2018年05月28日

小さな室内楽 第30回 テレマンのトリオソナタ

180531
(また前日になってからのご案内になってしまいました、、コンサート情報自体はhttp://mutsuyukimotomura.comの方の更新を見ていただければ幸いです。)

明日は「小さな室内楽 第30回」です。詳細は、http://mutsuyukimotomura.com/180531/index.htmlをご覧いただくとして、2011年にスタートしてキリの良い回を迎えることになりました。いつもはゲスト一人をお迎えすることが多いのですが、せっかくキリが良い回なので、お二人のゲストをお迎えします。ヴァイオリンの廣海史帆さんとチェンバロの土居瑞穂さんです。最近お二人でアンサンブル・ヴェルジェというユニットでの活動も開始されたのを知り、それならとさっそく小さな室内楽にもお招きすることにしました。

リコーダーとヴァイオリン、通奏低音の編成でやる曲はいろいろあるのですが、まずは最もお誂え向きのテレマンのトリオソナタを集めたプログラムにします。

リコーダーを含むテレマンのトリオソナタは、ヴァイオリンとの曲のほかに、ドゥシュ・ド・ヴィオール(高音のヴィオラ・ダ・ガンバ)やオーボエとの曲などがあります。そのようなヴァイオリン以外が指定されている曲をヴァイオリンでやることも面白いのですが、明確にリコーダーとヴァイオリンが指定されているものでは、1718年にフランクフルトで出版された「6つのトリオ」という色々な編成のトリオを集めた曲集にある第2番イ短調TWV 42:a1とおそらく1730年ごろにハンブルグで出版された「エッセルチーツィ・ムジチ」という曲集の中にある同じくイ短調のトリオTWV 42:a4が有名です。長らくテレマンの作品とされていて近年プローヴォの作品とわかったらしいニ短調のトリオTWV 42:d10もリコーダーファンの間ではよく知られています。他には、グラウプナーの筆写譜で残っているものの中にヘ長調TWV 42:F8とへ短調TWV 42:f2の2曲があります。(他にもあるかもしれないけど、僕の知ってる限りでは)

これらの中から選んだのは、「6つのトリオ」の中のイ短調と、グラウプナーの筆写譜の中の2曲です。特にグラウプナーの筆写譜の曲は、熱心なテレマンファンなら存在は知ってるかもしれませんが、実演を聴く機会は意外と少ないと思います。どちらも短くコンパクトなソナタで、派手な聴かせどころがあるわけではないので、取り上げる演奏家が少ないのかもしれませんが、なかなか凝った作りの表情豊かな曲です。グラウプナーは、テレマンやバッハと同時代のドイツの巨匠です。ライプツィッヒのトーマス教会カントールの就任者を決めるとき、テレマンが第1候補、その次がグラウプナーで、どちらにも辞退されたため3番目のバッハに決まったという話を聞いたことがある人も多いかもしれませんね。そういう人が筆写していただけのことはある面白い作品だと思います。

これら3曲での使用楽器は、斉藤文誉製作のヤコブ・デンナーのコピーです。デンナーはニュルンベルクの製作家で、フランクフルトやハンブルクでどの程度使われていたかはよくはわからないのですが、機敏な動きが満載のテレマンの曲にふさわしい軽快さのある楽器です。いわゆるデンナータイプの現代リコーダーは、その軽快さが面白みのなさに繋がる気がして、実は、ずっと僕の好みではなかったのですが、斉藤文誉製作のシングルホール/オールドフィンガリングのものに吹き慣れて来るに連れて、音色の魅力やそこから出て来る表現力に惹かれてきて、今は僕にとってなくてはならない楽器になっています。ただ、これでへ短調の曲をやるのはとても難しい、、モダンリコーダーならフラットがもっとたくさんでも指を動かせば吹けるのですが、それだけですまない難しさ(主に音程の取りにくさ)があります。それゆえの音の陰影がへ短調らしい曲の表情に活きるといいのですが、どうなることやら、、

それから、せっかくなので「6つのトリオ」の中にあるトラヴェルソとヴァイオリンのトリオTWV 42:G1もやってみます。フランクフルト時代の作品は後のハンブルク時代のものと比べて聴く機会が少ないかもしれませんが、愉悦的で闊達なテレマンらしさはすでに全開という趣です。こちらは、ダブルホール/モダンフィンガリングのヴォイスフルート(d1管)でやります。オリジナル通りの楽器ではないですが、曲の楽しさは十二分に感じ取っていただけるのではないかと思います。この曲もトラヴェルソの人はあまりやってない気がするので、聴く機会はあまり無いかもしれません。明日がチャンスですよ(笑)。

それから、廣海さんには、テレマンの無伴奏ヴァイオリンのためのファンタジアから第5番イ長調TWV 40:18も弾いていただきます。

60分の間に5曲収まるのだろうか?というのもやってみないとわかりませんが、それぞれ短い曲なのでちょうど良いのではないかと思います。同じ作曲家の同じ編成ですが、変化に富んだ濃密な時間をお過ごしください。明日ですが、運良くこれをお読みくださった東京近辺の方はぜひお立ち寄りを。
  
Posted by lusthofmeester at 16:07Comments(0)コンサートやCDについて

2018年04月19日

小さな室内楽第29回 リコーダーでコレッリ

29983723_2169947643021759_140161971621035674_o次の小さな室内楽は、4月20日の金曜日。なんと、明日です、、(笑)
いろいろ後手後手になるのもいい加減にしたいものですが、どんなコンサートなのか、ちゃんと毎回お知らせしておきたいです。

