歴史

2013年04月16日

復興会議から原発除外? 2

3月26日に放映された「3.11後を生きる君たちへ〜東浩紀 梅原猛に会いに行く」(NHK Eテレ)で、哲学者・梅原猛氏が東日本大震災後わずか1ヶ月後に原発事故を起こした災害を「文明災」と定義し、原子力に依存してきた西洋文明の在り方に痛烈な批判を浴びせ、日本の伝統思想に立脚した自然と共存する人類共通の哲学思想を語っていました。

その梅原猛氏は東日本大震災の復興構想会議でも会議の特別顧問として「文明災」に言及、原発問題を会議のテーマからはずそうとしていた事務方をはじめとする原子力ムラに痛烈な一撃を放っていました。これほどの事故を起こした以上、文明史的なパラダイムシフトをしなければ日本は再び同じ原子力の災禍を繰り返すでしょう。もっと哲学者や文学者、社会学者や宗教家といった幅広い人たちが原子力ムラの横暴を糾弾して日本社会を変えていくことが必要だと思います。国の在り方があまりにも経済一辺倒過ぎます。

以下は、梅原猛氏が発言した復興構想会議について書いた2011年4月18日の僕のブログ記事です。


【議論スタート】

復興構想会議が14日スタートしました。

110414復興構想会議『「全国民の英知を結集する」として菅直人首相が発足させた東日本大震災復興構想会議(議長・五百旗頭真防衛大学校長)の議論が14日始まった。6月末をめどに第1次提言をまとめることを確認したが、首相が議論の対象から原発問題を外すよう指示したのに対し哲学者の梅原猛特別顧問らから異論が噴出。震災発生後の本部・会議の乱立や政治主導の政権運営に疑念を呈する発言も相次ぎ、復興構想の具体化に不安を残すスタートとなった。

 「原発問題を考えずには、この復興会議は意味がない」

 以前から原発の危険性を唱えてきた梅原氏は会議の終了後、記者団にこう言い切った。首相自ら特別顧問就任を要請した梅原氏だが、東京電力福島第1原発事故の収束する見通しの立たない中、賛否の割れる原発問題に踏み込みたくない首相の意向と会議の間に初会合からずれが生じた。

 原発事故の被害に苦しむ福島県の佐藤雄平知事は「原子力災害も皆さんに共有していただきたい。安全で安心でない原子力発電所はありえない」と提起。秋田県出身の脚本家、内館牧子氏も「地震、津波、原発事故という3本の柱で考えたい」と述べ、復興構想の中に原発をどう位置づけるかが議論の焦点の一つになりそうだ。

 内館氏は対策本部や会議の乱立にも「復興構想会議もその中の一つと国民に思われたら、東北がつぶれる」と苦言。震災後も府省や自治体との連携不足が目立つ菅政権に対し、「官僚と県や市が一体となってやることがまず第一」と注文をつけた。

 五百旗頭氏は会議後の記者会見で「(検討)部会で専門的な議論をするときには官僚機構から知恵を出してもらいたい」と強調。会議の下に設置する検討部会(部会長・飯尾潤政策研究大学院大教授)で提言の肉付けを進める段階で、官僚の協力を期待する考えを示した。』(4月14日付毎日新聞)

【原子力抜きの議論?】

最初の会議から波乱含みとなりました。それはこの記事にあるように、梅原特別顧問など数人の委員から原発抜きでは復興構想会議にならないという意見が噴出したからです。当然だと思います。

地震と津波と原子力災害が3つ一緒に起こったからこそ、今回のような天災と人災のミックスで東日本全体がかつてない悲惨な状況に追い込まれているのです。その最も大きな原因である福島の核惨事を議論から除外してしまっては、腑抜けのような結論しか出てこないことは明らかです。原発で議論が紛糾するのは当然でしょう。ならばどんなに紛糾してもトコトン議論すべきです。日本がまさに沈没せんとしているときに、その最も大きなガンである原子力問題を抜きにして復興はあり得ない。

これほどの核惨事を招いてもまだ日本人はわからないのでしょうか?復興構想会議のメンバーのひとりである玄侑宗久さんが自身のブログに書いているように、今回の地方自治の首長を選ぶ選挙でも原発容認派の知事がたくさん選ばれたようですが、自分の足元の原発が爆発しなければ福島の核惨事でさえ他人事なのです。日本は本当にこのままでは次々と襲いかかる大地震を引き金とする原発の核惨事で壊滅するところまでいくしかないのかもしれません。本当にぞっとします。

玄侑宗久さんのブログ「雪月花」→ http://www.genyu-sokyu.com/

今日の記事参考になりましたか?

