2021年05月24日
タイム誌を題材にしたニュース発信ブログ

ただ、2011年3月11日の東日本大震災に伴う大津波、そして福島第一原発の核惨事以来、このブログでは集中的に日本における原子力問題を取り上げ、多くの読者に原発問題を自らの頭で考えることがいかに大事かを説き続けています。是非、みなさんもこれを機会に原発とは何かを真剣に自分の問題として考えていただきたいと思います。
過去においては、タイム誌に筆者の意見を投稿し、ブログにも投稿内容を掲載しました。 (6月23日号、7月31日号に引き続き10月31日号のタイム誌に5度目の投稿文が掲載されています。)
ウェブ版タイム・アジアの2月26日号、店頭販売タイム・アジア3月9日号に筆者の意見が2年3ヶ月ぶり、6度目にして掲載されましたのでお知らせします。
ウェブ版タイム・アジア2月26日号の「Inbox」に掲載された筆者の投稿分「Walls Will Tear Us Apart」それでは今日の話題をお届けします。コメント、トラックバック歓迎しますので、どうぞよろしく。(ただし、一旦お預かりして不適当だと判断するものは削除させていただきます)
※なお、このブログで表明されている意見は執筆者であるラッキーメンタイの個人的なものであり、同氏の属する組織・団体とは一切無関係であることをあらかじめお断りしておきます。
(注-1) タイム誌に関する記事はカテゴリー欄の「タイム誌と自分の主張」をご覧ください。
(注-2) タイム誌への投稿文は、別建のブログ「Newsletter from Fukuoka」に掲載しています。
(注-3)平成18年4月から、タイム誌に関する記事のみを配信する「TIME誌で知る世界の時事ニュース」ブログを立ち上げました。
(注-4) 平成19年3月から、博多っ子サラリーマンの独自の視点で蔵書を紹介する「博多っ子の元気書評」を立ち上げました。
(注-5)平成19年6月から、博多っ子のヘボ釣りぶりを書いた「博多っ子の釣りバカ日誌」を立ち上げました。続きを読む
2021年04月27日
生かされなかった教訓〜35年目のチェルノブイリ、そして福島
【35年前の大惨事】
みなさんは35年前の今日、世界全体を恐怖のどん底に陥れた出来ごとをご存じだろうか。
それはチェルノブイリの原発事故だ。
1986年4月26日午前1時24分、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発4号炉で原子炉停止実験が失敗、原子炉の暴走が始まり、数度の爆発で瞬く間に大量の放射能が全世界に撒き散らされた。 (写真は35年前、事故を起こした4号炉)
事故直後から数週間の間に起こったことは、事故そのものの悲惨さを上回るような出来事だった。旧ソ連政府による事故隠し。何も知らされないで捨て置かれた何十万人もの避難民の被爆。
その後も旧ソ連政府だけでなく、IAEA(国際原子力機関)を始めとする国際機関や各国政府の事故隠し。長崎・広島を経験した日本さえもその一団に加わった。事故後35年を経た今、事故そのものの記憶の風化が進んでいるが、これらの機関や政府のチェルノブイリの真実を出来るだけ小さく見せたいという意図は本質的には変わっていないように思う。
そして10年前の3月11日に東日本を襲った大地震と大津波の後、原発大国ニッポンは福島第一原発でチェルノブイリに匹敵する核惨事を引き起こした。世界中が事故の状況を心配する中、僕らだけでなく世界中の人たちが東電、経産省原子力安全・保安院、政府官邸などから発信される情報に不信感と疑念を募らせていった。その後2011年12月には、政府が「冷温停止状態」に至ったとして事故の収束宣言を出したにもかかわらず、放射能は漏れ続けフクイチの廃炉には何年かかるかわからない状況が続く中、国民の政府や原子力ムラに対する不信感は膨らむ一方だ。さらに最悪なのはこれだけの原発事故を起こしたにもかかわらず誰一人として責任を取らず、日本政府も東電も、原子力発電製造メーカーも平然と川内原子力発電を再稼働し、その後も伊方原発を再稼働、さらには玄海原発、大飯原発と次々と原発を再稼働させようとしたことだ。そして5年前の4月に起こった熊本大地震。気象庁も火山学者も過去に経験したことのない地震の広がりにお手上げの状態なのに、川内原発をストップしようともしないし、中央構造線近くに位置する伊方原発の再稼働を再考する気配さえありません。
さらに先日、政府は福島第一原発事故でメルトダウンし現在も増え続けてタンクに貯蔵し続けている放射能汚染水を2年後に海洋放出すると決定した。
【恐怖の「見えない雲」】
そして忘れてはならないのは、福島第一原発の核惨事の本当の恐怖はこれから始まるということだ。それはとりもなおさず空気、土、水、さらに加えて海の放射能汚染だ。事故当初は対外被ばくが恐怖の中心だったが、これからは食物を通じて起きる体内被曝が10年〜20年後に子供たちを中心に顕在化してくるのだ。チェルノブイリはその原発事故による大規模な放射能汚染の貴重な教訓だったのだ。
僕自身は史上最悪と言われたチェルノブイリ原発事故当時のことは今でも鮮明に覚えている。事故発生後数日経ってから北欧や欧州各地で基準値を大幅に上回る放射性物質が大気中から検出され、世界中が大騒ぎとなり、特に欧州では「見えない雲」、すなわち目には見えないが恐ろしい放射能を含んだ雲の飛来に数週間、数か月にわたって人々は怯え続けたのだ。(それらの放射性物質が日本にまで飛来していたころ、5月のゴールデンウィークの最中に東京の皇居周辺ではあの亡くなったダイアナ妃の歓迎パレードが行われていた)
そしてそれは杞憂ではなかったし、実際にチェルノブイリ周辺数百キロの地域で大規模な放射能汚染が発生、甲状腺ガンなどによる事故の直接・間接的被害による死者は数十万人から数百万人にのぼったと言われている。福島第一原発の放射能汚染の規模はチェルノブイリの10分の1と報道されているが、福島がチェルノブイリと同じ道を辿るのは間違いない。
【生かせなかった教訓】
チェルノブイリは本当に恐ろしい体験だった。チェルノブイリから数千キロも離れた日本でもそう感じたのだから、全市民が避難したキエフやヨーロッパの人々の恐怖は並大抵のものではなかったはずだ。
あれから35年。その記憶は人々の脳裏から消えていた。そして起こった福島第一原発の核惨事。教訓は生かされなかった。
あのチェルノブイリのときに味わった恐怖を原発の専門家たちだけでなく、市民である僕たちも決して忘れてはならないと3/11前まで思っていた。そして忘れたころに災難はやってきた。もう福島周辺の土地は何十年にもわたって「放射線管理区域」として容易に人が住めない地区となった。
チェルノブイリよりもまだ恐ろしいのは、未だに放射能は大気中、土壌、海に汚染を広げており、いつ止められるのかわからないこと、そして福島だけでなく、地震の多発する日本列島には54基もの原発、数千トンもの使用済核燃料を貯蔵したままの六ケ所村再処理工場があるということだ。日本という国、そしてそこに住む僕たちは生き残れるのだろうか。それにもかかわらず、政府はフクイチの事故などまるでなかったかのように、川内原発を皮切りに「粛々と」再稼働を進め、つい先日は菅政権は気候変動対策のため温室効果ガスを2050年にはゼロにするとの国際公約を掲げ、そのための手段として再生可能エネルギーとともに原発の再稼働を進めるとともに小型原子炉の開発なども進めようとしています。(そのことは巧妙に国民にはできるだけ知らせないようにしているように見えます)
このままでは次の原発の過酷事故は間違いなく日本で起こるだろう。その引き金が5年前に起こった熊本大地震のような自然災害なのか、人為的ミスによるものなのかわからない。ここ数十年日本で起こる原発事故が過酷事故スレスレから史上最悪となったフクイチ事故とエスカレートしていることを考えると、次に起こるときは福島の一部地域だけが永久に住めなくなったフクイチ事故など比べものにならないくらいの規模で日本全土、いやアジア、世界全体を緊急事態に陥らせる規模になるのではないかと危惧している。
チェルノブイリから35年経った今、チェルノブイリを超えたフクイチを作りだした僕たち日本人はこの恐るべき現実にこれから何世代にもわたって向き合っていかなければならないことを片時も忘れてはいけない。
≪参考記事≫
1.「チェルノブイリの真実」―2006年4月16日の僕のブログ記事
2.「ゴルバチョフ氏の回想」―2006年3月9日の僕のブログ記事
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2018年10月22日
同時代に生きる−高橋真梨子
【博多の女(ひと)】
カーネギーホールで歌ったことのある博多出身のボーカリストって知ってますか?そう、高橋真梨子です。
http://www.the-musix.com/mariko/top.html
その高橋真梨子のコンサートに昨年は行けなかったので今年1年ぶりにいつものサンパレスに夫婦で行ってきました。今回もファンクラブに入っているので、いい席だろうと期待していたら、今回は6列目の19、20番でした。
スクールメイツ時代からスタートして、今年で歌手デビュー45周年というバラードの女王も69歳となり、ますます乗りに乗って歌唱力も円熟味も増して他の追随を許さないレベルに達しています。 ただ、またスレンダーさを増した体型はさすがに年齢を感じさせます。
本人は歳のことをいつも気にしますが、そんなこととは関係なく、生のコンサートの醍醐味というか、ファンを中心に歌手の歌とリズムにあわせて皆が立ち上がり会場全体が一体感に包まれるところは老いも若きも一緒です。
今回はツアーにあわせて発売された「カタルシス」というアルバムに収録されている曲を中心に「ジョニーへの伝言」、「五番街のマリー」、「はがゆい唇」などおなじみの曲を織り交ぜながら楽しませてくれました。そして、後半はヒット曲である「ごめんね」等の持ち歌で少しずつ盛り上がってきて、最後はいつものとおり「グランパ」で客席は総立ち。自分も含め、いつもの真梨子さんの常連客の中高年の観客のパワーはすごいものがあります。
今回のコンサートも、中高年のファンを中心に人気が高く、今日と明日の2日間の会場となっているサンパレスは相変わらず立ち見も出るほどの盛況でした。また、最近テレビへの出演が多くなったせいか、初めて来たという方も多いようでした。
僕も大人の雰囲気とさりげなさを持ち、世界にも通用する歌唱力を持つ彼女は、博多っ子として大ファンです。そう、彼女は博多っ子の元気の源なのです。
【根強いファンの支持】
いつものことですが、真梨子さんは博多に帰ってくると本当にリラックスして唄えるようです。毎回真梨子さんは博多に「戻ってくる」のが楽しみという語りでコンサートが始まります。今回も長いこと自分を支え続けている博多のファンに最後に感謝して締めくくりました。
それもそのはず、真梨子さんは博多出身で、小学校も大楠小学校出身。後輩には氷川きよし、森口博子がいたそうです。その他にも博多からは井上陽水や浜崎あゆみなど有名な歌手が多数輩出していています。
そんな博多を愛する真梨子さんを前に、コンサートが始まってしばらくは静かだった観客も、最後はみんな立ちあがって、会場はずっと熱気に包まれていました。真梨子さんは69歳、ヘンリーさんも74歳、ヘンリーバンドの平均年齢も50代後半から60代が中心。本人も語っているように、あと何年見られるのでしょうか、少し不安になります。
ファンのほうもヘンリーさんたちに負けず劣らずシニア層と呼ばれる60代から70代以上と見られる人ばかり。そう、僕の母が若い頃、高橋真梨子は中洲の「あざみ」という老舗のスナックの近くの彼女の母親が経営するライブハウスで「ペドロ&カプリシャス」のヴォーカルで唄っていたのです。その頃の人たちが皆そういう年代になっているのです。だから、彼女は全国でも知られていますが、博多ではシニアほどよく知っているのです。
【同時代に生きる】
さて、本人は歳のことをいつも気にしますが、そんなこととは関係なく、生のコンサートの醍醐味というか、ファンを中心に歌手の歌とリズムにあわせて皆が立ち上がり会場全体が一体感に包まれるところは老いも若きも一緒です。
10年後ならともかく、100年後にはこのコンサート会場にいる10代も70代も皆この世にはいません。その中で同時代に生きているという共感、証(あかし)を得たいという心理が自然とそうさせるのでしょう。この瞬間を精一杯生ききる・・・これって大事にしたいですね。人間いつ死ぬかわからない、だからこそ今この瞬間を大切にしたいと毎回の高橋真梨子さんのコンサートで思います。また、同時にいつも一緒に行くパートナーも大切にしなければと思いました。
昨年は結婚式とバッティングして行けませんでしたが、それ以外ではもう今年で10年近く通っているでしょうか。
また、来年もファンクラブでいい席をゲットして来たいと強く思った、秋も深まる10月半ばの高橋真梨子コンサートでした。あと何年続くか本当にわからなくなってきましたので。
2017年04月26日
生かされなかった教訓〜31年目のチェルノブイリ、そして福島
【31年前の大惨事】
みなさんは31年前の今日、世界全体を恐怖のどん底に陥れた出来ごとをご存じだろうか。
それはチェルノブイリの原発事故だ。
1986年4月26日午前1時24分、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発4号炉で原子炉停止実験が失敗、原子炉の暴走が始まり、数度の爆発で瞬く間に大量の放射能が全世界に撒き散らされた。 (写真は31年前、事故を起こした4号炉)
事故直後から数週間の間に起こったことは、事故そのものの悲惨さを上回るような出来事だった。旧ソ連政府による事故隠し。何も知らされないで捨て置かれた何十万人もの避難民の被爆。
その後も旧ソ連政府だけでなく、IAEA(国際原子力機関)を始めとする国際機関や各国政府の事故隠し。長崎・広島を経験した日本さえもその一団に加わった。事故後31年を経た今、事故そのものの記憶の風化が進んでいるが、これらの機関や政府のチェルノブイリの真実を出来るだけ小さく見せたいという意図は本質的には変わっていないように思う。
そして6年前の3月11日に東日本を襲った大地震と大津波の後、原発大国ニッポンは福島第一原発でチェルノブイリに匹敵する核惨事を引き起こした。世界中が事故の状況を心配する中、僕らだけでなく世界中の人たちが東電、経産省原子力安全・保安院、政府官邸などから発信される情報に不信感と疑念を募らせていった。その後2011年12月には、政府が「冷温停止状態」に至ったとして事故の収束宣言を出したにもかかわらず、放射能は漏れ続けフクイチの廃炉には何年かかるかわからない状況が続く中、国民の政府や原子力ムラに対する不信感は膨らむ一方だ。さらに最悪なのはこれだけの原発事故を起こしたにもかかわらず誰一人として責任を取らず、日本政府も東電も、原子力発電製造メーカーも平然と川内原子力発電を再稼働し、その後も伊方原発を再稼働、さらには玄海原発、大飯原発と次々と原発を再稼働させようとしていることだ。そして昨年4月に起こった熊本大地震。気象庁も火山学者も過去に経験したことのない地震の広がりにお手上げの状態なのに、川内原発をストップしようともしないし、中央構造線近くに位置する伊方原発の再稼働を再考する気配さえありません。
【恐怖の「見えない雲」】
そして忘れてはならないのは、福島第一原発の核惨事の本当の恐怖はこれから始まるということだ。それはとりもなおさず空気、土、水、さらに加えて海の放射能汚染だ。事故当初は対外被ばくが恐怖の中心だったが、これからは食物を通じて起きる体内被曝が5年〜10年後に子供たちを中心に顕在化してくるのだ。チェルノブイリはその原発事故による大規模な放射能汚染の貴重な教訓だったのだ。
僕自身は史上最悪と言われたチェルノブイリ原発事故当時のことは今でも鮮明に覚えている。事故発生後数日経ってから北欧や欧州各地で基準値を大幅に上回る放射性物質が大気中から検出され、世界中が大騒ぎとなり、特に欧州では「見えない雲」、すなわち目には見えないが恐ろしい放射能を含んだ雲の飛来に数週間、数か月にわたって人々は怯え続けたのだ。(それらの放射性物質が日本にまで飛来していたころ、5月のゴールデンウィークの最中に東京の皇居周辺ではあの亡くなったダイアナ妃の歓迎パレードが行われていた)
そしてそれは杞憂ではなかったし、実際にチェルノブイリ周辺数百キロの地域で大規模な放射能汚染が発生、甲状腺ガンなどによる事故の直接・間接的被害による死者は数十万人から数百万人にのぼったと言われている。福島第一原発の放射能汚染の規模はチェルノブイリの10分の1と報道されているが、福島がチェルノブイリと同じ道を辿るのは間違いない。
【生かせなかった教訓】
チェルノブイリは本当に恐ろしい体験だった。チェルノブイリから数千キロも離れた日本でもそう感じたのだから、全市民が避難したキエフやヨーロッパの人々の恐怖は並大抵のものではなかったはずだ。
あれから31年。その記憶は人々の脳裏から消えていた。そして起こった福島第一原発の核惨事。教訓は生かされなかった。
あのチェルノブイリのときに味わった恐怖を原発の専門家たちだけでなく、市民である僕たちも決して忘れてはならないと3/11前まで思っていた。そして忘れたころに災難はやってきた。もう福島周辺の土地は何十年にもわたって「放射線管理区域」として容易に人が住めない地区となった。
チェルノブイリよりもまだ恐ろしいのは、未だに放射能は大気中、土壌、海に汚染を広げており、いつ止められるのかわからないこと、そして福島だけでなく、地震の多発する日本列島には54基もの原発、3千トンもの使用済核燃料を貯蔵したままの六ケ所村再処理工場があるということだ。日本という国、そしてそこに住む僕たちは生き残れるのだろうか。それにもかかわらず、政府はフクイチの事故などまるでなかったかのように、川内原発を皮切りに「粛々と」再稼働を進めようとしている。今年中には玄海原発も再稼働するとみられている。伊万里市など周辺自治体に反対するところもあり、避難計画も不完全のままだというのに。信じられないことだ。このままでは次の原発の過酷事故は間違いなく日本で起こるだろう。その引き金が昨年起こった熊本大地震のような自然災害なのか、人為的ミスによるものなのかわからない。ここ数十年日本で起こる原発事故が過酷事故スレスレから史上最悪となったフクイチ事故とエスカレートしていることを考えると、次に起こるときは福島の一部地域だけが永久に住めなくなったフクイチ事故など比べものにならないくらいの規模で日本全土、いやアジア、世界全体を緊急事態に陥らせる規模になるのではないかと危惧している。
チェルノブイリから31年経った今、チェルノブイリを超えたフクイチを作りだした僕たち日本人はこの恐るべき現実にこれから何世代にもわたって向き合っていかなければならないことを片時も忘れてはいけない。
≪参考記事≫
1.「チェルノブイリの真実」―2006年4月16日の僕のブログ記事
2.「ゴルバチョフ氏の回想」―2006年3月9日の僕のブログ記事
今日の記事参考になりましたか?もしよかったらポチっと一票お願いします。
2016年10月30日
同時代に生きる−高橋真梨子
【博多の女(ひと)】
カーネギーホールで歌ったことのある博多出身のボーカリストって知ってますか?そう、高橋真梨子です(彼女のオフィシャルサイトはここをクリック!)。 その高橋真梨子のコンサートにまた今年も性懲りもなく行ってきました。今回もファンクラブに入っているので、いい席だろうと期待していたら、今回は15列目の40番。昨年は3列目の33番だったのでかなり後退しました。友人のMさんは2列目だったので近くてよく見えたと言ってました。
