December 13, 2011
放置しまくってました。
人生迷子になっており、ブログもうすっかり放置してました。ε=ε=(;´Д`)
2011年からさらに加速を増した「ソーシャルメディア」が浸透すればするほど、
「リアルな現実」と「ネットの世界」はすごい勢いで距離を縮めていきます。
なんかもう私、その時代についていけないのです。
ブログでは誰にも言えない本音とか、個人的に
心のメモとして残しておきたいこととかを書いてきたので、
ソーシャルな場では大きな声で言えないことばかり。
もっと自由になりたいな。
人の目とか気にしないで、自分が思ったことを思ったように
のびのびと書いていきたいな。
そう思いながらも、最近のインターネットは窮屈だなぁと。
かといって、新しいブログを立ち上げる元気もないです。
しばらくしたら復活するかもしれないけれど、最近の私の居場所を残しておきます。
http://toyomi.tumblr.com/
https://www.facebook.com/toyomix
2011年からさらに加速を増した「ソーシャルメディア」が浸透すればするほど、
「リアルな現実」と「ネットの世界」はすごい勢いで距離を縮めていきます。
なんかもう私、その時代についていけないのです。
ブログでは誰にも言えない本音とか、個人的に
心のメモとして残しておきたいこととかを書いてきたので、
ソーシャルな場では大きな声で言えないことばかり。
もっと自由になりたいな。
人の目とか気にしないで、自分が思ったことを思ったように
のびのびと書いていきたいな。
そう思いながらも、最近のインターネットは窮屈だなぁと。
かといって、新しいブログを立ち上げる元気もないです。
しばらくしたら復活するかもしれないけれど、最近の私の居場所を残しておきます。
http://toyomi.tumblr.com/
https://www.facebook.com/toyomix
June 27, 2011
June 26, 2011
梅ジャムつくってる。




最近、facebook とかやたらに料理の写真をアップしてるのをみて
「料理研究家でも目指してるのか?」と友人に電話で聞かれました。
そんなわけあるかいな。
私がネットを通じて伝えたいのは
「自分を愛すること」このこと。
食材と対話して、心を通じあわせて、信頼関係ができる。
心を通じ合わせたものを自分の体内にいれる。
愛と感謝で心もカラダも満たされる。
そのことがすごく大切なこと。
ぶっちゃけコンビニの弁当食べていてもいいとは思う。
コンビニお弁当を買えるお金を稼げる仕事があること、
もしくは、お弁当の工場で働いてくれている人にありがたいなぁと思ったり、
もしくはコンビニのお弁当を一緒に食べてくれる人がいることに
幸せを感じたり、
そういうことに思いを馳せながらでもいいし、
とにかく、あれだ。食事をするときは愛と感謝で過ごすこと。
そうやって自分を愛していくことが人生を豊かに美しくしてくれると思うよ。
私はそう思ってるよ。
June 17, 2011
満月の夜に。
ここ何日間のもやもやとした思いが整理できたので、
自分勝手でネガティブすぎる思考を削除。
私の大切な人がどうか幸せでありますように。
心が平安でありますように。
私の言葉がどうか大切な人の心の中で
愛に変わっていきますように。
June 04, 2011
June 03, 2011
ソーシャルメディア雑感7
私のfacebookでおうちごはん写真をアップすると
毎日50人くらいの人が「いいね!」押してくれる。
これは素直にうれしい。
ひとりの食卓が、みんなとの食卓になってる感覚もしあわせ。
誰かに会うと、
「いつもちゃんとごはん食べててえらいね」って
ほめてもらえてびっくりする。うれしいなぁ。
「食べるものがその人をつくる。ちゃんとした食事が大切。」ってことを
みんな直感的に知っているからだと思う。
あと、自分のためにごはんをつくってあげられる人は
「精神的にも時間的にも経済的にも余裕がある」イメージがある。
なんとなく。
それから、大切な人にごはんをつくってあげられるって
人間としての喜びだなぁと思う。
「自分の大切な人がちゃんとした食事をしてる」ってすごく癒されるね。
母性本能かな。みんなちゃんとごはん食べてほしい。
キーワードは
●愛しい自分のために
