続きです。
前回の記事は、メンバーの感謝に対し相応かそれ以上の感謝を返す組織がホワイト、返さないのがブラック、というところまで書きました。
今回のことを調べていて、西野さんが『まだ捕まっていない詐欺師』とか、西野サロンはマルチ商法だとか言われているのを知り、私も彼や彼のサロンは有害で危険だなと思ったけれど、同時になぜそう思うんだろう?と疑問でもありました。
西野さんを嫌いな人にとっては、彼に近づくのはどう考えても危険でしかないように見えると思うのですが、一方で彼を素晴らしい人物だと思う人、彼を慕い彼に熱狂し心酔する人もいるわけです。
では西野さんをいぶかしむ人は彼に何を見ているのか。
私自身がわからなくならないために、それを言語化しておく必要があると思いました。
そんなわけで、今回の記事は私が西野さんを見て受ける印象、私の中の西野さん像の話です。
まず私は経済学とか経営学とか勉強していないので、どうだとマルチなのかとかわかりません。
しかし前記事に出した倉本さんは代理販売というビジネスについて「映画えんとつ町のプぺル」チケットの売り方がマルチ商法?代理販売に伴う『仕組みの欠陥』について【西野亮廣】というnoteを参照していて、このnoteの著者アッポーさんは、代理販売は悪ではないとしつつ、「映画「えんとつ町のプペル」のチケット販売のやり方には、非常に危険な「仕組の欠陥」を感じました」と指摘しています(1月13日にアップされた記事のはずなのですが現在削除されています。彼のTwitterアカウントを見に行きましたが、自分でnoteを宣伝して反応もリツイートしているのに削除した理由は見当たりませんでした。とても残念)。
私も前出の『無職が失業保険使ってチケット台本を80セット(約24万)買った話(理由)』『「”カモられる若者”」として炎上している件について【西野サロンU25】』を読んで、西野さん周辺あるいは西野サロン内部で行われている金銭取引は払う側のリスクがアホほど高いとは思いました。
自分が手を出したいとは絶対思わないし、友人知り合いでもいたら止めます。
西野サロンには、アッポーさんが指摘するような『仕組みの欠陥』が確かにあると思います。
個人的に西野さんを尊敬しているというアッポーさんは、このような欠陥のある仕組みを採用したのは西野さんが「結果を急ぎすぎている」からと推測していました。
ここでアンチ西野派閥な人たちの多くは、西野さんが他人を苦しめてでもとにかく自分が得をしたい悪徳守銭奴だからわざとこの仕組みにしている、と考えているんじゃないかと思います。
私も西野さん嫌い派ですが、どちらかというとアッポーさんの推論を支持します。
そもそもこの仕組みに欠陥がある・苦しむ人が出てしまうかも、ということに当初全然気づかず設置した可能性もあると思っています。
でも今は問題があると気づいているはずです。
そこでどうするかというところで、私は彼を、自分が欲しい結果のために苦しむ人が出ても知らないふりで放置する、その程度には怠け者で冷たい人間だし、自分には関係ない・自分のせいではないと自分に言い聞かせる、その程度には言い訳がましく卑劣な小心者だろうと判断しています。
彼は悪事を悪事とわかって平然とできる人間ではないし、苦しむ人を見て喜ぶ趣味もないけど、自分が行う悪事そのものから目を背ける人間だと思います。
だから彼が嫌いです。
まあ勝手な偏見なんですけど。
あとこれ同族嫌悪なんですけど。

アッポーさんは「もし、この記事が西野さんの目にとまったなら、在庫を抱えている方への返金を行うなうなどの、筋の通った対応をしていただけると嬉しいです。」と書いていますが、私は西野さんがそんなことするわけないと思います。
売れなかったらそれまでって了解して購入したでしょ?最初からそういう取引だったでしょ?俺は嘘は何もついてないし強制もしていないし、君の自由意志の結果じゃんという具合の自己弁護を、彼はまず自分自身に向かって展開すると思います。
実際さいとうさんもサロンで何も強制されていないと書いていたし、本岡さんも単に自分がノリノリになってやっただけのようだし、サロン内でチケット販売ノルマ等がある感じでもないし、あの場所で何か損失を被ってもそれは個人が自由に選択した結果だと私も思います。
でもだからって主催者本人がそういうこと言い出したら無責任ですよね。
で、西野さんはそういうこと言い出しそうって私は思うんですよ。
もう根拠なき妄想ですけど。
私もなるべく責任取りたくない人間だから、上記の自己弁護が簡単に思いつくんですけどね・・・
本岡さんは西野さんへのリスペクトがすごいようなので、それ故に、西野はお前が想像しているような偉人じゃねえぞ?どちらかというとチンケなクズ野郎だぞ?ってところで私は本岡さんの行く末が心配になります。
でも本岡さんにとっては余計なお世話でしょうし、私が見た感じ今のところ彼は楽しくやっているみたいなので、関係ない人がとやかく言うことではないとも思います。

