こりゃあ、当分二十代に関しては羽生結弦二連覇ゴールドメダリスト、十代に関しては藤井聡太六段の話題で持ち切りだろうね。若い世代がどんどん躍進する時代になったってことだね。


 倫理とは完全に敗者、犠牲者のためのものだ。勝者は圧倒的に少ないけど、勝者が圧倒的に力がある現代世界だから、弱肉強食で強者が弱者を搾取しているというリアルは全く昔と変わっていないどころか、現代では益々強まってきている。これは300年は続くと思うな。


 もう圧倒的に肉食系の女性が理想だね。でも五輪に出る女性って全員肉食系だよね。草食系はいない。腰の太さからしても凄いもんね。凄いよ、彼女達なら世界の少子化に歯止めかけられると思うね。


 世界の男と女をね、優秀な奴だけ子供を作る専門のグループ(少数)にして、大勢の子供を一切作らないけどね育てる専門のグループに分けてだよ、僕は当然前者になりたいんだけどね(一切育てるのは他人に任せ)、子供を作ることだけ一生やっていくの。この発想はビートたけしも思いつかないと思うよ。


 女性を人生で一度も口説いたことがない。いつも向こうからこっちに寄ってきた。それだけ。だから口説こうとしたって女性なんてゲットできはしない。女性は気まぐれだから、口説こうとしない男しか狙わない。


 20代では欧州人女性と付き合ったけど、40代では中南米女性と付き合った。欧州人と出会うまで日本人女性二人と出会ったけど、二人目の女性はよく思い出すし、夢にも出てくる。三人目のダンサーの白人女性が僕の女性観を決定的にしてしまった。あの純金のヘアを忘れることなんてできない。Liked in Twitter


 俺が出版社社長だったら絶対哲学書なんて出さない。天才的女性詩人の詩集とか、男の作家でも恋愛小説。もうニヒリズムもオタクの世界も絶対終わり。圧倒的に夢を売る作品でなきゃ売れない。そうすればJ.K.ローリングを超えられる。俺の目標はローリングより売れる小説を書くこと。それだけだ。


 日本人を主役にしたってワールドワイドなベストセラーにできない。だから双子の美女の白人が主人公。でも男にはアラブ系も登場させる。すると小説読もうかってイスラム教徒も食指を伸ばす。英語でまず出版する小説だ。もう十年程前に思いついたストーリー、プロット、状況設定。後はセリフが重要。


 長編小説のプランは纏まっていて、後は資料集めるだけ。英語の作品。それを欧米で売れればスペイン語、アラビア語、ポルトガル語や中国語や日本語に翻訳し売れればアメリカかカナダかオーストラリアで土地買って大回転で優勝したみたいな白人の奥さん貰って子供いっぱい作って遊んで暮らすのが俺の夢。


 熊谷守一の展覧会を竹橋の国立近代美術館で開催中だそうだ。最上タレントは知らなかったな。熊谷の絵はヘタウマ的な感性で、でも生き方があんまり好きになれないんだよな。ああいう千人ぶったところ。恰好つけなんだもんな、ああいうの。樹木希林とか凄く褒めていたけど、そういうのも気に入らないな。


 世界でもきっと非言葉が国家全体、社会全体を支配している国、民族は日本、日本人だけで、朝鮮民族も漢民族もコーカソイドも全くそうでない訳だから、それを分かってしまうとかなりこの国の不文律に従って生きていくのが辛くなる。体感主義民族が日本人なのだが、それにもきっと固有の言葉はあるかも。


 僕は生来余り暖かい優しい人間ではないから、もう野垂れ死にが一番可能性高い訳だが、或る部分日本にロゴスなんてない訳だから、ロゴスっていうのが日本人には冷たく映るんだろうとは想像できる。僕にはそっちの方がずっと分かりやすいんだけど。だから非合理的でないと満足できない人達の群れなんだ。Retweeted and 2liked in Twitter


 日本史で縄文と弥生はどっちが長いか未確定だ。それ以外は古墳時代が次いで長く(450)、平安時代(391)、江戸時代(265)、室町時代(237)、鎌倉時代(158)、飛鳥時代(118)、奈良時代(84)、昭和時代(63)、明治時代(44)、安土桃山時代(30)、平成時代(30・予定)、建武の新政(3)だ。Liked in Twitter