●自分の生活を愛する
●愛を誰かとわかちあう
写真で共有するおうちごはん。
これってまさしく、愛をかたちにする
「LOVERSDESIGN」だなぁ。
毎日50人くらいの人が「いいね!」押してくれる。
これは素直にうれしい。
ひとりの食卓が、みんなとの食卓になってる感覚もしあわせ。
誰かに会うと、
「いつもちゃんとごはん食べててえらいね」って
ほめてもらえてびっくりする。うれしいなぁ。
「食べるものがその人をつくる。ちゃんとした食事が大切。」ってことを
みんな直感的に知っているからだと思う。
あと、自分のためにごはんをつくってあげられる人は
「精神的にも時間的にも経済的にも余裕がある」イメージがある。
なんとなく。
それから、大切な人にごはんをつくってあげられるって
人間としての喜びだなぁと思う。
「自分の大切な人がちゃんとした食事をしてる」ってすごく癒されるね。
母性本能かな。みんなちゃんとごはん食べてほしい。
キーワードは
●愛しい自分のために
●自分の生活を愛する
●愛を誰かとわかちあう
写真で共有するおうちごはん。
これってまさしく、愛をかたちにする
「LOVERSDESIGN」だなぁ。
June 02, 2011
ソーシャルメディア雑感6
今日もまたソーシャルメディアのことを考えていた。
寝ても覚めても。いい加減しんどい。
ハーバードビジネスレビューの
「ソーシャルメディア戦略論」を読んでいる。
何度よんでも新しい発見がある。
本質をついていると私は感じてる。
世界は素晴らしいなぁ。
さて。
私はソーシャルメディア時代で大切なことは、
「社会とどう向き合うべきか」ということを考え、
アクションを起こすために
いまいちど、真剣に
「自分と向き合うことの意味」を学ぶことだと思っている。
あとついでに、勝手な予想だけど、
2012年に「ソーシャル自分メディア元年」が訪れるだろうということ。
いまいちど「自分の再構築」にお金や時間をかけようとする人が
増えるんじゃないかと思う。
で、そうなった場合に必要なスキルとして
「自分自身のコンテンツ化」「自分自身のネットワーク化」を
どうやっていくのかに注目が集まるんじゃないかと。
コンテンツ化というのは
「わかりやすくすること」「価値を見出すこと」「誰かに見せること」。
もっと整理していうと、
個人によってその「資質」というものはさまざまであるので
「個人のもつ“技術”のコンテンツ化」
「個人のもつ“知識”のコンテンツ化」
「個人のもつ“体験”のコンテンツ化」
「個人が行う“思考”のコンテンツ化」
「個人が行う“行動”のコンテンツ化」
みたいなものにわけられると思う。
その資質を「物質化」「言語化」「写真化」「映像化」
「音楽化」「トーク化」で掛け算した分だけ
自分コンテンツのバリエーションは広がる。
今、twitterとかでは
個人の技術、知識、体験、思考、行動のすべてが
「言語化」「写真化」されている。
「自分自身のネットワーク化」については
今度、また時間があるとき考えよう。
あと、考えたいこと。
「社会脳(ソーシャルブレイン)」をどうやって
活性化させることができるのか。
「責任」の観点にたったフレームワークとはどういうものか。
私がこれだけ思考に没頭するということは
心の状態がよくないということです。
ほんとしんどい。
もうこれ以上、傷つきたくない。
寝ても覚めても。いい加減しんどい。
ハーバードビジネスレビューの
「ソーシャルメディア戦略論」を読んでいる。
何度よんでも新しい発見がある。
本質をついていると私は感じてる。
世界は素晴らしいなぁ。
さて。
私はソーシャルメディア時代で大切なことは、
「社会とどう向き合うべきか」ということを考え、
アクションを起こすために
いまいちど、真剣に
「自分と向き合うことの意味」を学ぶことだと思っている。
あとついでに、勝手な予想だけど、
2012年に「ソーシャル自分メディア元年」が訪れるだろうということ。
いまいちど「自分の再構築」にお金や時間をかけようとする人が
増えるんじゃないかと思う。
で、そうなった場合に必要なスキルとして
「自分自身のコンテンツ化」「自分自身のネットワーク化」を
どうやっていくのかに注目が集まるんじゃないかと。
コンテンツ化というのは
「わかりやすくすること」「価値を見出すこと」「誰かに見せること」。
