旧・他人の不幸は蜜の味

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2004年04月

「めけせけ」はハナモゲラ語による落語です。>

 先週放送された「ミュージックステーション」に登場したサンボマスターにヤられた。

 1曲しか聴いていないのに偉そうなことは言えないが、これが「新しき日本語ロック」だとは思えない。多分、新しくはない。逆に古さ、というか極端な素直さと、ギターの旋律に惚れてしまった。

 ゴテゴテと手を加え、不毛なレトリックに心血を注いだ音楽、まるで手を加えすぎてまずくなった料理のような、そんな音楽が多い中、魚河岸の食堂で出てくる刺身のような、そういう素直さである。

 ギターロックに感動したのは十数年ぶりではなかろうか。「アイデン&ティティ」に見るような、そんな素敵な悩めるロックが日本にも生きているのだなぁ、などと。

<古今亭志ん朝師匠。前も出したかな?「子別れ・下」(別名:子は鎹)は軽めの人情話としては定番。>
 「泣ける本で健康になる」なるページが。しかし安心しろ、泣ける本で健康になれるような人はもともと健康だから。
 以下、私が今年泣いた3冊の本です。
 まず、「志ん朝の落語2」の中の「子別れ・下」。なぜか活字の方が泣けた。ベタベタの人情話なんだけど。
 そして「淀川長治映画塾」。それはいいんですがなんと泣いたのがフェリーニの「道」の解説部分、、、映画見たときは「なんて陳腐な恋愛映画だ」と憤りすら感じたのに、、、
 さらに最後、極め付けが「いま、会いにゆきます」キャー!!ダメだよこんなので泣く人間になっちゃ。
 それほどまでにここ数ヶ月の私の精神状態はおかしい。狂っている。こういう人間が健康になるにはどういう本を読めばよいのだろうか?「解体屋外伝」?

<記憶違いかもしれないが、米朝師匠の落語「饅頭こわい」の前半部分で、丼飯に鯛の刺身を乗せ、浅草海苔と生卵をかけてかき混ぜて食う、てな話があった。今思うと気持ちが悪いが、食欲のあるときに聞くとたまらなく食べたくなる>
 あ、鯛茶だ、食べたい、と思ったのでトラックバック。
 本当にひどいブログが多い中でこの方のそれは素晴らしい。本文と追記の使い方とか、内容についても、「日記を公開する」ことの意味を理解した人だと思いました。(文体から一瞬男性かと思いました)
 鯛茶といえば境港の店で食べたのがおいしかったな、味が濃かったけど。
 食べ物についてたまに思い出す言葉は魯山人の著書にあった、「その時食べたいものが、その時に体が(栄養面においても)求めているものだから、食べたいものを食べていれば健康に良い」といったような言葉。
 例によって偏った意見なのでそのまま容れるわけにはゆかないが、しかし大切な考え方だと思う。
 自分の本能的な判断力を大切にするということ。カロリーやら栄養成分表示やら賞味期限やら、そんな他人様に与えられた情報で判断するなと。そういう表示自体は否定しないが、自分で見て、におって、触って判断することをちょいと忘れすぎてやしないか、とか思いました。
 触って判断といえば伊丹十三「タンポポ」の中に魅力的なおばあちゃんが登場しますね。この元ネタは同氏のエッセイの中にカマンベールに関する話として出てきます。蛇足。続きを読む

<六代目三遊亭圓生師匠。圓生百席のコンプリートは夢です。今回の題目選びも「穴」で、、、どんどん単純になってゆく気が、、、お粗末>
 今日のトリビアで石川啄木の「エッチな日記」が紹介されていました。
 番組中でもその一説が紹介されていましたが、その続きを鴨下信一「面白すぎる日記たち」で確認。
 その後、石川啄木はフィストファックしてました(爆笑)さすがにここまではテレビで言えなかったか。しかも指5本入れても女は寝てたというからつわものだ。

 どうでもいいことですが(Byみつまジャパン)、インターネットの世界でのみなんかその傍若無人ぶりを発揮してる人が多いですね。
 寺山修司の著作は今になって読むと陳腐だが、それだけにアッタリマエのこととして受け入れられる。
 パソコンの前から離れて町に出た時に自分がさていかほどの価値を持った人間か、そういうことから逃げるためにPCに向かうのであれば死んだ方がよろしい。そんなことないかな?そりゃ暴論か。
 でも、思うにPC、というかネットの中には様々な物があるものの、そこに快楽は無い。快楽は生の世界にあるものだと、今の私は認識している。

