2006年03月21日

スカイマークの問題について。

ずっと、更新をサボっていました。申し訳ありません。

5号館さんのところで、問題になっていたスカイマークの話。
詳細を知らなかったので、「へえー」というぐらいでしかなかったのですが、ちょろっとネットを回るといろいろと話があったので、ちょっと言及。

今回の問題は、補修を言われていたスカイマーク側が何にも確認をしていなかったので、言われたことをしていなかったということに関しては、スカイマークが一方的に問題です。まあ、それはそれとして良いとしましょう。

気になっていたのは、今回はどういったことが問題だったのか。

読売新聞より。
機体右側前部の客室ドア付近に長さ6センチ、幅1・5センチ、深さ約1ミリのくぼみがみつかった。


ですよ。
これって、すごくないですか?ポストイットの大きさで、深さ1mmですよ。光学顕微鏡用のガラス板一枚分の欠陥があの大きな機体で発生すると問題ということですよ。

それで落ちちゃうんですかね?

ちなみに、今、ヨーロッパでは格安エアラインが台頭してきています。調べたら、いっぱい出てきますよ。別に、東欧、中欧のエアラインだけに限らず。これらの格安方法は至って、シンプルです。機体はぎりぎりしか用意しません。スケジュールもタイトです。1便でスケジュールが遅れると玉突きしきに遅れます。なるべく、安い空港を使います。時には、120kmも離れているのに、フランクフルト空港と言ったりします。安全に関してはわかりませんが、それ以外のリスクを負うということで格安運賃を成功させています。お客もその覚悟ありです。

  
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2006年01月09日

ポスドクの適正価格

文部科学省が、ポスドクの雇用問題で、新しい施策を作りました。ポスドクの雇用問題というのは、いわゆるオーバードクター問題と言われているものです。

ドクターを1万人作っては見たものの、そんな雇用は全然ないというのが今回の問題の発端です。

文科省の施策はこちらで見られます。

文科省の具体案について

より具体的には、以下のような取り組みについてサポートすることになっている。

(2)事業機関の取組内容
実施機関は、以下の観点から、若手研究人材のキャリアパス多様化のための取組を行
うものとする。
/雄爐抜覿氾の交流・情報発信に関する取組
<例>
・若手人材と企業等の人事担当者、研究機関の関係者の交流セッションの実施
・若手、企業側等のニーズを踏まえたマッチング事業
・ベンチャー企業等の合同説明会
・OBの活躍事例等も含めたキャリアガイドブックの作成
・外部の講座・説明会等のイベント情報の集約とホームページ上での公表等
▲櫂好肇疋ター等の能力開発の取組
<例>
・企業等の研究開発現場への派遣研修、業務体験
・各種ビジネススキル講座、プレゼンテーション講座、起業セミナー、労務研修
・科学館、博物館等のコミュニケーターとしての訓練、実習
・行政機関、ファンディング機関等での派遣研修等
キャリアパス多様化に係る意識の醸成
<例>
・キャリア設計、就職・転職に関するガイダンス、個別コンサルティング
・研究指導者等を対象にした意識啓発、労務・法規研修
・民間企業に対する人材PR活動等
け娠賃寮構築に関する取組
<例>
・機関内の運営委員会の設置、連携研究機関や協力機関との連絡会議の設置
・恒常的に情報発信や相談窓口となるキャリアセンターの設置
・企業、機関、団体等との交渉などを行う専門スタッフの配置(常勤/非常勤)
・若手研究者や企業を対象としたニーズ調査の実施等

====大隅先生のページより====

で、この施策に対して、うまく行かないと、大隅先生のエントリーコメント欄に書きました。

ポスドクが就職しようと思った場合、どのような方法があるか。まずは、指導教官づてに情報を仕入れる方法。今までは、これが主流でした。博士の就職に関してはほとんど指導教官がどれだけつながりを持っているかで決まるところもあるかと思います。

アカデミックなポジションであれば、現在は研究者人材データベースというものがあります。
http://jrecin.jst.go.jp/
アカデミックのポジションであれば、かなりの量を検索できます。

