唇からナイフ もしくは余計なお世話

イヤなものは嫌。御迷惑と知りつつだいたい毎日、憎まれ口満載でやらせて貰います (ほぼ古本状態だったが気が変って少しずつ書き足すことにした/13年9月)

貸した本は戻らない


 永年考えていたことである。貸した本は絶対に戻ってこない。
 過日、林望が同じことをエッセイに書いていたのを見て、矢張りそうかと思った。そして、たぶん、貸した側は貸した事を一生覚えていて、借りた側は借りた事をとうに忘れている。
 俺はこの人生で三冊の本を人に貸した。凡そ50年前に映画本を、20年前に哲学本を、10年前に哲学本を、それぞれ別の人に俺にとっては極めて大切な一冊を貸したがすべて戻ってきていない。
 何故か。何故貸した本は戻ってこないのか。
 待て、その表現は若干おかしい。本が自ら戻ってくるわけではないので、借りた人は何故その本を所有者である俺にかえしてこないかと問うべきである。林望はそこは考察の対象とせず「本は他人からはもちろん図書館などでも借りず、買って読むべし」と、本は身銭を切って読むからこそ身につくことを唱えていたのだが、俺は身につく云々などという優等生的な議論より貸し借りの考察のほうが面白い。
 そこでまずは俺自身のその時、まさに貸した時の一瞬を目を閉じて冷静にじっくりと回想してみたのである。そして驚いた。いずれの本も、借りた側が興味を示した事実はあっても強く貸してくれと頼んではいなかったことに気づいた。
 要は、俺が貸したかったのである。
 借りた側は積極的に借りたつもりはなく、俺に“読むことを勧められ”受け取ったに過ぎないのではないか。即ち、ある意味贈与されたと考えていたのではないかと気づいた。
 フロムは「人が読書する理由の多くは他人に教えるためだ」と語ったが、その意識のもう一歩先に本を人に貸したい欲求があったのである。
 50年前に貸した映画本にまつわる記憶がある。貸してから数年後、俺は借り手の友人に、あの本をそろそろかえしてくれないかと言った。するとその友人は一瞬驚き、次に薄ら笑いを浮かべこう言ったのである。「そんな野暮な」と。

(続く)

プロ野球は勝ってなんぼ


 5試合やって一つ勝つという記録的な勢いで最下位を突っ走るドラゴンズだが、地元開催のスタジアムは連日超満員なのである。まるで納得いかぬ俺であるが、地元局のニュースを見て心底驚いた。球場に来るドラファンを自認する若者達(中には同様な意見の年寄り夫婦も居てビックリしたが)曰く、
 ――アイドルコンサートみたいな感覚で応援できるのが楽しい――という。
 要すれば勝ち負けは二の次で、まずはカッコイイ姿を鑑賞し、負けて悔しがる表情もかわいく拝見、たまに勝てば嬉しさ爆発であると。
 そういうことだったのか。今どき勝った負けたで一喜一憂しているなんざ古臭いというわけだ。エンターテインメントの世界なのである野球も。再び言うがアイドルコンサートなのである。
 はあ?冗談じゃないぜと俺は言いたい。プロ野球は勝ってなんぼじゃと。勝たなきゃ意味がないと。エセファンが甘ちょろい顔でへらへら笑っているから選手がつけあがるのだ。あそこが痛いここが痒いとかほざいて風呂入って寝ていれば、銀行口座に毎月何百万か何千万かが自動的に振り込まれてくる狂った世界に首まで浸かり、己をえらばれし天才と勘違いしておるのだ、たかが二十や三十歳で。
 俺は強固な信念をもって何度でも言う。勝てんのならやめてしまえと。プロ野球はのど自慢大会でもアイドルコンサートでもない。勝ってなんぼの世界であると。

金持ちの金持ち自慢


 ちょっと前から強盗を指す「タタキ」という警察用語が新スラングの様に語られて居るが、ヤクザ映画やギャング映画の翻訳では昔から――次は〇〇をタタく――と使って居った。
 最近の悪党は、あの家には金品が在るとの情報を基に、チンピラを雇い民家をタタいて居るようだが、小金持ちというのは古今東西、俺は裕福であるぞとついつい自慢してしまうもののようで始末が悪い。
 金持ちの金持ち自慢は下の下と心得るべし。そこで「武田信玄公訓言」に倣って金の心得を書き換えたらこうなった。

凡そ貧乏人の貧乏自慢を以て上と為し

金持ちの貧乏自慢を中となし

金持ちの金持ち自慢は下と為す


 その故は――
自慢するほどの貧乏には安寧な精神が宿り
貧乏自慢する金持ちはその愛嬌ゆえ比較的安全で
金在ることを自慢する金持ちは読んで字の如くタタかれるから奈利

Mr.ノーバディ他


 久し振りに『Mr.ノーバディ』を観たんだがいつもながら気分爽快になる。
 そこで不図、こういう感覚に酔えるフィルムは他に何があるかなと考えてみて、まず真っ先に浮かんだのは『ダーティハリー(正編)』だ。俳優イーストウッドの最高傑作だわね。
『ゲッタウェイ』もええ。いつ観てもええ。マックイーンでいけば方向性は違うが『華麗なる賭け』も気持ちがイイ。
 要はガキ時分に悪童だったに違いない男、体制からはみ出た異端児が最後にスパッと勝つというやつが好きなのだ俺は。これが案外欧州にはないんだよ。日本にもな。微妙に情緒的なんだよ、ヨーロッパも我が国も。こういうのはやっぱり米国製作映画が強いんだよ圧倒的に。悔しいけどな。
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ナイーブを堪能


「忍耐強くなってね」と看護婦は治郎の言葉を無視して時計の箱を支える腕に力をこめながらくりかえした。
「忍耐か」と腹が立ちはじめるのを感じながら、そしてうまく腹が立つように注意深くそれを育てながら治郎はいった。「いつだって忍耐するのかい。勉強するとか人と話すとかする時だけだろう。始終なのか?」
「始終よ」
「食事するときも便器の上でもか」
「そうよ、みんな忍耐しているのよ。大人はね」
 治郎は世界中のあらゆる大人たちが便器の上でズボンをずりさげて蹲りながら、せっせと忍耐している表情や、真剣な表情を考えて声をあげて笑った。


 大江健三郎未発表小説『旅への試み』(1957.5

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