スクールメイツ時代からスタートして、今年で芸能生活50周年というバラードの女王も67歳となり、ますます乗りに乗って歌唱力も円熟味も増して他の追随を許さないレベルに達しています。
本人は歳のことをいつも気にしますが、そんなこととは関係なく、生のコンサートの醍醐味というか、ファンを中心に歌手の歌とリズムにあわせて皆が立ち上がり会場全体が一体感に包まれるところは老いも若きも一緒です。
今回は「死ぬまで一緒に」、「ミスターサマータイム」、スクール目メイツ時代の同僚だった森慎一の「襟裳岬」の3曲を皮切りに「五番街のマリー」や「はがゆい唇」などおなじみの曲を織り交ぜて楽しませてくれました。一通り歌い終わった後に、真梨子さんがお「化粧直し」をしている間にヘンリーバンドのエンターテインメントが入りました。そして、後半はヒット曲である「ごめんね」等の持ち歌で少しずつ盛り上がってきて、最後はいつものとおり「グランパ」で客席は総立ち。自分も含め、いつもの真梨子さんの常連客の中高年の観客のパワーはすごいものがあります。
今回のコンサートも、中高年のファンを中心に人気が高く、今日と明日の2日間の会場となっているサンパレスは相変わらず立ち見も出るほどの盛況でした。僕も大人の雰囲気とさりげなさを持ち、世界にも通用する歌唱力を持つ彼女は、博多っ子として大ファンです。そう、彼女は博多っ子の元気の源なのです。
【根強いファンの支持】 いつものことですが、真梨子さんは博多に帰ってくると本当にリラックスして唄えるようです。毎回真梨子さんは博多に「戻ってくる」のが楽しみという語りでコンサートが始まります。語りの中には春吉にある「花菱」という食事処から出前してもらった「ちゃんぽん」の話なども交え、今回も長いこと自分を支え続けている博多のファンに最後に感謝して締めくくりました。
それもそのはず、真梨子さんは博多出身で、小学校も大楠小学校出身。後輩には氷川きよし、森口博子がいたそうです。その他にも博多からは井上陽水や浜崎あゆみなど有名な歌手が多数輩出していることについて語り、自分は小者だけれど普通の歌手としてこれからも頑張りますと少し謙遜気味に語っていました。
そんな博多を愛する真梨子さんを前に、コンサートが始まってしばらくは静かだった観客も、最後はみんな立ちあがって、会場はずっと熱気に包まれていました。真梨子さんは67歳、ヘンリーさんも72歳、ヘンリーバンドの平均年齢も50代後半。あと何年見られるのでしょうか、少し不安になります。
ファンのほうもヘンリーさんたちに負けず劣らずシニア層と呼ばれる50代から60代以上と見られる人ばかり。そう、僕の母が若い頃、高橋真梨子は中洲の「あざみ」という老舗のスナックの近くの彼女の母親が経営するライブハウスで「ペドロ&カプリシャス」のヴォーカルで唄っていたのです。その頃の人たちが皆そういう年代になっているのです。だから、彼女は全国でも知られていますが、博多ではシニアほどよく知っているのです。
【同時代に生きる】
さて、コンサートでの衣装は、今回は3回。最初はシックな色のドレス、それからパンタロン姿。最後は赤のドレスでした。真梨子さんは、どちらかというとスカート姿よりもロングパンツのほうが似合いますので、一番乗って歌っていたパンタロン姿が一番よかったです。
本人は歳のことをいつも気にしますが、そんなこととは関係なく、生のコンサートの醍醐味というか、ファンを中心に歌手の歌とリズムにあわせて皆が立ち上がり会場全体が一体感に包まれるところは老いも若きも一緒です。
10年後ならともかく、100年後にはこのコンサート会場にいる10代も70代も皆この世にはいません。その中で同時代に生きているという共感、証(あかし)を得たいという心理が自然とそうさせるのでしょう。この瞬間を精一杯生ききる・・・これって大事にしたいですね。人間いつ死ぬかわからない、だからこそ今この瞬間を大切にしたいと毎回の高橋真梨子さんのコンサートで思います。また、同時にいつも一緒に行くパートナーも大切にしなければと思いました。
また、来年もファンクラブでいい席をゲットして来たいと強く思った、秋も深まる10月半ばの高橋真梨子コンサートでした。
2016年04月26日
生かされなかった教訓〜30年目のチェルノブイリ、そして福島
【30年前の大惨事】
みなさんは30年前の今日、世界全体を恐怖のどん底に陥れた出来ごとをご存じだろうか。
それはチェルノブイリの原発事故だ。
1986年4月26日午前1時24分、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発4号炉で原子炉停止実験が失敗、原子炉の暴走が始まり、数度の爆発で瞬く間に大量の放射能が全世界に撒き散らされた。 (写真は30年前、事故を起こした4号炉)
事故直後から数週間の間に起こったことは、事故そのものの悲惨さを上回るような出来事だった。旧ソ連政府による事故隠し。何も知らされないで捨て置かれた何十万人もの避難民の被爆。
その後も旧ソ連政府だけでなく、IAEA(国際原子力機関)を始めとする国際機関や各国政府の事故隠し。長崎・広島を経験した日本さえもその一団に加わった。事故後29年を経た今、事故そのものの記憶の風化が進んでいるが、これらの機関や政府のチェルノブイリの真実を出来るだけ小さく見せたいという意図は本質的には変わっていないように思う。
そして5年前の3月11日に東日本を襲った大地震と大津波の後、原発大国ニッポンは福島第一原発でチェルノブイリに匹敵する核惨事を引き起こした。世界中が事故の状況を心配する中、僕らだけでなく世界中の人たちが東電、経産省原子力安全・保安院、政府官邸などから発信される情報に不信感と疑念を募らせていった。その後2011年12月には、政府が「冷温停止状態」に至ったとして事故の収束宣言を出したにもかかわらず、放射能は漏れ続けフクイチの廃炉には何年かかるかわからない状況が続く中、国民の政府や原子力ムラに対する不信感は膨らむ一方だ。さらに最悪なのはこれだけの原発事故を起こしたにもかかわらず誰一人として責任を取らず、日本政府も東電も、原子力発電製造メーカーも平然と川内原子力発電を再稼働し、これから伊方原発、大飯原発と次々と原発を再稼働させようとしていることだ。その最中に起こった熊本大地震。気象庁も火山学者も過去に経験したことのない地震の広がりにお手上げの状態なのに、川内原発をストップしようともしないし、中央構造線近くに位置する伊方原発の再稼働を再考する気配さえありません。
【恐怖の「見えない雲」】
そして忘れてはならないのは、福島第一原発の核惨事の本当の恐怖はこれから始まるということだ。それはとりもなおさず空気、土、水、さらに加えて海の放射能汚染だ。事故当初は対外被ばくが恐怖の中心だったが、これからは食物を通じて起きる体内被曝が5年〜10年後に子供たちを中心に顕在化してくるのだ。チェルノブイリはその原発事故による大規模な放射能汚染の貴重な教訓だったのだ。
僕自身は史上最悪と言われたチェルノブイリ原発事故当時のことは今でも鮮明に覚えている。事故発生後数日経ってから北欧や欧州各地で基準値を大幅に上回る放射性物質が大気中から検出され、世界中が大騒ぎとなり、特に欧州では「見えない雲」、すなわち目には見えないが恐ろしい放射能を含んだ雲の飛来に数週間、数か月にわたって人々は怯え続けたのだ。(それらの放射性物質が日本にまで飛来していたころ、5月のゴールデンウィークの最中に東京の皇居周辺ではあの亡くなったダイアナ妃の歓迎パレードが行われていた)
そしてそれは杞憂ではなかったし、実際にチェルノブイリ周辺数百キロの地域で大規模な放射能汚染が発生、甲状腺ガンなどによる事故の直接・間接的被害による死者は数十万人から数百万人にのぼったと言われている。福島第一原発の放射能汚染の規模はチェルノブイリの10分の1と報道されているが、福島がチェルノブイリと同じ道を辿るのは間違いない。
【生かせなかった教訓】
チェルノブイリは本当に恐ろしい体験だった。チェルノブイリから数千キロも離れた日本でもそう感じたのだから、全市民が避難したキエフやヨーロッパの人々の恐怖は並大抵のものではなかったはずだ。
あれから30年。その記憶は人々の脳裏から消えていた。そして起こった福島第一原発の核惨事。教訓は生かされなかった。
あのチェルノブイリのときに味わった恐怖を原発の専門家たちだけでなく、市民である僕たちも決して忘れてはならないと3/11前まで思っていた。そして忘れたころに災難はやってきた。もう福島周辺の土地は何十年にもわたって「放射線管理区域」として容易に人が住めない地区となった。
チェルノブイリよりもまだ恐ろしいのは、未だに放射能は大気中、土壌、海に汚染を広げており、いつ止められるのかわからないこと、そして福島だけでなく、地震の多発する日本列島には54基もの原発、3千トンもの使用済核燃料を貯蔵したままの六ケ所村再処理工場があるということだ。日本という国、そしてそこに住む僕たちは生き残れるのだろうか。それにもかかわらず、政府はフクイチの事故などまるでなかったかのように、川内原発を皮切りに「粛々と」再稼働を進めようとしている。信じられないことだ。このままでは次の原発の過酷事故は間違いなく日本で起こるだろう。その引き金が先日起こった熊本大地震のような自然災害なのか、人為的ミスによるものなのかわからない。ここ数十年日本で起こる原発事故が過酷事故スレスレから史上最悪となったフクイチ事故とエスカレートしていることを考えると、次に起こるときは福島の一部地域だけが永久に住めなくなったフクイチ事故など比べものにならないくらいの規模で日本全土、いやアジア、世界全体を緊急事態に陥らせる規模になるのではないかと危惧している。
チェルノブイリから30年経った今、チェルノブイリを超えたフクイチを作りだした僕たち日本人はこの恐るべき現実にこれから何世代にもわたって向き合っていかなければならないことを片時も忘れてはいけない。
≪参考記事≫
1.「チェルノブイリの真実」―2006年4月16日の僕のブログ記事
2.「ゴルバチョフ氏の回想」―2006年3月9日の僕のブログ記事
今日の記事参考になりましたか?もしよかったらポチっと一票お願いします。
2015年10月17日
同時代に生きる−高橋真梨子
【博多の女(ひと)】
カーネギーホールで歌ったことのある博多出身のボーカリストって知ってますか?そう、高橋真梨子です(彼女のオフィシャルサイトはここをクリック!)。
その高橋真梨子のコンサートにまた今年も性懲りもなく行ってきました。今回もファンクラブに入っているので、いい席だろうと期待していたら、なんと3列目の33番。近くてよく見えます。
今年のコンサートのタイトルは「Cla Chic」。昭和の時代のなつかしい曲、クラシック曲を真梨子風にアレンジした歌を中心に構成したそうです。まず、3曲歌った後に真梨子さんがいつも通り、マイクを持って客席にご挨拶。その後に「Cla Chic」のアルバムの中から新曲を一通り歌った後、真梨子さんがお化粧直しをしている間にヘンリーバンドのエンターテインメントが入りました。そして、後半はヒット曲である「五番街のマリー」や「ごめんね」等の持ち歌で少しずつ盛り上がってきて、最後は「グランパ」で客席は総立ち。自分も含め、いつもの真梨子さんの常連客の中高年の観客のパワーはすごいものがあります。
今回のコンサートも、中高年のファンを中心に人気が高く、今日と明日の2日間の会場となっているサンパレスは相変わらず立ち見も出るほどの盛況でした。僕も大人の雰囲気とさりげなさを持ち、世界にも通用する歌唱力を持つ彼女は、博多っ子として大ファンです。そう、彼女は博多っ子の元気の源なのです。
【根強いファンの支持】
いつものことですが、真梨子さんは博多に帰ってくると本当にリラックスして唄えるようです。毎回真梨子さんは博多に「戻ってくる」のが楽しみという語りでコンサートが始まります。今回は長いこと自分を支え続けている博多のファンに最後に感謝して締めくくりました。
それもそのはず、真梨子さんは博多出身で、小学校も大楠小学校出身。後輩には氷川きよし、森口博子がいたそうです。その他にも博多からは井上陽水や浜崎あゆみなど有名な歌手が多数輩出していることについて語り、自分は小者だけれど普通の歌手としてこれからも頑張りますと少し謙遜気味に語っていました。
そんな博多を愛する真梨子さんを前に、コンサートが始まってしばらくは静かだった観客も、最後はみんな立ちあがって、会場はずっと熱気に包まれていました。真梨子さんは66歳、ヘンリーさんも72歳、ヘンリーバンドの平均年齢も56代。あと何年見られるのでしょうか、少し不安になります。
ファンのほうもヘンリーさんたちに負けず劣らずシニア層と呼ばれる50代から60代以上と見られる人ばかり。そう、僕の母が若い頃、高橋真梨子は中洲の「あざみ」という老舗のスナックの近くの彼女の母親が経営するライブハウスで「ペドロ&カプリシャス」のヴォーカルで唄っていたのです。その頃の人たちが皆そういう年代になっているのです。だから、彼女は全国でも知られていますが、博多ではシニアほどよく知っているのです。
【同時代に生きる】
さて、コンサートでの衣装は、今回は3回。最初はシックな色のドレス、それからパンタロン姿。最後は白のドレスでした。真梨子さんは、どちらかというとスカート姿よりもロングパンツのほうが似合いますので、一番乗って歌っていたパンタロン姿が一番よかったです。
本人は歳のことをいつも気にしますが、そんなこととは関係なく、生のコンサートの醍醐味というか、ファンを中心に歌手の歌とリズムにあわせて皆が立ち上がり会場全体が一体感に包まれるところは老いも若きも一緒です。
10年後ならともかく、100年後にはこのコンサート会場にいる10代も70代も皆この世にはいません。その中で同時代に生きているという共感、証(あかし)を得たいという心理が自然とそうさせるのでしょう。この瞬間を精一杯生ききる・・・これって大事にしたいですね。人間いつ死ぬかわからない、だからこそ今この瞬間を大切にしたいと毎回の高橋真梨子さんのコンサートで思います。また、同時にいつも一緒に行くパートナーも大切にしなければと思いました。
また、来年もファンクラブでいい席をゲットして来たいと強く思った、秋も深まる10月半ばの高橋真梨子コンサートでした。
2015年04月26日
生かされなかった教訓―29年目のチェルノブイリ
【29年前の大惨事】
みなさんは29年前の今日、世界全体を恐怖のどん底に陥れた出来ごとをご存じだろうか。
それはチェルノブイリの原発事故だ。
1986年4月26日午前1時24分、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発4号炉で原子炉停止実験が失敗、原子炉の暴走が始まり、数度の爆発で瞬く間に大量の放射能が全世界に撒き散らされた。 (写真は29年前、事故を起こした4号炉)
事故直後から数週間の間に起こったことは、事故そのものの悲惨さを上回るような出来事だった。旧ソ連政府による事故隠し。何も知らされないで捨て置かれた何十万人もの避難民の被爆。
その後も旧ソ連政府だけでなく、IAEA(国際原子力機関)を始めとする国際機関や各国政府の事故隠し。長崎・広島を経験した日本さえもその一団に加わった。事故後29年を経た今、事故そのものの記憶の風化が進んでいるが、これらの機関や政府のチェルノブイリの真実を出来るだけ小さく見せたいという意図は本質的には変わっていないように思う。
そして4年前の3月11日に東日本を襲った大地震と大津波の後、原発大国ニッポンは福島第一原発でチェルノブイリに匹敵する核惨事を引き起こした。世界中が事故の状況を心配する中、僕らだけでなく世界中の人たちが東電、経産省原子力安全・保安院、政府官邸などから発信される情報に不信感と疑念を募らせていった。その後2011年12月には、政府が「冷温停止状態」に至ったとして事故の収束宣言を出したにもかかわらず、放射能は漏れ続けフクイチの廃炉には何年かかるかわからない状況が続く中、国民の政府や原子力ムラに対する不信感は膨らむ一方だ。
【恐怖の「見えない雲」】
しかし、福島第一原発の核惨事の本当の恐怖はこれから始まる。それはとりもなおさず空気、土、水、さらに加えて海の放射能汚染だ。事故当初は対外被ばくが恐怖の中心だったが、これからは食物を通じて起きる体内被曝が5年〜10年後に子供たちを中心に顕在化してくるのだ。チェルノブイリはその原発事故による大規模な放射能汚染の貴重な教訓だったのだ。
僕自身は史上最悪と言われたチェルノブイリ原発事故当時のことは今でも鮮明に覚えている。事故発生後数日経ってから北欧や欧州各地で基準値を大幅に上回る放射性物質が大気中から検出され、世界中が大騒ぎとなり、特に欧州では「見えない雲」、すなわち目には見えないが恐ろしい放射能を含んだ雲の飛来に数週間、数か月にわたって人々は怯え続けたのだ。(それらの放射性物質が日本にまで飛来していたころ、5月のゴールデンウィークの最中に東京の皇居周辺ではあの亡くなったダイアナ妃の歓迎パレードが行われていた)
そしてそれは杞憂ではなかったし、実際にチェルノブイリ周辺数百キロの地域で大規模な放射能汚染が発生、甲状腺ガンなどによる事故の直接・間接的被害による死者は数十万人から数百万人にのぼったと言われている。福島第一原発の放射能汚染の規模はチェルノブイリの10分の1と報道されているが、福島がチェルノブイリと同じ道を辿るのは間違いない。
【生かせなかった教訓】
チェルノブイリは本当に恐ろしい体験だった。チェルノブイリから数千キロも離れた日本でもそう感じたのだから、全市民が避難したキエフやヨーロッパの人々の恐怖は並大抵のものではなかったはずだ。
あれから29年。その記憶は人々の脳裏から消えていた。そして起こった福島第一原発の核惨事。教訓は生かされなかった。
あのチェルノブイリのときに味わった恐怖を原発の専門家たちだけでなく、市民である僕たちも決して忘れてはならないと3/11前まで思っていた。そして忘れたころに災難はやってきた。もう福島周辺の土地は何十年にもわたって「放射線管理区域」として容易に人が住めない地区となった。
チェルノブイリよりもまだ恐ろしいのは、未だに放射能は大気中、土壌、海に汚染を広げており、いつ止められるのかわからないこと、そして福島だけでなく、地震の多発する日本列島には54基もの原発、3千トンもの使用済核燃料を貯蔵したままの六ケ所村再処理工場があるということだ。日本という国、そしてそこに住む僕たちは生き残れるのだろうか。それにもかかわらず、政府はフクイチの事故などまるでなかったかのように、川内原発を皮切りに「粛々と」再稼働を進めようとしている。信じられないことだ。このままでは次の原発の過酷事故は間違いなく日本で起こるだろう。そしてここ数十年日本で起こる原発事故が過酷事故スレスレから史上最悪となったフクイチ事故とエスカレートしていることを考えると、次に起こるときは福島の一部地域だけが永久に住めなくなったフクイチ事故など比べものにならないくらいの規模で日本全土、いやアジア、世界全体を緊急事態に陥らせる規模になるのではないかと危惧している。
チェルノブイリから29年経った今、チェルノブイリを超えたフクイチを作りだした僕たち日本人はこの恐るべき現実にこれから何世代にもわたって向き合っていかなければならないことを片時も忘れてはいけない。
≪参考記事≫
1.「チェルノブイリの真実」―2006年4月16日の僕のブログ記事
2.「ゴルバチョフ氏の回想」―2006年3月9日の僕のブログ記事
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2014年07月03日
さあ、山笠シーズンの到来だ!!!