一方で、よくよく考えると、これらのポジションはこれから減る方向にあるわけですし、魅力的なポジションがいつでもあるわけではありません。さらに、今問題になっているのは、アカデミックなポジション以外にどのような職があるかという問題です。社会がこれらの人々をどう使いこなすかという問題です。で、これらがうまく行かない理由の一つです。で、いくら大学側にいろんな部署を作ろうが無理に決まっています。なぜなら、これらの問題は当事者から離れたところに何かしても全く意味がないことなのです。結局、箱もの行政みたいなものです。もっとも問題であるのはポスドクの適正価格です。ポスドク個人も社会も大学もその額がいくらかというのがわかっていないと思っています。
404blogNotFoundさんのプログで、「値付け」が最も難しいと言っていますが、まさに、そういうことだと思います。学振のPDの給料は37万です。この学がポスドクの基準額になります。しかし、アメリカのポスドクは、21万ぐらいからです。物価も違うので、一概に多い少ないを論じられませんが、アメリカでのポスドク最低賃金はこのあたりです。
40万近く、オーバードクターに払っているところは珍しいんです。会社に入るために、もっとも必要なのは自分がいくらか、10年働いた人がいくらぐらいの給料がもらえるか。そういった上に成り立っています。


さらに、問題があります。大学は社会のニーズを的確に捉えられないということです。
修士を卒業して、重工に就職した友人の言葉が最も印象的でした。
「大学では、わからないことをわかろうとしてくれる。しかし、社会に出たら、わからないことは聞いてくれない。」
これが、まさにアカデミックと社会の差ではないかと思っています。さらに、このことは大学の先生方がわかっているのだろうかと思うときもあります。「教えた気になっていませんか?」ということです。

これほど、大学と社会というのはかけ離れたものであると思っています。で、ポスドクの人はまず企業の扉を叩くところからだと思います。叩けないと始まりません。叩いた人に、国から何らかの支援をすれば良いのではないかと思います。

で、入社半年間のインターンを設けて、その期間を新入社員と同じ金額で働かせるというのはどうでしょう?国からは、実際の年齢分の給料を補填する。半年で結果が出なければ、クビ。インターン期間が終わったら、後は会社と個人の関係になるというものです。4回までトライできる。2年間の社会人経験があれば、後は実務経験なしにはならないので、いろいろと道も広がるでしょう。その人が社会でやっていく資質があれば。一方、なければ、それは社会人に向いていないので、別の道を探しましょうという話です。

失業保険があるんだから、ドクター保険みたいなものがあっても良いんじゃないでしょうかという感じです。で、どうやって、施策をするかはまた考えるとして。  
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2005年12月20日

広告化する報道と広告的情報が蔓延する中での選択

とりあえず、広告と報道をwikiで調べてみる。

広告
広告(こうこく)は宣伝活動の一つで、特に放送や新聞、雑誌などのマスメディアを利用したり、鉄道駅、鉄道車両、バスといった交通機関の施設など、何らかのメディアを利用して行う宣伝のことをいう。

宣伝
宣伝(せんでん)とは、企業や商店などが、自分たちが提供する商品やサービスを、その特長も含めて一般大衆に知ってもらおうとする活動のこと。
転じて、自分の自慢を周囲に言いふらして回ることや、見た目でその人がどんな人かわかるような格好や言動をすることも宣伝という。

ということである。ふんふん。

で、報道とは
報道
報道(ほうどう)は、ニュース・出来事・事件・事故などを取材し、記事・番組・本を作成して広く公表・伝達する行為であり、言論の一種である。

で、報道の原則という話がある。
報道は報道を受け取る大衆との信頼関係の上に成り立っている。この為、報道は事実に基づいたものである必要があり、事実を追求する取材が不可欠である。憶測や推測に基づく記事は、信憑性が失われる原因となり、結果として信頼関係を失うこととなる。取材をして裏付けを取り事実を報道することが、報道の原則である。


