マルセイユ版大アルカナの解釈についての話の続きです。
占いにおける解釈は前記事までで書いた以上のことは知らないので、それだけだと22枚をストーリーとして捉えた時、特に塔のカードから先の展開が意味わからなくて、全体を通しても色々具体的にイメージできない部分がまだ多いです。
タロットリーディングにはセフィロトの樹が~とかケルト十字における位置で云々とか細かい色々があるみたいだったんで、そういうの基礎からもっと勉強したらはっきりするのかもしれないけど、結局カードをどう解釈するかは人によって異なるのだろうなとも思いました。
村松潔氏の言説が興味深かったのですが、アントロポスへの帰還とかアフリマンからの解放とか言われても、横文字イミフすぎてちょっとついていけませんでした。
なのでそれはそれとして、今回は最近の時事ネタとかを絡めて私が連想したイメージなどから、ストーリーを考えてみようと思います。
たぶん今同様のテーマをタロットを使ってもっと的確に読み解いている、ちゃんとした研究家の方がいらっしゃると思うので、私のはあくまで自分の考えを整理し表現するセラピーツールとしてタロットを使用しているものです。
まず塔のカード以降に注目して不明な点を上げると、月のカードのザリガニって何なのか?と太陽のカードで集う2人の子供はそれぞれ何者なのか?そして審判のカードは何が起こっているのか?中央の人物は誰なのか?世界が完璧になるために何が必要なのか?完璧な世界とはどういうものか?あたり。
先述したように太陽のカードの子供は、一人は力のカードで始めたパラダイムであると同時に月のカードにおいてザリガニとして現れた存在、もう一人は10までに構築され、塔という形で具現化していたパラダイムの中にいた存在、という話でしたがいまいちピンときません。
塔は壊れる定めですが、私はパラダイムを支持することで恩恵を受けている者が自らの基盤としているパラダイムの終焉を認めることはないと考えているので、塔の中にいた人物がザリガニと出会うという展開もあまり想像できません。
とはいえ『中にいた存在』が、必ずしも全員積極的に構成の維持に寄与していたとは限らないかもしれないとは思いました。
例えばキリスト教徒の家系に生まれた子供はキリスト教的思想と常識の中で育ちますが、自身がキリスト教徒として生きていくかどうかは、ある時点で自分で決めているはずです。
ほとんどの場合成り行きで自然になんとなくキリスト教徒であることを選びますが、違う選択をすることってほとんどありえないレベルのこともありますが、その構図が恋人のカードに相当するのではないでしょうか。
以前の記事で書いた、日本人の両親から生まれたというだけでなんとなく日本国民として生きている人が多いのではないか?という話にも通じます。
塔の中にもそのような、まだ恋人のカードが訪れる以前の状態の者がいたのかもしれません。

また少し違った見方をしてみると、戦車というカードには勝ち続けるという意味があり、勝ち続けるとは片方を肯定し片方を否定し続ける戦いによる前進であるという解釈がありました。
何かを肯定したり賞賛することは、たとえ明言しなくとも反対の位置にある何かを否定したり貶める側面を持つということだと思います。
そして否定されるほう・選ばれないほうは無意識の領域に沈みつつも機能は持ち続けるため、物事を無意識に判断するという盲点が生まれ、その盲点は月のカードで表面化するのだそうです。
だとするとザリガニとは、戦車のカードで負けるほうの馬ということになるのでしょうか。
先の例なら、キリスト教徒の家系に生まれた人間にとっての、非キリスト教徒として生きる選択、あるいは異教徒という存在に相当することになりますが・・・そうなると、力のカードはザリガニではないということになると思うんですが、どうなのでしょうか。
またこの解釈だと、戦車における馬の競争でどちらが勝つのかは、恋人においてすでに決まっていることになると思います。
右の女が選ばれるほう、左の女が選ばれないほうです。
戦車の『勝ち続ける』とは、恋人のカードで選んだほうを選び続けるという意味のような気が私はします。
力のカードとは、恋人において選ばれず、戦車において負けていたほうが起こす大勢への反逆を意味しているのでしょうか。