【飾り山の御神入れ】
櫛田神社での「御神入れ」の神事も終わり、いよいよ今月から博多の各場所で飾り山が公開されて山笠の本番シーズンとなりました。『773年の伝統を誇る博多の夏祭り「博多祇園山笠」が1日、開幕し、きらびやかな「飾り山笠」が商店街や駅など福岡市内の14カ所で一斉に公開された。飾り山笠は14日夜まで展示される。勇壮に街中を駆け巡る「舁(か)き山笠」は10日に始動。クライマックスとなる15日早朝の「追い山」まで、福博の街は熱くなる。
博多川端商店街(同市博多区)では、「走る飾り山笠」として人気を博し、今年で創立50周年を迎える八番山笠・上川端通(武内照臣総務)の山笠が披露された。表には、勇ましい武蔵坊弁慶と華麗な源義経が登場する「船弁慶」を情緒たっぷりに表現している。』(7月1日付西日本新聞)
【雨と山笠】
今年の博多の梅雨は例年よりも少し少なめとなっています。山笠とは、そもそも承天寺というお寺を開山した聖一国師が1241年に疫病退散を祈願し、施餓鬼棚に乗って町中を回ったのがその起源という通説があり、災害や疫病の発生しやすい時期にその防除を祈る祭りです。でも、少なめではあっても雨の降り具合からすると今年はどうやら山笠で雨乞いをする必要はなさそうですね。
【これから15日間、博多は燃えますぞ!】
さあ、760年以上にわたって続いている神事、山笠のクライマックスの15日間。博多の男たちは日々テンションを高めていって、7月15日の追い山を迎えます。例年であれば、追い山が終わるとうっとうしかった(博多弁では「しろしかった」と言います)梅雨の空がカーッと晴れ上がって真夏がやってくるのですが、これからもしばらく梅雨空が続いて舁き山の男たちの汗を流してくれることでしょう。
【山笠のサイト紹介】
博多山笠のサイトを検索するといろいろな趣向を凝らしたサイトが出てきます。いくつか「これいいなあ」と思えるものを紹介しますので山笠理解の一助にしてください。
1.「博多祇園山笠」〜博多祇園山笠公式サイト
2.「山笠の達人になろう2008」〜CLUB九州 2008 山笠プロジェクトのページです。結構凝っていてオススメのサイトです。
2014年04月26日
生かされなかった教訓―28年目のチェルノブイリ 1
【28年前の大惨事】
みなさんは28年前の今日、世界全体を恐怖のどん底に陥れた出来ごとをご存じだろうか。
それはチェルノブイリの原発事故だ。
1986年4月26日午前1時24分、旧ソ連ウクライナのチェルノブイリ原発4号炉で原子炉停止実験が失敗、原子炉の暴走が始まり、数度の爆発で瞬く間に大量の放射能が全世界に撒き散らされた。 (写真は28年前、事故を起こした4号炉)
事故直後から数週間の間に起こったことは、事故そのものの悲惨さを上回るような出来事だった。旧ソ連政府による事故隠し。何も知らされないで捨て置かれた何十万人もの避難民の被爆。
その後も旧ソ連政府だけでなく、IAEA(国際原子力機関)を始めとする国際機関や各国政府の事故隠し。長崎・広島を経験した日本さえもその一団に加わった。事故後28年を経た今、事故そのものの記憶の風化が進んでいるが、これらの機関や政府のチェルノブイリの真実を出来るだけ小さく見せたいという意図は本質的には変わっていないように思う。
そして3年前の3月11日に東日本を襲った大地震と大津波の後、原発大国ニッポンは福島第一原発でチェルノブイリに匹敵する核惨事を引き起こした。世界中が事故の状況を心配する中、僕らだけでなく世界中の人たちが東電、経産省原子力安全・保安院、政府官邸などから発信される情報に不信感と疑念を募らせていった。その後2011年12月には、政府が「冷温停止状態」に至ったとして事故の収束宣言を出したにもかかわらず、放射能は漏れ続けフクイチの廃炉には何年かかるかわからない状況が続く中、国民の政府や原子力ムラに対する不信感は膨らむ一方だ。
【恐怖の「見えない雲」】
しかし、福島第一原発の核惨事の本当の恐怖はこれから始まる。それはとりもなおさず空気、土、水、さらに加えて海の放射能汚染だ。事故当初は対外被ばくが恐怖の中心だったが、これからは食物を通じて起きる体内被曝が5年〜10年後に子供たちを中心に顕在化してくるのだ。チェルノブイリはその原発事故による大規模な放射能汚染の貴重な教訓だったのだ。
僕自身は史上最悪と言われたチェルノブイリ原発事故当時のことは今でも鮮明に覚えている。事故発生後数日経ってから北欧や欧州各地で基準値を大幅に上回る放射性物質が大気中から検出され、世界中が大騒ぎとなり、特に欧州では「見えない雲」、すなわち目には見えないが恐ろしい放射能を含んだ雲の飛来に数週間、数か月にわたって人々は怯え続けたのだ。(それらの放射性物質が日本にまで飛来していたころ、5月のゴールデンウィークの最中に東京の皇居周辺ではあの亡くなったダイアナ妃の歓迎パレードが行われていた)
そしてそれは杞憂ではなかったし、実際にチェルノブイリ周辺数百キロの地域で大規模な放射能汚染が発生、甲状腺ガンなどによる事故の直接・間接的被害による死者は数十万人から数百万人にのぼったと言われている。福島第一原発の放射能汚染の規模はチェルノブイリの10分の1と報道されているが、福島がチェルノブイリと同じ道を辿るのは間違いない。
【生かせなかった教訓】
チェルノブイリは本当に恐ろしい体験だった。チェルノブイリから数千キロも離れた日本でもそう感じたのだから、全市民が避難したキエフやヨーロッパの人々の恐怖は並大抵のものではなかったはずだ。
あれから28年。その記憶は人々の脳裏から消えていた。そして起こった福島第一原発の核惨事。教訓は生かされなかった。
あのチェルノブイリのときに味わった恐怖を原発の専門家たちだけでなく、市民である僕たちも決して忘れてはならないと3/11前まで思っていた。そして忘れたころに災難はやってきた。もう福島周辺の土地は何十年にもわたって「放射線管理区域」として容易に人が住めない地区となった。
チェルノブイリよりもまだ恐ろしいのは、未だに放射能は大気中、土壌、海に汚染を広げており、いつ止められるのかわからないこと、そしてもしも福島で次の大地震が起これば四号機に残された千本以上の核燃料棒の入ったプールが建屋ごと崩壊し、フクイチの何倍、何十倍という大量の放射能放出の可能性が残っているということだ。しかも、福島だけでなく、地震の多発する日本列島には54基もの原発、3千トンもの使用済核燃料を貯蔵したままの六ケ所村再処理工場があるということだ。日本という国、そしてそこに住む僕たちは生き残れるのだろうか。
チェルノブイリから28年経った今、チェルノブイリを超えたフクイチを作りだした僕たち日本人はこの恐るべき現実にこれから何世代にもわたって向き合っていかなければならないことを片時も忘れてはいけない。
≪参考記事≫
1.「チェルノブイリの真実」―2006年4月16日の僕のブログ記事
2.「ゴルバチョフ氏の回想」―2006年3月9日の僕のブログ記事
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2014年04月05日
市民を愚弄する国家の犯罪―放射性物質の拡散予測非公開
2011年4月6日の僕のブログ記事を再度掲載します。事故から1カ月あまり経って出てきた気象庁による放射性物質の拡散予測。ドイツ気象庁や台湾の気象庁など世界のいくつもの機関が福島第一原発の事故後の放射能の拡散予測をすでにネット上に流していたのに、事故の当事国の日本政府だけが市民を無視して情報を出していなかった。
あのとき、ハラワタが煮えくりかえるような怒りを覚えたのを記憶しています。市民を見殺しにする政府。これはいつか来た道ではないでしょうか。
彼らが忘れているのは、放射能被害は自分たちにもいづれ降りかかってくると言うことです。今でもその傲慢ぶりは原子力ムラを形作る自民党政権も官僚も大手メディアも御用学者たちもみな変わっていないと思うのはぼくだけでしょうか?
以下はその怒りのブログ記事です。
【ようやく公開】
気象庁がようやく公開に踏み切りました。
『気象庁は5日、東京電力福島第1原発の事故を受けて、国際原子力機関(IAEA)に提供している放射性物質の拡散予測を公表した。枝野幸男官房長官の指示を受けた対応だが、より詳細な政府の予測システム「SPEEDI」の情報は、1度公開されて以降は非公表というちぐはぐな対応となっている。
※写真はドイツ気象庁の予測
気象庁は、世界気象機関(WMO)が86年のチェルノブイリ原発事故を受けて作った枠組みに基づき、事故直後から4日までに計23回、IAEAに情報提供した。予測の基になるデータは放射性物質放出の実測値でなく、IAEAが示す仮定の条件を使っている。
同庁は「予測は周辺国への影響を調べるためのもの。100キロ四方ごとに計算した大ざっぱなもので、国内の原子力防災に利用できるものではないと考えている」と説明する。
気象庁は今後、予測を不定期に同庁ホームページに掲載するが、「実態を表したものではないので注意してほしい」としている。』(4月5日付毎日新聞)
【市民を愚弄する政府】
一体、こんな先進国がどこに存在するのでしょうか。先ず自らの市民、自らの国民に具体的なデータを提供して、市民を守るのが国家というものではないのでしょうか。こんなことが戦前も戦後もずっと当たり前としてまかり通ってきた結果のひとつがこの放射性物質の拡散予測の非公開措置だったのではないでしょうか。気象庁は「仮定の数値の為予測の精度が低い」からといった言い訳をしているようですが、ドイツや英国、オーストリア、フランスなどの気象当局や原子力関係機関は同様の予測を公開しており、きちんと説明して公開すればいいことだと思います。
※写真は台湾政府の公表した予測図
そもそもこれほどインターネットでの情報がどこでも得られる時代に自分たちの都合のいいように情報が隠せると信じていたこと自体、市民の感覚からすれば信じられないことです。そして不安を抱えたまま市民の被ばくは広がりました。さらに情報を公開しない政府への不信感の高まりも一役買って、放射線の危険はますます流言飛語によって市民の不安感を増幅することになったのです。
国は福島第一原発の放射能に関するあらゆる情報を市民に今すぐに公開するべきです。それはもちろん今の情報だけでなく、3月11日の地震発生以降の過去も含めたすべての情報です。その際出される文書のあちこちに黒い隠ぺいの跡や必要なデータが白紙となっているようなでたらめは許されないと思います。命の危険にさらされている市民のためは言うに及ばず、世界への放射能汚染の拡大を阻止するために、世界中の英知が必要とされているときにそれらのデータが最も重要になるのですから。
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2014年04月04日
フクイチを予言した黒澤明監督の「赤富士」
今年の正月に書いたブログ記事を再掲します。
正月が明けて何気なく自分の過去の日記を見ていたら、1990年6月19日(火)に黒澤明監督の「夢」という短編映画集の中にある「赤富士」という映画の感想を書いていました。黒澤明監督も自分の作った「夢」がまさか2011年3月11日に福島で「正夢」になるとは夢にも思わなかった、いや夢で終わってほしかったと思っておられるのではないでしょうか。僕もこんなに早く現実になると思いませんでした。このとき感じた何とも言えない恐怖と怒りは今も変わりません。以下は、僕の当時の日記です。
『黒澤明監督の「夢」を観た。「乱」や「影武者」を見たときのように素晴らしい映像だった。そして未来を予感させる"何か"がそこにはあった。巨匠としての遊び心も失っていないのが感じられた。
それは原子力発電所の爆発をモチーフにしていた。このモチーフは今、心ある市民が等しく抱いている恐怖だろう。それは核戦争よりもリアリティがある。何故ならちょっとした事故で起こる可能性があるからだ。
富士のふもとで6つの炉が爆発し、赤く焦がれる空。猛烈な熱で溶け始める富士。逃げ惑う市民。

しかし、誰もどうすることも出来ない。原子力推進に関わったと自称する背広姿の男が「私」と子ども2人を抱えた主婦に言う。
逃げ場を失った市民は海に集団で飛び込み自殺をする。じわじわと放射能で殺されるよりは自ら死を選んだのだ。こんなバカな話があるか。「推進を叫んできた奴らを縛り首にしないと死ねない。」と叫ぶ主婦に背広の男は言う。「その必要はない。奴らも逃げ場はないのだ。」と。
今の日本のどうしようもない状況をこれほどはっきりと語るものはない。
何故奴らは原子力をやめられないのか。彼等にあるのは自分をいかに守るかということだけだ。通産省の役人は一体何をしているんだ。彼らにはこれほどせっぱつまった状況を変えることは出来ないだろう。原子力産業の圧力の前に何一つ抗することも出来ないのだ。それでも自称エリート官僚か。市民の声を平気で黙殺するような役人なんか必要ない。何のための官僚か。何のための国家か。 』 (1990年6月19日付の日記)
《参考》
・「夢〜赤富士」のYou tube のダイジェスト版画像 ⇒ http://www.youtube.com/watch?v=wG86gCsbmsg
2014年04月03日
第二の敗戦―福島第一原発と国際支援の意味するもの
今日は再び3年前の僕のブログ記事をアップします。2011年3月31日の産経新聞の記事によると、フランス原子力大手のアレバ社のCEOが海江田経産相を訪問したことが伝えられていました。このときは、まだまだ福島第一原発の危機的な状況は続いていたので海外からのどんな支援も必要としていました。しかし、アレバの思惑はもちろん、支援によって何とかフクイチ事故が世界の原子力市場に出来るだけ悪影響を及ぼさないようにしたいと考えていたことは間違いありません。
以下は、僕の2011年4月2日の記事です。
【アレバも救援】
フランスからサルコジ大統領が来日、菅首相と会談するとの歩調を合わせてフランスの原子力大手企業「アレバ」も動きました。
『東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所の事故を受けて、仏原子力大手アレバのアンヌ・ロベルジョン最高経営責任者(CEO)は31日、経済産業省で海江田万里経産相と会談した。ロベルジョンCEOは「日本が必要とするなら、いくらでも専門家を派遣する」として、事態の収束に全面協力する意向を示した。
ロベルジョンCEOは会談で、アレバが米スリーマイル島での原発事故で燃料棒取り出しにあたったことや、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故、英国での軍施設での事故にも対応した経験があることを明らかにし、「日本にアドバイスできるよう努力したい」と述べた。』(3月31日付産経新聞)
【国際支援の広がり】
フランスだけではありません。アメリカは事故当初から空母等の艦艇を中心に放射能汚染に対応できる軍隊が全面的に応援に来ています。また放射線防護服などだけでなく31日には海兵隊の放射能専門部隊約140人の派遣も決めました。国際原子力機関(IAEA)もすでに天野事務局長を先頭に放射線の専門家が大勢来日して活動するなど、国際的な支援は日を追うごとに広がっています。
4つの原子炉と使用済核燃料プールが損傷し、大量の汚染水のためそれらの冷却が思うに任せない中、事故から3週間近く経った今でもさらなる放射能汚染の拡大が心配されており、国際的支援によってこの危機を乗り切ることが最後のカードとなるでしょう。そういう意味で今はとにかく各国の動きに感謝しなければいけないと思います。
【複眼思考】
しかしながら、同時にこれらの国際支援の広がりは今後の原子力発電の方向性に深く関わっていることも忘れてはならないと思います。すなわち、原子力大国のフランスはこれ以上日本の福島第一原発事故が深刻になり、世界の原発市場が委縮することを懸念しており、アレパが全面協力するのも自国の原子力産業にとっての死活問題と捉えているからです。
また、アメリカのオバマ大統領は30日に今後のエネルギー政策について演説し、「米国は電力の5分の1を原子力エネルギーから得ている。原子力には大気中の二酸化炭素を増やすことなく電力を作る重要な能力がある」と指摘して、原発推進の姿勢を堅持する考えを表明しています。米国が早々に日本への全面協力を打ち出し、実際に「ともだち作戦」と銘打って地震・津波被害だけでなく原発事故に対しても軍人1万5千人、艦船12隻、航空機100機以上の大部隊で支援を行っている背景のひとつは自国のエネルギー政策への影響の最少化という意味もあるのです。さらには、これほどの大部隊を即座に展開できたというのは、米国が今回の福島第一原発のような原発災害あるいは核戦争による核汚染を想定した有事即応体制を整えていたからだということでもあります。
こういう動きを見ていると、まさに原子力発電というのはたんなる電力供給の問題ではなく、国家のエネルギー戦略そのもの、軍事戦略と密接に結びついていることをまざまざと見せつけられる思いです。日本国内ではガリバー的な東京電力でも、こんなとてつもない原子力という「怪物」を扱うにはあまりにも稚拙だったと言わざるを得ないでしょう。日本政府も同じです。
もうひとつ想像力を働かせて気をつけて見ておくべきことがあります。それは今後事故の鎮静化とともに、国際的な動きと相まって、今は息をひそめているものの、原発見直しの動きを阻止しようとする原子力産業界とそれを擁護する政府官僚組織の執拗な反撃が強まってくるだろうということです。(これから出てくるニュースを注意しておいてください)
住民や市民の命を守り、適切なエネルギーも確保していくための中長期的な方向性をどこに定めたらいいのか、どの人間が人間として信用できるのか、よくよく見定めていく必要があると思います。市民の命などものともしない人間の醜悪な姿が紳士然とした背広の背後に潜んでいるのを見抜いていかないといけません。
例えば31日に、青森県六ケ所の再処理施設を運営する日本原燃(株)の川井吉彦氏(東電出身)が、まだ福島第一原発事故がどうなるかわからないという今の時点で早々に「原発は今後も資源の乏しい日本には必要だ。これからも原発は推進していかなければならない。」と記者会見したそうです。こういう人たちの言動を個人個人がよく観察しておかなければなりません。ちなみに日本原燃の会長は病気療養中の東電の清水社長だそうです。
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2014年04月02日
見直された南海トラフ地震の規模
【最大34メートル】
なんと、最大で34メールの津波の恐れがあるということです。


原子力発電所関連では、静岡県御前崎市の浜岡原発付近で、最大21.0メートルの津波が発生すると推計した。
南海トラフの巨大地震は、近い将来発生する可能性が高いと指摘されており、政府の中央防災会議は2003年、M8.6だった宝永地震(1707年)をモデルに震度や津波を予想した。しかし、東日本大震災で想定を超える災害が発生した反省を踏まえ、検討会が昨年8月から見直し作業を進めていた。』(4月1日付時事通信)
【これでも原発を動かすのか?】
内閣府の有識者検討会といえば、まさに政府からお墨付きを得ている検討会ですから、原発を推進している経済産業省と同じ「政府」そのものです。そこが南海トラフ地震の可能性について昨年の東日本大震災の結果を踏まえて再検討したのが今回の予測です。これは一体何を意味するのか?