昼夕夜の3回公演の詳細は下記リンクをご覧いただくことにして、今回は「リコーダーでコレッリ」です。チェンバロは三和睦子さんです。
http://mutsuyukimotomura.com/180420/

コレッリってヴァイオリンの曲しか書いていないんですよね。当時の大作曲家としては異例のように、声楽曲は全く書いていないし(ヴェラチーニだってオペラを書いてるのに)、作品数も少ない(公開されたものだけなら各12曲で作品6まで)。にも関わらず、音楽の影響力は絶大で、18世紀前半の作曲家は、必ずコレッリの作品を手本としたといって過言ではない様子です。コレッリの作品は、難度の高い技巧は避けられて、平易でシンプル、それだけに、そこに装飾を加える課題としても広く用いらたり、他の楽器や編成のために編曲されたり、規範として重宝されたということかもしれないです。

そういうわけなので、後期バロックのいろいろな作品をよく把握するためには、コレッリの作品をしっかりやっておくのは必須なのですが、実は、僕はあまり演奏してきてないのですよ。何度もやったのは、ラ・フォリア(作品5の12)のリコーダー編曲版ぐらい。

なんでやって来なかったかといえば、やっぱりヴァイオリンの曲だから、リコーダーより音域が広くて、リコーダーでやるためにオクターヴを上下させたりしてると元のモチーフが全然別物になったりして、つまらない印象になりかねないから。できるだけ原曲を損ねないような編曲を試みると、ヴァイオリンではよく鳴るのにリコーダーではあまり鳴らない低音域を多用したり、逆にリコーダーでやると激しい音にばかりなってしまいがちな高音域を多用したりということになってしまう。そうすると、原曲の平易さの中の歌心とか気品が失われて、コレッリの元のアイディアに反するような技巧ひけらかしが目立つ印象になりかねない。また、そういう編曲は、モダンフィンガリング・ダブルホールのリコーダーじゃないと演奏困難(ほぼ不可能)なので、歴史的に妥当とは言えない(歴史的に妥当じゃなくてもいいじゃんという考えもあるけど)。というわけで、生徒さんにはお勧めするけど自分ではやらないというのが続いていたわけです。

逆に、ラ・フォリアだけはなぜやって来たのかというと、これのリコーダー版は、1702年にロンドンの海賊版業者ウォルシュが出版していて(原曲の出版は1700年ローマだから、昔の情報伝達も結構速い)、僕個人の事情でいうと、まだヴァイオリン版を知らなかった(というか、スズキメソード版を豊田耕児が弾いてるのぐらいしか知らなかったw)中学生の頃に、先にこのリコーダー編曲版を知って、惚れ込んでしまったため、重音も単純化されて音域も狭くされて元のモチーフが様変わりしているにもかかわらず、ものすごくいい曲に思えて、後にヴァイオリンで聴いたときにも、リコーダーでもいいよねとしか思わなかったという経緯があるのです。だから、今でも、ラ・フォリアをやるときには、もっと技巧的な再編曲ではなくて、単純化されたウォルシュ版でやっているのです。

このウォルシュ版は、12番のラ・フォリアの前に、7番から11番にあたるソナタのリコーダー編曲も載っているのですが、それらは単純化されすぎてて、原曲に対して著しく聴き劣りする印象なのです。最近は、でもその単純化されて聴き劣りするものでも当時の愛好家に人気を博し、そこを発端に数々のリコーダーソナタが生み出され始めたと考えれば、単純化されていてもなお残る魅力を掘り起こしていくような演奏を目指すのがいいのではないかと考え始めています。

というわけで、作品5の10は、ウォルシュ版をそのままやります(装飾はもちろん適度に加わるけど)。楽器は、ピッチ405(ぐらい)のオールドフィンガリング・シングルホールのを使って、音色の魅力にも頼ることにします。果たして、うまくいくでしょうか?

あと、作品5の4は、やはりウォルシュ版ですが1702年のではなくて、1707年の編曲者がドイツのヨハン・クリストフ・ペツと銘打たれている版でやります。これは、けっこう技巧的ではありますが、高音域の多用も避けてあって、オールドフィンガリング・シングルホールという当時の仕様の楽器を使っても無理ないものです。

それから、作品5の5は、1752年のパリ(ル・クレル)のトラヴェルソ版をヴォイスフルートを使ってやります。これは、もう、高音域は下端の孔を膝で押さえたりもしないと出来ないし、低音域の孔半開もしつこく連続するしで、モダンフィンガリング・ダブルホールじゃないと不可能です。歴史的にはこれをリコーダーでやるのはありえないですが、いいじゃんね(笑)。これ、モダンフィンガリングなのに406の替え管をつかうので、指孔の間隔が広くてきついです(笑)。大丈夫かな?w(ただ、トラヴェルソ版としては、ペツの編曲と同様、過度な技巧をひけらかすというようなものにはなっていません。リコーダーでやると大変なだけで。)

あとそれから、装飾についてですが、4番はペツの装飾で、5番は1723頃のアムステルダムのロジェの版にあるコレッリ自身によるとされる装飾を元にします。10番は、自前の装飾を適当にですが、ペツのとかロジェ版のとかが僕は適度だと思ってるので、それに倣う感じです。いかがでしょうか?