「人気ブログランキングに参加しています。貴方の貴重な一票を!」



2013年04月05日

異なる基準に翻弄される住民―飯舘村 1

2年前の僕のブログ記事には飯舘村の放射能汚染に対する当時の原子力安全委員会と国際原子力機関IAEAの見解の相違について書かれています。国際的な原子力推進機関であるIAEAさえも飯舘村の放射能汚染の状況に危惧をいだいていたときに、日本政府がいかに危機感が薄かったか、当時もそして2年経った今はなおさら明らかになっています。あまりにも無責任、あまりにも市民軽視、日本という国の先行きを本当に危惧します。

折しも昨日は日銀の大胆な金融緩和方針に多くの日本人が浮かれています。どんなに浮かれても原子力の抱える問題は日本人の喉元に突き刺さったままだということを決して忘れてはいけません。

以下は2011年4月4日付の僕のブログ記事です。

【IAEAの見解】

国際原子力機関(IAEA)と日本政府(原子力安全委員会)の見解が異なり、混乱しているようです。

110401原子力安全委員会『福島県飯舘村で検出された高濃度の放射性物質を含む土壌を巡って、国際原子力機関(IAEA)と内閣府・原子力安全委員会の見解が分かれ、混乱が広がっている。

 IAEAは独自の土壌調査を行い、日本政府に避難勧告を検討するよう促したが、安全委は「判断基準の物差しが違う。日本の方が総合的に判断しており問題ない」と反論している。

110401IAEA 飯舘村は福島第一原発の北西約40キロに位置し、屋内退避を勧告された20〜30キロ圏内の外側にあたる。IAEAは同村で、土壌の表面に付着している放射性ヨウ素131とセシウム137ほか、空気中の放射線量の割合を調査。放射性ヨウ素131が、土壌表面の1平方メートル当たり2000万ベクレルで、IAEAの避難基準の約2倍に相当するとしている。

 これに対し、日本は土壌を深さ約5センチまで掘り、採取した土壌1キロ・グラム当たりの放射性物質濃度を調べている。このほか、空気中の放射線量の割合、空気中のほこりや飲食物に含まれる放射性物質濃度なども測定し、人への影響を考慮している。』(4月1日付読売新聞)

【生き地獄】

IAEAの実際の発表は見ていませんが、原子力安全委員会の代屋という委員が自分たちの基準の正当性を説明している場面の映像はテレビで見ました。それを見て感じたのは、この人たちは住民の安全を本気で考えているのだろうかということです。代屋委員は「我々の方が人体の影響についてはより正確な数値である」と説明をしていましたが、人体の影響といった抽象的な話ではなく、個別具体的な飯舘村の人たちについてどこがどう安全なのかもっと血の通った言葉で話してほしいと思ったのは僕だけじゃないのではないでしょうか。

TBSのニュース映像

http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20110401-00000015-jnn-soci

110401飯舘村この原子力委員会とIAEAの見解の相違について、飯舘村の農家のある60代女性は、J-CASTニュースの取材中3度も「生き地獄」という言葉を繰り返したそうです。飯舘村は人口が6千人あまりの福島県の山間部に位置する小さな農村です。福島第一原発からは約40キロ離れており、政府の屋内退避地区(20〜30キロ)にかかるのは村の一部です。

しかし、3月24日頃に海外から伝わってきてあわてて原子力安全委員会も公表した「緊急時迅速放射能110401SPEEDIの試算結果影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)」の試算結果によれば、事故直後からしばらくは原発から北西方向に放射能の拡散地域が広がり、その中に飯舘村も入っていた時期もありましたし、その後も高い放射線量が測定されていました。

問題は、どのくらい長期にわたって放射能を浴びると人体に悪影響があるか、相当精緻に観測し、村人の健康状態もフォローし続けなければ実態はわからないということです。

【村人の実態と真摯な姿勢】

110401飯舘村の風景先ほどとりあげた飯舘村の農家の女性は、「農家はね、土をなめるように、はいつくばるようにして働くの。1日に10時間も12時間も外にいるの。作業も10日なんかじゃ終わらない。100日は続くの」と訴え、土壌表面の検査結果や「長期間における健康への影響」にも高い関心をもっておられたそうです。

