とりあえず二週間おきの水曜日にデータを記録してきたやつだけ。
ブックマーク49件、評価人数は5人で評価ポイント42、総合ポイント140です。
累計PVは31019(午後15時時点)、週別ユニークユーザは先週が316で今週303となっております。
ブックマーク49件、評価人数は5人で評価ポイント42、総合ポイント140です。
累計PVは31019(午後15時時点)、週別ユニークユーザは先週が316で今週303となっております。
ところでね、私の作品今日の月間ランキング連載中部門で36ポイント獲得で33位になってんですけど、上下5本くらいどれも数百から千オーバーのブクマを獲得している作品ばかりなんですよ……
私だけブクマ二桁なの……
いちおう36位の『異世界雑貨屋~脱力系店主田中』っていうのがブクマ99件ですけど、この作品はあらすじに「以前諸事情によりアカウントごと削除した作品です。 前回連載時に評価や感想は既に頂いているため今回は閉じることといたしました。」と書いてあって評価・感想・レビューを停止にしているので例外でしょ。たぶんこれ人気作品だったけど何かあった類。
いや別にだから何ってわけじゃないんだけども。場違い感があって恥ずかしいから、これだからランキング嫌なんだよと思ってしまうってだけ。
でもランキングがなかったら露出の場が減るので、作品を見られたいならやっぱランキングはあったほうがいいんだとは思う。
ランキングは人気の可視化で、いいね数やフォロワー数も同様なんですが、SNSの数値のせいで作家や絵師はインプレ依存症になるんですけど、それは社会的な傾向の話であって個人としては「気にすんな」としか言えないし。
流行を作品に反映して人気を取りに行くことと自分の作りたいものを作りたいように作ることは、配分を考える必要があるだけで両立できないことでもないし。
ただまあそれを考えると、もし『自分の作りたいものを作りたいように作る』へ限りなく全振りしたのにめっちゃ人気が出た場合、それって自分の感性や嗜好・思考がめちゃくちゃ凡庸で大衆的で個性がないって話にならないか?っていう疑念があるんですけどね。
評判よかったら単純に嬉しいだろうからこそ、心の片隅でもにょる気がする。
つまり私みたいなひねくれ者は、『自分の作りたいものを作りたいように作る』へ全振りした作品を世に公開する時、常に可能性としての精神的リスクがつきまとうんですよ。めっちゃ人気でなくとも50ちかくもブクマついてるのキモいもんw
でもやっぱり作品公開するのは、自己を世界に承認されたいからなんだと思うので、作品に流行を反映させることはなるべくしたくないし、同時に『私の好き』が世界にまったく見向きもされなかったらやっぱりそれなりに淋しいんですよ。
それに比べたら、数字欲しくて流行に媚びたつもりで作って公開したけど全然いいねされない……のほうが普通になんかしら技術が足りないんだなでFAだから次の課題が明確になって楽、まであるんじゃないかっていう勢い。
双龍先生とかどうなんですかね。
彼は『こういうのがいい』はマジで俺が「こういうのがいい!」と思って描いた作品だよ!とおっしゃっていて、「人気を得るためにここまでするのかと思った」みたいな論評にブチギレしてたのをちょっと前に見たんですが。
まあ彼はプロのクリエイターなので、たぶん『自分の作りたいものを作りたいように作る』のはある種当たり前で、そのうえで画力とか魅せ方とかで読者視聴者に「こういうのいいかも……」って思わせるんだよ的な考えな気がしますけど。
読者の癖を俺の威力で曲げてやるぜ、みたいな。
ちなみに彼はそう豪語できるであろうだけの自信と実力があるひとだと私は思うのでプロって称したんですが、その自信はどっから来るのか?っていうのは気になります。
先に自信があるんじゃないかと思うんですよね。自信があるから実力を積み重ねられるし、それがさらに自信に繋がってゆくのね。
このへん森川ジョージ先生も同じっぽいなって、二人のスペースでの対談を聞いていて思いました。
二人のようになるともう一時の数字に左右されずに信念を持って仕事を続けられるし、だから業績を出すことができるし、結果を素直に受け取って応援や称賛に感謝することができるんじゃないかな。
このあたりのメンタルを持つことはクリエイターとしてやっていくのにすごく重要で、これがないと反AI堕ちしたり漫画家の単行本の表紙にギャラ出ない問題でSNSで愚痴垂れる面倒くさい人になったりするんじゃないかと思うんですよ。
まあ私は双龍or森川メンタルを持ってない側の人間なのでそういう、自信と実力に見合わない人気を獲得してしまって無意識に自分のファンの存在を疑っている人(私は反AIな人をAI生成物が世を席巻したら自分にイラストを頼みに来る人がいなくなると怯えている人と見なしています。そしてもし私が2020年以前にフォロワー5万人級のキラキラSkeb絵師だったら現在反AIになっていた自信があります)や、対等であるはずの出版社に対して弱気になって舐められて搾取されても被害者ムーブしかできない人に対しても同情しないわけではないですけど、なんでそれで今までプロでやってこれたん……?っていう疑問はなきにしもあらず。
ほんとその、なんていうか、自分の『好き』を社会に公表して普通にウケたら、自分が大衆受けする没個性な人間である可能性を視野に入れたほうがいいと思うんですよね。その歓迎は個人への承認ではない可能性があること。読者側の勝手な解釈による勘違いである可能性もありうる。