最後に、三和さんのチェンバロソロについてですが、没後250年のスカルラッティに加えて、トスカナ大公子フェルディナンド・デ・メディチのプレリュードです。日本初演だと思います。どんな曲なのか僕も大変楽しみです。

明日ですよと言われても困る方、多いと思いますが、空いてたら来てください。僕がブログ記事をなかなか書かないときには、そろそろ書けよ!とせっついてくれるとうれしいです、笑。では、どうぞよろしく。  
Posted by lusthofmeester at 11:29Comments(0)コンサートやCDについて

2018年02月10日

小さな室内楽第28回 ヴェネツィアのリコーダーソナタ

表ブログでコンサートのお知らせを書くのが直前になってしまいがちですが、次の連休2日目、2月12日に「小さな室内楽第28回」を開催します。会場はいつも通り東京・中野のSpace 415で、昼夕夜の3回公演ですが、休日なので夜の開演はいつもより早くしています。詳細は下記リンクをご覧ください。
http://mutsuyukimotomura.com/180212/

今回は、ヴェネツィアのリコーダーソナタです。ヴェネツィアといえばまずヴィヴァルディを思い浮かべる方もいらっしゃるかもしれませんが、今世紀になってからヴィヴァルディのリコーダーソナタが発見されています。第2次世界大戦後ずっとロシアに移っていたベルリンの資料が返還されて、そこから発見されたものの一つです。ヴィヴァルディらしさが発揮されたソナタです。

それから、ヴェネツィアの貴族・政治家で音楽でも当時の権威者だったマルチェッロのソナタから第6番のハ長調。ヴィヴァルディと敵対していたことでも知られているマルチェッロは、リコーダーソナタを12曲書いています。作曲家としても当時の主流を歩んでいたマルチェッロと新しい人気を博していたヴィヴァルディの違いは感じられるでしょうか?ヴィヴァルディのソナタは、第1楽章が付点音形をモチーフにしているのですが、マルチェッロの方も第1楽章で付点音形をモチーフになっているのを選んでみました。

それから、フィレンツェ出身でヴェネチア、ドレスデン、ロンドンで活躍したヴェラチーニのソナタから第9番のト短調。ヴェラチーニはヴァイオリンの名手として知られていますが、ドレスデンでヴァイオリンソナタをたくさん書き始める前の1716年、ヴェネチアで12のリコーダーソナタを書き、ドレスデンのザクセン選帝侯に献呈しています。第9番は第2楽章が付点音形をモチーフにした曲になっています。付点音形がヴェネツィアと結びついているというわけでは全くありませんが、同様のモチーフを持つ曲を並べることで、かえって3人の特徴が浮かび上がるかもしれないという趣向にしてみました。

チェンバロの根本卓也さんは、マルチェッロの師でもあるガスパリーニが記している通奏低音法に基づいた弾き方を探求されいて、それもとても新鮮に聴こえると思います。使用チェンバロは、小渕晶男氏製作のイタリアンチェンバロで、厚い不協和音が連続するようなその通奏低音法で弾いてもリコーダーの柔らかい音色と溶け合い、吹いている僕自身がとても新鮮に感じています。チェンバロソロも、17世紀にヴェネツィアで出版されたストラーチェのパッサカリアを弾いていただきます。調律は短3度が純正になるミーントーン(通常は長3度を純正にする)にする予定です。これも新鮮な響きに聞こえると思います。それらもどうぞお楽しみに。

  
Posted by lusthofmeester at 00:04Comments(0)

2018年01月27日

新春発表会 2018 楽しく演奏する秘訣

今年の初記事が今頃になってしまいました。本年もよろしくお願いいたします。

そして、またまた告知が直前になってしまいましたが、明日、東京・初台の近江楽堂で、うちでレッスンを受講されている皆様の発表会を開催します。11:00から18:00過ぎ頃まで、もちろん入場無料で、どなたでもご自由に、いつでも出入りしていただけます(ただし演奏中は除く)。どの時間帯にいらしていただいても楽しみを共有していただけると思いますので、東京近辺にいらっしゃる方は、ご都合あう時間帯にどうぞいらしてください。案内は下記ページに載せています。
http://mutsuyukimotomura.com/180128/index.html

この1、2週間は最後の仕上げレッスンで、皆それぞれに細部に至るまで完成度を高めてきていらっしゃるのですが、最近のレッスンで最も強調しているのは、「決めておいたように吹こうとするのが曲者だ」という話です。練習段階で完成度を高めて行けば行くほど、本番でもその通りにできるのを目指したくなります。実はそれが曲者で、緊張してしまったとしても、すごく乗って演奏できたとしても、本番中の演奏は練習しているときの演奏とは必ず異なったものになります。そこで練習のときはこうだったと思い返しながら吹いてしまうと、緊張してるときには、練習通りに行っていない!困った!という感覚になりかねないし、本番ならではの調子に乗っているときは、計画通りにしようとするあまり、せっかくの伸びやかさが損なわれるかもしれません。1回1回の演奏で異なる面は必ず出てくるはずなので、それを活かしてより雄弁に語りましょう。緊張してところどころ滑舌が悪くなったとしても、語る内容が説得力あれば聴いている人は感じ取るものがあるはずです。演説と同じですね。(なーんて偉そうに書いてしまう僕自身、コンサート前には自分にそう言い聞かせながら緊張と折り合いをつけているのです。)