対象となった地域の防災対策の見直しを早急にすることが必要なのは言うまでもありません。その中でも特に、対象となった地域の中にある浜岡原発と伊方原発は即刻廃炉にすべきでしょう。もう防潮堤を作るといった対応では原発の安全性が保てないのは明らかです。したがって、現在十数メートルの防潮堤を突貫工事で作っている中部電力は即刻工事を中断して地元の市町村と静岡県知事と再度協議して、浜岡原発の廃炉に向けた動きを始めるべきです。

これらは一刻の猶予も許されないと思います。南海トラフ地震はいつ来てもおかしくないと言われているわけですから、原発の廃炉だけでなく、廃炉後の使用済み核燃料の厳重保管に早急に取り組むべきでしょう。津波や地震によってフクイチの4号機のように使用済み燃料プールが崩壊寸前になれば稼働原発よりも悲惨な状況になるからです。
今回の予測のように超巨大な地震や津波のリスクがとてつもなく大きい日本では、原発の立地というのはあり得ないということが改めて日本人ひとりひとりに突きつけられたということです。これは、ある意味日本人にとって生き残るための最後のチャンスかもしれません。
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2014年04月01日
地に堕ちた東電―市場の評価
「フクシマ・アーカイブ」21日目。2年前の4月1日の報道で、東京電力の株価が連日ストップ安を繰り返し、とうとう上場来の安値である393円に近付いたと伝えていました。その時点で東電の株式時価総額は2011年3月10日の約3兆5千億円から7千4百億円に暴落しました。
2年後、東電の実質国有化が現実のものとなり、株価はアベノミクスで株式市場全体が浮かれている中、昨日の株価は416円ほどとそれほど上がっていません。柏崎刈羽原発の再稼働の見通しも立たない中、まだまだ予断を許さない状況は続くでしょう。もちろん、破たんはしていないので株券は紙くずにはなっていませんが、原発事故というものが電力会社にとっていかにリスクが高いかが企業価値を計る株価でも明確にわかります。
電力は今日々の暮らしに欠かせません。でも考えてみればたかが電力です。電力のために、一度事故を起こしたら悪魔のように暴れまわる放射性物質を鎮めるのは至難の技で、企業の存立まで脅かすようなとてつもないリスクになぜ電力会社という一私企業が向き合わなければならないのでしょうか。
東電は言うに及ばず他の電力会社の経営陣も今一度しっかりと考え抜く必要があると思います。目の前の赤字に目がくらんで、本気で原発の安全対策を施すこともしないならば、国民も市場もそんな電力会社の傲慢にもリスクにもはっきりと「NO」を突き付けるときがくるでしょう。
以下は、2011年4月1日の僕のブログ記事です。
このとき僕が思った東電や電力会社の経営陣に対する認識は今でも間違っていないと思います。原子力をなめきった東電や原子力ムラの人間たちはたとえ社会からの責任追及は逃れられても、将来人類の歴史を振り返ったとき、人類の歴史上最も大きな汚点として刻み込まれることは間違いありません。もちろんそのときその汚点として名を残すのは、東電であり、日本の他の電力会社であり、あの悪名高き電事連であることは論を待たないことはいうまでもありません。(もしも原子力によって人類が滅んでいなければですが・・・・)
【連日ストップ安】
東電が市場でも奈落の底に落ちています。
『東日本巨大地震で原発事故を起こした東京電力に対する市場の評価が厳しさを増している。
株価は連日ストップ安を繰り返し、社債の利回りも上昇(価格は下落)している。被災者への損害賠償額の規模が不透明で、東電の経営の先行きが見通せないことが原因だ。
◇ストップ安
30日の東京株式市場で、東京電力株(東証1部)は値幅制限の下限となる前日比100円安の466円まで売られ、3日連続のストップ安で取引を終えた。株価の500円割れは1962年12月28日(499円)以来、約48年ぶり。東日本巨大地震の前日の10日には終値で2153円あった株価は、わずか約3週間で旧商法時代の額面価格である500円も下回って下落し、1951年に付けた上場来安値(393円)に近づいている。
この結果、東電の株式時価総額は、10日時点の3兆4599億円から、30日は7488億円まで縮小。企業価値が8割近く失われた計算だ。』(3月30日付読売新聞)
【原発の怖さ】
今回の福島第一原発の事故は、「想定外」の地震と津波が直接の引き金だったとはいえ、原発周辺に住む方々はもちろん、近隣県、首都圏、さらには日本全国、世界まで放射能の恐怖をまき散らし続けています。それだけではありません。当然のことではありますが、電力会社の存在そのものを脅かし続けています。東電は今企業価値はなくなり、存続そのものが風前の灯です。
電力は今日々の暮らしに欠かせません。でも考えてみればたかが電力です。電力のために、一度事故を起こしたら悪魔のように暴れまわる放射性物質を鎮めるのは至難の技で、企業の存立まで脅かすようなとてつもないリスクになぜ電力会社という一私企業が向き合わなければならないのでしょうか。
東電は言うに及ばず他の電力会社の経営陣も今一度しっかりと考え抜く必要があると思います。ただ、国策だからと推進してきた原子力発電を経営のリスクという観点から見直し、国と真剣にリスクの取り方について議論すべきでしょう。
これほどの大災害が原発で起こった以上、今後政府や電力会社がいくら声高に「地球温暖化のために」「クリーンなエネルギー」として原発を増やしましょうと叫んでも、このとてつもないリスクを担保するには莫大な保険・再保険が必要となって、経済原理からますます外れ、事実上市場から原発そのものが締め出される可能性が高まっています。当然の帰結でしょう。現代資本主義社会では経済原理が社会の最も基本的な行動原理なのですから。アメリカで原発建設がなかなか進まない最大の原因は、この市場原理にあります。日本では東電が今回その最初のケースになったと思います。
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2014年03月31日
菅首相の率先視察をどう見るか―福島第一原発
それにしても3年経った今も安倍自民党政権は、被災地のことも、次の地震が来れば日本を崩壊させかねない福島第一原発のことも「すべてはコントロールされている」という嘘だらけの安部首相の公言を金科玉条のように崇め奉り、被災した方々の心情や心配は黙殺し、危険な原発をなくすどころか次々と再稼働させることばかり公言しています。昨年の3月28日には自民党は政府の電力システム改革案について、大手電力の発送電分離は努力目標に、原発の再稼働を条件にするなど中身を骨抜きにして了承しました。電力の安定供給が大事などと言っていますが、単に発送電分離などしたくない電力会社に媚びているだけです。その証拠に昨年から今年にかけて経産省も電力会社も電力不足など一言も言わなくなりました。フクイチ後の計画停電や電力不足などの脅しは嘘だったことの証でしょう。
そして安部自民党政権は、今夏には鹿児島の川内原発の再稼働を実現すべく難しい判断は原子力規制委員会に丸投げして、一番大切な住民の声は公聴会を開くことさえせずに無視してひたすら再稼働に突き進もうとしています。これで次の原発事故が起こったら、自民党の政治家たちは無責任な経産省や東電のでたらめぶりに業を煮やし原発に命がけで視察に行った菅前首相とは反対に、全員われ先に逃げ出すのは目に見えています。もちろん安部首相に菅氏のような国家存亡の危機に自ら火中の栗を拾いに行くような勇気はないでしょう。
そんなことを思いつつ、2011年3月31日のブログを振り返ります。
【視察への批判】
菅首相の初動対応に自民党が噛みつきました。
『菅直人首相は29日午前の参院予算委員会で、東日本大震災の影響で東京電力福島第1原発を襲った津波について「(原発設置)当時の津波に対する認識が大きく間違っていたのは否定しようがない」と述べ、津波の想定を今後の検証対象とする考えを示した。一方、同原発を視察したことが放射性物質を含む気体を原子炉から排出する「ベント」の遅れにつながったとの指摘に対しては「(初動対応が)遅延したという指摘はまったくあたっていない」と反論した。首相の国会答弁は震災後初めて。
【官房長官もフォロー】1号機の排気「再三指示」 枝野官房長官
津波に関し、首相は「(1960年の)チリ地震の後にできた原子炉でありながら、チリ地震の基準も満たしていないとすれば相当問題だ」と述べた。視察がベントの遅れを招いたとの指摘には「政府は12日午前1時半にベントすべき姿勢を明確にし、一貫してその方針を東電に伝えてきた」と強調した。
原発事故への対応では「予断を許さない状況が続いている。最大限の緊張感を持って取り組む」と表明した。
同原発を廃炉にするかについては「専門家の意見を聞いて決めるが、その可能性は高い」と語った。』(3月29日付毎日新聞)
【菅首相の現地視察】
政権交代してからの民主党の体たらくに国民は失望していたところに、今回の大地震と大津波、さらには原発の事故と未曾有の災害に見舞われて、菅政権がその対応に右往左往しているのを見て一層不安感を高めているのは事実だと思います。
しかしながら、僕は地震と津波が起きて福島第一原発事故が起きた後、早い段階で原発を視察した菅首相の行動は、正しかったと思っています。もちろんその後の指導力や実行力という面で首相というにはお粗末なこともたくさんあるのですが、少なくとも初動の対応として現地に行ったのは評価されるべきだと思います。
あのとき、首相が行ったために放射性物質を含む気体を原子炉から排出する「ベント」の遅れにつながったというのは、報道だけで判断するしかないのですが東電や原子力安全保安院の都合のいい言い訳ではないかと思われます。その後の対応を見ても東電や原子力安全保安院とその監督をする経産省がいかに今まで国民から事実を隠し、癒着してきたかがわかりますし、そういう体質が今の危機を大きくさせているかが誰の目にも明らかですので、そういう点からも首相がもし最初に現地視察をしていなかったら、その後の対応はもっと混乱していたのでないかと想像できます。
【トップの役割と問題の所在】
平成7年1月17日に発生した阪神大震災の際、当時の村山富一首相は阿鼻叫喚の地獄のような被災地・神戸が助けを求めているときに何ら決断せず、現場にも行きませんでした。国家のリーダーが逃げたために、自衛隊を所管する防衛庁長官、警察を統率する国家公安委員長、消防を所管する自治大臣など当時の首相直下の部下たちがどれだけ初動が遅れたか、そのためにどれだけの助かったかもしれない命が失われたかはかり知れません。(今回の事故では、東電の清水社長も13日の記者会見以降姿を見せず、ついに30日には高血圧とめまいで入院という発表となりました。村山元首相同様、最悪のリーダー像だと思います。)
未曾有の国難のときに、その現場にまずトップが行くことは当然のことです。行くだけでもその場の状況がある程度読めますし、その後の対処の仕方も違ってくるはずです。そしてトップが来てくれたという信頼感を現場が持てば、現場は現場の指揮官のもとで必死で対応してくれるでしょう。そんな指導層と現場の信頼感さえ失われているのが今の日本の「惨状」です。
繰り返しますが、有事の指揮官として現場に急行するのは当然のことです。もともと電力会社、経産省、原発メーカーと一緒に原発推進を過去数十年にわたって進めてきた自民党の政治家たちが、もしも政権党としてこの原発事故の対応に当たっていたら、現場に行くどころか、今より事実が国民から隠ぺいされ、もっともっと酷い状況になっていたのではないかと思います。そういう意味では世間の批判はありますが、管内閣のほうがマシだと言えるかもしれません。
自民党の政治家たちは「俺だったらちゃんと現場に先ず行った」と菅首相に言えないから、ちょこちょことイチャモンをつけるだけしか出来ないのです。残念なことです。
それからもうひとつ。3週間近く経ってから東電がフランスに泣きついたとか、事故当初は米軍の救援を断ったとかいろいろな話が伝わってきていますが、初動対応という意味では東電も原子力安全保安院も、経産省全体も、官邸も、民主党も、今回の事故対応に当たっている当事者幹部はみんなあまりにも甘すぎます。こんな体たらくでやれ「温暖化対策に有効だ」とか、「必要不可欠なエネルギー源だ」とか、「絶対安全だ」といった宣伝を繰り返し、いったん事故が起こったら「想定外だ」と言って責任を回避し、日本国の住民、いや世界中の人々の命を蹂躙しようとしているのです。事故の広がりと深刻さを考えれば、これはほとんど旧ソ連の指導層と同じだし、犯罪的だと思います。自分たちで安全を守れないなら、即刻救援を求めるべきでしょう。命を守るのに恥も外聞もありません。
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2014年03月30日
最強の放射能プルトニウム検出―福島第一原発
3つの原子炉がメルトダウンを起こすという過去最悪の原発事故となった

そして2014年3月の今、住民の公聴会さえ開こうとしない責任回避だけしか考えていない原子力規制委と、その規制委に責任のすべてをなすりつけて原発再稼働に前のめりの安部自民党政権は、よりによってまたしても玄海原発の失敗をものともせず、今回も最も地元を懐柔しやすいと見たのか、鹿児島の川内原発をこの夏にも再稼働しようともくろんでいます。それを運転するのがあの九州電力。玄海原発1号機を60年でも動かすと言い張り、「やらせメール事件」などなかったようにふるまうあの電力会社です。
フクイチ事故を経て、多くの市民の意識は大きく変わったのです。それさえ感知できずに3/11以前と同じようにやりすごせると思っているとしたらそんな無責任な政府も電力会社も原子力村の面々も即刻退場すべきでしょう。ひとりひとりが目覚めなければ命はない、それほど日本はギリギリのがけっぷちにあるとの危機感が必要です。それほど大きな変革がひとりひとりの個人にもひとつひとつの企業にも求められているのです。大事故を起こした後に、土下座されても何の意味もないのです、命がなくなれば。原子力から撤退することは明日を生き残るために必要なことなのです。
以下は、2011年3月30日の僕のブログ記事です。フクイチからプルトニウムが出ていたということを取り上げていました。
【プルトニウム検出】
予想されていたとはいえ、実際に検出されると背筋が寒くなるような戦慄を覚えます。
『東京電力は28日、福島第1原発の敷地内5カ所で21、22両日に採取した土壌から、微量のプルトニウム238と同239、240を検出したと発表した。このうち1号機から西北西へ約500メートル離れたグラウンド付近と北へ約500メートル離れた固体廃棄物貯蔵庫前の2カ所で検出されたプルトニウムは、今回の事故で損傷した核燃料棒から出てきたと考えられる。
記者会見した武藤栄副社長は「ご心配をおかけしておわび申し上げる」と謝罪した。
東京電力によると、濃度は過去に海外で行われた大気圏内核実験により国内各地に降ったプルトニウムと同様のレベルであり、人体には問題なく、復旧作業にも影響ないという。
原子炉と使用済み核燃料プールのどちらから放出されたかは不明。3号機の原子炉は一部に通常のウラン燃料と異なるウラン・プルトニウム混合酸化物燃料(MOX燃料)を使っていたが、どの燃料棒から出たかも特定できないという。武藤副社長は「全体として放射性物質が出てくる量を少なくしたい」と述べた。
グラウンド付近の土から検出されたプルトニウム238は1キログラム当たり0.54ベクレル、239と240が同0.27ベクレル。固体廃棄物貯蔵庫前の土は、238が0.18ベクレル、239と240が0.19ベクレル。
分析は日本原子力研究開発機構が23日から実施。プルトニウムの検出には1週間近くかかるという。東電は今後も3カ所で週2回土壌を採取し、分析を続ける。
経済産業省原子力安全・保安院の西山英彦審議官は29日未明の記者会見で、「人体に影響ない濃度だが、楽観はしていない。本来の閉じ込め機能が破られているという意味で、憂うべき事態だと考えている」と話した。』(3月29日付時事通信)
【故郷を捨てるとき】
東京電力が言う、「濃度は過去に海外で行われた大気圏内核実験により国内各地に降ったプルトニウムと同様のレベルであり、人体には問題ない」というのは明らかにまやかしです。まともな心を持つ人間の言うことではない。今検出された量ではその通りかも知れません。しかし、それが継続して放出されれば今の量では済みません。自分たちの都合のいいことばかりを強調するのはどうかと思います。プルトニウムの負の側面もきっちりと国民に知らせるのが責務ではないでしょうか。
プルトニウムは「人類が初めて作りだした放射性核種であり」、「かつて人類が遭遇した物質のうちでも最高の毒性」を持つ放射性物質だと言われています。半減期は2万年以上と、ほとんど半永久的で一度人間の体内に入ると排出されにくいという特徴があります。
今回、燃料内にしか存在しないプルトニウムが原子力発電所周辺の土壌から検出されたことで、福島第一原発の原子炉、格納容器など5重の壁が破られたことが証明されました。また、3号炉はプルトニウムを使ったプルサーマル燃料が装填されていたと聞いていますので、通常の燃料よりもプルトニウムが多いのではないかと素人ながら心配になります。
いづれにしても、たとえ微量であってもプルトニウムが土壌に含まれれば間違いなくほぼ永久に農作物は作れません。したがって、その土地は放棄せざるを得なくなるでしょう。もしも福島第一原発がこれから長期にわたってプルトニウムを大気中に放出し続けるような事態となれば、「放棄せざるを得なくなる」土地が拡大していくことになります。こんな狭い日本の国土に農作物が作れなくなり、当然人も住めなくなる土地が拡大していく、これほど悲惨なことはないのではないでしょうか。
今はとにかく政府は全力で出来るだけ早くプルトニウムなどを含む放射能物質の拡散を防ぐ対策を取ってほしいと願うばかりです。
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2014年03月29日
ついに出てきた基準緩和の動き―福島第一原発
「フクシマ・アーカイブ」18日目。みなさんは3年前の3月11日以降、少なくなったとはいえ、おびただしい量の福島第一原発関係のニュースが日々テレビや新聞などを通じて流れていたことに、いかにあの事故が日本の在り方を日々問い直し続けているか肌で感じるのではないでしょうか。
放射性物質の基準値はその中でも日々の食事や暮らしに直接かかわってくるだけに神経質にならざるを得ません。特に内部被ばくについては、広島・長崎の原爆投下以来、核兵器の負の側面を出来るだけ隠したいアメリカを中心に健康への影響が無視され続けて今に至っています。スリーマイル事故もチェルノブイリ事故も、そして今回のフクイチの事故においても、国際原子力機関や世界保健機構も内部被ばくについては出来るだけ健康への影響を過小評価したいという姿勢は変わっていません。日本政府がどういうスタンスにあるかは日々の動きを見ていればわかるでしょう。では僕たちはこの放射線被ばくにどう立ち向かっていったらいいのか?ここに原爆症認定集団訴訟で内部被ばくについて証言した矢ヶ崎克馬琉球大名誉教授の「内部被爆」(岩波ブックレットNo.832)という本があります。この中に同氏の提言が書いてあります。少し長くなりますが、心に響く言葉なので引用します。
「この時代を生きていくうえでの私の提言は『怒りを胸に、楽天性を保って最大防護を』です。」