1日10時間も12時間も屋外にいて、土をなめるようにはいつくばって農作業をする農家の人たちのことを考えれば、数値が正確であることに加えて、そこに住む住民の生活における行動特性なども考慮に入れた安全性がしっかり確保されなければならないのではないでしょうか。

そういう意味で原子力安全委員会のあまりにも簡単な見解や説明は到底納得できるものではありません。映像を見ても、とても命を賭けて住民を守る姿勢などあるとは思えないのです。国際機関との見解の相違に対して自分たちの数値の正確さに意気軒昂に自信を示すよりも、飯舘村に飛んで行って住民の方々に丁寧にその真意を説明するくらいの覚悟があって初めて「安全委員会」などという名前を使えるのではないでしょうか。

今日の記事参考になりましたか?

「人気ブログランキングに参加しています。貴方の貴重な一票を!」



2013年03月31日

菅首相の率先視察をどう見るか―福島第一原発 1

「フクシマ・アーカイブ」20日目。2年前の今ごろ、菅前首相の福島第一原発の初動対応を巡って経済界や与野党の政治家たちの菅氏に対する袋叩きが報道されていました。あのときの異常なまでの菅叩きは、原子力ムラといわれる勢力が脱原発に向かう首相を引きずり下ろしたい一心でありとあらゆる手段を使っていたのだと想像できます。

それにしても2年経った今も安倍自民党政権は、被災地のことも、次の地震が来れば日本を崩壊させかねない福島第一原発のことも黙殺し、危険な原発をなくすどころか次々と再稼働させることばかり公言しています。3月28日には自民党は政府の電力システム改革案について、大手電力の発送電分離は努力目標に、原発の再稼働を条件にするなど中身を骨抜きにして了承しました。電力の安定供給が大事などと言っていますが、単に発送電分離などしたくない電力会社に媚びているだけです。これで次の原発事故が起こったら、自民党の政治家たちは原発に命がけで視察に行った菅前首相とは反対に全員われ先に逃げ出すのは目に見えています。今夏の参院選で自民党に過半数を取らせたら日本は本当に終わってしまうでしょう。

そんなことを思いつつ、2011年3月31日のブログを振り返ります。

【視察への批判】

菅首相の初動対応に自民党が噛みつきました。

110329答弁する菅首相『菅直人首相は29日午前の参院予算委員会で、東日本大震災の影響で東京電力福島第1原発を襲った津波について「(原発設置)当時の津波に対する認識が大きく間違っていたのは否定しようがない」と述べ、津波の想定を今後の検証対象とする考えを示した。一方、同原発を視察したことが放射性物質を含む気体を原子炉から排出する「ベント」の遅れにつながったとの指摘に対しては「(初動対応が)遅延したという指摘はまったくあたっていない」と反論した。首相の国会答弁は震災後初めて。

【官房長官もフォロー】1号機の排気「再三指示」 枝野官房長官

 津波に関し、首相は「(1960年の)チリ地震の後にできた原子炉でありながら、チリ地震の基準も満たしていないとすれば相当問題だ」と述べた。視察がベントの遅れを招いたとの指摘には「政府は12日午前1時半にベントすべき姿勢を明確にし、一貫してその方針を東電に伝えてきた」と強調した。

 原発事故への対応では「予断を許さない状況が続いている。最大限の緊張感を持って取り組む」と表明した。

 同原発を廃炉にするかについては「専門家の意見を聞いて決めるが、その可能性は高い」と語った。』(3月29日付毎日新聞)

【菅首相の現地視察】

政権交代してからの民主党の体たらくに国民は失望していたところに、今回の大地震と大津波、さらには原発の事故と未曾有の災害に見舞われて、菅政権がその対応に右往左往しているのを見て一層不安感を高めているのは事実だと思います。

しかしながら、僕は地震と津波が起きて福島第一原発事故が起きた後、早い段階で原発を視察した菅首相の行動は、正しかったと思っています。もちろんその後の指導力や実行力という面で首相というにはお粗末なこともたくさんあるのですが、少なくとも初動の対応として現地に行ったのは評価されるべきだと思います。