同じようなことですが、「細々としたことをレッスンで何を言われたかというのは忘れて構わないので、常にフレーズが聴いている人に伝わるようにと思って吹いてください」というのも最近よく言っていたことです。レッスンでは細々としたことをいろいろ言うのですが、それはフレーズをより雄弁に語るための方便に過ぎないので、そこに捕らわれずに、フレーズそのものを表現しましょう。さらに、一部の生徒さんには「僕が言う通りにしない方が良い結果になると思うんだったらその時は僕が言う通りにしない方がいいよ」なんてことも言っています。これはほんとに皮肉でもなんでもないのです。演奏しているうちに、自分の演奏がレッスンで言われたこととだいぶ食い違っていると思えることも普通に起こります。そういうときに、あ!しまった!などとは決して思わず、そのとき自分がやろうとしていた方向で突き進んでください。そもそも、細々とした一つ一つが僕のいう通りという演奏をしていたら、僕の劣化コピーにしかならないわけなので、食い違うところが生じるところこそ大切にしましょう。

そうは言っても、間違いだらけの演奏をしてしまったらどうしよう?*゚Д゚)!とドキドキの方のために、先日はこんなことをツイートしました。

まあ、これは極論で、文字通り全ての音符を間違ったら流石にどんな曲なんだかわかる訳ないでしょうが、どんなにボロボロに間違えまくったとしても、全てを間違うのは不可能です。実際、難所というのはせいぜい全体の1割でしょうし、間違えまくったと感じていても実際に間違えるのはさらにその1割程度でしょう。なので、実際に間違えるのは多く見積もっても全体の数%程度で、90%以上の音符はどんなことがあっても絶対に大丈夫です(止まってしまわない限り)。それに、もし仮に速い16分音符パッセージの全部を外してしまったとしても、とても勢いある様子とか、次々にいろいろな音が繰り出す様子とかは伝わるはずです。さらに、万一、止まってしまったとしても、止まったところ以外が説得力あれば十分魅力ある演奏になるはずですよ。プロでもそういうことは稀にありますが、大スターだと、ボロボロになりながらでもこんな様子だった!すごい!というのが伝説になってたりします、笑。

というわけで、何があっても、演奏している最中そのものを大切にして堂々と演奏しましょう。

もう一つ、最後に付け加えると、発表会のときには、僕は一人のお客さんとしてただただ楽しんで聴いています。レッスンのときみたいに、どこをどうすればより良い演奏になるだろうと思って聴いてたりはしません。いつものことですが、今日の私の演奏はどうでしたか?と訊かれても、よかったよ〜〜!!としか思わないので、ご承知おきください。

(なんて、発表会前日の夜遅くにこんなこと書いても、みんな見てくれるのだろうか、、、見てなかったら次に活かしてね。)  
Posted by lusthofmeester at 23:38Comments(0)レッスン

2017年12月04日

バスリコーダーで通奏低音

前の記事で書いたように、今度の12月8日の「小さな室内楽」では、斉藤文誉氏がゲストです。

斉藤くんが小さな室内楽に出てくれるのは、今度で3回目なのですが、前回はおよそ2年前、2016年の1月15日でした。そのときは、バスリコーダーによる通奏低音がやってみたくて、斉藤君にソロのリコーダーをやってもらい、僕がバスリコーダーで通奏低音を吹くというコンサートをやったのです。チェンバロは超若手の中川岳くんでした。

そのときの模様を昨日youtubeにアップしたので、どうぞご覧ください。バスリコーダーによる通奏低音もなかなか面白い効果になると思うのですが、いかがでしょうか。バスリコーダーを吹かれる方は、このような形もどんどんやってみられるとよいです。


12月8日は、バスリコーダーは使わず、対等な2重奏曲ばかりですが、そちらも是非ご期待ください。
案内ページ、少し更新して、各曲集からどの曲を選曲したかも載せました。どうぞお楽しみに。
http://mutsuyukimotomura.com/171208/index.html  
Posted by lusthofmeester at 00:08Comments(0)活動報告

2017年11月30日

小さな室内楽 第27回「テレマンの2重奏ソナタ」

前回「テレマンのヘ短調で使うつもりのリコーダーについて」書くと宣言したまま、どう説明していいかがなかなかわからず日にちが経ってしまいました。171208

そうこうするうちに小さな室内楽第27回が来週金曜(12月8日)に迫って来ています。今回のゲストはリコーダー製作家・演奏家の斉藤文誉です。案内は下記ページをどうぞご覧ください。
http://mutsuyukimotomura.com/171208/index.html

斉藤君がアムステルダムにいた頃からの僕の盟友で、僕がコンサートやCDで使っている楽器のほとんどが斉藤君の作った楽器だということ、ご存知のかたは多いことと思います。斉藤君は、今もアムステルダムで工房を構えているのですが、1年ぐらい前から東京にも工房を作って、日本での活動の方が多くなって来ています。

というわけで、リコーダー2本のコンサートもこれからいろいろ一緒にやっていきたいと思っているのです。今回のプログラムは、テレマンの2重奏ソナタ集にしました。テレマンは今年が没後250年にあたるのですが、年末になってようやくの「テレマン特集」です。テレマンの2重奏ソナタ集はいろいろあって、そこから1曲ずつ選曲すると、いろいろなテレマンが聴こえて来るのではないかと思います。

テレマン自身が出版したのは1727年の2重奏ソナタ集(実際は1726年らしい)と1738年のカノンによるソナタ集、あと1728-29年の「忠実な音楽の師」にも2重奏ソナタが1つとカノンによるソナタがあります。他には、1752年に当時のフルートの巨匠ブラヴェがパリで出版したのが2巻あります。さらに、2002年になってから筆写譜が発見された9つの2重奏ソナタ集があります。テレマンがリコーダーでも演奏できると明記しているのは、1727年の曲集と「忠実な音楽の師」の中の曲だけですが、他の曲集のものも短3度上げるか4度上げることでアルトリコーダーで演奏できます。先週、斉藤君と曲選びをやったのですが、候補曲のいくつかを吹いてみるだけで時間があっという間に経ってしまいました。どれをやることにしたのかは、当日のお楽しみでどうぞ。