ただ一方、西野的信用経済を頑張っているさいとうさんは、今私楽しいです!と言っているけど、どうしても楽しそうに見えないです。
これは前記事で最初に紹介したツイートの小咲さんも指摘しています。
まあ何かをするのに常に相手からの見返りを期待していたら、そりゃ楽しくないでしょうよ。
彼女はもともとそういう人なんだと思うけど、西野サロン、特にU25が価値観のボタンを掛け違えやすくさせる場所なのではないか?という気もします。
本岡さんとさいとうさん2人のnote、特にさいとうさんの文章には言葉の定義が何か変ではないか?と感じる部分が多くありました。
例えばそのひとつで非常に気になったのが、彼らが西野さんを『挑戦している人』とか、自分も挑戦する人でありたいとか言っていることでした。
私にとっては西野さんは挑戦者ではないです・・・これは別に悪い意味ではなく。
私の中では挑戦とは、自分なんかにはできない・無理だと思うことをやめることで、ある種の自己否定を意味します。
試してみもしないで軽い感じで自分なんかには無理だよ~と思ってしまっていることってけっこうあると思うのですが、それは他人の経験や常識等から何か座学してしまっているんだと思うんですけど、そういう自分の中にあるセルフイメージや世界観を覆すことが挑戦だと私は考えています。
周りのみんなが不可能だ・ありえないと言おうとも自分はそんなことないと思ってするなら、それは証明と言うと思います。
そこに見返してやる!みたいな意気込みがあるなら、復讐とも言うかもしれません。
西野さんは、他人がどう言おうとも自分にはできると思うことしかしていないように見えるので、私的には証明者です。
これは実業家としてなら正しい姿勢だと思います。
雇用主なら従業員を守らなければならないし、ビジネスは客やらスポンサーやらの期待に応えなきゃいけないし、勝算のあることを着実に成功させるのが実業家でしょう。
もし事業をしている人が挑戦とか言い出したら、そいつは他人の資産でギャンブルしようとしてる奴じゃないですかね。
そんな人について行くのはすごくリスキーだし、リスクを背負うことは挑戦とは全然違います。

こういう、言葉の使い方や定義がおかしくね?と感じることは多くて、最近巷がコロナで我慢の日々とか言っていることについても、そこは我慢ではなく忍耐が正しくないか?と思ったりしています。
あまり細かく意味を考えていない人が多いんでしょうけど、言葉の定義が無意識に雑だと詐術に騙されやすくなると思うんですよね。
例えばさいとうさんは、リスクを負う人が信用されるとかU25のメンバーに言われて納得しちゃってるみたいなんですが、そういう感じに。
やばい。
とはいえ私も今回この件で二人の文章に違和感を覚えて、挑戦という言葉について初めて考えました。
そして私が自分のことを続かない人だと自己評価しているにもかかわらず、何かを続けてみようと何度も試行錯誤していることは、挑戦だったんだなと思い当たりました。
わざわざ挑戦したいとか思ったことはなかったのですが、したいことを私なんかにはできない・・・と思っているのってあまり気分がよくないというか、どうにも放置しておけないのです。
そんなわけで、私はこれからも挑戦を『続ける』んだろうなと思いました。
そもそもここ2年ほどの挑戦の内容が『自分を続けられる人だと思えるようになりたい』なので、客観的に見ると完全に続けてるやん・・・というセルフ突っ込み状態です。
最近になって、自己価値を高めようとする時、その内容が他人や一般社会的にも価値があるものだと認識すると嫌になってしまう、という謎心理が障壁ではないかという仮説が浮上していますが、この話はまた別の機会に。