====

最近、報道に思うことは報道って広告に似ているなということです。特に、政治関係はその様相を呈していると思います。上記のように、報道の原則では、報道は事実に基づいたものである必要がある。ということです。で、この事実というのが結構曲者です。取材によって得られる情報が真相ではなく、それはある一部分をデフォルメしたにすぎないこともよくある。速報性が重要であることもあるので、真相がわかるまで報道するなとは、思わない。しかし、それがデフォルメした真実であった場合は、その事に関する訂正記事を載せるべきであろう。それが広告と報道の差であるように思う。この事後検証が全然行われていない。

内田先生もおっしゃられているように、事後検証こそが重要である。
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「『世界の罪』というのはどう?戦後論壇で『世界』が世論をミスリードした事例すべてについて、詳細な自己点検と自己批判をして『申し訳ないことをしました』って謝罪するの。これなら毎月20万部は売れるんじゃない?」
もちろん編集者は取り合わなかった。
だが、さすがタカハシさん、これはばらしい企画である。
人間知性の信頼性は「おのれの誤りを他人に指摘されるより前に発見すること」に優先的にリソースを注ぐということ、ただそれだけによって担保されている。
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内田樹:唐茄子屋メディア論

まさに、そういうことである。新聞がミスリードしていることに関して、新聞自体がそれがミスリードであったということを見ることがない。
つまり、我々のまえに広がる情報というのは、何とも不確実な情報が多いということである。単に、事実を喋っただけである報道を見て、喋っただけのメディアを見て、その中の正解を探すのである。

このように、広告的情報しか存在しない中で、生きるための選択はどのようにすれば良いだろうか。ゲーム理論などを使って解説するのも良いが、ゲーム理論で解けるのはそもそもある限られた世界である。つまり、知識と理論で解ける世の中というのはそれ程多くない。しかし、それらの知識が必要ないかというとそんなことはない。情報の非対称性や不確実な事実はその情報が対称であればあるほど、情報の確実性が上がれば上がるほど解をすることはやさしくなる。

ただ、一方で、この非対称性がなくならないのであれば、我々は知識に迎合することなく、経験や直感で選ぶより仕方ないのである。

―――
とにかく、「耳を傾ける」「受け容れる」「敬意を払う」「節度をたもつ」というようなふるまいに知的リソースを優先的に備給する学生たちがちらほらと出現してきたのである。
これは驚くべきことである。
というのは、そのような態度を知的にすぐれたものとみなす習慣は「まだ」本邦に根づいてはいないからである。
たしかにそういうことの大切さに気づいた人間はしだいに増えてきてはいる。
―――
内田樹:当世女子学生気質と落語のはなし

まさに、内田先生の言うとおりである。「耳を傾ける」「受け容れる」「敬意を払う」「節度をたもつ」ことによって、質の良い情報が入ってくる。まさに、年配者に対しては。

「せせら笑う」「切り捨てる」「見下す」「なじる」これらに知的リソースを排出したところで、情報を得ることはできないのである。つまり、不確実な情報しかない時点での我々の選択肢はまずはじめに、質の良い情報をかき集めてくるより仕方ないのである。それは、学問的知識とかではなく、まさに情報である。で、すべてそろった情報の中で我々は次の選択、情報の取捨選択を迫られるのである。「せせら笑う」「切り捨てる」「見下す」「なじる」ところで、何も情報を得られないのである。

情報不確実時代においての我々の行動は、確かな情報を集める能力と不確実な情報を不確実と認識して、次の方向を判断する能力である。次の方向を判断する能力は結局のところ経験と勘である。  
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2005年12月19日

ほら、きた。耐震問題。

以前のエントリーはこちら


耐震構造に関して、朝日新聞の記事が出ていました。この記事自体は、不安を煽るところで止まっていますが、この後に、詳しい事情を報道して欲しいものです。

耐震強度、「どの調査信じれば?」 結果の食い違い多発

2005年12月19日12時14分

 自治体や民間検査機関が姉歯秀次元建築士(48)が構造計算書を偽造した建物の耐震強度を調べ直したところ、結果が大きく食い違うケースが生じている。調査手法が一律でないためだ。関係者の間では調査の信頼性をめぐり戸惑いの声も上がっている。

