ここフランスの田舎では、フランスの番組とBBCぐらいしかみることができません。しかし、パリに行くと、JSTVがやっています。で、先週末にパリに行ったときに、JSTVを見ていたら、選挙特番がやっていました。
投票日前日のNHKの番組です。日本の各党首のそれぞれの選挙までの日々を紹介していました。それぞれが演説していましたが、まあ、見た瞬間に小泉が勝つなと思いました。それは話は簡単です。他の方々には、決定的なものが欠けていたからでしょう。それは「決意表明」。みなさん、小泉批判はするものの誰一人として「決意表明」をしない。
―――(追記)―――
決意表明:「私がどうする。」としかっりメッセージを送ることだと思っています。周囲がAだから、自分がBをする。ではなく、自分がBをする、なぜなら、周囲がAだから。
自分が感じた決意表明とは、日本語的発想と英語的発想の違いかもしれません。このことに関してはまた後ほどのエントリーで。
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で、次にお話しなくてはいけないのが、プレゼンの技法についてです。これは、自分が大学時代に教わったものですが、人生を通して通用するものだと思います。これは科学技術に関してのものですが、その他のものにも通じるものと思います。
まず、最初にプレゼンの目的とは、「自分が優れた人物であることを示すことである。」ということです。これがもっとも重要であると。ここを間違えてはいけない。与えられた時間で全てを話すことは不可能である。それを補完するのが論文であり、政治であればマニュフェストであるわけです。
科学分野においては、この優れた自己を示すために、行うことは優秀さと賢さを示すことです。優秀さとは、話が論理的であり、過去の事例について熟知していることです。一方、賢さとはそれに対してどうアプローチしたか、よく言われる独自性を見せるというものです。この二つを如何にプレゼンテーションの中で示すかということが問われるわけです。
後、重要な点はプレゼンする対象を見極めることです。誰に話すのか、その人たちの共通認識はなんなのかということをしっかり見極めて話すことが重要ということです。
上に示したのは科学分野の話です。指導教官に言われたことは、「学会での発表を成果発表だと思ったら大間違いだ。あれは研究者の就職活動である。」でした。選挙活動とは何かと言ったら、議員の就職活動なんだと。
一方、今回の総選挙で、科学と違う部分は、どうやって優れた人物であるか示すかという部分と、選挙とは未来への約束であるということ。今回の党首討論でも、誰も過去をしっかり把握してというのが存在しなかった。
内田先生の
未来予測と決意表明から
―――(引用開始)―――
ビジネスにおいてふたつの戦略のどちらを選ぶかといった議論を何度もしてきた。
俺はほとんどの場合、どっちだっていいじゃねぇかなのである。
だって、未だ実現されざる未来について厳密な議論をしたところで、それが未来を保証するわけではないことを経験的に知っているからである。
とくに、判断が二分している場合には、どちらにも、すこしはいいところがあり、どちらにも、瑕疵があるということである。
いや、未だ実現せざることについての話である。
やってみなけりゃわからない。
どっちが正しいかというような正邪の文脈の話ではないのである。
むしろ、将来の成果に決定的な影響をあたえるファクターは、「誰が」それを担うかということだろう。
そいつが、信用のおけるやつであり、情熱をもってやりたいというのなら、もう、半分以上は道筋が見えていると言うことである。
「いんじゃないの。」
「ま、じゃあやってみっか。」
「で、俺は何をすればいいの」
こんな感じで、何十年もやってきて、決定的な過失は無かったように思う。
だいたいでいいというのは、いいかげんということではなく、「あたり」はついているということなのである。
遊撃隊の任務を分担せよ。
遂行的な場面で重要なのはこれ以外には見当たらない。」
―――(引用終わり)―――
で、今回は国の経営を誰に任せるかということを信任する選挙だったように思う。そうなった場合、自分が弱者になるとか、そんなこととは関係ないのでしょう。つまり、内田先生が分析したような話ではないと思っています。弱者の切り捨てとかは、もうその時点でマスコミの情報に流されているのではないかと。勝手に、アメリカみたいになると思い込んで。本当にそうなるかどうかわからない。しっかりとした対案は、共産、社民であったりするわけで、自民か民主かというと少なくとも大きな違いは見当たらない。それよりも、経営者として誰が適任かという話ではないだろうか。そうなると、どれだけしっかり決意表明しているかである。その意味で、自分は誰よりも小泉が決意表明していたように思う。その意味では、かみぽこさんの政治学の意見に近い。「男らしさ」と「女々しさ」と表現するかどうかは別として。
はっきり言って、その他の人から決意表明は感じられなかった。まさに、それが小泉信任につながったように思われる。
たった一回のテレビしか見ていないが、それはわかったような気がします。
追記1:最後までだめか。
やっぱり、岡田代表では無理だろうというものを見つけました。
岡田代表の会見です。花岡さんのプログからです。
>「逃げている」という印象を与えてしまった
それを裏付けるのが下。
―――(引用開始)―――
それから今回の選挙を見たときに、小泉さんの戦術面での成功ということはよく言われます。郵政民営化一本に絞って分かりやすかったと。私は、戦術面ではそうかもしれませんが、日本の民主主義を深めるという意味では、これは決して褒められたやり方ではないし、本来禁じ手だったはずだと思っております。
―――(引用終わり)―――
禁じ手だろうが、なんだろうが、それを切り返せないようでは、「逃げている」と写るでしょう。
これは、ホリエモンに始まり、村上氏も含めて散々見てきたことではないでしょうか?ルールのギリギリを利用してくる相手に、それを禁じ手と言ってしまっては、もう勝負はついているでしょう。禁じ手と言っても、それはルールの範囲であり、それを切り返せないようでは国を任すなんてことはできない。それは、勝手にルールの変更をしてくる他国との外交であったりに対処できるはずがないと思っています。
国民は岡田代表の切り替えしを期待していたのではないでしょうか?悪がきのいたずらに、手をこまねいているPTAじゃ、任せられないでしょ。そこをガツンとやり込められないようでは。
追記2:メッセージ性ということで。
カトラー:katolerのマーケティング言論の中でも、
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有権者の目に映ったものは、民主党が、結局のところ「とにかく権力がほしい」といっているだけなのに対して、小泉が「殺されてもかまわない、郵政民営化をやらせてほしい」と訴える姿だった。「命がけでやるべきことがある」という訴えと「権力がほしい」という言葉では、メッセージとしてどちらに説得力があったかは言うまでもなく明らかである。
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とある。
追記3:誤解がないように
プレゼンの技法とは、発表する人にとっての、道具です。つまり、これは必要条件なんです。これは、最低限のものなので、さっさと身に付けてください。ということです。