あとそれから、最初に書いた前回のテレマンのヘ短調ソナタで使った楽器についてですが、それを今回も使います。しかも同じタイプのを2本使います。それについても、やっぱりいつか書こうと思っています。要するに、それは、斉藤君が「概ねオリジナル通り」に作ったヤコブ・デンナーのコピーなのですが、現代的にアレンジしてコピーしたデンナータイプとずいぶん違います。「現代的にアレンジしてコピー」というのと「概ねオリジナル通り」とどう違うのか?というのも製作家でない僕が説明するのもなかなか難しいところです。後者の「概ね」は、そもそも博物館に残っている楽器は数百年を経て変形しているので、ぴったりオリジナル通りということはありえなくて、どう作るにしても現代の製作者の判断が入るということなのです。なのでどれもが大なり小なり「現代的にアレンジしてコピー」ということだろうといえばそうなのかもしれないのですが、その程度の違いで、だいぶ違う感じの楽器になってしまうのです。どう説明すればよいか、もうちょっと考えます。それともちろん、今度のコンサートではそれだけでなく違うタイプの楽器も使います。そういう楽器のこともどうぞお楽しみに。

それでは、12月8日、東京にいらっしゃれる方は是非是非お待ちしています。斉藤君も日本メインになったので、各地への出前コンサートも出来るかもしれません。関心ある方はお声がけください。  
Posted by lusthofmeester at 14:14Comments(0)コンサートやCDについて

2017年10月24日

小さな室内楽 第26回「悲しみ、祈りと慰め」

171031小さな室内楽 第26回は、来週火曜10月31日、場所はいつも通り東京中野のSpace 415で、朝夕夜の3回公演です。
http://mutsuyukimotomura.com/171031/index.html

実はこの「悲しみ、祈りと慰め」と題したコンサート、共演のチェンバロ岡田龍之介さんと今月8日に、愛知県にある芳友寺でやって来たものです(ほんとは、事前にそのお知らせを書くべきでしたが、、)。芳友寺では、年2回、初夏と秋に「やまでら音楽会」というコンサートを開催されていて、昨年が第50, 51回でしたから、長く続く行事になっています。岡田さんはもう20年ぐらい初夏のコンサートを企画されていて、3年前からは僕も秋の企画をさせていただいています。ところが、今年になってご住職の奥様がご逝去され、初夏のコンサートは中止、秋に岡田さんと僕とで追悼コンサートをやりましょうということになりました。それが今回だったのですが、ご住職も相変わらず朗らかで、コンサートの運営を支えてくださる皆様もますます張り切って動いてくださるご様子だったので、ほっとしました。

そういうわけで、追悼のプログラムはどうすればよいだろうと夏頃から考えていました。チェンバロやリュートの独奏では、トンボー(墓碑)とかラメント(悲しみ)と題された追悼の曲は数々あるのですが、リコーダーとチェンバロのアンサンブルでやるような追悼曲はあまりありません。そんな中で、ルイ14世のギター教師だったド・ヴィゼが書いたトンボーは、いくつかリコーダーと通奏低音で演奏できる形で出版されています。そこから、コルベッタ氏のためのトンボー、デュビュのトンボーの2つを選びました。リコーダーでやるのはハ短調で、その2曲と合わせて、同じド・ヴィゼの曲集からハ長調の舞曲を選んで組曲にすれば、2つの沈鬱なトンボーに対比した慰めの表現になると思いました。

他に、テレマンのヘ短調のソナタを選びました。この曲は追悼曲ということではないけれど、第1楽章にAdagioでもLargoでもなく、ソナタとしては例外的なTriste(悲しい)という指示があり、特別に悲しみを表現する曲に思えるのです。

岡田さんが選んだチェンバロソロ曲は、フローベルガーの「フェルディナンド4世の悲しき死に捧げるラメント」を含む組曲とシャンボニエールのパヴァーヌ。このパヴァーヌもトンボーに類する性格を持った曲です。

ここまで、ド・ヴィゼのハ長調の舞曲やテレマンの楽章の一部、フローベルガーのラメント以外の舞曲を除くと、悲しい曲ばかり。他に、追悼にも相応しい明るく楽しい曲があればよいのだけど、どうしようかということも考えていました。フローベルガーの「フェルディナンド4世の悲しき死に捧げるラメント」は、調性は長調で、最後が天に昇ることを表す上昇音形の連続で終わるので、リコーダーの曲でも上行音形が多用されているよう曲を見つければ良いかなと思っていた矢先、ある生徒さんがレッスンに持って来られたのが、ペープッシュのソナタ(第1巻第4番)でした。第1楽章の冒頭がバスの1オクターブ上行で始まるし、終わりあたりではリコーダーが次々に上行のモチーフを続ける部分があります。そう思って見てみると、終楽章の急速な16音符分割を含むジーグも天上での愉楽のようだと思えて来ました。チラシの案内文に「魂の喜びを感じさせるようなペープッシュのソナタ」などと書いていますが、そういう見方でこの曲を自分でも吹いてみているうちに、実際そのように感じられて来たのです。一種のこじつけなのかもしれませんが、そういう風に何かの視点を導入して曲の中に入って行くとイメージが膨らむということもあるわけですね。