もっと整理していうと、
個人によってその「資質」というものはさまざまであるので
「個人のもつ“技術”のコンテンツ化」
「個人のもつ“知識”のコンテンツ化」
「個人のもつ“体験”のコンテンツ化」
「個人が行う“思考”のコンテンツ化」
「個人が行う“行動”のコンテンツ化」
みたいなものにわけられると思う。
その資質を「物質化」「言語化」「写真化」「映像化」
「音楽化」「トーク化」で掛け算した分だけ
自分コンテンツのバリエーションは広がる。
今、twitterとかでは
個人の技術、知識、体験、思考、行動のすべてが
「言語化」「写真化」されている。
「自分自身のネットワーク化」については
今度、また時間があるとき考えよう。
あと、考えたいこと。
「社会脳(ソーシャルブレイン)」をどうやって
活性化させることができるのか。
「責任」の観点にたったフレームワークとはどういうものか。
私がこれだけ思考に没頭するということは
心の状態がよくないということです。
ほんとしんどい。
もうこれ以上、傷つきたくない。
June 01, 2011
ソーシャルメディア雑感5
ソーシャルメディアについて考える日々です。
商業ソーシャルメディア、地域ソーシャルメディア、
マスソーシャルメディア、個人ソーシャルメディア。
それぞれの立場でミッションや目的も違います。
そろそろこのあたり、わけて語るべき時期がきたと
思うのですがどうでしょう。
「マスソーシャルメディア」における
ネットワークの規模の目標が「最大化」を目指すとしたら、
「商業ソーシャルメディア」「地域ソーシャルメディア」は最適化、
「個人ソーシャルメディア」は最良化を目指すべきだと思っています。
では、個人にとってのネットワークの規模の「最良化」とは何か?
それは誰が判断するのか?
当人が居心地がよいと感じるものが「最良」なのか?
それは流動的なものなのか?
コントロールできるものなのか?
各個人の立場によって
それは定義づけできるのか?
「個人」というカテゴリのその立場もさまざまで、
リーダーは「発信」「仲間づくり」の場。
表現者は「ファンづくり」「作品展示」の場。
生活者は「交流」「自分メモ」「情報収集」の場。
として、ソーシャルメディアを活用していると(仮定)して
そのネットワーク規模の「最良」を考える意味はあるのか?
あるとすれば、それは人生においてどんな影響を与えるのか?
…ということについて頭を悩ませているわけです。
ソーシャルメディアを考えれば考えるほど
「自分と向き合うこと」の難しさを痛感する日々。
社交スキルがない私にとって、ソーシャルメディアと向き合うことは
すごく頭が痛いのですが、これからの時代、逃げてばかりもいられないので
真剣に考えてみようかと。
心が傷ついているとき、その傷の痛みを軽減させるために
私は「思考」で自分を守ろうとしている。
でも、私と同じように傷ついている人がいるとしたら、
私の思考も誰かの役に立つかもしれない。
思考を手放して「直感」はなんといってるのか、
自分の心に聞いてみた。
「自分が正しいと思うことを貫けばいいよ。」
確かにそのとおりだ。
商業ソーシャルメディア、地域ソーシャルメディア、
マスソーシャルメディア、個人ソーシャルメディア。
それぞれの立場でミッションや目的も違います。
そろそろこのあたり、わけて語るべき時期がきたと
思うのですがどうでしょう。
「マスソーシャルメディア」における
ネットワークの規模の目標が「最大化」を目指すとしたら、
「商業ソーシャルメディア」「地域ソーシャルメディア」は最適化、
「個人ソーシャルメディア」は最良化を目指すべきだと思っています。
では、個人にとってのネットワークの規模の「最良化」とは何か?
それは誰が判断するのか?
当人が居心地がよいと感じるものが「最良」なのか?
それは流動的なものなのか?
コントロールできるものなのか?
各個人の立場によって
それは定義づけできるのか?
「個人」というカテゴリのその立場もさまざまで、
リーダーは「発信」「仲間づくり」の場。
表現者は「ファンづくり」「作品展示」の場。
生活者は「交流」「自分メモ」「情報収集」の場。
として、ソーシャルメディアを活用していると(仮定)して
そのネットワーク規模の「最良」を考える意味はあるのか?
あるとすれば、それは人生においてどんな影響を与えるのか?