「〜事態がこうなった限り、能動的に立ち向かうことが大切です。内部被ばくの恐ろしさを学んで、それでもだめだと考えてしまうのでは何の意味もありません。そうではなくて、恐ろしさをきちんと知ることで、政府の発表を鵜呑みにしないようにし、私たちのいま、なすべきことを見出していくことができるのです。私たちは、もはや「汚染される覚悟」が必要です。しかし、悲観して恐怖のうちに汚染を待つのはよしましょう。この怒りを胸にしっかりと収めて、開き直って、楽天的に、知恵を出し、最大防護を尽くしつつ、やるべきことはすべてやるのです。」(同書 57ページより引用)
「汚染される覚悟」・・・重い言葉です。
以下は、2011年3月29日の僕のブログ記事です。
【厳格すぎる?】
民主党から放射性物質の基準緩和を求める声が出てきました。
『民主党の岡田克也幹事長は27日、農産物の出荷停止や摂取制限の目安となる放射性物質の基準値について、「少し厳格さを求めすぎている」と述べ、風評被害を招かないためにも見直しが必要との認識を示した。青森県八戸市で記者団に語った。
現在適用されている食品衛生法の基準値は暫定的な数値で、食品安全委員会が体内に取り込んでも健康に問題がない数値について議論している。岡田氏は「心配ないものは心配ないときちっと言えることが必要だ。科学的な厳格さを求めすぎれば風評被害になる」と指摘した。 』(3月27日付朝日新聞)
【現状追認】
農産物の出荷制限などが長引いてくると、放射能の風評被害と相まって、それらの作物を生産している農家にとっては死活問題となってきます。したがって、時間が経てば経つほど放射性物質の基準値に対する不満が高まってくる事態は今後ますます増えてくるでしょう。
しかし、一方で福島第一原発からの放射性物質の放出が止まらなければ、広範囲に日々変化していく風下地域において葉物類などの野菜、水、土壌等への放射能汚染は半減期の長いものがどんどん残留・蓄積していく結果となります。
『文部科学省は28日、福島第1原子力発電所から北西約40キロの福島県飯舘村で26日に採取した雑草1キログラム当たりから、過去最高値の放射性セシウム287万ベクレルを検出したと発表した。北西約45キロの川俣町でも過去最高値のセシウム57万1000ベクレルを検出。これまで減少傾向だった放射性物質が2地点で急増した。文科省は「採取場所が全く同じではなく一概に評価できないが、高いレベルの放射性物質が残留していることは確かで、農作物への影響を注視する必要がある」と説明した。
飯舘村の雑草のこれまでのセシウム最高値は20日採取分の265万ベクレル。セシウムの半減期は約30年で、採取地点付近では拡散しないで残留している可能性が高い。一方、放射性ヨウ素は20日採取分の254万ベクレルから103万ベクレルに減少。半減期が8日のためとみられる。』(3月28日付毎日新聞)
福島第一原発の3号機や2号機の水たまりで高濃度の放射線が見つかり、本格的な復旧には長い時間がかかると予想されています。その間にも放射性物質の放出が続くのであれば、農産物や水、土壌への汚染の蓄積をしっかりとモニターし続ける必要があります。そして監視すべきことがもうひとつあります。それは冒頭の政治家の発言のように、時間が経つにつれて放射性物質の基準値緩和の動きが次々と出てくるだろうということです。事故現場周辺地域の方々は、自分たちの健康を守るのは自分たちしかないという覚悟を持って、しっかりと基準緩和の動きを監視しておくべきだと思います。
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2014年03月28日
信じられないような数値―1千万倍の放射能
「フクシマ・アーカイブ」17日目。2011年3月28日に原子力安全・保安院から発表された、福島第一原発2号機地下にたまった水が通常の炉心の水の約1千万倍の放射性物質の濃度という驚愕すべき数値は、しばらくして当の保安院によって間違いだったと訂正されました。
しかし1千万倍ではなかったものの、訂正後も恐るべき放射能汚染だったことには変わりありませんでした。そして、現在もその2号機のからは毎時200万ベクレル、一日にすると4800万ベクレルもの放射性物質が放出されています。また、昨年の報道では格納容器内部の線量は毎時最高73シーベルトで8分で死に至るほどの高線量だということでした。これだけでも今後のフクシマの廃炉がいかに困難かが想像できるでしょう。
さらには、一昨年末に成立した安倍自民党政府は、民主党が曲がりなりにも国民からの切実な訴えを背景に進めようとした原発ゼロ政策を見直すことを公言し、なんら本気で原発の安全対策を進めることなく、ただ再稼働を念仏のように唱え日本国を次の原発事故による自殺に突進させようとしているのです。アベノミクスによる経済の一時的な好転に浮かれ、安倍自民党政府による既得権益擁護の原子力推進政策に目をつぶるマスコミ、そしてわたしたち多くの国民。日本はこれだけの原発事故を経ても国民の意思を無視して原発再稼働にまい進する狂気の国とみられているのは間違いありません。
以下は、2011年3月28日の僕のブログ記事です。
【驚愕の数値】
出てくる数値のあまりの大きさに驚愕してしまいました。
『東日本大震災による東京電力福島第1原子力発電所の事故で、東電と経済産業省原子力安全・保安院は27日、2号機地下にたまった水の放射性物質(放射能)の濃度が、通常の炉心の水の約1000万倍だったと発表した。1号機や3号機の地下にたまった水と比べても1000倍程度で、2号機では燃料棒や格納容器が大きく損傷しているとみられる。
26日に2号機のタービン建屋地下1階で採った水の放射性物質濃度は1立方センチ当たり29億ベクレル。炉心の水は通常、200〜400ベクレルにすぎない。
この影響で水表面の放射線量は毎時1千ミリシーベルト以上となり、24日に作業員が被曝(ひばく)した3号機の同400ミリシーベルトを大きく上回った。東電によると、線量が高すぎるため測定を途中でやめており、線量はもっと高い可能性がある。
水からは、放射線を出す力が半分になる半減期が53分と短いヨウ素134など燃料棒の核分裂反応で排出される物質を検出。2号機では2回、燃料棒が全面露出した上、格納容器も損傷しているとみられている。』(3月27日付産経新聞)
【見えない出口】
1千ミリシーベルトと言えば、吐き気やおう吐が出る急性放射線障害が発生するというレベルです。しかもたまった水を検査した検査員の話によると、線量計の針が振り切れたのでそれ以上は測っていないということですから、1千ミリシーベルトよりも高い可能性があります。
放射能の人体への影響度合いを見ると、2千ミリシーベルトでは5%の方が亡くなり、3千〜5千ミリシーベルトになれば半数の人が死亡するレベルだとのことです。これでは、建屋の中に入って復旧作業をすることはおろか、ほんの数分だけ放射線量を測りに行くだけでも命がけの仕事になるでしょう。テレビに出た専門家もスリーマイルよりもチェルノブイリよりも大きな数値だと言っていましたが、本当に驚くべき数値です。
そしてもうひとつ。福島第一原発の南放水口では、26日に法令基準濃度の1850倍のヨウ素131が検出されました。原子力安全保安院は、「魚などの体内に取り込まれるまでには相当程度希釈される」として、人体への影響を否定しました。こんなことを信じる人がいるでしょうか。海の放射能は食物連鎖を経て多くの魚の体内に蓄積されていくことは間違いないでしょう。
チェルノブイリ原発事故の後、スウェーデンの湖に住む魚から強い汚染が検出されました。例えば、スズキ科のパーチという魚からは、事故の年、最高1キロあたり4800ベクレルのセシウムが検出され、2年後には最高8万2000ベクレルもの汚染が検出されているのです。(「食卓にあかった死の灰」P.83, 高木仁三郎・渡辺美紀子著、講談社現代新書) 今回検出されたヨウ素131は半減期が短いものの、ヨウ素以外にも半減期の長いセシウムなどが放出された可能性があることを考えれば、海洋汚染も食物連鎖を通じて先々深刻なものとなると思われます。
当事者能力を無くしつつある東京電力や国。出口の見えない福島第一原発の事故処理に不安が募ります。今はとにかくひとつひとつの事実をしっかり捉えていくことが最低限必要です。
2014年03月27日
原発事故後に見えてきたもの―福島第一原発
「フクシマ・アーカイブ」16日目。事故から1年近く経った2012年3月26日に東電柏崎刈羽6号機が定期検査のために停止、日本の原発は北海道の泊原発3号機を残して53機が停止した。読売新聞や産経新聞などのメディアや自民党の谷垣総裁、経団連会長などはこのままでは夏の電力不足は必至だと再稼働を催促していたが、本当にそうなら電力会社に本当に原発なしでは電力不足に陥るのかすべてのデータを公開するように要求するべきでだったのではないか。なぜそんな努力もせずに一旦事あれば日本を壊滅させるかもしれないほどの原発のリスクを無視してまで、夏の数時間の電力需要のピークを満たすために原発の再稼働に走ろうとするのか。
本当は原発を稼働しなければ電力会社の経営がもたないからではないのか、それならなぜそれを真正面から言わないのか?日本の原発を巡る状況は疑問だらけです。
そしてその後、一昨年6月には大飯原発が再稼働、その後衆院選で自民党が大勝し、安倍自民党政権が成立した後は、まるで歯車を逆回転させるかのごとく原子力ムラの抜本的な見直し、原子力の安全の確保などは忘れたかのごとく電力業界や原子力業界の既得権益擁護のために原子力推進路線に突っ走っています。
3年経ってもう一度福島第一原発の核惨事とは何だったのか根源的な問い直しをすべきだと思います。
2011年3月26日にこの事故を振り返って問題点を整理したのが以下の僕のブログ記事です。
【怒涛のような2週間】
3月11日に東北関東大地震が発生して16日が経過しました。地震と津波による死者・行方不明者は2万人を超えてまだまだ増えて行きそうだとメディアは伝えています。現代日本が未だかつて経験したことのない大災害です。2週間以上経過した今、助かった被災者の救援が最優先の課題となっています。
そしてもうひとつの大きな災害である福島第一原発の事故。こちらは直接の死者こそ出ていませんが、原発周辺の住民の方々、福島県をはじめとする近隣県、そして関東・首都圏を中心に日本全国、世界にまで放射能汚染の恐怖のどん底に陥れました。
この二つの災害の大きな違いは、地震と津波は災害発生後の救援にステージが移っているのに、原発事故は未だ救済どころか恐怖が現実のものになるかも知れない、出口の見えない状況に陥っているところです。
怒涛のように経過したこの2週間。僕自身はチェルノブイリ事故以来、日本での大規模原発事故を心配していたので、それが現実となったことに衝撃を受け、この未曾有の原発事故の経過を追い続けています。
【見えてきたもの】
昨日は本屋に行って週刊誌を中心とした雑誌メディア(AERA、週刊朝日、週刊文春、サンデー毎日等)が地震と原発事故をどう報道しているか、いくつかの週刊誌を手に取って見てきました。事故から2週間近くが経過した今、テレビ、新聞、そして雑誌、さらにはインターネットという媒体を通して、ここで一度事故発生から今までに見えてきたもの、未だ見えないものが何かについて考えてみたいと思います。
1. 福島第一原発事故は天災ではなく、人災だということ
事故発生当初から僕は今回の原発事故は、東電や政府の言う「想定外」の津波が直接の引き金とはいえ、「原発は安全」としてきた原発に携わる当事者の方々の原発そのものや防災、危機管理、そして市民社会に対する認識の甘さ、傲慢さ、怠慢がもたらした「人災」であると思っています。それは事故後の東電、原子力安全保安院、原子力安全委員会、政府官邸等の対応があまりにもお粗末で見るに堪えない狼狽ぶりだったことからもうかがえます。しかもそれは政府・電力会社・原子炉メーカーが三位一体となって進めてきたわけですから、東電だけを責めるのは事の本質を見誤る可能性があります。いづれにしても、それら当事者たちの上層部の怠慢のために現場で必死で作業している人たちや近隣住民の方々がどれだけ命を脅かされていることか。そしてそれは今も続いています。
以前にも書きましたが、スリーマイル事故やチェルノブイリ事故、さらには国内での無数の重大事故、専門家の巨大津波の警告等をないがしろにし、特にチェルノブイリ事故の鳴らした警鐘を文明観の転換に結びつけることもせず、事故後25年間という貴重な時間も無駄にしてしまったことが今回の事故の原因だと思います。
こんなに酷い事故を起こしてなおも情報を隠そうとし、「想定外だから」と言い訳をし、国家のエネルギー政策の抜本的見直しを怠るようなことがあれば、国民は黙っていないでしょう。もちろんその際忘れてはならないのは、国や電力会社に対して、今まで何十年も怒りの声を上げずに見て見ぬふりをしてきたのは他でもない電気の恩恵だけを受けてきた都市を中心に住む僕たち国民だということです。(3月19日に書きました)
2. インターネットによる情報社会の存在の大きさと国際的な情報発信の貧弱さ
もうひとつ見えてきたものがあります。それはツィッターやフェイスブックといったソーシャルネットワークを中心にインターネットによる個人を中心とするメディアが巨大災害の発生後、とてつもない役割を果たしているということです。
先ずは負の側面。僕も経験しましたが、地震発生直後から数日にわたってチェーンメールやツィッターのRT(リ・ツィート)を使って様々な流言飛語が飛び交い、インターネットがなかった時代には考えられなかったスピードで拡散していったことです。特に被災した現地よりも、被災地以外の地域での間接情報に基づくチェーンメール等が流言飛語を増幅したのではないかと推測します。幸いなことに、日本人の国民性でしょうか、比較的多くの人が冷静に対処したのではないかと思いますが。
プラスの側面もあります。それは僕自身が経験したことですが、福島第一原発事故についての政府発表の真偽、事故の進捗・拡大の可能性、メルトダウンの可能性、専門家の意見などについて様々な考え方や事実、参考となるデータなどがツィッターやブログ、各機関のホームページ等を通じて公開され、個々人が判断する材料が比較的多く得られているということです。枝野官房長官や東電、原子力安全保安院の記者会見などと比べながら真実はどこにあるのか、見極める手掛かりが少しでも得られるということはパニックを防ぐうえでも重要だと思われます。
具体例をひとつ申し上げます。3月22日に配信された村上龍のメールマガジン「ジャパンニースメディア」で環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏のレポートが紹介されました。村上龍自身も福島第一原発の状況に不安と疑心暗鬼が深まるなか、事故がどこまで進むかについてこのレポートは貴重な示唆といくらかの安心を与えてくれたとのことでした。僕も読んでそう思いました。
以下から、pdf.でダウンロードできます。
http://www.isep.or.jp/images/press/script110320.pdf
もうひとつ国際的な情報発信の問題があります。海外のメディアの福島第一原発に関するニュースを見ていると、日本に対する不安感がものすごく大きくなっているということと、日本に対する不信感が大きくなっていることを感じます。その原因のひとつは、政府から出てくる情報があまりにも統一性がなくて信頼感に乏しいこと、さらにはそれらの公式発表が英語でしっかりと出来る人がいないこと、英語での文書による資料も極端に少ないことが挙げられます。特にBBC、ABCやNBC、CNNといった欧米のテレビやiPadの放送で放映される枝野長官等の政府発表に女性の同時通訳の声がかぶさっているのですが、それらも信頼感を損ねている一因かもしれません。
世界に発信できるかどうかについては政府・東京電力の当事者能力が低いことから考えると今すぐに対応するのは難しいでしょうが、であればIAEAなどの力を借りて世界に向けた一貫性のある発表を急ぐべきです。もちろん、その前提となるのは信頼できる公開情報を出来る限りだすことが必要です。
3. 福島と首都圏、九州の温度差
3つ目に福島第一原発の周辺地区、首都圏、そして九州の事故に対する温度差についてです。東北の方々は辛抱強いと昔から言われていますが、今回の地震・津波災害、原発事故においても、テレビを見る限り現地で被災された方々や原発の放射能被害に遭われている方々、自治体の関係者などのインタビューで感情を抑えた表情で語っておられるのが目につきます。しかし、実際にはこの後に及んでも情報を出し渋ったりする東電や政府関係者の対応にハラワタが煮えくりかえる思いだと察します。
そして首都圏。これも関東に住む知人に聞いたり、テレビなどで見たりする情報に限られますが、首都圏の方々は福島第一原発の事故の進展具合では大規模な首都圏での放射能汚染の可能性も指摘される中、平静を装いつつも相当緊張感を持って事故の状況を心配して見ておられるのではないかと思います。すでに首都圏の水や食品の放射能汚染も起きています。場合によっては、プルトニウムという半永久的に残留する猛毒物質を含むMOX燃料(プルサーマル用)が装填されている福島第一原発3号炉等の放射能のさらなる拡散といった事態が来れば、首都圏も無傷ではいられない差し迫った状況も考えられるからです。
これに対して福島や関東からは遠く離れた九州、福岡ではそれほど差し迫った危機感は感じられません。友人や知人や家族が福島や関東におられる方は相当の懸念を持ってあると思われますが、多くの一般の人々は現地の人たちに比べれば不安感は低いと思います。
この福島、首都圏と九州あるいは北海道など他の地域との温度は僕は実は事故収束後に大きな影響を与えると考えています。なぜなら日本全国には高速増殖炉を含め55基の原発があり、福島と同じ事態はどこの地域でも起こる可能性があるからです。これから原発を中心とするエネルギー政策の見直しは必至です。そうした中で、福島原発周辺地域と関西・四国・九州・北海道などとの事故に対する温度差は、原発の是非についての大きな意見の相違につながってくる可能性があります。ただ、全国の電力会社の頂点に位置する東京電力、事故に大きな責任のある経済産業省が事故の被害を被る可能性のある首都圏にあるということは今後の原発の議論に大きな意味を持ってくると思います。
【見えないもの】
そして最後に見えないものについてです。それは事故の最終的な出口です。福島第一原発は事故を起こした現在1号機から4号機まですべての原子炉の状況が東電や政府にさえ明確に詳細までは把握されていないのではないのでしょうか。しかも、高濃度の放射能汚染の中、現地での効果的な作業までも滞っている状況です。炉心の状態がどうなのか、使用済燃料プールは大丈夫なのか、自信を持って答えられる人が事故の当事者にいない。これは身の毛もよだつ事態です。普通の事故ならまだしも、大規模な放射能汚染のさらなる拡散の可能性がある原発が1機ではなく、4機もあるのです。
原発事故がこれほどの規模で起こったために、政府も民間も本来救援を急ぐべき地震と津波の被害に遭った他の東北の地域の初動対応から今まで相当の遅れが生じていることは間違いないと思います。
これから福島第一原発の放射能汚染をどう食い止めていくのか、政府と東電は全力で対応してもらわなければなりません。そして僕ら国民は事態の推移と対応を厳しく監視し、事故の推移について想像力を働かせて次に取るべき行動を自ら判断していく必要があると思います。
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2014年03月25日
地球より重い責任―東京電力