そのようにして、この追悼のプログラムを組み立てました。芳友寺ではもう1曲、やはり長い上行音形で始まって愉悦感で終わるヘンデルのヘ長調のソナタもやったのですが、休憩なし60分の小さな室内楽では超有名曲のこの曲を省くことにしました。超有名曲は、東京では今後もやる機会はあると思いますので。東京でのコンサートは、もちろん、追悼コンサートではありませんので、どうぞお気軽に悲しみと喜びのストーリーをお楽しみください。

14-108-1右の写真は、芳友寺と、そこでチェンバロを弾く岡田さんです。考えてみれば、魂が天に昇るなど、キリスト教的なイメージと結びついた曲をお寺での追悼コンサートとしてやるのはどんなんだろうなどとも思いましたが、ご住職は大らかに全然構わんよとおっしゃるし、写真を見ての通り、本堂に「だいじょうぶ」という書が掲げてあるお寺なので、だいじょうぶだったようです(笑)。

あと、今度のテレマンのヘ短調で使うつもりのリコーダーについても是非書きたいところですが、長々となるので、また後日。  
Posted by lusthofmeester at 12:15Comments(0)活動報告

2017年10月06日

第6回長岡リコーダーフェスティバル

この前の日曜、10月1日に第6回長岡リコーダーフェスティバルが開催され、演奏して来ました。(ほんとうは、開催前にお知らせを書くべきでしたが、、、)

長岡リコーダーフェスティバルももう6回目を迎えることになりましたが、第1部で新潟県内のリコーダー愛好家の皆様による様々な演奏があり、それに続いて、第2部として僕が企画するコンサートをお聴きいただいています。毎回ゲストを一人お呼びして僕のリコーダーとのデュオコンサートをやっているのですが、第1回目はリュートの佐野健二さん、2回目はチェンバロの岡田龍之介さん、3回目はリコーダーの太田光子さん、4回目は木琴の通崎睦美さん、5回目はバロックチェロの山本徹さんで、6回目の今回はピアノの当摩泰久さんとのデュオでした。第1部の愛好家の方々の演奏曲目も、ルネサンス・バロックから現代の親しみやすいものもで多岐に渡るので、第2部のゲストも古楽に限定しないでできるだけ多彩な顔ぶれの方々にお願いしています。

右写真は、当日リハーサルの模様です。52
当摩さんから、ピアノは今までどんな人とやってましたか?と聞かれて、思い出してみたのですが、30年前のアムステルダムでの学生時代、ルイ・アンドリーセンのMelodyというピアノパートもほとんど片手のみの単旋律で延々と20分近く続く特殊な曲をやったとき以来ということに気づきました。ピアノとリコーダーはともに一般に馴染み深い楽器であるにもかかわらず、またピアニストの友人も大勢いるにもかかわらず、共演する楽器としてはこれほど疎遠でいたことに自分でも驚きました。改めて、ピアノとリコーダーのアンサンブルの可能性も探って行かないとと思いました。

当摩さんからは、せっかくリコーダーとやるのだからバロックの曲もというご要望をいただき、選んだ曲の一つは、アルビノーニのイ短調のソナタです。イタリアのパルマの図書館にある18世紀前半の手稿譜の中にあり、imslpでも公開されています。
http://imslp.org/wiki/Recorder_Sonata_in_A_minor_(Albinoni%2C_Tomaso)
このページのArragements and Transcriptionsというタブをクリックするとわかるのですが、これの原曲は作品6第6番のヴァイオリンソナタで、バッハの弟子のゲルバーが通奏低音のリアリゼーションを書いていて、その現代譜もここに公開されています。こういう曲にリコーダー版もあるというのは大変ラッキーです。当摩さんは作曲家でもあり和声学の先生でもあるので、通奏低音を元に和声をつけるのも完璧にお手の物なのですが、様式としてどうかを参照していただくのに当時のリアリゼーションが残っている数少ない曲のうちの一つを選びました。当摩さんのリアリゼーションは、ゲルバーのリアリゼーションを参照しつつ、よりピアノに適した形にアレンジしていただきました。ゲルバーが書いてる冒頭のcolla parte(バスが休みでも高声とユニゾンで弾く)も試みましたが、ピアノとリコーダーではしっくり来ないのでなしにしました。その他、あちこちを当摩さんのセンスでアレンジしてくださり、とても自然な感じになりました。

もう一つのバロックの曲は、バッハのオルガンソナタ第3番のアレンジです。バッハのオルガンソナタは、オルガンの右手左手とペダルの3声のトリオソナタとして書かれていて、いろいろな編成でのアレンジに向いているのですが、ピアノとリコーダーでもとても面白く感じました。

それから、ピアノとのアンサンブルで是非やってみたかった1934年にパリで出版された竹笛のための小品集(PIPEAUX melodies)ができたのもとても嬉しかったことです。当時、流行していたらしい竹笛とピアノのために、ミヨー、ルーセル、オーリック、プーランク、マルテッリというフランス近代を代表する作曲家たちが小品を書いているのです(他に竹笛4本の曲をイベール、2本とピアノの曲をフェルーが書いています)。それを竹笛でなく、ソプラノリコーダーでやったのですが、リコーダーで演奏可能な曲として、こんな曲があるというのは新鮮です。どれも1分ちょっとの短い曲ですが、フランス近代のエッセンスが詰まっているように感じました。

