考えがまとまらなくて文字に起こせないまま、気がついたら二ヶ月以上経過していました。
テーマはおもに、「二次創作が嫌いだ」というnoteについてと、選択的夫婦別姓制度はそれを求めている人を本当に救うのかとか、あとはマイノリティーのために社会と個人がリソースを割くことは情けは人のためならずであることとか。
とりあえず、Covid-19の感染者は世界中で急増しているとはいえ、せいぜい100万人あたり1万人いかない程度の超絶マイノリティーなわけで、自分が当事者になりえるとは想像できないような人たちの中には、そんな少数の人たちのせいで自分の生活や日常が脅かされるのは迷惑だ、みたいに感じている輩もいるのかもしれないなと思いました。
医療崩壊を防ぐために年末年始の外出・会食・帰省を控えましょうと、行政も医療機関も呼びかけていましたが、流行の感染症で自分が死ぬ想像をできないような人は、その他の病気や怪我で病院のお世話になる可能性も想像できないんじゃないですかね・・・
などと思ったらネガティブ思考回路がループし続けてしまって出口が見つからず、なんか恒例になっている今年の目標的なやつもまだ思いついていません。
そういえば去年の年始に「続けるってどういうこと?」というのを考えると書きましたが、私にとって続けるとは、毎日とか毎週とかコンスタントにリズミカルに定期的に、おそらくは半年以上の長期にわたる習慣的な行動によって外的価値を持つ成果を蓄積していくことを指す気がしました。
私は何かを一旦放置してしまっても、そのまま何年経過した後でも自分がやりたいとまた思えば、何の気負いもなく再開できるんですが、そういう不規則な行動は『続ける』とは定義していないです。
でも人によってはこれも『続ける』の範疇ですよね。
定義を変えれば、私ずっと創作し続けているし、ここ数年筋トレも続けていることになりますけど、全然やってない時期もあってすごくむらがあるし、特にそれによって他人に自慢できるような成果もないっていうところで、それらを『続けていること』とは認められないんですよ。
たぶん私の中には「自分は物事が続かない人間(だと思いたい・でありたい)」というのが先にあって、その上で私にできないタイプの『続ける』のみを『続ける』と定義しているんじゃないかと思います。
あと一旦中断したものをまた再開することは勇気がいることで素晴らしいこと、みたいな話が私はあまり好きじゃないです。
同時に上記したような、毎日とか毎週とかコンスタントにリズミカルに長期にわたって何かを『続ける』ことは、それ自体が世間評価的に素晴らしいことなのであろうと思っています。
つまり簡単に言うと、私は自分がダメ人間なほうがいいみたいなんですよね。
なんかねえ、特定の条件において、褒められたくないみたいなんですよ・・・でも自分でもよく判らないんですよ・・・褒められたいけど褒められなくない。
外的価値が生まれると変なことになるという話は「智に働けば角が立ち、情に棹させば流される」でも言及しているんですが、なんかそこらへん関係している気がします。

長期的な目標のひとつとして、外界に対して何かを示してしまうことを恐れずに行動できるようになりたい、というのがちょっと前からあって、それを実現するためには外的価値の形成が私にとって行動のブレーキになりえるという現象を解消しなくてはならないので、今年の目標は褒められることについてクリアにするというところでしょうか。
・・・意外とまとめへともっていくことができましたね。
やはり言語化してアウトプットするのは有効ですね。
というわけで今年もよろしくお願いいたします。