 奈良県大和郡山市のビジネスホテル「サンホテル大和郡山」。奈良県は16日、耐震強度を調べ直したところ、基準の47%しかなかったことを明らかにした。震度5強の地震で倒壊の恐れがあるという。

 このホテルについては、建築確認をした民間検査機関・日本ERI(東京都港区)が強度を再調査した際は基準の94%という結果が出た。建築主の総研ビー・エイチ企画(東京都千代田区)が設計者に依頼した再計算結果は63%だった。

 3通りの計算結果が出た理由について奈良県建築課の担当者は「日本ERIや建築主とは、建物にかかる地震の力の解析方法に違いがあった」と説明する。

 地震の時は建物にねじれるような力が働く。県の再計算では、この力を立体的に解析する手法を採ったが、日本ERIは縦、横方向だけで解析していたという。

 下の階ほど大きくなる地震時の荷重の計算で、各階ごとの配分方法でも県と違いがあった。県は「日本ERIのやり方も違法ではないが、やや一般的ではない手法だったようだ」とする。

 北九州市のホテル「アルクイン黒崎」でも食い違いがあった。建築確認をした日本ERIは11月30日、「構造計算書の偽造があった」と市に報告する一方、「建物自体の強度は基準を満たしている」と発表した。

 しかしホテルの運営会社が構造計算の再計算をしたところ、耐震強度は87%だったという。市の実地調査の結果、耐震補強工事で対応できる見通し。営業再開を目指すホテル関係者は「振り回された」と話している。

 日本ERIは奈良のホテルについて「県側の計算手法とは違うようだが、当社の計算が甘いとか正しくないということはない」と話している。

---引用終了---朝日新聞より


以前、耐震問題のところで触れたが、耐震問題って簡単じゃない。というよりも、まだそれ自体が確立されていない。だからこそ、で、保険屋が入って何を監査するというのだろう。という話になると思う。保険屋が介在して、お金をたくさんつぎ込んで事態究明という話になれば それはそれでうれしい話であるが。

さてさて、保険の話はおいてといて、今後は耐震設計基準に関して、随分とお金が出そうな気がする。メンテナンス業がうまくいくかも。リフォーム詐欺みたいな話ではないですよ。

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密かに、考えていたこと。耐震設計に問題があったマンションを、自治体が買い上げて、それを大学に新しい耐震設計手法の確立のために行わせるというのは結構面白い話と思っていたけどなあ。  
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2005年12月15日

物が壊れるということ。強さに関して

一応、これを専門にしているので、このことに関して、書いておく必要があると思っています。今回の耐震補強の話もあるので。

結構、いろいろなところで誤解があるので。自分が見てきた1年間で誤解があると感じているのは下記の話です。

・福知山線の脱線事故の電車の変形に関して
・F1の磨り減ったタイヤを使ったライコネンの事故に関して
・耐震設計に関して


材料と構造(福知山線の脱線事故の電車の変形)
福知山線の事故は、軽量車両が倒れ、そのままアパートに突っ込みました。みごとに電車が変形していました。軽量アルミ車両になったことで変形が大きかったという話がありましたが、ちょっと待てと。
アルミと鉄では圧倒的に鉄のほうが伸びにくい材料です。つまり、アルミのほうが伸びやすく曲がりやすい材料です。と話したとき、この中にはある前提が含まれています。それは、同じ断面積を持ち、断面形状も一緒だということです。じゃあ、この断面積も断面形状も違ったら、どちらが曲がりやすいかというのは、わかりません。これは下敷きが扇ぐ方向には曲がりやすくても、下敷きチョップされる方向には曲がりにくいのと同じです。つまり、材料は材料としての、伸びやすさがありますが、構造としての伸びやすさ、曲がりやすさは材料のそれとは一致しないのです。


