツの勝負後の勝者と敗者が称え合う姿って本当に人類の偉大さを感じさせる。


 チェコのレデツカがパラレル大回転スノボーで金メダルトップ、ソチの雪辱を晴らしただけでなく、何より異種目二競技制覇。偉大な天才アスリートに対しては国の違いを超えて拍手喝采を送り称え喜びたい。素晴らしい、良くやった、感動した。


 チェコのレデツカの様な人も時々出るわけだから、将来的には今注目の大天才藤井聰太六段の様な人で将棋でトップになって、趣味とかでしていた囲碁でも世界一になる様な人も長い人類史では一人位は登場するに違いない。何でも一つの世界でトップだった人が違う世界でもトップになるのは偉業だ。


 チェコのエステル・レデツカ選手がスノボーパラレル大回転優勝候補の一人だが、彼女はスキー女子スーパー大回転で誰も予想しない番狂わせで優勝した。あの時の彼女の表情は自分でも全く予想していなかったので呆気に取られていたのが印象的である。世界には偉大な天才とは居るものである。


 日本では欧米人的感性を携えて生まれてきた性格や感性の人間には著しく住み難い国だ。物凄く実力がない限り、謙虚人間しか出世は望めない。逆に国民の三分の二が前科のあるアメリカではかなり平均的に善である人間は頭さえ良ければ政府高官にもなれるだろう。でもその頭の良さの競争率は凄い。


 日本では異常に淫乱な女性はAVで成功できる。それは日本人がそれ程平均的に性依存が酷い民族でないからだ。ねえちゃんと言って自著だけで百数十冊も本を出すたけしもそれ程の野放図の悪、それでいて仕事天才が他にいないからだ。アメリカや欧州では淫乱も悪ももっと割合的にずっと多いので、それでは食えない。


 草食系民族である日本が五輪であれだけメダルを取れたことはやはりチームワークもあるし、感謝の念とかの心掛けもあるだろうけれど、それはほんの一部の天才達にだけ委ねられていたのであり、日本全体の平均的実力が上がったのではないだろう。一部の天才を育てるだけの国際競争力がついているからだ。


 今後日本で詩人も小説家も真に国際的人材を出したいなら、極悪を描ける文学者・作家の登場が最低限必要だ。エンタメ的な悪でなく真の悪を描く事である。極悪を描くということは理性や倫理が絶対必要(日本人は自主規制お行儀良い民族だから必要でない)である切羽詰まった状況が必要なのだ。


 人間の悪は旧約聖書でまず弟を殺す兄が描かれるし、ギリシャ神話ではマザーファッカーも描かれる。そういう実存的本質的悪だ。ちょっとした悪なら日本文学でもある。だが日本の悪とはせいぜい織田信長の延暦寺焼き討ちとかのレヴェルでしかない。悪が希薄だから理性も日本人には要らない。


 村上春樹の小説は代表作だけは何作か読んだが、彼の作品も人間実存の悪を描き切れていない(シェークスピアやバルザックやフローベールやサドやヘルダーリン、ランボーの描く悪はである)。時代状況的だから人気もあるが、恐らくノーベル賞が欧米人中心の選考委員である限りは生涯取れまい。


 日本文学は圧倒的に和歌中心の貴族趣味的有職故実的伝統から脱せられない。それは明治以降の小説でもそうだ。だから悪を描けない。だから真に世界的文学にはなれない。映画は違う。映画には制約が文学よりない。元々庶民娯楽だからだ。だから映画では日本の監督は大勢国際的人が居る。


 日本人は世界でも稀に欲望が小さく感情も薄い。中国人も韓国人も他の仏教徒も欲望も感情も大きく濃い。一神教徒は全員日本人より欲望も感情も大きく濃い。その標準値からあらゆる日本的価値は国内価値に留まる。神等の観念も極悪が日常でない敗者が圧倒的多数でない社会では意味はない。 付記 日本は敗者がいても、いない様に社会全体が振る舞う所はある。


 日本文学は技術的理念的には世界でも一流だが、文学の場合は最終的に人間の悪を描けなければ世界トップには立てない(エンタメ等のハリー・ポッターとかは別として)。何故なら一神教宗教圏(世界人口の半数を超える)では悪の力の強さに比例し善も極めて大きい。日本人は最悪もなければ最善もない。

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