気まずい二人
・文字だけで自分の思いを伝えてみたい という記事を読んで。
ここの人は「品位」という言葉を使っていて、共感する部分がありました。
三谷幸喜の本に、彼と女性有名人の対談集「気まずい二人」というものがあります。
これはなかなかに面白い本なのですが、その、たしかあとがきの中で彼は「対談を文字にする際に、プロの劇作家として(笑)は入れまいと思った」てなことを書いていました。
私もよく使うのですが、(笑)には確かに下卑た印象はあります。ある種の免責、エクスキューズであり、「ここで笑え」という押し付けであり、媚びでもある。
で、(爆)に至っては使わないし、嫌いです。(爆笑)で良いじゃないですか。
三谷幸喜の本に、彼と女性有名人の対談集「気まずい二人」というものがあります。
これはなかなかに面白い本なのですが、その、たしかあとがきの中で彼は「対談を文字にする際に、プロの劇作家として(笑)は入れまいと思った」てなことを書いていました。
私もよく使うのですが、(笑)には確かに下卑た印象はあります。ある種の免責、エクスキューズであり、「ここで笑え」という押し付けであり、媚びでもある。
で、(爆)に至っては使わないし、嫌いです。(爆笑)で良いじゃないですか。
コメント
コメント一覧 (2)
僕は「w」が嫌いだ、バカにされた気になる、ということを何度も書いていますが、読んでいないのか、気にしていないのか、あるいは本気でバカにしているのか、使う人は絶えない。
使う人が自分のところで書く分には構わないけど、僕のところでは使って欲しくないわけですね。
で、僕は「バカ」という言葉にはそんなに不快感はないわけですが、どうやら「バカ」に不快感を覚える人はたくさんいるようで、怒られちゃったわけですね。
ん〜、言葉に対する人の認識って、結構面倒だなぁ。
ところで、視覚障害者で、音声認識ソフトを使ってネットをやっている人には、顔文字や略文字には何の意味もない、ということをはじめて知りました。
やっぱりあんまり使いたくはないですよね。
ご来訪ありがとうございます。認識の違いというのは、これはもう埋められるものではないですね。
「w」は、私はバカにされた気にはならないのです。しかし、えっけんさんが書いている通り「意図が分からない」ために不快です。
「バカ」はダメです。
また、えっけんさんがそちらで書いていた「トラックバックをした上での批判は非難されるべきではない」という意見にも反対です。正しいか正しくないかではなく。というか、厳密に正しいことってないんですよ、コミュニケーションには。
えっけんさんが、そちらで、blogに対する期待が間違っていた、と書かれていましたが、私はそうではなくて、blogであるからこそできるコミュニケーションと言うものがあると思っています。
blogに来てくれる人の多くは「お友達」です。というか「捨てハンドルネームではない再訪者」です。相手のblogやホームページの場所を知っている場合も多い。
そういう人にイヤな思いをさせたくないではないですか。そういう考えが根底にないと、よりよいコミュニケーションは図れないです。リアルと同じです、そこは。
だから、「これが正しい」というのはないんですよ。
いや、えっけんさんの書いていることもよく分かるんですが、ベキ論は今のblogの心地よい均衡を崩してしまうのではないかな、と。
ま、それを心地よいと感じるか否かも「認識」なんですが、、、
長文失礼しました。
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