壊れ方と強度(F1の磨り減ったタイヤを使ったライコネンの事故に関して)
すごい事故でした。タイヤが一部だけが磨り減り、そのまま走ったために、ライコネンの前輪が吹っ飛びました。衝撃的な映像です。これを見て、「近年のF1は軽量化のためにカーボンファイバープラスチックを使う。そのための強度不足である。」との話が解説者からされましたが、これは嘘です。確かに、タイヤを支えていたシャフトはものの見事に破壊しました。バラバラです。しかし、強度が不足していたわけではありません。強度が不足しているなら、そもそも走れません。それが強度というものです。今回の問題になっているのは、強度ではなくて、壊れ方です。つまり、強度というのはそのものが耐えられる限界値です。この限界値は先ほどの材料と構造という話にもあったように、材料と構造では別物になってきます。例えば、良い鉄のシャフトを使うと、限界値を超えるとぐにゃと曲がります。しかし、F1などの材料は、ぷちっと切れます。しかし、同じ限界値にすることが可能です。壊れ方が派手だからといって、それが弱い材料であるということではないんです。


壊れ方の制御(耐震設計に関して)
耐震設計の問題が取り上げられていますが、実はこの耐震設計というのは非常に困難な学問です。特に、今回のコンクリート系の建物では。NHKで、より強い建物をという話をやっていましたが、これがそもそもの間違いかと。実は、建築と土木で、地震に対するコンセプトが違います。建築では建物が使い物にならなくても、その内部の人を絶対に助けるというものです。一方、土木は構造自体をなるべく修復可能な状態で保持するというものです。つまり、建築は2度と住めなくても、とりあえず、その地震で人は助かるということです。ですから、一言で強い建物なんて言えないんです。強い建物を作るのではなくて、壊れ方を制御できる建物を作るという思想に変わってきています。これはコストとの兼ね合いもあるのですが。


ということで、強さに関するお話でした。


強さに関してはこんな流れで動いてきていると思います。

弱い材料から強い材料へ → 強い材料を使った壊れないものへ → 壊れないものから上手く壊れるものへ

内田先生のプログを見ると、まだまだ壊れないものへの信仰が強いように思います。まあ、仕方ないのですが。
というこで、今度、地震で歪んでいる建物を見たら、怒るのではなくて、「これはあなたの想定した壊れ方ですか?」と聞いてあげてください。  
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2005年12月07日

大学でビジネス

大学はもっと積極的にビジネスをすべきである。というのが持論です。

これは市場原理を導入しろということではありません。ビジネスにならない理学部、文学部を切れとかそういった意味でもありません。

この話のはじまりは、企業の人と話をして感じることです。相談を受けて、それに応える。そのときにいつも感じる違和感は、自分が今与えた知は生かされるのか?という疑問です。向こうもああ机上の空論ね程度でしか聞いてないのでは。そう、きっと活かしてくれるだろうというのは、他力本願すぎやしないか。

じゃあ、どうするよ。この自分達の知を活かすための手段はないのか。それはもうビジネスするしかない。ここで言うビジネスというのは、よくある大学ベンチャーという話ではありません。研究室でできたネタをベンチャーにしようとかいうちっちゃい話ではありません。その方が簡単なんですけどね。

つまり、これは研究室という小さい単位ではなく、大学ひいては日本の大学群という規模で社会に対してその溜め込んだ知を羅列するのではなくて、わかりやすい形で放出するということ。しかも、無料の知として。つまり、グーグルの検索を使っても、学術的なことは日本の知の宝庫にアクセスすればすべてわかるというところ。つまり、Wikiがやっていることを大学群として行うということです。つまり、ネットができてこれからは知を本で販売することはほtんどできないし、需要がほとんどないだろうから、そんなことはさっさと辞めてしまって、とりあえず、集めた知は全部放出する。それによって、みんな大学の知を調べてくださいよということです。

このビジネスをする意味は、もうひとつあり、大学の先生が知っておくべき価値があるものとして、その教えた知がお金をもらうような仕事なのかどうか。ということを認識しておくことではないか。実は、もう周りに知られているようなことを教えて、教えた気になられても困るし。本になるような知識は大体Wikiに書いておけば良いということだろう。で、そのあとの話が聞きたい、使い方がよくわからないということに対して、知が活用されることが望まれるのではありませんかという話である。つまり、その知を単なる知識ではなくて、それら以外との知識とどうやって結びつけるのか、それを個別の現象に適応するためにはどのように行えば効率的なのかという話になったときに大学に訪ねてくればいい。つまり、知の所在として、さらに活かしたい知の宝庫として大学が活用されるようにならなければいけないし、そのときにしかこれからはお金や労働の価値は発揮されないということではないか。知識集約型労働というのはこういうことではないかという話である。