…ということについて頭を悩ませているわけです。
ソーシャルメディアを考えれば考えるほど
「自分と向き合うこと」の難しさを痛感する日々。
社交スキルがない私にとって、ソーシャルメディアと向き合うことは
すごく頭が痛いのですが、これからの時代、逃げてばかりもいられないので
真剣に考えてみようかと。
心が傷ついているとき、その傷の痛みを軽減させるために
私は「思考」で自分を守ろうとしている。
でも、私と同じように傷ついている人がいるとしたら、
私の思考も誰かの役に立つかもしれない。
思考を手放して「直感」はなんといってるのか、
自分の心に聞いてみた。
「自分が正しいと思うことを貫けばいいよ。」
確かにそのとおりだ。
ソーシャルメディア雑感4
思考メモ。今、思っていることは明日になれば変わるかもしれないけど。
面識があるとか、ないとか、関係なく、
自分によほど害のある人でなければ、
「ひとりでも多くの人とつながりたい」と思うこと、
その欲望に忠実に生きることは異常なことなんだろうか。
ということを自問自答中。
現実世界とうまく折り合いをつけて生きられない私にとって、
「世界のどこかには私の気持ちに共感してくれる人がいるかもしれない。
こんな私を肯定してくれる人がいるかもしれない。」
という、「インターネット幻想」が心の支えになっていたのだけれど
もうその幻想にすがってはいけない時期にきているのだろうか。
そろそろ現実に生きることに集中しなければいけないんだろうか。
バーチャルからソーシャルへの転換期の狭間で
こんなに生きにくさを感じるとは思わなかった。
現実に向き合わずに生きてきたわけでもないけど、
バーチャルを心のよりどころにしていたそのツケが
今になってきたのかなぁ。
私の好きなインターネットが変わろうとしている。
時代の変化を受け入れられずに
本当に本当に苦しい。
たーすーけーてーーー。
面識があるとか、ないとか、関係なく、
自分によほど害のある人でなければ、
「ひとりでも多くの人とつながりたい」と思うこと、
その欲望に忠実に生きることは異常なことなんだろうか。
ということを自問自答中。
現実世界とうまく折り合いをつけて生きられない私にとって、
「世界のどこかには私の気持ちに共感してくれる人がいるかもしれない。
こんな私を肯定してくれる人がいるかもしれない。」
という、「インターネット幻想」が心の支えになっていたのだけれど
もうその幻想にすがってはいけない時期にきているのだろうか。
そろそろ現実に生きることに集中しなければいけないんだろうか。
バーチャルからソーシャルへの転換期の狭間で
こんなに生きにくさを感じるとは思わなかった。
現実に向き合わずに生きてきたわけでもないけど、
バーチャルを心のよりどころにしていたそのツケが
今になってきたのかなぁ。
私の好きなインターネットが変わろうとしている。
時代の変化を受け入れられずに
本当に本当に苦しい。
たーすーけーてーーー。
ソーシャルメディア雑感3
どんだけ辛くても、弱音をはかないでおこうと決めた。
愚痴ってもしょうがないので、我慢しようと決めた。
そうした結果、どこにももっていきようのない感情が暴れて
心が壊れそうになっている。もう無理かも。
社交的な人は社交的に。
内向的な人は内向的に。
気分屋さんはそれなりに。
その人がその人らしく生きられて
「自分らしく生きている」ということを実感しながら
叱られたり、励まされたり、癒されたりして
生きて行ける場所を見つけるためには
何が必要なんだろうと考えたけれど、
やっぱり「徹底的な自己開示」が必要だと私は思っている。
「自分らしく生きられる場所」というのは
探してを見つけるのではなく、
「努力して手に入れるもの」なんだ。
多分、きっとそうなんだ。
これだけはゆずれない「自分」というものを、
誰に認められなくてもかまわないという覚悟で、
表現しつづけた人が最終的に
「自分らしく生きられる場所」を手に入れられる。
私らしく生きていきたい。なんとか社会とおりあいつけて。
愚痴ってもしょうがないので、我慢しようと決めた。
そうした結果、どこにももっていきようのない感情が暴れて
心が壊れそうになっている。もう無理かも。
社交的な人は社交的に。
内向的な人は内向的に。
気分屋さんはそれなりに。
その人がその人らしく生きられて
「自分らしく生きている」ということを実感しながら
叱られたり、励まされたり、癒されたりして
生きて行ける場所を見つけるためには
何が必要なんだろうと考えたけれど、
やっぱり「徹底的な自己開示」が必要だと私は思っている。
「自分らしく生きられる場所」というのは
探してを見つけるのではなく、
「努力して手に入れるもの」なんだ。
多分、きっとそうなんだ。
これだけはゆずれない「自分」というものを、
誰に認められなくてもかまわないという覚悟で、
表現しつづけた人が最終的に
「自分らしく生きられる場所」を手に入れられる。
私らしく生きていきたい。なんとか社会とおりあいつけて。














