久しぶりに「水曜どうでしょう」について。
 皆さんは、なぜ、なんのためにテレビを見ますか?
 言い換えるなら、皆さんはテレビに何を求めますか?
 この番組のある回において、ディレクター藤村氏の名言が紹介される。

 なぜ、「水曜どうでしょう」という番組は6年間も続き、かつ放映エリアを広げながら今もなお支持されるのか、その答えは氏によると、こうだ。

 「なんにも新しいことをしてないから」

 これは大層な名言だと思う。テレビは新しいものを求めすぎてる。企画の奇抜さ、過激さ、未知の感動、そんなモノを。

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 「水曜どうでしょう」は多分、「電波少年」のある企画のパクリから始まったんではないか。よく分からないけど。
 でも、そのセールスポイントは大きく変化していった。
 当初の見せ場は、だまし企画に巻き込まれた大泉洋の「リアクション」だったが、次第にそれは、彼の話術と、彼とディレクターの間で繰り広げられる「小競り合い」にシフトしてゆく。

 それは、企業を巻き込んだり、感動を求めたりという方向にダイナミックに変化していった「電波少年」とは全く違っていた。

 「電波少年」の歩んだ道が、間違いだったとは思わない。それは、視聴者が「単純に望む」方向だったのだから。

 テレビは資本のものだ。

 だから、資本(CM出稿者)が望む方向、すなわち視聴者が単純に渇望しているモノを提供するのは自然な成り行きだと思う。

 しかしね、使い古された言葉ですが、顕在化されたニーズなんて、脆弱なものなのです。
 他人の不幸、連帯感、強者を困らせること、擬似的な拉致、こういう一見刺激的なことは、実はとても弱々しい支持しか受けられないのだと思う。

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 では、「どうでしょう」が提供したモノってなんなのか。

1.テキトー
2.個人

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 「どうでしょう」は適当だ。
 四国八十八ヵ所巡りでは平気で寺を飛ばすし、スーパーカブの旅ではフェリーに乗ってショートカットする。

 「電波少年」は、旅をしたと見せかけて飛行機に乗ったということがばれてバッシングを受けた。
 「どうでしょう」は、そんな嘘をつかない。当たり前のようにズルをする。
 つまり、視聴者はテレビに「真面目」を求めてないんですよ。テレビに「きちっとすること」を求めてる人って一握りだと思うのです。

 いいんです、テキトーで。

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 そして、この番組はほとんど「大泉洋」というプロの芸人一人によって支えられている。
 会話に絡んでくる藤村ディレクターも、画面には映らない。共演の鈴井氏も、この番組では飽くまでも脇役だ。
 大泉洋という類稀な「芸人」の話術と、それを更にヒートアップさせる鈴井・藤村両氏の才能が見事に絡む。
 今の一般的なテレビタレントが「協調性重視型」であることを見ると、やはり彼の存在は奇異だ。

 マスメディアによって、個人芸ってのは破壊されたなぁ、などと。

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 今思ったのは「タモリ倶楽部」と似てるな、ということ。