コチラコチラコチラにエロコメントを残したりしてるんですが、結局、愛とセックスってどうなんだろう、と。
 まず、今まで秘密にしてたんですが(笑)
 私は今年30になるわけですが、経験人数は2人です。童貞喪失は、たしか25歳の時だから相当遅い部類に入ると思うのですね。だから経験の絶対数って少ないんですよ。しかし、まあそんな私に語らせてください(笑)

 私はですね、考えてみるに、もちろんセックスも大好きなんですが、一番好きなのは抱擁とキスなのです、多分。
 恋愛において一番幸せを感じるのは、彼女を抱きしめて、匂いをかいでいる時のような気がする。

 そして、セックスにおいては、射精しなくても満足感を得られると思っています。私は酒飲みなので、セックスする時は酔っていることが多い。かなり酒が入っていた場合、最悪勃たないし、非常にイきにくくなります。
 結果、相手は何度もイってるのに自分がイけないセックスというのが何度かありました。でも、裸で抱き合って、相手が気持ち良くなってくれれば、満足なんですよ。

 男は射精します。しかし射精そのものは、そんなに大きな快感を伴うものではない。かえって、射精という具体的現象が、男のオーガズムを分かりにくくしているのではないかと、私は思っています。

 映画「凶気の桜」で不良グループはセックスのことを「排泄」と呼称していましたが、射精を基点として考えると、セックスは男にとって排泄行為でしかない。

 排泄には、排泄としての快感しかないのです。

 私は、愛のないセックスというものがあっても避妊していて、他人を傷つけないのであれば良いと思うし、それはそれで気持ち良いものだとも思います。

 しかし、愛のないセックスには、それだけの快感しかないのだろうと思う。

 私個人としては、愛情の結果の、コミュニケーションとしてのセックスが大好きです。
 そして、好きでもない女としたいなどとは(あまり)思わない。
 ※あまり、に意志の弱さがみられますが(笑)

 他のところにも書きましたが、セックスはとても面倒くさい。好きな女以外の女に対して、あんな面倒くさい「儀式」はする気がしない。
 快感だけを得るのなら自慰で十分。


 では、「セックスのない愛」はどうか。私はこれもイヤだな(笑)「チャタレイ夫人の恋人」でも読もうかな。
 いつも言うんですが、精神と肉体、どちらを偏重してもいけないと思うんですよ。だから「愛情さえあればセックスなんてなくてもいい」というのは、かっこつけに感じる。

 精神的な相性、言葉の上でのコミュニケーションが恋愛において最も大きなファクターとされることが多いのに、身体的コミュニケーション=「セックスの相性」を重視することがあまりないのは、おかしなことだと思います。

 結論としては「愛とセックス、どっちも欲しい!」ということなんですが(笑)
 愛がセックスを補完し、またセックスが愛を補完する、といったものでしょうか。どちらか一方だけでは完全にはならない、と。
 今回はきれいにまとまらなかったですね。失敬。