あのとき、首相が行ったために放射性物質を含む気体を原子炉から排出する「ベント」の遅れにつながったというのは、報道だけで判断するしかないのですが東電や原子力安全保安院の都合のいい言い訳ではないかと思われます。その後の対応を見ても東電や原子力安全保安院とその監督をする経産省がいかに今まで国民から事実を隠し、癒着してきたかがわかりますし、そういう体質が今の危機を大きくさせているかが誰の目にも明らかですので、そういう点からも首相がもし最初に現地視察をしていなかったら、その後の対応はもっと混乱していたのでないかと想像できます。

【トップの役割と問題の所在】

平成7年1月17日に発生した阪神大震災の際、当時の村山富一首相は阿鼻叫喚の地獄のような被災地・神戸が助けを求めているときに何ら決断せず、現場にも行きませんでした。国家のリーダーが逃げたために、自衛隊を所管する防衛庁長官、警察を統率する国家公安委員長、消防を所管する自治大臣など当時の首相直下の部下たちがどれだけ初動が遅れたか、そのためにどれだけの助かったかもしれない命が失われたかはかり知れません。(今回の事故では、東電の清水社長も13日の記者会見以降姿を見せず、ついに30日には高血圧とめまいで入院という発表となりました。村山元首相同様、最悪のリーダー像だと思います。)

未曾有の国難のときに、その現場にまずトップが行くことは当然のことです。行くだけでもその場の状況がある程度読めますし、その後の対処の仕方も違ってくるはずです。そしてトップが来てくれたという信頼感を現場が持てば、現場は現場の指揮官のもとで必死で対応してくれるでしょう。そんな指導層と現場の信頼感さえ失われているのが今の日本の「惨状」です。

繰り返しますが、有事の指揮官として現場に急行するのは当然のことです。もともと電力会社、経産省、原発メーカーと一緒に原発推進を過去数十年にわたって進めてきた自民党の政治家たちが、もしも政権党としてこの原発事故の対応に当たっていたら、現場に行くどころか、今より事実が国民から隠ぺいされ、もっともっと酷い状況になっていたのではないかと思います。そういう意味では世間の批判はありますが、管内閣のほうがマシだと言えるかもしれません。

自民党の政治家たちは「俺だったらちゃんと現場に先ず行った」と菅首相に言えないから、ちょこちょことイチャモンをつけるだけしか出来ないのです。残念なことです。

それからもうひとつ。3週間近く経ってから東電がフランスに泣きついたとか、事故当初は米軍の救援を断ったとかいろいろな話が伝わってきていますが、初動対応という意味では東電も原子力安全保安院も、経産省全体も、官邸も、民主党も、今回の事故対応に当たっている当事者幹部はみんなあまりにも甘すぎます。こんな体たらくでやれ「温暖化対策に有効だ」とか、「必要不可欠なエネルギー源だ」とか、「絶対安全だ」といった宣伝を繰り返し、いったん事故が起こったら「想定外だ」と言って責任を回避し、日本国の住民、いや世界中の人々の命を蹂躙しようとしているのです。事故の広がりと深刻さを考えれば、これはほとんど旧ソ連の指導層と同じだし、犯罪的だと思います。自分たちで安全を守れないなら、即刻救援を求めるべきでしょう。命を守るのに恥も外聞もありません。

今日の記事参考になりましたか?

「人気ブログランキングに参加しています。貴方の貴重な一票を!」



2012年07月23日

天然ガス火力発電増強で乗り切れ−東京 3

【火力発電の増強】

火力発電能力の増強が東京ガスと石油元売り会社によって検討されています。

120722天然ガス発電『東京ガスと石油元売り最大手のJX日鉱日石エネルギーは、川崎市で共同運営している火力発電所の能力を増強する方向で検討に入った。

 現在の発電能力は原子力発電所1基分に相当する約85万キロ・ワットだが、これを2020年頃に2倍以上に増やす。増やした分はほとんどを新電力に販売するため、新電力の供給能力が高まり、利用者が電気を購入する際の選択肢も増える。

 昨年3月の東日本大震災以降で、既存の電力会社以外の発電事業者による能力増強としては、最大規模になる。東京電力が、原発の再稼働にメドを立てられず、供給力を増やせないため、東ガスとJXは発電能力を増強しても需要は十分にあると判断した。