数字に見合う実力、魅せ方や単純な画力や表現力などの技術を身につけて、そこが承認されているんだと認識していかないとヤバい気がする。ほとんどの人が個性なんか見ていないのよ。
っていうのがこの二年、生成AIで阿鼻叫喚な界隈を眺めていて思ったことでした。
ってデータ記録だけって言ったのに長々とどうでもいいことを書いてしまった。
私だけブクマ二桁なの……
いちおう36位の『異世界雑貨屋~脱力系店主田中』っていうのがブクマ99件ですけど、この作品はあらすじに「以前諸事情によりアカウントごと削除した作品です。 前回連載時に評価や感想は既に頂いているため今回は閉じることといたしました。」と書いてあって評価・感想・レビューを停止にしているので例外でしょ。たぶんこれ人気作品だったけど何かあった類。
いや別にだから何ってわけじゃないんだけども。場違い感があって恥ずかしいから、これだからランキング嫌なんだよと思ってしまうってだけ。
でもランキングがなかったら露出の場が減るので、作品を見られたいならやっぱランキングはあったほうがいいんだとは思う。
ランキングは人気の可視化で、いいね数やフォロワー数も同様なんですが、SNSの数値のせいで作家や絵師はインプレ依存症になるんですけど、それは社会的な傾向の話であって個人としては「気にすんな」としか言えないし。
流行を作品に反映して人気を取りに行くことと自分の作りたいものを作りたいように作ることは、配分を考える必要があるだけで両立できないことでもないし。
ただまあそれを考えると、もし『自分の作りたいものを作りたいように作る』へ限りなく全振りしたのにめっちゃ人気が出た場合、それって自分の感性や嗜好・思考がめちゃくちゃ凡庸で大衆的で個性がないって話にならないか?っていう疑念があるんですけどね。
評判よかったら単純に嬉しいだろうからこそ、心の片隅でもにょる気がする。
つまり私みたいなひねくれ者は、『自分の作りたいものを作りたいように作る』へ全振りした作品を世に公開する時、常に可能性としての精神的リスクがつきまとうんですよ。めっちゃ人気でなくとも50ちかくもブクマついてるのキモいもんw
でもやっぱり作品公開するのは、自己を世界に承認されたいからなんだと思うので、作品に流行を反映させることはなるべくしたくないし、同時に『私の好き』が世界にまったく見向きもされなかったらやっぱりそれなりに淋しいんですよ。
それに比べたら、数字欲しくて流行に媚びたつもりで作って公開したけど全然いいねされない……のほうが普通になんかしら技術が足りないんだなでFAだから次の課題が明確になって楽、まであるんじゃないかっていう勢い。
双龍先生とかどうなんですかね。
彼は『こういうのがいい』はマジで俺が「こういうのがいい!」と思って描いた作品だよ!とおっしゃっていて、「人気を得るためにここまでするのかと思った」みたいな論評にブチギレしてたのをちょっと前に見たんですが。
まあ彼はプロのクリエイターなので、たぶん『自分の作りたいものを作りたいように作る』のはある種当たり前で、そのうえで画力とか魅せ方とかで読者視聴者に「こういうのいいかも……」って思わせるんだよ的な考えな気がしますけど。
読者の癖を俺の威力で曲げてやるぜ、みたいな。
ちなみに彼はそう豪語できるであろうだけの自信と実力があるひとだと私は思うのでプロって称したんですが、その自信はどっから来るのか?っていうのは気になります。
先に自信があるんじゃないかと思うんですよね。自信があるから実力を積み重ねられるし、それがさらに自信に繋がってゆくのね。
このへん森川ジョージ先生も同じっぽいなって、二人のスペースでの対談を聞いていて思いました。
二人のようになるともう一時の数字に左右されずに信念を持って仕事を続けられるし、だから業績を出すことができるし、結果を素直に受け取って応援や称賛に感謝することができるんじゃないかな。
このあたりのメンタルを持つことはクリエイターとしてやっていくのにすごく重要で、これがないと反AI堕ちしたり漫画家の単行本の表紙にギャラ出ない問題でSNSで愚痴垂れる面倒くさい人になったりするんじゃないかと思うんですよ。
まあ私は双龍or森川メンタルを持ってない側の人間なのでそういう、自信と実力に見合わない人気を獲得してしまって無意識に自分のファンの存在を疑っている人(私は反AIな人をAI生成物が世を席巻したら自分にイラストを頼みに来る人がいなくなると怯えている人と見なしています。そしてもし私が2020年以前にフォロワー5万人級のキラキラSkeb絵師だったら現在反AIになっていた自信があります)や、対等であるはずの出版社に対して弱気になって舐められて搾取されても被害者ムーブしかできない人に対しても同情しないわけではないですけど、なんでそれで今までプロでやってこれたん……?っていう疑問はなきにしもあらず。
ほんとその、なんていうか、自分の『好き』を社会に公表して普通にウケたら、自分が大衆受けする没個性な人間である可能性を視野に入れたほうがいいと思うんですよね。その歓迎は個人への承認ではない可能性があること。読者側の勝手な解釈による勘違いである可能性もありうる。
数字に見合う実力、魅せ方や単純な画力や表現力などの技術を身につけて、そこが承認されているんだと認識していかないとヤバい気がする。ほとんどの人が個性なんか見ていないのよ。
っていうのがこの二年、生成AIで阿鼻叫喚な界隈を眺めていて思ったことでした。
ってデータ記録だけって言ったのに長々とどうでもいいことを書いてしまった。