 羽生結弦を主演に映画作るとしたら、まず二つ思い浮かぶ。一つは大化の改新での中大兄皇子(天智天皇)だね。後一つは現代の殺し屋、ヒットマンだね。飛鳥時代も現代も彼なら主演映画できるね。


 そんな特別の思いはなかったですよね、だって。現代青年だよね、宇野昌磨ってさ。好感持てるな。羽生とは正反対のタイプの青年だよな。


 スピード競技とかと違ってやっぱ美を感じさせなければいけないので、フィギュアスケートは表現性が凄く強い。だからアスリートと言っても、身体能力だけでない何かが要る。でも凄く偉大な選手でそんなスピード競技でも変な顔の人って居ないよね。そういった意味では実力は精神的な事もあるわけだね。


 日本人は美男と感じる顔がある。だから羽生結弦は、例えば高橋一生、早乙女太一、尾上松也、健太郎、松下優也とかと同一の系譜に入る美男だよな。


 羽生結弦は神道的イメージの青年である。宇野の方が仏教的だ。顔と体つきからだ。でも羽生は三連覇狙うだろうか?でも彼俳優にも向いていると思うし、彼主演で映画撮りたい監督は大勢居るだろうね。北野武も黒沢清も園子温も永井聡も白石和彌も考えていると思うな。でも僕は北野武で見たいな。


 二度ひやっとさせたが概ね余裕を持って飛んでいる感じはした羽生の二連覇だったが、宇野があのジャンプをミスしなければ結果は分からなかったとも言えた。それにしても羽生は格好の顔もいいから凄く得している。日本人からスターになる顔で、若い人は知らないだろうが、市川雷蔵にも似ている。


 最近つくづく思うが、世界で利害という観念無しに社会に臨むのは日本人だけだろうということだ。韓国も中国も全く違うし、欧米のどこでも日本の様ではない。だからドラマでは悪が描けない。だから見ていて能面だけの人達が欲望無く生きている感じすらする。これはかなり日本の本質そのものである。


 テストストロンの数値は圧倒的に政治家、アスリート、芸能人は高い。要するに彼等は見られることを仕事しているので、ナルシスは異様に強く、且つ仕事の過酷さが半端ないので、その褒美としての性への渇望も異様に大きい。アスリートと結婚したいと思う人はかなりその点は覚悟の上での話である。


 ユダヤ教とイスラム教は全く違うが、キリスト教で婚姻制度の拘るのはカソリックでは家族主義、プロテスタントはピューリタニズムなので、精神的な禁欲主義っていう訳だ。カソリックでは神父は結婚できないし、既婚者は離婚ができない。その点ではプロテスタントの方が自由だし、もっと本質的にアナーキーだ。


 婚姻制度があるから世界のどの国でも不倫とかがあると大騒ぎする。だがそれを一切廃止すればそんな事で騒がなくなる。又生物学的にも優秀な遺伝子が受け継がれる。でも可笑しいのは性はどの国でもタブーだが、年配者は大体知っている。若輩者に教えない様にするのは革命を恐れているからかな?


 世界でも肌の色で一切差別しないコーカソイドはロシア人とポルトガル人だけだと言っていいね


 朝鮮民族は綿々と中国やロシアに大勢居る朝鮮族と繋がりがあるし、中国人漢民族も客家もだ。フィリッピンでもインドネシアでも皆ネットを持っている。だが日本市民で群馬県に住む日系ブラジル人移民と親しいという話は聴いたことないし、ペルーやブラジルで天皇陛下写真仰ぐ人達と親しいとは聴かない。


 確かに俺がポルトガルの女性と結婚して、相手と子をポルトガルで生活させ成長させても、結局俺の血が半分入っているから、あそこでは大勢サラセン帝国時代のDNAが混入しているから、肌の色で差別はされなくても、自分の父が日本人と知ると天皇陛下万歳とかリスボンで叫んだりするかも知れない。


 キリスト教の世界では、例えばアメリカでも実業家で巨万の富を稼いだ人は全員天国には行けないという発想がある。だが日本はどうだ。殆ど全員が資産家達に尻尾を振って、貧乏だとか格差社会の敗者達は委縮してしまっている。つまり精神的誇りがない。あるのは金への執着だけだ。


 数日前深夜スーパーに買い物に出かけた時、寒いので急いでいて転んでしまって、どうも左手の上を骨折したみたいだ。明日病院に行ってレントゲンを撮って診て貰おう。年には勝てない。どうも身体の敏捷性が衰えてきたみたいだ。でも肋骨を一昨年自転車で転んで折ったが、少しそういう事は続いた。