<六代目笑福亭松鶴師匠。SMという題材で唯一ピンと来たのがこの落語「尻餅」CDではBOXでしか手にはいらないようです>
 漫画「家畜人ヤプー」3巻ナナメ読み。というか3D読み(ページめくりながら)
 原作読んでないのでアレなのだが、まだ世界観の説明にとどまっていて面白くない。
 しかし国内SM文学の代表選手だけあって地に足が付いてる感じ。
 SMを「痛めつけたり、痛くされたりすることで快感を感じる変態行為」と勘違いしている人に読んで欲しいですね。でもそういう人はこれ読んだら吐くか(笑)
 SMというのは多分「わかりやすい関係性」なのでしょう。

五代目桂文枝師匠。女性役になんともいえない気だるさがあって良い。この人の落語世界の描き方は江戸落語で言えば十代目馬生師匠のそれに近い。落語の中に当時の「富」いわゆる宝くじについて描いたものはあるが、さて、富に当たった主人公がその後どういう人生を送ったのか、、、「御慶」のその後はどうなったのか見てみたい>
 あなたの人生においていちばん素晴らしい時期はいつであったか、という問い。昨日、テレビ番組に出演していた杉田かおるが「今が一番幸せ」と言っていた。うーん、素晴らしい。かくありたい(梵天丸も
 過去に最も幸せな時期があったとか思ってしまう人はたぶん駄目な人ですよ、今の私も含めて。今か未来にそれを感じることができなきゃ。
 しかし、過去に大きな出来事(例えば高校野球に出場するとか、そういう自分の人生における祭り)があると、それを引きずってその後の人生において「祝祭性の鬱病」になってしまうらしい、、、とはコントからの情報なので信頼できないが尤もらしい感じがします。
 私ももうすぐ30になんなんとしている。しかし、あの孔子にしたって30にしてようやく「立った」わけである。まだまだですよ、人生は。しかしなー、ほんとにいいことあるのかなー、そしてその「いいこと」っていったい何?
 かつて「人生面白くない、とか言ってる奴がいるが、それはただ単にそいつが面白くないだけだ」という言葉を聞いたか読んだかしたことがある。
 結局自分なのです。楽しむのも苦しむのも、そして選ぶのも自分。意志を持って生きるということは結構難しいものですね。意志の勝利、、、それはもう過去の物なのかもしれない。

 某氏の日記に労働について書かれていたので。
 私の父親の名前は、祖父が某有名作家の某有名作品の中の「働かない主人公」というか「働かないことによって自己同一性を感じている主人公」から取ったものなのです。
 その息子が今やこんなふらふらしているとは、祖父も思うまい。
 しかし働かなくても生きてゆける世の中ですね。
 かつて上司に「なぜ君は働くのか」と訊かれて「働かないことのミジメさ」をとうとうと語った(without本心)ことを思い出す。嗚呼偽りの人生。
 生産は長いスパンで見れば無意味ですよ。100万年後には人類は滅亡してるらしいですから。それは置いておいてもこれから人類の歴史は下り坂っぽいし。
 しかし隣家のベランダから子供の声が聞こえると、あー子供欲しいなーとか思ってしまう、そりゃ生物としての人間の性ですか。

<落語「中村仲蔵」の中で芸に悩む歌舞伎役者、仲蔵がそば屋で役作りのヒントを得る>
 京都駅駅ビルの上にある某そば屋にて天ぷらそばを食す。1260円かそのくらい。
まずい、、、というかそばの味がしない。小麦粉製の麺に着色してるんじゃなかろうかというそば、つうか細いうどんだと思って食べればいいのか。
 それより屈辱的だったのが名古屋駅ビルの上にある「東京杉並やぶそば」に完敗というか勝負以前、という事実。
 名古屋バッシングはここではしませんが、関西出身の私としては「なんとなくそばのおいしそうな京都」が「なんとなくそばも味噌味のような名古屋」に負けたような気がして釈然としなかったわけです。
 閑話休題、最近気に入ったそば屋は東京飯田橋の駅真南にある「金升」。山の手線内では比較的廉く及第点のそばを出してくれます。
 店員の女性がかわいいのも嬉しい、というか半分それが目当て。
 空いてるのも好き(笑)そばを並んで食べるのってなんかイヤなので。だってもともとファストフードなわけですから。続きを読む

冗談ぢゃなく、本当に人生最大の落ち込みを見せていたわけです、10日あまりの間。
そんな時、とあるレコ屋で見かけたのがハルカリ「ストロベリーチップス」のプロモ
人間本当に弱っているときというのは押し付けがましい楽しさというのが逆に苦痛に思えるもの。モンゴルの民族衣装のようなケッタイな衣装を付けて踊るこの二人の、やる気あるのかないのか分からない雰囲気にやられました。
こういう一瞬が生きることになんとなく価値を与えているような気がする、とは言いすぎか?
※衣装については後にクリスマスツリーを意識しているらしいことに気付きました。

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