DOB_Devil ブログと、マスコミ(新聞テレビ週刊誌)の違いを考えていて、あー、と思い当たることがありました。
 私はアンチ・マスコミなタイプなのですね。とはいえけっこう古い感性の人間なので、新聞には権威を感じてしまう。それは良いとして、テレビは、嫌いというよりここ数年「いらねーな」と思っています。(週刊誌は、スクラップしたいエログラビアが無い限り、一切買いません)
 「笑う犬」がホリケンサイズとか始めた頃からですね。民法で見たい番組が無くなりました。無くなったらいやだな、と思うのはNHKのいくつかの番組のみだと思うようになりました。

 そこで出てきたのが「水曜どうでしょう」で、以前書いたように「これが、私がテレビに求めていた物だ」と思ったりもしたのですが、よく考えると、どうもそういうわけではない。

 テレビには何も求めていないのですよ。

 「これが、私が求めていたコンテンツだ」というだけです。

 今、「水曜どうでしょう」がオンデマンドで配信されている意味を、少し理解しました。

 必ずしも、テレビである必要はない。
 今のバラエティー番組がつまらないのは「テレビという枠」に縛られすぎているからでしょう。いずれ、往年の「電波少年」のように新しい枠組みが現れるかもしれない。
 しかし、それにしたって「テレビという枠」の中の物でしかないのです。

 藤村ディレクターは、自身を「テレビ大好き人間」と言っていたように思います。それだけに、「テレビという枠」の外から、今のテレビという物を見ることができたのかもしれない。

 マスメディアは、常に「絨毯爆撃」という方向に進んできました。
 より多くの種をまく、発芽率は低くても、途中で枯れても、たくさん種をまけば、それだけ実がなるだろうという考え方です。

 しかし、これは甚だ前時代的なのですね。
 テレビ局の体質というのは、多分、多くの人が意外に思うほど前時代的なんじゃないでしょうか?高度成長期のお気楽なパラダイムを前提としたマーケティングですよ、これは。「秋刀魚の味」で「一億総白痴化ですな」とか言ってた頃の方法論ですよ。(もちろん、ランチェスター戦略が前時代的だと言っているわけではないです。それはある種普遍的だと思うのですが、その前提を確認してくれよ、という。)
 なんでそんなに古いのかというと、テレビみたいな水商売においては「付加価値」って考えれば考えるほどわからなくなっちゃうからだと思うのです。
 だからもういいじゃない、大量投下で。っていう結論なのではないかと。
 でも、もう違いますよ。今のテレビ番組には付加価値がないです。もともとロハなんで付加価値もくそもないですけど、もうすでにテレビは、私の中で「BGV以下」の存在です。

 こっから、テレビがどう変わってゆくか?期待はしてないけど、まあしばらくは観察しましょうか。
 でもテレビ業界の人は多分、「水曜どうでしょう」を「ただのサブカルチャー」だと思うんでしょうね。サブカルチャーでも何でもなくて、「アンチ・テレビが愛するテレビ番組」なんだっていう認識を持てば、すごい可能性を手に入れられるのにね。まあいいや。
 
 最後に、「テレビが誰の物かってことくらいわかってんだろう?」中途半端にビブラストーンから引用。近田春夫さん、ブログは、どうですか?まだダメですかね、先生。