自由ってなんだろう?の迷宮、もう少し探索してみます。
タイトルはフランスの哲学者ジャン・ポール・サルトルの言葉です。
実存主義【実存は本質に先立つ】は無神論とも言われていますが、神がいないから人間は自らの本質を自ら創造するしかない・自分のあり方について自分が決定するしかないというのなら、結果的に神のせいにしているので無神論ではないと感じるのは私だけでしょうか。
私は神(高次元存在)はいると思っていますが、それは私がいると思っているからいるという理論でして、私の実存と本質の形成なくして私の神は存在しないです(量子力学における非実在性とか言うらしいのですが、物事全て私が存在を認識したから存在するのであって、私が存在しないなら存在しないってことですね)。
だいたい神が本質の創造を司るものだという定義は誰が決めたんでしょうか?人間ですよね?
つまり神の存在を信じる人も結局は神が存在することを自分が決めているし、神が何者なのかを自分が定義しているので、彼らも自らの本質を自ら創造している状態なのですが、キリスト教的な信心深い人というのはそこの自己決定を認めないか忘れていて、どこまでも神に責任転嫁をしている人だと私は思うんですよね。
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