 両社が共同運営しているのは、川崎市川崎区の臨海部にある天然ガスを燃料にした「川崎天然ガス発電所」。すでに2基の発電プラントがあり、同じ敷地内に新たなプラントを建設する。ガスタービンと蒸気タービンを併設し、発電効率が高い最新鋭の「コンバインドサイクル(複合発電)」を採用する。投資額は数百億円規模。』(7月22日付読売新聞)

【自然エネルギーへの転換】

政府は今、2030年時点の日本のエネルギー戦略について3つの選択肢を示して、各地で意見聴取会を開催しています。原発0%、15%、20〜25%という3つの選択肢のカギとなるのは、自然エネルギーの比率をどこまで実現性を持って高められるのかではないでしょうか。経団連や日商などの経済団体が3案とも実現不可能だと批判しているのも自然エネルギーが原発の代替にはなりえないというところを主な論拠にしているようです。

僕も自然エネルギーを主要な電気エネルギーに据えるには、かなり大胆な政策誘導なり、民間による短期間での相当の投資が求められることなどを考えればやや懐疑的な気持ちもあります。

しかしだからと言って地震大国ニッポンで明日にでもフクイチ以上の核惨事が起こり、国家が壊滅しかねないという状況が現に存在する以上、原発は今すぐにでも廃止するべきだという一点にいささかの迷いもありません。そんな重大な危機を棚に上げて原発ばかりを維持しようとする経済界や官僚などの原子力ムラの姿勢は既得権益を守りたいだけだと思われても仕方がないのではないでしょうか。

【自然エネルギーの有力なつなぎ】

その自然エネルギーまでのつなぎとして十分な役割を果たすことが期待されるのがガスタービンと蒸気タービンを併設し、発電効率が高い最新鋭の「コンバインドサイクル(複合発電)」であり、東京都の猪瀬副知事の火力発電所構想も今回の東京ガスとJX日鉱日石エネルギーの発電所建設構想も原子力が動かせない現状での緊急措置というだけでなく、自然エネルギーまでの時間稼ぎとして十分な能力を発揮するでしょう。

原発は生みだすエネルギーの3/2は温排水として海に捨てますが、天然ガス「コンバインドサイクル(複合発電)」は生みだすエネルギーの3/2を有効利用できるだけでなく、工事着工から発電までの期間も原発と比べれば半年〜数年のサイクルであり極めて現実的かつ効率的な発電手段なのです。

もちろんガスタービンは原発のような核災害による破滅的な事故は起こらない。これは安全を望む市民だけでなく、マーケットや投資家にとってもより受け入れやすい選択です。

現在の意見聴取会の議論の詳細な中身は知りませんが、是非このコンバインド天然ガス発電を原発を即廃炉にして自然エネルギー普及させるまでの有力な選択肢として大いに議論してほしいと思っています。

≪参考≫

・「自然エネルギーは地方から、つなぎはガスで電力と雇用を!!」・・・2011年7月29日の僕のブログ記事


2011年12月07日

粉ミルクからセシウム-氷山の一角? 1

【粉ミルクにセシウム】

これは氷山の一角かもしれません。

111206明治ステップ『食品大手の明治(東京都江東区)は6日、粉ミルク「明治ステップ」850グラム缶の一部から1キロあたり最大30.8ベクレルの放射性セシウムを検出したと発表した。厚生労働省によると、粉ミルクからのセシウム検出は初めて。乳製品の暫定規制値(1キロあたり200ベクレル)未満で、毎日飲んでも健康に影響ないレベルとされているが、同社は「安心して使っていただくことを最優先する」として、検出された製品と近い時期に製造した同銘柄の約40万缶を無償で交換する。

 セシウムが検出されたのは、同社埼玉工場(埼玉県春日部市)で3月14〜20日に製造した粉ミルクを使ったものの一部。11月28日、「ステップで放射性物質が出たと聞いた」と報道機関から問い合わせがあり、在庫分などを調べたところ、21.5〜30.8ベクレル検出された。前後の期間に製造した粉ミルクを使った商品は、いずれも検出限界値(1キロあたり5ベクレル)未満だった。

