唇からナイフ もしくは余計なお世話

イヤなものは嫌。御迷惑と知りつつだいたい毎日、憎まれ口満載でやらせて貰います (ほぼ古本状態だったが気が変って少しずつ書き足すことにした/13年9月)

macht

荒井由実のこと



 同感である。勤め人になってすぐの頃、職場のラジオから流れて来た歌声が聴覚に突き刺さった。なんだこの歌いぶりはと。
 曲が終了しDJが――きっといえるでした――とだけ言った。
 周りの人間に今のはだれかと訊いても誰も知らない。慌ててエフエム東京に電話した。さっき放送していた歌手は誰かと。担当者は即答できず、確認しているようで、ややあって、「あらいゆみという人です」と教えてくれた。「ゆみのみは実です」とも。
 帰りにレコード店でそのアルバム『ひこうき雲』を購めた。帰宅し、『きっと言える』に針を落とした。全身がふるえた。
 このこはこの一枚で消えるか、美空ひばり化するかのどちらかだなと思った。ひばり化してからはとんと興味がなくなってしまった。

Twitterとは何か


 昔からの当ブログ訪問者の方には自明のことだろうが、俺はTwitterFacebookもやっておらん。
 だいぶ前にTwitterをやりかけたことはある。
 ところが登録した途端、知った名前が(一生会わんと決めていた奴も“知り合い”として堂々と)ダダダっと画面上に現れて来、何だこれはと面喰い、嘔吐寸前になり、躊躇うことなく即刻その場で退会したのだった。
 気持よく使っておる人にあれこれ言うつもりはこれっぽっちもないけれど、俺にはあの様なタイプのつながりは不可能なのである。
 言いたいことは今後もこのブログで一方通行に語り散らしていく。
 そんな折、辺見庸が「Twitterやめた!」と自身のブログで表明しておった。
 ――けふ、ついにTwitterアカウント削除!感情の捌け口にするのはよくない。スナが手伝ってくれた。今後はこのブログだけになる。お魚やまちゃこたちと離れる訳ではないので、寂しがらないようにする――と。
 ほう、とおもった。すると花田英次郎(@macht0412)が、最近のTwitter社の動きを鑑みてだろうがこんなことを呟いた。
 ――Twitter終了したらそれはそれで面白いだろなあ。行き場を失った人々の暗い衝動みたいなものはどこに噴出するのだろう―と。
 辺見は「感情の捌け口」である其れをこの際やめたと言い、花田は自ら其処から逃れることが出来ず捌け口を失う人を「行き場を失う」人々と名指しし、彼らには「暗い衝動」が残ると予言した。いったいTwitterとは何か。

罵詈雑言叫んでこそ



 さういうことである。心臓が止まるかと思うくらい怒りまくって、こんな球団永遠に消えてしまえと怒号を浴びせ、次の日、不図佳い勝ち方など見れば人知れず涙するのが真のファンというものである。中日ファンもそうだよ。

懐かしいのう松本幸行



 掴んでは投げ、掴んでは投げ―か。
 捕手たいへんだったろうな、木俣だなこの頃は。そういや最近見ないな木俣。矢沢も老けたし。70年代の顔はもうほとんど消えてしまったな。

キミらが選んだ道だ



 ――国民などどうにでもなればよい、彼らが選んだ道だ―陥落目前のベルリン大本営でヒトラーはこう宣ったわけだが、選挙で(一応民主主義的に)権力を手にした者の本音であろう。
 このようにつき放され、――それはないだろう、あなたを信じていたのに――と嘆く国民がいるとすれば(ほぼ全員だろうが)、安心なさい神はあの世で善良なキミを祝福してくれるだろうと慰める以外ない。

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ルキウス

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