「フクシマ・アーカイブ」14日目。みなさんもしっかり覚えておられると思いますが、東京電力の清水社長は事故後しばらくして高血圧などの病気を理由に病院に「敵前逃亡」しました。日本をもしかしたら経済・社会もろとも崩壊させかねないほどの未曾有の大惨事を引き起こした当事者のトップがです。日本国民の誰もが耳を疑ったのではないでしょうか。しかもその東京電力の傲慢は今も変わりません。やはりあのとき「死亡宣告」をしておくべきだったと思います。
当時僕がブログで書いていたことは今でも正しいと思っています。福島第一原発の核惨事は日本というちっぽけな国家が文明のパラダイムを変えるくらいの決意で方向転換しなければならないことを教えました。
そういう大きな転換が出来るかどうかという意味で、日本の中枢である首都圏に近い福島原発が事故を起こし、その責任者が東京電力であったということは重大な意味を持つと思います。日本の電力会社の頂点に位置し、他の地方電力会社を事実上引っ張ってきたのが東京電力であり、ここが首都圏の近くでこれだけの大災害を起こしたということは、最も日本の中枢に近い人たちに原発事故の重大性を認識させ、大きな転換が必要だと思わせたのではないかと考えるからです。
以下は、2011年3月25日の僕のブログ記事です。
【謝罪行脚】
東京電力の幹部が事故後初めて原発周辺の住民に謝罪行脚をしているとの報道がありました。
『東京電力の皷(つづみ)紀男副社長が22日、福島県田村市の市総合体育館に設置された大熊町の町災害対策本部を訪れ、渡辺利綱町長や町民に謝罪した。
また福島市内で記者会見し、福島第一原発1〜4号機の廃炉について「収束に全力を尽くしており今は考える状況でない」と述べ、農作物などの被害に対する補償についても「どういう場合に可能か方向性を検討している」と話した。
原発の事故以後、初めて福島県入りした皷副社長は同日午後、渡辺町長に「ご心配をおかけして申し訳ございません。一刻も早くこの事態を収束させたいと思っています」と謝罪。渡辺町長は「一刻も早く危機的な状態を脱してもらいたい」と訴えた。
皷副社長は、約670人の避難住民に頭を下げて回ったが、「何しに来たんだ」と住民が怒りをぶつける場面もあった。』(3月22日付読売新聞)
【本当の謝罪】
これより前、福島県の佐藤雄平知事は22日午前に東京電力から清水正孝社長による謝罪訪問の申し入れがあったが、断ったことを明らかにしました。当然だと思います。謝って済むような問題ではない。ましてや福島原発の事故の直接の被害だけでなく、放出され続けている様々な放射性物質による農産物の被害が顕在化し、福島県の農業まで破局に瀕している今、どんな言い訳をされても許される事態ではないと思います。
では東京電力がこれからやるべきことは何か。それは先ず福島第一原発の核惨事の一刻も早い収束であることは間違いありません。次に、収束後の事故前の原状回復の努力です。そして最後に過去何十年にもわたって住民を懐柔したり騙したりしながら、「絶対に起こらない」と強弁していた原発事故を起こしたことを踏まえ、これからのエネルギー供給のあり方をどうしていくのか、国とともにしっかりとした青写真を書いて、それを着実に実施していくことです。
もちろん、それは文明のパラダイムを変えるくらいの決意で、中長期的な核エネルギーから自然エネルギーなどへの本気の転換を図ることが出来るかどうかです。
【東電が事故を起こした意味】
そういう大きな転換が出来るかどうかという意味で、日本の中枢である首都圏に近い福島原発が事故を起こし、その責任者が東京電力であったということは重大な意味を持つと思います。日本の電力会社の頂点に位置し、他の地方電力会社を事実上引っ張ってきたのが東京電力であり、ここが首都圏の近くでこれだけの大災害を起こしたということは、最も日本の中枢に近い人たちに原発事故の重大性を認識させ、大きな転換が必要だと思わせたのではないかと考えるからです。
九州や北海道でこんな核惨事が起きても首都圏に遠ければ遠いほど、エネルギー政策の大転換を図るのは困難が伴うでしょう。そういう意味でも、今回の福島第一原発の核惨事の意味は重大だと僕は考えます。
あと一ヶ月ほどで1986年4月26日に起こったチェルノブイリ原発事故からちょうど25年になります。日本にとって2011年3月11日は旧ソ連のチェルノブイリ以上のものになる、そしてこれを契機に文明の転換に匹敵する転機にしなければ日本の未来はないと思います。
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2014年03月24日
急速に進む「恐れていた事態」―食品・水・土壌の放射能
「フクシマ・アーカイブ」13日目。2011年3月24日。テレビや新聞は東京都の水が規制値をはるかに超える放射能に汚染されていると伝えていました。あの後、福岡の知人の中にも東京の孫や子供たちのために、大量の水を送ったという話をあちこちで聞きました。遠く離れている福岡でも放射能汚染はそれほど身近な問題となったのです。
先日紹介した米国の原子力専門家アーニー・ガンダーセン氏によれば、福島第一原発から漏えいした放射性物質はチェルノブイリの5倍〜10倍だったとしてもおかしくないと述べています。(同氏の予想では2倍〜5倍で、原子力安全委員会と原子力安全・保安院は2011年4月11日の会見で10%と言っていました。)
政府がそんな誤魔化しをしている間にも福島だけでなく、関東も深刻な放射能汚染が広がっていたのです。首都圏の方々がこれから長期にわたって被る健康被害は相当なものになると思います。そしてベクレル表示さえされない食品流通の問題や、放射能に汚染された瓦礫の処理問題などは、本来汚染物質を出来るだけ拡散させないことが世界の常識なのに、日本では情緒的な対応ばかりが先行して科学的なデータや分析は後回しになっているのが現状です。被害は関東だけではなく、濃淡はあっても全国に飛び火していくのは間違いないでしょう。
以下は、2011年3月24日の僕のブログ記事です。
【驚愕の数値】
恐れていた事態が次々と現実に起こっています。
『東京都は23日、都内に水道水を供給する浄水場から、乳児が飲む規制値の2倍を超える放射性ヨウ素を検出したと発表した。
都は、乳児が水道水を飲むことを控えるよう呼びかけている。
呼びかけの対象地域は東京23区、武蔵野市、町田市、多摩市、稲城市、三鷹市。
検出されたのは、葛飾区の金町浄水場で、22日午前9時に採水したところ、210ベクレルを検出した。食品衛生法に基づく乳児の飲用に関する暫定的な規制値は100ベクレルとなっている。
都では、この水道水を乳児の粉ミルクなどに使うことを控えるよう呼びかけている。ただ、指標は乳児が長期にわたり飲み続けた場合を想定しており、他の飲用水が確保できない場合は飲んでも構わないとしている。』(3月23日付読売新聞)
【水も食品も土壌も】
福島から200キロ以上離れた東京のど真ん中で、しかも水道水がここまで汚染されていると聞いて本当にびっくりしました。国や東京都の乳児に対する注意は適切だとは思いますが、関東におられる方々、特に乳児や幼児をお持ちのご家庭の心配に心が痛みます。冷静に行動することは必要ですが、出来る限りのデータやアドバイスをインターネットやテレビなどあらゆる情報源から得て自ら判断していく必要があると思います。
もうひとつ驚愕したのは、数日前に福島原発周辺の原乳やホウレンソウの放射能汚染が報じられた後、23日の時点ではそれが様々な葉物類、そして地域も広範囲になっていることです。すでに相当広範囲に放射性物質が広がっていることがわかります。
最後に23日夜のNHKニュースで報じられたセシウムによる土壌汚染です。福島原発の北40キロほどの場所で何と通常の1600倍近いセシウム137が土壌から発見されたと報じられていました。これはチェルノブイリ原発事故現場から数10キロから50キロ付近で検出された放射能量に匹敵する値であり、高濃度であることは間違いありません。また、セシウム137は土壌に残る可能性は高いものの、半減期は30年近くあり、食品から人体に取り込まれると筋肉に付着しやすく外部被ばく、内部被ばくを長期にわたり及ぼす可能性が高いものです。
NHKも民放もキャスターやアシスタントの表情がこわばっているのがわかります。冷静を装っているけれども、「すぐに健康に影響が出るわけではありません。」、「安全です。」といった専門家の言葉に救いを求めているような声のトーン、表情。テレビは正直です。
【日本全国どこも可能性あり】
次々と明らかになる毎日の生活に欠かせない水、食品への放射能汚染の広がりに、恐れていたことが現実のものになったという驚きを隠せません。被害の度合いは桁違いかもしれませんが、状況的には25年前に経験したチェルノブイリ原発事故の光景が福島周辺から関東のあちこちに広がっているという印象です。
福岡から見ている分は毎日ニュースで報道される数値を冷静に見ることが出来ますが、東北や関東の方々は気が気ではないと思います。とにかく様々な情報源からデータを出来るだけ集め、パニックにならずに自らの判断をしていくことしかないと思います。
それから東北、関東以外の地域でこのブログ、あるいは放射能汚染のニュースを見てられる方も安心は禁物だと思います。福島第一原発からの放射能は様々な条件で放射能雲となって風下に流れ、思わぬ高濃度の放射性物質を広範囲に運んでくることを肝に銘じておくべきです。また、日本には狭い国土に55基もの原発が全国にある原発過密国であり、今回の食品や水の汚染の原発からの距離が100キロから200キロ近くに及んでいることを考えればどこにも逃げ場はないということです。(ちなみに玄海原発から福岡までは50数キロしかありません)
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2014年03月23日
破局寸前も政争?―自民と民主
「フクシマ・アーカイブ」12日目。東日本大震災とそれに続く福島第一原発の核惨事のときに日本の政治の情けないまでの無能力さが白日の下に晒されました。僕ら日本人だけでなく、世界にその恥をさらしたのです。日本の政治家も政府も官僚も、そしてそれを擁護しようとする原発利権に群がる産業界や御用学者そしてメディアは、このとき国民の信頼を完全に失ったと言っていいと思います。それが原発の再稼働を巡る混乱の中で一層明確になってきています。国民の命を一顧だにしない政治家たち、そして目先の利益のためにそれを後押しする一部の経済人たち。国家が沈没しようが、国民の命がどれだけ失われようが彼らにとっては問題ではないのです。
そんな人間たちの集団に黙っていたら、間違いなく次の原発事故によって日本は終わります。それでもあなたは彼らを見過ごし、怒りの声を上げませんか?
以下は、2011年3月23日に原発事故に何もなす術をもたなかった無能な政治家たちについて書いた僕のブログ記事です。
【入閣拒否】
菅首相の入閣申し入れを谷垣総裁が拒否したそうです。
『菅直人首相は19日午後、自民党の谷垣禎一総裁と電話で会談し、東日本大震災への対応に関し「国家的危機への責任分担をしてもらえないか」と述べ、副総理兼震災復興担当相としての入閣を要請した。これに対し、谷垣氏は「あまりにも唐突な話だ。今は体制をいじるときでなく、被災者支援、原発対応に全力を尽くすべきだ」と拒否した。子ども手当など民主党の主要政策に反対していることを踏まえ、連立政権への参加は有権者の理解を得られないと判断した。
ただ、谷垣氏は「これからも震災復旧に惜しむことなく閣外で協力する」と述べ、被災者の生活支援や被災地の復興には積極的に取り組む考えを伝えた。
首相が入閣を要請したのは、震災や福島第1原子力発電所の放射能漏れ事故に対応するには、「大連立内閣」をつくり、与野党の総力を挙げる必要があると考えたためだ。一方、谷垣氏には入閣した場合、深刻化した原発事故の責任を共に負わされかねないとの強い警戒感もあったとみられる。』(3月20日付時事通信)
【政治への怒り】
一体政治家たちは何を考えているのでしょうか?3月11日の東北関東大震災の発生から昨日まで、とてつもない被害を受けた被災地。そして福島第一原発を襲った恐怖の核惨事。とりわけ福島第一原発の緊迫した状況は福島周辺だけでなく、日本全国を恐怖のどん底に突き落とし、全世界もその危機的状況に震えています。僕も事故発生から昨日までずっと福島第一原発の危機をブログに書き続けてきました。
その間菅首相をトップとする官邸は、危機的状況に陥ったニッポンを何とか立ち直すべく必死の努力をしています。地震・津波被災地の救済も、原発危機への対応も、正直、あまりにも経験不足で、あまりにも失敗続きで、とても満足できるようなものではないかもしれません。しかし、とにもかくにも必死でやっていることは確かだと思います。
その最中に入ってきた菅首相の谷垣総裁への入閣要請のニュース。物別れに終わったとのことですが、正直呆れ、怒りがこみ上げてきました。なぜか?それは菅首相の要請も、谷垣自民党がいろいろ屁理屈をつけて協力を拒むのも、平時のやり取りならともかく、これほど国家が危機的状況にあるときに、日本の政治のトップが政争をやっている場合かということです。
谷垣総裁は、国家的危機にあたって政策の一致が必要と言うなら、自ら民主党に乗りこんで必死でそういう接点を模索したらどうでしょうか。ちょろちょろと自民党幹部と話して、「やっぱり駄目です」なんて言ってる場合でしょうか。地震と津波という自然災害については防げなかったかもしれませんが、原発についてはここまでずるずると国民から真実の情報を隠し、電力会社や経産省の体質を歪めてきた責任の一端はそもそも自民党にあるのではないでしょうか。福島原発の危機回避にむけて自民党がやることは山ほどあると思います。
放射能の恐怖に怯えて屋内待機したり、着の身着のままで自宅を放棄して退避する福島の方々のことを本当に真剣に考えているのでしょうか。
もちろん、自民党だけでなく民主党や他の野党にだってこんな事態に至ったことに対し政治家としての責任はあります。こんな危機の最中には小沢氏も鳩山氏も死に物狂いで政権を支えるべきだと思います。なのに彼らの顔も行動も何も見えません。これほどの危機に際して、政治家たちの顔がまったく見えないのは一体何なのかと問いたいです。
国民は間違いなく、この危機が去った後この政治家たちを見放すと思います。
2014年03月22日
安堵と不安の連鎖続く―福島第一原発
「フクシマ・アーカイブ」11日目。2011年3月22日の僕のブログには福島第一原発3号機の使用済燃料プールの記述がありますが、このときは3号機の爆発が1号機とは本質的に違うものだったことなどまったく知るよしもありませんでした。
ここに福島第一原発をはじめ日本に数十基あるGE製の欠陥原子炉マークI等について豊富な知見を有するアメリカの原子力技術者で、福島の事故の際もいち早くメルトダウンが起きたことを明言していたアーニー・ガンダーセン氏が書いた「福島第一原発−真相と展望」という本があります。ここには現在進行中のフクシマの核惨事の真実が明らかにされているのですが、中でも戦慄を覚えるのがこの3号機の状況です。
3号機の爆発は1号機と違い原爆のきのこ雲のようになっていた映像を記憶されている方も多いと思いますが、それは同氏によれば「3号機の使用済み核燃料プールで不慮の臨界が起きていたと考えるのが自然だ」とのことでした。また、もしこの爆発がデトネーションと呼ばれる即発臨界に達し格納容器が破壊されていたら、日本列島がほとんど分断され、何世紀にもわたって居住に適さず、高濃度汚染を前提とした特別な車両でしか移動できないような土地が広範囲に広がっていたというのです。
そして今でも3号機や4号機ではその可能性があるのです。フクシマでさえこんな状況でも原子力関係者は日本全国の原発を再稼働するつもりなのでしょうか。信じがたいことです。
以下は、当時の僕のブログ記事です。
【続く不安な状態】
ここ2日くらい福島第一原発の3号機の使用済燃料プールを中心に自衛隊、消防隊、警察の現場担当者の決死の放水を続けたことで、放射能の大量放出の継続という最悪の事態が僅かながら改善できる一筋の光明が見えてきたと多くの人が思ったのではないでしょうか。しかし、3号機の一部破損があると見られる格納容器の圧力が上昇しつつあり、もし炉の破損が広がればプルトニウム等の大量の燃料が放出されるという新たな危機が始まりつつあります。複数の原子炉で危機的な状況が進行しているために、複合的な事態が危機回避を難しくしているのです。
電源の復旧も今のところ進展しているように言われていますが、はたしてあれだけの津波と水素爆発などを乗り越えて、冷却装置等の機器が動くのかどうかもまだ未知数です。原子力安全保安院の言うレベル5の事態は、一気に6や7に進み、炉心が稼働を停止しているとはいえ、チェルノブイリのような核事故に進む可能性を誰も否定できないのではないのでしょうか。
【対外被ばくと体内被曝への備え】
すでに福島周辺の空気中には連続的にヨウ素やセシウムといった放射性物質が放出され、原乳やホウレンソウがかなり高濃度に汚染されているという報道がありました。例えばヨウ素(131)は半減期は8日と短いものの、ホウレンソウなどの葉っぱや牧草に付着し、それを食べる牛を通して食物連鎖で濃度が高まり、原乳に高い放射能が溜まっているのです。
発表では「「今すぐ」健康に影響があるレベルではない」ということですが、もうここまで現実が進んでいる以上、不測の事態に備えて個人個人でしっかりと事実を把握し、福島との自分との距離もよく考えて、空気からの被ばくと食物の摂取による体内被曝両方について事前の準備をしておく必要があると思います。主な点は以下のとおりです。
1. 時々刻々、自治体や原発団体などから発表される放射線の種類や濃度について正確な情報を収集し、原子力安全保安院の食品安全基準である「飲料水や牛乳に含まれる放射性ヨウ素の量が300ベクレル/kg、野菜類で2000ベクレル/kgとどれくらいの差があるかを知ること。→体内被曝への備え
特に赤ん坊や小さな子供さんはヨウ素等が大人の何十倍も蓄積されますので出来るだけ原発から離れることが必要です。
2. 対外被ばくを避けるため、屋内退避の勧告が政府から出されれば基本的にはそれに従う。水も汚染するのでポリバケツや水筒なども用意して水を保存しておくこと。また雨合羽やビニールシートも用意して放射能に出来るだけ当たらないようにすること。
3.ガーゼマスクや懐中電灯、小型トランジスタ等を用意しておくこと。原発周辺ではヨウ素が大量に放出される可能性があるので自治体などからヨウ素剤をもらうのを忘れないこと。
※詳しくは脱原発団体の原子力資料情報室(以下、CNIC)のホームページをご覧ください。→ http://www.cnic.jp/
【あまりにもお粗末な当事者】
福島第一原発の最前線の現場で決死の思いで放水等の作業を行う自衛隊や消防隊員、警察、そして保安作業員等の人たちには、僕ら市民はただ、ただ感謝の思いでいっぱいです。
それに対して、この後におよんでもトップが出てこない東京電力、住民の安全を確保するためにあるはずなのに情報をスルーするだけに見える原子力安全保安院(この機関のホームページの「原子力災害発生時の住民としての対応」というページのお粗末さには絶句しました。いかにもお役所的な体裁だけで、市民を守る真摯な姿勢など見えません。それに対して、CNICのほうが市民の防災の観点からしっかり書いており極めて充実しています)、未だに政争を繰り返して事態の重大さを認識しているとは思えない与野党の政治家たち(少なくとも官邸は必死に見えます)などを見るともう絶望的にさえなります。