あと、20世紀中頃のリコーダー復興の立役者、カール・ドルメッチの委嘱によるマリルのソナタ、新潟の愛好家、田辺伸五郎氏の委嘱による新実徳英氏の「三つの不思議な風景」、それから今回が初演となった当摩さんの「ワルツ(Valse)」というプログラムでした。

フェスティバルという性格上、当日のリハーサル時間があまり取れなかったにもかかわらず、会場の響きの中で、ピアノのふたを開けるべきかどうか、バランス良く聴こえるには立ち位置をどうするかなど、そういうことに時間をとられつつ、響きはお客さんが入ったあとどう替わるかは未知というような、至る所が手探り感満載のコンサートで、どうなることやらと思っていたのですが、いつになくお客様には喜んでいただけてほっとしました。後から録音もざっと聴いてみたのですが、普段古楽ばっかりやっている僕にとってさえ、現代人としてピアノの音やピアノ的な曲想は耳馴染みがよく、(自分でいうのも変ですけど)いつになく喜んでいただけたのはわかる気がしました。

当摩さんは来年秋ぐらいまでかなりお忙しいそうなのと、ピアノとリコーダーにふさわしい会場はどこだろうというのを考えあぐねてるのもあり、ちょっと先になりそうなのですが、東京でも是非再演したいと思います。ご期待ください。

それから、第1部について書くのが後になってしまいましたが、プログラムは:
ダウランド:Can she excuse my wrongs?
イギリス古謡: グリーンスリーブス
ダウランド: Come again
コレッリ:ソナタ 作品5の
コレッリ: クリスマス・パストラーレ
シックハルト: 4本のリコーダーと通奏低音のコンチェルト 第6番
ボロディン: ダッタン人の踊り
グリーグ: 組曲「ホルベアの時代」より前奏曲、ガヴォットとミュゼット
ロドリゲス: ラ・クンパルシータ/イギリス民謡: グリーンスリーブス
ゲンツマー: カルテッティーノ
菊池雅春:かくれん坊/山田耕筰: 赤とんぼ
廣瀬量平: メディテーション
というものでした。

Come againとシックハルトに参加された、takako arakiさんがyoutubeチャンネルで、第6回フェスティバルとしてその2曲の動画を上げていらっしゃいます。それもどうぞご覧ください。
https://www.youtube.com/channel/UC-co8gVMz2WfujYF13sOPIA

さて、次の僕のコンサートは、明後日の日曜、愛知県豊田市にある芳友寺の〈やまでら音楽会〉です。14:00開演。お近くの方は、芳友寺にお問い合わせください。0565-41-2566です。

追記:
PIPEAUX melodiesの中のルーセルのPipe in D major(でも実際はなぜかG major)の楽譜は、imslpに上がっていました。
http http://imslp.org/wiki/Pipe_in_D_major_(Roussel%2C_Albert)  
Posted by lusthofmeester at 21:59Comments(0)活動報告

2017年09月10日

小さな室内楽 第25回 分割鍵盤の話

170920つくば古楽アンサンブル合宿から帰って来てからまた少し間が開いてしまいましたが、あと10日後に迫った「小さな室内楽 第25回」のご案内を書いておきます。

コンサート情報は、こちら。
http://mutsuyukimotomura.com/170920/index.html

長い間このブログを放置してしまったため、東京での「小さな室内楽」を今どのように進めているのかのご案内すらここには書かないままでした。改めて書きますと、今は東京・中野にあるSpace 415を主な会場にして、平日の昼夕夜の3回公演でやっています。休憩なし60分のトークコンサートという形で、開場時刻も早めにして、お茶やワインもお出しして、開演前から演奏者もサロン内に出て、お時間のある方は終演後もしばらく談笑の輪に加わっていただけるような場を作っています。コンサート自体は60分なので、さっと聴いてさっと帰るという楽しみ方ももちろん歓迎ですが、その場合でも、和気あいあいとしたサロンの中で演奏を楽しむのは、コンサートホールでの鑑賞と違った味わいになること、感じ取っていただけるかと思います。

さて、9月20日(水)の「小さな室内楽 第25回」ですが、コンサート情報にある通り、チェンバロの上尾直毅氏とともに初期バロックの曲を集めたプログラムです。目玉としては、上尾氏所有の安達正浩氏製作の分割鍵盤イタリアンチェンバロを使うことです。

分割鍵盤とは何かということ、簡潔に説明するのは難しいのですが、ミーントーン(中全音律)と呼ばれる鍵盤楽器の調律法で、いろいろな調性の曲を弾くためには、いわゆる黒鍵を各位置に2つずつ用意しないといけなくなるので、17世紀にはそのような楽器が作られています。1オクターブを12の半音に均等に分割するのが現代で一般的な平均律で、その場合は、異名同音といって、例えば嬰トと変イは同じ音になります。ところが、そうするとホ長調の和音も変イ長調の和音もあまりきれいな響きにはなりません。平均律では、特に長3度の音程が、純正音程(唸りなくハモる音程)より広すぎてしまうからです。ミーントーンは長3度が純正になるような調律法なのですが、そうすると異名異音といって、嬰トと変イはかなり異なる音程になります。それを解決するために、いわゆる黒鍵が2つずつあるわけです(でも17世紀のレパートリーにはほとんど出て来ないような音の組み合わせのところでは分割されていませんが)。