 今日から水戸の偕楽園で梅祭りだ。俺が初めて両親の前で立って歩いた場所である。ところで水戸市民とは、梅だけが俺達の自慢じゃねえぞっていうところある。つまりかなり桜も美しいのだけれど、桜はいつも水戸では外では無視される。水戸=梅という頭が全国で固まってしまっているからだ。


 哲学者は聖オーガスティン(アウグスティヌス)、聖トマス、デカルト、ホッブス、パスカル、ライプニッツ、スピノザ、ロック、バークリー、ヒューム、カント、フィヒテ、ヘーゲル、ベルグソンから現代に至る迄全てキリスト教かユダヤ教と関わりあるものだけであり、アヴィセンナはアラーだ。


 日本社会から全ての忖度をなくしたいなら、シンガポールみたいに英語にするしかない。日本語とは全て天皇家を中心とした成員意識の放射状的位置確定の為の言語なのである(これは先日自殺された西部邁氏も常々主張していた)。遠慮とか節度とか慎み等の全てが言語に組み込まれているのだ。


 欧米の言語は英語にしたってスペイン語にしたって、要するに究極はイエスへの信仰の為の言語である。これは絶対免れない。アラビア語はアラーの為の言語であり、要するに言語とはそういう風にその中心に向かって全成員が放射状に位置することの表明以外ではない。


 だからどんなに否定したって、日本では君主論的なテクストを自分のこととして読める人は一人しかいない。そして残念ながら日本語は天主(かつての隠れキリシタン的言い方だけど、天皇にも使った)様の為に設えられた言語である。日本語の構造はそういう忖度・斟酌だけで成立しているのだ。


 世界で一番精神的に気楽なのは奴隷である。支配者とか統率者が何の世界でも一番大変だ。だから詩とかは、敗者達の為のものなので、全く儒家的思想とは対極である。儒学の論語でも中庸でも統率者、統治者の心得の為のものだからだ。だが法家は違う。これが今の法治国家的法の始まりだ。


 フィギュア演技の選曲にPink FloydWish You Were Here, Money とかを使っている、懐かしいな、と思えるのは俺達世代くらいだろうけど。


 老人の世界とは趣味だけの世界の住人であり、要するに完全に彼等には社会という発想はない。エゴイズムだけしかない。だから老人だけの世界に余り親密になると、もう一般社会通念からどんどん遠ざかるのでかなり要注意である。文藝の世界もプロ以外大半はそうなので、注意して接していくべきだ。


 趣味の世界での対人関係があまり憩いあるものとなると、通常業務とか、本職での対人関係が煩わしくなるので、趣味人間は概して反社会的以前に、落伍者的である。趣味にしていること自体を本職にしている人は又少し違うが、趣味の集いでの虚栄心に嵌り込むと抜け出すのが困難になるのだ。


 高等遊民の様にしているだけで食べていける道等恐らく一つも世界にはない。王族とか皇族は業務が過酷なので身体が丈夫でないと務まらない。でも世界的コングロマリットのCEOになれば、或る程度の遊び的なことは活かせるだろう。だからベソスもゲイツもザッカーバーグも物凄いギャンブル勝者である。


 生理学的に言えば大勢の子を出産している女性は出産中毒で、そういう生命創造の依存症とも言える。でもそれを言うと忌避的メンタリティを強く日本人が抱くとすれば、それは産めよ、増やせよ時代の国家主義的倫理の殻から一歩の抜け出ていないと言っていい。だから日本は呪術国家である。


 ビートたけしは人生が波乱万丈だから本は面白いし演出も巧い。だが彼のスピリットは芸人の諧謔精神中毒者なので、今は只の老人だし、滑舌も悪く、顔も事故以後醜悪なので、若手芸人よりは徐々に露出頻度は下げていくだろう。もう演出と執筆だけに専念して欲しいと思っている往年のファンは多いだろう。


 性的オーガズム(古くはオルガスムス等と言った)は全般的にマゾヒズム的だ。快楽がそうだからだ。だから身体を酷使することに快楽を得ているからこそ人は過酷な登山に挑む。肉体を酷使しない程文明度、文化度は高い。ホワイトカラーはブルーカラーを軽蔑するが、働くのが嫌いな者程文明文化度は高い。