さらに加えて、先週末に記者会見を開いた一部の地方電力会社のトップは、これほどの深刻な事態が福島原発で進行しているさなかに、「自分の原発で想定外のことはないと思うが、」とか、「万が一不測の事態があっても、炉心などに水がいかないようなことは絶対に防ぐ」といった発言をしています。大自然の猛威や人間のヒューマンエラーは想定外ばかりであり、「絶対に防ぐ」などというのは原子力広報や精神論では言えても、市民に信頼の得られる言葉ではないことは明らかです。これは彼らの考え方が事故前から何も変わってないことを暴露したようなものです。ましてや事故が起きて「想定外だからごめんなさい」なんて冗談ではないです。もう彼らには頼れない、自分たちは自分たちで守るしかないと強く思います。
≪参考≫
・日本各地の放射線量がわかるマップ →
『東日本大震災・非公式・放射性物質モニタリングポストMAP / Japan quake radioactive material monitoring post MAP』
http://ow.ly/4dGhQ
・各地の放射線量がわかるリンクまとめ →
2014年03月21日
驚愕の事実−仮設配電盤と東電の無策
フクシマアーカイブ10日目。今回の記事は1年前にアップしたものですが、福島第一原発事故2年目にしてまた電源喪失を招来した東京電力のとんでもない対応について書いています。あれほどの事故を経験し、全電源喪失の恐ろしさを事業者として最も身にしみて感じたはずの東京電力。にもかかわらずあの事故を教訓にすることもなく、またも起こした電源喪失事故。とても当事者能力があるとは素人には思えません。
以下は、2013年3月21日の僕のブログ記事です。
【2年後の電源喪失、再び】
あまりの無策と無神経に言葉を失いました。『東京電力福島第一原発の使用済み核燃料プールなどで同時多発した停電事故で、東電は重要な装置が仮設の配電盤につながっている危険性を認識していながら、後手に回った。停電の原因は仮設の配電盤で起きた異常が各設備に波及したと、東電の調査でほぼ判明。同時多発事故の恐ろしさは、東電自身が二年前に痛感したはずなのに、その教訓が十分に生かされなかった。 (桐山純平)
東電は、問題がありそうな部分を一つ一つ点検していき、最後に可能性が残ったのが3、4号機の仮設配電盤だった。この配電盤は、二〇一一年三月の事故直後の同十八日ごろに設置され、そのままトラックの荷台に置かれた状態で、ずっと使われてきた。簡易的な仕様で、文字通り仮設だった。
そんな配電盤であるにもかかわらず、つながれた装置は、3、4号機と共用プールの冷却装置など重要なものが多かった。早く専用の配電盤に交換していたら、停電事故は防げた可能性が高い。
配電盤を製造する企業で構成する日本配電制御システム工業会によると、仮設の配電盤は取り付けるのは簡単だが、ほぼ電気を流すだけの機能しか備わっていない。
これに対して、どんな機器と接続するかを十分考慮して取り付けられた専用の配電盤であれば、「他の機器に不具合を波及させないよう制御も働くので、今回のような事故は起きにくい」(担当者)という。
「3、4号機は今月中に、共用プールはもう少し後に、専用の配電盤につなぎ替える準備を進めていた。結果論として、もっと早く対応しておけばということになったが…」。東電の尾野昌之原子力・立地本部長代理は十九日の会見で後悔の念を述べた。
事故当初は電源復旧を最優先するために仮で対応することは仕方なかったとしても、早期に配電盤を専用のものにしなかった東電の危機管理の甘さがまた露呈した。
◆原因不明のまま仮復旧
停電事故で止まっていた使用済み核燃料プールの冷却装置など全九装置が、二十日午前零時すぎまでに運転を再開した。停電の影響を受けた全装置の運転再開は約二十九時間ぶり。ただ、停電の原因になったとみられる3、4号機の仮設配電盤の不具合の原因は分からず、装置の電源を別の配電盤につないだだけの仮復旧となった。
東電によると止まっていた1、3、4号機の使用済み核燃料プールが十九日午後に、共用プールが二十日午前零時すぎに、それぞれ運転を再開した。今のところ、仮設配電盤の内部に目立った損傷はなく、電気関係を詳しく調べて原因を探る。
東電は、早く運転再開させることを最優先し、つなぎ直した電源ケーブルは必ずしも整然となっていない状況だという。近く配電盤を、仮設のものから専用のものに交換するのに合わせ、ケーブルも引き直すという。』(3月20日付東京新聞)
【驚愕の事実】福島第一原発の核惨事が起きてから2年。あれほどの事故を起こしていながら、2年経って再び起きた電源喪失事故。それも信じられないような無為無策がもたらした初歩的なミスによって引き起こされたことが明白になってきました。さらに、この記事の後にもっと信じられない事実が東電から発表されました。それはたった数日でフクイチ全体で9千本近くあるとされる使用済み核燃料が燃えだし、日本全土、いや世界全体を緊急事態に陥れかねない電源喪失事故の原因が1匹のネズミのような小動物だった可能性があったということです。
もっと驚愕すべき事実があります。それはこれほどの大事故なのに、東電の発表は原子力・立地本部長代理とか、女性の広報担当者、そして謝罪をしているのは作業服を着たスタッフのような人たちばかりが公の場に出てくるだけで、東電の経営陣はひとりとして国民の前に出てきて謝罪や事故原因の説明などをしていないということです。これは東電が今回の事故をなめきっている証拠です。そして本気で心配する国民をなめきっている証拠でもあります。
こんなことではフクイチの収束など到底できないでしょうし、フクイチを収束させるどころか次の原子力の巨大事故を自ら引き寄せるような行為だと断言できます。僕たち市民は怒りを持ってこのような東電、そして監督者である原子力規制委員会、原子力規制庁を厳しく追及しなければなりません。
2014年03月20日
空気から食品へ―放射能の脅威
「フクシマ・アーカイブ」9日目。2011年3月20日。この日は福岡で玄界沖地震が起きて7年目にあたります。日に日に深刻化する福島第一原発の核惨事は、ついに次なる脅威として食品汚染が問題になってきたと当時の僕のブログは伝えています。あれから3年経ってそのとき感じていた食品の放射能汚染の脅威は現実となって日本全国に広がっています。しかしながらメディアは魚に何十万ベクレルといった極端な汚染については伝えても日常の食品にどれだけ放射能汚染が広がっているかについてはほとんど伝えなくなりました。現実はそう甘くはありません。国土が狭いニッポンにどこにも逃げ場はないということが、海洋にまで広がった放射能汚染によっても証明されつつあります。
これほどの大事故を起こしておきながら、安倍自民党政権は原発ゼロを見直し、原発の再稼働にまい進し、核燃料サイクルにゴーサインを出し、次の巨大事故に向かって暴走し始めました。危機意識がなく、既得権益を守ることだけに汲々としている自民党議員たちは、出遅れている政府の発送電分離案さえ骨抜きにしようとしています。
また、東電は相変わらず次から次に起こる放射能汚染水漏れさえもどうしようもない状況で、フクイチ事故の反省は微塵も感じられません。原子力規制委員会も同じです。3年経っても何ら変わろうとしない原子力ムラの体質。恐るべき狂気の集団です。これでは次の巨大事故は必然です。
以下は、2011年3月20日の僕のブログ記事です。
【原乳とホウレンソウ】
最初の汚染食品が検出されました。
『政府は19日、東京電力福島第一原子力発電所の事故を受けて実施した食品のサンプル調査で、福島県川俣町の酪農家が提出した原乳と、茨城県内の6市町村のホウレンソウから、食品衛生法の暫定規制値を超える放射性ヨウ素が検出されたと発表した。枝野官房長官は記者会見で「直ちに健康に影響する数値ではない。冷静な対応をお願いしたい」と述べた。
食品衛生法に食品の放射能汚染を規制する基準がないため、厚生労働省は放射線の専門家でつくる「国際放射線防護委員会」(ICRP)が健康被害を防ぐために設けた基準を放射性物質の食品安全基準として暫定的に採用。これを受けて、福島県と茨城県がそれぞれサンプル調査を実施した。
その結果、福島第一原発から約47キロ離れた酪農家が16〜18日に生産した原乳から最高で1510ベクレルと、規制値の約5倍にあたる放射性ヨウ素が検出された。
茨城県では高萩市、日立市、常陸太田市、大子町、東海村、ひたちなか市の農家のホウレンソウから最大で規制値の7・5倍の1万5020ベクレルの放射性ヨウ素が検出された。高萩市のホウレンソウからは、規制値を超える放射性セシウムも検出されている。
これを受けて同県の橋本昌知事は19日、記者会見で地元農協などに露地栽培のホウレンソウの出荷自粛を求めたことを明らかにした。 』(3月19日付読売新聞)
【次なる脅威―食品汚染】
ひとまず自衛隊、警察、消防の努力によって放水車、ヘリコプターによる3号機への放水が行われ、3号機については使用済燃料プールに水が溜まり燃料棒からの放射能放出は少なくなってきているようです。ただし、1号機・2号機・4号機もそれぞれ外部の損傷や燃料棒の損傷などが続いていて全体として危機が去ったとはとても言い難い状況が続いているようです。
そして19日、次なる脅威が迫っていることがわかりました。それは放射能による食品汚染です。放射能汚染が見つかったのは、原乳とホウレンソウ。それぞれ原乳は福島第一原発から47キロの地域で放射性ヨウ素1510ベクレル、ホウレンソウは茨城県のいくつかの市町村で放射性ヨウ素15020ベクレルだったそうです。ホウレンソウには規制値を超えるセシウムも一部検出されたそうです。それらは政府によれば「直ちに健康に影響する数値ではない。」とのことですが、油断は禁物です。
1986年のチェルノブイリ原発事故のときには、ロシア・欧州からやってくる輸入食品に対する放射能汚染の基準値はどの食品でも一律370ベクレル/kgでした。その当時とは比較にはならないかもしれませんが、今後の福島第一原発からの放射能汚染の拡散がどれくらい防げるかによりますが、原発周辺の農産物を中心に次々と汚染された食品が問題となってくるでしょう。
それらのデータをチェックしておいて、刻一刻と変化する各種食品の汚染状況の政府発表や民間の公開情報に常に目を光らせておく必要がありそうです。汚染の広がりの深刻度によっては、情報公開が遅れたり、いづれは規制基準の緩和といった措置が取られていく可能性もありうると考えています。政府の情報を鵜呑みにすることなく、これからは自分の家族を守るのは自分だという覚悟を持って、しっかり監視していく姿勢が必要だと思います。
最後にこれを読んでおられる福岡のみなさん、今日は福岡玄界沖地震からちょうど9年目にあたります。あの地震は震度6弱だったと思いますが、僕も会社のビルの10階にいて地震の怖さを知りました。でも今回の東北地震はそれを大きく上回るものでした。福岡も被災した東北の各地同様海辺に面しています。また50数キロ西には玄海原発も存在してます。さらには対岸の韓国には釜山近郊も含め海岸沿いに5基もの原発が稼働しています。心しておかなければならないと思います。
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2014年03月19日
原発事故に想う―福島第一原発
「フクシマ・アーカイブ」8日目。福島の事故から1週間近くが経った2011年3月19日。そのとき、僕は黒澤明監督の「赤富士」という短編映画を思い出していました。黒澤監督が20年以上前に映画を通して警告していた原発事故が現実に起こってしまったことに改めて戦慄を覚えました。フクシマは、危機管理無能国家ニッポンにとって黒澤の「赤富士」の描く地獄絵図の未だ「序章」かも知れないからです。そして事故から3年経った今も再度の地震によって4号機の1500本以上の使用済み核燃料プールが崩壊し(少しずつ燃料棒の移動が行われてはいますが)、「赤富士」の映画を凌ぐ大惨事となって日本を襲う危険性も、自民党政権の原発推進政策の下で、その他の原発や六ヶ所村再処理工場がフクイチ以上の事故を起こす可能性も消えるどころか大きくなってきています。
以下は、2011年3月19日の僕のブログ記事です。
【ついに起こった核惨事】
3月11日の巨大地震発生、その後の巨大津波、そして東北各地の目を覆うばかりの被害。まるで戦後の焼け跡のような市街地。信じられないような夥しい数の死者行方不明者の発表。原発事故がなければすべての救援活動はこの地震・津波被害に遭った人々に向けられていたはずでした。
そんな悲惨な被災地を「後回し」にせざるを得ないほど、政府を狼狽させている福島第一原発の事故。多少、緊迫さが薄れつつあるものの、使用中そして使用済みの燃料の発熱が止められない限り、何が起こるかわからない状況は全く変わっていないのです。広大な土地があるロシアやアメリカと違って、国土が狭いニッポンに逃げ場はありません。「みえない雲」の恐怖に怯え逃げ惑う先には海しかないのです。
1990年に公開された黒澤明監督の「夢」という映画の8つの短編の中に、「赤富士」という一篇がありました。富士山麓で大勢の人が何がおこったかわからずに逃げ惑っている場面。原発が次々と爆発し、赤や黄色の色のついた霧が人々に迫ってきます。それらは原発から出た様々な放射性物質でした。フィクションだから黒澤監督がわざと放射能に色をつけて警告していたのでしょう。爆発したとされるのは富士山麓の6つの原発。浜岡原発を想定していたのでしょうが、福島第一原発も6機というところは同じです。巨匠は20年以上も前にわたしたちに警鐘を鳴らしていたのです。でもそれはただの映画。どんなに怖くても、映画館を出れば済みます。そして福島第一原発の惨事。この日が来てほしくなかった。チェルノブイリの後もこの映画を観た後もいつもそう思っていました。でも「夢」であってほしいとどんなに願っても非情な現実は次々と深刻度を加えていきます。
【為政者と国民】
日本国憲法第25条には「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 」とあり、第二項には「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 」と規定されています。
その基本的権利が今東北の被災地で、そして福島原発の周辺で、さらには日本国全域で侵されようとしています。でも、よく考えると原発に関してはその立地の過程から、立地地域で苦悩する農業者や漁業者を中心とする住民の基本的人権を、ときには懐柔し、ときには威嚇しながら、ないがしろにし続けてきたのは誰だったのでしょうか。もちろん直接の当事者は電力会社であり、官僚組織であり、政治家ですが、何十年もの間見て見ぬふりをしてきたのは他でもない電気の恩恵だけを受けてきた都市を中心に住む僕たち国民なのです。
スリーマイルが起きようと、チェルノブイリが起きようと、国内ではJOC東海村の臨界事故をはじめとする大事故や大事故寸前の原発事故が何度起きようと、その都度、「事故」を「事象」と読み変えたりして国民から事実を隠し、事故を矮小化しようとしてきた人たち。それに本気で怒り、方向転換を迫らなかった国民。今回の事故の責任が私たち日本人すべてにあるのは間違いありません。
【海外からの冷たい視線】
地震発生当初から今日まで、アメリカやヨーロッパ、そしてアジアから届くのは日本に対する励ましと応援、そしてこれほどの災禍の中でも暴動も起こさずじっと耐える国民に世界は驚嘆し、賞賛する声でした。
しかし、地震や津波に被災した国民の姿とは裏腹に、原発事故に臨む電力会社や政府の信じられないような愚かな対応を見るにつけ、海外の目は日増しに厳しくなってきています。なぜなら、被害は日本にとどまらず「見えない雲」に乗っていづれ彼らの頭上にも到達するからです。
為政者の人たちに素直に従い、現実は現実として受け止め、あきらめ、何も抵抗しない僕たち多くの日本人。一体いつからこうなったのでしょうか。これは本当に日本の美徳として納得していていいのでしょうか。自分も含め今まではそうしてきました。でもこれほどの核の惨事が起こった以上、ひとりひとりが声を上げ、為政者のひとたちのやり方がおかしければ、その誤りを糺すべきではないでしょうか。そうしなければ再び、同じような事故、いやそれ以上の惨禍がいづれ避けられないでしょう。
その際、ひとつ気をつけないといけないのは、海外がすべて正しいとは限らないということです。国際原子力機関(IAEA)が日本に乗りこんできましたが、この機関もチェルノブイリ原発事故の後、ロシア以上に事実を矮小化しようとしてきたことを忘れてはいけません。しっかりと僕ら国民がその行動を監視しておく必要があると思います。
東北の被災地で助けを求める被災者の方々、高濃度の放射能の中で身体を張ってこの美しい日本を守ろうとする自衛隊や消防士、警察官、電力会社の運転員など現場で奮闘する方々。本当に哀しい思いが毎日募る中、今書き留めておかないいけないと感じ、今の正直な気持ちを書きました。
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2014年03月18日
変わり始めた原発報道―福島第一原発
「フクシマ・アーカイブ」7日目。2011年3月18日のブログを読むと、このころからテレビメディアに多くの原子力や放射能の専門家と称する人間が登場し、「ただちに健康に影響はない」とか「原発はメルトダウンしていない」とか異口同音に唱え始めたことが記録されています。ある時点からテレビメディアが同じ方向の「宣伝」を始めたのです。これは本当に恐ろしいことです。そして政府はtwitterといったインターネットなどのメディアで「流言飛語」が飛び交っていると非難し始めました。「流言飛語」は政府と大手メディアが流していたのに。
そして3年後の今。日本のメディアはアベノミクスに浮かれ、ほとんどフクイチ事故がなかったかのようにふるまっているようです。
以下は、2011年3月18日の僕のブログ記事です。
【決死の放水】
自衛隊による決死の放水作業がやっと始まりました。
『東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発(福島県大熊町、双葉町)の事故で、自衛隊は17日午後7時半すぎ、使用済み核燃料プールの水が蒸発している3号機建屋に向け、高性能消防車で地上から放水した。防衛省によると、消防車は5台で約30分間に計30トンを放水。水は建屋内に届いたが、経済産業省原子力安全・保安院は効果について「まだ評価できる段階ではない」としている。
防衛省は、ヘリによる水の投下と地上放水について、18日も同様の態勢を取っており、東京電力などから示される17日中の効果を見て、18日以降の放水方法を決める。
一方、警察庁によると、警視庁の高圧放水車は同7時ごろから放水。約5分後、放射線量を示す線量計の警告アラームが鳴ったため、中断した。』(3月17日付時事通信)
【変化する情報の質】
国家的危機とも呼べる緊迫した状況が続く中、「おやっ?」と思うような変化が見られてきました。というのは、日に日にテレビ等のメディアに出てくる情報の質が変わってきていることに気がついたのです。
その最大のものは放射能の危険性に関する情報。福島原発周辺の放射線量が日増しに増加する中、国だけでなくテレビ等に出てくる専門家と呼ばれる人たちも「原発敷地周辺は危険だが、その他は安全だ」(現時点では安全でも刻々と変わる可能性があることを十分認識すべき)といった発言が多くなり、放射能の危険性に対して意図してかどうか、抑制気味の発言になってきているようなのです。もちろん、パニックを防ぐ必要からかもしれませんが、テレビにその傾向が強くなっている気がします。これは一体何を意味するのでしょうか?