 原料の粉乳は大部分が豪州など外国産で一部は北海道産だが、いずれも東日本大震災以前に製造された。同社は、粉乳を水などと混ぜ合わせて霧状に噴霧したものを熱風で乾燥させて粉ミルクを作っており、「乾燥の過程で取り込んだ外気に含まれるセシウムが影響した」とみている。

 同社は4月末から毎月1回程度、放射性物質の定期検査を行っている。3月製造分については関東地方で大気中の放射線量が高かった3月21日のものを調べたが、検出限界値未満だったという。

 厚労省は「暫定規制値を下回れば健康への影響は考えられない」とする。一方、子どもは大人より放射性物質の影響を受ける可能性があるとして、乳児用食品の区分を新設し、現行より厳しい規制値を設定する方針だ。

 無償交換の対象は、賞味期限が来年10月3〜6日、同21〜24日の製品で全国に流通。問い合わせは同社お客様センター(0120・077・369)。』(12月6日付毎日新聞)

【これから広がる放射能汚染】

起こってほしくないことが次々と起こってきています。推定77京(77X10の16乗)ベクレルという天文学的な放射性物質が福島第一原発から風に乗って日本全国、いや世界中にまき散らされたのですから、福島周辺だけでなく関東や東北を中心にいたるところにホットスポットを生じさせ、ありとあらゆる自然の恵みの中に付着したのですから食品の中に発見されないほうが不思議なのです。

時折大手メディアが報道する放射能汚染の実態はほんの氷山の一角にすぎません。海洋の汚染は陸地よりもさらに複雑で甚大な影響をこれから長きにわたって人間だけでなく生物すべてに降りかかってくるでしょう。

そんな中で出てきた大手粉ミルクメーカーの粉ミルクに見つかった放射性セシウム。乳児に飲ませるものですから、「健康にはただちに影響ない」などとアナウンスする暇があったら放射能の専門家と呼ばれる人たちは真剣にその対応策について粉ミルクメーカーや生産者と直接話し合っていくべきでしょう。これは国家の存立に関わる重大問題だという認識を持つべきです。そして粉ミルクメーカーはすべからくこの賠償責任を先ず東電に、そして国に求めるべきです。今回の放射能汚染による被害に関しては、どんなことでも東電そして原子力ムラの責任を追及していってこそ、次の原発事故を防ぐことにつながっていくということを僕たちひとりひとりが肝に銘じるべきでしょう。事態は極めて深刻だと考えます。

≪参考≫

・「急速に進む「恐れていた事態」―食品・水・土壌の放射能」・・・2011年3月24日付の僕のブログ記事

今日の記事参考になりましたか?

「人気ブログランキングに参加しています。貴方の貴重な一票を!」



2010年12月22日

海女がいなくなるとき 2

【海女さん激減】

海女さんが激減しているというニュースが目に留まりました。

かわいすぎる海女さん『漁に出ている現役の海女は32年前に比べて全国で約7000人減り、18道県で2160人になっていることが17日、三重県鳥羽市の「海の博物館」の調査で分かった。8都県では海女がゼロになった。同博物館の石原義剛館長は「海女の高齢化が進行し、10年後には海女が消滅する可能性が高い」と懸念している。

【19歳でデビュー】「かわいすぎる海女」としてブレークした大向美咲さんの写真

 水産庁が1978年に実施した調査では、26都道県で9134人の海女が確認されていたが、4分の1以下に激減した。

 今年4月から、水産庁が前回調査した30都道府県と山形県を対象に、漁連などへのアンケートや現地調査を実施した。海女の人数が最も多かったのは三重で973人。次いで石川197人▽千葉158人▽静岡139人▽山口127人--の各県の順。静岡は前回1059人だったが、大きく減少した。

 前回調査で現役海女がいたが、今回0人になったのは、新潟=前回140人▽高知=同122人▽東京=同114人▽愛知=同64人▽宮崎=同35人▽富山=同30人▽神奈川=同17人▽茨城=同3人=の8都県に上った。

 激減の要因について石原館長は「藻場が荒れ、海女漁の対象となるアワビやサザエなどの資源の減少が大きな影響を与えている」などと分析している。』(12月18日付毎日新聞)

【日本の原風景】

海女さん驚くべきことに、アワビやサザエなどを素潜りで獲る伝統的な海女漁を行っているのは日本と韓国だけだそうです。みなさん、ご存知でしたか?そして私たちの住む九州では昔海女のことを白水郎と呼んでいたとか。