 ネイサン・チェン、フリー演技は良かったよね。


 セックスの快楽を得る事を知り過ぎると性的依存症になる。故にプロのポルノ女優や男優達はそのシンドロームを利用して生計を立てている。実はこれと肉体管理のシェイプアップとか加重なトレーニング(例えばジョギング)とかも意外とかなり近い。ナルシスの行使なのでし過ぎるとメンタルを駄目にする。Liked in Twitter


 五輪に出場するアスリートでもメダリストまで行けば精神的には文民のトップに近いが、びりくらいの成績だと労働者の精神に近いに違いない(失礼な言い方だが現実はそうだ)。同様に素人で登山とかに凝っている人が三浦雄一郎氏と同じメンタリティである筈はない。つまり彼等は肉体過酷な行使中毒者だ。


 劇映画だけ焦点にすれば確かに演出家は役者の方がいい(演劇で言えば吉田鋼太郎とか)。でもドキュメンタリー映画となれば又話が違う。それでも劇映画で塚本晋也がしている様にカメラマンも監督が兼ねるくらいで、一般民間人はより親しみを持ち監督に協力する様になるというメンタリティは確かにある。


 映画創世記には発明家が発明した映画だったが、劇映画が定着すると演技とスタッフの親方が監督となった。しかし親方は演技者からすればスクリーンでパフォーマンスする経験はない。だから役者にとっては役者経験のある監督の方が従う気持ちになれる。だから現代では役者の映画監督進出が多い。


 中世では秀吉は武勲があったから各大名も従った。でも現代は違う。だから文民統制される側には気分的なフラストレーションはある。例えば画家は美術評論家や学芸員、文章家全般へ卑屈な思いを皆抱いている。彼等は感性と肉体の奴隷であり、彼等の作品を文で批評されるのはきっと耐え難いのだ。


 軍隊経験の一切ない者が常に軍隊のトップにあるのが文民統制だ。だが兵士(軍人)の立場に立てばそれこそ日本の戦国武将や朝鮮李氏朝鮮初代国王イ・ソンゲではないが、全く武勲のない人間に支配されるのは嫌だろう。だから警察も自衛隊も一般市民感覚とは違う忠誠心が彼等にはあるのだ。Liked in Twitter


 学校では生徒に対し教師は強い立場にある。同様に市民に対し公務員や官僚はやはり強い立場にあり、必然的に彼等へ批判的市民より親密感を示す市民にサーヴィスがいいに決まっている。同様に警察に批判的な市民に警察がいざとなったら守ってくれるかと言ったら疑問だ。結局そういう現実はある。


 スポーツ界はアスリート同士で協力し合い仕事を紹介したりするし、同様に芸能界でも音楽やお笑い、演劇映画界同士がそうする様に公務員も官僚もそうするのだが、重要な事は国や地方自治体のお金他を管理するのは彼等だけであり、又治安安定の為の方策は一切警察行政に委任されている事だ。


 私は凄く成功している人から、そうでない人までかなり多くの人と出会ってきたが、無名で凄く才能があると思える人でも、認められていないだけで「本当は」凄く隠れた天才だとまで思える人は一人も居ないと思った(私の鑑識眼が大した事ないだけかも知れないが)。それだったら売れる方が価値がある。


 僕は長く作品を作ってきたけれど、全く成功してこなかったし、天才なんかでは全くないということだけを証明して見せた敗者的人生の徒なのだが、だからこそ年老いて(来年還暦だ)残りの人生で弱っていく身体に唯一の助けは金なので、反社会的でない詩・エッセイ等だけを書き収益だけを求めたいのだ。


 王・長嶋・松井とか凄く収入を得ていても、彼等は肉体的にかなり犠牲にしているし、長谷川一夫や美空ひばりも基本的にはかなり無理をされてきたので仮に凄く稼いでいたとしても栄誉賞には相応しい。だから実業家とかはどんなに偉大でも外すべきだとは思うし、事実そうであることは賛同したい。


 僕は国民栄誉賞は基本的に生涯それ程莫大な収入を得られないけれど偉大な人にだけ与えられるべきと考える。その点スポーツアスリートと棋士への授与は正しいし、特例的には歌手や芸能人もいいと思うけど、羽生はもし金メダル取ればそれに値すると思う。野村忠弘・北島康介・内村航平もだ。