さて話が滞りすぎたのでちょい急ぎ足で残りを書き散らしておきます。
ちょうどいいカテゴリがないんですが、前回まで最近の世界情勢について考察していたので同じとこに入れておきます。
前々回の話に戻りますが、太陽のカードは戦車のパラダイムを離脱した人と戦車のパラダイムの崩壊によって外へ放り出された人とが出会い、手を取り合う姿という話でした。
私が疑問なのはやっぱり、パラダイムって能動的に捨てる以外手放しようがないと思うので、後者の例が具体的にイメージできないことなのですが、例えばいわゆるロスジェネ世代が自分の境遇に照らして、学歴があっても大手企業に就職できないし、できても将来の安泰が保障されるわけではない現実を理解する、みたいな話でいいんですかね?
私にとってはバブルとか関係なくずっと最初から世の中ってそうでしかないので、ピンと来ないんですが。
世界が実際どうなのかなんて、結局本人が気づくかどうかが全ての話ではないですか。
ただ少なくともなんか上手くいかないと感じた時、人は自分を支配するパラダイムの存在に気づきやすくなると思います。
だから挫折や失敗をした人や、社会で不遇な目に会いやすいマイノリティーな属性を持つ人は、パラダイムの存在にもその崩壊にも気づきやすく、どうすることもできなかったとしても気づいているだけで、安全にパラダイムから脱出できる確率は上がるかもしれません。
塔のカードには人物が2人描かれているのですが、右下から這い出しているのがそのような『気づいている人』であるように私には見えます。
つまり彼が太陽のカードにおける2人の子供の片方です。
太陽のカードはまだ完全な世界の到来ではないらしいんですが、それは塔のカードで左上から落下しているほうの人物がいないからではないかと私は推測しています。
私の解釈ではこの左の人物は『パラダイムを支持することで恩恵を受けていた者』、つまり恋人で選ばれ、戦車で勝ち続けていた者です。
そして彼は審判のカードにおいて復活する中央の人物です。

私は『パラダイムを支持することで恩恵を受けている者が自らの基盤としているパラダイムの終焉を認めることはない』と考えていますが、これは狭量な私の願望というか恨みに近い世界観で、実際は違うと思います。
人はわりと簡単にしかも急に、自らの間違いや傲慢さを認めたり改心したり、いわゆるパラダイムシフトすることもあるだろうと、客観的にはわかっています。
ただどうにも、自分を他の人と比べて相対的にましであると信じていたい人というのは、物事を自分に都合のよいように解釈するか、都合の悪いものは見ないようにする傾向があるように私は感じていて、それ自体はダメなことともいえないのですが、現実が変化している時に信じたいことを優先してしまうと自分が危機に瀕していることに気づけないまま急に破滅する、あるいはすでに破滅しているのに気づけない事態になる気がします(これは自分を不遇だと信じていたい人の場合も同様で、実際には事態が好転していても、それに気づけず気持ちは不幸なままだったりします。
塔の左上からまっさかさまに落下する姿はまさにその様子なわけですが、そうなってくるとパラダイムの勝ち組は本当に勝ち組なのかあやしくなってきますね。
塞翁が馬というのでしょうか。
そもそも気づけないって私にとっては最悪で、絶対なりたくない部類です。
だからコロナ禍が塔に降り注ぐ神の啓示なら、今失業したり収入がぐっと減ったりした人って実はラッキーなのかもしれないのでは?と思います。
自分を支配するパラダイムが自分を成功や幸福に本当に導いてきたのか、見直すチャンスですよ。

しかしながら、この崩壊の運命をたどったパラダイムの支持者が審判のカードで復活すると、世界がどうなるのかは私にはまったく未知です。
というかどのような形で復活するのかわからない、果たして復活なんてして世界は大丈夫なのか?という疑問。
私よく考えるんですけど、民主主義と社会主義と独裁主義がもしお互いの存在を許容したら、世界は本当に平和になるけど、それぞれ他の主義思想を否定しているところまで含めてアイデンティティーという感じがするので、それをやめて他者を認めたらもうそれぞれが民主主義ではなくなるし社会主義でもなくなるし、独裁政治も成立しなくなるのではないか?と思うのですが、どうなんですかね?
実際のところ世界は、少なくとも民主主義と社会主義がすでにずっと前から共存していて、独裁状態の地域もあって、それらのパワーバランスが同等で睨み合っているゆえに戦争が回避されている期間を平和と称している状態で、お互い隙あらば他者を滅ぼす気満々じゃないですか。
それはまるで戦車と正義の間を往復している感じがします。
自分が正しい・他は間違っているという発想をやめた思想が力として出てこないことには、先に進まないし太陽のカードには到底至れない気がするんですよね。
力が出るためには、前段階にチャンスの到来としての運命の輪があるはずです。
感染症の蔓延は1世紀ごとに人類が経験する歴史イベントとも言われています(戦争も同様ですが。
つまりコロナ禍とは繰り返す運命の輪です。
力のカードへ進むカギは、毎回禍が過ぎ去るのを待つようではダメなんだと気づくことでしょうか?

話を戻しますが、審判のカードは中央の人物の復活を喜ぶように両側の男女が手を合わせている様子が描かれています。
個人的にはこれもかなり達成困難な奇跡に思るんですよね。
自分と対立する、あるいは自分を虐げてきたパラダイムの支持者の復活を祝福するとか、私には正直無理です。
それどころかずっと業火に焼かれて苦しみながら逃げ惑っていて欲しいですね。
でも自分の気に入らないものに対しての怒りとか、自分を酷い目に合わせたものへの復讐心とかって、自分にとっても居心地のよい感じではないし、その感情に則って行動してもわりときりがなくて溜飲が下がらないんですよ。
だから相手がどうなるのか関係なく、自分は勝手に満足したほうが救われるんじゃないかと私は思うんです。
自分が救われるということは対立者に勝利することであり、抑圧者への最高の復讐となります。
しかし相対的な世界で相手を蹴落とそうとせずとも絶対的に満足している人は、対立者や抑圧者に対しても彼らの幸福や満足を願うでしょう。
異質な他者同士が共存する世界とは、同じ内容で喜べずとも、あなたが喜ぶと私も嬉しいと互いに感じる時、実現するのではないでしょうか。
審判のカードが表現しているのは、そういうことかもしれません。

審判のカードは20つまり2であり、以前失われたものが復活しただけなので生産性はありません。
カードを並べていてふと気づいたのですが、アイデンティティーや自我を感じさせる表現物が5体描かれているのって世界のカードだけなんです。
審判・月・恋人が4体で、太陽・悪魔・運命の輪・戦車・教皇が3体、塔・力・愚者が2体、残りは1体です。
世界のカードは完全な生産性を象徴していると同時に、三位一体を暗示しているという説もあります。
既存のパラダイムから離脱した者、パラダイムに敗者と断定されてきた者、そして勝者だった者が揃った時、第4の存在を生み出す完全体が具現することを示唆しているのかもしれません。
二者択一だった世界に第三の選択肢を提示するのが8→11のカードとすれば、完全な世界はそのどれを選ぶのか?と問うのではなく、さらなる新しい道を生み出すのです。
そして、そのまだ見ぬ道を放浪するのは目的を持たぬ愚者であるというのが、長くなりましたが私のイメージした筋書きです。
ここまで現実の出来事とアルカナを使って私の世界観を説明しましたが、問題は逆ができないこと、つまりこの世界観をオリジナルの物語で表現するとなると、具体的な話が全く思いつかないことなんですよねえ。
ていうか結局、現実のほうもここから未来を描き出すことまではできないし、なんというか無力だ・・・