テレビメディアは活字メディアよりも流せる情報量が少ないのと反比例して映像を中心に大勢の大衆に瞬時に影響を及ぼします。これほどの危機的状況の中、各テレビ局の報道する内容はあまりに似通っていると事故当初から懸念しているのですが、事態の悪化とともにあまりいい言葉ではありませんが、政府の「大本営発表」を流すのみか、パニックを恐れてか正確な放射線などの情報を流すのに躊躇しているのか、伝えなければならない本当の事実がどんどん遠のいているのではないかと思われます。
【バランス感覚】
海外の主要メディアでは東北大地震と福島原発の事故発生以来、連日トップ扱いの報道が続いています。最初はセンセーショナルな日本礼賛といったトーンばかりが目立ちましたが、ここ数日はあまりの事態の悪化の速さと広がりと日本政府の危機対応能力の低さなどに対する様々な恐怖心を高めながらも、今回の原発事故の自国と世界に与える影響などを比較的冷静にわかりやすく伝え始めているように思われます。
例えば、日本のiPodで視聴できる米国のCNNのテレビ番組「Anderson Cooper 360 Daily」ではメインキャスターのアンダーソン・クーパー氏が日本で取材、米国の核や放射線の専門家との衛星中継でのやり取りで福島原発の事故の説明や米国への影響などについて素人でもわかりやすいように解説していました。この番組の専門家の解説でひとつ参考になったのは、福島原発の危険性を格納容器の炉心溶融と使用済燃料プールの二つに分けて、炉心溶融と同じくらい、あるいはそれ以上に使用済燃料プールのほうが危険性が高まっているというものでした。
BBCは日本の冷静な対応を賞賛しつつも、今回の原発事故の深刻さに大きな危機感を抱いていることがうかがわれます。
いづれにしても、日本が危機の震源地ですから日本の新聞やテレビの報道が最も詳細にわたって福島原発の状況を伝えているのですが、あまりにも細かかったり、技術的すぎたりすぎるかと思うと、焦点を当てるべきトピックがどこも似通っていたり、世界的な視野が欠けていたり、事故の全体像が一般の僕たちにはわかりにくくなっているという懸念があります。こんなときだからこそ、出来れば海外の報道とも見比べて自分なりの立ち位置をしっかりと定めるバランス感覚が必要だと感じます。
中でも最も危惧することは、自衛隊が決死の放水作業をするところまで来てからは、東電に対するヒステリックな非難とは裏腹に決死の作業を過度に美談化するような方向に走りすぎたりすることで、本当の事故の本質が見失われていくのではないかということです。これは戦時中の日本のメディアにも多く見られたことではないでしょうか。とにかく僕たちはどんなに危機が高まっても出来るだけ冷静にバランス感覚をもってこの未曾有の危機を「監視」し続けることが求められると思います。流言飛語的な情報を鵜呑みにしないこと、同時に大手メディアの報道も鵜呑みにしない判断力が求められます。
2014年03月17日
運転員不在―福島第一原発
「フクシマ・アーカイブ」5日目。3年前の3月16日の衝撃はものすごかったです。あの日、西日本新聞の見出しは「原発の現状把握困難」でした。確か、その前日に最も広範囲に、そして最も深刻な放射能雲が東北から関東を中心に日本列島を覆い尽くしたというのを後で知りました。政府はSPEEDIによる放射能の拡散予想をこの時点では隠していました。そしてあれほど情報の隠ぺいを批判された今でも、それら住民の命にかかわる情報を再び事故が起こったときに活用する気はさらさらないとの報道もありました。この国は原子力ムラと呼ばれるゾンビのような集団が解体されないかぎり、次の原発事故による国家の滅亡的な事態は防げないのではないかという絶望的な気持ちになります。そしてその気持ちは3年経った今でも変わりません。なぜなら、安部自民党が政権の座について政府も原子力ムラ全体も原子力規制委員会に原発の技術的な安全審査だけを丸投げして、それさえクリアすれば住民の避難誘導などが整っていなくても次々と原発を再稼働すると言明する有様であり、本質的には3/11前と何ら変わっていないからです。
そんな危機的状況が続く中で絶望を立ち切れるのは、ひとりひとり、僕たち市民の危機感と怒りしかないとの思いが再びこみ上げてきます。
以下は2011年3月16日の僕のブログ記事です。
【予測不能の大惨事へ】
朝起きて、新聞の紙面を見て本当に身の毛のよだつような思いです。福島第一原発は常駐の運転員が放射能濃度が高まって制御室から退避し、原発の現状把握が困難な状況だそうです。恐れていた最悪の最悪というか、複数の原発が制御不能でメルトダウンを次々と起こしていく可能性が高まっています。チェルノブイリ以上の惨禍になる可能性があると思います。これからの事態の推移は、出来る限りの情報を集めて、ひとりひとりがしっかりと想像力を働かせて次にどうすべきかを自ら判断していく必要があると思います。
日本全国が原発被災地になり、地球全体が汚染される可能性が高まっているのかもしれません。本当に大変なことです。地球汚染の責任は日本が背負い、世界は日本礼賛から日本非難へと向かうかもしれません。
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2014年03月16日
福島第一原発の惨禍に想う
「フクシマ・アーカイブ」6日目。敦賀や東海の廃炉が確定的となる中、事業の先行きが見えない日本原電を債務保証して助けようとする電力業界。総合資源エネルギー調査会総合部会から脱原発を唱える委員を大幅に排除してエネルギー基本計画を脱原発から原発推進路線に先祖がえりさせた安倍自民党政権。こんなことをやっていては次の巨大原発事故は避けられないでしょう。フクイチを防げず、未だに責任も取らず、旧来のやり方に固執する無能で傲慢な原子力ムラの実態。看板の掛け替えではなく、組織の抜本的な見直しも、地震対策も含めた原発の安全対策の全面的な見直しが行われなければ全国の原発の再稼働など絶対にあり得ないと思います。本来ならば1986年のチェルノブイリ原発事故の後、日本は脱原発に舵を切るべきだったと心底思います。
以下は、2011年3月17日の僕のブログ記事です。
【核惨事の現実】
福島第一原発で今起きていることが如何に深刻か、3つの原発がボロボロになって白煙を出している映像だけでもわかるのですが、海外の専門家もそれをチェルノブイリの原発事故と同等と表現しています。
『米シンクタンク、科学国際安全保障研究所(ISIS)は15日、声明を出し、福島第1原発事故の状況が国際原子力事故評価尺度(INES)で2番目に深刻な「レベル6」に近く、最悪の「レベル7」に達する可能性もあるとの見方を示した。
日本の経済産業省原子力安全・保安院は先に、今回の事故の暫定値を「レベル4」と発表していた。
ISISは声明で、福島第1原発の1〜3号機で爆発があったことや、4号機の原子炉建屋で火災が起きたことを踏まえ、「この事故はもはや(局所的な影響を伴う)レベル4とはみなせない」と指摘。緊急措置と広範な放射能汚染対策で国際社会の支援が必要だと強調した。
INESは、安全上の懸念がないレベル0から8段階で評価。1986年の旧ソ連のチェルノブイリの原発事故を「7」、1979年の米スリーマイル島原発事故を「5」としている。』(3月16日付時事通信)
【気になる現実】
それにしてもこれほど毎時間、毎日連続して事態が急速に悪化していく現実を目の当たりにすると、自暴自棄的な気持ちになっていきます。上記記事にあるように、もう福島第一原発がチェルノブイリの惨禍をはるかに超えることは確実のように思われます。現場の方々の決死の作業でそれをいくらかでも遅らせるか、被害の程度を少しやわらげることができるように心から祈るばかりですが、もうその望みも刻一刻と絶たれようとしています。
今その責任を東京電力に求めようとする声が大きくなってきているようですが、確かにその対応のお粗末さが事態の悪化を招いているのは明らかなように思えます。しかしながら、同時にそもそもここに至った根本的な原因を考えておかなければならいないとも思います。それについて少し僕の考え方を整理しておこうと思います。
【責めを追う人】
日本は数十年も前から原発なしには生きていけない経済構造になっていて、今から見直すとしても膨大な時間と費用がかかってしまうでしょう。僕は原発には個人的には反対ですが、それでも現実を考えると原発の安全性をある程度確保しながら現状追認していくしかないと素人ながら思っていました。でも今回の事故でどんなに時間と費用がかかっても新しい文明のあり方のひとつとして原発から自然エネルギーに、集中電源から分散電源にしていくべきだと思っています。
日本は1986年に起こったチェルノブイリ原発事故のときに、文明の大きな転換点に立ったのですが、多くの欧州の国々とは違い(フランスは例外です)、大きな転換を図らずに現状追認の方向を選びました。いや何もしなかったというべきでしょうか。あのときが日本のひとつの大きな転機だったと思います。
あのとき欧州の多くの人たちが感じた危機感、現代文明に対する「揺らぎ」の感覚が当時の西ドイツを中心に、環境政策の大転換、エネルギー政策の見直しなどを市民のひとりひとりが声をあげながら実行したと僕は認識しています。政治もそのときから大きく変わりました。もちろんその後揺り戻しもありましたし、最近ではもうひとつの待ったなしの環境問題である地球温暖化を避けるためのひとつの方策として原発への回帰が多くの国で行われているという事実もあります。しかしあのチェルノブイリの後の文明のパラダイムシフトともいえる変化ほどではないと思います。
日本では僕ら都市に住む人間を中心に、それ以前も、そのときも、そして今回の事故が起こる前まで、電力会社にも、官僚にも、政治家にも、原発の見直しについて決死の思いで迫ったことはなかったのではないでしょうか。唯一、原発立地地域の農業者や漁業者の方々たちだけが生活をかけて、命を賭けて原発の危険を訴え続けてきたのです。それを思えば、電力会社や、官僚や、政治家だけを責めることはできません。日本の多くの国民が今まで容認してきたのですから。
【日本の行く末】
日本は残念ながら、今回の福島第一原発の惨禍を機にとてつもなく大きな国力の衰退に見舞われるのではないかと危惧しています。放射能汚染の厳しさを考えれば復興には10年単位で20年とか30年以上かかるのではないでしょうか。
国民の多くがこれを契機に日本の文明のあり方そのものを変えるくらいの決断をしなければ今までの延長線上でのエネルギー政策、環境政策しか実行できず、結果としてより大きな社会全体の変革は実行できないと思います。もちろんその見直しの中には原発の現状維持も含まれます。そしてもっと深刻で早急な対応を必要とされる地球規模の気候変動、地球温暖化問題についても抜本的な社会全体の方向転換は出来ないと懸念しています。(もちろん他の国々はもっとひどいのかもしれませんが。) みなさんはどう思われますか?
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2014年03月15日
破局回避を天に祈る―福島第一原発
ブログによるフクシマ・アーカイブ4日目です。
事故後3年が経って何が変わったのか?事故後、原発の安全性は何も変わっていないし、原発に対する市民の信頼はまさに事故以前とは比較にならないほど地に落ちました。そんな中、唯一変わったのは民主党政権から自民党政権になってフクイチ事故以前の「原発行け行けドンドン」の安倍首相による原発回帰が急速に進んだところでしょうか。再稼働に前のめりになればなるほど本当の意味での安全はまたしても二の次になっています。
たとえば、四国電力の伊方原発3号機。原子力規制委員会のガイドラインに沿って大型ポンプ車や放水砲などの6項目の安全対策を終えて再稼働できるように準備をしているそうです。しかし、伊方原発は敷地内に活断層はなくても日本最大の活断層と言われる「中央構造線」が近くにあり、そこが動けばひとたまりもありません。
そういう状況を知るにつけ、福島第一原発の核惨事という日本を壊滅させたかもしれない大事故を経験しても、なんらその反省をすることもなく、本当に自らの命を賭けてでも住民を日本を守るという姿勢ではなく、ただ原発を維持したいという姿勢しか見えない人間たちの欺瞞だけが目につきます。そしてその頂点にいるのがひたすら原発再稼働を唱え、東京オリンピックを勝ち取るためにフクイチの地下水は完全にコントロールされているといい放った安倍首相その人です。こんな人にニッポンの将来がかかっていると思うと背筋が凍ります。
3年前の3月15日。この日は2号機を中心に大量の放射能がまき散らされた「運命の日」となりました。すなわち、福島第一原発では原子力安全委員会等の無能集団が右往左往する中で、1号機・3号機の水素爆発や2号機の燃料棒の空だき状態など身の毛もよだつ事態が進行したのです。
次にどうなるか見えない状況の恐ろしさ。原発事故の恐怖をまざまざと思い知らされた長い長い一日でした。
以下に2011年3月15日のブログ記事を掲載します。
【危機続く】
まだまだ予断を許さない状況が続いています。
『東日本大震災に見舞われた東京電力福島第1原発で14日、2号機の燃料棒が一時、冷却水から完全に露出するという、前例のない事態が起きた。一時的な「空だき状態」で、最悪の場合は米スリーマイル島原発事故のような非常事態につながりかねない。同日午前には、3号機の原子炉建屋(たてや)で水素爆発が発生。完璧な管理によって、その安全性を強調してきた日本の原発は、前代未聞の制御不能状態に陥っている。
2号機では14日午後、原子炉圧力容器内の水位が一気に低下し始めた。このため、原子炉建屋が爆発した1、3号機よりも優先して注水作業が続けられたが、水位の低下を止められず、約4メートルある燃料棒全体が露出する「空だき」状態が一時的に発生した。
その後の注水で水位は上昇したが、万が一、水位が回復しなければ、燃料棒が溶ける炉心溶融が進行し、原子炉内の燃料の大半が溶ける「メルトダウン」と呼ばれる事態になる恐れがあった。
これは原子炉自体が損傷し、放射性物質が外界に拡散しかねない事態だ。』
(3月14日付毎日新聞)
【現場の努力に敬意】
原子炉の「空だき状態」が一時的にせよ起きたことにショックを受けました。報道にある通り、冷却水がなくなって燃料棒全体が露出することを「空だき」状態と言い、これが続くと最悪の場合原子炉内の燃料が溶ける「メルトダウン」に陥るのです。メルトダウンとなれば原子炉内の放射能が外部に放出されることが予想されますから、絶対に避けなければならないのです。
問題なのは空だき状態となった2号機だけでなく、1号機も3号機も建屋が爆発で破壊され依然として安心できる状況ではないことです。ひとつの原子炉だけでも大変なのに3つも同時に危機的状況にある。これはもはや最悪の事態を想定して、福島県だけでなく首都圏も含め、ヨウ素剤の頒布や大規模な避難計画を実施すべきときに来ているのかもしれません。そして長期的な電力不足に対応した経済の立て直しを早急に検討すべきだと思います。
平和で安全な日本という国が今脆くも崩れ去ろうとしています。日本に今いる僕たちは福島原発の周辺の方々だけでなく、すべての地域で戦争以上の国家存亡の危機にあることを肝に銘じておかなければならないと思います。
今はとにかく、そんな危機的な状況の中で必死になって、死を覚悟で現場の方々がメルトダウンという最悪の事態に至らないように動いている。僕らはこの方々たちの無事を祈り、最悪の事態にならないように祈りたいと思います。