その海女さんを世界文化遺産として残そうと2009年に韓国・済州島の海女さんと日本の10地域の海女さんが一堂に会して三重県鳥羽市で「日本列島 "海女さん" 大集合 - 海女フォーラム・第1回鳥羽大会」が初開催され、そのときに注目されたのが「かわいすぎる海女さん」としてデビューした大向美咲さんでした。しかし、彼女は低すぎる年収や世代間の争いなどですでに引退しています。

この記事にあるように、海洋資源の減少や海女さんの高齢化など多様な原因で海女さんという日本の原風景のひとつが消えて行くのは時間の問題なのでしょう。海に囲まれた日本の原風景のひとつ、海女さん。このまま消えていくのは本当に惜しい気がします。みなさんはどう思われますか?

今日の記事参考になりましたか?

「人気ブログランキングに参加しています。貴方の貴重な一票を!」
 



2010年12月16日

菅首相の硫黄島訪問―戦没者の声なき声に耳を傾けよ 3

【遺骨収集】

先が見えない時ほど、こういう場所に赴くことは重要なことかもしれません。

硫黄島『菅直人首相は14日、羽田発の航空自衛隊機で、太平洋戦争の激戦地だった硫黄島(東京都小笠原村)を訪問した。日本兵の遺骨収集を進める政府特命チームの活動状況の視察が目的で、自衛隊滑走路の西側の調査現場を訪れた首相は、自らの手で土の中に埋まっていた遺骨を取り上げた。午後には戦没者追悼式に出席する。
 現職首相の硫黄島訪問は、2005年6月の小泉純一郎氏以来。菅首相は、民主党代表代行を務めていた06年9月に訪れたことがある。
 硫黄島では日本兵約2万2000人が戦死したが、09年度までに収集した遺骨は約8700体にとどまっている。今夏に米国で実施した資料調査で、約2200体が埋められたとみられる場所がほぼ特定されており、特命チームが発掘調査を進めている。』(12月14日付時事通信)

【栗林中将の最期】

硫黄島栗林中将の最期僕がこの記事を取り上げたのは、週末の出張のため、福岡空港で飛行機を待つ間に立ち寄った本屋で見つけた「硫黄島 栗林中将の最期」(梯久美子著、文春文庫)に目がとまり、一気に読んだところだったからです。もちろん、数年前に読んだ「散るぞ悲しき 硫黄島総指揮官・栗林忠道」(梯久美子著)やクリント・イーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」などを見ていたので硫黄島にことのほか興味を持っていたこともあります。

その「硫黄島 栗林中将の最期」には、梯氏の丹念な取材により硫黄島に関わるいくつかの驚くべき事実が明らかにされていました。その中でも最も僕の胸を打ったのは最期の一篇「美智子皇后 奇跡の祈り」でした。そのドキュメントには、美智子皇后さまがマスコミの心ないバッシングで声を失った平成5年10月の誕生日からおよそ5カ月を経た平成6年2月12日に硫黄島に戦没者慰霊訪問をされたときに奇跡的に声が戻ったというお話でした。それまでもひたすら太平洋戦争で亡くなられた戦没者の慰霊の旅を続けてこられた美智子皇后さまが誰にも邪魔されることのない硫黄島というかつての激戦地で、約2万人もの戦没者の方々の声なき声に耳を傾けひたすら祈り続けたときに、失っていた声を取り戻されたというのは本当に不思議な、しかし祈り続けた皇后さまだからこそ起こったことだと思いました。

やはり、太平洋戦争で失われた数百万人にものぼる戦没者の方々があってこそ今の日本の繁栄があるのだということ、そしてその象徴が硫黄島であることを私たちは忘れてはいけない。今の日本の混迷も、この原点に戻ることが大事ではないか、政治家たちは特にそうであるべきだと思うのは僕だけでしょうか。

菅直人首相もスケジュールをこなすだけでなく、是非美智子皇后さまを見習ってひたすら硫黄島で祈り続けてほしいと思いました。

今日の記事参考になりましたか?

「人気ブログランキングに参加しています。貴方の貴重な一票を!」



Profile

ラッキーメンタイ

QRコード
QRコード
Recent Gas Price

gogo.gs
Recent Comments


楽天市場