この大学がビジネスをする効果は単にこういった知を放出することだけでなく、お互いの交流を増やすことでもある。大学内での交流である。アメリカの大学に比べて一番足りないものがこれではないかという気がする。大学というのはある意味で縦割りになりすぎていてその間の交流というものは非常に少ない。お互いの知をもっと放出することで、それを生かそうというものである。同じような研究装置がいろいろなところにごろごろしているでしょ。

こうやって、大学の中に溜め込んだ知を放出するというビジネスというよりは、事業を行うことが自分は大学の知を社会に均等に分散させることだと思っています。21世紀COEの成果だって、ホームページを見たって、よくわからないでしょ。そのお金で何が進んだのか良くわからない。それは、大学の先生方も良くわかっているはず。実は進んでいないという話もいっぱいありますが。今までは、大学の知は、その卒業生、もしくは新聞や雑誌といったメディアさらには、本によって公開されていたわけであるが、我々はWEBという新しい情報発信装置をもったのである。これを積極的に大学が知の放出ということで使ってみても良いと思うんですけど。

次は、この事業をどうやって、ビジネスとして起すかという話で、たとえば、東大の中には株式会社東京大学というTLOを扱うところがある。しかし、これは上記のような積極的なビジネスを展開しているのではなく、単に、特許の取り扱いである。そうではなくて、ここでのビジネスは大学付きの商社である。大学での最先端の知を、わかりやすい形でまた社会に生かされる形で販売する。そこには、ドクターやポスドクといった技術の最先端を見てきた人間がいて、さらに、大学生という無限の労働資源がある。マックでバイトするぐらいなら、家庭教師するぐらいなら、引張ってくればいい。

商社も現在、産総研などと包括提携を結んでいる。しかし、問題は商社がその詳しい技術を知らない。じゃあ、誰が知っているか。ポスドクとかドクターの人間である。いまさら、教授の人に販売に回ってもらう必要もない。ここにポスドクやドクター君たちを働かせようというものである。彼らは一般書ではない技術の本質を知っているのである。博士課程に進学しながら、仕事をするということである。

このビジネスは実はもう一つ面白い機能を持たせたいと思っている。それがアウトリーチ活動。大隅先生のプログにあった大人の学芸会の話である。そもそも、アウトリーチ活動が好きな先生は良いが、そうでない先生が多いことは確かである。研究費からオーバーヘッドを少しだけとって、アウトリーチ活動全般を行ってしまえばいいわけである。そうすれば、形だけの学芸会に参加する必要はない。

このような、話をすると、大学内でそのような組織を作ろうかという話になる。絶対に無理。ただでさえ、時間がない先生方に負荷を掛けすぎである。さらに、ビジネスが好きな先生もいるが、そうでない先生も多い。これが日本の実情である。本来の日本の大学が、日本という大きな枠組みでの、知の創造を担っており、それを国が管理するというやり方を徹底したことによって、アカデミズムはお金と切り離されるべきと考える人が多いと思われる。自分も結構そのような考えがあった。真理や真実の追究とお金という問題は日本においてはやっぱり困難を極めるように思う。

で、そのような考えを捨てなさいというのは、はっきり言って間違いで、つまり社会全体でそのような人を利用するシステムを作ってしまえばいいわけである。経営者の感覚であれば、賃金と労働のオーバースペックの部分が大きければ大きいほど利益が大きいわけで、何もそれを人心を変えて社会にあわせたところでそこに幸せなど存在しないわけである。同じ研究内容でも、アメリカでは1000万掛かる研究が、日本ではその教授がその内容が好きだということで100万ぐらいでできてしまう。この差を使わないのは、勿体無さ過ぎる。

で、誰か一緒にやりますか?このビジネス。  
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