さてさて、粗びき太打ち蕎麦を喰い終えたあとは残った湯にかえしを混ぜて飲むわけだが、かえしの、これは何と言えばいいのか、密度の差というのか比重の差とでもいうのか……要は、普通の蕎麦つゆの様に容易に蕎麦湯に混ざらぬところが中々の景色で、味わいも口にあたる部分でまるで違って来て無二の感あり。
で、これも実に酒に合う。
と、此処で思うのは、酒好きを自認する店主と内儀の意図である。堂堂たる蕎麦をいきなり先付と称して出す考えや如何に、である。
ひょっとすると彼らは蕎麦そのもので酒を旨く飲ます方法を日々練って居るのではないかと思った。そこで其の日の品書きを見直せば、
先付:粗びき太打ち蕎麦の釜揚げ
前菜:八寸様の酒肴色々
椀:そばがきと牛肉
焼物:野菜達と鴨ロース
季節そば:かけ蕎麦に自然薯と有明海の海苔
揚物:海老と野菜(芽キャベツ、海老芋、下仁田ネギ)の天ぷら
おそば:更科と引きぐるみ何れも十割のつめたい蕎麦におろし添え
甘味:そば大福
なんと五回、六種の蕎麦を出している。
ふつう「そば前」というのは、つまみと酒を締めの蕎麦の前にやるからそう呼ぶ訳だが、この家の酒肴は品書きの通り完全に蕎麦に“包囲”されて居る。
蕎麦にはじまって蕎麦を喰いつづけ蕎麦に終わるのである。酒肴は蕎麦の間に出てくるイメージである。詰りこの家の酒肴はそば前ではなく「そば間」となって、逆に言えば主人公足る蕎麦料理の引き立て役になっている。
舌が鋭敏なうちに蕎麦本来の味を味わってもらいたいという考えは、最近の「越乃」が、其の日飛び切りの白身をつまみの前に握りで出すことにしているのと共通する。
蕎麦屋はそばを、鮨屋はすしを喰ってもらいたいのである。
では六種の蕎麦が酒に合うかという問題である。ここでもはっきり言おう。合う、と。
この日は前回書いた通り「作」の極熱燗で太打ち釜揚げ蕎麦を喰い、すき焼仕立ての牛肉を添えたそばがきにはやや温くなった同酒とビール、自然薯と有明海の海苔が入ったかけ蕎麦からは「作」純米吟醸の冷酒を合わせ、最後のそばである二種の十割には同じ冷酒を続けた。
すべてがピタリとはまったが、取り分けトリを飾るふたつの蕎麦と「作」の相性は素晴らしかった。蕎麦は更科が白い碗、引きぐるみが黒い椀で供されるのを見ても分かる通り水切りは完璧でありながら実に瑞々しい。
数十秒でしか味わえぬ、正に一瞬芸の極みである。
まずは白い蕎麦。軽く咀嚼し、飲み込むことに留意し鼻で香りを抜き、「作」純吟で追う。舌の付け根に蕎麦の芳味と酒の清廉が重なって得も言われぬが味わいが現れ余韻を引く。
次にそばかすが見える濃いグレーの蕎麦。思わず噛みしめ、いかんいかんとごくりと飲み込む。このざらつき感の気持ちよさはどうだ。間髪を容れず酒を含む。言葉にならぬ。良い体験が出来た。
BGMはキャロル・キング~ナット・キング・コール~ジョアン・ジルベルト~ロバータ・フラックだった。皆、俺がガキだった時分の大人たちだ。懐かしかった。
(追記)この家は今年から夜の「次回予約」は一切やめ、一定のルールに基づいた電話予約のみにした。多くの方に自分の蕎麦を味わって貰いたいという考えからである。彼ららしいと思った。