最近黒人差別や白人至上主義というアメリカ社会の構造への問題視が過激化していましたが、いわゆるアフリカンアメリカンが『否定されるほう』として社会に組み込まれていることが、欧米の人種差別を根深いものとしていると私は考えています。
アメリカ社会は『肯定されるほう』としての白人と『否定されるほう』としての黒人という2頭の馬によって前進し、白人至上主義という塔を打ち立てているということです(アメリカには他にもネイティブアメリカン・ヒスパニック系中国系日系移民など様々なアメリカ人がいますが、白人至上主義は黒人は比較対象として必要とするものの、それ以外の人たちのことは論外であるか、場合によってはアメリカには必要のない存在と見なしているように私には見えます。それは日本を単一民族国家と謳う人にとってのアイヌや琉球・在日・帰化などに対する扱いに似ていると思います)。
塔のカードに人物が2人描かれているのは、戦車のカードの馬2頭と同じ意味だと思うんですよね。
塔の中には勝ち組と負け組がいて、そのペアでパラダイムは成り立っているのです。
しかし、ということは、黒人は『否定されるほう』として塔の中にいて、塔の崩壊と共に外界へ放り出される運命なので、自ら塔を壊すことはできない立場ということになります。
もちろん集団的存在としての黒人という意味で、個人は別です。
あらゆる構造的差別に共通のことですが、白人は白人同士で人種とは別の基準で優劣をつけているので、白人の中でも『劣るほう』に分類されてしまう人たちの自慰のためには『否定されるほう』の存在が不可欠なため、集団的存在としての白人も、この人種差別パラダイムを放棄したり崩壊を認めることは絶対にないです。
私の理論ですけどね。
現実には白人至上主義は白人自身をも苦しめている(価値を拘束している、と言うほうが明確かな?)のだけど、彼らの多くは既得損益の中で恩恵のほうを大きく感じている(あるいは現在を失うことによって新たに得る利益を認めていない)ので、アメリカの白人であるという社会的立場から自分自身を解放するのは容易なことではないでしょう。
力のカードを選択し、人種差別をやめることは個人にしかできないのです。
ということは、力のカードが何者なのか?を戦車の馬2頭や恋人の女2人のどちらなのか?という視点から考えるのはそもそも不適切かもしれません。
AorB(あるいはAなのかAじゃないのか)という考え方そのものを否定するパラダイムの出現を暗示するのが力のカードであるとすれば、それが既存のAとBどちらを出自としているのかを気にしているようでは、その概念を知ることはできないと言えそうです。

ところで今このタイミングで人種差別反対運動が盛り上がった理由の背景には、新型感染症の流行があると思うのですが、つまりCovid-19は白人至上主義という塔に降り注いだ神の祝福と捉えることもできますよね。
この場合鉄槌と言ったほうが一般に理解されやすい気がしますがw
ちなみにアメリカの人種差別に限らず、Covid-19はあらゆる既存のパラダイムを打ち崩す神の祝福のように私には思えます。
わかりやすい具体例だと電車通勤とか会社の飲みニケーションとかですかね。
しかしどうも世論は、我慢や自粛でコロナ禍が過ぎ去るのを待って以前の暮らしに戻りたいという感覚が支配的で、根本的に暮らし方を変えるという発想は広く共有されてはいないように見えます。
たぶん変化と適応を選択した人はもっとずっと前に自分で行動してしまっているんですよね・・・力と節制のカードが塔のカードより前のナンバリングであるのはそういうことだと思います。
以前の生活に大満足だったというなら変化を嫌うのは当然なので、実はみんな満員電車や親しくもない人との上っ面の会合大好きだったのかと考えれば合点が行くのですが、そんなことを言おうものならしないと生きていけないだけでやりたくなんかない的な反論をされそうです。
しかしもし実際そうなら、それは塔の中にいる人はその暮らしに不満があっても、いっそ不遇や理不尽にさいなまれていても、元凶である塔から自力で出られないことの証左だと私は思います。
塔を失うと星のカードが示すように全てを失って裸になってしまうので、それが嫌だ怖い無理っていうのは心情的には理解できますけど・・・ただでさえ支持していても良いことのないパラダイムを、感染症の恐怖に怯えながらまだ信奉し続ける心境のほうは私には全く共感できないんですよね。
既存のシステムや考え方・暮らし方などの中には、Covid-19の実装した世界に対応していないものが当然あるわけですが、そういうものを無理に維持・継続しようとするほうが、マジで死ぬ以外に逃げ場のなくなる人がむしろ増えるんじゃないかと私は考えています。
不況が長引くと貧乏な人から追い込まれていくわけですけど、その『貧乏な人』という立場は資本主義経済という塔の中にいるから貼られるレッテルなので、塔を維持する限りその人は貧乏なままだから、どんどん追い込まれるしかなくなりますよ。
だから、経済を回さないといけないけど感染拡大防止との両立が云々っていう議論を見る度に、なんか的外れじゃないかなあと私は思っているのだけど、うーん・・・
長くなってきちゃったんで、一旦区切ります。