このようなミーントーンで演奏すると、旋律の様子もだいぶ違って聴こえて、特に半音階の進行は平均律と全然違って来て、慣れないと調子っぱずれに聴こえると思われます。当時の人はそのような半音階にも馴染んでいたはずですが、リュートなどフレット楽器の調律は平均律に近いものでないと困難なので、どっちが「本物」かという議論はできません。いろいろあると思うのがよいです。リコーダーのような旋律楽器は、調律がどうであれ、各瞬間ごとにちょうどよい音程になるように演奏すればよいので、気楽なものです(笑)。ときどきチェンバロの人から、調律はどうしますか?と聞かれたりするのですが、僕は、適当に合わすので何でもいいですと答えています。チェンバロがミーントーンだと、それにハモるように吹けば、リコーダーもミーントーンぽくなってるんじゃないかと思います。しらんけど(といってみる)。

そのような音程で、半音階満載のチーマのソナタなど、初期バロックの曲をチェンバロソロの傑作も含めてお聴きいただきます。どうぞお楽しみに。


(おまけ:最近のツイートから)
ブログの更新はなかなかまばらなのですが、ツイッターの方は、しょっちゅう書き込みしています。でも、ツイッターご覧になってない方にも向けて、最近のツイートをここにもまとめてみます(ただし、単にくだらないのは除く、笑)。数日前に、JASRACが音楽教室に著作権料を請求することについて、裁判が始まったので、今回は、それについてのツイートをまとめます。

--------------
JASRACと音楽教室との訴訟、第1回口頭弁論が今日だったようですね。論点は、レッスンで弾いてみせることは著作権法でいう「演奏」に当たるかどうかです。2月にこの問題についていろんな人とやり取りしたのを再掲しておきます。
https://togetter.com/li/1079923
--------------
音楽教室の著作権料の問題、個人の教室に適用されるとしたら、例えば、レッスン売り上げ年間300万、経費150万、保険料税金生活費など合わせて150万で生活ししてるとして、年間7万5千円をJASRACに払うことになるわけね。クラシック系の人は現代曲のレッスンはしなくなるだろうね。
--------------
僕自身のことはちゃんと計算はしてないけど、年間1000コマレッスンしてるとして、そのうち現代曲は年間平均5コマにも満たない気がするのだけど、それを維持するために年間25コマ分のレッスン料をJASRACに払うということになったら、現代曲は僕はレッスンしないと宣言しちゃいそう。
--------------
JASRACと音楽教室の問題、深刻なのはクラシック系音楽レッスンで現代作品が敬遠されていくことになるということ。ビジネス系のお友達にもご理解いただけた様子なので、ありがたいことです。そういう事態が現代作曲家にとって果たして好ましいのか??みんなが大真面目に考えていただきたい。
--------------
僕が万一、現代曲はレッスンしない宣言をする羽目にならないうちにレッスンに持って来てください。ルネサンス合唱曲をリコーダー合奏でやるのと同様、現代合唱曲を器楽でやってみるのも重要だと僕も考えていますが、そういう試みを事実上禁じることになるかもしれない事態は全く以って見過ごせません。
https://twitter.com/atsuko_s2o/status/905834795577483264
--------------
でも、現代合唱曲を器楽でやる試みについては、同一性保持権の侵害に当たるかもしれないということもあるので、そこも現行著作権法の不備かと思います。作曲の著作物は楽譜なので、楽譜自体を改変しなけれ同一性保持権の侵害に当たらないという判例が出て欲しいです。
--------------
ちなみに、佐藤眞とPE'Zの「大地讃頌事件」では、訴訟せず和解したようなので、それも禍根を残してると思います。僕が大地讃頌をリコーダー合奏でやって佐藤眞に送りつけて怒らせて訴訟に持ち込んだりすればいいですかねっw
--------------
レッスンは演奏に当たるかという議論で、もう一つ。個人で歌の先生をしている人が合唱団の指導に行く場合、演奏するのは団員の人で、ときどき先生が歌ってみせてもそれは演奏に当たらないのは明らかだと思う。もしそれが演奏だというのなら、プロ合唱団もリハーサルの度に著作権料を払う理屈になる。

(以上であります)  
Posted by lusthofmeester at 10:04Comments(0)コンサートやCDについて

2017年08月22日

何か楽器を始めたいならリコーダーがいいよ!!

もうだいぶ前になりますが、ツイッターの連続投稿(連ツイ)で、「何か楽器を始めたいならリコーダーがいいよ!!」というのを書いたので、ここにもそれを掲載しておきます。

------------------------
何か楽器を始めたいならリコーダーがいいよ!!の理由を考えてみました。(笑)
1.息を使う楽器なので、フレーズ感を掴みやすく、はまると気持ちいい。
2.息を使う楽器の中では音を出すのが簡単なので、気楽に始められる。
3.入門用の楽器は安価でお手頃。
4.ソロのレパートリーが充実しているだけでなく、大小各種サイズの楽器を使った合奏でもいろいろな曲を楽しめる。
5.中世から現代ま何百年にわたるレパートリーがあるので、音楽観が広がる。
6.音程を吹き方で細やかにコントロールしていかないといけないので、和音や音程の感覚が身につく。
7.上達すれば速吹きするのも楽な楽器なので、結構派手なこともできる。
8.アーティキュレーションの細やかな変化や、音のニュアンスの変化がかなり多彩なので、深入りすると際限がない。
その他
・音が大きくないので、練習場所の悩みが少ない。
・呼吸が深くなって心身の健康に良いかも。
・あまり体力を使わないので、年齢的なハンデが生じにくい。高齢でも始められるし、高齢になっても続けられるし、小さい子でも始められる。  
Posted by lusthofmeester at 01:00Comments(0)音楽論みたいなの